第七話 旅路の果てに求めるものは
「変なトカゲと思っていたけど、ここまで変だとは思わなかった」
とは誰が言ったのだったか。
何をするにも文字を読めんことには話にならん、ということで勉強を始めた矢先に聞こえたのがこんな言葉だったのだ。
「なぁ、羽竜族って文字を読めないのが普通なのか?」
「ん~、読めないって言うよりも覚えないね~。肉体言語は得意みたいだけど」
攫われる前は学生だった、という耳長の褐色娘ラウラに文字を教えてもらう合間に尋ねてみたら、そんな答えが返ってきた。
どうやらトカゲは脳筋種族のようだ。
「たまに異様に商売上手なのが居るから侮れないのよね」
「居る居る~。うちの学校にも奇才とか呼ばれてたトカゲの先輩が居たよ~」
おそらくそれらと同類と思われたのだろう。カタリナとラウラは俺の頼みを聞いたときに多少の驚きは見せたが、快く引き受けてくれた。
学生の頃は勉強が得意な方ではなかったが、社会人になってからはそんな事も言ってられなくなった。なんとも皮肉な話だが、現役学生の頃よりも熱心に勉強に打ち込んでいるのは確実だ。
それ故か今もこうして文字の習得に励む事に否を感じない。
こんな事なら日本に居る頃に外語学習へもっと意欲を燃やせば良かった、と思うが後の祭りだ。
俺たちは一ヶ月滞在したムーシアを旅立ち、東北東にある港町アラカンテへ向かっている。
ギルドに依頼されていた採集の仕事を人海戦術で請けれるだけ請け、出される依頼と報酬が下降し始めたところで潮時と見て出発を決めたのだ。
一番近かった採集場所の薬草を粗方刈り尽くしてしまった現実があったので、これ以上留まれなかったという事情もあった。安定供給に期待を抱きつつあっただろう依頼者たちには気の毒だが、定住する気は更々無かったので諦めてもらうしかない。
他所では中々難しいらしい荒稼ぎの結果、女たちの様相は大分変わった。
やけに露出が高く布地も仕立ても粗悪だった衣服は今や旅に適した丈夫で肌をしっかり覆った物に変わっているし、何より表情が明るくなった。
生きるために前を向かざるを得ない、と言葉と行動で示し続けたテレーゼに引っ張られた結果だと思う。
ムーシアから目的のアラカンテまでは5日程度。既に2日の道程を順調に消化しているので、そろそろ残り半分を越えた辺りだろう。
ひたすら歩け歩け大会な道中、俺は鞍と鐙を括りつけた背にトリーシャを乗せて先行している。
普段は馬に乗っている彼女だが、足元の地形が不安な場所や茂みを越えて偵察する場合には俺に跨るのだ。
岩が小高く詰み上がった高台を駆け上がり、周囲を見渡す。
進行方向右手、高台の向こうは断崖絶壁。その先には青い大海原が遥か彼方まで広がっている。この海岸線の遥か先に目的地であるアラカンテがある――というか、薄っすら見えていた。
日数にするとえらく遠い感じがするけれど、距離にすれば実はそんなに遠くない。ぶっちゃけムーシア~アラカンテ間なんて、車で走れば二時間掛からず着くんじゃなかろうか。
そして進行方向、街道に沿った所に木の柵で囲われた農村らしい集落が見える。どうやら今日は屋根のある所で休めそうだ。
「木立が増えて見通しが利かなくなってきたわね」
高台から見下ろした街道の両脇には、今まではチラホラだった緑がかなり数を増やしている。
辺りに植物が増える、それ自体は好ましい。植物から放散される水分のおかげで空気には潤いが齎されるし、水を得られる機会も増える。
しかし見通しが利かないというデメリットは、大所帯の俺たちにとって非常に頭の痛い問題だ。
「いっその事、もっと派手に茂ってくれればカモフラージュも楽なんだけどな」
今までは周囲の赤土とよく似た色の外套や幌で凌いできたが、こう半端だとあまり効果を期待出来ない。
