4 そろそろ動きましょう。 ――前半
《安心しな、お前らは全員凡人に過ぎなくて、特別なんかにゃ絶対になれないよ》
by朱鷺宮奈多
洋樹の作った朝ご飯を存分に食し、奈多さんとの触れ合いも十分に楽しんだ午前十時。
俺たちの朝ごはんを作った張本人である洋樹叶が、未だに居間に顔を見せてきていないのである。
「まぁ、それは別にいいんですけどね」
「弟くんはかなちゃんに対してやたらと無愛想だよね。というか、冷たくない? 弟くんはアレか、釣った魚には餌をあげない主義なのかな?」
そんなことしたら魚が死んじゃうでしょうが……。命は大事にしましょうよ。
「そんなんじゃないですから……。どっちかというとですね、『勝手についてきた犬には保健所という引き取り手を用意してあげる』という優しさあふれる人間です」
「遠まわしかと思いきやダイレクトな死刑宣告!」
「アフターケアとかも保健所ならばっちりでしょ?」
殺処分したあとは、焼却されて灰になるんだとさ。病菌の問題とかで餌とか肥料にはならないとかで、まったく、手間が掛かって面倒なこった。
「もっとゆっくりとした老後を送らせてあげようよ……」
「人間ですらまともな老後を送ることができない人がいるというのに、犬畜生の分際でゆっくりとした老後とか舐めてますよねぇ」
「そもそも、その人間が勝手にペットにして勝手に捨てたのが原因だからね」
「はっ、そんなのは知ったこっちゃありませんね。『運が悪かった』 の一言で切り捨てることが出来ますから。大体、そこから這い上がる努力もしようとせず、他人に縋ろうとしている時点で俺はお断りです」
「どんだけ動物――というか犬が嫌いなんだよ弟くん……。なにか恨みごとでもあるのかい?」
「俺、猫派なんですよね☆」
あの自由気ままな性格、決して他人には迎合しない、そのくせにやたらと甘える。おねだりが上手。肉球がぷにぷに。冬とか寒いのかやたらとくっついてくる。可愛すぎるぜ!
「犬を病的なまでに嫌っているくせに理由が適当すぎるぅ」
はぁ、と軽い溜め息を吐いた後、ちらりと洋樹が寝ているであろう寝室を一瞥する。
「だいぶ話が逸れましたが、実のところはですね、俺は自分の生活を他人に干渉されるのが結構嫌いなんですよ。だからそれを、自分がされて嫌なことを他人には強要しないように努力しているんです」
出来ないときの方が多いけど、そこはほら、人間らしさってやつだ。これ、便利な言葉その一な。努力はしてるんだから、失敗してもいいし、間違ってもいい。『努力は汲んでやる』 良い言葉じゃないか、失敗でしかなくて過ちでしかないことを正当化できる。まったく、笑えるよ。ちなみにその二は考えてない。
「ほほう、じゃああれか、ソファで寝ていた弟くんに勝手に膝枕をしたのは嫌われる行為だったのかな?」
口角を吊り上げ嫌らしい笑い方をする。嫌われるなんて、そんなことは無いと確信しているのだろう。
「まぁ、本来だったらそうでしたね。けど、あの時は結構本気で恐れていた事態が起きたのかと思って、そういう感情が全然湧きませんでした」
「どんだけ貞操を失うのが怖いんだよ弟くん……」
お姉ちゃん、微妙に距離を取るのは止めてくれ。泣くぞ。
「魔法使いになるのは小さい時からの夢でしたからね!」
「純粋な夢に現実の迷信を掛けあわせたとき、ここまで酷い化学反応(?)が起きるとは思ってなかったよ私……」
「もちろん冗談なのでそんなにがっつりと距離を取るのやめてくれませんかね? ……本当はですね、始めては好きな人にって決めているからです」
本当だよ? ヨツヤマサキ、ウソツカナイ。
「その答えはまともだけど、なんでそんなに乙女チックなんだよ弟くん。ていうか真顔で言うな。少しは恥ずかしがれ」
はぁー……、と、社会人特有(?)の倦怠感溢れる溜め息をした後、奈多さんは俺から離れるのをやめて最初の位置に戻り、そのままテーブルに突っ伏す。ピクリとも動かない。
「あれ。死んだのかな?」
「そんなわけあるか」
と、不謹慎な発言に迅速にツッコミを入れてくる。どうやら死んではいないようだ。
「どうしたんです? 今さらになって疲労がやってきたとかですか? それって年を取った証k……」
目の前を何かが通過したと理解した時にはすでに後ろの壁に包丁が突き刺さっていました。
「四捨五入すればまだまだ私はピッチピッチの二十代だからさ。次、そんな不適切な発言したら弟くんでも殺っちゃうぞ☆」
奈多さん、その手に持つ包丁はいったいどこから出したんですか?
「次から発言は気を付けたいと思います」
女性に年の話をしてはいけないって店長が言ってましたもんね。俺ってば忘れやすいなー。
「うむうむ、そうやって反省するのはいいことだ。反省は人間を成長させるからね」
奈多さんはそんな当たり前なことを箴言のように呟く。けど、人間は反省するのが難しい生き物だから、そうやって再確認しなきゃ忘却してしまうから、お姉ちゃんの大人ぶった言葉も中々に大切かもしれない。
「反省はしています。でも、後悔はしていません!」
有名な言葉、これほど性根が腐ったような人間が発しそうな言葉はないと思う。
「そんなことを言う奴は崩壊しやがれ」
「わぁ手厳しい。とはいえ、その意見には概ね同意ですけれど」
「反省と後悔はワンセットだよ。どちらかが抜けた時点でそれらは機能しなくなる。反省すべき様なことをしてしまったのだと後悔するか、後悔するようなことをして反省をしろ。それらを踏まえて生きていくこったな若人よ」
「そっちの方がよほど箴言っぽいですね。それっぽい言い回しとか、ちょっと難しそうな言葉とか」
そんな俺の言葉は鼻笑いで一蹴された。どちらかというと一笑?
