5 彩り栄える人生を望む彼。陽気に笑い、望みを叶えようとする彼女。
5 彩り栄える人生を望む彼。陽気に笑い、望みを叶えようとする彼女。
《責任とは、とるものではなく押し付けるものである》
by四谷真崎
彩栄椋。
黒と白の混色の髪、緋色の瞳、少女と見紛う顔と体つきをしている。
彩栄可想に拾われ、彼の研究の礎となり、殺戮鬼の原点となった存在。
多数の異常性をその眼に宿し、日常的に命を狙われる少年。
そして現在、中渕中学に通う二年生。
俺がこの少年について知っているのは要約すればそれくらいだし、それ以上を知りたいとも思っていないので、これくらいの知識でいいだろう。
「さぁ真崎さん、着きましたよー! ……で、殺戮鬼のマンションってここであってるんですか?」
隣に座る彩栄少年は、うきうきという言葉が背景に表示されそうな満面の笑みを浮かべながらシートベルトを外していた。
「あってるよ。ここが、君の命――というよりもその眼を狙う殺戮鬼たちの住むマンションだ」
そう伝えると、ドアを開けて飛び出し、助手席のドアを開けて手が拘束されている俺を引きずり出した。いや、言い方が悪いか。字面からすると乱暴なように聞こえるが、彩栄少年が行った行動は子供が早く遊びたいと親を引っ張るそれと似ている。「おとーさん早く早くー」 「もー、しょうがないなー」 こんな感じである。
とても、自分の命を狙う人間を根絶やしにしようとしている人間とは思えない。いや、どちらも『人間』ではないのだっけか……。けど、奈多さんが言う 『人間ではない』 というのは、こういった部分を意味しているわけではないのだろう。こんな境遇にいれば、誰だってこうなるのかもしれない。俺からしてみれば普通ではなくとも、この少年にとってはこれが普通になっている。――少し前に、神宮さんと普通について話したけれど、結局のところ普通というものの定義は曖昧なままに終わってしまったな……。そうしてみると、なにが普通で、何が異常なのかが分からなくなりそうだ……。
まぁ、普通なんて個人の主観でしかない。誰しもが口にする普通にも、些細だが致命的なズレがある。みんな、普通を当然とする。絶対的な普通なんてないのに、主観的な普通しかないのに。けど、それで十分だったりする。自分の主観は世界の主観だ。世界を認識しているのだって自分でしかなく、人間は客観視することができない。だから、他から見た異常や異様を普通として受け入れられる。それはその人にとって異常ではなくて普通だから。――なんだ、結局のところ俺のちょっと変わった部分も人間としてはありうる範疇じゃないか。奈多さんは洋樹を普通の範疇から外れた少女と評し、俺のことを普通の範疇でズレた少年だと評したがなるほど、そう考えるならば確かに俺は普通だ。ただの、少年だ。やっぱり自分で言っていて悲しくなるな。特別になりたいわけじゃなくとも、特別ではないと突きつけられたら、まぁ、落ち込む。
そんなことに一喜一憂しながら彩栄少年と駐車場を歩いていると、車が停まっていないスペースでキャッチボールをしている二人の少年が俺に気付いた。
「あれー、えーと………」
先に俺の存在に気付いた少年が、遠くから喋るとき特有の間延びする声を掛けてくるが、近づいてくるにつれて減速する。目の前に来たが、言葉の続きが出てこない。おそらく名前が思い出せないとかそんなあたりだろう。慌てて隣に並んだもう一人に助けを求めるような視線を送る。
「四谷真崎さんな、最近入ってきた洋樹さんの恋人」
やっぱり名前か。……っておい、恋人じゃねぇよ。間違った情報仕込むなよ。
「あ、そうそう! 洋樹さんとラブラブカップルの四谷さんだ! どーもー!」
おい、鵜呑みにすんな。それどころかラブラブとか付け足してんじゃねぇよ。あいつといちゃついたことなんてまだ一回しかねぇよ。
「四谷さん、こんにちは」
溌剌としている兄とは対照的に、落ち着いた様子で頭を下げる弟。
「よ」
訂正するのも面倒だからもうそれでいいやと諦め、雨宮兄弟に軽い挨拶をする。俺の後ろに隠れるように移動した彩栄少年もそれにつられて会釈する。なにこれ可愛い小動物?
「四谷さん、そちらの方は?」
弟である光は当然、その小動物――じゃなくて彩栄少年についてを尋ねてくる。
「友達みたいなもんだよ」
なんと説明しようか考えていなかったので、とりあえず無難な言い方をすると、
「へぇ、四谷さんって友達いたんですか!」
兄の影が遠慮とか無視した不躾なことを言ってきやがる。
「お前はあれな、歯に衣着せるって言葉を覚えような? 思うだけならいいからさ。思想の自由は国が認めてるからな。でも人を傷つけるような言葉は駄目だぞ。言論の自由も認められているけれど、人を傷つけるのは人道的にアカン」
「そうだぞ、四谷さんだって友達が少ないことを気にしているかもしれないだろ。もう少し口を慎め」
雨宮弟よ、それはフォローになってないからね?
と、雨宮兄弟とは初対話でありながらも、彼らの幼さゆえの砕けた態度のおかげかすんなりと会話することが出来た。これは年が同じぐらいの彩栄少年と話していたのが功を奏したのだろう。
くいくい、と彩栄少年が裾を引っ張る。
「誰ですか?」
必要最小限の確認の言葉。
「………」
俺はその言葉に答えなければならない。俺は、自分の命が大切だ。なによりも、自分が大事だ。だから、答えるしかない。教えるしかない。
「さっき教えた、雨宮兄弟だよ」
言い終わる頃には、俺の後ろには彩栄少年はいなくて、雨宮兄弟は何が起きたのか分からずに呻き声をあげることしかできなくなっていた。彩栄少年が雨宮兄弟の首を掴み、そのままマンションの壁に叩き付けたからだ。
「がっ……! あっ……? ぁ⁉」 「――っ⁉ ……くぁ。 ぇ……」
気道を潰す様に首を掴まれ、背中を強かに打ち付けられて、抵抗すらできずに、言葉を発することすらできずに、なすがままにされている二人。
「あなたたちは、こうされれば、こうやって音を発することを封じられれば、何もできないんでしょう」
二人とも最初に背中を強く打ったせいでろくに足掻くことが出来ず、痛みを我慢して抵抗できる頃には、頸動脈を抑えられているせいで脳への酸素供給がされておらず、意識は飛ぶ寸前だ。首を抑えている手を引き剥がす力すら残っていない。喋ることすら出来ていない。
雨宮兄弟の有する 『異常』 とは、言霊である。言葉に力が宿り、詞が力となる。簡単に言えばそれは暗示や催眠に分類されるそうだ。そして実際のところは、彼らの発する言葉の波長が人間の脳になんらかの干渉を起こしているのではないのかと、無垢さんはそう言っていた。
兄である影の言葉は、隷属。彼の言葉を聞いた者は、意識を無視して、その体を乗っ取られる。感情や意思を除くすべてを支配される。意識を隷属させることは出来ないが、体は彼の操り人形となる。思い通りに、思いのままに、意のままに動かすことが出来る。
弟である光の言葉は、洗脳。彼の言葉を聞いた者は、感情を殺され、その支配権を全て握られる。意識ですら、彼の自由にできる。彼の言葉が絶対になり、彼の言葉でしか動かない。
大差のない 『異常』 だが、どちらも非常に、非情なまでにタチが悪い。雨宮兄の能力は、意識を残して、それ以外を支配する。雨宮弟の能力は意識すらも支配する。意識を残されたまま、感情を残されたまま体を支配されるのと、意識を殺されて、感情を抹消されて操られるのは、どちらのほうがまだマシなのだろうか……。
どちらも、相手に自分の言葉を聞かせるだけでいい。
意図して、意識的に、言い聞かせるように、命令として言葉を紡ぐだけで彼らの異常は発揮される。
それだけで、少年たちは絶対者になれる。
あまりにも反則的な能力だ。人を相手にするにあたって、その能力はあまりにも強力すぎる。