獣程度なら長い棒を持たせた護衛役が音を立てて威嚇すれば追い払えるが、それ以外は分が悪い。特に面倒なのが亜人というヤツらしいが、まだ遭遇したことがないので何とも言えん。
「怪しいモンは見えねぇが、早いところ戻ろうぜ。一人にしてっとジャネットの奴が癇癪を起こしやがるからな」
ジャネットは護衛役を買って出てくれた灰色巻き毛の猫耳娘だ。
威勢は良いが何かと小物っぽさが滲み出る生意気な小娘で、今頃は尻尾の毛と一緒に神経も逆立てていることだろう。
その様子が目に浮かんだのか、「そうね」と相槌を打ったトリーシャもクスリと少し噴出した。
「それはそうと、レン。あなた、テレーゼの依頼を済ませた後はどうするの?」
「は?」
「元の世界に帰る気は無いの? と聞いているの」
高台から降りて本隊との合流を目指して歩きつつ、ああ、と先延ばしにしていた問題を思い返す。
帰りたくない筈がない。
日本に戻れば野生動物の襲撃に怯える必要も無ければ、水で一々困ることもなくなる。
何よりも両親のことが気になって仕方がない。
ただでさえ十年前に弟が失踪して心身共に打ちのめされ、老け込んでしまったのだ。この上俺までとなれば、もう立ち直れないかもしれない。
なんとしても帰らなければならない。しかし、それ以前に解決しなければならない重大な問題が立ちはだかっている。
「その前に人間に戻らなきゃなぁ」
溜息が出そうになるのを呑み込み、苦笑で誤魔化してやり過ごす。
「そういえばあなたの住んでいた所には羽竜族は居ないって言ってたわね」
「羽竜族だけじゃない、犬耳族もエルフ族も居ないよ。だからこのまま元の世界に戻る訳にはいかないんだ」
こんな恐竜そのものの姿で日本に降り立とうものなら、どんな混乱が待ち受けている事やら。
どう考えても自宅に帰って元の生活を取り戻す理想図よりも、捕縛されて動物園だか研究所へ出荷されるバッドエンドな未来しか想像出来ない。
それ以前にこんな姿で現れて「恥ずかしながら帰って参りました」などと宣おうものなら、今度こそ両親がぶっ倒れるか、ブチギレた親父に殺されるセンが濃厚だが。
「元の姿を取り戻すのがまず最初、か……」
「そう出来りゃ最良だけどな。全身焼き尽くされて灰も残らず火の粉になっちまったんだ、完全に復元出来るなんて期待はしてねぇよ」
仮にトンデモ技術でクローンだとかを作れるとしてもだ。元となる情報、つまり『武藤廉太郎』の肉体が何処にも存在しない以上は作りようがない。
諦める訳ではないが、固執してもいい結果にはならない気がする。
「それじゃ、どうするの?」
「最低でもヒトガタの姿を獲得する。変な耳になったら帽子で隠すしかないが、トカゲよりは遥かに目立たないからな」
全く別人の姿で両親に理解させられるかは未知数だが、少なくともド派手な恐竜よりは遥かに望みがある。
とはいえ獣人種や妖精種の姿になったら日の当たる所で生活するのは厳しくなるのは間違いない。でもそれ以上は高望みと言う他ないと思う。
しかしこの行為にどんな意味があるのかも俺自身にもはっきりとは分からない。
母が腹を痛めて産んでくれた肉体が失われた以上、武藤廉太郎が死んだ事実は変わらない。
あの二人が俺を通して見ていた未来は永劫、実現する事はなくなったのだ。
見知らぬ人間が両親の前に現れて死んだ息子を自称する、これほど残酷な仕打ちは無いだろう。本来ならば悲しみが少しでも癒えるまで、そっとしておくべきなのは言わずとも理解している。
だが、それでも俺は帰らねばならない。帰って、あなたたちの息子は今もこうして生きていると伝えなければならない。
今の俺にはそれ以外に、自分が存在する理由を見出せないのだ。
「で、だ。なんかそういう魔法とか知らねーかな?」
ある意味、絶望せずに済んでいるのは『魔法』という俺の知らないトンデモパワーが存在しているという一点に尽きる。
