3 シリアスとコメディが紙一重
《夢は使い捨てだ。代えなんていくらでもあるし、いくらでも新調できる》
by四谷真崎
帰巣本能という言葉を聞いていて思ったのだが、はたしてそれは人間にも適応されるのだろうか、ふとそんな疑問を感じてしまう。帰巣本能というのは動物が自分の巣に帰ろうとする本能、または能力などを示すらしい。有名どころを上げるとするならば、鳩などが顕著だそうだ。くるっぽー。
そして、それが人間に適応されるのかどうかと考えれば、それは微妙な気がする。たとえば、北海道歴三〇年の男性(別に女性でもいいのだろうけれど)が沖縄へ引っ越したとしよう。彼にとって北海道とは住み慣れた土地であり、そここそが彼の巣であるといっても過言ではないだろう。けれど、そんな北海道こそがマイホームグラウンドだと胸を張って言うことが出来そうな彼でも、地図やコンパス、目印となるもの(例えば太陽や北極星)が無ければ沖縄から北海道がある位置を示すのは難しい。さらに、もしも彼が日本かどうかすら分からない場所に落とされ、そこから家に向かって進めと言われれば、それは不可能に近いだろう。しかもその場合だと、コンパスがあり太陽や北極星が見えていたとしても、家はおろか自分の現在位置を把握することすら出来ない。この時点ですでに人間の帰巣本能の薄さを感じてしまう。
先ほど帰巣本能が強いと挙げた鳩についてだが、こちらは中々侮りがたい。なんと奴らは一〇〇〇キロメートル離れた場所からでも巣に帰ることが出来るというのだ。流石は伝書鳩として軍などでも正式に使われていたことがるだけあるな……。と感心するのだが、これに関しても俺には疑問があるのだ。なんでも鳩というのは地球の磁場を捉えて自らの巣がある場所へと向かっているらしいのだが、これがどうにも分からない。地球が持っている磁場なだけあって、それは地球全体に及んでいるのだろう。実際に人間だってその磁場とやらを利用してコンパスを使い、方角を確認しているのだ。つまり、鳩は磁場を感じ取ることが出来、それを利用して帰っているということになる。早い話、鳩は自身がコンパスとなっているだけというわけで、あまり不思議は抱かないのかもしれないが、それでも俺はおかしいと思った。考えてもみろ、コンパスだけで自分の家が何処にあるのか分かるものなのか? そんなわけがない。コンパスはそれだけでは結局のところ磁力を捉えるだけの道具だ。それを応用して方角を調べ、地図と併用して場所を確かめるのが正しい使い方だ。まぁ、それ以前に現在位置を知ってないと地図すら意味を為さなくなってしまうのだが、そこまで追及しても意味がない。それに、このいちゃもんも実際のところ意味はない。いくら俺が疑問点を上げようが、実際には鳩は伝書鳩として機能していたし、俺の知識不足なだけで鳩が場所を明確に割り出す方法なんてとうの昔に解明されているかもしれないのだ。帰ったら調べようかなー。
と、長々と思考を続けてしまったが、どうしてこんなことに思い耽っていたのかについて説明しよう。
強烈的だった無垢さんとのお出掛けの帰り、あの食堂の後も色々と――殺戮鬼についてなどを教えてもらった。洋樹以外の人の名前と、人柄と、性格と、その能力とやらをだ。
普段の俺だったらあまりにも馬鹿馬鹿しくて一笑に付していたであろう、奇想天外な話だった――特に殺戮鬼のメンバーの能力について。だが、無垢さんの超能力を見てしまった手前、俺はそれを笑い飛ばすことが出来なくて、苦笑いをしながら聴くことしかできなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にか高速も降りており、車は俺が部屋を借りているアパートの前で停まっていた。どうやら、無垢さんが気を利かせて家まで送ってくれたようだ。とか勘違いをした。
「送ってくれてありがとうございます。お茶も出せるかどうか微妙ですが、水ぐらいなら出せますけど、上がっていきますか?」
一応、礼節に則って――なんのだよ――上がるかどうかを無垢さんに訊いたところ、一瞬「何言ってんだこいつ」という風に呆けられた後、俺の言葉の意味を理解したのか、
「そっか、じゃあお邪魔させてもらおうかな」
笑顔でそう言った。なんか裏のありそうな笑顔だった。――実際に裏はあった。
そして、鍵を取り出す前になんとなくドアノブを捻ると、抵抗なく回り、扉が開いてしまった。
――あれ、おかしい。鍵はバイトに行く前にしっかりと掛けたはずなんだけどな……、これは不用心だった。下手したら色々と盗まれているかもしれないなー、どうしよう。なんてことをそれ自体も結構大事のはずなのに暢気に考えながら扉を引いた。
なにか盗まれているかもしれない。
そう考えた。けれど、この周辺は治安も良好で比較的安全な場所だったので、その心配は杞憂に終わるだろう。そう安易に考えていたのだ。
なにかが盗まれているわけではなかった。
部屋は空っぽだった。
何もかもが盗まれていた。
さて、ここで最初の話に戻ろう。帰巣本能がどうたらと俺は言っていたが、じゃあ仮に、帰ることが成功したのに、その家がすでに自分の家ではなかった場合、どうなるのだろうか。そこは、家として、巣として、成り立っているのだろうか。成り立つのだろうか。
結論を言おう。
「なんでやねん」
成り立つかバーカバーカバーカ!
―――×××―――
「真崎くんはどうやら、未だに自分が置かれている立場というのを理解できていないようだねぇ」
無垢さんがにこやかに、けれどそこはかとなく俺を罵倒する。
現在、俺と無垢さんは殺戮鬼が居を構えているマンションの通路を歩いている。ちなみに、マンションはごくごく一般的なマンションだった。そう、それはもう絵に描いたようなマンションであり、それをマンションと呼ばずして何と呼べばいいのだろうかと胸を張って言えるようなマンションだった。何回マンションって言うのだろう俺は。――誰もが思うような疑問だが、人殺し集団がこんなにも堂々と市中のマンションを根城にするのだろうか? とか、そんな俺の些細な疑問は無垢さんがあっさり解決してくれた。
「別に、隠れる必要が無いからね。仕事に関しては秘密裏に済ますのが基本だし、そういった関係の人たちも、わざわざ僕たちのところに進んで近づいてくるわけがないからねー。猛獣の檻に加工済みチキンを解き放つような間抜けがこの業界で生きていけるわけないだろ?」
加工済みチキンって、動けないじゃん。食べられるだけじゃん! 抵抗すら出来ないんですね……。
とか、殺戮鬼という集団の一端を垣間見た俺としては、あまりにも笑えなかった。
だってほら、拳銃所持したその道の人たち(おそらく)が為す術もなく殺されていたのだから。
閑話休題。
無垢さんはなおも言葉を続けてくる。
「こっちの世界に関わってしまった人が、そうそう簡単に日常に回帰できるわけがないでしょうが」
「そういや、映画とかではあまりにも秘密を知り過ぎたスパイとかが組織を抜けようとすると、大抵殺されますよねー」
分かってはいたのだ。そう、薄々と感じ取ってはいたつもりだ。けれど……。
「だからと言って、家の中丸ごとこのマンションに移すとかおかしくないですかねー」
「いやー、これでも中々に良心的というか、破格の扱いなんだよ? そういったグループと関わりを持ったにもかかわらず、居住地を移されただけで、特に拘束もされず、精々しなければいけないことと言えば他言無用を貫き通すだけの簡単なこと。君が叶ちゃんの片恋相手じゃなければ、今頃このマンションに軟禁か、東京湾の海底散歩(※ただし、酸素ボンベなし)を実行していてもおかしくはないんだからね?」
「そもそも、そういった事態に陥った原因は洋樹にあるんですけどねぇ」
「そうそう、これが真崎くんの部屋の鍵ね」
――スルーかよ。無垢さんから手渡されたのは今日から俺の部屋となるであろうマンションの一室のカードキー。――先程、このマンションを普通のマンションと描写していたが、その普通とはあくまでも 『普通の世界の』 という意味であり、一般販売されているマンションということであり、マンション自体がが普通かどうかと問われれば、全然普通ではない。というか、かなり贅沢だ。少し前まで暮らしていた1DKのアパートと比べればワンフロアマンションというのは雲泥の差であるのだ。正直言って、その点ではこの突然の引っ越しは嬉しかったりする。自分はこんなにも現金な性格だったかなと、少しばかり違和感を覚える。
「それじゃあ僕は自分の部屋に行くよ。何か聞きたいことがあるなら、電話するなり直接来てくれるなりよろしくね」
そう言うと無垢さんは駆け足で階段を昇っていき、一つ上のフロアである自身の部屋へと向かっていった。俺はそんな無垢さんを見えなくなるまで目で追い続け(なんとなく)、そして視界から無垢さんが消えた辺りでその興味を景色へと変えた。
二十一階建てのマンションの十八階。そこから見える景色は壮観だった。
俺が住んでいた場所なんかよりは都市化が進んでいるためか、時間としては午後九時、既に太陽はその姿をくらましているというのに、眼前――眼下に広がる街はその全貌を明確とはいかないまでもある程度は認識できるぐらいに光を放っていた。いくら都市化が進んでいるとはいえそこは片田舎、豊富な(余りあるとも言う)土地を活かして縦にではなく横に規模を広げている。これが東京などの大都市ならば、少なく狭い土地を活かす為に空間を最大限に利用しようと、縦に長い建造物があちらこちらにそびえ立ち、十八階程度の場所からでは全貌を見ることなどできないような状況になっていたのだろう。――スーパーやコンビニが、店舗よりも駐車場のスペースを多くとれるというのが、いかにも田舎って感じだ。まぁ、実際に東京がどんな感じなのかはよく知らんけど。テレビとか見た感想だし。
手の中で、先ほど無垢さんに渡されたカードキーが俺の手に圧迫されて、折れない程度に弾性力を発揮している。ぐにょんぐにょーん。いや、そこまで柔らかいわけではない。
とはいえ、そうやって時間を無意味に費やすのもいいのだが、今日は今日で色々とあり過ぎて疲れたというのが本音だ。無垢さん曰く部屋はすでに生活ができるようになっているらしい。つまりはベッドとかもしっかりと準備されているということだろう。
カードキーを機械に通して本来の役割を果たさせる。
さて、ガスや電気は元から使えるようになっているって無垢さん言ってたし、シャワー浴びたら今日は寝るとするかー。なんてことを考えながらドアノブを捻り、新居のドアを開けると――
「おかえりなさーい! 今日は色々とあって疲れたでしょー? どうする? お風呂にする? それとも夕飯にするー? そ・れ・と・も、わたし? きゃっ、私ってばだ・い・た・あいだだだだだだだだだだ‼」
ドタドタと音を立てながら俺の前に現れたのは、金髪碧眼で天真爛漫な笑顔を浮かべる少女――洋樹叶が、裸エプロンにおたまを装備した状態、防御力と攻撃力が布の服やひのきの棒なんかよりも低そうな出で立ちで出現した。えろーい。
とりあえず。洋樹が持っているおたまを取り上げ、透き通るような金髪の隙間から覗くおでこに十六連射した。すここここここここここここここここん。なんて、木魚でも出せないような良い音が居間へと続く廊下に響き渡る。
「痛いよぉー……」
洋樹はおでこを抑えてうずくまり(裸エプロン+巨乳なので、横乳が素晴らしいことになっている)、涙声で呟いている。普段の俺ならば、そもそも女の子を傷付けるようなことは絶対にしない筈なのだが、どうしてか洋樹には躊躇いなく暴力を振るっている気がする……。いや、別に暴力という程の暴力でもないしな。指を関節とは逆に曲げたり、アイアンクローかましたり、おたまでおでこを高橋名人のように小突いただけだ。うん、もう端から見れば仲の良い男女のちょっとイラッとくるスキンシップだと思えなくもないはずだ。
「それにしても不思議だなー。洋樹に対してこんなにも暴力を振るっているというのに、罪悪感が全然ないんだもんなー」
自分を騙すのが面倒になった。面倒臭がりだなぁ俺ってば。
「今さらっと酷いことを滅茶苦茶簡単に言っちゃったよね⁉ 女の子に暴力を振るっているのに罪悪感が湧かないとか普通にクズ男だと思いますよ私は!」
「そんなのはお前の価値観でしかないんだよ。お前の価値観を押し付けてくるんじゃねー。俺がルールであり、俺が法だ」
「マサくんの方が私なんかよりも遥かに独善的だと思うんですけどー!」
「やらない善より、やる独善だ」
「全力でお断りしたい‼」
「俺の善には偽りが一寸も存在しないよ?」
「その善には、私に対する慈しみが一つも無いです!」
「憎しみは五寸ほどある」
「酷いっ! と思ったら意外と小さいよね五寸って! なんかよかった‼」
「ちなみに、呪いの時に藁人形に打ち付ける釘の長さは五寸です」
「なんか物凄く意味ありげだった⁉」
「とりあえず風呂入りたい」
「流れとか一切考慮せずに願望を言ったね! もしかしなくても会話に飽きたでしょマサくん!」
「うん」
「正直言うと私もこのテンションは疲れた!」
こいつはもしかしなくともバカなのだろう。
「そか、で、風呂は沸いているのか?」
「イエス! そりゃもうアツアツだ! 私とマサくんの関係ぐらいに熱々だ!」
赤の他人同士って、かなり冷めた関係だよな。
「うん、じゃあ風呂は後でいいや。さっきの言い方だと晩ご飯もあるらしいけれど、本当?」
「本当だよー、今日はマサくんと一緒に暮らし始める初めての日だからね! 腕によりをかけて頑張っちゃったよー‼」
「へぇ、ちなみにメニューは?」
「満漢全席!」
「頑張り過ぎだろー」
二人で食べる量じゃない。
「もちろん嘘だったり! 本当はお茶漬けです!」
「手抜き過ぎだろー」
「というのも、もろちん嘘で本当は肉じゃがだー‼ これで男の胃袋を鷲掴みだ!」
「そんなことされたら食べた肉じゃがを戻しちゃうよ」
ていうか今、さらりと最低な噛み方をしたぞこいつ。
「まぁ、それでいいや。じゃあそれ食わしてくれ」
「アイサー‼」
破顔一笑。
洋樹は防御性皆無な(つまりはエロい)背中を俺に向け、駆け足で台所(多分)に向かっていった。
彼女が俺の視界から完全に外れるまで、俺は洋樹が出迎えてくれた玄関で靴も脱がずに微動だにせずにいた。
「はぁ………」
溜め息を吐く。肺の中の空気を無理矢理に捻り出す。無意識にではなく、意識的にする溜め息というのは、いささか重い気分を楽にしてくれる。――俺は、空気以外に何を吐き出したのだろうか?