「こんなのはただの言葉だよ、普通の言葉。普通も普通、超普通。そんなに長い時間を生きていない私ですら考えつくような言葉だ。それを普通と言わずして何と言うのだろうね? ――ところで弟くん。近頃の若者はさっき私が言った 『超』 と 『普通』 を掛けあわせた 『超普通』 という言葉をたまに使っているようだが、よく考えなくても 『普通を超えてる』 と読まれてもおかしくないよね? というか、普通に考えればそう読むほうが正しそうだしねぇ。それどころか、年配者にはそうやって受け取られる可能性が高いんじゃないかなぁ?」
「そうですねぇ、近頃は個性 (笑) を大事にする風潮ですから、個性を誇張するための比較対象である普通も乱用され過ぎてもはや普通の定義が曖昧ですし」
大体、その『普通』を定めるのが人間の時点で、もうすでに曖昧にもほどがある。その人にとっての 『普通』 が当たり前な普通でも、その人以外にとって普通じゃなければ、それはもはや普通なのかどうかすら判断できなくなる。君にとっては普通でも、俺にとってはそれは異常だ。僕にとっての普通でも、君にはそれが異常なのだろう。そんなふうに、会話に齟齬が生じる。
ならば全人類に普通を聞いて、そのちょうど中間を導き出せばそれが普通なのかと問われれば、それは断じて否だと言えるだろう。
――例えばで、あくまでも仮定の話なのだが、九十九人の学生がいるとしよう。彼らに百点満点のテストを受けさせる。なんと平均点はぴったりの五十点だった。そしてただ一人、平均点である五十点を出した生徒がいる。結果的に言えば、その五十点を出して生徒こそが『普通』に分類されるのだろう。まさに中立の立場である彼を普通と呼ばずして何と呼ぶ? といった具合になる。じゃあそこに一石を投じてみよう。『彼を除いた残り九十八人の生徒たち、半分の四十九人は百点をとり、残りの半分は零点である』ということだ。このとき、五十点という平均点を叩きだした彼は本当に『普通』なのかという疑問を抱くことになる。四割強が満点、四割強が零点。そんな中、どちらでもない五十点を出した彼は本当に普通なのだろうか? 平均としてみればそうかもしれないが、数字上で見ると、大多数を占める両極端な点数のどちらにも属さない彼こそが『異常』なのではないだろうか?
あまりにも大仰で極端で馬鹿げた前提で話を勧めたが、おそらくこれで理解してもらえただろう。誰かが決めた普通も、みんなが決めた普通も、絶対のはずの何かが決めた普通も、それは結局のところ決められた普通でしかなく、本当の普通なのかどうかは分からずじまいなのである。
「さてさて、それじゃあ俺は普通なのかどうかすら分かんなくて、困っちゃいますねぇ」
人は普通であることを恐れるくせに、普通であることを望む。まさしく二律背反と言うやつだ。
忌避するくせに、望む。その気持ちは分からなくもない、俺だってそのクチだ。無個性は恐怖以外の何物でもない、でも、飛び抜けた個性は標的以外の何物でもない。良かれ悪しかれそれは面倒になる。だから、普通以外の個性が欲しい、けど、普通も欲しい。そう願うのだ。なんて我が儘で自分勝手なのだろうか、人間という霊長は。――あと、個人的にこの 『霊長』 という言葉も好きではない。自分たちが特別だと言っているみたいでなんか虫唾が走る。なにが霊の長だ。
「ああ、その点については安心しなさい。弟くんこと四谷真崎くん、君は至って普通で正常だよ」
殺戮鬼というグループの実質的なリーダーという、明らかに普通ではない人間に普通だと宣告されてしまった。普通じゃない人に普通だと言われてもその信憑性が怪しいったらありゃしないが、どうやら俺は普通らしい。嬉しいような悲しいような、そんな気持ちになる。――こんな気持ちになる時点で、まさしく普通なのかもしれない。
「まぁ、だからといって弟くんがスタンダードっていう意味ではないからね。私の言う『普通』は、『普通の範疇』に収まっているという意味なのだから」
「『普通の範疇』……ですか?」
「そ、普通の範疇。なんて言うのかな……、えーとだね、例えば弟くん。君は高校生だよね?」
あまりにも今さら過ぎるような質問だが、その通り俺はしがない高校生である。
「えぇ、そうですけれど」
「学校のクラスとかさ、個性的な子が結構多いでしょ? ノリのいい子。騒がしい子。暗い子。冷静な子。勉強が出来る子。リーダーシップを取る子。中心的な存在の子。今時の女の子をしている子。一人ぼっちな子。そんなふうに周りを見渡して話して聞いてみると、意外と個性豊かでしょ」
そう言われてみると、確かに同じ人なんかいなくてそれぞれがそれぞれに人間性(笑)を持っている。
「そして、その子たち自身も自分がそういった個性の持ち主であると自覚している。しっかりと自分の立ち位置を理解している」
でも、見ていてああいった個性ほど滑稽なものもないと思う。反吐が出るような、繰り返し過ぎて身に染み付いてしまっただけのような、ルーティンワークのような、あまりにも安易なキャラ達によって起こされる日常。――なんて、無様。
「あのまさしく型に嵌ったような 『高校生』 をしている茶番劇が繰り広げられるのは、まさしくそれが原因ですよね」
