10_君が私を、私が君を
「今の本当!?アイのこと好きって!」
リホは声のボリュームに気を付けることなく俺を問い質す。
「こ、声が大きい。あとそんなこと言ってないよ」
考える猶予も与えられず、俺は思わず噓をつく。
「ううん!言った!絶対言った!アイ、好きだな…ずっと一緒にいたい…って確かに聞いたもん!」
彼女は声のボリュームを下げることなく、俺の言葉を復唱した。先程までとは別の種類の熱で顔が真っ赤になるのを感じる。
「ちょっ、えっと、と、とりあえず声抑えて!」
俺は必至で彼女にお願いする。
「あ、ごめんね。それで、先程の発言はどういう意味なの?」
声は抑えてくれたが問いは抑えてくれない。
「いや、別に大した意味は…アイのことは友人として好きだし、一緒にいたいなって言っただけ」
「嘘だよね?さすがにわかるよ」
「はぁ、いったい何を根拠に嘘だって言うの?」
俺は精一杯取り繕う。
「そんなの決まってるよ!あんなに顔赤くして、瞳潤ませて、それであんな甘くて優しくて祈るような声は友人への想いってだけじゃ出せないよ!それに…」
「ちょっと待って!ストップ!それ以上言わないで!」
恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。彼女は俺をいじっているというわけでもなく、真剣に先程の俺の様子を語ってくる。そんなの耐えられるはずがない。恥ずかしさで死にたいと思ったのは初めてだ。
「それで、どうなの?嘘は禁止ね」
「…」
容赦なく問い質してくる彼女に対して何と答えるべきか考える。考えるが言葉は出てこない。予期していない失態と恥ずかしさで頭も上手く働かない。
「…言いたくなければ無理にとは言わないけど。でも、それはそれで答えを言ってるようなものだよ?」
「さっきのは本当に何でもなくて…いや、本当は…でもやっぱり…えっと…」
嘘をつくべきか本当のことを言うべきか定まらないまま喋ろうとして、結局は言葉にならないまま黙ってしまう。
「ふふ。こんなシラクボ君初めて見た。ゆっくりでいいから言葉にしてみて。お昼休みはまだ時間あるから」
彼女は時間を与えてくれる。逆に言えば、時間をかけてでも絶対に答えなくてはならなくなった。
「でも、こんな感情、理解してもらえないよ」
理解してもらえるはずがない。好きだが恋人になりたくはない。アイが盲目だから恋人になりたくはない。こんな俺の思想を理解してくれる人がいるとは思えなかった。
「それでも、話してみてよ。私、ちゃんと真剣に聞くから」
きっと彼女は俺の話を茶化したりしない。彼女がどんな人間なのかはこの高校生活でよくわかっている。
俺も覚悟を決めなければならない。自分の本音を言葉にする覚悟を。きっと彼女なら、リホなら俺の心の整理をする手助けとなってくれるはずだ。
「はぁ!?」
後ろからリホの驚きに満ちた声が聞こえた。そう、後ろから声が聞こえた。
なぜなら、俺はリホを背にして逃げたから。
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「信じらんない!」
頭に血が上るのを感じる間もなく言葉は飛び出し、体は動く。
彼の独り言を聞いたとき、とても嬉しい気持ちになった。大好きな私のアイと大切な友人のシラクボ君が両想いの可能性があると思ったからだ。
私はついテンションが上がって問い質してしまった。それについては反省するところだが、今は逃げたシラクボ君を追うことに全力を尽くす。
あんなに狼狽えている彼は初めて見た。たぶんアイもマー君も見たことないのではないだろうか。そういう意味では普段の彼が絶対にしないような行動を取っても不思議ではなかった。
しかし、私は怒る。逃げるという彼の行為に怒りを覚えるのは当然であった。アイがこの高校生活、いや、中学生の頃から今までどれだけ彼を想ってきたのか彼自身もよくわかっているはずだ。
それなのにアイの告白を断り続ける彼は本当はアイのことが好きなご様子。何か事情があるのかもと聞いてみれば速攻で噓をつき、さらに問い詰めれば逃げる。大人しそうな見た目に反して沸点の低い私が怒るには十分の理由だった。
「待てー!逃げるなぁー!」
私の叫びに彼は答える様子もなく、そのまま逃げ続ける。足の速い彼と遅い私では距離がどんどん離される。
しかし逃げる範囲はあくまで校内だ。それならばと私は彼の逃走ルートを推測し先回りする。
「!?なんで…!」
見事に先回りを成功させた私に彼は驚く。その隙に捕まえようと跳びかかるがギリギリのところで躱される。
彼は逆方向に走り去る。縮まった彼との距離を離すまいと私は全力で追いかける。
追いかけっこが始まってどのくらいが経っただろうか。体感的には30分くらい経っているが、実際のところは5分といったところだろうか。途中、下の学年の子とぶつかりそうになったし、先生には廊下を走るなと注意された。それらを無視して追いかけ続け、今は別棟の4階にいる。彼は下から来る私を見てさらに階段を上がる。
このまま彼は5階脇の避難時用の階段から降りて逃げ切るつもりだろう。だが彼は知らない。その階段につながる扉が現在壊れていて通れないことを。
