「ソレ、食べられる。」
紗雪がまだ3歳くらいの時。
「紗雪、ソレ食べられる。」
怜那の手元の小鉢を見て、紗雪が言い出した。それは、子供達は好まないだろうからと、大人である恭兵と怜那の分だけ用意したものだった。
「そうじゃないだろう?食べてみたいって言えばいいんだよ。」
恭兵がたしなめると言い直した。
「食べてみたい。」
「じゃあ、ママの分、分け分けしようか。」
怜那の一言で笑顔になった。
「美味しい。好きになった。」
たいていの場合、そう言った。背伸びしている部分もあったとは思うが、“嫌い”が少ない方なのだろう。怜那の食べているものは、とにかく一通り食指を伸ばした。
「紗雪ソレ食べられる。…食べてみたい!」
そのうち、そう言って大人用の小鉢の一品をせがむのが習慣になった。ある時、恭兵が小鉢の一品を紗雪が好きかもしれないと声をかけた。
「紗雪、パパのコレ、あげようか?」
その一言に対して、紗雪はちらりと小鉢に目をやってから言った。
「要らない。ママのちょうだい。」
「紗雪!感じ悪いぞ!」
恭兵の声を気にすることなく、怜那のそれに箸を伸ばし、その行動は恭兵をずいぶん憤慨させた。
翔は、そんなやりとりを目の前に、食べ慣れた好きなものだけを黙々と食べる。さすが食べず嫌い王である。そんな翔なので、「僕も食べたい。」などと言うことは、かなり珍しい。積極的に手を伸ばすのはチョコレート類くらいで、しかし、チョコでさえも、ベリーや、その他ドライフルーツの気配がすると、出しかけた手を引っ込めてしまう。日頃の行動からすると、用心深いタイプとは言いがたいが、食べることに限っては用心深く、紗雪とは正反対で、滅多に冒険しないのだ。
「…そんなことも、あったなあ…。」
平日の昼下がり、怜那は一人でアールグレイを飲みながら思い出す。お茶うけのマカナイーノは「黒豆のクリームチーズ和え」。今日は紅茶にしたが、ほうじ茶や緑茶との相性も悪くない。甘く煮た黒豆とクリームチーズの組み合わせが絶妙で、この二つを軽く混ぜただけのシンプルなスイーツなのだ。これは、紗雪が手を出さない、数少ない一品だ。
「ただいまー。」
紗雪が帰ってきた。
おかえり、と言う間もなく怜那の手元をのぞき込む。
「なーんだ。これかあ。」
少しがっかりした様子で冷蔵庫からアイスを取り出し、椅子に座る。
「今夜は、ある?」
さすが“マカナイーノ病”患者だ。マカナイーノのことばかり考えている。そろそろお年頃なようで、まだまだ食い気が勝る紗雪である。