1話 蒼の最初の選択
少年は海にたゆたう。波間に箱舟を漂わせ。
その決断が正しいかどうかは結果がすべてだ。
選択の積み重ねが世界を形作る。
蒼き瞳の少年の選択の結果は何をもたらすのだろうか。
誰も到達し帰って来たことがない魔の海域。
第7次文明世界フェルペルディアの地図上ではほぼ円形にかたちどられ、あまりの範囲の広さで大陸が存在するのでは、ともささやかれる。
周囲の天候は荒れ果て、熟練の船乗りでも近づくことさままならない領域であり、恐れられていた。
「……絶対不可侵領域」
一般的に珍しいとされる蒼の瞳を持つウィル・S・リベリはかみしめるように言った。
陽に当たれば宝石のように輝くその瞳は今は眼前に迫るどす黒い雲に阻まれ輝くことはなかった。切るのを忘れ、邪魔に思っていた黒髪が暴風にさらされ左右になびく。
その声は震えていたかもしれない。寒さもさることながら、動きやすさを優先して薄いジャケットに七分ほどのパンツの軽装は、雨に溺れ何倍にも重くなっていた。軽装たる利点は見事に消えていた。
ウィルの兄、ハクト・V・リベリの用意した遺物の機構を装備した自律走行可能の小型船舶の小さな甲板でハクトは碧の瞳を雨に濡らし顔をしかめる。
ウィルは話には聞いていたがこんなところを進めるのだろうかと今更ながら後悔が生まれてくるようで寒さに震える。その後悔を振り切るように張り付いた髪と共に首を振る。そんな彼の心情は否応にも船は導かれるように荒波を突き進む。
ここまで来て改めてこれまでを思い出していた。それが走馬燈でなければとも願う。ウィルは正直、反対されると思っていた。十年前に行方不明となった父、ルイノルドの捜索を。事の発端は一ヶ月前に遡る。
ウィルは自分の部屋で沈黙を貫く黒い、通称、端末装置と呼称される前時代の遺物の一種をなんとも言えない様子でしばらく眺めていた。
「一緒に冒険するって約束も、叶わなかったな……」
昔、父親とした約束を思い出しながら聞き手のいない言葉を呟く、ぼーっと端末を見ていたところ、ハクトが小箱を片手に神妙な面持ちで部屋に入ってきた。小箱は国際資格の機工技師であるウィルの兄ハクトが遺跡探索の帰りに失礼してきたものだった。もちろん露呈すれば罰せられる行為だった。
「やっぱり受け入れるしかないのかな」
ウィルの心情を読み取ったかのようにハクトが複雑な表情で話しかける。ウィルは一瞬驚いたものの、同じ時間をすごしてきたのだから、同じ結論に至るのも道理だと納得した。
「そうだな、まあ別に今こうやって過ごしているんだし、受け入れることも一つの――って?」
一つの選択っと言いかけたところで、ウィルはハクトの持つ小箱に注目する。その視線に気づきハクトも小箱に視線を移す。
「へ? えっ、なんで!」
それは唐突だった。
小箱は紫色の薄い光を放ち表面に判読できない文字が浮かび上がり小箱を周回する。
「起動した? いや、もしかすると」
ハクトは表情を一瞬にして切り替えると、口元を固くして固い顔つきになった。そして視線を移し沈黙を貫く端末に向かう。
「読み通りなら共鳴してもおかしくない」
ハクトが端末の上に小箱を置いた途端、沈黙を貫いていた端末の黒画面に光の文字が浮かぶ。小箱はその文字を自身で展開している文字に加えていく。
蓋が開くのかと思ったが、そうではなかった。その代わりに小箱の形が変わった。
小さな立方体の粒子に分解を始めると小箱の角がなくなりなめらかな球体へと変貌したのだ。ハクトは慌てる様子もなくそのまま端末の上に浮くと、光が膨張した。
「きたきたきた! ウィル見てごらんよ!」
興奮を隠せない様子のハクトに呼ばれ、ウィルは光を凝視する。その顔には今までの悲壮感を吹き飛ばすように笑みが浮かんでいた。
そこで、騒ぎを聞きつけた母エレニアが何事かと駆けつけ、彼女は端末が反応しているということだけで涙を流し始めた。夫の唯一の手がかりがようやく何かを伝えようとしているのだから仕方のないことだろう。この場に妹がいないことが残念だが、今はまだ学校のはずだ。ウィルはとてつもなく嫌な予感がしてしまうがこの際仕方ないと諦める。
小箱、いや球体は光を纏い、直後、光が円形に膨張した。光の球体は徐々に眩しさを抑え、その姿を現す。
「これは……フェルペルディアの地図?」
ハクトは、その球体の光が結ぶ線がこの世界を表す地図であると気づいた。
そしてそのある一点が赤い光を灯していた。
「まさか……ここに?」
ハクトは信じられないといった表情を見せる。ウィルもその地点がどこか分かってしまい、口元を押さえる。
それは絶対不可侵領域と呼ばれる海域。
魔の海域、不可侵とは侵入したら戻らないという事実から結果として挑むものが皆無だったためである。
「そんな、まさか、こんなことって……なにかの間違いでしょ?」
涙目でその光景を信じられずに呆然とするエレニア、その目には嬉しさはもうなかった。あるのは恐れのみでそれほど絶望的であることを光は示していた。
「……なあ兄貴、そもそもこの箱はどこで発見した?」
「南の海上遺跡【リヒトシュテルネン】だよ」
遺跡、父親が消えたのも遺跡、そして端末を残して消えてしまった。そして海上遺跡リヒトシュテルネンは絶対不可侵領域と親父が消えた名もない遺跡との直線を結ぶ。