なぜなら扉が壊れたのはつい昨日。私とアイとアキラでふざけて暴れた結果壊してしまったからだ。その場にいなかったのに一緒に謝ってくれたコトリちゃんは本当に天使だった。でもその後に私たちを叱るコトリちゃんは先生よりも恐かった。
壊れた扉の前には三角コーンが設置され、それに張られた使用禁止の張り紙を見て彼はとうとう逃げ場を失う。
「ハァー、ハァー、じゃあシラクボ君、ハァー、話をしようか」
お互いに息を切らし、汗まみれになり、冷静になれば何をしているんだと思う状況ではあるが、お互いに冷静ではないのでその考えは意味を成さない。
こうして彼との追いかけっこは私の勝ちで幕を閉じた。
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別棟の屋上。冬の屋上なんて風が強くて寒いだけなので誰も近寄りなどしない。だが今日に関しては風は吹いていない。それでも寒いことには違いないのだが、体育の適当にこなすマラソンよりも真剣に走ったことで火照った私の体を冷ますのには丁度よかった。いつもは心の中で恨みを抱いている寒さも今に関しては心地よい。
「それで、何で逃げたの?」
自分の喉から発せられた声は思ったよりドスが利いていて、私こんな声出せるんだと驚く。その声を聞いたシラクボ君は心なしか怯えているように見える。私よりも大きい男の人が私に怯えている様子はなかなかに気分がいい。おっと、いけない。何か開いてはいけない扉を開きそうになった気がする。
「本当にごめん。アイのこと、何て説明すればわかんなくて」
弱弱しく彼は答える。
「それでなんで逃げるのかはわからないけど、まあそれは一旦いいや」
私は息を整えて彼に質問する。
「それで、シラクボ君はアイのことをどう思っているの?」
彼の口からちゃんと聞きたいと思った。私の親友の恋が実りうるものなのかを
でも、きっと私が話を聞きたいのはアイのためだけではない。私は知りたいのだ。シラクボ君のことを。自分のことを語らない大切な友人が、何を思って生きてきたのかを。
「…」
彼はまだ何か迷っているようだった。
私は彼の言葉を待つ。いくらでも待つつもりだ。
彼が口を開いたのはそれから2分ほど経ってからだった。
「全部、話すよ。上手く要点だけ話せる気がしないから、俺のしてきたこと、思ってきたこと、全部を話すよ」
まだ迷いがある様子の彼は、それでも話すという選択肢を取ってくれる。
「うん。聞かせて」
私は答える。真剣に彼の話に向き合おうと、彼の目を見る。
彼はそんな私の目を見てはいない。けれど、それでも偽りのない本心を語りだしてくれた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。それでも私たちはこの屋上から動かない。彼が話し終えるまで動くつもりはなかった。
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彼から話を聞いた。それはアイの話だけに収まらなかった。彼は自身の全てを聞かせてくれた。
「母は俺を置いて出ていった。最後に愛は永遠じゃないのって言葉を残して。きっとそれは父に向けられた言葉だったけど、俺に向けられた言葉のようにも感じた」
母親に出ていかれたこと、その時に掛けられた言葉がトラウマになっていることを彼は語った。
「俺はいじめからその子を救えなかった。どころか俺が関わったせいでより最悪な結末になった。そんな結末の後に、何の意義もなく、ただ俺の感情を発散するだけの暴力を加害者に振るった。そうして俺も加害者になった」
小学生の時にいじめがあったこと、己の無力さと暴力という手段を知ったことを彼は語った。
「一回り大きい不良たちを暴力でねじ伏せることで俺はもてはやされた。肯定された。頼りにされた。尊敬された。母から愛されなくなった俺は、転校していったあの子の役に立てなかった俺は、認められることに酔った」
転校先で英雄になったこと、正しければ暴力も肯定されると勘違いしていたことを彼は語った。
「中学に入ってすぐの頃、クラスが暴力で解決できない事態になって、また無力感に苛まれた。ただ俺が絶望しているだけの間に、誰に気づかれるわけでもなく問題を解決したのはマサムネだった。暴力とか真正面からの抗議とか、そういうわかりやすい手段に頼らず、地道でも人に寄り添うような方法があることをマサムネが俺に教えてくれた」
中学生になってすぐ己の無力さを思い出したこと、マー君のやり方から理想を実現する方法を学んだことを彼は語った。
「最初はただ可愛い子だなって、纏っている雰囲気が好きだなって、そのくらいの感情だった」
アイと出会ったこと、一目見て気になり始めたことを彼は語った。
「マサムネの真似をしたつもりになって、裏で色々と根回しして、カツキとメイコが結ばれるのを手伝った。大切な友人の恋を手伝えたことが、ありがとうと言われたことが、本当に嬉しかった」
友達の恋を協力したこと、お礼を言われてとても嬉しかったことを彼は語った。
「アイへの嫌がらせを解決したり、川で溺れたのを助けたり、ストーカーから守ったり、そんなことが重なって彼女との距離が近くなって、どんどん魅力を知って、どんどん体温が上がって、心から好きだと思うようになった」
アイを助けたこと、アイが好きだと自覚したことを彼は語った。