言葉を発するだけで上位に立てる。そう、言葉さえ発することさえ出来たのなら。
彼らには勝つ可能性が存在したのだ。
「じゃ、さようなら」
彩栄少年は淡泊にそう言って、
「――――!」 「~~~~~⁉」
メキリと、握力だけで二人の首をへし折った。支える骨が折れ、筋肉が弛緩したことによって頭がだらりと垂れ下がる。雨宮兄弟は絶命したようだ。それはとてもあっさりと。簡単に死んだ。異常者だって元は人間だ。人間をベースに作られている。彼らがどんな能力を有していようとも死ぬときは死ぬ。どんな特別にも死は訪れる。
「あと四人」
彩栄少年は感情のない無機質な言葉で、殺戮鬼の残りの数を言う。散楽坂無垢を殺し、次に神宮紀里を殺し、雨宮兄弟を殺した。どうやら、俺は殺戮鬼の数に入っていないようだが、まぁ当たり前か。俺にはこの事態をどうすることも出来ない。彼にとっての敵でもなければ、脅威でもない。わざわざ殺す必要のない存在。そのおかげで、俺は今を生きている。
「む」
マンションの入り口に向かおうとした彩栄少年は、なにを思ったのか今しがた殺したばかりの雨宮兄弟のところに戻り、そのまま足を持ち上げ――
雨宮光の頭を踏み潰した。
既に死んでいて、抵抗などできるはずのない雨宮弟の頭を、踏み砕いた。辺りに砕けた骨と破けた皮膚と潰れた脳と血が散乱する。彩栄少年は潰した後のそれには目もくれず、同じ要領で雨宮影の頭も潰した。やることはやった。彩栄少年の目からはそう感じ取れる。愉悦とか、見せしめとか、趣味嗜好だとか、そんなのではなく、必要だから潰した。そのような態度だ。
「どうして?」
気づいたら出ていたこの言葉は、別に非難を意味しているわけではない。死者への冒涜だとか、尊厳を奪う行為だとか、そういうのを言いたいわけではない。どうして、死んでいるのに、その頭を潰したのか。その行為への純粋な疑問が口に出てしまった。そんな俺の考えを理解していたのか、彩栄少年は理由を簡単に教えてくれた。
「だって、なにかあって生き返りでもされたら面倒でしょう? なら、とりあえず頭を潰しておけば大丈夫だろうなぁという感じです」
彼らは異常者だ。異常で異様な異能を宿した存在だ。そんな彼らでも死ぬ。けれど、彼らに常識は適用されない。彼らに常識は通じない。死んだからって、生き返らないとは断定できない。
「だから、潰したのか」
「えぇ、まぁ保険みたいなものです。これで駄目だったら、また頑張るだけですし。さ、中に入りましょう」
頭のなくなった雨宮兄弟を眺めている俺の腕を引き、マンションへと向かう彩栄少年。
ふと、ここで気づく。俺はとうとう死体に何も思わなくなっていることに。
最初は、体が聴覚を遮断して精神を守ろうとするほどに衝撃的で残酷だと思えて、無垢さんや神宮さんが殺された時ですら、吐き気を覚えたというのに。
感覚が麻痺しているだけなのか、それとも、これが溜め込むという――受け入れるということなのだろうか? だとしたら、俺はなにを受け入れているんだ? 人が死ぬことを? 殺されることを?
それらに、動揺しない自分を?
―――×××―――
「そういえばさっきの人たち、真崎さんが手錠を装着していたことにはなんの疑問も抱いていませんでしたねー。 どうしてでしょうか?」
彩栄少年は黙っていることが苦手なのか、それとも話し好きなのか、もしくは何らかの意図があってなのか、やたらと喋りかけてくる。現在、彩栄くんは靴にこびりついてしまった血を駐車場に設置されている散水栓を使って洗い落としている。……なぜか、彩栄くんは共用水道栓鍵を当然のように所持していた。どうして男子中学生がそんなものを当然のように所持しているのだろうか。
「さぁねぇ……。俺は殺戮鬼のことを詳しく知っているわけじゃないからなぁ。まー、それでも推察するとしたら、殺戮鬼の主な仕事は殺人だけど、色々な複雑な大人の事情が絡みそうな仕事だしさ、生け捕りとか、捕縛とか、拷問用とかで見慣れていたりするんじゃないの?」
いや、大人の事情が絡まない仕事なんてないんだけどさ。
「だとしても、手錠自体に違和感を覚えなくても、真崎さんが手錠をつけているということには違和感を覚えるでしょ」
「じゃあ、そのなんだ。俺が日常的に手錠をつけるのが趣味の人間だとでも思われたんじゃないか? そんな風に思われるようなことをした覚えはないけど」
洋樹の恋人だと思われたのなら、少なからずそういう変態的な趣味嗜好があると思われてもおかしくない。あいつも手錠を持っていたし。まぁ――
「まぁ、死んだ今となっては、そんなことを考えるのは無意味だな」
死人の気持ちなど分かるわけがない。生前に何を思い、何を感じていたかなど、考えるだけ無駄だ。
「それもそうですねー」
彩栄少年もそこまで深く関心を抱いているわけじゃないのか、簡単に同意する。
「一応、パッと見たときに違和感がないように腕を背中に回しましょうか真崎さん」
ポケットにしまっていた手錠の鍵を俺に放り投げる。靴を洗うのに忙しいから、自分で外して、自分でつけろという意味なのだろう。信用されているということか。信頼されているということか。俺なら逃げないと。俺なら逃げられないと。俺なら、逃げたときにどうなるのかを理解していると、確信されている。
「……あいよ。まぁ、死にたくないし。自分が一番大事だからな」
ぼやくように呟いて、俺は背中に回した手にもう一度手錠をはめる。
靴の血もだいぶ洗い落とせたのか、彩栄少年はうんと頷いて俺の背中を押した。
「よし、行きますよ真崎さん!」
殺戮鬼が拠点としているマンション『ヴィラ・メゾン』。二十一階建てで、住宅街の中ではやや異彩を放つ高さがある。このマンション、驚いたことに殺戮鬼しか住んでいないのだ。わずか八人(俺を含めれば九人)しかいないというのに、二十一階全てを占領するという贅沢っぷりである。奈多さん曰く、一般人が同じマンション内にいると何か起きたときに危険だから。というのが建前で、一度でいいからマンションを一つ買ってみたかったというのが本音らしい。正直、俺には理解しがたい感性であるが、そんな発想がまかり通るぐらいには、殺し屋というのは羽振りの良い仕事なのだろう。
そういえば、彩栄くんは彩栄くんで中々に高そうなマンションに住んでいたが、彼はどこから資産を出しているのだろうか? どんなに人間離れした異常者であろうと、普段は学校に通う中学生だ。バイトだってし難いだろうし、保護者であったあの少女も今では植物状態だ。隣にいるのだから聞けば済む話なので、雑談ついでに聞いてみると――
「基本的には、あの女の子が小さくなる前に残しておいてくれた貯蓄から生活費とかを出していますねー。それだけでも、なに不自由ない十分過ぎる暮らしを送れるんですけど、僕を狙ってくる人たちを撃退したときに、そのまま所持していたお金を頂いたり、高価そうな所持品を売ったりしているので、豪遊しようと思えばできる程度には僕自身の貯金もあります」
追い剥ぎの逆バージョンみたいなことをしていた。うん、まぁ、その行為が正しいとは言えないけれど、批判することも出来ないんだよな……。彩栄くんは悪いことはしていない、むしろ悪いことをされたのだ。その代償と考えれば、身ぐるみを剥がされるなど当然のように思えてしまう。
「あー、さいですかー」
だから、こんな反応しか出来ない。
「ん?」
一階のエントランスホールに入ると、ソファにのんびりと腰かけ、ぼーっとテレビを見ている女性が俺たちに気付いて振り向いた。
「あれ、四谷くんじゃないですかぁ?」
翆玲都。
