インタールード
インタールードって言っておきながら普通に本編です。インタールードってなんかオサレだから使いたかったんだよね
《あるのかもわからないような眠れる才能を覚ますより、目を覚ませよ》
by四谷真崎
「僕はね、超能力者なんだ」
高速道路に乗り込んでから少しして、無垢さんがそんなカミングアウトをしてくれた。先ほどの光景を見たばかりでは、今の言葉は鉛のように重い説得力を帯びていた。超能力のような超常現象なら、あのような現象にも納得ができる。出来てしまう。
「世界を大いに盛り上げる団にでも入るんですか? だとしたらカミングアウトをする人を間違えましたね」
だけど、それを真に受けてまともな対応をしたら、なんか負けた気分になるので、軽口で返すことにした。
「僕は閉鎖空間に入れるような類の超能力者じゃないからね。別に間違ったとは思わないよ」
「………………」
元ネタ知ってんのかよ……。
「真崎くん、行きのときに言ったよね。目で見たモノは受け入れるって。――じゃあ、僕が超能力者であることも、僕たちが殺し屋であることも、受け入れてくれたかな?」
「まぁ、信じますけど……。実はあれは全部特殊メイクとかで、俺を騙すための大規模のドッキリだとか、そういった可能性を考えたら疑いは尽きませんでしたけど、わざわざそんなことをする理由があなた達にはない。だから、アレは本物だと、信じます」
超能力なんて、信じていない。存在しない。有り得ない。
そんなふうに思っていたはずなんだけどな。
そうやって生きてきたはずなんだけどな。
だとしたらなんで俺は、そんなに簡単に認めてしまったのだろう。
人の手に負えないようなそんな存在を、人の手に余るそんな力を。
分からないや。わかんないから、分かんないままでいいかな。
――考えることを、否定することを、今だけは、放棄しよう。
そう言えば、聴覚の切断は本当に一時的なものだったらしく、あれから二〇分ほどで徐々に回復し、今では元に戻っている。もしも戻らなかったらどうしようとか本気で悩んでいたことは内緒だ。
「うーん、真崎くんは物わかりが良いから、話しているこっちも楽でいいよー」
「そうですか……」
疑うことを放棄しただけなのだけれど。
「それに真崎くん、人が死ぬところを見ても、少ししか動揺しなかったよね? 殆ど強制に近い形で連れてきたのも、君に人が殺されるところを見せようと思ったのも僕だけど、――人の頭がはじけ飛んだのを見たにしては、僕が老人を撃ち殺したところを見たにしては、君はあまりにも、冷静過ぎた。まるで見慣れているように見えたけど、どうして――なのかな?」
無垢さんが目を好奇心とはまた別の理由で光らせてくる。その目は、俺の中身を探ろうとしているようで、なんか気持ち悪かった。別に、探るほど俺の心は深くないのに。無理矢理、浅い底を拡張しようとするような、強制的に底を深めようとする視線だった。掘削機のような目、とでも言うのかな。
「弟が目の前で、死んだことがあるんです。こう、頭が地面にぶつかると同時に弾けるんです。それを見て以来、まぁ、今回がその以来なんですけれど、慣れていたようです」
半分くらい、嘘だったりする。弟は目の前で死んでいない。弟は目の前で死んでいただけ。そんな些細な違いだから、訂正するまでもないだろう。人を騙すコツは、嘘と真実を織り交ぜることだ。
「へー、弟さんが死んだところを……」
無垢さんは不味いことを聞いてしまった……なんて普通の人がしそうな反応はせずに、俺の弟の死をただの情報として処理した。
俺にとっては、無垢さんのような反応が一番楽だったりする。他人が一人死んだ程度のことにいちいち感傷的になり、一時的でしかない同情を俺に向け、感傷に浸るような行為が一番目障りだったりする。だから、無垢さんのその態度は、俺にとっては面倒が無くてよかった。
