桜の残り香、妻の笑い声
春は、いつの間にか終わっていきます。
満開の桜に心を奪われていたはずなのに、気づけば花びらは地面に溶け
風だけが季節の名残を運んでいく。そんな“終わりかけの春”に
ふと胸がざわつく瞬間を、ひとつの短い物語として書きました。
特別な事件が起きるわけではありません。
ただ、散りゆく桜を前にして
過去の記憶やこれからの時間に思いを巡らせる――
そんな、誰にでも訪れる小さな揺らぎを描いています。
春の終わりが少し寂しく感じられる人に、
あるいは、季節の変わり目に立ち止まってしまう人に、
そっと寄り添うような作品になれば嬉しいです。
桜が散りはじめると、どうも胸の奥がひんやりする。
満開の頃にはあれほど浮き立っていた気持ちが
花びらが地面を覆いはじめる頃になると、急にどこかへ
引っ込んでしまうのだ。出会いだの別れだの
そんな大げさな言葉を無意識に反芻してしまうからかもしれない。
駅までの道で、遅れて落ちてきた花びらが一枚
風に押されるように目の前を横切った。
指先でそっと受け止めてみると、それは薄い紙のように震えて
すぐに崩れるように風にさらわれていった。
ああ、春というのは、いつもこういう終わり方をする。
散り際の桜を見ると、ふいに昔の記憶が顔を出す。
あのとき言えなかった言葉や、あるいは
言わなくてもよかった余計な一言が
花びらのようにひらひらと胸の中に舞い戻ってくる。
これから出会う誰かのことを想像する気力も
春の終わりには少しだけ薄れてしまう。
期待よりも、季節がひとつ幕を閉じていく
寂しさのほうが勝ってしまうのだ。
自分でも、面倒なほどに心がざわつく季節だと思う。
「ただいま。……桜、もう終わりだな」
帰宅して靴を脱ぎながら、居間に向かって声をかけた。
台所にいた妻は、こちらを振り返りもしなかった。
「はいはい。また始まったわね、お父さんのセンチメンタル期」
カラカラと笑うその声の軽さが、今の私にはありがたいような
少しだけ悔しいような気もする。
まあ、否定はできない。満開のときには気づかなかった
「時間の流れ」が、散り際になると急に鋭い輪郭を持って
迫ってくる。少しだけ立ち止まりたいのに
過ぎていく時間に追いつけないような
そんな焦燥が私を揺さぶるのだ。
駅前の公園では、あんなに賑やかだった花見客の
姿もまばらになっていた。
湿ったブルーシートの跡だけがアスファルトに残り
風が吹くたびに花びらが地面を転がっていく。
遠くで響く子どもたちの笑い声さえ
どこか別の世界の出来事のように感じられた。
春の終わりは、賑やかさの「残り香」だけが
漂っていて、それが余計に寂しさを強調する。
それでも、季節は容赦なく進んでいく。
散った花びらが雨に溶けていくように
今年の春も静かに幕を閉じようとしている。
この胸のざわつきを抱えたまま、私はまた
明日という日常へ歩き出す。
来週になれば、きっと葉桜の緑を眺めながら
今日感じた寂しさのことなんて忘れているのだろう。
それが少しだけ、寂しいのだけれど。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
春という季節は、始まりよりも終わりのほうが
なぜか心に長く残る気がします。
満開の桜が散りはじめると、景色は同じなのに
どこか世界が静かになったように感じられる。
そんな“季節の隙間”のような時間を
文章にしてみたいと思って書きました。
特別な事件も、劇的な展開もありません。
ただ、花びらが落ちていくのを眺めながら
過去や未来にふと触れてしまう――
そんな小さな揺らぎを拾い上げたつもりです。
もし、あなたの中にも似たような感覚が少しでも響いたなら
それだけで十分です。
季節の終わりに感じる寂しさは
きっと誰の中にもあるものだと思っています。
読んでくださった時間が
ほんの少しでも穏やかな余韻として残れば嬉しいです。