逆に言えば否定されるのが怖くて、今まで聞けなかったのだ。
言葉こそいつも通りに軽い調子だが、内心は何で言っちまったんだと後悔の嵐が吹き荒れて心臓がバクバク言っている。
頭の芯がどっくんどっくん脈動し、真っ直ぐ歩いているつもりなのにふらふら蛇行しているような錯覚を覚える。
視界がぐんにゃり歪んで狭まり、手の先が冷たくて感覚が無い。
「魔法じゃなくて法術だけど……私、そっちの方はあまり詳しくないのよね」
うっかり底無し沼に踏み込んでしまったような恐慌状態は、頭上から降ってきた不機嫌そうな声によって軽い失望感と共に解放された。
そして妙に納得してしまう……この女は見てくれは可憐だし所作も品があるが、戦闘民族とか脳筋とか、そういった形容が似合う言動が散見されるのだ。
「でも姿を変える術式の研究は聞いたことがある」
「お? どんなのなんだ?」
「他人の姿を写し取って自分に被せるって言ってたわね。敵地に潜入したり、身代わりを立てるのに役立つからって」
つまり変装ですな、残念ながら俺の望むものとは全然違う。
「それって術を解いたら元に戻るって奴だろ?」
「あら、よく分かったわね」
「分からいでか。でも、それじゃダメなんだよ」
「どうして? 術を解かなければ不都合は無さそうに思えるのだけど」
「俺の居た世界じゃ術式なんて存在しないんだ。もしかしたら日本に帰った途端、術が解けて使えなくなってしまうかもしれない」
懸念は他にもある。
何よりも大きな不安は、トカゲの図体が人間と比べるべくもなく大きすぎるという事。これに一般的な日本人、例えば『武藤廉太郎』の姿を被せるのは無理がありすぎる。
具体的にはでかすぎる顎とか余った尻尾なんかの扱いはどうなんの? って事だ。
トンデモパワーでどれだけ精巧に再現しようと所詮は変装、ハリボテを被せるだけなら内部的な変化は起きないだろう。つまり骨格やらなにやらはそのままだと推測する。常に前傾姿勢で顔がでかすぎる上にぶっとい尻尾が伸びてる人とか、怪しいなんてレベルを超越している。ネタにしてもそんなビジュアルは人類には早すぎる。
幻覚とか催眠術で誤魔化す系だともう最悪だ。
誤魔化せる有効範囲も然ることながら、カメラで撮影したら確実に恐竜姿が写るに違いない。そしてお店や街角の防犯カメラには真っ赤な恐竜が闊歩する姿が残されることだろう。やったね隊長! UMAが増えるよ!!
でかすぎる図体は変わらないから車には絶対に乗れないだろうし、電車やバスも難しそうだ。不便なんてもんじゃない。
「ええっ!? レンが住んでた世界って、法術が使えないの!?」
「分からん。存在すらしてないから、使えるかどうか誰も試したことがない」
試す勇気も無いが。ぶっつけ本番で臨むにはリスキーだし、前述の懸念が解消されないならやる意味も無い。
多分だけど、彼女の言う変装術は体格の似た種族でのみ有効なのではなかろうか。
「どうやって生活しているの?」
「代わりに発達しているものがある、科学文明っつってな。他所は分からんがムーシアとは比べるのが馬鹿らしくなるくらい便利で快適だ」
「この辺の田舎を比較対照にされてもピンとこないわ」
「あ、やっぱり田舎だったの?」
「そうよ。今時手漕ぎポンプで水汲みなんて、北の方じゃ何処もやってないわよ」
井戸に設置されたポンプをぎっこんばっこん動かして水を汲み、それを溜めた桶を運ぶ作業はかなりの重労働だったよ……。
しかも取水制限が常時されていたしな。あいつらが身体を拭くための水を都合するのにはえらく苦労したもんだ。
「ともかく。元の世界に帰るための術式だとか、トカゲをヒトに変える術式とか、そういうのに詳しい専門家を探さなきゃいけないな」
実際、そんなもんが存在するかどうかも不確かだ。