今の俺と洋樹は、誰から見ても――俺から見ても、洋樹自身から見ても、仲が良いように見えただろう。そう見えなくては、困る。
『こんな感じですかね、無垢さん』
誰が聞いているかも分からないなから、声にならない声で、そう呟いた。
―――×××―――
話は少しだけ遡る。少しだけしか遡れない理由は、俺の記憶力が残念だからだ。
「というわけで、真崎には今日から叶ちゃんと暮らしてもらいまーす」
俺がこの一年と半年暮らしていたアパート、その部屋から荷物が引き払われていたという事実に驚愕してから約十分後。無垢さんの車に乗って隣町の隣町の隣町の殺戮鬼が根城にしているマンションへと向かう道中。
「なにが、暮らしてもらいまーす。だ」
俺は不貞腐れていた。
「俺は現代人らしく流れに身を任せるのが得意だから、今までのことは――洋樹の突発的な求婚とか、殺戮鬼に歓迎されるとか、やたらと惨い殺人現場を生で見せられるとか、高校一年と半分を過ごしてきたアパートを取り払われて殺戮鬼のメンバーが暮らすマンションに暮らすとか――特に考えないようにしてきましたけど (現実逃避とも言う)、けれど、よりによってあんな奴との同棲とか死んでも御免です――とか言えないくらいに下手したら殺される状況じゃないですか」
無垢さんは先ほどから、俺の前では洋樹は単なる恋する乙女だとか言っているけれど、そんなことが安心できる要素になるかと言えば、そんなこと全然ない。というかむしろ恐ろしいくらいだ。『恋する女は核兵器だぞ☆』――なんて、自称 『真実の愛を探し求める女』 こと店長がそんなことをバイト中に教えてくれた。それってただの大量殺戮破壊兵器じゃないですかー。
なにそれ、マジで彼女が最終兵器なの?
「あっはっは、本当にその点に関しては心配はいらないんだけどなー」
苦笑いを浮かべる無垢さん。――なんで苦いんだよそこは普通に笑って下さいよ。むしろ余計に恐怖感を煽られているんですよー?
「まぁ、その点については僕の信頼に掛けて誓うけど、絶対に大丈夫。これだけは言いきれるよ」
「……………」
そこまで言われると、何も言い返せない。――とその時は思ったのだが、よくよく考えたら俺は無垢さんに対して信頼とか全然なかった。詐欺だと思う。
「というかさ、なんでそこまで叶ちゃんを避けるのかが僕には理解できないんだけれど」
「いや、普通に無理でしょ。人殺しの集団でトップを陣取ってるような人間なんて、民間人である俺が避けない方がおかしいです」
触らぬ神に祟りなしとはまさにこのことだと思う。むしろ向こうから触ってきたよ? セクハラで訴えればいいの?
「だから、その点に関しては何度も大丈夫って言ってるでしょうがー。――ていうか、真崎だってさっき僕にそう言ったでしょ? 『あいつが、そこまで終わっているようには見えない』 って、なら、少しは自分の直感に従ってみてもいいんじゃないかな?」
「む……、けど――」
「そもそもさぁ、考えてみろよ真崎くん。君が一番懸念しているのは、彼女が人殺しだということだろう?それ以外にあるとしたら、一目惚れしていきなり結婚を申し込んだということぐらいじゃないのかい?」
「――はい、そうですけど?」
「一応、一番の問題点である人殺しについての心配はなくなったよね。それなら、君がそこまで叶ちゃんを恐れる理由はもうないと思うんだ」
「どうしてですか?」
「だって考えてみなよ。叶ちゃんは美人だろう?」
「そう、ですね……」
確かに第一印象では、綺麗な女の子だと思った。
「透き通るような金髪!空よりも澄んだ蒼い瞳!男のプライドを傷つけないようなほどほどの身長!身長にはどうしても見合わない大きな胸‼なのに細い腰!そして顔の造形も整っていて綺麗!見ていて癒されるようなあの笑顔!健全な男子ならば、誰もが羨むような設定を全部乗せした、まさしく極上の存在!」
――性格などについてはまだ会って間もないから判断のしようがないけれど、外見については確かに洋樹は素晴らしい女の子だと思う。だというのに、どうして俺は洋樹を避けるのだろうか? それでも釈然としないのだろうか…………?
「そしてなによりも、そんな彼女が、君に対して非常に一途だということだ」
「まさしくそこじゃねぇか」
「ん? それはどういう意味だい?」
「だって、色々とおかしいでしょうが。無垢さんが言うようなそんな綺麗な女の子が、どうして俺に一目惚れをするんですかね? よりによって、どうして一般人である俺なんかをあいつが好きになる?」
「………あー、なるほどね。そう考えればむしろ、叶ちゃんのあの美貌が足枷になっていてもおかしくはないかなぁ」
そこで一度言葉を区切り、少しの間を置き、無垢さんは言葉を再開する。
「ふっふっふ、まぁ確かに真崎くんも結構格好いいというか可愛いけれど、確かに叶ちゃんとは不釣り合いだからね。その疑問も理解はできる」
その舌を引き千切ってやろうかと思った。そんなことしたら俺の頭が引き千切られかねないので、思うだけに止まる。いきなり顔面評価(しかもやや酷評)をしやがった無垢さんは、俺のことをニヤニヤしながら言葉を続ける。
「けどさ、その点はきっと、どうでもいいことだと思うよ。気にするまでもないことなんだ。いやー、真崎くんてば達観してるくせに、そういった部分ではあまり経験が足りないのかなー、かなかなー?」
うぜぇ……。
「だけどまぁ、どうしても気になるというのなら本人に訊けばいいじゃないか。それだけで済む話だよ」
「まぁ、確かにそうですけど……」
あまり乗り気ではないのが本音だ。けれど、そんな俺を見て無垢さんは――今までの面白がるような笑みではなく、まるで困っている弟に微笑ましさを感じている兄のような、そんな優しい微笑を浮かべ、
「あの子はさ、本当に君のことが好きなんだよ。とりあえず、その好意はしっかりと汲んであげなよ。それで、真崎もそんなに距離を取ろうとしないでさ、試しでもいいから近づいてみてみなって。確かに彼女は僕たちのリーダーなんだけど、それでも、良い子なんだよ。いい子で、可愛い子だ」
「……それだと、やっぱり漠然としすぎているというか、不十分ですよ。人が人を好きになるのには」
納得がいかない俺が反論しようとすると、
「人を好きになったことのない子供がよく言うよ」
今までとは打って変わった冷めた口調で、俺の言葉を遮る。
「……」
ここでさらに反論することも出来るのだが、恐らく、無垢さんが言いたいのはそういうことではないのだろう。それがどうしたとか、だからこそだとか、そんなの関係ないだろとか、彼が望んでいるのはそんな否定の言葉ではなく。自分の立ち位置の確認をしろということなのだろう。
「僕はさ、これでも目はいいほうなんだ。視力とかじゃなくて、見る目があるとかってほうの目ね」
氷のように冷えた声もすぐに溶け、元通りの飄々とした口調に戻る。
「はぁ……」
微妙な反応しかできない。
「まぁ、叶ちゃんほどじゃないんだけどね。それでも、いいとは自負している。職業柄いろんな人を見ているのと、元来の性格が起因してね。まぁ、そんな僕が見るに思うに、視て、想うに、君は溜め込むタイプの人間だろうね。自分の気付かないうちに溜め込んで、消化して、吐き出して、また含んでいく。そんな人間だ」
いきなり俺自身の性格――というか、人間性? を言われた。
「……はぁ? えーと、意味が分かりません。つまり俺は、一人で抱え込んじゃうような人間ってことですか?」
「いんや違う。さっきも言ったけれど、四谷真崎という人物は溜め込むタイプの人間だよ。抱え込むのとはわけが違う。種類が違う。系統が違う。君が無意識に無自覚に無感情に溜め込むのとは違って、抱え込む人間はあくまでも自覚的に意識的にそれらを行っている」
それがどう違うというのだろうか。
「抱え込む人はね、それをどうやって手放そうか、発散させようか、移そうかって色々と悩んで、苦しむんだけど。君みたいな人間は、それを飲み込んで、消化して、吸収して、平然とするんだ。そう、それはとても効率がいいんだ。酷いくらいに効率がいい。抱え込めば悩めたそれを、苦しめたそれを、君のような人間はあっさりと受け入れてしまう。受け止めるのではなく、受け入れる。それを当然と出来てしまう」
「……」
「今までと違う日常を突き付けられても思った以上に狼狽えなくて、常識が通用しなくともそれを常識だと自身に通用させて、あまりにも辛い現実を、自分を歪めることによって緩和させる。君はそういう人間だ」
それが、悪いとでもいうのですか。
「いや、悪くはないんだよ。別に僕は否定をしたいわけじゃないからね」
じゃあ、何が言いたいんですか。
「叶ちゃんはね、そういった人間の到ったところに位置する子なんだ。滅多にいないような中でも、その中でも尚突き抜けた、そういった少女なんだよ」
アイツが特別な存在だとでも言いたいのですか?