「そうだけどさぁ……、弟くんはなんでそんなに尖った言い方をするのかねー。学校に嫌な思い出でもあるのかい? 現在進行形で学生のくせに」
奈多さんの口調は、呆れや嫌がらせより、皮肉を込められた軽い言葉だった。俺がどういう人間かを見抜いている上で言っているのだろう。嫌らしい人だ。
「嫌な思い出っつーか、見ていて嫌なだけです」
だから、それだけの言葉で伝わったらしく。満足そうに頷く。
「はっはっは。まぁ、そんな個性豊かな君たち高校生も、私から言わしてみれば全員普通の人間だよ。ノリがいい子も騒がしい子も暗い子も冷静な子も勉強ができる子もリーダーシップを取る子も中心的な子も今時の女の子も一人ぼっちも、全員が全員、特徴の頭に 『普通の』 という文字がもれなく付属されてしまうのだー。
残念なことに、可哀想なことにね。
要は、君たちは全員凡人であり凡夫であり平凡であり正常であり普遍的ってこった。どんだけ個性を強調しようがそれは結局普通の範疇だよ。お前らは特別でもなけりゃ異常でもないし、ましてや特殊でもない。安易なキャラ付けも普通の範疇を右往左往しているだけに過ぎない。どんなに足掻こうが凡人は凡人。特別にはどんなに頑張っても努力しても一生なれないよ」
あまりにも上から目線の、核心を衝くような、絶対的なまでの確信をもって放たれた宣告。
「――いや、大丈夫ですよ。俺は特別なんかになろうとは思ってないし、特殊に扱われたいわけでもないし、ましてや異常に憧れているわけでもありませんから……。でも、まぁ、現実を教えてくれてありがとうございます。その言葉を心に留めて残りの人生を雑に頑張ろうと思います」
「適度に努力したまえ、若人よ」
奈多さん、そのセリフはどっちかというと老人が言う言葉だから。あなたの年で言ったら違和感しかないから。
「でもね、お姉ちゃん。俺は、だからこそ疑問があるんだよ。未だに納得いっていない疑問がさ」
結局は俺だって普通だ。奈多さんの言うように普通に凡人。スタンダードではないけれど、異常ではない。普通の範囲に収まるようなちっぽけな人間。だからこそ、それなのにどうして――
「かなちゃんが君にゾッコンなのかってことなのだろう?」
「だからナチュラルに人の心読むのやめてくれませんかねぇ⁉ なんですか? あんたら殺戮鬼のメンバーはそんなに人の心を読むのが好きなんですか⁉」
「恋は下心って言うだろ? それとは別に出来心でもあるのだよ弟くん」
完全にスルーして話を進めやがった……。うん、まぁいいや。いちいち気にしていたらやってられない。
「へぇ、その心は?」
「つまりは故意でもあるのさ。具体的に言うと私がかなちゃんに君をオススメしたんだぜ! いやー、実は前々から君のことは弟に欲しいと思ってたんだよねー。ただ、警戒心が強そうだったから間にワンクッション入れようと思ったら、ちょうどいいところにかなちゃんという恋い焦がれそうな乙女が!」
「すべての原因アンタか‼」
告白とかを急かせて拉致らせた無垢さんが元凶ならば、そもそもからして洋樹に俺をお勧めしたこの人はまさに原因である。
「恋とは、故意に落とされていることもあるのだ」
「それっぽく言ってんじゃねぇよ!」
―――×××―――
「といった軽い冗談は置いといて」
「どこからどこまでが冗談なのかを凄く教えてもらいたいんですけど……」
当然のごとく、俺の言葉は無視だ。無視って言うと刺々しい感じがするけれど、スルーっていうと軽い感じになるよね。言葉っておもしろーい。
「どうしてかなちゃんが君に惹かれたのかとかさ、正直言って私には全然分かんないね。まぁ、そりゃそうよね、だって私はかなちゃんじゃないから。人間には化け物の気持ちなんて理解できないよ。
――そもそも、人間の気持ちだって理解できているのかどうかすら微妙だしね。
ただ、私なりに独断と偏見と中途半端な人生経験を踏まえての適当な解釈ならあるけれど、どう? 気になる? 気になっちゃうよね弟くん?」
「情報というか、考察は多いに越したことがないので普通に気になりますけれど、なんでそんなぐいぐい押してくるんですか……」
確証があるわけではないとはいえ、それが答えである可能性だってあるし、正解にかすっている可能性だってある。多くの情報をもとに多角的に見つめ、それらの考察を基礎として結論を導き出す。ブレインストーミングみたいなもんだ。
「私が思うにだね、真崎くんとかなちゃんはいわゆる似た者同士なんだと思うよ。似ているからこその共感で、近いからこその憧れで、同じだからこその愛だ」
だから、この人たちはそうやって平気そうに愛を躊躇なく言うけれど、恥ずかしくないのかね……。
「俺と叶が似ている? いやいやいや何言ってるんですか、どこも似ていないでしょうが。あんなに逸脱した異常と一般人である俺を似た者同士とか……、その眼球腐っているんじゃないですか?」
「おいおい、もう少しは歯に衣着せて喋ろうよ……。その言い方にはお姉ちゃんちょっと傷ついたよ? 傷物にされたよ? もうお嫁にいけないよ? 弟くんに貰ってもらっちゃうよ?」
もしそうなった場合、洋樹はどう動くのだろうか。全然、想像がつかないな。
「というのも勿論冗談さ。かなちゃんは優しい子だからねぇ。もしそんなことになったら、悲しさのあまり死んじゃうと思うし――全人類を巻き込んで」
