なんでも課。
「ま、ま、魔法世界の……か、カル?」
「カルディーナです」
「ああ、はいはい。カルディーナは、っと」
マドアックが通されたのは織籠市役所の一階の一番奥にある部屋、市民なんでも相談課――通称なんでも課の窓口だった。狭い室内に机が詰め込むように並べられていて、その上にこれでもかというぐらいに書類が積まれている。
そして彼をここまで連れてきた当人、佐藤は何世代も前の箱型のパソコンと書類をにらめっこしていた。
マドアックは周囲を見回すと部屋の中には彼女の他に三人の人間がいる。
一人目は派手な印象の女性だ。佐藤より体つきはお人形のように小さいが纏っている雰囲気から年齢は佐藤よりもいくつか上だと推測できる。薄めの化粧しかしていない佐藤と違ってばっちりメイクを決めている。しかし、そのメイクに呑まれるところか逆に乗りこなしてさえいるようでさえある綺麗な顔立ちをしている。髪も緩めのウェーブをかけた茶髪だ。こんな薄汚い部屋にさえいなければセレブと間違えられるような、あらゆる意味で佐藤とは真逆の女性だった。午後三時で勤務時間の真っ最中だろうにその手にはファッション雑誌が握られている。
次はその対面の机で黙々と書類作業をしている男。体格はかなり大柄でマドアックの頭二つ分は大きいだろう。その体格と短く刈り上げた黒い髪が相まって厳しい印象を与える。作業のために捲り上げたであろうワイシャツの袖から見える腕も太く引き締まっていて、筋骨隆々という言葉がよく似合う。ちらかり放題の部屋の中でも彼の机の周りだけは整理整頓が行き届いており、今も機械のように積み重ねられた書類を一枚一枚処理していっている。
「ごめんなさいねえ、みんな無愛想で」
そう言ってマドアックにお茶を差し出してきたのは三人目の初老の女性だった。いや、女性と言っていいのか、何歳なのか、というのは判断に迷うところだ。半透明の濡れた肌、ころころと顔の形状ごと変形する表情、びしょびしょに濡れた服。彼女は人の形をしたスライム――スライム人間なのだった。
差し出された湯呑を握るとぬるぬるとスライム人間の粘液で濡れており、思わず手を滑らして湯呑を取り落としそうになってしまう。
「あら、ごめんなさいねえ、こんな体してるもんですから」
汗じゃないのよ、と言ってけたけたと笑うスライムおばさんにマドアックは曖昧に笑うことでかわした。書類仕事には向いていないだろうな、とそんなことをぼんやり思った。
「もう、スラさん。気をつけてくださいよー」
パソコンから顔を上げた佐藤が慣れた様子で笑いかける。派手なほうの女性は相変わらずファッション誌から顔を上げないし、大柄な男性も湯呑を取り落としかけたときに一瞬彼の方を見た後、すぐに自分の作業に戻った。どうやらこれがここでの日常なのらしい。
「…………」
マドアックはなんとなく居づらさのようなものを感じ始めていた。“最後尾の魔女”を探してくれるというから来たものの、どうにもみながのんびりしている。自分は一刻も早く“最後尾の魔女”を討伐して、国に帰らなければいけないのに。
「うぃーっす」
気だるげな声とともに一人の男が部屋に入ってきた。スラさんと同じくらいの年齢だろうか。ただ彼女とは違い年相応の疲れが全面に出ているくたびれた感じの中年の男性だった。髪も白髪まじりで背も縮んで丸くなっている。口には禁煙用のパイプが銜えられていて、全体的にだらしない印象がする。
「課長!お疲れ様です!」
佐藤がパソコンから顔を上げて元気いっぱいに声をかけると課長と呼ばれた男はめんどくさそうに手を振った。
「お疲れ様じゃないよ、さーとー。お前また単車爆走させやがった上に大声ぎゃあぎゃあ出しやがって。うるせえ、って電話かかってきてたぞ」
「あ、あれは貴ヶ谷のアホが」
「アホにいちいち付き合ってるやつもじゅうぶんアホだ。反省しろ25歳」