「いやいや、突き抜けた存在だとは言ったけれど、特別ではないよ。彼女は特別なんかじゃない。ただの恋する女の子だ。ただ、彼女を受け入れることが出来る人が全然いない。同じような人でも、彼女がいる境遇では滅多に合わない。けど、君は合う。彼女は君に共感して、君は彼女に共感できる――それぐらいだよ。僕が思いつくような、彼女が君に惚れる理由なんて」
そう言われてもやっぱり、納得がいかないというか、釈然がしないというか、いまいち理解が出来ていない。そんな俺の内心が表情に出ていたのか、無垢さんは俺の頭に手をのせ、優しさを含んだ笑みする。
「けれどさ、今僕が言ったことなんて忘れて、そういったのとは関係なく、今回だけでいいから普通に接してみてよ。君自身が彼女と向き合ってから、それから彼女のことを判断してほしいんだ」
自分よりも干支半周分ほど年上の人間にそうやって頼み込まれると、断りづらい。それに、無垢さんは洋樹のために今こうして俺のことを説得しようとしている。
「……はい、分かりました」
感化されたわけではないと思う。ただ、彼の言葉には、嘘はないのだろう。そう感じた。
だから、洋樹に真正面から向き合おうと思った理由は、それだけだ。
―――×××―――
食後。
そんなことがあったので、俺は洋樹と普通に会話をするということを、試みている。
「――だからさマサ。私が思うにね、よく主人公とかその周囲の人に殺人料理を笑顔で出すようなヒロインが最近、二次元でも三次元でも流行っているらしいのだけれど、それが面白いのかどうかは置いといて、実際問題信じられないんだよねー、私は」
目の前で彼女こと洋樹叶が熱弁していた。そんな彼女と俺の間には空になったお茶碗と鍋が置かれている。先ほどまで、茶碗には銀シャリが湯気を立てていたし、鍋には美味しい――そう、美味しかったのだ――肉じゃがが入っていた。
「ふうん……、でもさ、実際に世の中には作ったのに味見もせずに自信満々に出して、相手の胃袋に大ダメージを与えるような人も存在しちゃうわけじゃないか」
嫁のメシが不味いと嘆く人たちが存在してしまっているのだから。
「だからさ、その時点でおかしいと思わないのかなー? 味見なんてのは料理をする上での基本中の基本でしょ? そんな前提を知らない人が料理をするのがもはや無謀なことなんだよ」
「けどほら、テレビとかで見ていて高級料理店の料理人さんが作るときとか、味見をしないで出しているよね? それはどう説明するの?」
「それは例外だよ。といよりも、例に出すほうが烏滸がましいよマサくん」
「烏滸がましいと」
「うん、烏滸がましいね。なにか勘違いしているようだけど、彼らはそれらのことをきちんと行っているよ。行っているに決まっているじゃないか」
「でもほら、ステーキとかは焼いたのをそのまま出しているじゃないか」
目の前で豪快に焼いて、そのまま出しているシーンを思い出す。
「えーと……、マサくんは家で料理とかしないの?」
「……………………最近、目玉焼きをしっかりと焼けるようになりました」
目玉焼きって油をしかないとフライパンに焦げ付くんだって最近知りました。知らなかった……。
「聞いた私が駄目だったねー」
やれやれと、浅い溜め息を吐く洋樹。
「お前にだけは、そんな馬鹿を見るような目をされたくなかった!」
「第一ね、ステーキを例に出すほうがおかしいよ。だってステーキだよ?ようは調味料塗した肉を焼いてソース垂らしただけだよ?」
無視された。俺のこと好きだとか言ってるくせに無視したよこの女。けれど、それよりもその言葉の方が気になった
「え、本当すか。そんな簡単なの?」
「そりゃそうだよ。確かに肉の質を確かめる能力とか、そのお肉に合わせて焼き方を変えるのは技術として必要だけど、ようは焦げ目がつかないように焼ければいいだけだからねー」
「何そのガッカリする情報……、わざわざ高い金出してそういった所に食べに行こうとか思えなくなってしまったじゃないか! どうしてくれる!」
まぁ、元から俺の人生でそういった高級ステーキを食べるような機会はないのだろうけれど、それでも、少しくらいは希望を持たして欲しかった。
と、そんな俺の理不尽な責任の押しつけに対して、しっかりと洋樹は補足をする。
「いや、勝手に私のせいにされても困るよ……。それにね愛しいマサくんや、高いお金を払うのはそもそもそのお肉自体が高価なものだからだよ」
「……………」
言われてみればそうだった。
「そして、料理というのをしっかりと理解している人たちが、その高いお肉の美味しさを最大限に引き出すために洗練された調理をすることが――できることこそが重要なんだよ。高いお肉というのは誰が調理しても――よほど変なことをしなければ――一定の評価を出すことが出来ちゃうんだ。でも、それは最高じゃないんだ。――高いだけで、最もではない。だから、私たちは料理人たちにお金を出して、お肉を一番美味しくしてもらうんだよ」
「お、おぉ……」
「それにね、ステーキとかに味見をしていないと言ったけど、ステーキ自体は味見をするまでもなく、目で見て経験と照らし合わせればそれで充分なだけだからね。ステーキの旨味を引き出すためのソースとかはしっかりと味見をしているんだよ」
――それ以前に、お肉を取り寄せている場所の信用性とかもあるんだけどねー。と付け足す洋樹。
そうやって、世間話をする洋樹叶は、意外にも普通の女の子となんら変わりなかった。
普通に、可愛い女の子だった。
―――×××―――
食後である。つまりさっきと同じである。ていうか、リビングからソファに移動しただけである。
何回あるある言うんだよ。エセ中華人民共和国人かよ。実際には言わねえぇよそんな語尾。
「うーむ」
――俺は、今までの人生でこれほどまでに他人に身を委ねたことがあるだろうか、いや無い。という反語を無意味に使ってしまうほどに膝枕をされていた。
いやまて、なんか色々と日本語がおかしいぞ。いやいやいや、それよりも俺は現状に突っ込みを入れるべきなのだ。――そうだ、ツッコもう! とか、決心してみるが、現在が金髪少女との同棲生活中だと考えると、いささか破廉恥な発言に聞こえなくもないから自重することにした。
「で、これがやってみたいことなのか?」
先ほどまで食器洗いをしていたからか、皺になってしまっているその白くて細い綺麗な手で俺の頭をのんびりと撫でている洋樹に訊く。
「うん、そうだよ。こうやって、好きな人に膝枕をしながらうとうとするのが、ちょっとした夢なんだ」
嬉しそうに、にはは、と笑いながら答える洋樹。当然のように、裸エプロンからは着替えさせた。今はジーンズにセーターの格好だ。だらしなさで言えばこちらも中々にエロい。
「小さい夢だな」
その笑顔が純粋で、綺麗だったから、なんとなく眺めてしまう。
「いいんだよ、小さくたって。夢は夢なんだから」
そういえば、先ほど勢いよく反語とか使っていたけれど、よくよく考えてみれば赤ん坊のときとか母に対してかなり身を委ねていたよな。身どころか生殺与奪の権利も母にあったからな。
「もっと大きいのを持てよ。夢なんだから」
苦笑してやる。
「大きいのだって持ってるよ。そりゃもう、どーん! と大きいのがねー」
俺の目の前にはどーんとデカいお山が二つあるけどね。触っても怒られなさそうだから、あえて触らないけれどさ。
「なんじゃそりゃ、夢をいくつも持ってるとか、なんか反則じゃないか?」
とかいってみたけれど、洋樹が突然 「膝枕をしたい!」 とか言うのに対して、俺の二つ返事で成立してしまうようなことが夢になっているのだ。夢なんて、他にいくらでもありそうだ。
「別にいいじゃんか。夢なんて使い捨てなんだから、いくつだって持っておくべきなんだよ。それこそ大小様々なのをねー」
洋樹は、完全に脱力しきってそこら辺に投げ出されている俺の手を掴み、握り締める。ぐにぐに。
「あー」
夢は、使い捨て。
その言葉には、共感を覚えてしまった。
夢とは、叶えることに意味がある。夢とは、叶えようとすることに意味がある。
夢は、あることに意味がある。夢は、見ることに意味がある。
夢というのは、いわば目標なのだ。生きていく上での、道標。生きていく上で、どこに向かって行けばいいのかを教えてくれる旗。俺らは毎日をどうやって生きていけばいいのかを考える。けど、それは思った以上に難しい、考えることも、見つけることも。だから、夢を決める。目的を固める。だから俺らは迷わずに生きていくことが出来る。悩まずに生きていくことが出来る。
夢を叶えるために。目標を達成するために。けれど、そこで気づいてしまう。――夢というのは存外、叶ってしまうということに。夢が叶うというのが単純に良いことだと思っているのは、子供ぐらいだろう。
夢というのは、いわば、生きるための動力源だ。
夢があるから、頑張れる。夢があるから、生きられる。夢があるから、努力できる。
夢があるからこそ、人間であることが出来る。
そんな夢が叶うと、人は意味を失ってしまう。人生の意義を見失ってしまう。
じゃあ、それを避けるために人はどうしているかというと、大きく分ければ二つある。
一つは、実現不可能な夢を抱き、それに向かって愚直する。
一つは、大なり小なりの夢をあらかじめ複数所持しておく。そして、叶うたびに、補充していく。追加していく。大それたことを、矮小なことを、価値のあるものを、無価値なものを。
だから洋樹はこの場合後者に分類されるのだろう。――というか、大半の人間は後者だろうけれど。
「じゃあさ、洋樹が持っている中で一番大きな夢って、なんだ?」
人殺しの彼女が持つ一番の夢とは、どんなものなのだろうか。そんな疑問がふと浮かんだ。
「えへへー、マサと幸せな家庭を築くことかなー」
無垢なる笑顔でそんなことを言われた。特に考えるような間をおかずに、躊躇いなく言われた。
「へー……」
前者の可能性も増えてきたなぁ……。
「ちなみに、次は?」
「マサくんに永久就職だぜー!」
被ってますよー。一番と二番の夢が被ってますよー。夢の重複ってありなんですかねぇ?
――まぁ一番と二番の違いは、幸せかどうかなんだよな……。その違いは結構大きいのかもしれない。
「そしてそしてっ、三番はマサくんと熱いキスを交わすことだー!」
「聞いてもいないのにご丁寧にどうもー」
「いやん、軽くスルーされちったよー。今の素っ気ない対応に、私は傷つくと同時に興奮したよ」
本当に鼻息を荒くするな、危ないでしょうが。
「とまぁ、軽い冗談はこれくらいにしておいてー」
軽かったかその冗談? ていうか、本当に冗談なのかも疑わしいのですが……。
「それじゃあさ、――マサくんの夢って何かな?」
「ないよ」
「即答だねー」
けらけらと、洋樹は笑う。脈絡の無い話を続け、意味もなく話を延ばす。俺の返事に意味は求めていない。そこに言葉があることに意味があるように会話をする。俺との話には生産性を求めていないのだろう。話すこと自体が、目的となっている会話。いわゆる、雑談。
「夢については御大層なことを散々言ってきたけれど、よくよく考えてみなくても、俺は夢なんて持ってなかったよ」
何も特別が起きない人生だったから、そのまま生きて死ぬのだろうと楽観的に考えていたせいで、俺は、夢を抱くまでもなく、生きることの目標を決めていた。自然に死ぬことを目標にしていた。
そして、洋樹と関わって、その容易い目論見は見事に霧の中へと沈んでいったわけだ。
「それはいかんなー、いかんよマサくん。人間は夢に生かされる生き物だから、なんでもいいから夢を持たなきゃね!」
ほとんど考えることもなく、思いついたことをそのまま口に出しているだけのように聞こえる洋樹の言葉は、それでも的を射ている。――まぁ、そんな的を射ている言葉も、俺の指をしゃぶりながらだとかなり台無しなのだが。ていうかどうしてそんなことをしているの?