偶然だろうか? いやあの船着場の向きも一致している。図面だけは昔、この目で覚えた。いる……いや、いないかもしれない。だがほかに手がかりがあるか? 罠だとしても、意味があるのか? 所詮あきらめかけていたところだ、こちらには罠をかけられる理由はない。
なら、俺の選択は一つだ。
「母さん、兄貴……俺は行く」
まっすぐ二人を見つめ、ウィルは強い意思を込めた。その可否は早かった。だがハクトはともかく母であるエレニアまで受け入れるとは予想に反した。
俺って要らない子なのかも、とも思ったがそうでないことはわかっている。
ウィルのそもそもの夢である冒険がそこにあるのだ。
父親の一件から家族を支えるために冒険を諦めていたことをわかっていたエレニアは、どこかやる気のなくなっていたウィルが放った、その一言でエレニアを決心させるには充分だった。
だが、一人だけ納得しない人物がいた。
妹だ。ウィルの決心からしばらくして夕食前に戻ってきた妹。
ニーア・K・リベリ
彼女は夕食を食べ終わった後、むすっとした表情で家族会議だと憤慨し経緯から求めた。
彼女の綺麗に梳かれた黒髪は母親を真似して伸ばしており今は背中ほどまで届いていた。ぱっちりとした深い青い瞳。大海を思わせる穏やかな青はウィルの蒼とは違い吸い込まれるような印象を持つ。その眼にやられる町の人間も多く数ある告白を一蹴してきた逸話もあるほどだ。目鼻立ちも整っており充分に母親の血を受け継いでいた。今はかわいいといわれるが後4,5年もすれば、美人と言われるようになるだろう。
そんな彼女は少し涙目で、椅子にかけていた。
きちっとした藍色に染められたジャケットを椅子にかけ、白い綿のシャツだけになり、藍色のスカートのいでたちだ。
「で、私抜きで決めたのはまあいいわ。ウィル兄がいくなら私もいくからね」
さも当然のように言い放つ。
そこには一切の迷いも感じられない。
「それはだめよ」
母エレニアがニーアの顔を見据え、強い口調ではっきり言った。その瞬間、ニーアの目つきが鋭くなった。目には涙を溜めているが零れ落ちないよう我慢しているようだ。
「なんでよ! 私ももう子供じゃない! 私のこと心配なのはわかるけど、それならウィル兄だって一緒じゃない!」
ニーアも引かない、エレニアを始めウィルもハクトも気持ちはわかっていた。ニーアが一番、ルイノルドに会いたいのだ。
出発直前に喧嘩をしてしまった父が帰ってこないのは、自分のせいだと思っていた。周りはそうではないと言うが、そんな簡単に割り切ることはできない。だからこそ、自分も一緒に行き、謝って前のように仲良く家族で過ごしたい。そんな想いが彼女を意地にさせていた。
ウィルもハクトも黙っていた。ウィルは現地に向かう当事者であり、自分が向かうことを決めたことでニーアを止める資格はないと考えていた。
ハクトは、ウィルが向かうことに賛成したことと、絶対不可侵領域に到達するための船をどうするか思案している状況で、この件にはウィルに全面協力することも自らも船には乗る事情もあり、ウィルの立場を考えて何も言わないことに決めている。
「二人とも出ていなさい」
それを察してか、エレノアは二人をこの場から遠ざけた。二人は頷いて自分たちの部屋へ向かっていった。ここは母に任せて、これからの計画を練る。
「私はぜええったいに行くからね!」
それがウィルに向けたものかエレニアに向けたものかは既に背を向けていたウィルには分からなかった。ただ、連れて行くなら守る覚悟はついていた。何を犠牲にしても。
――――翌日
徹夜をしてハクトとお互いの役割を話し合っていた。ウィルは寝ぼけ眼で外にでて水を頭からかぶる。頭が一気に覚醒する。強制された目覚めのせいか少し頭が痛くなった。
家にハクトは既におらず、予定通り船の調達に出かけたようだ。先日、ハクトが乗船してきた前時代の技術を流用した自動推進機構搭載の大型船だ。あれと同じ機構の中型船が実用段階であるとのことで、それをなんとか調達できないかと交渉しに行った。
それと小箱は球体から小箱に戻っており今度は蓋の境目がしっかりと浮き出ていた。引き続きハクトはそれの解析に移るようだ。
ちなみに朝、エレニアに会うと彼女もまた寝不足のようだった。妹との話の結果、妹はついに諦めて待つとのことだった。ウィルはほっと一安心した。本当についてくるかと思ったのだ。むしろ、一晩で解決するとは予想外だった。
とりあえず、ハクトの調達次第で出発の日が決まる。
それまで、必要な道具をそろえよう。とは言っても、何が必要だろうか? まあ未知の領域だし、武器は一応要るだろう。親父の部屋でも漁るか、たぶん無駄に溜め込んでいるはずだろ。
と、武器が置いてあったことを思い出しウィルは朝食を急いで食べた。
第7次文明世界「フェルベルディア」
塩香る町「ベハーブ」
海に面するこの町は、小国「イスラ大公国」の重要な貿易拠点である。
ウィルの故郷。
世界の文明はまだまだ人力に頼るところが多く、
馬車はがたがたとゆれ、船は帆船でオールによる。
人々の交流は盛んだが、それに伴う交通インフラは向上していない。
生活インフラは遺物を頼っているあり不自由はないが、そのためか文明の開発レベルも停滞していた。