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殺戮鬼  作者: 海山優
7/10

4 そろそろ動きましょう。 ――後半

―――×××―――


 奈多さんからの現在の状況を教えてもらってからすでに二十分が経過した。

 そして今、俺は金髪巨乳メイドさんが運転する車に乗って市街地を走っている。

「おい四谷真崎、お前って煙草とかダメな奴?」

 金髪巨乳メイドこと神宮(じんぐう)紀里(きり)。彼女は煙草を取り出しながら、ぶっきらぼうな口調で俺に訊ねる。

「えぇと、まぁ、あんまり得意じゃないですね……」

 と、嘘など一ミリも含まないように、尚且つ相手の機嫌を損ねないように言葉を紡ぎ出す。そして次に続く当たり障りのない言葉を考える俺の頑張りを無視し――

「奇遇だな、私も煙草は大嫌いなんだよな。気が合うじゃないか」

 そう言って税込四百円の煙草をぐしゃりと握り潰し、後部座席に放り投げる。

「えー……」

 見るも無残な姿になってしまった煙草を横目で見ながら、神宮さんを困惑的な目で見る。けして蠱惑的な目ではない。俺にはそんな色気はない。むしろ神宮さんがすげぇ蠱惑的。

「あれは無垢のだよ」

 困惑したからといって、説明を求めたわけではないのだけれど、神宮さんは喋り始めた。

「無垢さんってタバコ吸ってたのか……」

 半日ほど同じ時間を共有したというのに、彼が煙草を吸っているところを一度も見ていないので、神宮さんのその言葉に素直に驚いてしまった。

「無垢はあー見えて意外と几帳面な性格なのよ。未成年の前で煙草は吸わないようにしているの」

「人殺しが今さら何を言ってるんだって感じになりますけどねぇ……」

「まったくだよ。君なんかよりもっと小さい子だって殺したことがある奴が、健康が~なんて言うのは、お門違いだ」

 自然と出される言葉は、あまりにも当然のように言っていて――そして実際に当然で、殺戮鬼の人間は子どもだろうと殺す。ということを教えてくれる。

「そう、なんですか」

 何と答えればいいのか思いつかないから、お茶を濁すように取り繕ったような言葉を吐き出す。

 ――十五分前、奈多さんは人身売買組織のコンピューターにクラッキングをし、難なく彩栄椋の居場所を掴んだ。そして、現在俺の隣でポータブルゲーム機を片手で操作しながらハンドルを握っている神宮紀里を呼び出し、その神宮紀里によって受動態人間である俺を強制的に連れて、彩栄椋のいる場所まで行くというのが今までの流れである。

 何かが間違っている気がする。何かが間違っているんだろうなと確信している。何かが間違っているとか、そんな曖昧な言葉を使うまでもなく俺は断言出来る。

 彩栄椋がいる場所に神宮さんが行くのはまだいいとしよう。彼女は殺戮鬼のメンバーで、異常者で、人間になるために彩栄椋を必要としていて、今から向かう所にいるであろう彩栄椋――『異常の原種』と対峙したときにも戦えるような能力を保持している(のだろう)。

 それに引き替え俺はどうだ? 一般ピーポーで、普通で、異常者の前ではスペランカーみたいな弱さで、彩栄椋に固執するようなこれといった理由なんてない、付いていくだけ無駄な存在である。自らを無駄な存在だとか断言できてしまうのは少しだけ悲しい。とはいえ、先ほど奈多さんに頼まれたことが――

「ねえ」

 と、またもや思考は遮られる。どうやら神宮さんは俺の考えを強制的に終わらせるのが好きらしい。や、本人にその自覚があるかどうかは全く以て知らないが。

「四谷くんはさ、洋樹ちゃんのことが好きなの?」

 腹の底にある感情を窺うことが出来ないような、変化の無い神宮さんの横顔を見る。

「私はさ、朱鷺宮さんや無垢、洋樹ちゃんとは違って、お前のことなんて全然見ていなかったからさー。四谷真崎の人となりというのが全然分かってないんだよ」

「奇遇ですね、俺も神宮さんがおっぱいの大きな人ってこと以外は知らないんですよ」

 あとは、フルネームと、その異常性ぐらい?

「君はそのうちセクハラで捕まるんじゃないかな?」

 大して照れてもいない様子で、俺の将来を不安がる神宮さん。セクハラをしても何の反応もないあたり、俺はこの人の眼中にはないのだろうなー。なんて、別に期待していたわけでもないことで落ち込んでみようかと考える。

「俺が捕まるより先に、無垢さんや叶が捕まりそうですけどね。一体全体なんですか、あの歩く露出狂と猥褻物は」

「無垢は家でしか半裸にならないし、洋樹ちゃんが猥褻に走るのは君に対してだけだから、やっぱり捕まるのは君だよ」

 そう言えば無垢さんの方は、外出する時はちゃんとシャツを着ていたな。

「ちっ、法の目をかいくぐるとは、やるなあの二人……」

「まぁ、言っちゃえば私たちがやっている仕事だって非合法なわけだし、むしろ法の目をかいくぐってなきゃアウトだからねー。悪目立ちしないようにはしているんでしょ。――というか、話が逸れまくりじゃないか。君と洋樹ちゃんの話はどうなったんだか」

 安全運転の為なのか、こちらを見ることなく苦笑する神宮さん。無表情以外の表情を見せなかった神宮さんの違う表情は、なぜかレアな気がした。

「その話については、まだ色々と考えてる途中だったりするんですよねー」

 自分の内面を探るにはどうすればいいのだろうか、そんなことを考えて、試そうとして、失敗する。

 あーあ、どこかに自分の心を写してくれる鏡でもないかねぇ。

 ――まぁ、そんな鏡があったとき、俺にはそれを見る度胸なんてないのだろうけれど。分からないと確信しているからこそ、探してしまうモノがあるのだ。出来ないと分かっているから、やってみようと思う。そんな時が人間にはよくあるのであーる。

 失敗に安心して実行するとか、なんだそりゃ、人間はマゾなのか?

「そっかそっか、考え中か。苦悩中か。私には理解できそうにない感性ね。そういうときって大体答えは出てるものなんじゃないの? なんでわざわざ答えが出てるのに、無駄に難しくしてひきのばそうとするのか、私にはわからんわ。これも、この理解不能も、人間になればわかるんだろうなと思うと。楽しみ」

 神宮さんは、その時を想像したのか、笑みを零す。期待に胸を寄せたかのように――本当に胸を寄せてくれればいいのに――俺のどっちつかずを好意的に受け止める。

「………」

 多分、あなたが人間になれたとしても、それでも理解はできないままだと思いますよ。なんてことは言わない。それは、神宮さん自身がそういったタイプだというだけで、そうやって悩むのが、人間性というわけではないと思う。そう思っても、言わない。そんなのは、人間になれた時に自ずとわかるだろうから。なら、わざわざ俺がその考えを訂正する必要はない。

『ゆーがっためーる』

「うわっ、なになに、どうしたの⁉」

 突如車内に鳴り響いた声に少しばかり慌てふためく神宮さん。それと一緒に車もぐねぐねと蛇行をする。車に慣れていない四谷さん若干ピンチ。

 この人、素の表情が無表情なだけで意外と感情は表に出やすいのかもしれないな。てことはあれか、俺の歓迎パーティの時は本当につまらなかったのか……。

「奈多さんからのメールですねー」

 ポケットから取り出したメールの差出人を見て誰にでもなく呟く。まぁ、車内にいるのは俺と神宮さんだけなので、神宮さんが言われたと受けとめるだろう。案の定受け止めた。

「なんだ、朱鷺宮さんからのメールか……。ビックリして損した。で、内容はどんな感じ?」

 驚いたことを隠さない辺り、この人には変なプライドとかが無いんだな。なんて、分かったように言ってみる。音にはしないが。

「俺に対する忠告と命令と勧告、あとは、神宮さんに対する応援のメッセージ」

「………して、そのメッセージとは?」

 微妙そうな、何ともわびさびのありそうな(わびさびの意味は知らない)表情を浮かべながらも、大事な内容かもしれないと思ってか、内容を聞いてくる。それに対して、俺は文面をそのまま読み上げるという行為で応える。