「マサの指、あまーい」
「糖尿病の心配でもした方がいいかなー」
「マサの指、美味しー」
「カニバリズムか。恐ろしいなー」
意味なんてない、そんな会話を続けた。
無垢さん言われたように、洋樹に普通に接してみたけれど、特にこれといった何かは起きなかった。俺が抱いてしまったような危惧は、何も。
まだ知り合って一週間も経過していない間柄で、俺自身が人間関係などに敏感というわけでもないのだけれど、それでも好意を汲み取ることが出来ないような鈍感ではない。
彼女は俺のことが好きなのだろう。――というか、好きじゃなければこんなにはベタベタしてこないよな普通。俺自身が、未だに人を好きになるという感情を理解できていないのだが、そういった感情が存在するということは十分に知っている。
例えそれが一目惚れから始まった恋であろうと、洋樹という少女の特性があまりにも異常であろうとも、彼女を取り巻く環境が異形であろうとも、それでも、彼女は俺のことが好きなのだろう。
俺の一言に一喜一憂する。頭を撫でてやると喜ぶ。額にデコピンをすると目を小動物のように潤ませる。脇をくすぐると可愛い声を上げる。うなじを触れると背筋をまっすぐ伸ばす。
この洋樹叶という少女は、裏表がないのだろうか。そう思わせる程度に、彼女は陽気に笑う。暢気に微笑む。楽しそうに、嬉しそうに。幸せそうに、気楽そうに。
では、俺はそんな彼女に応えられるかどうかというと、それは出来るのだ。
応えることだけなら、俺には簡単にできる。先程だって、頼まれたから膝枕をした。おそらく、頼まれれば俺は洋樹の大体のお願い事を聞き届けることもできる、けれど、そこに俺の洋樹に対する愛情があるのかと聞かれれば、どうなのだろう。
話をして分かったが、洋樹とは会話していて普通に楽しいのだ。ほどほどに話が盛り上がり、適度に落ち着けて、決して自分を押し付けない。やたらとくっついてくるのも、可愛いから特に気にならない。しっかりと自分の容姿と性格に折り合いをつけて、相手にも合わせる。
最初のインパクトがあまりにもアレだったために洋樹に対してのイメージはかなり悪かったが、無垢さんに訊いたところ、告白とかを急がせたのは無垢さんだったらしく、洋樹は俺の攻略を徐々に進めようとしていたらしい。普通のように。
ということは、大体のことが無垢さんの所為だよなこれって……、
次に会ったら、一度本気で殴ろう。そんな決意をした。
―――×××―――
と、そんな決意を胸にした俺の前には洋樹叶がいた。
「で、何してんのお前?」
時刻は草木もまだ眠らない子の刻――つまりは十二時くらい。本来なら、夜更かしの得意な学生の例に漏れずオールナイトでも決め込もうとしてもおかしくない時間帯なのだが(途中で挫折するのは愛嬌)、さすがに今日は色々とあったので疲れたのだ。……主に、普段は乗り慣れてない自動車に長時間揺られていたというのが大きな要因だけれど。
さて、そんな俺の健康状態とかは大して重要ではない。状態よりも状況が重要だ。
簡潔に言おう。ベッドで寝ていたら――もちろん洋樹とは別の部屋のだ――何故か手と足がロープでぐるぐるに縛られてさらに手錠をはめられていて、目の前では前日の無垢さんを連想させる体勢――つまりは覆いかぶさるような体勢でパジャマを着崩している洋樹がそわそわとしている←いまここ。
「簡潔に言おう! 夜這いだ」
にへら、と崩れたような笑みを浮かべる。そのまま崩壊すればいいのに。
「簡潔に言い過ぎじゃぼけー」
頭蓋骨を叩き割るぐらいの気持ちでチョップをしようとするが、強靱な荒縄が俺の腕に稼働を許さなかった。――やばいな、鉄拳制裁ができない。そしてそれ以前に身動きが取れない。
「おいこら洋樹、洋樹叶よ。別々の部屋で寝るという提案はこのためのブラフか?」
「いえーす」
「眠いとか言って先に自分の寝室に言ったのも演技か」
「きりすとー」
お前はキリシタンか何かなのか?――とかツッコミを入れようとしたが、見た目的にはむしろそちらの方が正しかったりしそうなので飲み込むことにした。今だけは、無垢さんのような超能力が俺に与えられていないのが本当に悔やまれる。エリ・エリ・レマ・サバクタニー。手と足が使えない人間は無力だ。
「で、なんだ。このやり方を提案したのは無垢さんか?」
こいつらみたいに人外じゃない俺には現状を打破する方法や能力がない。ならばすることは一つ。現状を維持すればいいのだ! というわけで話を逸らし、会話を続け、俺の貞操を守ることに努力しよう。
「おおう、正解っすよマサくん。よくわかったねー?」
「今までの会話からして、そういったことをお前に唆すのは無垢さんしか聞いていないんでな……」
と言ったところで、そもそもからして俺は無垢さんと洋樹以外の殺戮鬼のメンバーとはほとんど面識が無いに等しい間柄なのだった。知っているのはせいぜい、彼らが保有しているという特殊な能力と名前くらい。とはいえ、名前と顔が一致するかも疑わしいような状態だ。
「いやー、さすがは『夜をともに過ごした女は数知れず』を自称する無垢ちゃんだ。男の逃げ道を塞ぐ方法を心得ているー」
「おい待て、その言い方だと現在行われているこの方法は無垢さんの実体験から来ているように思えるぞ?なんか無垢さんの人間関係がかなり気になるんだけど。大丈夫なのかあの人は」
「まぁそんなことは気にせずにさー。甘い一夜を過ごそうよー」
ちぃ、話を逸らそうとしても無視して展開を進めるか……。ならばこちらにだって考えがあるぞ。
「いったん落ち着け洋樹。――いや、叶」
名前を呼ばれたからだろう、すでにシャツを脱ぎ終え、その弾性力に富んだ豊満な胸を押さえつける拘束具――つまりはブラジャー――のホックを外そうと背中に回った手がぴたりと止まる。
「な、ななななななにかにゃっ⁉ どどどどうしたのかな真崎くん! いやマサくん! ていうかっ! い今、今言ったことをもう一回! ワンモアプリーズ! リピートアフターミー‼」
凄い勢いで俺にもう一度名前を呼ばせようとしている。
「いや、リピートアフターミーは違うだろ」
「英語の発音なんか誰だって気にしないよ!」
「誰も発音が違うとは言っていない」
「いやいやいや! もう本当に発音も英語もイギリス人もどうでもいいんだよ!」
何も悪いことをしていないのにイギリス人の皆さんが蔑ろに扱われている。横暴だ。
「………叶」
人と話すときは、しっかりと相手の目を見てハキハキと喋りましょう。決して格好つけているわけではありません。えぇ、決して自分への好意を利用しようなんてあくどいことは考えていません。
「は、ひゃい!」
自分でもう一度とか言っておきながら、言われたら言われたで返事を噛んじゃうほど動揺するのはどうかと思いますよ俺。
「かなえちゃん」
「――――――ッ!」
その雪のように――いや、雪のようには言い過ぎだな……。雪とは言わないまでも、健康的なのに、それでいてどこか儚さを連想させるようなその白い肌を真っ赤に火照らせ、黙り込んでしまう洋樹。
この女、簡単すぎる………。これが今流行のチョロインか。我妻さん的な意味じゃないヨネ……?
でもまぁ、別に俺はその単純さを利用して悪いことをするつもりはないので大丈夫だろう。
「いいか叶、今お前がやろうとしていることはなんだ?」
「え、えへへ……、あ、愛の確認かなー」
叶と呼ばれるのが相当嬉しいのか、赤らめ弛緩しっぱなしの笑みを浮かべる。
「で、この俺が両手両足を縛られている状況に愛はあるか?」
「足りない愛は私の愛で補うよ!」
どん、とその富士山を連想させる胸を張り、叩く。揺れる揺れる。見事に揺れる。マーヴェラス。
「許容オーバーだ。捨てろ」
「………あうー」
「あー……、そう落ちこむなよ、さっきから落ち着けって言ってんだろうが」
「うー?」
その目に涙を溜め、言語になっていない声を出しながら俺を見上げる様はなにこの可愛い小動物。
「別にな、お前のことが嫌いなわけじゃないんだよ」
「おぉー?」
「むしろ俺だって男だ。お前は可愛い、そしておっぱいもデカい。正直言ってお前の提案を受けるのもやぶさかではない」
「ふおぉー」
まるで暗い洞窟にて一筋の光を見つけたかのように、目を輝かせる洋樹。――というか、この会話は会話としてしっかりと成立しているのかが不安で仕方がない。
「けどな、そういった関係になるに当たっては、相手のことをよく知るというのは大事なことなんだよ。それは理解できるだろ?」
「んー……、私、マサくんのことなら大体は知っているよ? 好きなものが音楽プレーヤーで、嫌いなものが意味のない無駄な大きい音。誕生日は五月二日で、血液型はAB型。バイト先の本屋の名前はマダガスカル書店で、休日の過ごし方は特に考えずにのんびりと過ごす。最近見て面白かった映画はヤクザタクシーで、映画は映画館では見ない派。犬よりも猫が好きだけど、意外と動物全般大体好き。座右の銘は『下を向いて歩こう』で、好きな言葉は『人の命ほど安いものはないし、人の命ほど軽いものはない』。鞄を持ち歩かないで、ポケットに入るだけの手荷物しか持たない主義。人付き合いは苦手というよりも面倒なだけで、ある程度はある。いい感じに辛党――そして、性癖はおっぱい星人!」
「……………………………………」
いやいやいやいや、大丈夫大丈夫。これはあれだ。俺を好きだということをどうやって表現すればいいのか分からなくてそれが暴走してしまった結果だ。うん、引いてなんかいない。引く要素なんか全然見当たらないなー。警察って何番だっけ? 1919だっけ? 警察ってそんな卑猥だったっけ?
「うん、まぁそんな感じでお前は俺のことを十二分に理解してくれているだろう? けどな、俺は叶のことをあまり知らないんだ。だからさ、叶のことについて色々と聞きたいんだけど、教えてくれるか?」
動揺を表に出さずにここまで淀みなく言葉を紡ぎ出せる自分を褒めてやりたい。
「それも、そうだね。――うん、私は私のことをマサに知ってもらいたい。私はマサのことをずっと見ていたから知っているけれど、マサは私のことを全然知らないんだよね」
「そうそう。だから、色々と教えてくれると嬉しい」
「――うん、色々と知ってくれたら、嬉しい」
そう言って微笑んだ洋樹の顔は、綺麗だった。
綺麗過ぎて、恐かった。
―――×××―――
さて、上手い具合に話を逸らすことに成功し、こうしていい感じに洋樹のことを知る時間が出来たのだ。積極的というほどではないにしろ、それでも彼女への興味はある。だから、どのようなことを聞いていこうか、それらについてを頭の中で羅列していると、洋樹が少しだけ真面目な顔で俺を見据え、口を開く。
「マサくん、私のことを知ってもらう前にさ、ちょっとばかり話をしてもいいかな?」
「ん、何の話?」
「殺戮鬼の、私たちの話。――私のことを知ってもらう上では、それは知っておいて貰わなきゃ困ると思うから、話す」
それは、彼女のことを知る上では確かに重要なことなのだろう。洋樹たちには色々と不可解な部分が多い。人殺しという立場――殺し屋という立ち位置にいるにしては、あまりにも若すぎるように思える。それがたとえ俺の偏見でしかなく、洋樹たちの異常性――異様な能力を思えば当然であると言われれば反論の余地が無いことも。そもそもからして、そういった異常な能力を有している彼女たちがどうして、どのような理由で一堂に会しているのか、俺はそれを知らない。
――知るべきなのだろうか?
こうして彼女と行動をともにすることを受け入れてしまっている俺は彼女のことを、彼女に関する周囲のことを、知っておくべきなのか。――それは誰に対しての問いなのだろうか。誰でもないのだろう。
こんな自問をしても、そんなことに意味はない。無意味な行動だろう。時間の無駄と言われればそれまでだ。それでも、理由はあるんだよ。意味はなくとも、無駄であろうと、それでも理由くらいはあるさ。そういったことを無駄に考えるぐらいの猶予はくれよ。後戻りができないと分かっていても、後戻りができないと分かっているから、だからこそ時間を無駄に消費して、無意味に考える。心に余裕を与えるために、どうせ待ち受けることは変わらなくて、俺がどう身構えようと結果は同じで、俺が得ようとした余裕なんて無駄になると分かっていても、
「……そっか、じゃあ教えてくれ」
そうして、俺の知らない世界に。知るはずのなかった世界に。知るべきではなかった世界に。
――俺は自らの意思で触れることにした。
―――×××―――
「まず始めに言っておくと、私たちは人為的に作られた、窮めて人工的な異常者たちなんだ」
「人工的な異常者?」
「うん、私たちは先天的ではなく、後天的に人間離れした――常識外な能力を開花させられた。そういった人間の集まり。そんな私たちを作ったのは、開発したのは、彩栄可想っていう人。私たちは博士って呼んでいたよ」
「サイナカ カソウ? 変わった名前だな」
「人の名前にケチつけるような立場なのかな私たちは……。まぁ、そんな私たちが生まれた経緯を話すし、語っちゃうよ。
その彩栄可想っていう人間は、『人間の進化』というものを研究していたんだ。
人間という存在の先。秘めているかもしれないという可能性。既存の枠組みを、従来の限界というモノが果たして本当に限界なのか? そういったことにテーマを置いていた。
そして、そんな人類の進化を求めるにあたって博士はある素晴らしい研究材料たちを発見した。それが、『異常者』 。名称というか、呼ばれ方は色々とあるらしいけれど、博士は便宜上そう呼んでいた」
「その異常者ってのは、何だ? お前たちみたいな人間のことか?」
「うん、それで合っているよ。私たちみたいな 『人間には出来ないはずの、ありえないはずの結果を残す。実現不可能なはずの能力を行使できる』 そんな人のことを異常者。――違うのは、博士が目をつけたのが天然の異常者に対し、博士が作ったのが私たち人工の異常者ということぐらいかな。
人類の先というモノを研究するに当たって、異常者ほど 『人間離れした人間』 という格好の研究材料はなかったの」
「ということは。無垢さんみたいな、叶みたいな、殺戮鬼の人たちのような超常的な能力を所有している人間は、他にも存在するのか?」
「人工があるのだから、天然が存在するのは当然だよ。とは言っても、その数はとても少なかった。人間としての限界を、理由もなく突発的に、きっかけもなく偶発的に超えてしまった人たちは、余りにも少なすぎた。でもそれが、むしろ博士の研究への動力となった。
――人類の限界を超える人間を、人為的に作り出すことは出来ないのか?