「それで真崎くん、超能力者の僕に何か聞きたいことってあるかい?」
興味は一瞬で失ったのか、はたまた興味なんてなかったのか、無垢さんはそれ以上俺の弟については言及せずに、自身に対する質問タイムを設けてくれた。
「えと、じゃあ質問ですけれど」
「よしきたー。何かな何かなー?」
「先ほどの……なんて言えばいいんだろう……んー、仕事。そう、先ほどの無垢さんが仕事で行った 《危ない人たち》 の掃討なんですけど、あれって、無垢さんの言う超能力で殺したんですか?」
「いきなりだねー。君は本当に躊躇いとかしないのかなー? ……うん、まぁ別に隠すような事じゃないから教えるけれど、正解でーす! わーぱちぱちー。そうです、あれは僕の超能力で起こした現象です。まぁ、そういった超常現象の類じゃなきゃ、あんな頭を破裂させたりとかスクリューさせたりとか不可能に近いからねー」
「無垢さんの言う超能力とは、どういった種類のものですか?」
「あっはっはー。ぐいぐい来るねー。まぁ、いいよ。教えてあげちゃおうじゃないか。僕の超能力はね、いわゆるPKだ。つまりはサイコキネシスとかかな。そうだねぇ、例を挙げるならほら、スプーン曲げで一世を風靡したユンゲラーみたいな感じかな」
「俺がユリ・ゲラーを知ってなかったらこのボケをどうする気だったんですかね………。知っていたから結果オーライでしたけれど。普通、俺の世代だと知らない人が多数ですからね?」
「え、ほんと⁉ ユンゲラーの元ネタであるユリ・ゲラーを知らない人とか存在するの⁉」
「ていうか、無垢さんだってブームの世代からギリギリ外れている年齢だと思うんですけど……。まぁ、なるほど、無垢さんは念動力とか、そういった力を使うんですね? 他には、精神感応とか、発火能力とか、そういったのは?」
「あー、無理無理、あくまで僕が使えるのは 『離れた場所にエネルギーを発生させ、それに方向を加えることができる』 ってだけだからさ、物体から情報を読み取ったり、手から炎を出したりすることはできないよー」
――まぁ、やろうとすれば炎に関してはできるんだけどねー。と、付け足す無垢さん。
出来んのかよ。どっちだよ。――というツッコミは控えておくことにしておいた。
「それって、どれくらいの強さがあるんですか? 人の頭を捻じることができるってことはある程度は、人の出せる力を超えているのは理解できるんですが……」
一応、人の頭を素手で引き裂くような人間は存在しないはずだ。存在しないはずなのだ。
「うーん、力云々の前に一つ訂正しておくけど、別に人の腕力でも人の頭部を千切ることぐらいは簡単だったりするよ」
あっさりと覆された!
「へぇ、そうなんですか?」
「うん、ただ単に人体だと力の使い方が限定されるから、必要以上にエネルギーが必要になるだけで、やろうとすれば子供の力でも大人の顔を引き千切ることぐらい朝飯前だったりする」
例を挙げて分かり易く教えてくれたのだろうけれど、その例えはさすがにアウトだ。子供が無邪気に大人の顔を引き千切っている姿を想像してしまった。PTAから苦情が来てしまう。
「まぁ、超能力自体もかなりのエネルギーを生み出して操ることができるんだけどねぇ」
「具体的に言えば?」
「東京タワーを捻じ曲げるぐらいは、まぁ晩飯前かな」
「ユリ・ゲラーさんも真っ青の強さじゃねぇか!」
ていうか、晩飯前ってなんだよ晩飯前って。それってかなりの労力を必要とするということなのか? いや、たとえかなりの労力を必要するとしても、人一人で東京タワーを折り曲げることができる時点で自然界の法則とか、この世の理とかから逸脱しているだろう。――まぁ、本当だったらの話けど。