『頑張ってね(はぁと)』 ※デコメによる装飾過多

「うわぁ……」

 うわぁ……。と、神宮さんの声と俺の心の声が重なった。先程の奇遇もあったし、意外と俺と神宮さんは気が合うのかもしれない。なんて戯言は言うまでもなく飲み込む。まぁ、俺の声の理由と神宮さんの声の理由は違うのだろう。

「とりあえず、頑張るって返信しといてくれないかな」

 横からだと見えづらいが、眉間にしわを寄せながら神宮さんは俺にお願いする。綺麗な人からのお願いだ、拒否する理由が無い。

「了解」

 味気も素っ気もない、文字だけの寂しい文をぽちぽちと打ち込み、テンテロリンと送信する。その電子音にびくっと反応した神宮さんはすこしだけ面白かった。というより、可愛かった。

 それからの道中、特に会話という会話はしなかった。俺は無言が苦痛になるようなタイプではないので、その状態に別に不満はなく、神宮さんは神宮さんでゆったりと運転している。

 それから十分ほど、車内では沈黙が猛威を振るっていたのだが、神宮さんの言葉によって沈黙が破れる。弱いぞ沈黙、もっと頑張れよ沈黙。お前らの実力はそんなもんじゃないだろ沈黙。と、沈黙にエールを送ってみる。エールなんて送られたら沈黙はむしろ困るんじゃないだろうか?

 そんでもって、そんな沈黙を打ち破った神宮さんの鶴の一声はというと、

「あそこだよ。あそこが彩栄椋のいるマンションだ」

 神宮さんの目線を追いかけ、俺は彩栄椋が住んでいるというマンションに目を向けた。ふむふむ、大きいな。マンションは、なんというかまぁ、形容はしやすい。むしろしやす過ぎてなんて言えばいいのか分からないくらいに普通のマンションだった。相変わらず俺には表現力というモノが欠落しているな。

 自分の力の無さにうんざりしていても、俺とは関係なく車は進む。そりゃそうだ、運転しているのは神宮さんで、俺はその横に乗っているだけだから。他人に流されるのではなく、自分から動いてみようかなと決心したところで、そんなすぐには変われないものである。――変われたら苦労はしない。

 車はマンションの敷地内に入ると、そのまま地下駐車場に向かって行く。そのまま空いている場所に車を停車する。……マンションなどは車の駐車位置などが決まっているから、こうやって部外者に停められたら困るんじゃないのだろうか。という疑問も抱いたところで今さらだなと放棄。

「そういえば、ここに来て今さらなんですけど、俺たちは何をしにここに来たんですかね?」

「本当に今さらだねぇ……。第一の優先事項は無垢の回収だよ。いくら居場所が分かったとはいえ、彩栄椋にはそんな簡単には手出しができないからねー」

 呆れながらも、馬鹿にしたような素振りはなく普通に答えてくれる。

「そうなんですか」

 車から降りた神宮さんが先導し、俺はその後に着いていく。

 時間は午後二時ごろ。太陽が一番眩しい時間であり、季節が夏である今なら最高気温を叩きだされているような時間帯だ。とはいえ、ここは地下駐車場。夏の暑い日差しなど通らない地面の中。中は仄暗く、照らすのは電灯だけ。今が昼であることも忘れてしまうような場所。

「無垢のことだし、おおかた危ない橋を渡るのは自分だけでいいとか、そんなことを考えての単独行動だと思う。だからこその、朱鷺宮さんを出し抜いての特攻でしょ。とはいえそこは無垢、ちゃんと彩栄椋の危険性だって理解しているだろうし、そんな簡単には死んでいないでしょう。なんたってアイツは、殺戮鬼で二番目に死に損ないな奴だから」

 一階のエントランスに行くための階段に向かいながら、神宮さんは気軽に喋る。彩栄椋を殺しに行った無垢さんの無事を確信しているのだろう。

 信頼、しているのだろう。散楽坂無垢という男を。

 彼は無事であると。彼は死なないと。彼は生きていると。

 そんなことを、頭から信じきっているのだろう。

「―――――――――」

 曲がり角を抜けると、一人の少年が立っていた。

 ――いや、一目見て、それが少年であると断定するのは難しかっただろう。

 ―――それでも、俺は彼が少年であると判断することが出来た。

 ―――世間一般で言うところの学ランを身に包んでいたからだ。

 強く抱きしめれば壊れてしまうのではないかと思えるような細い体。

 肩まで伸びた、黒と白という特徴的すぎる色合いの髪の毛。

 幼さを残した、少女とも呼べそうな整った童顔。

 紅玉を彷彿とさせる、濁りながらも爛々と輝く朱色の眼。

 彼の周りには血が広がっている。最近見たばかりの、新鮮な血の色だ。溢れたばかりの、鮮やかな血。

 彼の傍に、物体が落ちている。血で染まってはいるが、その物体は元が肌色であるぐらいは分かる。散らばっているのは、どれもこれも人間の身体の一部のように見える。ばらばらになりすぎて、どこがどの部分なのかが理解できない。それでも、それらを組み合わせれば、人一人分くらいは出来そうだ。

 それだけの惨状の中心に立っているというのに、少年の体には血が付いていない。服にも、髪にも、靴にも。ただ、そんな少年の右手だけは例外だった。右手だけは、赤く染まっていた。赤黒く、染まっていた。

 赤く染まる右手には、サッカーボールのようなものが掴まれている。いや、サッカーボールはあそこまでごつごつしていない。俺の見間違いでなければ、人の頭のように見える。

 そして、あの顔には見覚えがある。というか、最近見たばかりだ。つい先日、俺はあの顔と半日ほど行動を 共にしたのだ。話したのだ。一緒に食事をしたのだ。

 散楽坂無垢の頭だけを――その下にあるべき体の無い散楽坂の頭を、その少年は平然と持っていた。

 そして、近づいていた俺たちに気付き、まるでご近所さんに挨拶するかのように、左手をあげて、キョトンとした可愛らしい顔をして、口を開く。

「どうも、こんにちは」

 俺の横で青白い光が閃いた。


―――×××―――


 神宮紀里。

 黒いメイド服に身を包んだ、金髪ロングに金眼という特徴的な、見れば忘れずにはいられないような容姿をした女性。補足としてはおっぱいが大きかったり、地の表情が無表情に見えるからとてもサドに見えたりする。本当に要らない補足である。

 彼女もまた殺戮鬼の一員であり、人工的な異常者 『完成された複製(オルタネイティブ)』 である。

 そんな彼女の異常――能力とは、電気を操る能力である。古今東西ありとあらゆる漫画やアニメで扱われ続けるモノだ。あるときは科学として、あるときは魔術として、あるときは悪魔の力として、電気として統一されているにもかかわらず、さまざまなジャンルに登場する 『電気遣い』 であるが、この場合、神宮紀里の場合、彼女の電気は――電撃は、一体何に分類されるのだろうか?