元の世界に帰る術式なんて、来る事が出来るんだから帰るのも出来るだろうくらいの屁理屈でしかない。でもそれを否定してしまったら何も始まらないし、俺の精神もイカれそうだ。
「詳しい専門家ね……レムリアや八雲には高度な研究施設があるそうだし、教国では古代文明の遺跡研究が盛んだって聞いた事がある」
「古代文明?」
魔法に続いてファンタジー世界では定番とも言える胡散臭いモノが現れた。
「ええ。今とは比べ物にならないくらい進んだ文明だったそうだけど、何千年もの過去に大きな災害で滅んでしまった。その遺跡の残骸が大陸の各地に残っていて、古代人が遺したとされる古文書には王族が大災害から逃れるために異世界へ旅立ったという記述があったと聞くわ」
「ほほぅ……」
ゲームや冒険小説では使い古されたネタだが、興味深い話である。
「術装器にしても遺跡研究の末に生み出されたと言われているし、当たってみる価値はあると思う」
「なるほど。おぉ、なんか希望が見えてきた気がするぜ」
現状ではただの気休めなのは言うまでもない。
でも空元気も出なくなったら目も当てられない。
少なくとも目指す方向は定まった。
女たちを故郷に送り届けながら情報を集め、教国とやらに乗り込む。
ただ乗り込むだけでは門前払いを食らうのが目に見えているので、どうにかしてコネを作って研究成果を得なければならない。
問題が更に険しく積み上がった気がするが、踏破する以外に俺の道は無さそうだ。
「それにしても」
ふと思う。そもそも、俺は何故ここに居るのだろう。
何故と言えばあの紅い光に呑まれたからなのだが――。
「あの紅い光は何だったんだ」
あれがなければ、こんな苦難に立ち向かうこともなかったのだ。何年か後に修行を終えたら親父のうどん屋を継いで、楽ではなかろうがそれなりに平穏な生活を送っていた筈なんだ。
あれはなんだ、と思い返せば、真っ先に浮かぶのは巷を騒がせていた『神隠し』と呼ばれる都市伝説。
曰く、ちょっと目を離した僅かな間に忽然と居なくなった。
曰く、朝起こしに行ったら居なかった。
曰く、下校中に家の前で別れたのに帰っていない。
曰く、コンビニへタバコを買いに行ったまま帰ってこなかった。
それが何時から騒がれ始めたのかは覚えていないが、何れも行方不明のまま戻っていないという。
この身に起こった事は神隠しそのものではないか。
短絡的かもしれないが、神隠しで消えた人はこの世界に連れ去られているのではないだろうか。
さすがに都合が良すぎるか、そう思考を切ろうとしたところで考え込んでいたらしいトリーシャが口を開いた。
「もしかしたら、召喚術かもしれない」
「なんだそれ?」
「読んだまま、何処か遠くに居る誰かを呼び寄せる術式よ。大抵は契約した精霊や幻獣なんかを呼び出して使役する術式なのだけど、中には対象の意思を無視して呼び出し、強引に従属させるようなものもあるらしいわ」
「外道すぎる」
しかも身に覚えがありすぎて笑えない。
今の俺はメガ○レアは無理でも火炎くらいなら吐けそうな風貌ではあるが、一般人を呼び出しても役に立たんだろうに。
「そっちの方面なら詳しい人を知っているから、口添え出来ると思う」
「マジで!?」
「かなり遠い所に居るから、そこまで行くのが一苦労だけどね」
「構いやしねぇよ。手掛かりが見つかるんなら、何処にだって行ってやらぁ!」
カラカラと笑ってみせると、トリーシャもつられるように「そう」と小さく笑う。
珍しくしおらしい。まだ一月ちょいの短い付き合いだが、こういう時は大抵が「能天気」などと呆れ気味な言葉が降ってくるものだが。
などと思っていたらまたも珍しく、躊躇いがちに問い掛けてきた。
「その代わりではないけれど、あなたが元の世界に帰るときに……私も一緒に連れて行ってくれないかしら」