関羽雲長
「はぁ…」
橋玄様と別れた私は一人、裏庭の木で休んでいた。次の対戦を思うと気が重い。対戦相手は、ご主人様。天の御使いにして、魏の…魏の…
「ん…?そういえば、ご主人様は魏の武将なのか?」
武将なら、あれだけの力を持った方だ。これまでの戦で聞かないわけはない。聞いた話はそう、桃香様と曹操殿の話を小耳に挟んだ程度。実際、ここ二年は聞いたこともなかった。魏にとって、ご主人様はどういった存在なのか、未だに私は分からない
「うーん。どうだろうね?関羽さんはどう思う?」
「そうだな…正直、戦場でご主人様の活躍を聞いたことがない。以前、小耳に挟んだのは一般兵並みの武、というくらいだった。それがどうだ?いざ、大会に出てみれば三国の猛者をごぼう抜きだ。桃香様は"ばあじょんあっぷ"とか言っていたが、二年やそこらで、あそこまでの実力を持つなど不可能だ。それこそ、人の枠を超えた…そう、化け物ではないか。そう考えると私は怖い、ご主人様は一体、何者なのだ?」
「はは…本当、何だろうね?」
「ああ…何なんだろう……って!?ご、ご主人様!?」
「やあ♪」
いつの間にやら、目の前ではご主人様がにこやかに微笑み座り込んでいた
「あああ、あの!ば、化け物と言ったのは言葉アヤでして、決して愚弄する意味でなくてですね!」
「はは…!いいよ、大丈夫。人外扱いには慣れてるから(種馬的な意味で)それにほら、相手を知り、対策を立てることは間違いじゃないし!それより、楽しみだね!次の試合♪」
目を輝かせて、ご主人様は拳を突き出した。まるで、わんぱくな子供のようで、微笑ましく感じる
「ええ、私も楽しみですよ。ご主人様」
「応!全力全開、手加減なしでいくぞ!」
「……へ!?」
ご主人様の言葉に目を丸めてしまう。ご主人様は今まで、余裕綽々で上がって来た方だ。当然、私の時も実力の半分も出さずして挑んでくるとばかり思っていた。それが、本気で挑むと仰るのだ。驚く他ない。い、いや、決して嫌なわけではない。寧ろ、ご主人様と自分の実力がはっきりするのは、今後のためにも重要な意味を持ってくる。それに合った身の振りができるから。しかし、あまりにも急な話だ。一体、どうしたというのだろう
「彼の有名な"武神、関羽雲長"と一騎打ちで戦えるなんて、夢のようじゃないか!」
「…?」
言っている意味がよく分からず、首を傾げてしまう。確かに自分の武に自信はある。しかし、私と並ぶ、武の持ち主たちと毎日、生活している彼が今更、私を名指し、目を輝かせる理由が分からない
「っと、ごめん。関羽さんは知らないんだっけ」
「といいますと?」
「関羽さん…関羽雲長は俺の世界、天の国でも、有名な人物なんだよ。あらゆる、書物にも登場する、超有名人さ!」
「…え?えぇ!?私が天の国で!?」
わ、私が何かしたのだろうか?ま、まさか天の国に粗相を!?それは不味い。ご主人様の故郷を知らず汚したとすれば、自害ものではないか!
しかし、そんな心配も杞憂に終わる
「皆のいう天の世界っていうのは今から、ずっと未来のことなんだ。俺は時を駆けて来た未来人ってわけ」
「ご主人様が…未来から来た人?…未来とはどちらの方向でしょうか?」
聞いたことのない地名だ。天の国の首都か何かだろうか?
「あはは…違うよ。未来っていうのは地名じゃなくて"これから先"のことさ。たとえば、一年、十年、百年、この三国がどうなっているか知っているかい?」
「百年先ですか?想像も出来ませんね」
「じゃあ、五百年、千年先は?」
「はは…そんな先の話など……まさか!?」
「あぁ、俺は知ってるよ。なんたって、生まれたのはそれより先の話だからね。天の国とは、みんなが紡いだ歴史の先のことなんだ」
「歴史の先…。では、ご主人様は我らの子々孫々の代の御方なのですか!?」
「そういうこと♪で、そんな、何千年先でも、関羽雲長の名は残っているんだよ。凄いだろ?」
「…私の名が…子々孫々まで…」
思わず身震いしてしまう。幾十年、幾百年、幾千年と私の名が語り継がれている。私は死後、歴史に埋もれるものとばかり思っていたのだから
「そして、その人と戦える喜び、関羽さんなら分かってくれるだろ?」
逆に言えばだ、もし、私が項羽や劉邦、果ては太公望に会ったとすれば…
「確かに、その喜びは果てしないものやも知れませんね。幼い頃に古書を読んでいて宝貝なるものには心揺さぶられたときもありました。叶うならば、ぜひとも一戦交えたいと願っていました。ご主人様は、まさにその状況なのですね?」
「そうだね。今でも、夢なんじゃないのかって不安になる」
ポツリポツリとこの世界に来た経緯を御主人様が語って下さった。それは数奇な運命にして、悲劇とも喜劇とも取れる内容だった。語り終えたご主人様は何かを堪えるように、堅く拳を握り締めた。突然飛ばされたこの世界。御主人様は大切な何かを見つけ出したのだろう。しかし、それがすべて夢だとしたら…それは、あまりに悲しすぎる。だからは私は
「夢では、ありません」
そっと手を取り、まっすぐに目の前の青年を見つめる。青年は私と同い年くらいの筈なのに、その眼差しは深く、不安、戸惑い、恐れ、希望、喜び、愛しみ、ありとあらゆる感情が渦巻いていた。私には到底、抱えきれないほどの想いを背負った青年もまた、私を見つめ返す
「ご主人様、私はあなたの前にいます。あなたの手を握っています。この感触は、この温かさは夢ではありません」
「…関羽さん。うん、そうだね。夢であってほしくない。いや…夢じゃないんだよな」
ご主人様は小さく微笑むと、深く頷き手を優しく握り返す。ご主人様の温もりがよりはっきりと伝わってくる
「はい!」
私は深く頷くと、青年の目を見つめ返した
「っ!?」
「?」
と、突然ご主人様が、顔を赤らめてそっぽを向いてしまった