 科学者であり、研究者である彩栄可想が生み出したのだから、それは科学として分類されるべきだと思う。――俺に神宮さんの能力を説明してくれた無垢さんは、そう解説していた。

 けれど、そんな説明がどうしたというのだろうか。いくら根拠を上げたところで、人間が電気を操り、ましてやそれを体外に放出することなど、科学では証明できない。

 というか、そんな解説を思い出したところで、目の前で行われていることを見れば、そんな思考は吹き飛んでしまった。

「あああああああああああぁぁぁあああぁぁあああぁああああああああああああああああ‼」

 言葉として成立していないような叫び声を上げながら、青白く光った神宮さんが俺の隣から消える。次の瞬間、無垢さんの頭を持っていた黒白髪の少年に青白い光がぶつかり、そのまま横に吹き飛ぶ。

 吹き飛んだ少年は軽自動車にぶつかり、その車を圧し潰して壁に激突する。

 轟、という音が、少年の激突に少し遅れて駐車場内に響き渡る。閉じられた空間の中で巻き散らかされた音は壁に何度も反射する。幾重にも重なった音は、激突音としてではなく爆発音として駐車場内を駆け巡る。

 あまりにも莫大な音は――空気を伝わる振動は、激突の際に伴った衝撃波とともに、俺を易々と吹き飛ばす。そのまま近くの壁に激突し、背中と頭を打ち付けてしまった。

「っつー……」

 瞬間の出来事のせいでろくに対応することが出来ず、爆音をもろに受けてしまい受け身も取れなかった。……痛い。先ほどの爆発音とはまた違った音が脳内で響く。頭を金槌で何度も何度も叩き付けているような頭痛を我慢しながら、壁にぶつかった少年を見ると――

 ただの粗大ゴミとなってしまった車に埋まるように、少年は五体満足で埋まっていた。

「………」

 少年を吹き飛ばした青い光の正体である神宮さんは、少年の前に立っている。そして、いまだに少年の体が繋がっていることを確認すると、手をかざして、放電を開始する。

 彼女の手から放たれる青白い雷撃は、少年を貫くように、少年を覆うように、少年に向かって放たれ続ける。俺はそれをただただ眺めることしかできない。見ていることしかできない。何もできない。起きている現象があまりにも違いすぎる。散楽坂無垢の時のような、結果しか現れないような、結果しか認識できないような超能力、ではない。

 目の前で、電撃が少年を焼いている。焼き殺そうとしている。

 そんな、少年を今まさに殺そうとしている神宮さんは微動だにせずに、手をかざし続ける。

 彼女の頬を伝うのは涙。涙がぼろぼろと零れ続ける。泣いているはずなのに、彼女は無表情だ。嗚咽も漏らさず、肩も振るわさず、ただただ涙を地面に落とし続ける。

 俺はその涙が意味するところを知らない。仲間を失ったことへの悲しさか、人が死んだという事実に触発されて、明日は我が身であるという可能性に怯えているのか、俺には分からない。

 未だに放電は続いている。一直線に空中を走る電流は対象を焼き続けている。肉片を一つも残さないようにと、その存在のすべてを灰にしようと念入りに焼く。

 結局のところ、この少年はなんだったのだろうか? そんな疑問が脳裏をよぎる。が、考えるまでもなかった。この少年はきっと彩栄椋なのだろう。殺戮鬼の無垢さん殺して、殺戮鬼の神宮さんに真っ先に殺されるなど、彼らのターゲットである彩栄椋以外に有り得ない。いや、そこまで断言できるほどに俺は殺戮鬼についても、彩栄椋についても詳しいわけではないのだがそれでも、なんとなく、これが彩栄椋であると思えた。残り少ないページで出てきたキャラが、物語の重大なカギを握るキャラだと経験則で分かっているような、そんな感覚。

「……ん?」

 だが、違和感を覚える。眼前で起きている現象に違和感を覚えるような常識はすでに崩壊している。じゃあ、なにがおかしいのだろう? 先ほどの爆発音による頭痛などはとうに治まっている。そう、もう頭痛は治まっている。頭痛が治まる程度には、気にならない程度には、時間は経過している。そして、その間ずっと神宮さんは少年に向けて放電を続けている。その電力の少しでも自家発電に使えば家計が助かるんじゃないのか?とか言いたくなるほどには、続いている。

 にもかかわらず。それにもかかわらず、臭いがしない。

 人を焼いているのに、生物を焼いているのに、焦げた臭いが、しない。

「神宮さ――」

 その違和感を確かめようと、神宮さんに声をかけた瞬間。

 神宮さんは四散した。

 内側から膨れるような素振りも見せず、神宮さんの体が細かく分かれ、周りに分散した。

 破裂ではなく、四散。そう、この四散という表現は、自分にしては存外、的を射ているのだろう。中から圧迫して弾けさせるのとは違う、周りから体の全体を掴んで、思い切り引っ張ったような感じだ。

 だからなのか、無垢さんが行った頭を破裂させた現象とは違い、体のパーツは周りに飛び散らばず、彼女が立っていた周辺にぐちゃぐちゃとぼとぼとと落ちる。溢れ出した体液が空気と混ざり、視覚的にはすでに吐き気を催させていた不快感を、さらに加速させていく。本来ならお目にかかるようなことがないはずの人間の内側は、先ほどまで生きていたことを証明するように、脈動を続けている。ピンク色の物体が、じゅくじゅくと気持ち悪く動く。心を動かすことはなくとも、揺るがすことはなくとも、吐き気もするし、不快感があるし、気持ち悪い。精神的にではなく、生物的にクるものがある。

 そして、次第に動きはなくなっていく。活動を停止する。

 もしも自分がこれと同じ現象にあったとき、俺もまた、このような気持ち悪いものに成り下がるのかと思うと――思わされて、一層不愉快になる。

 分かってはいたことだ。覚悟は出来ていたのだ。こうなるのだと理解していた。

……それでも気持ち悪い。

 逆流しそうな胃液を何とか我慢していると、肩に、何かを置かれた。

「大丈夫ですか?」

 先ほど聞いたばかりの声なのに、振り返ってみて初めて、肩にあるのが黒白髪の少年の手であることを理解した。

「なんか顔色が悪いですけど、なにか悪いものでも食べちゃったんですか? あ、拾い食いをしたとか?」

 その声はあまりにも状況に噛み合っていない――いや、最初から少年はとてもフランクな態度ではあった――けれど、それでも、どうして彼は、俺に普通に話しかけることが出来る?

「だめですよー、拾い食いとかしたらー。僕も小さいときとかそこら辺にいる美人のお姉さんを食いまくりたいぜーとか思っていた時期もありましたけど、病気とかもらったら良くないし、そういう安易な自分の欲望を叶えるためだけにその後の自分の人生を台無しにしちゃうのはよくないなーとか改めて考えさせられましたよ! とは言っても、まぁ僕なんかまだまだ中学生の身ですし、明らかに年上のお兄さんに言うような言葉じゃないですよねー! いやー、最近の若者は年功序列とかを気にしないというか、ぞんざいに考えてるようですが、それでも、やっぱり僕は大事だと思うんですよね! だってほら、たとえそれが無駄に年を重ねただけだとしても、それでも、僕たちなんかよりも一分一秒でも長く生きているんですよ? それだけで、長く生きているというだけで、生きているということだけで、尊敬できると思うんですよね! ほら、生きているって素晴らしい!」

「…………」

 なんだこいつ。

「そうそう、聞いてくださいよー! こんな僕でも、いや、自分をそう卑下した言い方をするのもあんまりよくはないとは重々理解しているんですけど、まぁ、こんな僕にも友人がいるんですよ。その友人がですね、なんとなんと、これまた救いようのないクズなんですよー! どんな感じにクズかというとですね、知り合いのカップルは例外なくどんな手を使ってでも別れさせるというね、もうそれお前の単なる僻みじゃねぇか! とかツッコミを入れても拭えないレベルのクズっぷりなんですよ! そうは思いながらも、他人に介入された程度で別れるような付き合いだったのなら、しょせんその程度だったんだろと思ってしまう今日この頃でしてねー。なんというかまぁ、正論っちゃあ正論なんでしょうけれど、人間的に難があるような感じなんです。んで、そんな奴と未だに友人を続けているような僕もまた、なかなかに酷かったりするのではと最近気づいたんです! ほら、類は友を呼ぶって言葉があるぐらいですしね! あ、けど、その友人の名誉のために言っておきますけど、友人はその行いを除けばごくごく普通の平凡な一般的にいうところのいい奴に分類されるんですよ? まー、その行いがその 『そこそこにいい奴』 というのを大変台無しにしているということは言うまでもなかったり!