「そうしてアイと結ばれたいと思うようになったとき、カツキとメイコが別れた。別れて、陰でお互いの悪口を聞かされて、どうしようもなく気持ち悪くなった。愛は永遠じゃない、そんな母の言葉を思い出した。2人の恋の協力ができて喜びを感じていた頃の俺があまりにも馬鹿みたいだと思って、余計なことをしたのだと気づいた」
幸せそうだった恋人たちが別れたこと。別れた後、付き合ったことを後悔しているような言葉を聞いて、恋の協力をしたことが間違いだったと気づいたことを彼は語った。
「それでも当時の俺は関わる全ての人を幸せに導きたかった。最悪の学級崩壊を裏で解決したマサムネに憧れていたから。そうして、たくさんの人に寄り添おうとして、手伝おうとして、助けようとして、そして、抱えきれなくなっていった。今にして思えば大した取柄もない俺が、関わる全員の人を幸せにしようなんてあまりにも傲慢だった」
みんなが幸せになるように立ち回ろうとしていたこと、その考えがあまりに傲慢であると思い知ったことを彼は語った。
「アイに告白しようと思っていた。そんな気持ちを抱えながら彼女と一緒にいるとき、彼女が俺に向けている目に見覚えがあった。それはまだ付き合う前のカツキとメイコがお互いに向けあっていた目だった。恋は盲目、愛は永遠じゃない。そんな言葉が脳にこびりついて、恐くなった。気持ち悪くなった。アイが俺に向ける感情も簡単に消えてしまうことが、何より俺がアイに向ける感情が消えてしまうかもしれないことが、恐くて、気持ち悪かった」
アイに告白しようと思っていたこと。アイが恋というフィルターを通して自分を見ていることに、別れた恋人たちの姿を重ねたことを彼は語った。
「付き合わなければ、縛らなければ、近づきすぎなければ、叶わなければ、この大切な感情が消えることはないのではないかと思った。アイとできるだけ長く、少しでもいいから長く、一緒にいるためには友達でいることが一番だと思った。恋人なんかじゃなくても、一緒に笑って話すことができればそれでよかった。そうして俺はアイへの恋を諦めた」
アイとできるだけ一緒にいたいと思っていること、一緒にいられれば関係性なんて何でもいいと思っていたことを彼は語った。
「中学2年の文化祭で、己の可愛さを利用して好き勝手に生きる女子生徒がいた。その女子生徒のせいでたくさんの人が負担を強いられて、そんな状況でも頑張っていたのに理不尽に責められて、嫌悪の感情が湧いた。それでも人間には良いところの1つや2つはあるから、どうにかそれを見つけようとした。だけど、都合が悪くなったらただ泣くだけで周りを味方につけてしまうその女子生徒の姿を見たとき、心の底から嫌いだという感情が湧いた。小学校でいじめがあったときですら、加害者たちの全てを嫌いなったわけではなかった。だけど、あの日俺は、その女子生徒の全てが嫌いであると自覚した。それと同時に、勝手な判断で相手の全てを嫌悪した自分自身を、嫌いだと思った」
嫌いな人が初めてできたこと。嫌いだと思ってしまった自分が嫌いなことを彼は語った。
「みんなの幸せのためだと自分に酔いながら働いて、そんな生き方をしているのにその女子生徒には心底不幸になってほしいと望む自分が垣間見えて、体力と精神が擦り減って、俺は倒れた。そして、また何も成せなかったのだと絶望した。憂鬱のまま学校に戻ると、問題は解決していた。問題を解決したのはマサムネをコウだった。またしても俺は、何もできなかった」
中学の時に倒れたこと、マー君とアサガオ君に助けられて劣等感を抱いたことを彼は語った。
「嫌悪していた女子生徒を、俺は可愛いだけの女の子だと評していた。そして、可愛いだけの女の子というレッテルを勝手にコトリに貼り付けていた。コトリを受け入れることができれば、可愛いだけの女の子を受け入れることができれば、俺は誰かを心底嫌ってしまうような人間ではなくなることができると思った。だからコトリに声を掛けた」
自分がどんな人間か確かめるためにコトリちゃんに話しかけたことを彼は語った。
「だけど、俺は間違えていた。コトリは可愛いだけの女の子ではなかった。変わりたいと願って、変わるために行動する、誰よりも強い人だった。そんなコトリを心の底から尊敬する。それと同時に、そんなコトリに不純な動機で声を掛けた自分自身を深く恥じた」
コトリちゃんを見誤っていた己を深く恥じたことを彼は語った。
「マサムネとリホが付き合い始めたとき、勝手に期待してしまった。カツキとメイコや、その他の大勢のカップルたちを見てきて、上手くいくことなんてないとわかっていたのに、永遠の愛とかいう口に出すのも恥ずかしいような言葉に囚われていた俺は、マサムネならもしかしたらって期待してしまった。そして2人が別れたとき、失望した。勝手に期待して、勝手に失望した」
私とマー君の関係に期待してしまったこと。勝手に期待しておいて勝手に失望してしまったことを彼は語った。
そうして、ゆっくり、拙く、時間をかけて、彼は全てを語り終えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
冬の屋上は相も変わらず寒い。
走って火照った体も当の昔に冷まされて、体が少し震えるのを感じる。
目の前の彼は、過去を語り終えた彼は、今の考えを話し始めた。