ダークブラウンのビジネススーツに身を包み、光の当たり方によっては銀色にも見える白髪を後ろで纏め、常に何かに負い目があるかのような申し訳なさそうな笑顔を浮かべた女性。殺戮鬼の歓迎会の時、俺の前で一時間ほど土下座し続けていた人だ。ちなみに、土下座の理由は俺と洋樹との初遭遇の時、無垢さんと一緒に彼女もその場にいたのにもかかわらず無垢さんと洋樹の暴走を止めることが出来なかったかららしい。無垢さん曰く、「殺戮鬼の中で、一番死なない存在が叶ちゃんだとすれば、都ちゃんは一番殺せない存在だね」 と評した。それはどう違うのだろうか、大差がないように思えた。今だって俺は洋樹の異常というのを分かっていない。でも、無垢さんが翆玲都さんをそう評価した後、彼女の異常を聞いた俺は、無垢さんが何が言いたかったのか、どういう意味なのかは理解できた。
翆玲都。負い目を感じやすく、謝罪癖があり、何かに怯えているかのように日々を生きている。そんな彼女の異能とは――
「どこにいっていたんですかぁー。みんな心配していたんですよぉ?」
間延びする声で話しかけてくる翆玲さん。女子特有のあの苛立ちを誘発させるような猫被ったような気持ち悪い延ばし方とは違い、なんというか、本当に気が抜けているような感じだ。
「洋樹ちゃんとか朱鷺宮ちゃんは君のことを探しに行ったきりまだ帰ってきてないし、どこかですれ違っちゃったぁー?」
「……さぁ、どうなんでしょう。見ていませんね」
どうやら、奈多さんは俺が神宮さんと一緒に彩栄椋の住むマンションに向かったことを殺戮鬼の連中に教えていないようだ。そうでなければ、俺が無垢さんと神宮さんと一緒に帰ってきていないことに違和感を覚えるはずだから。
「そかぁー。でもまぁ、うん、こうやって四谷くんは無事に帰ってきたし、これなら二人ともすぐに帰ってくるよねぇ」
奈多さんが他のメンバーに事情を話していないとするなら、洋樹が俺を探しに行くのは理解できる。なら、奈多さんは何をしているのだろうか……。まぁ、ここの誰に聞いてもその答えは得られないか。
「他の人たちは、どうしているんですか?」
「んー、影くんと光くんは表に野球しに行ってぇー。使ちゃんは上でおねむだよぉー。散楽坂くんと神宮ちゃんも昨日から出掛けているっぽいけれど、あの二人のことだし、たぶんデートかなぁー。いやぁー、いいねぇー。青春だよねぇー」
ということはやっぱり、あの二人はそんな関係だったのだろうか。そうではなくとも、周囲にそう思われている程度には、近い仲だったのだろう。まぁ、そんなこと今となってはどうでもいいか……。死人は所詮故人だ。生きていなくて、もういないのだ。わざわざ死んだ人間に何かを思うのは無駄なことでしかない。弟に縛られ続けた俺が言うのだ、間違いない。死ねば関係ない。何もかもが死んでしまうのだ。生前にはあった、その人を彩る全てが散り、消滅する。死んだ人間のために、もういない存在のために、今を生きている人間が動く必要など皆無だ。葬式を開くのは世間の目があるからで、戒名をつけるのはお坊さんがお金稼ぎのためで、お墓は家の名誉と地位を表すためだ。なんだよそれ、馬鹿馬鹿しい。阿呆らしい。死んだ人間なんかよりも、今、現在を生きている人のほうが大事だろうが。
――じゃあ、生きているわけでも、死んでいるわけでもない場合、どうなるんだ?
「真崎さん、誰ですか?」
先ほどと全く同じ言葉を、裾を引くという同じ所作をしながら訪ねる。俺はそれに答える。
「翆玲都さん」
ごきんっ。
俺たちの会話を、首を傾げながら見ていた翆玲都さん。彩栄少年の回し蹴りによって、十度ほどしか傾いていなかった首がそのまま百二十度ぐらい回転した。首がへし折れるほどの勢いで蹴られたことによって、翆玲さんの体は大理石の床を二度跳ね、壁に衝突して止まった。
彩栄少年は、どう見たって生きているようには思えない翆玲さんに近づき、その折れ曲がった首を両手で掴む。ぶちりと、雑巾を絞るかのように首を引き千切る。頭と胴体の切断面からはぼとぼとと血液が垂れ流される。引き千切った顔を床に放り、彩栄少年は先ほどと同じ要領でそれを踏み砕く。大理石の隙間を縫うように、脳漿と体液と血液が混じった不気味な液体が部屋に端にまで行き渡るように流れていく。先ほどまでは、掃除が行き届いていて清潔感と高級感のあったエントランスホールが一瞬にして血生臭くなった。
異常だとか、異能だとか、殺戮鬼だとか、言っているけれど、先ほどから行われていることは戦闘ではなく、一方的な虐殺だ。こういった超能力の類を持つ者同士が戦う場合、派手で華やかでそれでいて泥臭い、それこそバトル漫画のようなものを想像してしまいそうだが、全然そんなことはない。生死をかけた戦いなど、一瞬で終わる。あっけないくらいに簡単に終わる。
彩栄少年が先ほどからやっていることは、ただの不意討ちだ。既知の人間を前にして気が緩んだ瞬間に、人間離れした身体能力を活かした一撃のもとに葬っているだけ。そこには少年たちが憧れるような戦いはない。あるのはただの人殺し。不意討って、命を刈り取るだけの作業。
――ただし、彩栄少年が相手しているのは人ではなく、人外。人ならざるモノだ。
「いきなり殺すとか、最悪」
気づけば部屋に広がっていた血の海は消えており、彩栄少年の足元から翆玲さんの頭は消えていた。神宮さんと無垢さんの時のように、彩栄少年の何らかの力によって消えたのか? いや、違う。彩栄少年は何もしていない。なのに、血は蒸発するように空気中に消え、頭は塵芥となって消滅した。頭を潰したはずの彩栄少年すらも、驚きの声を上げた。
「あれ、僕より早い――」
仕返しだとばかりに、翆玲都さんの全体重を乗せて放たれた右拳が彩栄少年の顔を貫く。彩栄少年は床を跳ねずに、そのまま壁に激突し、コンクリートを砕きながらめり込んだ。
翆玲都は当然のようにその足で立っていた。今さっき彩栄少年にもがれ、潰されたはずの顔を苦々しく歪めながも、平然と立っていた。破けた服から覗く肌に傷はなく、折れたはずの首もしっかりと繋がっている。
「再生に関しては、僕なんかより明らかに早いですね」
壁に当たった衝撃で千切れてしまった自分の右腕を左手で揺らしながら、彩栄少年はそう軽口を叩いた。折れたどころではなく、取れてしまった自身の腕を感慨なさそうに眺める彩栄少年は、傍から見ていると異様だ。 ――気付けば左手に握られていた右腕は無くなっていて、本来あるべき場所に戻っている。
白髪土下座女こと翆玲都、彼女の能力は超速再生である。傷の治りが早い。端的に言ってしまえば、それだけである。手を使わずに意識するだけで遠くの物体を動かすことも出来ないし、体全体から雷を放つことも出来ない。言葉だけで相手を服従させることも出来ない。傷の治りが早いだけの人間と言ってしまってもいい。治癒能力なんて人間にだって備わっている。言うなれば、殺戮鬼で最も人間に近いと言ってもいい存在だ。――無垢さんはそう言っていた。『はっきり言って、殺戮鬼最弱だ』 とも言っていた。
ここまできて俺はやっと、無垢さんの言っていることを馬鹿正直に信じない方がいいことを理解した。どこが最弱だ、何がたかが傷の治りが早いだけだ。早すぎるし、どう見てもそれは治癒を超えている。体から離れた血肉が蒸発するのも、過程を飛ばしたかのように再生する体も、人間のそれではない。生き物のそれではない。それになによりも、死んでいた。あれは明らかに死んでいた。頭が潰れて、死んだはずだ。けれど、彩栄少年は殺し損ねた。それどころか、彩栄少年は傷を負った。一瞬とはいえ、顔を潰された。意趣返しをされたのだ。
翆玲都さんが行ったのはただの正拳突きだ。体を捻り全身の力を拳に乗せただけのパンチだ。再生能力以外は通常の人間並みの身体能力。どうして、ただの正拳突きが、人一人を吹き飛ばし、鉄筋コンクリートの壁にめり込ませることが出来る?