 ――おっと、ついつい関係ない世間話をしてしまいましたねー。いやー、実をいうと僕の友達がそいつぐらいしかいないから、その面白いけどクズな友人の話をする人がいなくてですねー。ついつい饒舌に話してしまいました! 長い世間話に付き合ってくれてありがとうございました! いやはや、お兄さんてば聞き上手ですね!」

 色々とツッコミを入れたくなるような内容と長さだったが、感想を言うのならば、それは内容や文字の多さではなく、少年の喋りが凄かったということだ。決して勢いがあるわけではなく、圧倒するようでもなく、ゆっくりと、はっきりと、話す。それでいて、相手に合いの手を入れさせず、返答をさせず、返事を許さないような、一方的な話し方。こちらの呼吸の合間をつくように、思考の瞬間を狙うように話しかけてくるのである。

「……とりあえず、俺は別にお前のお兄さんじゃない。というか、お兄さんって呼ぶのやめろ。俺の名前は四谷真崎だ。四谷怪談の四谷、真実の真、川崎の崎で、四谷真崎」

 俺のことをお兄さんと呼んでいい奴なんかいない。呼ぶかもしれなかった奴だって、もういない。だから、俺はお兄さんとは呼ばれたくない。特に、年下の少年には。ありもしなかった弟の姿を、連想というか、妄想してしまうからだ。だから、釘を刺す。

「へー、四谷真崎って言うんですか! じゃあ真崎さんですね! よろしくお願いします真崎さん! そうそう、僕の名前はまだ言っていませんでしたね! 僕はですね、彩栄椋って言います! 彩り栄えると書いて彩栄、椋木の椋で椋と呼びます! どうぞ、以後お見知りおきを!」

 やっぱり、この少年は彩栄椋だったのか。この、とてもテンションが高く、人見知りという言葉からかけ離 れたような溌剌とした少年が、殺戮鬼が追い求めている可能性を持つ者。

 舞い降りた天災。最悪の災厄。再来の悪夢。全ての源悪。

 この少年を知っている人、追っている人――彼らはこの少年をそうやって称しているらしい。あまりにも大仰で、馬鹿馬鹿しい呼び名だと思う。そして、そう呼び、恐れ、忌避し、侮蔑しているにもかかわらず、彼を狙う人間は後を絶たない。

 それほどまでに、この彩栄椋という少年は重要な存在なのだろう。

 ただ、まぁ、なんというか。こうやってその存在を前にして、話してみると、とてもそうには思えなかった。だってほら――

「あ、立ち話もなんですし、どうせだったらウチに上がっていきませんか? お茶とお菓子と夕飯とデザートぐらいなら用意できますよ?」

 至れり尽くせりじゃねぇか……。なんというか、殺戮鬼の面々以上に、危機感が皆無の単なる男子中学生にしか見えないのである。つい先ほど、無垢さんの頭だけを鷲掴みしていたことも、神宮さんに音速に近い体当たりをされても五体満足であることも、人間ならば一瞬で消し炭になるような雷撃を浴びても普通にしていられることも、まるで何かの悪い冗談のように思えてしまうような普通そうな少年。

「………まぁ、拒否する必要性も感じないし、別にこの後これといった用事があるでもないし、うん、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 そうやって、俺が同行する旨を伝えると、

「わーい、これで決まりだ! いえーい久々のお客さんだぜ! テンション上がってきたー!」

 普通――普通? に喜ぶだけの、単なる、テンションの高い少年。

「あ、でもその前に、これ、あると近隣住民にご迷惑をおかけしますよね」

 彩栄椋はそう言うと、後ろにある神宮さんだった肉片と、無垢さんだった頭とそれ以外の部分を一瞥して――一瞥して、終わった。

 それだけで、それらが全て消えた。

 目も、脳も、臓器も、手も、足も、肉片も、血ですらも、風景とは明らかに別物の存在が全て消えた。

 蒸発するように、元々そこに死体など無かったかのように、存在しなかったかのように、消えた。

 いや、それだけじゃない。死体だけじゃない。先ほど、無残に潰されてしまった軽自動車も、同じように、消えたのである。

 俺がその事実に、現象にただただ驚いているというのに、彩栄少年は――

「ささ、行きましょうか。これでもいい暮らしはしていますからねー。部屋はなかなか広いですよ!」

 なんでもないことのようにはしゃいでいる。

 ――あ、全然普通じゃない。


―――×××―――


「こういう時は謙遜して、『ちょっと汚れてますが~』 とか言うべきなんでしょうけど、いやー、まぁそれが日本人の美徳でもあるんでしょうけれど、本当に汚れてない場合は何といえばいいのでしょうかね!」

 彩栄少年は、扉の鍵を解錠しながら笑顔で俺に話しかける。

「うん、まぁ、素直って大事だしね……」

 俺は適当に頷きながら、奈多さんから来たメールの内容を思い出していた。

『多分だけど、九割ぐらいの確率で散楽坂さんは死んでいると思う。うんにゃ、殺されているが正しい。

 んで、それに紀里ちゃんが激情した場合、確率とかではなく絶対に死ぬ。

 でも大丈夫。君は悪くない。私も悪くない。誰も悪くない。

 そう思いなさい。そういう運命だったと思いなさい。そういう事象だったと思いなさい。

 だから、君がするべきはそのあとの心配。

 それに関して、彩栄椋という天災に遭遇した場合、君がすべきことは一つ。

 害意を抱くな。それだけ。

 今から君が会いに行く少年はとても危険だが、それと同時にとても安全な存在でもある。

 そいつは敏感だから。自分に向けられる殺意に、悪意に、敵意に、ありとあらゆる害意に。

 それを漂わせた瞬間、死が確定する。

 けれど、それは逆に、それをしなければ絶対に安全だということでもあったりする。

 まぁ、それに関しては弟君なら大丈夫でしょうね。

 君は他人の気持ちには敏感だけれど、自分の気持ちには鈍感だ。

 いや、鈍感じゃないのか。鈍重だ。鈍くて鈍くて沈むように重い。

 おっと、話が逸れちゃったね。

 だから、私が言いたいのは二つだけ。

 君は何もしなくてもいい。まぁ、したくとも何もできないだろうけどね。

 決してこれは嫌味じゃないよ? 人間にはどうしたって出来ないことが多数存在するからねー。

 多分、何もしなければ邪険に扱われるようなことはないはずだから、そのまま帰ってくるか、気に入られればお茶でも誘われるんじゃないかな? その時は断る必要もないと思うから、弟君のしたいようにしなさい。

 あと、紀里ちゃんには、頑張って(はぁと) って伝えといて。

 生き残るのに、越したことはないから』

 ――まさか、本当にお茶に誘われるとは思いもしなかったけれど、奈多さんの予言はこれで現実のものとなった。見透かしたかのように、知ったふうに、人のことをわかったかのように言うけれど、こうして先の展開を当てられると、少しだけ恐怖を覚える。

 人のことなんて絶対に理解できない。人は単純だけれど、自分だって単純な人間だ。そんな人間が、他人のことを理解できるはずがない。他人どころか、自分のことすら理解できていないのだから。