「だから、アイについては、好きだけど、早く恋のフィルターなしで俺を見てほしくて、でもアイが我に返った時に離れていきそうで恐くて、本当はその先で一緒にいたいと思ってほしくて、でも最近、恋人になりたいとか考えてしまう自分もいて、でも恋なんて冷めればなかったことのようになる感情は嫌で、、、ごめん、やっぱり上手く言葉にできない」
そう話す彼の目には涙が溜まっている。自分の気持ちを吐き出すほど、それと一緒に涙が溜まっていった。
「大丈夫だよ。全部を理解できたなんてことは言えないけど、シラクボ君のこと1時間前よりもずっと深く理解できたよ」
本当の意味で理解なんてしてあげられない。彼の口から言葉を聞いても、彼の感じた痛みや時間まで体験したわけではない。正直、わからないことだらけだ。でも、わかってあげたいと思う。彼の痛みを、彼の感情を、彼の願いを。
「とりあえず言えることは、俺はアイのことを心の底から愛しているってこと。母親からも、友達の言った言葉からも、愛なんて永遠じゃないことはわかるけど、それでもこの想いを譲れない」
かつて見たことないくらい弱弱しい彼だったが、その言葉だけは強い意志が込められた。
「シラクボ君が本当にしたいことって何?」
私は彼に問いかける。これはもうシラクボ君とアイだけの話ではない。シラクボ セイヤが本当に求めているものに私は薄々気づいていた。
「本当にしたいこと…俺は少しでいいから手の届く範囲の大切な人たちの助けになりたい。そして、その人たちと笑いあっていたい」
それが彼の答えだった。それが己の無力さと永遠の愛なんてないことを知った彼の本当にしたいことだった。
それは彼の本心だろう。
でも、きっとそれは本当にしたいことではない。それでは全然足りえない。
「嘘だよ。君はまだ嘘をついているよ」
私は言う。彼が勇気を出して放った本心を嘘だと一蹴する。
「っ!嘘なんかじゃない。これが俺の短いなりの人生で出した答えだよ」
彼の声と表情に怒りの感情が現れる。彼の怒った姿なんて初めて見た。
「嘘だよそんなの。だってそれが本当の願いだというのなら、もう十分できてるじゃん!それなのに君は今、辛そうな顔をしてるんだから嘘だよ!」
大切な人たちの助けになりたいと彼は言った。私たちはみんな彼に十分助けられている。
大切な人たちと笑いあっていたいと彼は言った。私たちは毎日のように笑いあえている。
それなのに今の彼は辛そうだった。
彼はまだ隠している。本当の望みを隠している。それはきっと意図的にではない。己の無力さを思い知った結果、彼自身にすら見えない場所に本当の望みを隠したのだ。
能力に釣り合わない傲慢な望みを手放したのだ。
「さっきから嘘つき呼ばわりして、俺の口から言ったことなんだよ。これは俺の本当の願いだよ。リホに何がわかるっていうんだ」
彼は必死に冷静さを保とうとする。本当は思いっきり怒りたいだろうに、それを必死に耐えている。それが彼の魅力の一つであることは間違いない。
でも、そんな彼の自分を押し殺してみんなと上手くやろうとするところが私は少しだけ不満だった。
2年と半年。私と彼が関わってきた時間だ。それなりの時間を共にしてきたのに自分を押し殺してしまう彼から、私は本心を引き出さなければいけない。彼自身すら忘れてしまった本心を、思い出させなければならない。
「シラクボ君は自分自身のことをちゃんと話してくれた。私に話してくれたことにきっと嘘はない。でも、まだだよ。まだ君は自分自身に噓をついてる!」
「俺が自分自身に噓を…」
彼は本気でわからないという顔をする。いったいどれだけ自分に我慢を強いてきたのだろう。自身に噓をついていることにすら気づけなくなるほどに。
私は彼に問いかける。彼を怒らせるとわかっていて、傷つけるとわかっていて、それでも問いかけた。
「母親が出て行ったとき、思ったことをそのまま君は伝えたの?いじめがあったとき、お前らは最低のクズ野郎だって言ったの?友達の恋が冷めたとき、あんなに好き好き言ってたのに意見を変えて気持ち悪いんだよって言ったの?嫌いな女の子にははっきりお前みたいなやつが嫌いだって言ったの?私とマー君に所詮その程度の想いだったのかって言おうと思わなかったの?君はいつだって自分の気持ちに蓋をしている。相手を傷つけないように、自分が傷つかないように!」
優しい彼だから。そしてきっと弱虫の彼だから。みんなの幸せのためでなく、みんなが傷つかないように立ち振る舞ってきたんだ。自分は大丈夫だと言い聞かせて。自分の本当の気持ちを抑え込んで。そうしているうちにわからなくなったんだ。本当の願いが何なのかを。
「みんなにそんな酷いこと言えるわけないだろ!大切なんだ!傷ついてほしくないに決まってる!わかるだろ!」
彼は叫ぶ。初めて見る彼の激怒に体が少しだけ竦む。だけどそれと同時に、そんな姿を私に曝け出してくれて嬉しくもあった。
「わかるよ!だからこそだよ!大切だから傷ついてほしくない。私たちだって一緒なんだよ。大切な友達が辛そうにしている姿なんか見たくないに決まっている」
彼は言う。大切な人たちを傷つけたくないと。私もそう思う。大切な人に傷ついてほしくないと。だから、私にとって大切なシラクボ セイヤを否定する彼に伝えなければいけない。
「シラクボ君が幸せになってほしいと思う大切の人の中に、シラクボ君自身もちゃんと入れてほしいんだよ!」