たとえそれが本当でなくとも、彼は人を殺すことができる能力を所持し、惜しげもなく使用しているのだ。その時点で十分に危険。間違いなく、危ない。
「――そういえば、あの部屋は、死体とか、飛び散った肉片とかそのままにして出てきてしまったけど、あれでよかったんですか?それに、老人のことは銃で殺していたし……。あれってなにかしらの理由があったんですかね?」
「うーん、それについては少しばかり考えれば分かることだと思うけれどー、まぁ教えちゃおうか!そもそも僕たちが人を殺しているのは慈善事業でも、正義の味方でも、悪の敵でも、義賊でもなくて、仕事なんだよ。僕たちに依頼する人たちがいて、僕たちはそれを遂行するだけ。それで、今回の依頼は、彼らを――あの老人を殺すだけ。あのカードキーとかを手配したのは依頼人だし、あのマンションにターゲットがいるってあらかじめ教えてくれていたのも依頼人さ。今回僕が言われたのは、頼まれたのは一つだけ、老人を殺すことだけだったんだよ。老人を殺したのならば後始末は向こうがやると言われていてね。だから、放ったらかしで来たんだよ」
――今回のは、そういった後始末と事前準備の面では非常に楽な仕事だったんだよ。と付け足す。
あぁ、なるほど……、だからか、だから老人は銃で殺したのか。
「ちゃんとターゲットである老人が死んでいて、なおかつ老人であると一目見て分かるように、他の人たちとは違う――原形を留めやすい、死体の判別がつきやすい、銃で殺したんですか」
「正解」
無垢さんは口頭では四文字、文章にすれば二文字で俺の言葉を肯定した。
それに、彼が超能力が使える殺し屋であることを明確に表すためでもあったのだろう。超能力だけの殺人でも拳銃だけの殺人でも俺が納得しないと思ったから、両方を見せた。
「――じゃあ次の質問ですけれど、殺戮鬼は、人殺しの集団なんですよね」
「いやいや真崎くん、その言い方には語弊と悪意があるよ。僕たちはあくまでも殺し屋だ。確かに人殺しではあるけれど、それはあくまでも仕事だ。別に僕たちは好き好んで人を殺しているわけじゃない。生きていく上での手段としての人殺しだ。そこは間違えないで欲しい」
人を殺すことを目的として集まった集団ではなく、人を殺すことによってその対価を得ることを目的としているということだ。人殺しが、目的ではなく、目的の為への手段へと、成り下がっている。――なにから成り下がっているの? どちらかというと、成り果てたが正しいのかな。
けど、結局のところ俺の中での葛藤を余所に、心とは別に、精神とは別に、口が動く。
「でも――――」
でも、その言い方だと。その言い方だと――
「洋樹も、人を殺しているんですよね?」
あの金髪碧眼の、俺のことを好きだと言ってくれた、俺が現在此処にこうして居る原因を作った少女が、人を殺しているということになる。
「あなたは、俺が信じていなかったときに、老人を殺しに向かっているときに言いましたよね。洋樹が、あなた達のまとめ役であると、リーダーであると。それってつまり、洋樹が一番人を殺しているということに――」
――たとえそうでなくとも、彼女は、そんなあなた達の上に立つような人間であるということになるのでは? そう問いかけようとしたが、言葉は途中で遮られた。
「おっと、ちょっと待って真崎! その結論を出すのは早すぎる。 確かに僕は僕たちが殺し屋であるとは言ったけれど、それを叶ちゃんに適用させないでくれ。 ――彼女に会うときに、君が彼女をそういった目で見ることは極力避けたいんだ。彼女、叶ちゃんは、僕たちとは事情が少しばかり違うから、それを分かってから、今思ったことに対しての結論を導き出して欲しい」