博士はそれを研究の主軸とし進めていくことを決意した。
そして、彼が研究の骨組みを考えているときに、とある一人の少年と出会ってしまった。
神様が存在するのならば、まさしくそれは神の悪戯で、神の啓示で、神の導きなのかもしれない。
それは奇跡のような邂逅だった。偶然にしてはあまりにも出来過ぎた巡り合わせだった。
彩栄可想という一人の人間が出会ったのは、その両の瞳に禍々しいほどの朱い輝きを灯した少年。
身元不明。詳細不明。記憶不明。自己不明。
そして、異常の異常。例外の例外。超越を超越。規格外の規格外。
地上に顕現した地獄。堕ちてきた天災。体現された破壊。
否定しようのない異常者の最高峰。肯定しようのない異常の終着点。
そんな能力を所有した、幼い少年――最高の研究材料を博士は手に入れてしまった。
それからというもの、博士は研究に没頭した。自らの寿命を削るように身を注ぎ、少年を基礎として数々の実験を繰り返した。幾何もの実験を繰り返すうちに、博士はその少年が所有する中でも特に強力な『圧倒的な破壊と暴力』の能力を主軸に置くことにした。
初めは失敗の連続だった。何度も何度も失敗し、何度も何度も理論を見返し、何度も何度も間違いを繰り返した。能力なんて発芽しないのが当然で、その無理な実験の反動に耐えられないような人は幾人もでた」
今の発言は聞き流すことが出来なかった。イマノハドウイウコトデスカ? そう疑問を抱くような躊躇いもなく出された『実験』と『人』という言葉。
「――おい、洋樹叶」
「なんだい? 四谷真崎くん」
「実験は、人体実験なのか? その反動とやらに耐えられなかった人は――どうなったんだ?」
「博士がしていたのは人の研究なんだ。モルモットやネズミなんかじゃ代用できないような、そういった実験なんだ。人で試していくのは当たり前だよ。――うん、そりゃ死んだけど。それがどうかしたの?」
「――――いや、なんでもない。聞いた俺がおかしかった。続けてくれ」
不思議そうに首を傾けた後、話を再開する洋樹。
「それでも、博士は天才だった。博士自身は人としての範疇を超えることは出来なかったけれど、それでも少しずつ、けれど確実に、着実に、彼は少年を解明していった。失敗はやがて小さな成功へと変わり始める、微々たるものだけど成功例も出始めたんだ。発芽したその人為的異常者の能力はあまりにも弱くて、薄くて、脆かったけれど、それでも彼らは人間を超えた。人間の範疇を凌駕した」
「そんなことが、成功してしまったのか?」
「そう、成功してしまった。マサくんのその言葉が何よりも的を射ている。研究をするにあたって、最初の難関であり、最大の難所であり、最少の可能性だった、能力――異常性の発芽に博士は成功してしまったんだ。それがどんなに小さくても、弱くても、薄くても、脆くても、それでも、成功は成功でしかなく、研究を大きく躍進させる糸口となる。
そこからは、一度流れ出した水のように、実験は滑らかに動き始めた。
例えそれがオリジナルである少年の劣化でしかなく、弱体化でしかなく、模倣でしかなく、模造でしかないレプリカでも、その異常性は実験を重ねるごとに増していった。少年ではない天然の異常者に劣っていたその暴力性も追いつき、追い越し、最終的には超越した。
そして数年の月日が流れて、私と奈多さんを除く殺戮鬼のメンバーたちが完成した。
本物――少年には及ばずとも、天然の異常者をいとも容易く凌駕する人為的異常者。
『完成された複製』 博士はそう名付けた」
「ん、ちょっと待て。それはどういう意味だ? お前と――奈多さん、そう確か殺戮鬼のメンバーでお前の補佐的な立ち位置にいる人だったよな。……叶とその奈多さんて人は、他の殺戮鬼の人たちと何か違うのか?」
「あはは、大丈夫。今からその話をするところだからね。なんだいなんだいマサくん、マサくんはせっかちさんだねぇー」
「…………」
「だから無言は止めようよって言ってるじゃないですかー! 怖いからさぁ! 罵倒とかなら全然問題ないけど無言とか一番傷つくんだよ⁉」
「今のは単に考えていただけだからな……。ほら、話を続けてくれ。お前の声は聞いていて気分がいいから、結構気に入ってるんだよ」
「あ、あう……」
「素で照れてんじゃねえよ……。事実だから言ったんだ。たとえ内容がどんなに酷くても、似つかわしくなくとも、それでも、お前のことは知っておきたいし、お前の口から聞きたいんだ。続けてくれ」
「ご、ごほんっ……。え、えと、それでね、私なんだけど。私は殺戮鬼のメンバーとは違って、意図的に必然的に特定した能力が発芽したわけじゃないんだ」
「言い回しがくどいな………。つまり、お前は他の奴とは違うということか? お前の能力とやらは――異常性とやらは、意図的ではなく必然ではなく、偶発的にたまたま発芽したってことなのか?」
「うん、そういうこと。『完成された複製』 のみんなと同時期に作られた私だけど、博士が考えた通りの異常性を発芽したみんなと違って、私だけが博士の予想とは見当違いな能力を身に着けた。
天然を基礎とした人為的な人工の異常者の発生。
その過程で生まれてしまった、作った本人すらも予期しなかった、人為的な天然の異常者。
『本物の無い番外』 ――それが、博士が名づけた私にしかない唯一の検体名」
「いまいち違いが分からないな。結局のところ、異常者とやらであることに変わりはないんだろ?」
「うん、言ってしまえばマサくんの言うとおりなんだよね。違うのは過程で、結局のところ行き着いた場所はあまり変わってない。だから、その認識でいいよ。
むしろ、そういった意味では、一番違うのは奈多さんだね。奈多さんだけは、相対的に違う。
何故なら奈多さんは、普通の人なんだ」
「普通の人?」
「そう、普通の人。彼女は先天的でもなければ後天的でもない、そもそもからして異常者ではない。
彩栄可想という研究者とは一切の関わりも繋がりもしがらみもない、ただの普通の人。
普通に普通な、ただの人殺し。言ってしまえばマサが最も近い。違いなんて人を殺したことがあるかどうかだけ。それが些細なのか、多大なのかは、私にはわからないけど。
私が殺戮鬼の象徴としてのリーダーなら、彼女は殺戮鬼の頂点としてのリーダー。
それが、朱鷺宮奈多という人」
「はぁ………。ん、いや、それはそれとして普通に知っておいてよかったけれどさ、それとは別にもう一つ聞きたいことがあったんだよな」
「ほほう、何かな? 答えられる範囲ならいくらでも答えるよ?」
「お前のバストサイズは?」
「え? Eだけど」
「…………ありがとうございました」
「なんでいきなり丁寧口調⁉」
「あー、いや違う、今のじゃない。いや、今のは今のでかなり嬉しい誤算だったけれど、うん、まぁそうではないんだよ。俺が訊きたいのはさ、殺戮鬼の存在理由なんだよ。結局どうして、その彩栄って博士の下で作られた、もとい育てられたお前たちが、今ここでこうして人殺しを稼業としているのか、それが疑問なんだよ」
「そういえば、最後まで話していなかったね。けど、意外とこの話の最後はあっけなくてね。
それはもう単純で、説明するのも馬鹿馬鹿しくなるぐらいに簡単な話なんだ。
さっきからさ、話の中でも何回か説明がされた少年――まだ名前を言ってないよね?
実際のところ、私たちを話すうえでは一番重要な存在である、博士が出会った少年。
その少年には名前が無かった。それどころか記憶すらなくて、自我が無くて、自分が無くて、感情が無くて、なによりも、存在が無かった。
だからこそ、博士にとってその少年は奇跡だった。その少年そのものが奇跡だった。
逆らわず、喚かず、泣かず、笑わず、痛まず、怒らず、自らは決して動かない。
これ以上に最高の実験材料がある? あるかもしれないけれど、その時の博士にとっては、それが最高だったわけなんですよ。
――だから、博士はその少年を大事に大事に扱った。
始めはただの道具だった。ただの実験動物だった。機材でしかなく、器物でしかない。
だからこそ、それゆえに、博士はその少年を何よりも誰よりも大事に扱った。大切に扱った。
一流の職人は道具を大切に扱う。まるで自身の身体の一部とでも言うかのように繊細に扱う。まるで自身の子だとでも言わんばかりに丁寧に扱う。丁寧に、繊細に、道具として扱う。
けれど、博士はそれ以前に人間だった。そして、少年も人間だった。否、人の皮を被った化け物の可能性もあった。だけど、見た目は人間だった。それは幼いただの少年であった。
いつからか、博士が抱いていた感情は変化していた。博士は少年を道具として扱えなくなった。少年を人間としてしか見えなくなった。
そして、博士はとうとう少年を人間と見なした。見ることしかできなくなった。
まるで家族のように。
まるで息子のように。
それは愛おしい存在になってしまった。
博士は少年に名前を付けることにした。博士は彼に名前を与えた。人には名前が必要だから。
彩栄椋。少年はそう名付けられた。博士に初めて出会ったとき、少年には名前が無かった。人間としての名前が無かった。人間では無かった。けれどそれからいくつもの年が過ぎ、とうとう、博士自身から名前を与えられた。少年は博士にとっての人間になった。
――そして、少年に名前を与えた次の日に博士は死んだ。挽き肉のような姿に変わって。
博士がその生涯を賭して集めた莫大なデータが眠っていた研究所は、真新しい廃墟と化していた。
少年――彩栄椋の姿は何処にもなかった。残ったのは、博士だった塊と、研究所だった残骸と、私達」
「……え、博士死んだの? ていうか、その流れだと明らかに彩栄椋がなんかしているよね? 人同士の暖かい繋がりを実感できて感動しました的な話じゃなかったのか? 急展開過ぎるだろ」
「うーん、けれどこれが真実なんだよねぇ。私たちにはそれぐらいしか分かってないのが事実だし。それで、無事だったとはいえ保護者がいなくなってしまった私たちはこれからどうする? という感じの壁にぶち当たる。そしたら趣味の一人旅をしていた奈多さんと偶然会って、その秘めたる異常や崩壊しちゃっている倫理観を活かして殺し屋稼業やらない? って誘われたの。それで、特にどうするかを考えていなかった私たちはその考えに乗って、今に至るというわけですね」
「最後が駆け足というかなんか適当じゃなかったか?」
「ご清聴ありがとうございましたー」
「勝手に終わらせやがった!」
……あれ? ということは、なんだ。こいつにお爺ちゃんとかお婆ちゃんっていないんじゃね?
―――×××―――
「……」
「……」
少しばかり沈黙が続いた。が、その束の間の静寂は洋樹がすぐに切り裂く。
「――えと、まぁ、これが、私たちが殺戮鬼をやっている理由で、私がこの世に生み出された経緯なんだけどさ。それが紛れもない真実なんだけど………。あの、さ……」
これまでの態度からは一転して、少しばかり遠慮がち、というよりも、躊躇っているようだった。
何かを恐れて、何かに怯えて。
「どうした?」
こういった場面で、こうやって真正面から訊ねることしかできない俺は、デリカシーが足りないのだろうか。そういや、配慮と言えば真面目そうな雰囲気なのに、デリカシーと横文字に変えただけで頭の悪そうな女子が使うような言葉に変わってしまうのはどうしてだろう。同じような意味なのに。
「――それについては、マサくんはどう思う?」
言いたいこと、聞きたいこと、いくつもありそうなのに、それを飲み込んで、短く吐き出す。
「それってなんだよ」
短すぎて伝わんなかった。なんかゴメン。
「いやー、それっていうか……、私の生い立ち的なもの? ほら、これってマサとか普通の人たちからしたら変わっているというか、違っているというか、明らかに異なっているでしょ? それも、悪い意味で。だからさ、それについての感想というか、意見を忌憚なく、ぷりーず」
「そんなん知るかよ」
「ものすごく躊躇の無い本音を言われた⁉ バッサリと言い捨てられた! いやいやいや! 違うでしょうが‼ もっとこう、何か色々とあるんじゃないのかなぁ⁉」
「いや、特にはないな。というか、そんな些細なことはどうでもいい。そんなこと考えるくらいなら明日の晩ご飯を考える。俺的にはキムチ鍋がいい」
むしろキムチだけでいい。なんなら唐辛子だけでもいいや。いっそのことキムチから唐辛子だけ取り出そうぜ! それどころか唐辛子だけで鍋しようぜ!