私は叫ぶ。彼の苦悩を聞いておいて、それでも言いたいことを好き勝手に言う。
「俺は、、俺のことは、、いいんだよ。俺自身を大切に思うことなんかできるわけがない」
弱弱しく声に涙が混ざったような音で彼は答えた。
「シラクボ君は、素敵な人だよ。大切の中に、いるべき人だよ」
私はできる限りの本心を込めて彼に伝えた。
「そんなことない!」
そんな私の本心は、彼の怒鳴り声で拒絶される。怒りの矛先はきっと彼自身に対してだ。
怒鳴ったことで歯止めが利かなくなった彼から抑えていた気持ちが溢れ出す。
「俺は、本当の俺は、どうしようもないやつなんだ!俺が今まで、どれだけの人に暴力を振るってきたと思う!勝手に助けようとして、結果的に迷惑をかけたことが何度あると思う!カツキとメイコの関係も、リホとマサムネの関係も、勝手に期待して別れたら気持ち悪いって心の中で軽蔑してたんだぞ!母親に見捨てられた時だって、行かないでって言わなかったのは最後までいい子だと思われたかったからだ!転校先で嫌われてるやつらに暴力を振るって、みんなから英雄のように扱われたとき、俺が何を考えていたかわかるか!みんなに求められて気持ちいいって、他の悪役を探そうって、そんな風に考えてたんだぞ!何が英雄だ、、俺はただ自分に酔いたかったんだよ…俺がアイのことを永遠に愛するって思うことも、もしかしたら意地になってるだけなのかもしれない。すぐくっついてすぐ別れる薄っぺらい奴らや、父さんと俺を捨てた母さんのことを否定したいだけなのかもしれない。俺は特別な人間になりたかったんだ。愛とか友情を語るだけの奴らとは違うんだって思いたかったんだ」
怒りに任せて放っていた彼の言葉もどんどんと弱弱しいものへとなっていく。
感情を吐き出して気分が晴れるどころか、さらに自己嫌悪という沼に溺れていく。そのまま沼の中で息絶えるように、彼は語りを続けた。
「何の能力もないくせにしゃしゃり出て、みんなのことを助けてやろうって奮起して、結局は限界が来て、何も成せないまま終わるんだ。その尻拭いをコウやマサムネにしてもらって、、、だから俺は気づいたんだ。力もないのに傲慢な考えで人を助けようなんてみっともないんだって。みんなから感謝されたくて、尊敬されたくて、カッコいいと思ってもらいたくて、そのために偽る自分の姿を自覚したとき、どうしようもないほど死にたくなったよ。俺は、俺のことが、大嫌いだ。大嫌いなやつを大切な人たちの中に入れられるわけがないだろ…」
彼は言葉を言い終える。
みんなによく見られたくて、でも上手くいかなくて、能力が見合わないのに理想だけが高い男。それが彼から見えるシラクボ セイヤの姿らしい。
私の胸にはふつふつと感情が沸き上がっている。それが怒りなのか同情なのか悲しみなのかはわからない。きっと一言でなんか表せない感情だ。
彼は潔癖な人間なのだろう。きっと人間の醜さや弱さをどうしても受け入れられないのだ。だから、自分自身の醜さや弱さを心から軽蔑してしまう。でも醜さや弱さがあるのは私だって同じだ。みんなだって同じだ。それなのに自分のことだけが大切な人たちの中に入れられないらしい。それこそが正に傲慢だ。
ここまで来るといっそのこと呆れてしまう。彼は自分から見えるシラクボ セイヤが本当の姿だと思っている。私たちが見ているシラクボ セイヤを偽りの姿だと決めつけている。
そんなのムカつく。当たり前だ。大好きなシラクボ君のことをあいつはどうしようもない奴だと悪く言うのだから。
私は怒っている。私の大切な友人と悪く言う彼に怒っている。
私は伝えたい。私の大切な友人がどれだけ素敵な人なのかを伝えたい。
そのために、切り開かなければならない。
私の全力で、彼に伝えなければならない。
「シラクボ君」
私は彼の名前を呼ぶ。俯いていた彼は顔を上げた。
私は彼と向かい合ったまま一歩、二歩、三歩と後ろに下がる。
そして彼に言い放つ。
「歯ぁ食いしばれぇぇぇ!」
助走を確保した私は一歩、二歩、三歩と勢いをつけ思いっきりジャンプする。私よりかなり背の高い彼相手にはこれくらい必要だった。
次の瞬間、私の渾身の右ストレートが彼の左頬に直撃した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何が起きたのかわからなかった。
俺は左の頬に手を添えている。痛いわけではない。しかし彼女の拳は俺の頭を混乱させるには十分だった。
「あ、えっと、大丈夫?」
そう言ったのは彼女ではなく俺のほうだった。彼女は右の拳をさすりながら少しだけ目に涙を浮かべている。
「だ、大丈夫。たとえ私が痛い思いしても友達のことを悪く言うやつをぶん殴れたんなら満足だから」
訳のわからないことを言う彼女に俺はさらに困惑する。
「友達って…アイへの想いをただの意地なのかもしれないって言ったこと?それともリホとマサムネのことを悪く言ったこと?」
そう聞き返すと彼女はじっと俺のことを見ながら言った。
「本当にわからないの?」
彼女の言葉に居心地の悪さを感じる。友達のことを悪く言われたことに怒った彼女。その友達というのが誰なのか、ちゃんとわかっていた。わかった上でそれを受け入れたくなくて、逃げるようにわからないふりをした。
「ごめん、リホが俺を想って怒ってくれたことはわかるよ。でも、さっきから言ってる通り本当の俺は駄目な奴なんだよ」