「さらりと怖いことを言わないでくださいよ……」
東京タワーを一人で捻曲げることが出来るぜ! とか豪語しちゃっているような人がいる集団の象徴的なトップだ。それが本当なのかどうかはわからないが、もし本当だとしたら、洒落になっていない。
「それと弟くん。弟くんは否定しているけれど、君とかなちゃんは似ているよ。私が断言してあげる。確かに君は普通の範疇を出ることが出来ない 『普通のズレた少年』 だ。そしてかなちゃんは普通の範疇から外れている 『異常にズレた少女』。弟くんとかなちゃんの間には一本、異常と普通を仕分ける線が引かれているとしよう、君たちはその線を挟んで向かい合っている。その差は小さいようで実際はとても大きい。まさしく一と零の概念――有るか、無いか。それと同じくらいにその差は致命的だ。でもね、それだからこそ君たちはとても近い。そんな異常か普通かを仕分ける線なんて関係なく、弟くんはかなちゃんに似ていて、かなちゃんは弟くんに似ている。弟くんは普通の範疇にいるけれど、そこから一歩出たときに真っ先に重なるのは、かなちゃんなんだ。保証してあげよう。弟くんよりかは無駄に長生きした私が言ってあげる。君が何かの拍子で踏み外したとき、そこにいるのは他の誰でもない、洋樹叶だ。それくらいに似ていて、近くで、同じ。誰よりも自分のことを理解してくれそうなそんな人間、そんな人を自分にとっての特別だと思うの当然だろう?」
自分に近いから、自分にとっての特別だと思う――そうなのだろうか? 自分に近いからって、それが特別だとは限らないのではないのか。そもそも、近いかどうかさえ、微妙なのだ。
「俺には人を見分けるような能力は無いに等しいので、もしかしたらお姉ちゃんの言うことが正しいのかもしれません。いえ、今回は正しいとしましょう。俺にはよく分からないけれど、俺と叶は似た者同士である、とします。でもお姉ちゃん。そんな些細な理由で人を好きになりますか? そんな些細な理由で人を気になりだしますか? 場合によっては、同じであるということは欠点も同じということで、見たくないような自分が見えてしまうことだってあるんですよ? 同族嫌悪という言葉がいい例じゃないですか」
「どうしても弟くんは後ろ向きに物事を考えたいようだね。その考え方が私個人としてはかなり好きなんだけど、まぁ、なんでもかんでも否定されるというのは存外、気分が悪くなるもんだねー。ゾクゾクしちゃう」
なんだ、ただの変態か。
「うん、まぁ、確かに似た者同士ということは、自分のどうしようもない欠点を見せつけられるということだからね。けれど、私はあえて弟くんには同気相求という言葉を教えてあげたいね」
「どうきそうきゅう? なんですかそれ?」
「同じ気で相求むと書いて同気相求さ。言ってしまえば同族嫌悪の反対だよ。同じだからこそ、同じ欠点を持つからこそ、似ている悩みを抱えているからこそ、分かり合えて、理解できて、受け止めることが出来るんじゃないかな? 少なくとも、私はそう思う」
「………」
奈多さんの言葉を脳内で反復させるけれど、それはしっくりとこない。
「納得いかないって感じの顔だね。まぁ、そんなのはいつか理解できる時が来るさ。いや、来ない可能性も十分にあるんだけど」
「どっちだよ……」
そんな曖昧で無責任な言葉では、余計に確証が持ちづらくなってしまう。
「どっちでもないさ。それは弟くん、君が決めること。君自身がいつか、自信を持って決められるようになりなさい」
投げやりだが、その実一番正しいであろう人生の先輩からのお言葉。
そう、他人に意見を求めてもいいけれど、最後に決めるのは結局自分だ。どんな結末になろうと、どんな結果になろうと、どんな最後になろうと、それを決めた俺自身に責任はある。他人の言葉に影響はされても、それを信用しようとも、実行しようとも、最後は自分が全てを負うのだ。
「そういやお姉ちゃん、叶ってどれくらい前から俺のことを知っていて、俺のことをいつ頃から好きになったんだ?」
これは個人的に気になることだった。俺自身はこの人たち全員と面識がないが(忘れているだけの可能性とかはこの際知らん)、この人たちは俺のことをある程度は知っているような言い方をしている。奈多さん自身が前々から目を付けていたって言うし、それが分かれば俺がいつからこんな異常な世界に関わりそうになっていたのかが分かる。超能力を信じていなかったあの頃が懐かしい。
「私が弟くんに目を付け始めたのは弟くんが高校生になってすぐかなー。それで、かなちゃんに弟くんを紹介したのはそれから約三か月後。最初は不安そうな顔をしていたかなちゃんも、私とストーカー紛いのことをしているうちにすぐに弟くんの魅力に気づいてくれたよ!」
「さらっと言ったけれど、俺のプライベートというかプライバシーは、実は有って無いようなものだったんですか⁉」
おいおいやべーよ。思った以上に片思い期間長かったよ――今も片思いみたいなものだけれど。一年以上も片思いしといて相手に顔を覚えてもらってないってどんだけ奥手なんだよ洋樹叶。これはあれか、もの凄く迷惑な行為だったとはいえ、告白を急がせた無垢さんは意外と普通にいい人だったんじゃね?