無垢さんが、先ほどとは打って変わって、至極真面目な、――いや、慌てるような、最悪の事態に恐れるような口ぶりで、俺の言葉を無理矢理に終わらせる。
銃を向けられていた時にだってその相好を崩すことのなかった、余裕の笑みを失くすことのなかった無垢さんが、その顔に冷や汗を浮かべ、運転中であることにも拘らず俺の目を真っ直ぐに見据え、訴えかけてくる。
何が彼をそこまで慌てさせるのか、何が彼を脅かすのか、その時の俺には、理解できなかった。
―――×××―――
「さっき僕は叶ちゃんのことをきちんと分かってから判断を下して欲しいと言ったけれど、それ以前に僕たちについてを言うべきだよね。うん、将を射んと欲すればまず馬を射よって言うし!」
無垢さんは言葉を俺に向けて発しているが、その意味は自分に対して戒めるように呟いていた。
現在、俺と無垢さんはサービスエリアの食堂で向かい合って座っている。
俺と向き合って話したかった無垢さんは、自身が運転中であるにも拘らずその運転を疎かにし、危うく高速道路での不運な事故を起こしかけた。俺が(自分の身の)安全を考慮し、話があるならサービスエリアに寄ることを提案。無垢さんはそれを了承し、サービスエリア内の食堂で会話ついでにそのまま軽食をすることにしたのだ。
俺は味噌ラーメンを頼んだ。トッピングで頼んだバターがいい味出してるぜー。なんて簡単な感想しか出せずにいると、無垢さんは頼んだにもかかわらず全然手をつけていない麻婆豆腐を余所に、俺に話しかける。
「真崎くん、理解力のある君ならすでに分かっているのだろうけれど、一応聞かせてもらうよ。僕は、僕たちが、殺戮鬼という集団が普通の殺し屋ではないということは察しているよね? うん、まぁこの際そもそも殺し屋が普通じゃねぇよ! ってツッコミはいらないから」
この食堂、現在は俺と無垢さんを除いて他に客がいないという状態だ。この不況な時に、経営は大丈夫なのだろうかと疑問を持ってしまうのだが、まぁ、むしろ今はこういった話が堂々とできるので好都合だから良しとしておくことにした。
というかこの人――その道のプロである無垢さんが臆面もなくそういった話題を出しているのだから、素人の俺が心配するまでもなく、周囲への対策や警戒は十分に為されているのだろう。
というか、対策がされていなかったら、俺は目の前の人を張り倒している自信がある。
「まぁ、その可能性はあるんだろうなー、程度ではありますが、予想していましたね。そして、無垢さんがそう言うということは、つまり、そういうことなんですよね」
――殺戮鬼として、その一員として俺の前に現れた彼らは、無垢さんのような超能力者なのだろう。
疑問ではなく、断定。この場に於いて、無垢さんが明言している今、疑問形というのは不適切であり、確認といった意味での言葉が正しいのだろう。
「あー、違う違う。いや、違わないのだけれど、おそらくだけど、今真崎くんが考えていることとは少しばかり、僕が言いたいこととは齟齬がある。――語弊がある」
けれど、俺の確認は不十分だったらしく、無垢さんは俺のその確認に対して、少しばかりの訂正を入れてきた。
「つまりは、どういう意味ですか?」
今度は疑問だ。言葉尻には疑問符が付いてきてしまう。
「そもそも、そもそもだ。どうしてこの僕が今、君の前に座っているか。他の誰でもない僕が、君にあんな物騒な殺人現場を見せて、本来なら信じてもらえないであろう超常現象の類を君に信用させ、存在を認知させたのか。それがどうしてか、分かるかい?」
「―――いえ……」