そう告げる。できれば知られたくなかった俺の本当の姿。勢いに任せて話してしまったことを少し後悔する。
「本当の俺って、笑わせないでほしいんだけど。シラクボ セイヤの本当の姿なら言われなくてもとっくに知ってるよ。優しくってカッコよくって尊敬できる。それが君でしょ?」
それが彼女から見える俺の姿らしい。でも違う。そうじゃない。
なぜ彼女は、これだけの醜態を晒しても俺の本質を理解してくれないのか。
自分自身の中に怒りなのかもわからない感情がぐるぐると渦巻いて気持ちが悪い。
その気持ち悪さから解放されたくて、俺はまたしても怒鳴ってしまう。
「だからそれは俺が嘘っぱちで作り上げた姿なんだって!本当の俺は自己中心的で、何の取り柄もないくせに他人を見下してるような奴なんだよ!」
あれだけ曝け出して、尚もわかってくれない彼女に大声で怒りをぶつけても、自身の中を駆け巡る気持ち悪さは増える一方だ。それなのに、彼女に対してもう言葉の制御ができなくなってしまっている。
「確かにそういう一面もあるかもしれない!でも君はそれだけの人間なんかじゃない!」
「違うよ!それだけの人間なんだよ!俺のことを一番わかってる俺自身が言うんだから間違いないだろ!」
俺の頭の中を覗けるのは俺だけだ。だからこそ俺のほうが正しいのだ。確かに彼女たちにはわからないかもしれない。だって俺は常に偽っていたのだから。中身がないのに他人から見える自分ばかりを着飾って。そんな虚飾の罪を犯しているとも知らずに、彼女たちは俺に騙されてきたのだ。
「リホが見てきた俺なんて、着飾った僅かな一面でしかなかったんだよ」
もう声を荒げる気にもなれず、諦めたように俺は彼女へ告げる。
「そんな僅かな一面を剥げば、残るのは何の価値もない人間だ」
言ってしまった。ずっと心の奥底で思っていた自己評価。でも言葉に出すことはしなかった。少しだけ、肩の力が抜けた。もう、着飾るのはやめようと、ようやく思えた。
俺は知っている。俺だけが知っている。俺だけがシラクボ セイヤの全てを理解している。だから、これまで周りの人たちを騙してきたことを、ちゃんと謝らないと。
「君がわかってるシラクボ セイヤなんて半分にも満たないよ!」
声を荒げて彼女は言った。その勢いに気圧されて、何も言い返すことができなかった。
「君は、自分の中から見たシラクボ セイヤしか見ていない!」
彼女は瞳に涙を浮かべている。
「ちゃんと見てよ!」
必死に俺に何かを伝えようとする彼女の声が耳に響く。
「私たちから見えるシラクボ君のこともちゃんと見てよ」
とうとう彼女の目元からは雫が零れて、それでも祈るような声で俺にそう告げた。
彼女たちが、他の人たちが見ているシラクボ セイヤ。それに目を向けろと彼女は言う。
だけど、彼女にも伝えたとおり、そんなシラクボ セイヤは偽りで着飾った存在でしかない。
目を向けたところで、見てくれがいいだけの空っぽの人間なのだ。
そう考える俺の様子を見て、彼女はまた一歩距離を詰めて、想いを必死に叫ぶ。
「ちゃんとどっちも受け入れて!自分自身から見える君も、私たちから見える君も。どっちも君なんだよ。偽物なんかじゃない。どっちも本当のシラクボ君なんだよ!」
「目を開けて、ちゃんと見てよ!」
その言葉がやけに耳に響いた。
俺の偽りで着飾った姿も、偽物ではないと彼女は言う。
―――。
考える。考えても、わからない…。
わからないのに、彼女の言葉はやけに耳に響いて、俺の中で繰り返される。
俺から見えるシラクボ セイヤも、みんなから見えるシラクボ セイヤも、どっちも本当のシラクボ セイヤで。
目を開けて、ちゃんと見てよと彼女は言う。
目を閉じて、深く思考して、それでも俺にはわからない。
もう一度、目を開けて、ちゃんと見てよという彼女の言葉が思考の隙間に入って響いた。
そんな言葉の通りに、ゆっくりと目を開けて、目の前に広がる世界と彼女の姿を映した。
風のなかった屋上に風が吹いた。
いつの間にか俺の瞳に溜まっていた涙が風に飛ばされる。
俺の目に映った世界は綺麗で、冬の澄んだ空と橙色を帯び始めた光の中で、彼女の瞳がまっすぐと俺を捉えていた。
カワイ リホから見えるシラクボ セイヤを瞳に映していた。
自分の内側から見える自分のことが嫌いだった。
みんなから見えている偽った姿の自分は好きだったが、偽っている事実がどうしようもなく気持ち悪かった。
でも彼女は、俺が偽っていると思っている姿も本当の俺だと言った。
本当にそれでいいのだろうか。
それは甘えではないのだろうか。
わからない。わからないから、彼女に質問する。
「本当にそれでいいのかな」
あまりに情けない俺の声音を、彼女は聞き漏らすことなく正面から受け止め、答えた。
「そうじゃないと駄目なんだよ」
いろんな感情をぐしゃっと丸め込んだような声で、涙を浮かべた瞳で、ほんの少しだけ微笑んで、彼女はそう言った。
「俺は俺が嫌いだ。でも、みんなが好きだと言ってくれる俺のことは嫌いじゃない。だから、俺は、、、」
上手く言葉にできない。だけど上手く言葉にできないまま次の言葉を紡ぐ。
「俺は俺のことが嫌いで、でも好きで、そんなんでいいのかな?」
出た答えは矛盾だらけのものだった。
自己嫌悪と自己陶酔。その狭間に囚われて、溺れてもがくように生きてきた。