「かなちゃんとか、一時だけれど色々と手回しして弟くんの学校の生徒として転入したのに、全然気づいてもらえなかったらしいんだよ? 『眺めているだけで十分だから』 とか満足そうにかなちゃんが言うものだったから、私たちも良しとしていたけれどさー」
何その可愛い発言。けど、そうか。そうすれば、昨日の洋樹の俺に対する告白の意味は理解できる。
「あー、それにしてもお姉ちゃん。同じ県内とはいえ、このマンションから電車で乗り継いでも一時間は掛かる場所に住んでいる俺をよくも見つけたとか言うか、目を付けたというか、なんというか……」
そのことが純粋に不思議だと思う。一体どういう偶然で、俺を見つけたというのだろうか。
「ふっふっふー、弟くんや。これでも私はね、読書家なんだよ」
「はぁ……」
読書家アピールで新たなキャラ付けでもしようとしているのだろうか。
「それで私は、結構マニアックなものも蒐集しているんだけど、いかんせんそういったものは中々手に入らなくてねー」
「あー………」
なるほど、オチが読めた。
「そんなわけで、ここから一番近くて、痒いところまで手が届くような品揃えをしているマダガスカル書店の常連さんであった私は、高校一年生の新人バイトだった君を見てビビッと来たわけさ!」
あ、やっぱりね。うん。
……バイトする店、間違えたかな。
―――×××―――
俺が現在、こうしてここで殺戮鬼の人間と対面して、のんびりと会話をしているというのは、日常ではないのだろう。告白されて、拉致られて、人が殺されて、変な能力を見せられて、アパートを解約させられていて、見ず知らずの少女と同棲することになる。うん、全く以ての非日常だ。さてさて、この非日常は、俺の日常になってしまうのか? それが今のところの疑問だったりする。夏休みだからこそ、こうして殺戮鬼の人間たちと一緒に行動も取れるし、生活もそれに合わせていられる。じゃあ、夏休みが終わったとき、その時には、俺の日常は帰ってくるのだろうか? 学校に通って遊んでバイトして勉強して考えて自堕落に生きるという俺の日常は戻ってくるのだろうか? もしかしたら、それはもう取り戻せないのではないのだろうか。非日常であるはずの異常が、日常の通常として俺の中に納まってしまうのではないのだろうか? そう考えると、少しだけ背筋が震えた。『人間とは成れる生き物ではなく、慣れる生き物だからさ、なんだって時間の問題だよ』 嫌な言葉を思い出した。弟の言葉だ。弟はいつだって意味深なことをほざいて、その言葉の真意をはぐらかして、教えてくれないまま死んだ。――そのくせに、こうやって意味がある程度分かるころに、俺の中で生き返る。生き返って、心を重くする。面倒くさい奴だ。
「はぁー、それにしてもここ最近は色々とあり過ぎて頭が痛いですよ……。なんか知らなくてもいいことを知り過ぎて、面倒な感じです」
弟のことを思い出したとはいえ、思い出しただけだ。そこから回顧したりはしない。アイツのことを思い出すのは、時間の無駄だろう。思い出す価値はあろうとも、その価値に意味を見いだせない。だから、奈多さんとの会話に花を咲かせようと思う。
「おいおい何言ってるんだい弟くん、この世に知らなくてもいいことなんて一つもないに決まっているじゃないか!」
冗談が半分どころか全部で言っているのが分かるほどに白々しい棒読みだった。奈多さんはきっと役者には向いていないな。まぁ相手が冗談なのだ。こっちだって冗談を言えばいいだろう。
「親父の特殊な性的嗜好とか知った日には軽く寝込みましたけどねぇ……」
実話だ。
「……そ、それは確かに知らなくて良さそう、というか知りたくないことだねー」
そのシーンを想像したのか、気の毒そうに俺を見る奈多さん。
「あっさりと意見を覆しやがったよこの人」
「手のひら返しは大人の専売特許さ」
「こんな大人にはなりたくねぇ!」
澄まし顔で言うことではないと思うんだ。
「とはいえ、実際に弟くんにそこまで負担になるようなことってあったのかい? 私の見立てではそこまでヤバいものは見せてないし、見せるとしてもまだまだ先の予定なんだけどな……」
先ほどまでの白々しさを余所に、奈多さんは不思議を隠せないと言った表情で――いや、もっと明確に言うならば、『その程度で君が負担を覚えるなんて、驚きでしかない』。といった感じだ。心外である。確かに奈多さんの言うとおり少しばかりずれていて、人が死ぬことに対してある程度の耐性があるとはいえ、それでも、目の前で人が挽き肉になる瞬間を見せられて、精神に負荷が掛からない人間なんていないだろうが。――それが奈多さんの言う、普通の範疇をズレない程度の俺ならば、当然のごとく。
「いやいやいや、だからといって、一番身近に思えるかもしれないような無垢さんの超能力だからといって、それを使って目の前で人を惨殺されればキツイでしょうが。あの映像は中々にショッキングですからね?」
だから、当然のように、その旨を伝えた。
「――――え?」
飄々としているように思えた奈多さんが、俺の言葉に固まる。
その瞬間『何か』が停止した。それと同時に、気持ち悪い『何か』が動き始めた。
「ちょいと待ってよ弟くん。今、君は何と言った? ――君は今、誰が、何をしたと言った⁉」
あまりにも露骨な奈多さんの狼狽え、彼女は俺の肩を強く握り締める。メキメキと俺の肉を抉るように喰い込む奈多さんの指。とても普通の女性が出せるような握力ではなく……、痛い。
「ちょ、痛いですお姉ちゃん。止めてください。俺の肩を潰すつもりですか?」
無実である(はずの)俺の肩を助けるために、質問に答えるよりも先に自分の要求を通す。
「あ、あぁ……。ごめん。痛かったか……」
奈多さんはすぐに落ち着きを取り戻し、手から力を抜く。それでも、俺の肩から手を離しはしなかった。とはいえ、こちらの要求は通ったのだ、向こうの要求を通さない義理はない。
「えーとですね。俺が殺戮鬼と関わりを持って二日目。つまりは歓迎パーティの次の日に、俺は無垢さんに連れられて、無垢さんの仕事を見ることになったんですよ。見るからに危険といった感じの風貌の人たちを、しっちゃかめっちゃかに掻き混ぜるように無垢さんが殺して、その後、俺は無垢さんに殺戮鬼の概要を教えてもらったんです。みなさんのこととか――」
