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異郷異形異常譚  作者: とりあたま
第一章 赤い大地と朱いトカゲ
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第十一話 紅蓮の記憶 3

 それはハスキーというには高く、ソプラノというにはやや重い、声変わり前の男児の声だと思った。

 しかし燃える教会の陰から現れた人影を捉えてみれば、その印象がちぐはぐで噛み合わない感覚に囚われる。

 背丈と炎に照らされたシルエット、他の賊とは一線を画した小綺麗な衣服と要所のみを覆う革鎧から細身の少年だと思った。

 でも整い過ぎた顔立ちは男女どちらとも判別がつかず、ふっくら柔らかな顎のラインと緩くカールが掛かったふわふわ揺れる灰色の髪は女性的なものに映った。

 それより何よりそいつの面差しがよく知る人物に重なり、俺は我が目を疑うと共に混乱の極みに追い込まれた。


「ジャネット……!?」


 灰色の髪からぴょん、と立ち上がった猫の耳が特徴的なその顔に、何をやらせても危なっかしくてそそっかしい少女のそれが引き出されるように重なった。

 いや、あいつはこんなに整ってないし、背丈だってもっと低い。何よりガキっぽくてもちゃんと女の子だ。こんな男か女か分からないなんて戸惑わせるような事は今まで一度だってなかった。

 よく見れば違う、だけど面影がある。とはいえ見間違えるとかありえない――そう自分に言い聞かせるが、どうしてもジャネットの顔が浮かんで離れない。


「へ?」


 俺の呟きが耳に届いたのか、そいつはキョトンとした顔でこちらを見た。そして何を思ったのか、口角を吊り上げ端正な顔に喜色が満ちていく。


「そこの変なのさぁ、『ジャネット』のこと知ってるの?」

「変なのって、俺のことか?」

「アンタ以上に変な奴は居ないでしょーよ」


 手にした長細い剣の切っ先をこちらへ突き付けてそいつはニコニコ笑う。

 その声色、その笑顔は馴れ馴れしいくらいにフレンドリーなのに、近寄り難いナニカが先にたって足を後ろへ退かせてしまう。


「何? 怖がってんの? 別に取って食いやしないわよ。ていうか、カッコウからしたら私の方が食べられそうじゃん?」


 こちらの態度をケラケラと可笑しそうに笑うが……何だ? 寒気というか怖気というか、曰くし難い感覚がじわじわと染み込むように拡がって止まらない。


「でさ、『ジャネット』のこと教えてよ」

「いやぁ、他人の空似だ」

「へぇ? 私に似てるんだ」

「よく見たらあんまり似てなかった」


 じり、じり……と後ずさる俺を、そいつは軽い足取りで追ってくる。


「そうなんだ。でも『ジャネット』って子の事は知ってるんでしょ?」

「ジャネットなんてありふれた名前だろ」

「そーね。でもアンタが知ってる『ジャネット』は私が探してる奴だと思うんだよね」


 ニコニコと、本当に嬉しそうな笑顔でずんずん迫る。

 理由は分からないけど認めてしまったら取り返しがつかないような、漠然とした危機感が脳内で警鐘を鳴らしている。


「き、気のせいじゃないか?」

「そうは思えないなぁ。だってアンタ、私を見て呟いたじゃない」


 ずい、とそいつの顔が正面から迫る。

 恐ろしく整った、しかし男とも女ともとれない中性的な顔。その目尻がつり上がり気味の瞼に収まる蒼い瞳――その奥底に潜んだ得体の知れないナニカを垣間見た瞬間、全身の羽毛が総毛立ち、喉元を競り上がった悲鳴すらも押し込められた。


「ねえ、教えてよ。アンタが知ってる『ジャネット』って何処に――」


 言葉は途中でぶつ切られ、視界を埋めていた顔が一瞬で消える。

 そして代わりに現れたのは筋肉が盛り上がってこぶを作った太い腕。二度、三度と間断無く槍を捌き、逃げたアイツを追う。


「ウザい、邪魔すんなっ」


 鋭く突き込み、避けられたら素早く戻し、稲妻の如き突きを幾度と無く繰り出してべネットの槍は追撃を繰り返す。

 それをひたすら後退して避けていたそいつが何事か小さく呟くと、細剣の刀身が一瞬で白く輝いた。そして何の技巧も感じさせない上段からの袈裟斬りをべネットへ向けて、しかし槍すら届かない遥かに離れた間合いで振り下ろす。