俺の疑問なんてお構いなしに、事態は進む。
彩栄少年が生きていることを、潰れたはずの頭と千切れたはずの右腕が彼女と同じように一瞬で治ったのを見て、翆玲都はすぐに行動に移った。
逃げた。
敵前逃亡。
背中を向けて、出口に向かおうと駆け出して――足が吹き飛んだ。
切断するようにではなくもぎ取るように、両脚が彼女の体から別離する。脚を失い、地面に倒れそうになるが、彼女は悲鳴をあげない。血を撒き散らしながら吹き飛ぶ脚は壁に当たる前に空気に融ける。倒れるはずだった躰を、瞬時に直った脚が支え――られない。生えると同時に脚が吹き飛ばされる。直るたびに吹き飛ばされる。倒れる勢いは止まらない。
「っ!」
翆玲都はとうとう地面に手を付けた。そうすると、今度は両腕が肩から持っていかれる。
再生と巻き戻しの繰り返しを見ているようだった。両腕と両脚が千切れ飛んでは戻り、戻っては千切れ飛ぶ。辺りにばら撒かれる血肉はこびりつく様に付着するが、気付いたら消えている。
「お前っ⁉」
翆玲都さんは、何かしらの方法によって彼女の体を引き千切っている彩栄少年を見た。
両腕と両脚をもがれ続け、機動力を失った為す術のない翆玲都に、壁から這い出てきた彩栄少年が近づく。その手にはどこから取り出したのか鉄筋の束を握りしめていた。おそらく、壁にめり込んだときに露出した部分から引っこ抜いたのだろう。
「自分と同じように相手が死なないことが確定した。とはいえ、相手の手の内が全てわかったわけではない。生きていれば、出直すことが出来る。それなら、情報を得たのだから、対策を立てることが出来るようになる。生きていれば、捕まらなければ、それは叶う。だから、逃げる。まぁ、間違ってはいない判断だとは思いますよ。生きている敵に背中を見せることは本来なら愚の骨頂ですが、逃げることに専念するだけでよくて、怪我を考慮しないのであれば、後ろを気にせず全力で走るのは正しい。こういった不死性を持つが故に、選ぶことが出来た選択ですね」
鉄筋を捻りながら近づく彩栄少年は、絶対的な優位性を確信したのか、話し出す。
「でも甘いですね。どんなに死ななかろうが、傷を負うことを無視できようが、耐久力は人間と同程度で、両手足がなければ、動くことはできないんですよ」
彩栄少年はうつ伏せで倒れている翆玲都の首に、持っている鉄筋を一本突き立てる。
「がぁっ……。――は」
喉を潰す様に突き立てられた鉄筋はそのまま大理石の床に突き刺さり、翆玲都の頭の動きを固定する。喉が潰されたので、翆玲都さんの声は声として機能しなくなる。
「死なないことを長所であると思い込んでしまったことが失敗の原因ですよ」
残りの鉄筋六本を体の中心に突き立てる。
「あなたのその再生能力ですけど、僕の能力を基礎にしているというのなら、一瞬で出来上がっているように見えてしまうけれど、まぁ、実際のところはとても早く生えているだけなんですよね」
真っ直ぐに伸びている鉄筋を放射状に広げ、翆玲都の体を覆うように曲げていく。
「まぁ、いくら怪我に慣れているかと言って、殺されることに慣れているとは言っても……」
そのまま鉄筋は彼女の体を包む。皮膚を突き破り、肉に食い込み、抉る。
「手も足も出ずに殺され続けたら、どうなるんでしょうね?」
「―――――っ⁉」
彩栄少年が言わんとすることを察し、何かを言おうとしたが、
「では安らかに――――眠れたらいいですね」
頭の上半分を飛ばされる。音を発することさえ与えない。彩栄少年は先ほどと同じように、喉に突き刺さっている鉄筋を頭の断面を縛るように曲げていく。
それは、一言でいえばハムだった。縄で絞められているハム。
抉られた部分は回復しようと膨張をするが、その先にある鉄筋に妨げられ、圧迫された肉は潰れていく。生えようとする腕も、脚も、頭も、邪魔をする鉄筋にぶつかり、潰れ、その先まで再生することを許されない。これを生物だと評していいのか。脈動を続ける肉塊。再生を続け、阻害され続ける。思考する頭も潰れ続ける。ただただ、元に戻ろうとするだけの、翆玲都だった、ナニか。
「僕があの女の子に拾われてまだ間もなかったころ、僕ってば人の言うことを全然聞かない子供だったんですよ」
翆玲都さんを眺める俺に、彩栄少年は懐かしそうに喋りだした。女の子というのは、あのマンションで未だに眠っているゴスロリ少女のことだろう。
「あの子ってば凄く厳しい人でしてね、僕がピーマンを残したらとても怒ったんです」
まるでお母さんみたいだな。
「それでほら、僕もこの人と同じようにすぐに治るんですよ。そしたら、こんな風に殺され続けました。その時はこれより酷かったんですよ? いくらまだ小さくて能力が不安定だったとはいえ、そのほとんど封じられてしまってね。いやー、その時初めて恐怖を覚えて、死にたいと思いました」
全然お母さんじゃなかった……。
「死なないなら、殺しきることが出来ないのなら、殺し続ける。これぞ必殺、生殺し」
したり顔で彩栄少年は言い、俺の方を見る。
「これであと三人。……ですよね?」
相変わらず、彼の微笑みは綺麗だった。濁った眼に似合わず、残虐な行為に似合わず。
「そうだよ。これで残るは三人だ。ところで彩栄くん、君ってさ、もしかしなくても俺が教えた殺戮鬼たちの異常な能力は全部使えたりする?」
確認への返答と一緒に、俺はたった今浮かんだ疑問を彼に聞く。
洋樹を除く殺戮鬼が 『完成された複製』 と呼ばれ、
彩栄可想が研究をするにあたって主軸に置いたのが、破壊と暴力に関する能力。
手を使わずとも遠くの物体に干渉する能力。
亜音速の拳を受けても平然としていて、一瞬で回復する怪我。
人体を破壊するには十分なはずの雷撃が通用しない理由。
それが示すところは、つまり、
「真崎さん、そりゃ――――」
彩栄少年の言葉を遮るように、ずがんっ、めきり、ぐしゃっ。そんな三つの音が連続した。
天井を突き破って彩栄少年の頭上に現れた天宮使が、落ちる勢いをそのままに、黒い何かに包まれた腕を振り下ろした。不意を討たれた彩栄少年は抵抗するどころか気づくことも出来ずに頭から地面に叩き付けられる。そのまま天宮使は頭が変なふうにひしゃげている彩栄少年に跨り、黒曜石のような黒い塊に包まれている拳で心臓を貫いた。