「年齢は言わないでくださいよ!」
二人のやりとりを聞いていたファッション雑誌を読んでいた女性がくつくつと笑う。大柄の男もいつしか手を止めて二人の方を向いていた。
「笑わないでくださいよ、真貴さん、鴻池さん!」
「俺は笑ってはないぞ」
「あ、すいません……」
「うそ。口角ちょっと上がってるわよ」
「しまった。バレたか」
「鴻池さん!」
椅子から跳ねるように飛び上がった衝撃で佐藤の机の上の書類がざばーっと床にこぼれ落ちた。慌ててそれを拾う佐藤と手を出そうとして佐藤に慌てて制止されるスラさんを見て心底疲れたように溜息を吐く男は気がついたようにマドアックに視線を向けた。
「この子は?」
「さっき〝渡界〟してきたばかりのマドアックくんです」
「あー、昼の落雷の。若いのに大義なこった。俺はなんでも課課長の根津だ。よろしくな」
「よ、よろしくおねがいします」
「それで?お前さんはなにしにここに来た?」
騒太郎にされた質問と同じ質問を投げかけられる。
「ま・・・・・・人探しを」
「ま?」
ちょっと魔女を殺しに、なんて言えずに咄嗟にぎこちない笑顔を作る彼を根津は訝しげに見ている。これまでまともに話に参加してなかった真貴が彼に声をかけた。
「〝最後尾の魔女〟……だっけ?」
「はい」
「そんな名前の魔女、聞いたことないけどねー」
「でも、この世界に渡ってきたのは間違いないんです」
「んー、でもここ最近〝渡界〟なんてあったかしら」
「最後に〝渡界〟の現象が確認されたのは三カ月と四日前だ」
鴻池が相槌の代わりに正確な情報を彼に伝える。しかし、マドアックはそれに反論した。
「それはおかしいです。僕たちはあの魔女のすぐ後にこの世界に渡ったんです」
「噛み合わないわね。佐藤、そっちはどう?」
「そうですね……ちょっと見つからないです」
佐藤は困ったような表情を浮かべるとパソコンと照らし合わせていたファイルを置いた。丁寧にマジックで書かれたタイトルは『平成29~30年異界移住者リスト』。部屋の中に不穏な空気が漂い始める。
申し訳なさそうにマドアックが口を開いた。
「ここの人が把握してないだけとか、って……」
「それはないな」
しばらく黙って話を聞いていた鴻池がすかさず言葉を挟む。
「なんでですか?そんなのわからないじゃないですか」
「わかるんだよ。世界ってものはもともとひとつひとつが閉じている独立したものだ。その別の世界とこの世界を繋ぐためにはそれぞれの世界に穴を開けなくちゃならない。そのためには膨大なエネルギーが必要だ。この小さな街でそんなバカでかいエネルギーの反応が起これば俺たちが見逃がさないし、たとえ俺たちが見逃がしても目ざといこの街の住人がそれを見逃がさないだろう」
「〝渡界〟はこの国で年間数十のケースが報告されてるんですけど、その七割は織籠市で起こっているんです。他の街に〝渡界〟してきた人もけっこうこの街にやってきたりして。だからこの街は他の街で〝渡界〟があった場合も情報を集めているんです。専門の観測機関もありますし。それでもここ最近〝渡界〟してきた人の中にそんな人は……」
話を聞いていけばいくほどどんどん目に見えて表情が暗くなっていくマドアックを見て、佐藤はそこから先の言葉を続けることができなかった。部屋の中に落ちた沈黙に困惑した様子のスラさんの視線が行ったり来たりしている。
しばらくしてその沈黙を破ったのは根津だった。
「そんなにいじめてやることもないだろ。俺たちにだって見落としくらいあるだろうよ」
「そ、そうですよね!すごい魔女さんみたいですし、ありえないことじゃないですよね!」
取り繕うように佐藤が言葉を継いだ。
「佐藤。しばらくお前が付いて探してやれ。鴻池、一時在留の手続き、今日中に頼むわ」
「わかりました」