少しばかり考えたが、分からない。それは無垢さんにとっては想定内の、予想通りの受け答えだったのか、無垢さんは間を空けずに話を続ける。
「つまりだね真崎、この僕が――超能力者であるこの僕が、君に対してそういった存在を認識させるのに一番現実的だったということなんだよ」
その無垢さんの言葉を聞いて、俺は無垢さんが何を言いたいのか、この後何を言おうとしているのかを理解した。こういうときだけ頭の回転が速い自分の脳を褒めてやりたくなってしまう(物理的に)。だけれど残念かな、俺には自傷を喜ぶような困った癖はないので却下だ。違う、話が逸れた。
――そう、彼は超能力者。非科学的でありながらも科学的な存在。宇宙人よりも未来人よりもサイボーグよりも魔法使いよりも悪魔よりも天使よりも神よりも、もっとも俺たちのとって身近な存在だ。例え常日頃から係わっているそれが偽物だったとしても、人々はその偽物を受け入れている。そして、少しばかり前に俺も言っていた(思っていた)はずだが、偽物を認識して尚、俺たちは本物が現れることを願っている。偽物を認識しているからこそ、本物が存在する――してしまう可能性があると一番考えてしまっている。
人が死ぬという行為自体はイレギュラーではあったのだろうけれど――それを除けば、そう考えれば、俺が妙に簡単に納得したことにも得心がいく。
俺は肯定してしまったのだ。超能力という概念を。超能力者という存在を。
その存在自体が幻想的でしかなくて、妄想的でしかなくて、空想的でしかなくて、想像的でしかなくて、仮想的でしかない、ファンタジックにファンタスティックな、科学なんて縁がありそうでその実全然関係がなさそうな存在を無垢さんは、その力をもってして俺に認めさせたのだ。
そして、彼が言いたいということは――
「――つまり無垢さん、殺戮鬼の人たちは、それぞれが何かしらのそういった超常現象を起こす力を有していて、かつ、それは無垢さんの使うような超能力なんかよりも理解の範疇を超えていて、常識の範囲を超えていて、非常識の中でも突拍子もないような、そんな人たちが集まる集団ということなんですね?」
「正解。よくできました」
まるで小学生の子供に対するかのような口調で、無垢さんは俺の解答に花丸をつけてくれた。
「それでね真崎くん、僕たちはそういった特殊な状況下にある人間なんだ。――いや、人間と呼んでいいのかどうかすら、本当は疑わしいのだけれど――それでも、僕たちは人間を自称するのだけれどね。そして、みんな少なからず、どこかが壊れてしまっている、人間として致命的な部分が。そんな僕たちの中でも抜きん出ているのは、君に対して好意を抱いている叶ちゃんなんだ。彼女は、もう取り返しがつかないほどに壊れきっている」
どういうことだ?
「彼女、叶ちゃんはね、人を殺すことをもう認識することが出来ないんだ。というか、彼女の中では人を殺すということが知識に成り下がっていて、それを罪とする理由が分かっていなくて、それが恐れられることだと分かっていなくて、忌み嫌われることだと分かっていないんだ」
それはもう末期なのではないのだろうか?
「でもね、彼女がそうであるからこそ、僕たちのような連中をまとめ上げることができるんだ。たとえどんなに自身が壊れているとしても、彼女は僕たちの最高峰。成功してしまった最上の発明品で、失敗してしまった人間の化け物――上には上があって、下には下がある。僕たちにそういった安心感を与えてくれる精神安定剤にして、目安だ。僕たち粗悪品を束ねることができるのは、そんな彼女しかいない。彼女にしか僕たちは操ることができない。彼女にしか僕たちは従わない」
――発明品? 成功? 失敗? それは、一体どういう意味なのだろうか?