「お前ぇ‼ よくもっ! よくもみやこを殺したなっ‼」
少女はその殺意を隠そうともせずに、憎悪を撒き散らしながら叫び、何度も何度も彩栄少年の体を潰し続ける。小柄なその体躯から繰り出されているとは思えないような鈍重な音が、拳が振り下ろされる度に響く。再生するよりも速く、戻るよりも先に、彩栄少年の中身を溢れる憎しみと一緒に周囲にばら撒く。
天宮使。赤いランドセルが似合いそうな幼女。殺戮鬼の中では一番の最年少であり、マスコット担当。元気がよく、純粋無垢で、無邪気な笑顔が特徴的な幼女。天使のような愛くるしい容姿をしている。
そんな彼女の異常は、悪魔憑き。背中から生える黒い硬質の翼は物理法則を無視した飛翔をすることを可能にし。腕を包んでいるのは翼と同じ未知の物質で、全身に纏わせることが出来る。天宮使が任意に生み出すその黒曜石のような物質は破壊不可能で、彼女にしか消すことが出来ない。
天使のように可愛く、天使のように愛くるしく、天宮の使いなのに、悪魔憑き。
命名したのはどちらも博士だけれど、中々に皮肉が効いているよね。と、無垢さんは言っていた。
「よくもっ、よく―――」
途切れることなく彩栄少年を潰し続ける天宮使。左手を振るい、右手を振るい、左手を振るい、右手を振るう。数十回は殴り潰したなぁ、そんなことを俺が思ったときに、彼女の振り下ろした右拳は空を切った。正確にいうのならば、彼女の肘から先が消し飛んだ。だから、半分になった腕はどこにも触れることなく風切り音すら出さずに空振りに終わった。
「――え?」
天宮使は驚きの声をあげる。なにが起きた? 戸惑いを隠せていない声だ。まぁ、それもそうか。彼女の腕は肩に至るまで悪魔憑きに覆われていて、それは最硬の盾であると同時に最強の矛であったはずなのだ。悪魔憑きは誰にも破壊不可能のはずで、それに覆われていれば何人たりとも天宮使を傷つけることは出来ない。はずだったのだが、
「なんだ、やっぱりあなたたち、一つしか持っていないんだ」
すでに再生し終わっている彩栄少年は平然と上体を起こし、無くなってしまった自分の右腕に戸惑う天宮使の悪魔憑きで覆われている両肩を掴む。そのまま力を込めて、あっさりと砕く。ごとりと、右腕の残りと左腕がそのまま床へと落ちる。
絶対の鎧によって守られていたはずの体が壊され、体の支配下から離れた自分のだった腕を見て、天宮使はその幼い両目に涙を浮かべ、叫ぶように泣き喚く。
「えっ? い、やぁっ⁉ な、なにっ? なんっ……これ‼ これぇっ⁉ な――」
けど、彩栄少年はそんな少女の悲鳴を聞いて、
「うるさい」
自分にとって不快な音を発生させるだけの天宮使の口に手を突っ込む。一瞬、彩栄くんが青い光に包まれたかと思うと、彼の腕を伝うように電気が駆け巡り、そのまま天宮使の内側から全体へと電流が走る。皮膚は表面が焼け、少女にとっては命のはずの髪の毛はチリチリと溶けだし、脳や内臓が破壊される。すでに最初の時点で意識は飛んでおり、今はただ生命活動が終わりへと向かうのを待つだけだ。
「よいしょ」
終わったのだろう。電気を流されたからなのか、いまだにびくびくと動いている天宮使を急いで体の上から退かす。恐らく、筋肉の緩みによって出てしまう汚物にからないようにするのだろう。今更だよなぁ……、と思ったがよくよく思い出してみれば、彩栄少年は極力自分を汚さないようにしていた。無垢さんを殺していた時も片手しか血で汚さず、神宮さんの時は自分の手を汚さず、雨宮兄弟を殺した時もすぐに足を洗っていた。翆玲都は、まぁすぐに蒸発するから例外だったのだろう。意外と、潔癖症の気があるのだろうか?
「やっぱり、漫画とかアニメみたいに都合よくはいきませんねー」
生き返らないと確信しているのか、床に転がっている天宮使の頭を潰そうとはせずに、自分の体のどこかに汚れがついてないかを確かめている。やっぱり、汚れるのが嫌いなのだろう。
「都合よくって、どういう意味で?」
「えーとほらアレですよ。命を懸けた殺し合いの最中に拳を交えるだけでなく言葉を交わして、己の技だけじゃなくて信念をぶつけ合うような、あんな戦い。いいですよねぇ、相手の信念を聞けて、相手が一撃で死ななくて、頭を使っているような頭脳戦で、ピンチをチャンスに変えることが出来て、戦ううちに分かり合えて、和解が出来て、最終的には仲間になる。とっても憧れます。現実はこんなにも一方的で、一瞬で、感動なんて一切なくて、信念なんて聞く前に終わる。なんていうか、つまんないですよね、これ。だってほら、この人たち、僕に殺されようとしているようにしか思えないんですよ? こんなのは少年漫画みたいな戦いじゃない」
「………」
彼もなんだかんだ言って中学生だ。やっぱり、そういったものを見て憧れたりするのだろうか?
年頃の少年らしく。思春期の子供のように。
けれど、今のこの状況で俺がなんと答えればいいのか、分からない。
「あーそうそう、それであってますよ真崎さん。正解です。そういえば言っていませんでしたよね、真崎さんが教えてくれたこの……殺戮鬼! 殺戮鬼の人たちの異常でしたっけ? なんでそんな回りくどい言い方するんでしょうね。格好つけずに回りくどく言わずに能力でいいのに……。これは今言うことじゃないか。まぁ、その殺戮鬼の人たちが有する能力、僕は全部使えます。それ以外にも色々使えます」
思い出したかのように先ほどの俺の質問に答える。
「そりゃ、凄いね」
なんだそりゃ。そんなの、反則じゃないか。
「ふふーん、凄いでしょー! もっと褒めてもいいんですよー?」
「別に褒めているわけじゃないんだけどね。……それなら、殺戮鬼の人たちはどうやって君を殺そうとしたんだろう。どうしたって、勝ち目なんてなさそうだけれど」
最初から言っていたではないか、『完成された複製』 は劣化だと。天然を超えることが出来ても、原点を超えてはいないと。ならば、殺戮鬼の人たちはどうやってこの少年を殺そうと思っていたんだ? どうして、この少年を殺せると思っていたんだ?