鴻池は短くうなずくと、さっそく引き出しから書類を取り出して作業にかかる。佐藤も新しくファイルといくつか取り出すとぺらぺらと捲り始める。スラさんが安心したように深く息を吐くと同時に胸を撫で下ろすと、水飛沫が飛び、佐藤の悲鳴が上がる。
そんななんでも課の様子をぼんやりと見ていたマドアックの肩を根津がぽん、と手を置くとその眠そうな目元が笑わせながら言った。
「安心しろ、マドアックくん。俺たちは市民なんでも相談課だ。できるだけの協力はするさ。なんでも、な」
「……よろしくお願いします」
マドアックは深く、頭を下げた。
「まあ、本格的な調査は明日からするとして、とりあえず今日は寝床の心配だな」
根津が席で茶をすすりながらそんなことを言った。
「佐藤、今日はお前の家にマドアックくん、泊めてやれ」
突然話を振られた佐藤はひぇえ、という素っ頓狂な声をあげながら振り返った。
「なんでですか。普通に外国人用の宿泊施設に泊まってもらえば……」
「先月、お前と貴ヶ谷が吹っ飛ばしただろうが」
「あ、あれはあのアホが鎖神博士のロボを乗っ取ってですねえ!」
「経緯はどーでもいい。施設がない現実は変わらないだろ」
「う……」
ぐうの音も出ない、といった感じで黙る佐藤。しかし、すぐに噛みつくように言葉を飛ばす。
「課長の家に泊めてあげればいいじゃないですか」
「うちは年頃の娘がいるから無理だ」
「うちにだって年頃の妹がいますよ!」
「俺の娘はお前の家と違って繊細なんだ。男女七歳にして席を同じうせず、だ」
「なんですかそれ……」
「とにかく。うちはダメだ」
きっぱりそう言うと夕刊を読むふりをして顔を隠してしまう。苦虫を噛み潰したようにその姿に怨嗟の視線を送る。
「真貴さんの家は」
「あら、いいの?」
真貴の目がすうっ、と細くなるとマドアックの体を上から下まで舐めるように見回す。マドアックはひぃっ、と短い悲鳴を飲みこんだ。
「私はぜーんぜん構わないわよ?おネエさんの家来る?」
「やめときましょう」
苦い顔をして首を振る佐藤とははは、と乾いた声を上げて笑うマドアックを見てちっ、と舌打ちする真貴。
「鴻池さんの家はどうですか?」
「やめときなさい。ホモに尻掘られるわよ」
「うちの人間のことを悪く言うのはやめてもらおうか」
鴻池が書類から顔を上げてその鋭い目をさらに尖らせて反論する。そのまま、しかし、と言葉を続ける。
「たしかにうちでは周りがうるさくて落ち着けないだろう」
「鴻池さんの家はなにをされているんですか?」
「……土建屋、だよ」
マドアックの質問に鴻池は薄く笑うとそれ以上言葉を続けることなく再び仕事に戻った。
スラさんは言葉を向けられる前から頬に手を当て、考え込んでいる。
「うちは子どもたちが多いからねえ。部屋もないし。困ったわねえ」
「というか、スラさんの家はスライム人間用だから彼は無理でしょうよ」
「半分水に浸かってますからねえ……」
ウンディーネの巣みたいなものだろうか、とそんなことをぼんやりと考えるマドアックを尻目に佐藤はうんうんと悩んでいる。
「あの、佐藤さん……迷惑でしたら、僕は野宿でも大丈夫ですよ?」
「いえ、迷惑とかじゃないんです。たまにこういうこともありますし……」
わかりました、と手を合わせると佐藤はマドアックに笑いかけた。
「今日はうちに来てください。歓迎しますよ」
「あ、ありがとうございます」
「そうと決まれば。課長、今日は定時であがらせてもらいますよ」
「おー。かまわんぞ。明日から頼むな」
それじゃお疲れ様でしたお先に失礼します、といつも通りの言葉を並べてその場で頭を下げるとマドアックを連れてなんでも課から出た。
付いてくるマドアックがおずおずと尋ねる。
「本当にご迷惑じゃなかったですか?」
「マドアックくんがうちに泊まることはぜんぜん構わないんですよ。ただ、ね……」
「ただ?」
「……めんどくさい人間が付いてきそうだなあ、と」