 何をしているのか理解出来なかったが、その一瞬の後に答えは得られた。輝く刀身から猛烈な炎が噴き出したのだ。

 咄嗟に横へ飛び退いてそれを避けると炎の斬撃はそのまま空中を飛んで行き、俺たちの後ろにあった木立に命中、激しい破裂音と衝撃を当たりに撒き散らした。爆発に幹の中程までを抉られた木は、やがてメキメキバキバキと固い繊維を強引に引き千切る音を上げて倒れていく。

 まるで爆弾を投げつけたようなその有様に唖然とした。

 燃え上がり、一部はそろそろ焼け落ちて崩れそうな村の建物へチラリと視線を巡らせ、これはコイツの仕業かと気付かされ背筋を怖気が駆け上がる。

 だとしたらコイツはどういうつもりだろうか。野盗が旅人や集落を襲う理由は略奪、それに尽きる。だが燃やしてしまっては奪えるものも全て焼失してしまうではないか。

 腑に落ちない思考に嵌る俺の隣では勢いを止められたべネットが再び油断無く槍を構え、そいつの隙を注意深く窺ってじりじりと位置を変えている。

 いや、隙と言えば隙だらけのようにも見える。俺も詳しくはないが、さっきの剣の振り方や攻撃から逃れる際のばたばた忙しない足運びからして、そういった心得は無いように思えた。

 だがアイツは避けた。ここへ来るまでに襲い掛かってきた連中を悉く返り討ちにしたべネットの槍から逃げきったのだ。

 なのに彼からはショックを受けているような様子は見られない。もしかしたらあの回避能力を、ここで対峙する前に見ていたのかもしれない。

 彼が狙っているのは、回避を考える暇すらない決定的な瞬間なのだろう。

 それにしても、さっきあいつの目は完全に俺しか見ていなかった。他は眼中に無かった絶対の好機だったはず。あんな状態からでも逃げきって反撃までやってのけるこいつを仕留めるなんて、可能なのか?


「な、なぁ。もしジャネットに会ったとして、それでどうするんだ?」


 この状況を打開するにはこいつをどうにかするしかない。そのためにはもう一度こいつの注意を引き付けて、絶対的な隙を作り出す必要がある。

 こんな危険な奴とコンタクトし続けるなんて何の罰ゲームだ、と内心で罵りながら尻込む自分を宥め賺かして言葉を紡ぐ。

 するとそいつはとても嬉しそうに、それこそ聞いてくれるのを待っていたとでも言わんばかりに無邪気な笑顔を輝かせた。


「殺そうかなって」


 あまりに簡潔で朗らかな返答、そのあんまりな内容に言葉を失う。

 この世界の生死観ってそんなに軽いモノなのだろうか?


「だってさぁ、頭ン中でずっとジャネットジャネットってずっと呟いてる奴がいて五月蝿いんだよね。今なんて特に酷いよ、もう狂ったみたいに喚いててアタマ割れそーだよ……マジいい加減にしろっての! だからその『ジャネット』を見つけ出してこの手で殺してやったら、黙るんじゃないかと思ってさぁ」


 そいつは酒が入ったサラリーマンが酔った勢いで愚痴るようにハイテンションで捲し立てるが、言っている意味がまるで理解出来ない。

 頭の中? 五月蝿い? だから殺す?

 ともかくこいつとジャネットを絶対に鉢合わせてはならない、それだけはハッキリと認識した。


「で、『ジャネット』が何処に居るか教えてよ。私を助けると思ってね」

「こ、断る」

「そんなつれないこと言わないでよぅ。別にアンタを殺すって言ってる訳じゃないんだし」


 再び詰め寄り、こちらの顔面に顔を押し付けんばかりに迫る異様な迫力に圧されて言葉が出ない。

 もう無茶苦茶だ。八つ当たりも甚だしい因縁を吹っ掛けて殺すの何のと、こんな奴と関わっていたらその矛先がいつこちらへ向くか分かったもんじゃない。


「これだけお願いしても喋りたくない? じゃあ、喋りたくなるようにしてあげよっか?」


 言った傍から、なんて奴……。しかも何の躊躇もなくやるだろう事はまず間違いないために質が悪すぎる。

 元より交渉でどうにか出来る手合いではなかったが、死中に活を見出だす以外に俺の明日は無いようだ……クソッ、べネットの野郎はまだか!? これ以上はもう無理だッ!