「そうでもないですよ? 真崎さんの言葉を信じるなら~ですけど、この殺戮鬼って人たちの中で僕に勝てる確率がある人は二人いますし。――いや、今はもう一人か」
あっさりと、彩栄少年は自らが殺される可能性があると断定した。そこには慢心もなく、傲りもなく、ただただ真実だけを述べたのだろう。むしろ、こういった判断が出来るからこそ、この彩栄少年は強いのかもしれない。殺戮鬼を逆に殺戮することが出来るような、最強と言ってもいいような能力を有していながらも、それでも侮らずに、油断せずに対応する。殺戮鬼からしてみれば、最悪の標的だろうな。
「そうだとしたら、彩栄くんを殺せるような人って誰さ?」
「最初に僕に襲いにかかって来たサイコキノのお兄さんと、未だにその能力が分かっていない洋樹叶って人ですね」
殺戮鬼が残り二名で、朱鷺宮奈多さんの方はただの人間だ。消去法で洋樹がその一人なのは分かっていたことだけれど、もう一人は意外だった。
「無垢さんがお前のことを殺せる可能性があった? 何言ってんだ。現に彩栄くん、君は無垢さんを殺してここに立っているじゃないか。洋樹の理由はまだ納得がいくけれど、無垢さんに彩栄くんを殺すことが出来たっていうのは納得しがたいよ?」
「使ったこともないし、使われたこともない真崎さんにはピンと来ないのだろうけれど、サイコキネシスというのはそれはもうかなり常軌を逸した力で、それだけで僕の殆どの能力を封じることが出来ちゃうんですよ。それぐらいに万能で、もう最強と言ってもいい能力ですからね。ましてやあの人のサイコキネシス、僕と同等でしたから。下手をしていれば殺されて目を奪われていたのは僕ですよ? 多分ですけどあの人、僕に勝てる可能性があるのが自分だけだと思ったから、一人で特攻したんだと思いますよ」
「え、嘘、マジで?」
「マジマジ大マジです。とはいえまぁ、それでも僕が勝ったんですけどねぇ! えっへん」
持ち上げて踏み台にして自分のことを自慢したいだけだった。人間が小さい……。
「わー、すごいや彩栄クン。スゴイスゴイ」
人質らしく相手のご機嫌をとることにした。
聞きたいことは色々とあるのだ。この先どうなるのか俺には全く予想が出来ない。
なら、最低限情報を握っておくべきだ。意味はなくとも、意義ぐらいはあるだろう。
「これであと二人。いやはや順調ですねー。今日中に終わりそうでなによりです」
彩栄少年はそう言って微笑んだ。
―――×××―――
「ねぇ彩栄くん、翆玲さんは超速再生能力しか持っていなかったのに、どうしてあんなにも人並み外れた身体能力を出すことが出来たのか、君なら分かるよね?」
雨宮兄弟と天宮使の死体を無垢さんや神宮さんの時と同じように、彩栄くんが何かしらの能力を以てして蒸発させ、生ける肉塊となった翆玲都を倉庫に一時的に避難させた。後処理を終わらせた彩栄少年と俺はマンションの最上階、つまりは二十一階の休憩室にて残りの二人を待つことにした。休憩室というのは、殺戮鬼への歓迎パーティーが開かれた場所だ。いわゆる交流場所で、暇なときは自室に籠るか、出掛けるか、休憩室でのんびりするというのが基本になっているらしい。だから、二人の帰り待つのには適していると思い、そこで待つことを提案した次第である。思った以上に身動きがとり辛く、窮屈だったので手錠を前に戻したいと提案したところ、簡単に受理された。今度は自分で外すのも難しいので彩栄くんに外してもらった。
帰ってくるまで暇なので、俺は丁度いいと思っていくつかあった疑問を彩栄少年に聞くことにした。
「さっきの君の言い分だと、殺戮鬼の人たちが異常を一つずつしか所持していないっていうのは確定したんだよね? それなら、翆玲さんのあの筋力はおかしいじゃないの?」
「確定というよりは確信、ですかね。それに、あの人の能力は再生能力だけと見て間違いはありませんし、それならあの怪力も頷けますよ」
「なんだい彩栄くん、君はあれか、再生能力が上がれば筋力もそれに伴って上昇するとでも言いたいのかい?」
「どっちかというと、再生能力が筋力に追いついたといった方が正しいかもしれませんね。僕が言いたいこと、理解できます?」
んん? と一瞬首を傾げてしまったが、なんとなく彩栄少年が言いたいことが分かった。
「あー……。オーケー。そういうことか」
俺は理解したと両手を振って彩栄少年に示すと、彩栄少年は嬉しそうに笑った。
人間というのは平常時、その能力の十割を引き出すことが出来ないらしい、なんでも、本来出せる力を全て出してしまうと、体がその負荷についていけず自壊してしまうからだそうだ。ところが、どんな傷もほとんど一瞬で直るのならばその負荷のことを気にすることなく、十全に力を出せる。おそらくはそんなところだろう。
「僕はそれにプラスしてサイコキネシスを上乗せできますからね。もはや人間が出せるような力の比ではありませんよー」
むんっ。と、とてもそんな馬鹿力が出るとは思えない細腕を俺に見せる。
「引っ越しの時は君に頼もうかな」 「ふっふっふ、僕はお高いですよー?」 「じゃあ一億払おう」 「本当ですか⁉ それなら喜んで引き受けますよ!」 「ジンバブエドルだけど。それでもいいなら」 「百円の価値もなさそうだ!」 「まぁ、すでに発行停止されているあの貨幣を一介の高校生が持っているわけがないんだけどね」 「嘘吐きだっ!」 「仕方ないね、大人はみんな嘘吐きだからね」 「まだ未成年のくせに!」 「嘘を吐き始めたら、誰だって大人だよ。立派な大人だ」 「うわー、大人になりたくない……」 「最初はみんなそう言うんだよ」 「ピーターパンと友達になりたい……」 「あいつ意外とゲスいけどね。大人になる子供をエグイ方法で殺すし」 「前門の虎に後門の狼だ! どっちにしたってろくなもんじゃない!」 「そう考えればほら、汚い嘘を吐くだけで生きていける大人の方がマシだと思わないかい?」 「消去法でしか未来を選べないなんて嫌だー!」
緊張感に欠ける雑談。緊迫感のない彩栄少年と俺。
先ほど起きた人殺しが現実に起きたことだと認識しているはずなのに、まるで絵空事を眺めているかのようにしか感じない。俺はとうとう、人が殺されることを日常としてしまったのだ。
異常を日常として受け止めている。抱え込むのではなく、溜め込んでいる。
感覚が麻痺するよりも先に感情が塗り替えられる。苦悩することなく、内へと押し付けて、ゆっくりと消化していく。拒絶することもなく、何事もないように受け入れている。
けれど、俺はあくまでも普通だ。普通が異常を当然のように受け入れるのには無理がある。これでは、どこかで必ず綻びが生まれる。溜め込んで、消化して、それでも消化しきれていないモノが俺を壊すだろう。精神を破壊して、ついでに躰も壊していくはずだ。
まぁ、知ったことではないか。そのうち壊れるのだろうけれど、いつかは分からないのだ。なら、それを心配していても埒が明かない。なら、考えるだけ無意味だ。今はこの日常を過ごしていけばいい。そのうち、これを日常だと騙しきれなくなったときにわかるのだから、それでいい。
―――♪ ――♪
雑談を続けていると、ポケットから電子音が流れ出した。手錠のせいでいささか面倒だったが、音の出所である携帯電話を取り出すことができた。ディスプレイに表示されている文字を見ると【マイワイフ 洋樹叶】となっていた。あいつに電話番号を教えた覚えも、あいつの電話番号を聞いた覚えも、ましてやこんなアホな名前で電話帳に登録した覚えもない。いつのまにやったのだろうか……。いや、それをやるだけの時間は十分にあったか。俺が気絶しているときとか、俺が気絶しているときとかに。
「誰からですか?」
会話を中断したケータイに興味を示している彩栄少年がディスプレイを覗き込む。
「洋樹叶だよ。残りのうちの一人」
ほら、と見えやすいように画面を彩栄少年の方に向ける。
「あぁ、真崎さんの恋人でしたっけ」