能力がないのに理想だけが高い自分が嫌い。
皆から尊敬と好意を向けられる自分が好き。
その相反する2つの気持ちから、はっきりとどちらかを選ばないといけないと思ったから、前者を選んだ。
普段から自身に無能と言い聞かせていれば、過去に何度もあった挫折の苦しみを和らげることができると思ったからだ。
でも、彼女はどちらかを選ぶ必要はないと言った。
自分が好きだという気持ちも、自分が嫌いだという気持ちも、両方とも持ち合わせていいのだと言った。
だから、本当にそれでいいのかもう一度彼女に問うた。
「そんなもんだよ。私だって私のことが嫌いで好きだよ」
それを聞いて、世界の見え方が変わったのを感じた。雨空に光が差し込むような、乾いた大地に花が咲くような、そんな世界が垣間見えた気がした。
そんなもんなのか。
ずっと自分に対して納得することができなかった。
俺は優しい人間なのか。それとも醜い心の人間なのか。ずっとどちらなのかわからなかった。
でも違うのか。全部が俺だったのか。
優しいのも、醜いのも、強いのも、弱いのも、カッコいいのも、情けないのも、好きなのも、嫌いなのも、その全部が俺を作っている要素だったのか。
「リホ、俺は自分のことが結構好きで、それでもやっぱり大嫌いだよ」
彼女の言葉の通りに目を開けてちゃんと見た。俺から見える自分も、みんなから見える自分も、ちゃんと見た。
そのうえで出た俺の答えは、そんな言葉だった。
「うん。私にとってシラクボ君は頼れる存在で、でも今の姿を見ちゃったから情けないなーとも思う存在だよ」
彼女は笑いながらそう言った。
そんな彼女の笑顔につられて、思わず俺の頬も緩んでしまった。
何一つ解決したわけではない。俺に能力が足りないことも、理想が高すぎることも、傲慢で虚飾で怠惰で強欲なところも、何一つ解決したわけではない。
ただ、受け入れることができた。
そんなダメダメな自分を、そして皆が好いてくれる自分を、同じ1人の人間として、受け入れることができた。
「俺にとってリホは一緒にいて落ち着く存在で、でも今回のことでちょっとおっかない存在になったよ」
俺は笑いながら彼女にそう伝えた。
「おっかないって…今度は右の頬に一発入れてやろうか~?」
彼女は拳を突き出しておどけてみせた。
「また俺が不甲斐ないこと言っときは頼むよ」
心の底から出た素直な言葉だった。
彼女のおかげで自分を受け入れることができて、もう一度考える。
俺の本当の望みを。
能力が足りないのに理想は高い俺の傲慢な望みを。
あれだけ自分に絶望して、諦めたつもりになって、それでも捨てきることができず、心の奥底に沈めた本当の望みを。
「リホ、俺の本当にしたいことを話すよ」
短い深呼吸をして、俺は彼女にそう切り出した。
「うん。聞かせて」
優しく包み込むような彼女の声音に安心させられて、俺は話し始める。
俺が本当にしたいこと。胸の奥に押し込んで鍵をかけていたものたち。それらを全て開放する。
かつては身の丈に合わない傲慢な願いだと諦めた。だけどもう諦めない。どれだけ身の丈に合わなくても、どれだけ諦めようとしても、絶対に諦めることができない。
だってそれがシラクボ セイヤだから。
「アイと付き合いたい。そんでもって結婚して、永遠の愛とやらを証明してやりたい。それだけじゃない」
俺は言葉を続ける。俺の望みはこれだけではない。まだまだ山のようにある。
「母さんと和解したい。恨みつらみを言った後に、また家族として笑えるようになりたい」
言葉を続ける。
「あとはリホとマサムネをもう一回付き合わせたい。そんでもって2人で幸せになってもらいたい」
まだまだ言葉は続く。
「他にもコウなんかは何か悩みを抱えてそうだから、それを聞き出して解決してやりたい」
大切な友人の顔を思い浮かべながら言葉にして、次の望みを語る。
「それからヒムロに会ってはっきり嫌いだと伝えたうえで、ヒムロをもうちょっとマシな人間にしてやりたい」
傲慢な望み。何様かと言われて当然の望み。それでも、それが本当にしたいことだった。
「あ、小学生の頃のいじめっ子たちも今どんな感じなのか知りたい。そんでもっていじめから助けられなかったあの子には謝って、もう一度友達になりたい」
失敗だらけだった過去を思い出して、それでもまだ俺もいじめの加害者たちもあの子も生きているのだから、未来は無限に描くことができる。
「リホとマサムネが復縁したらアキラが失恋しちゃうから、その辛さを少しでも和らげるために遊びとかに連れて行ってやりたい。そうだ、アイにはまず受験を乗り越えてもらわなくちゃだから勉強を教えてあげないと。それからコトリとは好きな小説が映画になるからそれを一緒に見に行きたいし。それから…まだまだたくさんある。俺は大切な人も、今はそうじゃない人も、みんなを幸せにしたい。俺の力で幸せにしたい。どうだ?強欲だろ?」
俺が本当にしたいこと。それはみんなを幸せにすることだった。大切な人も、そうじゃない人も、俺自身も幸せにすることだった。
そんな酷く自分勝手で欲張りな望みを語り終えて、胸が軽くなったのを感じた。体に力が湧いてくるのを感じた。
「確かにすごい強欲だね。それに誰よりも傲慢だ」
彼女はそう答えた。
「俺にできると思うか?」
彼女が何と答えるか見当が付いているのに、俺は敢えて質問する。