 そんなことを常々思っているくせに、それを覆すようなことをされただけで揺らぐというのも、おかしなものだ。まぁ、ただ単に俺が主体性のない人間なだけかもしれない。

「ただいまー」

 扉を開けながら、彩栄少年は部屋に帰ってきたことを告げる。

「お邪魔します」

 俺もそれに続き、まだ電気の点いていない玄関に足を踏み入れる。暗くて前がよく見えないなか、彩栄少年がかちりとスイッチを押して明かりを点ける。彩栄少年の後を追って、何も置いてない廊下を歩いていく。

「あー……」

 リビングに到着して、さきほどの彩栄少年の言葉に納得する。確かにこれは、汚れていない。なるほど、確かにこれを少しでも『汚れている』と表現するのはおかしいかもしれない。ただ、綺麗と表現するのも不適切なのだろう。なぜなら、彩栄少年の住んでいる場所は、人間が住んでいるようには思えないからである。部屋の中にあるのは、こたつテーブルと、イスと、冷蔵庫と、電子レンジと、パソコンと、衣服だけ。置いてある物は、それだけ。生活をするうえで必要な物だけしか、置いていないのである。

「君は一体どういう生活を送っているんだよ」

 こぽこぽと湯呑にお茶を注いでいる彩栄少年に冷ややかな目を送りながら聞くと、

「まぁ、最低限文化的な生活。とだけ言っときましょうかね!」

「日本国憲法に則ってんじゃねえよ」

「これで十分生きていけるんだから別にいいじゃないですかー」

「心配しているわけじゃないから確かに別にいいんだけどさ……」

 俺は彩栄少年に促されるままに湯呑を受け取り、壁に寄り掛かるように座る。

「すいませんねー。毎回お客さんが来るたびに座布団を用意しとかなきゃなーとか思うんですけど、ついつい忘れちゃうんですよー。まぁ、布団は女の子が来たときのためにあえて一つにしているんですけどね!」

 俺がフローリングに直に座るのを見て、苦笑しながら自分の不手際を恥じる彩栄少年。この子、なかなかに常識というか、良識は弁えてるのかもしれない。俺は大丈夫と手だけで伝えると、彩栄少年はこの部屋に一つしかないイスに目を向ける。いや、正確には――

「基本的には、この子のためのイスだけで間に合っていたから」

 イスの上で眠っている、一人の幼い少女を見た。

 そう、他に物はないけれど、者はいたのである。ただ、彩栄少年が特に何も説明しないから、俺も何も言わなかったのである。

 少女の見た目は小学校高学年ぐらいで、手入れが行き届いている綺麗な黒髪。年相応に華奢な体。身を包むのは黒を基調としたゴシック・ロリータ。死んでいるのかと勘違いするほどに静かな寝顔をしている。

 基本的に俺は介入しない人間である。他人が喧嘩していようが、親が喧嘩していようが、国が戦争していようが、自分に被害がなければ、関わらない。拘らない。面倒だから。意味がないから。理由がないから。

 とはいえ、こうやって目の前であからさまにその存在を主張されると、気になる。

「この子はですね、この女の子はですね。僕の、一番大切な人なんです」

 聞くまでもなく彩栄少年は教えてくれた。眠っていてとても無防備な少女の手を取り、とても大事そうに、愛おしそうに、その手を握る。

「………」

 この少年、この年で既にロリコンの気質があるのか。うむ、将来有望だな。犯罪者予備軍的な意味で。

と、俺が遠い目で少年を見ていることを察したのか、少年がムッとして否定するような顔をした。

「そういう意味じゃありませんよ。僕にはそんな、幼女を嗜みたいと思うような性的嗜好はないですからね。どっちかというと、僕は大人っぽい女性のほうが好きですから!」

「眠っている無防備な女の子の手を大事そうに握ったままそんなことを言われても説得力が皆無なんだけどなー」

「説得力なんて、必要ないんですよ! 何故なら、大事なのは自分の意思だから! だから、他人の意思になんか気を遣う理由がない! だから、説得というものは必要ナッシング!」

「とかなんとか言いながら、手を握るどころか頭を撫でたりお腹をさすったりして十分に堪能してんじゃねぇか! 本当に説得力がねぇよ! 自分に言い聞かせることすらできていないじゃねぇか! 言っていることと行動していることの違いがひどすぎるわ!」

「仕方ないじゃないですか! 初恋の女性がこんなにも無防備でいたら、そりゃ好き放題するってもんでしょうが!」

「犯罪者予備軍なんてちゃちなもんじゃねぇ! こいつの思考はすでに犯罪者のそれだ! 開き直りやがったぞ!」

「誤解だー!」

「お前はもう一度日本語を勉強し直せ! どう見たって誤解じゃねぇ!」

「僕に日本語を教えた博士とこの子に謝れ! 僕の日本語力はたぶん完璧だ!」

「鬼畜変人変態博士と年下の子供に教わっている時点でお前の日本語がまともなわけがないだろうが! ていうか、よくそんなことを堂々と言えるな! 君にプライドとかないのか⁉」

「うっせーやい! 変態博士はともかく、この子に拾われたときは――博士を殺して行き場をなくしたときに会ったときは、少なくともこんなちんちくりんじゃなくて、もっとグラマラスで、大人のお姉さんで、そりゃもう僕が年上属性に目覚めてもおかしくなかったような人だったんですよ!」

「ちょっと、君が何言っているのかボクニハワカラナイナ!」

 出会ったときはもっとグラマラスで大人のお姉さんだった? 彩栄少年は彩栄仮想博士を殺した後、この女の子に拾われた? どういう意味だ? この少年は何を言っているんだ?

「真崎さん、一人称が変わってますよー」

「支離滅裂な話をされたら俺はこうなるんだよ。ていうか、どういうことだよ。なに? その少女が元は美人でグラマラスで巨乳だったとでも言いたいのか?」

 この少女が昔は大人だったということは、人間が若返っていると言っているようなものではないのか? 少し前に、不老不死というものについて考えたことがある。まぁ、うら若き純情少年ならだれもが一度は命題にするはずだろう。別に、不老不死になりたいわけでも、誰かを不老不死にしたいわけでもない。ただ純粋に、漠然と、疑問を抱いただけであり、興味が湧いただけである。

 俺の好きなドラゴンボールのキャラはフリーザ様だ。あの基本的には丁寧で、ビジネスライクで、絶望的な強さを持つ人が、とても気に入っていたりする。とまぁ、そんな俺の敬愛するフリーザ様も、不老不死を願ったりしている。

 そして、俺が思うに、もしもこの少女が本当に若返っているのだとしたら、それもまた、不老不死の一つの形態なのではないのだろうか? そう考えてしまう。不老不死について考えたとき、フリーザ様や、少年漫画一般でいうところの不老不死とはまた系統が違うのだろうけれど、若返るということは、老いないということは、一種の不老不死の体現でもあるのだという結論に俺は至っていた。

 そもそも老いというのは何か、それは死そのものである。人間を構成している細胞というのは、日々死滅し、発生しているらしい。創造と破壊が繰り返されて、ヒトは毎日を生きている。そんなことが自分の中で起きているとは自覚することが出来ずに、それが着実に体を蝕んでいるというのに。死滅と発生が繰り返されているというのなら、それはすでに老いることのない、死なない人間が完成しているのでは? と思ったのであるが、それは違ったのである。厳密にいうのならば、死滅のほうが、発生よりも頻度が多い。ただそれだけなのである。再生はする。成長はする。増殖はする。でも、死んでいく。徐々に、なだらかに、体は死を迎えていく。それは決定事項であり、生物には逆らうことのできない現象だ。