彩栄少年は含み笑いをしながら、そう言って俺の手からケータイを奪う。 「違うわ!」 そんな否定の言葉を出す前に、彩栄少年は通話ボタンを押し、電話に出てしまった。
『もしもーし! どこに行ったのよマサぁー。心配して隣町まで探しに行っちゃったんだぞー。しかも見つからないし! どうしようかと途方に暮れていたら携帯電話の存在をやっと思い出してさー。んで、今どこにいるのー? 会いたいよー』
彩栄少年が気を利かせてスピーカー状態にしてくれたおかげで俺にもはっきりと彼女の言葉が分かった。電話から聞こえるのは間違いようのない洋樹の声であり、その声には電話越しでも分かるぐらいに疲労が感じられた。
彩栄少年はスピーカーモードをオフにして、ケータイを耳に当てると、
「四谷真崎は人質になっています。人質を殺されたくなければ、早く帰った方がいいですよ」
そう言うとすぐに通話終了ボタンを押した。また電話がかかってくると面倒だと思ったのか、電源を切ってから俺に返した。
「さぁ、雑談を続けましょう」
―――×××―――
思っていたよりも早く、洋樹は三十分もかからずに休憩室へとやって来た。
扉が開く音に反応し、雑談を止めた俺と彩栄少年の視線が扉へと集中する。
ゆっくりと開いた扉から現れたのは、肩で息をしている金髪碧眼の少女。
「はぁ――、はぁ――、はぁ――」
よほど急いで来たのだろう。息遣いは荒く、呼吸は乱れていた。綺麗にまとめられていた髪もほどけており、ストレートになっていた。どれだけ必死に探していたというんだ……。
「どうも洋樹叶さん。初めまして、そしてさようなら」
軽い挨拶をした彩栄少年は、天宮使と同じように悪魔憑きを腕に纏わせ、床を蹴る。
相手に能力を使う暇を与えさせずに、何か行動を起こす前に殺す。彩栄少年の基本スタンス。
不意を突かれた洋樹は、回避も防御もすることが出来ずに拳を受けるしかない。
人間が出せる限界の脚力で跳ねた力に、念動力を加えて振りかぶった拳はそのまま洋樹の顔面を捉え、そのまま彼女の綺麗な顔を潰す。
「――へっ?」
そんな間の抜けた声を出したのは俺でも洋樹でもなく、彩栄少年だった。
洋樹は棒立ちのままで、その場から一歩たりとも動いていない。
彼女を殴り飛ばしたはずの彩栄少年が、なぜか逆に吹き飛ばされていた。
彩栄少年の細くて軽そうな体は窓を突き破り、そのまま外へと放り出された。
「なんでえぇぇぇぇぇぇぇ――――⁉」
何が起きたのか理解できない。そんな声を上げながら二十一階の高さを落ちていく。
「………」
俺だって何が起きたのか分からず、呆気にとられていた。
彩栄少年が突き破った窓をただ呆然と見ていると、洋樹が何事もないように話しかけてきた。
「大丈夫だったマサ? どこか怪我してない?」
今起きた現象に特に驚かず、なによりも先に俺の心配を優先した。
「……えっ、あぁ、とくに怪我はないけれど。いや、それよりもお前は大丈夫なのか? 俺なんか心配している場合なのか?」
見た目は無傷で、むしろ先ほどまで顔に浮かべていた疲労感もなくなっているが、それでもあの彩栄少年の攻撃だ、内部破壊とか、毒が体に回っているとか、そういったことがあってもおかしくはないはずだ。
「わー! わー! わー‼ マサがっ、マサが私のことを心配してくれている! 自分のことよりも先に私のことを心配してくれているー‼ 嬉しい! すごく嬉しい! これってアレだよね! もう、私のことが好きなんだと思ってもいいんだよね! やったね! 両想いになれたね! 私大勝利だ!」
そんな俺の心配をよそに、きゃーきゃー喚きながら俺に飛びついてくる洋樹。
どうやら怪我とかはなさそうだなと一安心したところで、気付く。
今の俺は両手を手錠で拘束されていて、洋樹は全力で抱き付いてきた。
慣性の法則って知ってるか? 動いている物体はすぐに止まることはできないんだぜ? 女の子が全力で抱き付いてきて、両腕を使えない俺はそれをただ真正面から受けるしかなくて、衝撃を逃がせない。
そこから導き出せる結末は一つ。
「がっ……!」
背中と頭を床に打ち付け、意識が飛びかける。
「にひひひー。うえへへへへー。にひゃぁあー」
可愛くなければ顔面を本気で殴りたくなるような気持ち悪い声を出しながらにやけている洋樹。
「ちょ、お前どけっ。重い!」
頭はガンガンと何かが響いているかのように痛い。
「酷い! 女の子に重いとか言っちゃダメなんだよ⁉ 傷つくんだよ!」
「そんなテンプレなこと言ってんじゃねぇ! 人間一人が上に乗ったら重いに決まっているだろうが!」
「なんだよなんだよぉー、そんなのは愛の力でカバーしろよー」
「無茶言うな。愛だけでもすでに十分に重いんだよ!」
「つまりは私の愛を受け止めてくれているんだよね! 嬉しいな!」
「前向きすぎるだろ……。まぁ、とりあえずどけ」
「きゃっ」
腕の位置的にもうそれは仕方ないほどに不可抗力で、決して俺の本意ではないのだけれど、洋樹を引っぺがすときに俺の腕が豊満な胸を押してしまった。ていうか、もうね、さっきからずっと当たってるし。ていうかこいつ当ててるし。今更感が否めないし。
「可愛い声出してんじゃねえよ……」
「んもぅ、私が可愛い声で鳴くのはベッドの上だけだゾ☆」
「うわぁ……」
なんでコイツはこんなにテンションが高いのだろうか。ついていけない……いや、ついていくつもりなんか毛頭ないけれどさぁ。
「とりあえず叶、俺の話を聞いて――
「人をあんな高いところから落としておいて、イチャイチャしながら夫婦漫才やっているとかどういう神経してるんですかあなた達は」
俺の言葉を遮ったのは、先ほど落ちた彩栄少年だった。
先ほどまで洋樹が立っていた扉とはまた違うエレベーターの扉の前に立ち、俺と洋樹のことを呆れながら見ていた。このマンションはワンフロアに一部屋という造りになっているので、階段とは別にエレベーターがあり、エレベーターは直接部屋に繋がっている。それぞれの部屋に認証させているカードキーを使わなければ入れないのだが、彩栄少年は俺からかっぱらったのを使ったのだろう。
「なんだ、生きてたんだ……。ん? ねぇねぇマサ! 今あの子私たちのこと夫婦って言ったよ! 私たちって周りからはそう見られているのかな! これってもう名実ともに結婚してるようなもんじゃない⁉」
洋樹は無傷だった彩栄少年に驚きもせず冷たい目線を送ったと思ったら、夫婦というワードに反応して興奮気味に俺に語り掛けてきた。
「いや、今はそんなことを言っている場合じゃないだろ」
そんな俺らの会話を聞いて、はぁ……と、彩栄少年は溜め息を吐いて、広げた右手を振り下ろした。
何かが来る。そう思って身構えると、
一瞬にして彩栄少年が潰れた。見えない何かが上から降って来て、それはそのまま彩栄少年のことを圧殺した。人間をプレス機にかけたらこうなるのか、そんな感想が浮かぶほどに、彩栄少年は破裂していた。トマトを押し潰したように中身が周りに飛び散り、もはやそれは人間だったとすら呼べないぐらいに原型を留めていない。
「なっ、はぁっ⁉」
洋樹は俺の方を向いたまま満面の笑みを浮かべているだけだ。間違いなく彩栄少年が何かを行ったのにもかかわらず、潰れたのは彩栄少年で、洋樹はゆらゆらと揺れているだけだ。……なんぞその動きは。
洋樹の方に視線を向けているうちに彩栄少年は元に戻っていた。
「いやいやいや、あなた何者なんですか……」
驚きを隠そうともせずに、彩栄少年は洋樹に尋ねる。
「ちょっと君五月蝿い。黙って」
俺との触れ合いを邪魔されたのが癪に障ったのか、洋樹は彩栄少年を睨みつける。整った顔立ちをしていて、普段は微笑みを浮かべてばかりの洋樹だが、その細められた眼光は鋭く、結構怖い。普通に怖い。というか女の子のキレたときの目ってなんであんなに怖いんだろうね……。
「黙りませんよ。黙ったりしたら僕のアイデンティティがクライシスしちゃいますからね。で、もう一度訊きますけれど、あなた何者ですか?」