「些細⁉ 言うに事欠いて些細と言ったな⁉ 私のヤヴァイ過去を聞いて、それを些細と称してそんなこと扱いして、それよりもキムチ鍋のこと考えるとか頭おかしいんじゃないですか⁉ キムチ鍋とかどうでもいいじゃん! 鍋にキムチ突っ込んだだけの鍋じゃん! 何でもかんでも辛くすればいいと思ってんじゃないよこの辛党野郎が!」
「あぁ! 叶ちゃんテメェは辛党に対して一番言ってはいけないことを言ったな⁉ たしかにキムチ鍋とかキムチ突っ込んだだけの鍋だ! いや、キムチを馬鹿にするのはまだいい! ていうか正直キムチとかどうでもいい! あれ辛いだけだから! 辛さをとったら何も残らないもんアレ! でもな、辛いことを馬鹿にするのは許せねぇ! お前は今全国の辛党を敵に回したぞ! よーし良いぞ、表に出やがれ。拳で語らおうじゃねぇか! とりあえずこの手錠と縄を外しやがれ!」
「ようし、これでも私は結構武闘派だからね! 後悔しないでね!」
「はっ、後悔なんて数え切れないぐらいにしているんだよ。むしろ後悔しない日なんてなかった! そんな俺に後悔を説こうなんてお門違いだぜ!」
「自信満々に言うことじゃない!」
といった小芝居を挟みながら、洋樹は俺の腕に手を伸ばし、手錠を外そうとする。俺の前を動くから、洋樹の髪が俺の顔を撫でるように流れる。擦れあうたびに、髪に染み付いている無機質な石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。不快感は、ない。
「……………………(手錠と縄を外し中)」
かちゃかちゃぐいぐい――という音をBGMにふと思う。あれ? 俺って辛党だったっけ? なんか昨日までは甘党だったような……。まぁ、いいや。別にどっちだって好きだし。自分が言ったことに責任を持たない。それが俺です。
「……………………(手錠と縄を外され中)」
かちん、と俺から自由を奪っていた両の腕の手錠が外れる。腕を持ち上げようとすれば、それはいかなるものにも束縛されず、地球の重力にすら逆らい、天へと伸びる。何このフレーズ格好いい。単に手を伸ばしただけなのに!
「………あのさ、マサくん」
手錠と縄を外した後もベッドから立ち上がらず、俺の真正面で微動だにしないでいる洋樹が絞り出すように言葉を紡ぐ。
「どうした叶ちゃん」
「手錠を外してる間に冷静になって考えたんだけど」
「冷静になるの早ぇなオイ」
「私は、マサとは喧嘩なんてしたくないなぁ……。できることなら、笑っていたいなぁ。拳でなんて語らいたくないなぁ。愛のある暴力ならいいけど、愛の無い暴力は痛いから――心が痛いから、嫌です」
……へぇ。
「痛いのは、嫌だよな」
痛いのは嫌だよ。辛いのは嫌だよ。苦しいのは嫌だよ。けど、それすらも人間は慣れてしまう。
便利なものだろう。そうやって嫌なことが一つ一つ、潰れていく。嫌だと思えなくなる。感じなくなる。生きていく上ではそれらはあまりにも不便だから。生き辛くて、息苦しくて、行き難いこの世界を歩いていくには、それらはあまりにも脆い。いとも容易く傷ついて、膿んで、腐っていく。そうやって何度も何度も繰り返すうちに、麻痺して、腐敗して、壊れていく。世界に順応する。
無垢さんは自分たちを壊れていると言った。
洋樹は自身を外れていると評価している。
その癖に、そんなことが言えるというのなら、本当は壊れていないのではないだろうか?
いや、こんな考察を今しても価値があるとは思えない。するまでもなく、こうやって関わっていくのであれば、分かっていくことになるだろう。なら、今は前を見ていればいい。
ほら、ちょうど洋樹が口を開いた。人と話すときは、しっかりと目を見て話しましょう。
「私、まだちゃんと言ってなかったよね」
「え? 何を?」
「真崎くん、私は君のことが好きです。大好きです」
洋樹ははっきりと俺を見据え、その言葉を口にした。思いを口に出した。
「始めて見たときから。初めて君を知った時から。好きでした。見た目がとても好みでした。
けれど、それよりも、なによりも、君という人間がとても好きです。
君自身のその性格が好きです。人間性が好きです。人生観が好きです。価値観が好きです。
私は惚れっぽい性格だけど、いかんせん私はこういう人間です。普通の恋は無理だと思っていました。
特別な恋愛は成就しないと考えていました。
一目惚れしそうになっては諦めて、諦めて、諦める。
そんな私でも、君となら、恋ができるような気がしました。
君を知って一目惚れして、君を識って惚れ直して、君に理解してもらいたくなりました。
勝手な思い込みかもしれません。都合のいい思い違いかもしれません。
それでも、真崎くんとなら、恋愛が出来そうな気がします。
――だから、私と、結婚を前提に付き合って下さい」
告白されたのはこれで何度目だったろうか。いや、そんな思考をするほど告白されたわけではない。確かこれで三回目だった気がする。記憶力に関してはあまり自信が無いのだ。それが人間関係であれば尚更だったり。
初めて告白されたのは中学生一年生の時だった。異性との付き合いというモノに関して何も知らなかった俺は、情けないことに弟にどうすればいいのかを聞いたのだ。弟は自分の価値観しか押し付けない。本心しか語らない。そして、弟が言うことは、俺の考えをどこまでも具体的に、詳細に、明確に、俺なんかよりも俺が考えていることを言葉にしていた。それくらいには信頼していた。信用していた。三歳も下の実の弟を。
そして弟はこれをその人に訊けばいいと俺に教えた。そして俺はまたそれを口にする。
『俺の幸せの為に、あなたは不幸になれますか?』
初めて告白してくれた人はそれでいなくなった。
二度目に告白してきたのは他人への依存がとても高い人で、躊躇せずに笑顔で頷いた。
どちらとも、始まることなく終わった。――なら、こいつはこれにどう答えるのだろうか。
洋樹は乾いたような笑みを浮かべる。思惟は一瞬だった。すぐにその口を開く。
「私はさ、マサが笑ってくれるなら、それで幸せかもしれない。――ううん、きっと幸せ」
彼女の答えは二人目の人間ととてもよく似ていた。
自身を蔑ろにして、それでもなお他人が笑顔でいることを求める人間は、人間で無い。俺は認めない。
いつだって人間は自己中心だ。自分が大事だ。自分が大切だ。他人からしてみれば心地よく、甘美に聞こえるような大義名分も理想論も希望的観測も、結局は自分の為だ。何よりも自分の意思で行われている。森羅万象三千世界起こす事象の全てが全て自分の為に繋がる自己の欲でしかない。
それ自体はいい。それが醜いことだとは思わない。それは当然のことなのだ。それによって他人に迷惑がかかるのも当然と言えよう。彼我は相容れない、これが世の常だ。そして、自分の為に行ったことで他の人が幸せを感じることだってある。相容れなくとも、相互に利潤を得ることは出来る。それは良いことであるのだろう。自分の為に、自己満足の為に行われたことが結果として他を幸せにする。そうなったとき、それは大変素晴らしいことなのだろう。
けれど、俺が嫌いなのは、それを他人に押し付けることだ。自分の為に行っていることを、自身の為に努力したことを、自己の為に必死になったことを、他人の為であると、さも自身は損得など考えていなくて、尊くて徳のある人間だと言う奴が、嫌いだ。吐き気がする。
いいではないか、たとえそれが自分の為でしかなくて、誰かが助かったのも笑顔になったのも結局は副次的な結果だったとしても、それでも誰かが幸せになったのなら。胸を張れることではないか。
威張っていいんだ。誇っていいんだ。自分のおかげで他人が幸福になったことに。
なのに、それでも、それを自分の為ではないとする人間は、あまりにも、醜い。
自分を第一に考えられない奴は、人間じゃない。――けれど、洋樹は人間だ。なら、人間のくせに自らの欲を出さないで、綺麗な言葉だけを言うのなら、俺はそれを醜悪だと断じる。
「その考え方は綺麗事だから、好きになれない。――いや、嫌いだ」
だから、俺は洋樹の言葉を真っ向から否定した。けれど、それでも洋樹は微笑んだ。俺がそう言うことを分かっていたかのように、頷き、言葉をさらに紡ぎ出す。その透き通るように綺麗な、それでいて芯の通った声で紡いでいく。
「うん、きれいごとだよ。ただのきれいなことば。本当は君が笑って、幸福そうに微笑んで、優しい目をして、そして、その目には笑顔の私が映っているのが一番理想的。うん、それが私の理想。私の願望。願いで、望み。だからさ、欲を言えば、片方の幸福のために片方が不幸になるより、両方が不幸になるより、私は二人で一緒に幸せになりたい。二人で笑いあいたい。
だから、私はマサと、四谷真崎と、真崎と、拳じゃなくて――
――愛を語らいたい」
間接照明の明かりによって、部屋は夕方を連想させるような温白色で満たされている。今この瞬間、この狭い世界は白くない。無色でもない。暖かで、優しくて、侘しい橙色だ。
そんな部屋でも、彼女の金色の髪はその絢爛とした輝きを失わずにいるし、澄み渡った青空を思わせるような碧眼もその青さを微塵も失わせていない。
「…………」
俺が返事をせずにいると、洋樹が行動に出た。
「………っ」
洋樹は意を決したかのように目を瞑り、頬を赤く上気させる。緊張しているのか汗が伝わり、俺の首に滴った。ただでさえ近い距離を詰めるように、触れ合えるように、少しずつ近づいてくる。
――人間は決して同じ場所にはいられない。だってほら、その場所にはすでにその人がいるから。どんなに近づこうとも、決して重なることは出来ない。近づくだけしかできない。意思なんかどうしたって完璧には伝わらないし、真意なんか自分にだって分かってないことがほとんどだ。
それでも、近づくことは出来る。どんなに願おうとも一緒にはなれないから、近くにいようとすることは出来る。間違っていても、誤解があっても、すれ違いがあっても、それでも、近くにはいられる。
洋樹のこれは、そういったことなのだろう。
少しでも近くになるために、少しでも同じようになるために、触れ合おうとする。
彼女のこの行動は、あまりにも人間らしい。ただの、少女の、健気で幼気な行動だ。
さて、俺は、俺はどうするべきなのか。
洋樹叶の怖いくらいに純粋で純情なこの行動にどうやって反応すればいいのか。
――いや、そんなのはとっくに決まっている。自問自答なんかするまでもなく、解は出ている。
洋樹の顔は目の前だ。綺麗な顔立ちをしているなぁ、そんなちょっとした感動をまた出来るくらいには近い。いや違う、そんな現実逃避をしてはいけない。そう、これは現実だ。
集中する。全身の神経を研ぎ澄ませる。指の先の筋繊維の一本まで意識を通わせる。
洋樹が上に被さって徐々に近づいてきているから、腰を捻るなどの大振りな動作ができない。だから、体全体の力を一点に集中させ、ほとんど体を動かせないような体勢からでも強力な一撃を出すために、意識を洗練させていく。
「マサ」
目を瞑っていても大体の距離は分かっているのだろう。俺がいることを確かめるように、呟く。
そして俺はその呟きに合わせるように足から背中へと筋肉のバネを稼働させ――
「ふんっ‼」
上体起こしの要領で洋樹の額を頭突いた。
がっ、という鈍い音と一緒に洋樹の 「ぎゃうん⁉」 という悲鳴(?)が部屋の中に響く。
「人間は思いもよらない衝撃には弱い。普段は意識しているから、殴られたりしても無事というか、反応することが出来たりすることが多いけど、予想外の攻撃にはなんの反応も出来ないからとても脆い。なんてことをどっかのマンガで呼んだけど、いやいや、全く以てその通りだったなー」
俺の隣で伸びている洋樹に聞こえていないであろう解説を入れる。
「とりあえず、今夜は遅いから。寝ろ」
洋樹叶。俺はさ、お前のことが嫌いじゃないんだよ。
でも、別に好きでもない。
そういうとき、どうすればいいのかを俺はまだ知らない。どうやってお前に相対すればいいのか決めることが出来てない。今までは真剣に考えずに弟の価値観を借りて、それを当然のように振り回してきたけれど、それはもう止めようと思う。
そう考えてみれば少なくとも、お前たちに会ったことは悪いことなんかじゃないかもしれない。流されるだけだった俺の人生を考え改める機会をくれたから。
真剣に考えてみよう。本気で考えてみよう。それが間違いでも、失敗でも、過ちでも、俺が考えて出す結論だ。俺はそれを受け止める。
だから、それまでは、
受け入れるかどうか、先延ばし。――すまん。
―――×××―――
「やぁ、おはよう四谷真崎くん。目覚めは良好かな?」