 けれど、もしもこの少女が若返る人間なのだとしたら、年老いない人なのだとしたら、それは、それは不老不死なのではなかろうか? この場合の不死は不老によっての副次的な産物だとでも言えるだろう。先ほど言ったように、細胞が徐々に死んでいくから、老化する。終いには体を機能させることが出来る細胞の絶対数が足らなくなり、終焉を迎えようとする。そして、死ぬ。けれど、彩栄少年が言うようにこの少女が若返るというのならば、細胞の死滅と発生の関係が大なりではなくイコールなのだとすれば、それは 『不老』 なのではないのだろうか? 老いなければ、生物には等しく存在する寿命が、適用されなくなる。それはつまり、死なない。何らかの外的な要因――つまり、病気や怪我などがなければ――彼女は死ぬことがないということだ。老いない、生きることを阻害されなければ、老い続けない。それはつまるところの 『不老不死』 となる。

 ――うん、そんな知ったようなことを言ってみたが、俺は一介の高校生だ。別に医学の道に進もうとしているわけでもない。だから、いま述べた人の死のメカニズムも、正確ではない。どこかで聞いたような知識と、自分なりの想像力を働かせて考えた結果だ。まぁ、当たらずとも遠からずじゃないのかと思う。

 と、散々に自分の考えを並べてみたが、まだこの少女が本当に若返りをするかどうかというのは、確定していない。あくまでも俺の聞き違いかもしれない。だから、ここで彩栄少年が俺の言葉を肯定さえしなければ、不老不死ということについての俺の考察は、このまま俺の胸の内にしまい込むことが出来るのだが――

「はい、そうですよ」

 そんな通常ではありえないことを、こともなげに肯定してしまうのか。この少年は。

 ――そして、こともなげに肯定できてしまうほどに、させてしまうほどに、彩栄少年や、このゴスロリ少女や、殺戮鬼の面々が住んでいる世界というのは、世の理から外れているということなのか……。


―――×××―――


「この子はですね、一定の周期で若返るという特殊な体質なんですよ」

 眠っていて無防備なことをいいことに、ゴスロリ少女の見た目に反して中々に大きい胸を後ろから抱き付くように丹念に揉みしだいている彩栄少年は、簡潔に説明をしてくれた。

「今更そんなありえないようなことを言われても驚かないし、疑わないけれどさ、君の行動には驚くし、良識を疑うんだけど……。彩栄くんや、君はなにしてんの?」

 そんな問いに、濁る瞳をこれでもかと輝かせながら、彩栄少年はこう言った。

「おっぱいは、どんなに小さかろうとおっぱいですよね!」

 あ、駄目だこの子。モノホンの変態だ。今日に至るまでのここ最近、様々な変態に出会ったつもりだったけれど、この子がぶっちぎりでアウトだ。もはやチェンジの域である。一人で普通の変態の三倍ってなんなの?なに、赤い彗星なの? ていうか、そのおっぱいも少女にしては十分大きいからね?

「その意見については一切否定しないけど肯定もしないからな? なんで君はいまだに未成年の立場なんだろうね? もっと法改正について前向きに検討すべきだよ、日本の政府は」

「けど、前向きに検討って、検討すらせずに終わる言葉ですよねー」

「ソウダネー。善処するって言葉と同じくらいに便利ダヨネー」

 終わってるよな、日本。

「ていうか、どうしてその子はそれだけのことをされているというのに目を覚まさないんだ? お前、その子になんか盛ったのか? もしそうなら俺は本格的に警察と連絡を取らなきゃいけなくなる」

 手の中にあるケータイは、すでに一を二回押し終えている。あとは三つめの数字を入力するだけで警察につながるようになっている。……あれ? 警察って何番だっけ? 零だっけ? 九だっけ? まぁ、どちらでも大丈夫かな。警察に行こうが病院に行こうがどっちだって大差なさそうだし。扱い的に。

「この子はですね、十歳から三十歳ぐらいを繰り返しているらしいんです。確か、もう三十回はそれを繰り返しているそうですよ。それで、普通に年を重ねるのはいいんですよ。でも、三十歳から十歳に戻るとき、その反動が強くて、一年くらい眠り続けるのが恒例らしいんです。だから、この子は今、言うなれば植物人間みたいな状態なのです」

 喋っている途中に飽きたのか、はたまた満足したのか、少女から距離を置き、もうすっかり冷めてしまったお茶を啜り始める。

「随分と、らしいとかだそうだとか曖昧な言葉を使うんだな。大事な存在とか言ってるのに、なんでそんな不確定な物言いなんだよ」

 本当に大切なら、他人の目も憚らずに抱きしめてしまうような存在なら、そんな曖昧にせず、はっきりと――それが間違っていようと――断定するのではないのだろうか? 人は親しければ親しいほど、自分の考えを押し付けてしまうし、過信してしまう。まぁあれだ。恋は盲目とかと似たような感じだ。

 ……ん? 違うかな?

「そりゃよくわかってないような物言いにもなりますよ。だって、僕はまだ十四歳ですよ? あの子とは生きてきた時間があまりにも違うんです。ああやって、小さくなるのを見たのも初めてなんです。事前に本人から聞いてなければ知らないことだし、そうやって聞いていたことだって、本当かどうかわかってない。けど、ある程度は信じています。だから、こうして安心してセクハラをしながら見守っています」

「いや、セクハラはするなよ」

「えへへー」

 俺の冷めたツッコミにも、ほんわかした笑顔で照れるだけである。顔が可愛いだけにその動作に不快感が生じない。もし可愛くなかったらビンタしていただろう。まぁ可愛いは正義とも言うしな。仕方ない。

 こいつ男だけど。

「………」

 目を覚まさない少女を見る。このゴスロリ服も、彩栄少年の趣味なのだろうか。だとしたら、あまり話が合いそうにないな……。でも、年上好きという点では、一晩語り明かしたいとも思う。うむ、いい趣味だ。いや、そんなことはどうだっていい。いや、どうでもよくはない。すげー重要。年上の綺麗な女性は俺の人生における重要なファクターだ。いかん、先ほどから思考が何度も迷走している。

「あぁ、そういや」

 そこでふと思いつく。俺の言葉に反応して、彩栄少年は首をかしげる。その動作がいちいち可愛い。

「どうしたんですか? エロ本なら持っていませんよ? これでも順法精神はあるんですよ、僕」

「誰もそんなことを思ってもいないし聞いてもいねぇよ。彩栄君はいちいち口を開くたびに変なことを言わなきゃ生きられないのか?」

「えへへへへー」

「否定しないのですネー」

 軽い溜め息をつく。

『溜め息をつくと幸せが逃げるというけれど、息を吐き出しただけで逃げるような幸せなんてたかがしれているでしょ?』

 唐突に弟の言葉を思い出す。あいつはいつだって否定的だ。俺はそれに対して、

『塵も積もれば山となるって言葉があるし、そんなたかが知れている幸せでも、数を重ねれば大きいんじゃないのか?』

 と対抗してみたけれど、

『塵はどんなに集まっても塵だよ。それこそ溜め息程度で飛ぶほどにね』

 と鼻で笑われたのである。当時は言い返せなくて、そのまま言い返す機会は訪れなかった。けど、弟のことだからきっと、何を言っても

『そもそも溜め息なんかで、幸せなんて不明瞭で不確かで不自然なものが左右されるわけがないでしょうが』

 と鼻で笑うのだろう。あぁ、幸福というものは不自然だなんて、まさに弟が言いそうなことだ。

 それにしても、こうやって思い返すと、弟の影響で俺も否定が癖についてしまったのだろう。

「というか、俺はだな、あの女の子、名前はなんていうのかなーとか思ったんだよ」

 そう言って、ゴスロリ少女を指さすと、

「あー! 真崎さん、人を指さしちゃいけないって学校で教わらなかったんですかぁ⁉ 駄目ですよー。あんな幼気な女の子に指を向けちゃ! いつデスビームが出るのかもわからないというのに! もしくはどどん波でも可!」