「喋ってくれないアンタが悪いんだからね――プロミネンス」


 そう告げた瞬間、細剣と何故かそいつの瞳が白い光を放って輝いた。炎の綱が細剣の刀身に巻き付くように現れ、それを見せつけるようにゆっくりと掲げる。


「じゃあ、まずはその暑苦しい毛を全部毟っちゃおう」


 そいつの言葉に応じるように、剣に巻き付いた炎の綱が動き始めた。まるで鎌首を擡げて獲物を睥睨する蛇のように、するすると伸び上がるとこちらへ向けて飛び掛かってきた。


「のわっ!」


 飛び退き、頭を下げてそれを何とかやり過ごす。が、炎はその先端を空中で捩じ曲げ、追尾して追ってきた。

 堪らず叩き落とそうとグラスパイルを振るうが、炎はのらりくらりと避けて捉えられない。

 隙を窺い、するすると忍び寄ってくるその様は正に蛇そのもの。グラスパイルに巻き付くように接近した炎蛇はついに腕まで辿り着き、灼熱の胴で左腕を締め上げた。


「やめっ――――熱ぃぃーーッ!!」


 腕に巻き付いた炎を振り払おうとブンブン振り回すが効果はなく、地面を転がって土に押し付けてもまるで消える気配がない。

 その間にも炎に巻かれた左腕の羽毛は燃え上がり、焼け焦げて皮膚までが焼け爛れる。

 何故だ、何故消えない!?


「あっはははっ、そんなことやったってムダだって。それは私が消すって命令しないと消えないんだから」


 のたうた回る俺を見下ろし、本当に楽しそうにケラケラ笑う。

 ふざけやがって……!


「喋る気になった?」

「ざけんな!」


 誰がこんなクソ外道のサイコ野郎に、仲間を売れるかってんだ!

 左腕の責め苦は心身ともに辛く、強がる声も息が上がって様にならない。それでも負けるか、と強い意思を込めて睨み付ける。


「ふぅん。もっと熱いのがお望みってワケね」


 などと抜かしやがったそいつは不機嫌そうな口調とは裏腹に高揚した表情、目元をトロンと蕩けさせて感じ入ったような艶を滲ませ、刀身の輝きを更に強めた。

 これ以上はもう無理だ。グラスパイルを右腕だけで握りしめ、思い切り横凪ぎに振り抜く!

 予備動作も無く放った虚を突いた一閃だったが、そいつは当たり前のように軽く跳んで避けてしまった。


「あはっ。なにそれ、奇襲のつも――ッ!?」


 当然というべきか、追い討ちの嘲りを浴びせかけてくるそいつだったが、唐突に言葉を途切れさせて息を飲むような切迫感を顔に浮かべる。そして慌てて身体を捻ると、突如現れた槍が脇腹を掠めた。

 槍を突き出したベネットも二度目の不意打ちを失敗してしまい、顔を険しく歪ませている。しかし動きに停滞は無く、すぐさま槍を手繰り追撃を加える。

 再びべネットの直線的な槍撃に曝された奴はその全てを避けきっているが、先程のような余裕が感じられない。

 よく見れば槍が掠めた脇腹は布地が破れ、切れ端に赤色が滲んでいるのが見える。どれくらい痛いのかは分からないが気味の悪い笑みは消え、眉を歪めて歯を食い縛っている顔は苦しげというより悔しげか。


「ああ、もう! 鬱陶しいなぁッ!」


 大きく跳躍してべネットの進路から逃れたそいつは、細剣を三度煌めかせる。

 が、そうはいくか。何度も同じ手が通じると思うな! と、槍投げの要領でグラスパイルを投擲した。

 これが当たってどうなる、とは思っていない。ただアイツの気を散らせれば良い。


「痛っ!? この……ッ」


 痛みやらで余裕を無くして気が散ったのか、今度は虚を突けたらしく顔を咄嗟に庇った左腕にヒット。ギロっとこちらを睨み付けてくるが執拗に迫る槍を躱すのに精一杯のようで報復は無い。