あ、ありのままの今起こっていることを話すぜ……、目が覚めるとそこには綺麗な黒髪のお姉さんが居ました。そして視界の半分はお姉さんの大きな胸で覆われてたよ! ………うん、頑張って緊張感あふれるシュールなこの現状を分かり易く説明しようと思ったけど、思いつくのがこのネタしかないや。ていうかもうね、この目覚め方もすでに三回目だ。正直慣れた。正直四谷さん慣れました。だから四谷さんはお姉さんにこう言ってやったんだ。ビシッとね。
「お、俺の貞操は無事ですか?」
ビシッと言ってやったつもりなんだけど、声は何故か震えてました。
「ごめん、食べちゃった☆」
二十代前半ぐらいに見える、どちらかと言えば大人っぽい女性がするはにかみは破壊力が抜群だった。どれくらい破壊力が凄いのかと言えば、お坊さんが煩悩に堕ちても仕方のないぐらいに破戒力が抜群だった。……決して、上手いこと言おうとして失敗したわけじゃない。
「笑顔で言うことじゃねぇ!」
「じゃあどういう顔して言えばいいんだい?」
「む、そう言われると確かに困りものですよね。どんな顔しようがこっちの気分は晴れないですし、そちらが俺の貞操を奪ったという事実は捻じ曲がらない…………」
色々とショックで語尾が萎んでしまった。始めては好きな人って決めてたのにナー。
「まぁ、もちろん冗談だけどねっ☆」
「タチが悪いっ!」
慣れたとか散々言っているくせに相手のペースに引っ張られまくりだった。ダメじゃん俺。
という軽い自虐を挟んだところで、相手の顔に見覚えがあったことに今気づいた。歓迎パーティの時に俺に好意的な目線をレーザーのように放ってきていた人だ。
「あぁ、朱鷺宮奈多さんか。……これで名前合っていますよね?」
前もって無垢さんに教えてもらっておいた名前を口にする。
「おうおうおう! なんだいなんだい、まだろくに話していないというのに私のフルネームを言ってくれるとか嬉しいことをしてくれるじゃないかー。そうだよ合ってるよ私が殺戮鬼の参謀にしてみんなのお姉さんを任されている朱鷺宮奈多だー。どうだい少年こと真崎くん! こんな美しくて見目麗しくて器量が良くて可愛くて綺麗でフレンドリィで親しみやすくて愛に溢れて愛にあぶれた素晴らしいお姉さんと知り合いになれて嬉しいだろう!」
前半とか殆ど同じ意味のような気がしてならないけれど、まぁ実際に(体が)素晴らしいお姉さんだから何も言わない。
「はい、光栄ですね!」
とりあえずは当たり障りのない言葉を選ぶ。
「いいねぇ、素直な男の子はお姉さん大好きだぜー?」
「いいですねぇ、俺も胸の大きいお姉さん大好きですぜー?」
当たり判定も触り判定も厳しそうなことを言ってしまった! やっべー、つい本音が出てしまった。
「ん? そうなの? 真崎くんは胸の大きい年上が好きなのか?」
と、呆けた顔で奈多さんが俺に訊いてくる。
「むしろ年上巨乳が嫌いな奴なんていませんよ。そんな奴は男じゃありませんね。敢えて言うなら漢ですね」
「それだと屈強とか強者とか武士とかのイメージが連想される漢が、逆説的に貧乳ロリが好きな変態になっちゃうでしょうが……。そんな漢は嫌過ぎるでしょー」
テンション高めのヒャッホー系お姉さんだと思ったら普通に突っ込みもできる奈多さんだった。
「けどほら、守られる側と守る側がいい感じに逆転するし、悪くはないんじゃないですかね?」
「真崎くん、今ナチュラルに自分を女性に守ってもらう側に置いたわよね」
「男女平等というよりも女尊男卑の時代ですからね。弱い者が守ってもらうのは当然の理屈ですよ」
「確かにそうかもしれないけど、なんか釈然としないなー。ていうかアレだよね。守ってもらうことを当然のようにしているのが良くないのかな。保護、というか庇護される側がそれを当然と思っちゃうのはよくない傾向だと思うなー」
「甘いですねー奈多さん、進路希望調査の第一にヒモを書いた俺に死角はありません。もちろん炊事洗濯掃除から接待に精神と肉体のケア、果ては夜のお供までばっちりと勉強してあります」
「わー、凄いけどその方向性を完全に間違っているなー。真崎くんには生きていく資格が無いんじゃないかなー?」
ネタをパクられた上に軽い死刑宣告を出された。すげー悲しい。
「まぁ、勿論のこと先生に駄目だしをされて大学進学に変えましたけどね」
「うん、それがいいと思うよー。……いやー、ていうかあれだよね。かなちゃんは変な男を引いちゃったねー。真崎くんてば超可愛いから全然いいけど」
「それって本人を目の前にして言っていいことなんですかね? 変とか可愛いとか言われて落ち込めばいいのか照れればいいのか迷うんですけど」
「笑えばいいと思うよ」
「笑う場面ではねぇな」
―――×××―――
「んで、どうだい真崎くん。殺戮鬼には慣れたかい?」
しばしの雑談の後、奈多さんは俺にそう切り出した。話が本題に入ったのだろう。
「質問の意図が分かりませんね。慣れたとはどういう意味ですか?」
「そのまんまの意味として受け取ってもらって構わないよー」
「だとしたら微妙ですよ。俺がこうやってまともに話したのって、殺戮鬼の中では叶に無垢さんに奈多さんだけですからね。まだ半数も話したことがない。そんな状況でどうやって馴染めばいいのやら」
現在いる場所は和室だった。床には和室の象徴ともいえる畳が敷き詰められ。壁には高いのか安いのかよく分からない素人目には判断が厳しい水墨画が掛けられていた。
ちなみに、部屋には布団が敷かれており、部屋を跨いで膝枕は継続中だった。天国。
「ほほー、ならどうだい。さっそく他の奴らとも交流を深めるかい?」
「生憎、自ら進んで人と関わろうとはしない性質なんですよ。ていうか、正直面倒くさい」
そのせいで俺は友達が少ない。
「じゃああれだ。私と交流を深めようか!」
「あー、良いですね。そうしましょう」
こんな綺麗な人と交流を深められるとか、そりゃもう棚から牡丹餅どころか空から女の子のような幸運だ。………そのあと天空の城に行きそうだな。
「てなわけで真崎くん、私の弟にならないかい?」
奈多さん良い笑顔で言い切りやがった。
「………唐突過ぎやしませんかね」
「いやー、前々から可愛い弟が欲しくてねー。そしたらこれだ。かなちゃんがいい感じに私好みの可愛い男の子を連れてきたじゃないか。こりゃ弟にするしかないだろうと思ったね。てなわけでどうだ!」
俺は今までの言動と今の発言を合わせて、朱鷺宮奈多という人物にあたりをつけた。
――この人はあれなのだろう。自分を世界の中心、もしくはそれに類する人間だと思っている人なのだろう。
何かが起こるのは私の為で、誰かが生きているのは私のおかげであると。そう思っているような人種なのだろう。でなければこうも人の意見を無視して話を進めることが出来るはずがない。
そして、そういう人間にどう対応すればいいのかを俺は知っている。
「うん、もういいや。じゃ、俺は今日から奈多さんの、もといお姉ちゃんの弟です。不束者ですが以後よろしくお願いします」
諦める、それ一択だ。俺の人生は諦めがほとんどで、大体のことにこれを適用させているが、まぁ、今回も例に漏れず諦めることになった。妥協って素晴らしい言葉だよねー
俺の返事に対して、奈多さんは当然といったように頷き、嬉しそうに俺の頭を撫でまわす。
「わっはっはー! じゃあこれで契約は成立だ。今日から君は私の弟だ! いやー、嬉しいねぇ! それにだな真崎、お姉ちゃんに対してそんな堅苦しい言葉は使わなくていいからな! もっと気軽にフレンドリィに気楽に行こう。なんてたって私たちは姉弟だ! 嬉しいなぁ、嬉しいなぁ! 弟が出来たぞー!」
テンションが天井知らずだった。弟が出来たのがそんなに嬉しかったのか、満面の笑みで俺の頭をワシャワシャと触りまくる。すでにキャラがぶれ始めてるよお姉ちゃん。ていうか髪をワシャワシャとするのやめてください、俺の父さんとかあまり毛根が強くなかったんです。将来が心配になっちゃうじゃないですか。
まぁ、俺としては姉(義理)が欲しかったところなので、ちょうど良かったかもしれなかった。
やったねマサくん! 家族が増えたよ!
……あぁ、ていうかアレか。初日の歓迎会で俺に対してかなり好意的な目線を発していたのはこれが理由なのか。と、今さらになってあの時の奈多さんの目の輝きっぷりの理由、もとい伏線を回収した俺であった。
―――×××―――
「ところでお姉ちゃん。質問があるんだけど」
「ふふふー、なんだい弟くん。私の応えられる範囲ならなんでも答えてあげるよー?」
未だに寝ている洋樹を放っておき、リビングにて奈多さんと朝食を取ることになった。
朝のメニューは昨夜のうちに洋樹が作って寝かしておいたカレーである。ちなみに中辛、妥協点だな。
「その弟の件についてなんですけど、別に俺じゃなくてもよかったんじゃないですか?」
「うん? それはどういう意味で?」
「いやだってほら、俺なんかよりも明らかに適任なのが居ませんでしたか? あの双子……確か雨宮兄弟でしたっけ? 兄の名前が影で、弟が光の、あの仲が良いんだか悪いんだかよく分からない兄妹」
俺は無垢さんに教えてもらった殺戮鬼のメンバーのプロフィールと、初日に行われた歓迎会の時に見た顔を思い出す。
中学生くらいの、瓜二つとまではいかないが、双子と言われれば納得できる外見をした――というか、実際に双子のあの二人の男の子。わざわざ新参者の俺を弟分にするまでもなく、あの二人を弟にすればよかったのではないか。そう思ったのだ。
「あー、あの二人かー……」
と、そこで喋るのを止めて、カレーを掬い、俺の口の前に運ぶ。
「弟くん、あーん」
にこにこと微笑みながら、ほれほれと、食べろと口に押し付けてくる。なので食べる。
「美味しい?」
「美味しいですけど、これを作ったのは叶ですからね」
「知ってるよ。それにしても、かなちゃんの料理は美味しいよねー。こんなに美味しいのが毎日食べられるんだから、弟くん幸せ者だねぇ」
「付き合うかどうかも決めていないというのに過程すっ飛ばして家庭を築かせてんじゃねぇよ」
「そうそう、どうして雨宮兄弟が駄目なのかというとねー」
「言葉の応酬っていわば会話のドッジボールですよね……」
「目がさ、とっても綺麗なんだよね。人殺しだとは思えないぐらいに、夜空に瞬く一等星のように輝いているんだよ、あの二人」
「はぁ……」
しっかりと目は見ていなかったので、奈多さんの意見に対して俺はなにも口を挟めなかった。
「それに引き換え、君の目はいいよ。――いい感じに濁ってる」
俺の顎を掴み、テーブル越しに引き寄せる。奈多さんの目が俺の目を凝視する。
「え、それ褒めてないよね?」
「ううん、そんなことはないよ。少なくとも、私はそれを美点だと思っている。それは君がしっかりと現実を見据えて生きてきた証だから」
顎から手を離し、その放した手で俺の右の瞼を閉じる。
「人間は生きているうちに汚いモノを沢山見ちゃうんだ。世界は腐敗している。世界は堕落している。世界は醜悪に満ちている。そんなモノだらけの世の中だから、汚れていくのは当然なんだよ。
――それに引き替え、殺戮鬼の面々はあまりにも綺麗な目をし過ぎている。人間が出来るような目じゃないんだよ、あれは。世界は希望で満ちているとか、世界は優しさで満ちているとか、世界は笑顔で満ち溢れているとか、そんな発想が出来てもおかしくないようなあの目は、人間には不可能だ。
だから、それゆえに、彼らは、人間なんかじゃない。
私は彼らを人間だと認めていない。
そして、それは、彼らも実のところ理解していたりするんだよね」
「…………」
それは、一体どういう意味で言われているのだろうか。俺には理解が出来るのだろうか。
「さて、弟くんに問題だ。人外とはいえ、魔物とはいえ、異常者とはいえ、人間と同じような環境で育って、人間と同じ社会で生きて、人間の心を持った化け物が辿り着く考えは何でしょう?」
「そんなのは――」
そんなのは、決まっている。
人間を作るはずが失敗してしまい、結果として妖怪人間になってしまった者たちが望むように、
回復が出来ない戦士の補助として仲間になった、触手のある粘着性の高そうな魔物が望んだように、
「――人間に、なりたい」
そう思うはずだ。
俺の出した解答に対して、奈多さんは邪気を孕んで微笑む。
「ん、正解。彼らは、彼女は、人間に成ることを望んでいるんだよ。あんな異常を、暴力を、超越を、手放して、放棄して、破棄して、そうまでしてでも、化け物から人間になりたい。
それが、私を除いた殺戮鬼全員の掲げる目標だよ」
「………」
――殺戮鬼に仮入………あれ、この場合は仮なんて言えばいいんだ? 仮入部? いや部活じゃねぇしな……。仮入会? 別に会でもないしな。仮入社? 一応会社としては成り立っているんだっけ……?