 彩栄少年は年頃の中学生らしく、人の欠点をこれ見よがしに指摘してきた。どうして小中学生というのはこうも人の欠点というか、間違いを、嬉しそうに指摘してくるのだろうか? その無邪気な悪意が、いつ自分に襲い掛かってくるかも、覆い返ってくるかもわからないというのに。悪意は帰る。憎悪は膨らみ、知らず知らずのうちに孵る。一人への悪意は、大多数からの悪意と成る。世界は悪意で満ちている。今日もどこかで悪意は堕とされ、孵り、生まれる。人の笑顔は誰かの死の上で成り立つ、勝ちは負けを生む。生きていれば、生きていけばそれくらいわかる。分かってしまう。それがわからないうちは、純粋な少年なのだろう。純情な、子供なのだろう。

 ――どうしてこの彩栄少年は、ここまで普通の少年でいられるのだろう。こんな、普通とは乖離した非日常に生きながらも、それを当然のように受け入れて尚、普通の少年として振る舞うことが出来るのだろうか。

「ていうか、俺は君とは違って――君たちとは違って、デスビームを出せるような人間じゃないんでね。そもそも、君たちは人じゃないんだろ?」

 なるほど、だからこの少年のことを、殺戮鬼のような人たちを、異常と呼び、化け物と称するのか。

 人とは違うのだから、違くて当たり前。――人なんて、それぞれ違うのに。

「わーひでー。皮肉だって分かっていても、その言いようは酷いですよ真崎さん! 僕は立派な人間ですよ。生きている、立派な人間です」

「皮肉だって理解しているのなら受け流せよ……。あと、君は立派に生きているけれど、生きているだけで立派だけど、別に立派な人間じゃないだろ」

「ふうん、じゃあ、真崎さんの立派な人間の定義って何ですか?」

「そんなもんないよ、立派な人間なんてのには誰一人なれない。そもそもの人間からして不完全だ。そんな分際が、どうやったところで立派にはなれない」

 むしろ、そう考えてみればこの少年のほうが立派になることが出来るのかもしれない。殺戮鬼の話からすれば、この少年や殺戮鬼たちは異常者である。彩栄可想はそんな異常者を人間という枠組みを超える存在だとした。なら、天然の異常者であるこの少年と、人口の異常者であるところの殺戮鬼を人間ではないと定義するのだとしたら、彼らには不完全ではないという可能性があるのかもしれない。

 いや、そもそも、不完全が完全を語る時点で、あまりにも滑稽すぎるか……。

「ていうかな、俺が聞きたいのはあの子の名前だって言っているだろうが。別に、名前を教えたからって支障があるわけじゃないだろ? 教えてくれよ」

 指で示してまたいちゃもんをつけられても面倒くさいだけなので、少女を見るだけにとどめる。そうすると、彩栄少年は苦い笑いを浮かべて、

「教える必要とか、無いと思いますよ? 断言しますけど、この先、今以外で、あの子に真崎さんが関わることなんてないですから」

「それはどういう意味だよ」

「いや、そのままの意味ですよ? これ以降、関わることのない人の名前なんか覚えたって、無意味でしょう? そんな無意味なことに貴重な記憶領域を割かせるのは、馬鹿のすることでしょう?」

こいつ、俺に少女の名前を教えたくないのか?

「いやいやわからねぇぞ? 俺が実はその少女に一目惚れしていて、お前に会うという口実をもとに度々関わろうとするかもしれない。その場合はどうだろう。その子はお前にとって――拾って育ててくれた人なら――母親みたいなもんか? なら、俺は君のことを息子と呼ぶ可能性が――なんてのはまぁ、もちろん嘘だから、とりあえずその手に握る包丁を下しなさい彩栄くん」

 取り出す動作すらなくその手に包丁を握っていた彩栄少年は、嘘だと聞いて安心したように包丁をテーブルの上に置いた。なんで音もなく包丁を構えることが出来るんだよ。怖いよ……。

「いやー、すいませんね。初恋の女性もとい母親のような人を取られるのかと思ったら動揺してしまいまして」

「動揺したからって包丁を取り出すなや。異常者なら異常者らしくなんかの力でも使えよ」

「気が動転してる状態の僕が異常でも使った日には、地球が三分の二ほど吹き飛びますよ?」

「規模がおかしいだろ……」

 壊滅する範囲が嘘か真かは分からなくとも、近くにいる俺は間違いなく瞬殺されるだろう。先ほどの、無垢さんと神宮さんの身に起きた惨状を思い出し、冷や汗を流す。

「彩栄君がそこまで言うのなら、もうあの子の名前はいいとしよう。うん、そこまで興味があったわけじゃないからさ。いやマジで。だからその包丁はあるべき場所に戻そうね。お願い」

 彩栄少年は根が素直なのか、俺の言うことをちゃんと聞き、包丁を台所に置いて、再び床に座った。と思いきや、すぐに立ち上がり台所に戻る。せわしない奴だ。

「いい時間ですし、そろそろ夕飯にしようと思います。真崎さん、好き嫌いはありますか?」

 そういえば、夕飯をご馳走するとか言っていたな。冗談じゃなかったのか。

「料理できるのか、その年で」

「えぇ、その子との二人暮らしとはいえ、今は実質一人暮らしみたいなものですからね。小さくなる前にがっつり仕込まれたんですよ。おかげで、そんじょそこらの中学生よりは家事全般こなせますよー」

 誇らしげに言っている彩栄少年である。けど、それは実際に誇れることだ。齢十四で家事全般をこなす子供などあまりいない。俺だって中学生の時は母親に家事は任せきりだったし、素直に尊敬できる。部屋の中には、必要最低限とはいえ、物が少ないとはいえ、生活をするうえで必要な家電や家具、衣服は揃っている。その家具や家電に埃は溜まっておらず、衣服もしっかりとたたまれている――とはいえ、アイロンをかけてないのかシワがあるし、クローゼットがないから床の上に放置である。

「まぁ、そういうのならお手並み拝見と行きましょう。あと、俺はキノコが嫌いだ。それ以外なら大体食える。はず。多分」

 お手並み拝見とか言っておいてなんだが、一人暮らしでコンビニとスーパーに頼りきりだった俺が、彩栄少年にそんな上から目線でモノをいうのもおかしいよな……。

「へぇ~、キノコが駄目なんですか。つまりはあれですか。真崎さんは男が嫌いと」

「おい。キノコ嫌いというワードからどうやって男嫌いに発展するんだよ。なにその飛躍っぷり」

 ていうか、男に対して男嫌いを適用させると、どっちに転ぼうともろくな人間ではないだろう。肯定すれば女にしか目がない性欲の塊だし、否定すれば背景に薔薇が散りばめられる。どっちにしろアウトー。

「えへへー。まぁ、キノコが苦手なんですね。合点承知の助です。それ以外で適当に調理しますので、くつろいでいてください」

 とは言われても、暇をつぶすものなんて周りにはない。仕方がないので、目を覚まさない女の子をのんびりと眺めることにした。四十分後、俺と彩栄少年は、彩栄少年手作りの夕飯を食べた。

 彩栄少年が作ったのはシチュー。キノコの類は入っていなかった。

 レポーターでもなくて食通でもない俺が言えるコメントはたった一つ。

 おいしかった。


―――×××―――


「ところで、僕が作ったシチューは美味しかったですか?」

 およそ中学二年生の男子がするにしては不自然なはずの無垢な笑顔を違和感なく浮かべて、彩栄少年は隣に座る俺に感想を聞いてきた。可愛くて、綺麗で、純粋な笑顔だ。見る人によっては、彼の中世的な顔も相まって、天使だと表現するかもしれない。けど、今の俺にはこの笑顔は悪魔の微笑みにしか見えない。