 更に俺たちも全く意識していなかった方向から飛来した光の弾丸が細剣の刀身にぶつかり、白い光が消失した。左腕に巻き付いていた炎蛇が消え去り、肉の焼け焦げた不快な臭いが鼻腔を突く。

 光弾の出所へ視線を向けると大半が焼け落ちてしまった教会の脇で膝を突いた大柄なおっさん――宿屋兼飲食店の店主が荒い息を吐いてそこに居た。


「頭ァ!」


 悲鳴のような切羽詰った声が中央広場の方から聞こえた。

 そちらへ視線を向ければ誰か、恐らくは賊の残党が駆け込んで来るのが見える。しかし男はここに辿り着く事が出来ず、何処からか射掛けられた矢を脇腹に受けて転倒した。

 形勢の悪さを自覚したらしい奴はチラリとこちらへ視線を向け、忌々しげに舌を打つ。そして――。


「ぐおっ!? ――げほっ! ごふっ――」


 ――ぼふ、と粉っぽい破裂音と共に灰色の煙が突如現れ、瞬く間に拡がって辺りに充満した。

 それが煙幕だとすぐに気が付いたが得物は手元になく、負傷しているとあっては何をしようもない。鉤爪は調理の邪魔になるから短く切ってしまったし。

 爆発の中心地でアイツを追い詰めていたべネットは、思わぬ逆撃をモロに食らってしまい激しく咳き込んでいる。これではもう追跡どころではない。

 姿は粉煙に隠れて見えなくなったが、アイツは既に遠くへ逃げ去ってしまったに違いない。

 ヘナヘナと力が抜けて膝が砕け、その場に経たり込む。とりあえず命の危機は去ったらしい、そう思ったら張り詰めていたものがふ、と弛んでしまったのだ。


「あ……ぐ……ぁぁ……」


 気が緩んだ途端、焼け爛れた左腕からの激痛が倍増した気がする……熱くてヒリついて引き攣れて、感覚が怪しいのにジクジクドクドクと心臓の鼓動に合わせて腕全体が疼くように痛みを訴えて意識が飛びそうだ。


「よぉ、トカゲの。平気か?」

「ンなワケあるか……って、どう見てもアンタよりはマシだけどさ」


 そう返した相手は光弾でアイツの法術を消してくれた親父さんだ。

 よろよろと危なげな足取りで歩み寄ってきたその姿は全身の至る所に火傷を負った酷い有様で、立って歩いているのが不思議なくらいだ。

 そんな相手に気遣われると、比較的軽傷のこっちが情けなくなってしまう。


「ごふぉっ、げふっ――――クソッ! 取り逃がしたか……!」


 周囲から当てられる熱風に粗方吹き飛ばされて煙幕が晴れてきたところ、全身が灰色の粉に塗れた大男が悔しげに毒吐いている姿が現れた。

 なるほど、ただの煙ではなかったから中々晴れなかったのか。粉が詰まった袋を何処からか取り出して破裂させたのだろうが、そんな素振りは全く無かったので粉塵が舞い上がるまで全然気付けなかった。

 だが、今はそれよりも重要な事が、一言物申さねばならん事がある。


「べネット! アンタ遅いんだよ!」

「ごっふぉ! ……んん?」

「んん? じゃねーよ! この腕を見やがれ!」


 だらん、と下がって煙を燻らせる左腕を指差すと、巨漢のバカは気まずそうに、しかし雷光の早さで顔を逸らした。

 この野郎……。


「とりあえずでも言うことがあんじゃねーか?」


 ああん? と一歩踏み込んで問い詰めると、べネットのこめかみ辺りから大粒の汗が一筋、つぅ、と垂れて落ちる。


「あ、ああ……すまん、仕留め損なった」


 非常に重々しく、しかしハッキリと口にした言葉に、ひとまず溜飲を下げる。

 奴の注意を引くと決めた以上、多少の怪我は仕方がない。治癒法術でなんかなるレベルだと思うし、掛かる費用は村かべネットに押し付ければ良いだろう。


「その辺の落とし前は一先ず置いて、後始末を手伝っちゃくれねぇか」


 これ以上は突っ込む気はなかったが、親父さんの仲裁を受け入れて建物の殆どが焼け落ちてしまった中央広場へと向かう。

 頭領だったらしいアイツが逃亡したため、残った野盗も逃亡を図ったが大半が捕縛ないし打ち取られたようだ。

 殆どの建物が焼け落ちてしまった村の中で火勢の緩い一帯を避難地とし、生き延びた自警団や冒険者と共に逃げ遅れた村人を探して誘導する。地に伏して血を流す人影の多くは既に息がなく、その度に無力感が全身を襲った。