そんな洋樹の目に怯むこともなく、饒舌に喋る彩栄少年。威勢よく話している彩栄少年だが、その左腕が音もなく床に落ちる。べちゃりと落ちた左腕の断面は紫と黒が混ざったように肉が変色していて、肩の断面からも泥のように黒紫色の肉が垂れている。
「今もこうして、生物の好きなところを腐敗させる能力をあなたに向けて使っているのに、腐り落ちたのは僕の腕です。あなたには腐敗も負傷も見受けられない……」
俺はこんなにも近くにいるというのに、蚊帳の外にいる。彩栄少年が当然のように使っている能力に戦慄を覚えることしかできず、それを受けているはずなのに平然としている洋樹にはなんと言えばいいのか思いつかない。二人の会話に割り込むことすら躊躇われる。
「私は見ず知らずの、それもいきなり人に暴力を振るうような子供に返事をしてあげるような人間じゃない。そもそも私には君に聞かれたことをわざわざ答える義務はない」
「……まぁ、確かにそうですね。あなたにはそんな義務も義理もない。とはいえ、こうして会話が成立していることですし、言葉は通じているようですね。それなら――」
洋樹に断言されても、めげずに彩栄少年は言葉を続ける。
「死んでください」
明確な意思の籠った言葉。絶対性を帯びているような命令。強制するかのような発言。
洋樹叶に向けて放たれたそれが言霊だと理解したときにはもう遅い。それはすでに洋樹にも届いている。だが、洋樹には何も変化がない。先ほどから一貫して彼女には何も起きない。
それならば、これが繰り返しだというのなら、変化が生じるのは彩栄少年の方だ。
どさり、と。案の定、予想できた通りに、彩栄少年が勢いよく倒れた。
「死んでるの自分じゃん……」
倒れた彩栄少年を馬鹿を見るような目で眺める。ごもっともだ。
倒れたまま微動だにしない彩栄少年。今までのようにすぐには立ち上がらない。そんな彩栄少年を見て、洋樹が今更な質問をしてくる。
「ねぇねぇマサ。ところであの子誰? それに、急いでいたのとマサくんとイチャイチャするのに夢中になっていて疑問に思わなかったけれど、他のみんなはどしたの? 上がるときに見掛けなかったし、この休憩室に誰もいないっていうのも珍しいし、なにより上でこんなに騒いでいたら誰かが来てもおかしくないんじゃないの?」
今更かい……。とはいえ、まぁ洋樹はそれほどに俺のことを心配していて、焦っていたのだろう。そう思うと、ツッコミづらい。
「あの子は、彩栄椋だよ。君たちが狙う彩栄可想の息子、彩栄椋」
俺にそう言われて、倒れている黒白髪の少年をじーっと眺める。
「……あ、そう言われてみればそうかも。聞いていた特徴と一致しているし、なんかみんなと似たような異常を使ってたし、なるほど、あれが彩栄椋くんか」
「初めて見たような言い方だな。彩栄可想博士の研究所で顔を見たりはしなかったのか? いくら博士が死んでから年が経っているとはいえ、面影とか、声質とか、そういうのでなんとなく分かったりするんじゃないの?」
「んにゃ、そんなこたぁないよ。博士は過保護な人でねー。私たちには彩栄椋くんを頑なに会わせようとしなかったから。だから、私たちが彩栄椋くんのことで知っているのは他の同業者と大差ないんだよ」
あぁ、だからか。だから、雨宮兄弟や翆玲さんが彩栄少年を見ても、大した反応を見せなかったのか。もしも一目見て彩栄少年だと分かっていたのなら、あそこまで簡単には殺されなかったはずだろうしな。彼らだって、一応は殺し屋なのだから。
「それで、他の殺戮鬼の人たちなんだけどさ……」
「うん」
言い淀んだりはしない。
「殺されたよ。朱鷺宮奈多さんと叶を除いた全員、あそこにいる彩栄椋に殺された」
「へぇ、そっか……」
お互いに彩栄椋に視線を向けたまま、しばしの沈黙が続く。
けれどその沈黙もすぐに打ち破られる。
「これが潰れるっていうことですか、久々の感覚でしたよ……。衝撃的過ぎて、気絶していました」
ふらふらとしながらも立ち上がり、嬉々とした笑みを浮かべて彩栄少年は喋る。
死ぬということをなんてことのないような、至極軽い現象のように口にする。他人が死ぬことどころか、自分が死ぬことですら、ぞんざいに扱う物言いだった。
まぁ、実際に死とはそう扱われるべきモノなのかもしれない。自分にとっての死とは、一度しか訪れない。そのたった一度の死が、自分の全てを終わらせる。生きてきた全てが無くなってしまう。だから、人は死を恐れる。自分の存在の否定のように思えてしまうから。けれど、実際の所、死はそこまで重くない。死なんてモノは身近に転がっている。今日もどこかで人は死んでいる。日常茶飯事だと言ってもいい程度には、頻繁に起きている。けれど、人々はそれを恐れない。他人事だから。自分は関係ないから。
人は必ず死ぬ。なら、それは当然のことなのだから、重く捉える必要なんかないはずなのだ。
「洋樹叶さん、あなたは強いんですね。今まで殺した人たちなんか比にならないくらいに、とっても強そうです。とてもいい。とってもいいです! あなたとなら、つまらない殺し合いなんかじゃなくて、楽しい触れ合いが出来そうだ」
彩栄少年は、簡単には死なない相手を見つけて心底嬉しそうだった。憧れの少年漫画みたいな戦いができるかもしれないと思い、ワクワクが止まらないのだろう。どこの戦闘民族だよ。
「マサくん、ちょっと離れてて」
そういうと彼女は、ポケットから取り出した鍵の束から一つを抜き取り、俺に手渡す。少し迷って、手錠の鍵だと理解し、腕の拘束を解除する。久々の解放感だ。
「了解した」
俺の身の危険を案じて言ってくれたのだろう。俺はそれに素直に従い、休憩室を出ていくことにした。
今から行われるのは血沸き肉躍る殺し合いだ。俺が介入できる隙間など一部もないし、俺が関わるべきでないもない。なら、俺はこの場から離れるべきなのだ。元来、俺はこの場にいるべき人間ではないしな。そう思い、エレベーターへと向かう。
「待っててね。すぐにあなたのところに行くから」
背中へと掛けられた言葉に、俺は返事をしない。
すれ違うとき、彩栄少年は俺のことを見向きもしなかった。
その瞳に映っていたのは洋樹だけだ。洋樹をその朱い眼に捉えて離さない。
初めて出会えた好敵手になりうる存在。
つまらない非日常を面白くするかもしれない相手。
「さぁ洋樹さん、邪魔者はいなくなりました。殺し合いましょう。楽しく愉しく語り合いましょう」
「君と語り合うことなんてなんにもないよ。それでも、私はこれでも殺戮鬼のリーダーだからね。柄にもなく、みんなの敵討ちのために君を殺そうと思う」
エレベーターのボタンを押し、上がってくるのを待つ。手持無沙汰なので、なんとなく天井に設置されている監視カメラへと目線を向ける。小さいときは監視カメラに向けてよく変顔をしていたが、俺は何がしたかったのだろう。疲れた警備員さんに癒しでも届けたいとでも思ったのだろうか……。
「僕は彩栄椋! 一騎当全にして舞い降りた天災! 地上へと再現された悪夢! あなたを殺すために、今日の僕は生きている!」
そういえば彩栄くん、いま十四歳だったっけ。黒歴史にならなければいいけれど。
「私は洋樹叶。殺戮鬼の象徴的なリーダーにして、四谷真崎に恋い焦がれるだけのただの一人の女の子。みんなの敵討ちのため、マサとの明るい未来のため、君を今ここで終わらせる」
洋樹は洋樹でノリノリだった……。
チーンと、エレベーターが到着した音が鳴る。
まぁ、勝手に頑張ってくれ。俺には関係のないところで殺し合え。
一歩、足を前に出す。
それはなにかの境界線。
本来ならば俺がいるべきではなかった場所とを分かつ、日常と非日常との境界線。
閉じてく扉の先にいるのは二人の異常者。
俺にとっての非日常だった二人。
俺にとっての非日常が日常だった二人。
こうして、俺は線の向こうからしか彼らを眺めることしか出来ない。
俺はそういう存在だ。脆くて、弱くて、儚いだけの、矮小なだけの人間だ。
――それでも、扉越しに眺めることしか出来ないのだとしても、思うぐらいは、許されるだろう。
洋樹には、死んで欲しくない。