「おい、こっち向くんじゃねぇ。前見ろ前。俺はお前らと違って体が頑丈じゃないんだよ。事故った瞬間天国のおばあちゃんに会う自信があるぞ俺」

「自分が天国に間違いなく行けることを信じているんですねー」

 抑揚の無い声で笑う。けれど、しっかりと前を向くあたり表面は素直なのだろう。うむ、表面は素直なのだ。根は全然素直ではないのだろうけれど。

「だって俺、地獄に行くほど悪いことしてないし」

「天国に行ける理由を、大悪を成していないから地獄に行かない、だから天国に行ける。無茶苦茶ですね、なんですかその考え」

「あるかどうかも分からないような世界なんだ。自分にとって都合のいいように考えたっていいんだよ」

 もしもそんな世界が存在したとき、裏切られるのは俺だけなのだから。期待もしてないのに、想像と違うと、裏切られるのは自分だけ。それなら別にいいだろ。

「あーはいはいそうですねー。というわけでほら、ちゃんと前を向いたので感想をお願いしますよ。よくよく考えたら僕、自分の料理を誰かに食べてもらったことってなくて、評価がすごく気になるんです」

 ――あ、でも、あの子は例外ですからね。あの子が大人だったとき、僕が作った料理は例外なく全部美味しいって食べるんです。もう明らかに優しさと贔屓だって分かるから、もうあの子には正確な評価は期待していないんですよー。なんて、どうでもいいことを惚気られる。

「あぁ、美味しかったよ。美味しかった。そう思ったことを後悔してるよ。こんなことになるなら、そんな感想持たなければよかったと思ってるよ」

「そうですかそうですか、おいしかったですか! いやー、嬉しいことを言ってくれますねー。えへへー」

「自分にとって都合のいい部分だけを聞くんだな」

 はぁ、と溜め息を漏らし、彩栄少年から目を逸らし、俺は窓から道を眺める。一定の間隔で流れていく白線は見ていて意外と飽きない。夜ということもあってか走る車は少なくて、見掛けるのは精々、大型トラックぐらいだ。

 俺は今、彩栄椋が住んでいたマンションを出て殺戮鬼の住むマンションに向かっている。――いや、住んでいたアパートを引き払われ、洋樹叶と同棲することになっている今、あそこは家で、帰っていると表現するのが正しいのかもしれない。

 だから、帰っているのだろう。来た時と同じように、神宮さんの車の助手席に乗って。

 違うとすれば、運転席に座っているのは免許取得がそもそも不可能な年齢であるはずの彩栄少年で、俺の両腕が手錠によって拘束されていること。あと、真夜中であることぐらいか……。

「ところで真崎さん、手錠は大丈夫そうですか?」

 俺の手錠を一瞥してそんなことを言うが、そもそもこれをつけたのはお前だろうが。

「中途半端に窮屈だから外せ」

 だけど、心の内をぐっと抑えて一番主張したいことを簡潔に述べる。

「えー、嫌ですよー」

「わー、笑顔でフラレチッター」

 殴りたい、この笑顔。

「まぁ、その様子だと金属アレルギーとかは大丈夫そうですねー」

  心配していたのはそんなことかよ……。いや、むしろその心配を逆手にとれば!

「そういや俺、手錠アレルギーだったよ。だから外せ」

「そんなピンポイントなアレルギーがあるわけないでしょうが」

「いや、あれだから。幼少の時、手錠に酷い迫害を受けてだな、そのせいで骨の髄まで手錠に過剰なまでに過敏になっているんだよ。だから外せ」

「アレルギーだったとしても、どうして僕に言われるまでなんの反応も見せないんですか……。もう少しばれない嘘を言いましょうよ」

 とりあえず安心した、そういった安堵の息を吐く。

 彩栄少年はそこで会話を終わらせ、運転へと意識を集中させる。おい、話はまだ終わってないぞ! と言いたいところだが、運転に集中するのは俺が頼んだことだし、仕方ないとしよう。

 俺は今一度、自分の腕に付けられている手錠を見る。手錠なんて代物を普段から見る人間なんて限られているはずだ。せいぜい警察官や女王様ぐらいだろう。かといって、彩栄少年はそのどちらでもないはずである。実はこう見えて、夜の街で男の娘で女王様をやっていたり? やばい、ちょっと行きたい。

 とまぁ、そんな突飛な妄想は置いといて、こうやって手錠を使うのは当然かもしれない――かもしれないと仮定することしかできないのは、俺が一般人で、そんな業界のイロハなど知らないからである。

 俺は彼を殺しに来た人物と一緒にいたのだ、たとえ俺に敵意がないことが分かっていても、害意がなくとも、殺意が存在せずとも、敵であり、害はあり、殺される可能性はあるのだ。こうやって手錠で行動を制限し(あくまでも攻撃の無効化ではないのだろう)、他の仲間がいるかどうか、その人数、プロフィール、能力、居場所などを聞かれた。殺す気はなくとも、殺すことは出来る。自分の命が大事な俺は当然、洗いざらい喋った。そうした結果、彩栄椋は殺戮鬼を全滅させようという結論に到った。そうして、神宮さんの車に乗って、殺戮鬼のマンションに向かうことになったのである。彩栄少年曰く、基本的なスタンスはやられたらやり返す、だそうだ。神宮さんの時のように、危害を加えるまでは何もしない、危害を加えた瞬間に鉄槌を下す。けれど、敵だと分かっているのなら、敵になるのだと分かっているのなら、牙を剥く前に、砕く。やられたらやり返す以前に、やられる前にやれ。

 さてさて、もう聞き出すべきことも聞いて、必要ないはずの俺がどうして未だに彩栄少年と一緒に行動しているかというと、

「人質兼話し相手です! 比率で言うと零対十ですね」

 俺に人質としての価値はないってことかよ……。


 ――無垢さんが言っていたことを、ここにきてやっと俺は理解した。なるほど、確かに俺はこの事態を当然のように受け入れている。最初からずっと、大した動揺をせず、平然としている。人が死ぬことを、人を殺すことを、それを当然としている人間と――人間なのか?――顔を合わせてのんびりと世間話をしてしまっている。

 けれど、これのどこが洋樹叶と同じなのだろう。無垢さんは、奈多さんは、こういった俺を、洋樹叶と近しいと、似ていると、断言した。

 全然違うように思える。いや、あの少女と俺では明らかに違うだろう。


 洋樹叶。

 金髪碧眼で、色白で、美しいというよりも、綺麗だと思える少女。

 実は俺より年上で十八歳。もしも学校に通っていたなら大学一年生になる。

 天真爛漫で、元気溌剌で、純粋無垢。

 家事のスキルが全体的に高く、料理上手。

 彩栄可想という科学者によって生み出された異常者。

 殺戮鬼を束ねるリーダー。

 人工的な異常者の例外である、偶然によって出来上がった唯一の 『本物のない番外』

 その異常は未だ不明――無垢さんが彼女の異常だけは教えてくれなかった。

『君から彼女に聞いてみるといい、喜んで教えてくれるよ』 だそうだ。

 一途で、一心で、一方的な恋する少女。

 俺のことを、俺なんかのことを、好きだと言ってくれた女の子。

 俺は彼女のことをこれくらいしか知らない。それくらいしか知らない。

 俺は何も知らない。彼女のことも、殺戮鬼のことも、彩栄椋のことも、自分のことも。

 それでも物語は進む。終わりへと進む。

 抗うことも出来ずに、俺は受け入れるだけ。

 現象を、現実を、結果を、結末を、受け止めるだけ。

 時間は待ってくれない。

 時は刻々と進む。

 止まらずに、過ぎていく。


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