そんな疑問を浮かべたが、浮かべるだけで言葉にはしない、無垢さんが口を休めないからだ。
「そして、そんな叶ちゃんが、恋を、恋をしたというのだ! 僕たちは諸手を挙げて喜んだね。だって考えてみなよ。恋だよ恋! 僕たちには存在しなかった、存在するはずのなかった、なんとも甘美でありながらそのなかに苦さや酸っぱさを内包した人生のスパイス! 動物の三大欲求である性欲から派生しておきながら、人間の理性と知性によって恋愛というモノにまで昇華された存在! それがラブだ!」
なんか無垢さんがいきなり恋とか愛について語り始めた。大声で。おいおい無垢さんアンタどんだけ大声で語ってんだよ……、ほら見ろよ食堂のおばちゃんがこっちを変な目で見てるじゃないですか。しかも聞こえてくる単語が変なのばっかりだったからなのか、俺にまで変な目線を向けてくるじゃないか。やめろ、俺はそういった趣味じゃないからなおばちゃん。俺が好きなのは女だから。――と、無意味だろうけれど、目で訴える。
すると、目で訴えたのが功を奏したのか、おばちゃんが、ぽっと頬を赤く染めた…………。
――なんてのはもちろん冗談だ。想像しただけで死にたくなったのは言うまでもないだろう。
そんな変人にしか見えない(酷く正論である)俺と無垢さんを、おばちゃんは訝しげな目で見ながら作業に戻っていく。
と、そんなことを考えていると、いつのまにか無垢さんは麻婆豆腐に手をつけ始めていた。
「とまぁ、大仰に言ってみたけれど、これってごく自然なことでしょ?」
落ち着いた状態で淡々と無垢さんは話を続行する。結局、この人はなにがしたいのだろうか、何が言いたいのだろうか、そんな疑問が過ぎる程度には、俺には無垢さんが理解できそうになかった。
「でもね、そんなごくごく普通のことができないほどに、叶ちゃんは破綻しているはずなんだ」
「破綻、ですか」
少しばかり、その言葉には違和感を覚えた。破綻していると彼は言った。この場合の破綻とは、行き詰り、つまりは、行き止り。最高峰にして、最終地点。その先が無い。それ以上、何かを期待することができないような、そういった状態を言うのだろう。
けれど彼女は、洋樹叶は本当にそうなのか? 本当に彼女は終わっているのか? 今の無垢さんの言い方では、もはや、彼女に人間性が残っているとは思えない。だけど、俺の目から見た彼女は、色々とおかしな点もあるが、そんなのは人間なら当然のような欠点であり、短所だ。無垢さんの言うような、無垢さんに言われたような、終わってしまった人には、どうしても見えない。
「破綻だよ。破滅に一番近いし、破壊に一番親しいし、破格が良く似合う女の子だ」
それを褒め言葉として受け取ることができる人間なんて、この世に存在するのだろうか? 少なくとも、俺はそんな評価を、よりにもよって人を殺しているこの人にされたら、黙っていられないだろう。そう、人を殺している人が、それも異常な力を使って人を殺している散楽坂無垢が、洋樹叶をそう評した。
「待ってください。本当に、洋樹がそこまで終わっているんですか? 俺には、どうしてもそうは見えません。会って数日も経ってないような間柄ですが、それでも、人間性が破綻しているかどうかを判断するには十分な時間だったと思います。そして、俺は彼女をそうと判断できませんでしたよ?」
「あー……、そうだよね。真崎くんにはそうやってしか接していないのだから、そんな反応が当然のことなのか。けれど、その反応なら、彼女が壊れるようなことは、無いのかもしれない」
無垢さんが俺の理解できていない理由を理解したのか、したり顔で頷く。
「どういう意味ですか?」
「いやはや、そういう意味では僕がまたしても悪かったね。――ふむ、よく喋るくせに大事なところを省いてしまうのが僕の悪い癖だな。今度からは頑張って改めよう」
「いや、そんな決心はどうでもいいのでちゃんと説明してください」
あっはっは、なんて作ったような苦笑いを浮かべながら無垢さんは喋る。
「簡単に言うとだね。彼女――洋樹叶という女の子は、僕たち殺戮鬼のリーダーである彼女は、君の前ではただの女の子に成っているということなんだ。それが成り上がりなのか、成り下がりなのかは別としてね。ちなみに僕は成り上がりだと思っているよ」
無垢さんは嬉しそうに俺に語ってくれているが、その説明でも俺は理解が出来ていなかった。
そんな俺の困惑を表情から察したのか、無垢さんは肩をすくめ、溜め息をしながら言う。
「とまぁ、散々に叶ちゃんについて言わしてもらったけれど、おそらく、君が僕の言葉を理解するのは当分後のことになると思うよ。――いや、その機会が訪れるかどうかも疑わしいね」
――だって、
「だって、叶ちゃんは、君の前では恋する乙女に過ぎないのだからさ」