うん、まぁアレだ。殺戮鬼に正式ではないとはいえ、仮とはいえ加わって三日が経過してやっと、俺は殺戮鬼の本当の目的を知ることが出来たのである。
散楽坂無垢も、洋樹叶も、雨宮兄弟も、天使のような幼女も、三白眼の金髪メイドも、白髪土下座女も、みんながみんな人外で、異常で、化け物。
そんな彼ら彼女らは、人間になることを望んでいる。
「そんなにいいものでもないでしょうにねぇ……」
――人間という存在は。
「はっはっは! ――うん、まったくだよ」
奈多さんは俺の呟きに笑って同意する。
「面倒ですからねぇ」
「面倒だよねぇ」
これは、持っている人だからこそ――違う、持っていないからこそ言えることなのかもしれない。人間であることを面倒だと言い切れるのは、特殊な能力も、異常な技能も、超越的な暴力も所有していない、俺や奈多さんだからこそ、言えることなのかもしれない。
とはいえ、化け物は化け物で、持っているからこそ、苦悩や葛藤や猜疑があったのだろう。それゆえの、人間になりたいなのだろう。だから俺はどっちがいいかとかは言わない。
俺は、さて俺はどうすればいいのだろうか? 真相を知った俺は、彼女に、洋樹叶に、俺のことを好きだと言ってくれた彼女に、何と言えばいいのだろうか?
人間なんて面倒だから止めておけとでも言うのか、それとも俺はそれを応援してあげるべきなのか? 好きだと言ってくれた子が、化け物から人間になることを喜んで。
……なんて思考は、意味の無いことだ。そんなのは、考えるまでもないことで、伝えるようなことでもないのだ。持っていないから分かることは、持ったからこそ分かることであって、持っていない人間に分かれと言う方が無理なのだ。だから俺は何も言わない。もしも彼女が人間に成れたとき、その時に自ずと彼女は判断を下すだろう。人間になって、後悔したかどうかを。
「ねぇ奈多お姉ちゃん」
空になった皿にスプーンを放り、牛乳を美味しそうに飲み始める奈多さんに会話を切り出す。
「なんだい、目がいい感じに腐っている可愛い弟くん」
だからそれ褒めてないよね?
「『やらないで後悔するぐらいなら、やって後悔しろ』なんて言葉があるじゃないですか? でもさ、あれって結局、どっちにしろ後悔するんだよね」
牛乳を飲みながら考える素振りを見せた後、コップを離し、喋り始める。
「そうだねー。どっちを選んでも後悔するのが前提の時点で、色々とおかしいかもしれないね。けどま、後悔するかどうかは置いといて、いやこの場合は置かなくてもいいのかな? まぁとりあえず、そんな後ろ向きに前向きな言葉のとおり、実際にどうしたって後悔するような場面は存在するんだよ。というか、ほとんどがそうだったりする。じゃあその後悔をどうやって受け止めるか、どうやって受け入れるか、それが重要なんだろうね」
口から滴る牛乳がエロいな……。気づいたのか奈多さんは頬を伝い落ちようとする牛乳の雫を拭う。
「これでも後悔に関しては一家言があるような俺なんですけど」
「そんなものに一家言がある時点でろくな人間じゃないんだろうね。そこがいいんだけどさー」
「後悔するような生き方をしてる時点で、間違っているんですよ」
「自分自身の全否定じゃない」
「別に、否定ではないですよ。間違ってはいるけれど、否定はしてませんよ。というか、むしろ、間違ってるからこそ、肯定はできるんじゃないですか?」
「意味が全く分からないよ弟くん」
もう一つのコップに並々と牛乳が注がれ、俺の方に置かれる。飲めということなのだろう。
「人間の歴史とは失敗と失敗と失敗の連続であり、それこそが人間の真骨頂である。っていうのが、言い方がころころ変わるけど俺の持論なんですよ」
「もう自分どころか全人類を貶しちゃったよこの子」
「貶せるぐらいがちょうどいいんですってば……。そんな全知全能な存在じゃないんです、人間ってのは。失敗こそが人間らしさってもんですからね。だからまぁ、何を選んでも後悔しかしないような選択肢しか出ない時点で間違ってはいるけれど、その後悔をどう活かすかが大事なんだろうなと思うんです」
食べ物を食べた後はあまり喉が渇いたりしないのだが、とりあえずいただく。
「うん、その考えは悪くはないと思うよ。そうやって考えて出した結論は、間違っているとか、的外れだとか、見当違いだとか、そんなことは絶対にない。君自身が導き出した結論だからね。でもま、それが世間一般から当て嵌まる解とあまりにもかけ離れていた時は、それを調節してやるのが私たち大人の役目なのさ。
弟くん、君は大いに考えなさい、大いに悩みなさい、大いに迷いなさい。それは大事なことだから。それが間違ったとき、外れたとき、噛み合わなかったとき、そんな時は私たち大人に任せなさい。
だから、今、私が君に送る言葉はそんなに多くない。というか、一つかな。
確かに後悔は間違っているかもしれない、それでも否定できないようなものかもしれない、もしかしたら肯定されるべきものなのかもしれない。
――だとしても、後悔はしないに越したことはないのよ。やって後悔するより、やらないで後悔するより、後悔しない方がいい。『後悔しない』 を、それを掴みとるために、君は頑張らなきゃね。
なーにが、『後悔に関しては一家言がある』 よ。そんなのを語るのはもっと無駄に年を食ってからにしなさい、クソガキが」
その言葉とともに中々に強力なデコピンを貰う。痛い。
「痛いっすよ、お姉ちゃん」
「ははは、悪かったねぇ」
そう言って、すぐに額を撫でてくれる。
「でも、いいかい弟くん、――真崎よ、四谷真崎よ。その私たちにとっての当たり前の 『痛い』 が場合によっちゃあ、あの子たちには、特に洋樹には通じないんだよ。そんな当然すら通じない。だから、それが分かっているお前が、アイツらに、あの子に、それを教えてやって欲しいんだ。お姉ちゃんとの約束だぞ?」
人間なんかになりたいと言った化物は、人の痛みが分からない。どうしたって相容れなくて、どうしようもなく交われない。そんなことはこの人が一番知っていそうなくせに、それでも、それを俺に約束させようとする。
「…………はい」
所詮は口約束だ。いつだって破れる。いつだって逃げ出せる。だから、無責任に頷く。
「いいね、素直な子はお姉ちゃん大好きだぜー?」
殺戮鬼の参謀にして副リーダーにして唯一の人間。化け物の中でもかなり常識的でみんなのお姉さん役を担っているという朱鷺宮奈多は、人殺しなだけで、殺し屋なだけで、それだけで、彼女は普通の大人だった。俺のような子供を見て、道を踏み外しそうならば正すことはしなくても示すぐらいはする、ただの、お姉ちゃんだった。
――そういえば、今の話を聞いて軽く疑問に思ったことがあったので、今の質問の流れで聞いておこうとしていたのだった。うむ、すっかり忘れていたよ。
「ねぇ奈多お姉ちゃん。さっき殺戮鬼の目的が、殺戮鬼のメンバーが人間になることだって教えてくれたけどさ、それって、どうやってなのかな? なんか具体的な方法とか分かっていたりするの?」
人殺しというモノにも異常性というモノにも興味はないのだけれど、俺は化け物を人間にするのかについては妙に、惹かれた。興味が湧いた。
洋樹の話では、彼らの生みの親である彩栄可想という人物は死んでしまっているということになっている。そして、その彩栄可想博士が記していた研究データというのも、(おそらく)彩栄可想博士が可愛がってしまった彩栄椋によって破壊されたと聞いた。生まれついての人造化け物を人間にするという荒唐無稽なことを、そんなあてもなさそうな状態でどうしようというのだろうか。気になる。
「それは、今の殺戮鬼がやっていることと関連性はあったりするのかなと」
純粋に生きるための方法としての殺し屋なのか、それとも、人間に成るのに莫大なまでの金が必要なのか、そういった理由があるのかもしれない。だからこその、法外の仕事だったりするのかなぁと、
「うーんとだねぇ、その質問に答えるとするならば。まぁどれに関しても半分はそうで、半分は違うと言えばいいのかな?」
「つまり、ある程度は的を射ている部分があるってことですよね?」
「具体的な方法というか、可能性がある存在がいるってことなんだよ。今のところ私たちはそれに向かって進んでいるの。ただ、それはあくまでも可能性だから 『ダメだった』 と終わってしまうかもしれない。そういう可能性も孕んでいたりする、それでも、それに進んでいくしかないってのが面倒な奴らだよね、あいつらは。――それと、殺戮鬼自体は元々私がフリーの時代からああいった『常軌を逸した人間』を使って一山儲けようと考えていた組織で、たまたま彼らの意見と合致したからであって、本来は関連性なんてないかな。とはいえ、こういった危ない世界はね、色々と情報が手に入り易いんだ。だから、殺し屋もまた彼らにとっては好都合だったりしちゃう」
「なるほど……、それでお姉ちゃん、俺が一番気になっているのはさ、その人間になるための具体的な方法なんだ。失敗するかもしれないとはいえ、それでも化け物を人間に出来る可能性があるという、その方法とやらが、気になるんだよ」
だって、それは、人間じゃないモノを、人間にするということなのだろう? 人間をベースに作られたとはいえ、それは人間じゃない。
化け物を人間にするなんて、言ってしまえばそれは、人間に作り替えるということで、人間を作り出すのと同義のようで、まるで神様みたいじゃないか。
そう、思ったのだ。
「あー、なんて言えばいいのかな………。あー……」
人間にする具体的な方法が説明しづらいのか(二重の意味で?)、奈多さんは困ったような声音で唸り声を上げる。
「いや、とは言ってもあれですよ? 細かいところはいいから、ほんとこうなんか大雑把な三十文字以内にまとめた感じでいいんだよお姉ちゃん?」
このフォロー、よくよく考えるとフォローになってないよな。
というような自問自答が出されたのと同時に、奈多さんは喋る内容がまとまったのだろう。悩むような唸り声を上げるのを止め、俺に分かり易く教えてくれた。
「まぁ、アレだ。簡単に言ってしまえばだね。彩栄椋って知ってるよね? かなちゃんの話にも出てきたはずだけれど、かなちゃんたち殺戮鬼の原点となった少年だ。それで、残っていた数少ない彩栄博士の資料にね、彩栄椋の異常性の一端を担っているのが彼の両目らしいっていう文言があったんだ。
眉唾も良い所のなんの根拠もない(他のデータは消失しちゃったからね)ようなことだけれど、それでも私たちはそれに一縷の望みを託すことにした。
だから私たちは、彩栄椋をぶっ殺してその両目を頂いて、それを使って殺戮鬼らを元に戻そうと考えているわけだよ」
目玉を抉り取るような可愛らしい動作を交えて、奈多お姉ちゃんは大雑把にだが化け物を人間に作り替える方法を教えてくれた。いや、そのための方法ではないのか。奈多お姉ちゃんが教えてくれたのは、そこに至るための、手段。
その方法は、手段は、まさしく殺戮鬼の原初であり、原点であり、源流であり、起源であるところの、
彩栄椋の両目を抉り取って行われるらしい。
殺して。
眼を抉る。
自分ために、自分たちのために。
誰かを犠牲にする。他者を犠牲にする。
人間に成る為に。
けれど、それは人間の本質でもある。他を殺し己を生かすのは生物の本懐でもある。
――ここから、物語はその方向性を確定した。
血はお好きですか? いいえ、嫌いです。
痛いのは嫌いですか? はい、苦手です。
悲しいのは苦手ですか? はい、不慣れです。
絶望には不慣れですか? はい、辛いです。
無力は辛いですか? いいえ、好きです。
そんな質問も回答も結局は意味を為さない。俺の意思なんか無視される。
希望論なんか通じるわけがない。安直に考えていたことは受理されない。
バッドもグッドもデッドもノーマルもトゥルーも存在しない。
あるのは、現実だけ。不条理なまでの、不合理なまでの、不都合なまでの、現実。
俺たち僕たち私たちが毎日を生きる、やってられない現実。
それでも向き合わなきゃいけない、そんな、現実と。