「散楽坂無垢との部分をもっと詳しく」
うろ覚えながらもなんとか簡略的に話をまとめようとしたのに、途中で遮られた。
「えぇー……」
記憶力に定評の無い俺である。思い出すことは苦手なのだが、奈多さんの真剣な目に反論することは出来ず、あやふやな記憶の糸を手繰り寄せ、解き、無垢さんとの行動を頑張って思い出しながら話す。
「――――――――」
かくかくしかじかと言うこと数分。漫画的表現で言えばこんな感じになっていたであろう、そんなぐだぐだな俺の説明を一分の漏れもなく聞き逃すまいと真剣に聞く奈多さん。
そして話を聞き終わり、奈多さんは思案に耽るように顎に手を添え、
「……弟くん、散楽坂無垢は君を連れて仕事に向かったんだよね?」
先ほど俺が言ったことを、そのまま疑問文にして返してくる。
「はい、そうです」
「あの日、散楽坂無垢は非番のはずだった。なのに、どうして、君を連れて仕事に向かうことになったの?」
殺戮鬼の参謀である奈多さん、そういった情報はしっかりと握っているのだろう。
だからこそ、その先を知らないということがおかしかったのだ。俺はそれに気づかなかった。
「なんか、目で見て分からせるためとか言って、ケータイを使って手筈を整えてたようですけど」
「それがおかしいんだよ。――いや、おかしいということが弟くんには分からないのか……。殺戮鬼の仕事というのはね、全部私が管理しているんだ。それがどんな仕事でも、内容でも、必ず私を経由するようになっている。殺戮鬼とのコンタクトを取れるのが、私しかいないから
――あいつらは、人見知りなんだよ。人になりたいと思っているくせに、人を理解できていないから、恐れている。だから、あいつらは知り合い以外には積極的に関わろうとはしない」
そして奈多さんが、彼女こそが、その人見知りを加速させているのかもしれない。人と関わらなくてもいいような環境を作って、その檻の中に、殺戮鬼を閉じ込めて、飼い慣らす。なんて、今思いついただけの言葉を、口には出さず、破棄していく。
「じゃあ、あのとき無垢さんはお姉ちゃんに連絡を取っていたんじゃないですか?」
そんな浅い考察は案の定、駄目出しされる。
「私にそういった連絡は一切来ていない。そして、私は散楽坂さんが受けたというその仕事を知らない。大体、おかしいとは思わなかったのかな弟くん? 非番だと言っていた人間が、そんなに都合よく、本人の希望通りに事を勧めることが出来るなんて……。それに、散楽坂さんは、その仕事の現場になるマンションの鍵を、その場で依頼を受けたにもかかわらず、所持していたんだよね? どうして、非番だと言っている人間が、ましてやその場で受けたはずの仕事に必要な鍵を、持っている?」
「あー……」
そう言われてみれば、確かに、無垢さんが言っていることにはおかしなところがあった。とはいえ、それに関して俺が責められるいわれはないだろう。たかが一般人で、そのようなことに巻き込まれたに過ぎない俺だ。そもそも、殺戮鬼のシステムというものだって今さっき知ったばっかりだ。そのときの情報だけで、無垢さんの行動をおかしいと断定するのは、不可能といって良いだろう。
その旨を伝えようと口を開こうとしたが、頬を掻きながら奈多さんは言葉を続ける。
「とはいえ、まぁ、弟くんは殺戮鬼のことなんて全然知らなかったんだ。分からない方が、普通だよね」
弁解するまでもなく、奈多さん自身が俺の擁護をしてくれた。
なんだこれ、蔑まれたと思ったらそれと同時に援護が入る。新しい一人二役を見た気がする。
「散楽坂さんが――――関連を持つ―――――だとしたら―――――可能性としては――――異常者の―――――非合法――――人身売買――――つまり―――!」
俺のねじが一本ずれたような早いとも遅いとも言えないような思考速度とは違って、奈多さんはブツブツと呟き、何かに閃いたかのように顔を上げる。奈多さんは急いでポケットにあるタブレット型端末を操作し、俺の顔の前に持ってくる
「弟くん! 散楽坂さんは、そのターゲットから封筒を受け取っていたんだよね? それで、そのターゲットは、こんな老人だった⁉」
画面に映るのは、まさしくあの時無垢さんに殺された、着流しのよく似合う白髪の老人だった。こうやって見ると、この老人の見た目は俺の理想像と言ってもいいんだよな。将来はこんな感じに威厳がしっかりとあり、それでいてどこか侘しさを含んだような、哀愁と愛嬌の入り混じったこんな老人に俺はなりたい。俺に将来があるかどうかが不安だけど。
「はい、断言ができるわけじゃないですけれど、それでも、十中八九その老人であると言えますね」
記憶力が残念なことは多々あるのだけれど、自分にとって気に入ったものならば、常人程度の記憶力を発揮できると胸を張って言える。――とはいえ、人間誰だって程度に違いはあるとはいえ、興味の無いもには酷く無関心で、興味深いものには異様に能力を発揮できるんだよな。
そう考えれば、やっぱり俺は普通だ。
「ああちくしょう。予想通りじゃないか! 嫌な予感も邪まな推測もいい感じに外れて欲しかったんだけどねぇ!」
女の子(……子?)がちくしょうとか言ってはいけません。
奈多さんがそんな乱暴な言葉を使ってしまう程に事態は切迫しているのだろうか? いまいち展開が読めていない俺は、訳も分からずぬぼーっとすることしかできない。
「それでお姉ちゃん、その老人が――無垢さんに銃殺されたその老人が、どうかしたんですか?」
奈多さんは綺麗な黒髪を乱雑に掻きながら、今一度老人の映ったタブレットを俺に向け、口を開く。
「いいか弟くん、この男はだね。特殊で希少性の高い貴重な人間を主に取り扱う、そういった人身売買組織の首領なんだよ」
「人身売買ですか……」
そういった事業が日本でも成立しているのかと、感心をする。と同時に奈多さんが何を伝えたいかだけは理解した。
「あー、殺戮鬼のみなさんとか、とっても縁がありそうな連中じゃないですか」
「そうね、縁は実際にあるわ。彼らと私たちは、お互いに相互扶助の契約をしている。言いようによっては、悪い意味での、腐れ縁ね」