 未だ火が残る建物や木立の合間を縫って人を探し、見つけては運び出して応急処置を施して――――変わり果てた村を駆け回るうちに夜は更けて、燃やすものが無くなった火勢は次第に小さくなっていく。

 いつしか鼻も心も麻痺したように何も感じなくなり、終わりの見えない救助活動に没頭しているうちについに体力が限界を迎えたらしい。乾いた草の上に突っ伏すように倒れこんだ自分に気付き、身体を起こすと辺りはすっかり明るくなっていた。




「んあ……朝、か?」


 身体を起こそうと身を捩ると、体中の関節が悲鳴を上げるが如く軋むような痛みを訴えた。

 それだけでもまどろみの淵にあった意識は蹴り上げられて脳を揺らすが、両腕を地に突いた途端に左腕から走ったビリビリと引き攣った激痛に打ちのめされて全身を震わせつつ呻きも上げれず蹲る。


「くっそ……! 日を跨いだら益々痛みやがる」


 痛みが引くのをひたすら耐え、今度は無事な右腕のみで身体を起こして一息吐く。

 相変わらず熱を持ち、鼓動に合わせて疼くようにズクズク痛む左腕が忌々しい。今は包帯に覆われて見えないが、二の腕から手首までの羽毛は全て失われて赤く爛れてしまった。完治するまでどれくらい掛かるか分からないが、しばらくは使い物にならん。

 あの野郎、今度遭ったらただじゃ済まねぇ……いや、もう二度と遭いたかねぇけどよ。


「トカゲの。よく寝れたか?」


 声のした方を向くと身体の至る所を包帯やら布やらで覆われた半端なミイラ男、宿屋の親父さんが前に立つ爺さんの赤く爛れた脚に仄かに光る手を翳している。

 ヒーリングの法術だ。

 しかしゲームの回復魔法のようにたちどころに傷を治してしまうような便利なものではなく、自然治癒力を促進させる補助的な効果に留まっている。この左腕も親父さんにヒーリングを掛けて貰ったが、現状では気休め程度と言わざるを得ない。


「寝覚めは最悪だったけど、そこそこは」

「よし、なら手伝え。手が足らん」


 マジかよ……。

 眠気眼を擦る間すらなく言い渡された言葉に絶句し、大顎がカックンと落ちた。


「まだ朝飯食ってないんだが?」

「俺も昨日の晩から食った覚えがないな」


 無茶苦茶だ。

 だけど周囲を見回せば怪我人の手当てや焼け跡から焼け残った物資や井戸から汲み上げた水を運んで奔走する人々の姿を見る事が出来る。その表情は一様に疲れきり、もしかしたら一時の休憩も取っていないのかもしれない。

 そして目の前の親父さんもその一人だろう。

 親父さんは術装器(スペルノーツ)を戦闘中に失ってしまったらしく、今は補助なしでヒーリングを行使している。

 術装器(スペルノーツ)が無くても法術が使える事実は俺にとっては衝撃的だったが、それよりも術装器(スペルノーツ)無しでの法術行使は術者の負担が非常に大きくなってしまう事が問題だ。