「1人では厳しいかもね。でもシラクボ君には頼れる友達がいるんじゃない?」
意地悪な笑みを浮かべた彼女は言う。
「そうだな。リホ、俺が幸せにしてやるから、俺のことを手伝ってくれ」
「すごいプロポーズみたいな言い回しで返ってきた…」
彼女は若干引いているように見えるが気にしない。
「それで手伝ってくれるのか?」
「いいよ。手伝ってあげる。私がマー君と幸せになるためだもんね」
彼女は愉快そうに笑っている。
「あ、1個聞いていい?」
「ん?なに?」
「シラクボ君って顔赤らめながら独り言呟いちゃうくらいアイのこと好きなのに、間接キスとかは平気だったの?」
「間接キス?あー、確かにしてるかも。でもそれは食べ物とか飲み物をシェアしてるだけじゃん。普通の友達ともするでしょ?」
「あー、そういう感じかー。はぁ、君ってやつは本当に女泣かせだねぇ」
何故だか知らんが呆れられてしまった。彼女のリアクションはちょっとムカつくが今日のところは許してやろう。
「あ、俺からも1個いい?」
「ほい?」
「名前で呼んで。セイヤって」
「えー、アイにただならぬ関係と疑われたらどうするの?」
彼女は冗談を言う口調で返答してくる。
「ここまで自分を曝け出した相手がシラクボ君呼びなのはむず痒いんだよ」
「そこまで言うならわかったよ。改めてよろしくね。セイヤ」
「うん。よろしく。リホ」
自分の心を曝け出して得た関係。これを心の友なんて言うのだろうか。確かに言えることは1つだけ。
俺に一生の友達ができた。
「よし!じゃあ、ここから始めよう」
俺は彼女に宣言するように言い放つ。
「俺がみんなを幸せにする強欲で傲慢な人生を!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
放課後の教室には数名の生徒が残っていて、ほとんどが勉強に熱を入れている。受験まであと1か月半。教室には緊張感が漂っていた。
そんな緊張感が漂う時期に、午後の授業を丸々すっぽかした馬鹿が3人いた。彼らは今、生徒指導室で説教を受けている。成績優秀な生徒3名がこの時期に授業をサボるという行為に、教師たちの心境は穏やかではないだろう。
その馬鹿3人のうちの1人に教室で待っていてくれとメッセージを送られた俺は教室に残っていた。
待ち時間で参考書を広げてはみるが、午後の授業で試験対策をがっつりしていたため集中力はもう残っていない。ふと数日前の女子会のことを思い出す。あのとき考えていた俺に足りない何かは今もわからないままだ。
窓際まで歩き、外を見てみると運動部がこの寒さの中で練習に励んでいる。勉強机に向かっていないといけない受験生も大変だが、この凍える環境でトレーニングをしないといけない彼らも大変である。彼らのように情熱をもって何かに取り組めば、この得体のしれない不満は満たされるのだろうか。
「あ、いた。待たせてごめん」
声の方に振り返ると教室の入り口に俺を待たせていた人物が現れた。
「いーよ。それより説教はどうだった?」
「よく考えてみれば先生に怒られるっていう経験も学生の特権なんだから悪くないなって思ったよ」
「全然反省してないじゃん…」
そんな優等生とはかけ離れた感想を口にするのは、この学校で優等生として知られるシラクボ セイヤだった。
「サボったのはよくないと思うけど、今回に関しては大事な時間と天秤にかけた結果だからなぁ」
彼はいつもとはどこか雰囲気が違う。なんというか口調が軽い。
「それで何の用なの?」
本題に入る。何用なのかいくつか思いつく候補はあるが果たしてどれなのか。
「とりあえず、コウって今悩んでいることある?」
「は?」
予測していたどれとも違い困惑する。というか、質問の意図が全く読み取れなかった。
「悩みだよ。何かしらありそうに見えるんだけど。相談乗るよ」
意味がわからない。急に招集されたと思ったら俺のお悩み相談をしたいらしい。意味がわからない。
「別に悩みなんてないよ。強いて言うなら受験のことだけど、そこまで追い詰められてはないし」
俺は答える。そんな急に聞かれて答えるような悩みなど思い当たらない。
「いや、そういうのじゃなくて。もっと根本的な、胸に秘めてるやつないの?」
彼が何を目的にしているのか本当にわからなかった。胸に秘めている悩みなら、俺に足りない何かについて悩んではいるが、そんな訳のわからないことを言うわけもなかった。
「そんな悩みなんてないよ。何でそんなこと聞くの?」
「別に言葉にするのが難しいなら断片的でぼんやりとしたニュアンスだけでも教えてくれたら一緒に考えるよ?」
俺の質問は無視して彼はさらに言い寄ってくる。こんなにしつこくて面倒くさいセイヤは初めてだ。
「悩みっていうなら今のこの状況が悩みだよ。なんでそんな俺の悩みを聞きたがるんだよ」
「お前を幸せにしたいから」
「は?」
説教から帰ってきてなんかセイヤが気持ち悪くなっている。幸せにしたいとか男に言われてもゾッとするだけなんだが。
「ま、今はとりあえずいいや」
ようやく謎のお悩み相談は諦めてくれたらしい。
「それじゃあさ、もう1つの本題なんだけど」
どうやら他にも要件があったらしい。
「コウ、俺を助けて」
「…は?」
自分は察しがいい人間だと思っていたが、今回ばかりは彼が何を考えているのか察することができなかった。