――いや、これだともう、過去形にすべきなのかな。『契約していた』 が正しいかな……。
と、老人が死んでいるということを考えて、訂正を入れる奈多さん。
「とりあえずお姉ちゃん。展開が急すぎて未だに話についていけてない――ここにいるのは二人だけだというのに――不甲斐無い俺に、現在何が起きているのかを教えてくれませんか?」
俺の言葉に何を思ったのか――思っていない可能性もあるが――、奈多さんはおもむろにタブレットをいじくりだし、慣れた手つきで画面を操作し、流し見ていく。何かを確認することが出来たのか、一度溜め息を吐く。そして俺の方を向く。
「いいよ弟くん。今呼んだ奴はあと十分ぐらいでここに到着するらしいし、それまでに色々と教えてあげるよ。――今ね、かなりヤバかったりする。下手したら、散楽坂さんが惨殺されているかもしれない」
―――×××―――
「とは言ったものの、まぁその可能性はそこまで高くないと思うんだよねー」
「一瞬とはいえ、俺の緊張感を返してください。無駄に寿命が縮んだ気がします」
「よーし、それじゃあ理解力の無い弟くんに色々と説明してあげようじゃないか!」
「俺の言葉を無視すると同時に俺を貶めるとか酷くない?」
「さて、原点回帰と行こうか弟くん。私たち殺戮鬼は、何を目的として行動していますか?」
「あ、これもスルーね。……お姉ちゃんを除く、殺戮鬼のメンバー全員の異常性を取り除くことです」
「正解。じゃあ、そのために今私たちがしようとしていることは?」
「彩栄椋という人物の 『目』 を物理的に奪うことでーす」
「うんうん、ちゃんと頭は機能しているようだね。それが飾りではないことが分かったよ!」
「お姉ちゃん、今またナチュラルに暴言を吐いたな……。実は俺のことバカにしている?」
「大丈夫だって、今のは軽いジャブだよ」
「この後もっと凄いストレートやフックやアッパーが来るのかと思うと気が気じゃないんですけど!」
「間違えた、軽いジョークだよ」
「最初の一字しか合って無いというのに……」
「その目的を達成するための手段の、 『目を奪う』 ということを成し遂げるために、私たちは日々を頑張って生きています。そのためにはどんな手段だって選ばないつもりだし、犠牲だってあるものだと考えている。とは言っても、人見知りの異常者たちだ。腐敗や汚濁なんかと、面と向かって相対してきたのは主に私こと朱鷺宮奈多だったりするよー」
「よっ、お姉ちゃん穢れてるぅ」
「その言い方だとお姉ちゃんが変態みたいに聞こえるから止めようぜ弟くん! とまぁ、そうして私が関わってきた人物や組織には、まぁ、まともなのがいないね。さっき弟くんに見せたような、人身売買とかさ。さて、それで話はその『希少価値の高い商品を取り扱う』会社の話になるんだけれど、ここで問題だ弟くん。そういった『希少価値の高い商品』として、異常者はとても分かり易い――尚且つ利便性の高い『商品』であることは理解できるよね?」
「まぁ、こうやって異常なまでの暴力性を備えた『物』なんて、支配する側の人間たちからしてみれば、酷いくらいに、うってつけで、都合のいいものなんでしょうね。世界を支配するのはいつだって力なわけですし」
「知ったような口を利くじゃないか弟くん」
「知ってはいなくとも理解は出来ているつもりなんですよ」
「まぁ、実際に概ねそんな捉え方でいいと思うよ。本来なら、私たちと彼らは、狙い狙われる関係で、こちらからしてみれば迷惑極まりない相手になるはずだった。
そりゃそうなるだろう? あいつらは珍しい人間が欲しいんだ。この殺戮鬼なんて、まさにうってつけの得物だ。けど、彼らは彼らで異常者というモノに関わりを持っているからこそ、それを捕らえるのが容易ではないということを理解している。ただでさえ、異常者というのは危険性が高いのが多いというのに、代替品のくせに天然を上回るような暴力性を内包した殺戮鬼の連中だ。敵対された時のリスクがあまりにも大きすぎるんだよ。天然の異常者ですら、一個師団を壊滅させるぐらいは出来たりするからね。そして、天然に対して暴力性のみが凌駕しているのが、集団で敵に回るのはあまりにもリスクが高い。けど、見逃すにはあまりにも大きすぎる大物だった。そこで私がビジネスを持ち込むわけだ。
――契約をしましょう。あなた達は、私たちを襲わない。私たちは、あなた達を襲わない。
まぁ、要約しちゃえばこんな内容だ。なに? そんな簡単に話が済むのかって? そんなわけないだろうがこの馬鹿野郎。他にも情報の提供とか、邪魔者を積極的に潰しにかかるとか、その他いろいろあいつらが私たちに牙をむかないように条件を出したんだよ。とはいえ、もちろんそこは敏腕お姉さんである私の出番だ。奴らばっかりが得をするのはいただけない。そんなんじゃ殺戮鬼だって納得しない。
まぁ、普通程度に頭の回る弟くんだ。もうすでに理解しているだろう?」
「――えぇ、まぁ、たぶん」
どんなに超常的な能力を所有していようとも、結局は殺戮鬼。その名の通り、殺戮する鬼。その力は暴力に特化しているだけの、殺すことに長けているだけの、ただの鬼。人外であるだけの、鬼。
殺戮鬼なんて、少ない人外が身を寄せ合っているだけの集団。広い世界から、一人の少年を探すのは困難だ。それに必要な時間は莫大だろう。
「だから、そういった『物』を取り扱うことに長けている、言ってしまえば異常者を見つけ捕らえることを専門とする組織に、その道のプロに探してもらうことにした、と。殺戮鬼の標的である彩栄椋を」
「そういうことでしたー!」
わー、パチパチー。と、口で効果音を付けながら音のしない拍手を俺に送る奈多さん。
「そして、あいつら。なんと彩栄椋の居場所をすでに特定していやがったんだよ!」
先ほどから、本当に事態が切迫しているのか語尾というか口調が荒くなっている奈多さん。
あぁ……、とても人間らしいなぁ、お姉さんぶって、困ったことが起きると冷や汗をかいて、慌てると本音が出て、なんやかんやで自分本位。人間だ。見ていて安心するくらいに、人間をしている。
これが人間なのに、これぐらいが人間なのに、なんで彼女たちは、そんな人間になりたいと願うのだろう。そんなのを目指したところで、なにも得るものはないというのに。