 そんな事をおくびにも出さず、自身も大火傷を負っているのに怪我人の手当てを夜通し続けている親父さんを前にしては、泣き言など言えるはずが無い。


「おし、終わり。次」

「な、なんじゃと? 全然治っておらんぢゃないか!」

「血が止まって薄皮張ってるだろ、よく見やがれ。後は薬を塗って包帯巻いて、大人しくしてろ」

「ふん! ケチケチしおってからに」


 などと喧しく吠えた爺様だが、外見的に赤みの強い脚ながらものっしのっしと肩を怒らせて歩く姿は非常に力強い。

 表面以外は完治しているのではなかろうか。


「元気な爺さんだなぁ」

「忌々しい限りだよ」

「何言ってんだい、アンタの親父は殺したって死にやしないよ」


 爺さんと入れ替わりでやってきた婆さんがカラカラ笑い、それに親父さんは苦虫を噛み潰したような渋面で応える。

 なんだろう、あの爺さんが何処ぞで起こす騒動を親父さんが収めて回る光景が目に浮かんだ気がした。

 まぁいいや、俺もやれる事をやりますか。


「婆ちゃんは何処を痛めたんだ?」

「左の大腿に焼けた柱が当たってねぇ、だんだん痛くなってきたんだよ」

「分かった。そこの椅子に座って」


 患部らしいズボンの焦げた部分からは包帯が見えているから、最低限の処置は終わっているようだ。

 そこへ手を翳し、体内を巡るモノへと意識を向けてその流れる方向を集中させるべく手繰り寄せる。


「生きとし生けるものすべてに宿りし癒しの力、我が呼び掛けに応え傷を癒せ――」


 そして集めたモノに方向性を示す『呪文』を注ぎ込み、掌から少しだけ放出したモノ――『マナ』で円や三角形などの図形を組み合わせた法陣を描くと準備は完了。


「――ヒーリング」


 引き金となる『言霊』を唱えると『マナ』で描いた法陣から金色の光が流れ出し、包帯で覆われた婆さんの大腿に当たって拡がっていく。

 親父さんが術装器(スペルノーツ)無しで法術を使っていたから、もしかして俺にも使えるんじゃないかと教えてもらったら……なんと本当に使えてしまったのだ。

 俺もビックリだが、教えた親父さんもこれには驚いていた。以前、トリーシャの術装器(スペルノーツ)で法術を使ってみた時に感じた感覚を思い出してやってみたら出来た、と説明すると「なるほど、そういう掴み方もあるのか」とか感心していたが何のことか分からん。


「ほぉ、補助器無しでこれは……やるじゃないか」


 金色の光が大腿を包むと、婆さんは皺だらけの相好を崩して感嘆を漏らした。


「そうなのか? 昨日初めて使ったから良く分からんが」

術装器(スペルノーツ)はともかく、『(フレーム)』無しでマナをこれだけ扱えれば大したもんだよ」

「俺としちゃ術装器(スペルノーツ)無しで法術を使えるって事実がビックリなんだけどさ」

「あたしらが現役の頃はそれが普通だったんだよ。術装器(スペルノーツ)どころか補助処理が施された杖も高額でねぇ、苦労したもんさ」

「へぇ。婆ちゃんも冒険者だったのかい?」


 そう尋ねると、婆さんは瞼が垂れて細くなった目を更に細めて何処か遠くへと視線を向ける。


「懐かしいねぇ。あの頃は法術を習う金なんて無かったから、法術使いの冒険者にしつこく付き纏って教えを請うたもんさ」

「すげぇな……つか、その冒険者は迷惑だったろーなぁ」

「そりゃあ何度も断られたよ。騙されて酷い目にも遭ったねぇ。でも生きるために必死だったから、がむしゃらに食い付いていったよ」


 カッカッと快活に笑っているが、想像するだに結構な修羅場をくぐり抜けて来たのではなかろうか。


「うん? て事は婆ちゃんもヒーリングを使えるんじゃないのか?」

「そう言うと思ったよ。でも使えないのさ。つい最近まで治癒関連の術式は教会の秘奥だったからね」

「秘奥?」

「そうさ。言い換えれば飯の種ってことだね」


 その秘密が何故に一般に流出したのか、少々気になるところだ。


「他に痛めた所はないかい?」

「ああ、柱がぶつかってきた時に転んで腰を打ってねぇ」

「分かった」


 背後に回り、金色の光を曲がり気味の腰へと導く。

 この法術はすごく疲れる。婆さんの施術が終わる頃には軽く目眩を覚える程度に消耗した。

 それにも拘らず昨夜から一睡もせずにこれを行使し続けている親父さんの精神力たるや凄まじいもんだ。


「よし、次」

「賊に斬られた所が――」


 今日もまた終わりの見えない治療が始まる。

 日が南中を過ぎて疲労困憊でヘロヘロになっていたところにあいつらが帰ってきたり、心配を掛けさせたとかでいきなり説教を食らったりと碌な事がない。

 それからも焼けた村の後片付けやら何やらと、散々な日々が過ぎていった。

レンが術装器無しでの法術に目覚めました。

とは言っても大したものは使えませんし、詠唱速度も遅いので実戦で活かせるようになるには修行が必要です。


※4/30 加筆修正しました。

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