それでも彼女たちが、彼女が、人間を目指すわけは――
「そして、本来ならその情報は私に寄越されるはずだった。ところがどっこい、それは私に知らされず、なぜか散楽坂さんの手に渡っているときたもんだ」
まぁ今までの話から考えれば、あの時老人から無垢さんが受け取っていた封筒がそれであったことは明確だ。奈多さんから説明を受けるまでもなく、理解できる。ただまぁ、理解できていない点があるとするならば。
「お姉ちゃんはどうやって、彩栄椋の居場所を――その人身売買組織と無垢さんしか知らないような情報を知っているんですか?」
いや、違うか。どうして居場所を知っているわけじゃなく、どうして居場所を特定したという情報を知っているのかというのが疑問なのだ。だってその情報は、老人が死んでしまった今、無垢さんが殺戮鬼のみんなに内緒で彩栄椋を殺戮しに行った今、奈多さんには知るすべなどない筈ではないか。
「うん? あー……、最近の人間は何でもかんでもデジタルで済まそうとする傾向にあるけれど、あんまりよくないと思うんだよね私は。だってほら、電脳世界は繋がっているんだよ?」
思ってもいないような、白々しい喋り方だな。
「バックアップをわざわざオンラインの機器に入れとくとかさ、盗み見てくださいと言ってるようなものだからねー」
けらけらと、笑う奈多さん。性根が腐っているわけではないのだろうけれど、捻じ曲がっているんだなと実感させてくれる笑顔だ。
とりあえず俺は、パソコンには大切なデータを入れない。そう心に誓うことにした。
―――×××―――
特別なものに憧れる時期があった。人間ならばすべからく子供時代というモノが存在するだろう。そのときに、そんな無理難題な憧れを抱くのは、誰もがみんな経験済みだと思う。
ヒーローになりたい。パイロットになりたい。カウボーイになりたい。剣士になりたい。忍者になりたい。侍になりたい。海賊になりたい。探偵になりたい。英雄になりたい。エスパーになりたい。魔法使いになりたい。
まぁ、人それぞれ、豊富な選択肢から様々なものを選んでいただろう。
俺が憧れていたのは、仮面ライダー。日曜の朝、幼い時から早起きがあまり得意ではない俺が、朝の気怠さに押しつぶされながらも毎週見逃さないように見ていた俺のヒーロー。俺は純粋な目をキラキラと輝かせ、強い敵が出てくる度にハラハラさせながらも必ず倒してくれる格好いい存在に尊敬を覚え、憧憬した。幼稚園の先生に、将来の夢を聞かれた時は笑顔で仮面ライダーと答えていた。嫌がる弟を公園に連れ、泥まみれになるくらいごっこ遊びをした。
楽しかったなぁ。面白かったなぁ。世界が輝いてたなぁ。
――いつからだろうか、仮面ライダーを見るために早起きをしなくなったのは。
幼稚園の先生はいつもの笑顔を浮かべて「なれるといいねー」と否定せずに期待させ、お母さんは「きっとなれるよ」と無責任に確信させた。いつかはなれるのではないかと勝手に希望を持っていた。けれど成長するうちに、それが虚構であることを知ってしまう。フィクションであると、実在しない人物団体地名存在だと理解してしまった。
先生やお母さんの言葉に憤りを感じるより先に、悲しかった。仮面ライダーなんて本当は存在しなくて、怪人なんかいなくて、俺が特別な存在になんてなれないということを知ってしまったから。
幼少の時からすでにリアリストでシニシストでニヒリストの片鱗を見せていた弟は、そんな俺を嘲笑ってこう言ってくれた。
『大丈夫だよお兄ちゃん。お兄ちゃんがヒーローになれないのと同じように、だれだってヒーローにはなれないんだ。そう悲観するこたーない。だれだってふつうだ。セカイはふつうだ。特別にあこがれるひつようなんてないんだ。だって、そもそもからして、特別なんていないんだからさ』
――そういえば、このときはまだ俺のことをお兄ちゃんと呼んでくれていたな我が弟は。なんて、昔の弟を思い出して――今も昔の存在ではあるが――しみじみとしてみる。
けれど、その言葉に救われてしまったのだから、俺という人間は何処か捻くれているのだろう。
――俺が特別になれないように、誰だって特別にはなれないんだ。そう考えれば、まぁ、いいかな。
なんて、そんな後ろ向きなことで手打ちした。自分になれなくても、他の誰でもなれないのなら、諦めがつく。そんな突飛な考えで、俺は納得することにした。
それも今となっては随分と前の話なのだが、今となってはどうだろうか。
弟よ。不甲斐無い兄を見下し続けた愚弟さんよ。お前の言葉は、今になって、間違っていたよ。
だってさ、目の前にはいるのだ。
ヒーローではないけれど、正義の存在ではないけれど、それでも、特別だと言えるような存在が。
でもさ、不思議と、俺がそれらに対して抱く感情はあまりないんだ。羨ましいとか、恨めしいとか、切ないとか、悲しいとか、理不尽な怒りとか、全然湧かない。
なんでだろうな、あれほどまでに憧れた特別が、俺にはなれない特別が、こうやって目の前で当然のように生きているというのに、なんにもない。
普通に慣れ過ぎたのだろうか、特別に興味がなくなったのか、ただのやせ我慢か。まぁ、理由なんてどうだっていい。俺は、こうやってお前の考えが間違っていると教えてくれる存在に会えたことが、少しだけ嬉しいかもしれないよ。目の前で死んでいた弟。気付いたらいなくなっていた弟。そのくせして、俺の中で癌細胞のように生き続け、消そうとしても消えなくて、日に日にその存在を増す弟。お前という存在はちょっとした呪縛だよ。俺を守るための鎧で、俺を縛るための鎖だ。俺の考えを先回りしたように、その実洗脳のように誘導していったお前の残骸。
見ろよ。確かに俺は特別にはなれないのかもしれない。けどさ、特別はいた。それも、とびっきりのが。
お前は間違っているのかもしれない。いや、たとえ正しくても、俺はお前の言葉に振り回され過ぎだと思う。だから、お前の言葉が間違っていると実感できた今回、これを機に、お前を忘れていこうと思う。お前の死を流そうと思う。お前に流されずに、自分の意思で進んでいこうと思うよ。
たとえこの後に待っているのが悲劇でしかなくて、惨劇でしかないとしてもさ。
仮面ライダーは今でもバリバリ見てるぜ弟。録画予約って便利だよな!