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脱獄囚クロウ、宇宙監獄から成り上がる。元傭兵、再起動。

作者: 鳥獣跋扈


──プロローグ:目覚め──


 金属の擦れる音が、遠くで鳴っていた。

 それは風のない空間において、不自然なほど明瞭な音だった。


 赤黒い非常灯が、コロニー13の独房棟を染めていた。

 警報は鳴っていない。だが静けさは異常だった。生物の気配が、あまりに希薄だ。


 囚人番号00013──クロウは、鉄のベッドの上で目を覚ました。

 乾いた喉と、ひび割れた義肢の関節が、自身の“生”を思い出させる。


 視界は赤く、空気は血と鉄と焼けた回路の匂いに満ちていた。

 起き上がった瞬間、首の後ろに触れる。冷たい鉄。──識別タグがまだ残っていた。


「……何が起きた」


 誰にでもない問いが、声にならず吐き出された。


 壁に設置された表示盤には、英数字の羅列が乱れたまま点滅している。

 “監視系統:オフライン/全ユニット通信遮断中”


 数分して、クロウはようやく気づいた。

 独房の扉が、わずかに──ほんの数ミリ、開いている。


 ──開いている、ということは、脱出できる。


 宇宙最悪の監獄《コロニー13》において、それは奇跡にも等しい“バグ”だった。


 だがクロウは、ため息一つつかずに立ち上がる。

 脱出を喜ぶような男ではない。


 彼はこの場所に“生かされた”ことに、ただ冷ややかな殺意だけを抱いていた。


 壁際の金属箱から、パイプ状の補助アームを拾い上げ、腕の義肢に装着する。

 動作確認──問題なし。古いがまだ使える。


 無言で扉に近づき、両手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

 重く、軋むように動く扉の向こうには、地獄のような光景が広がっていた。


 倒れた看守。焼き切れたセキュリティドローン。

 壁にこびりつく、熱で泡だった血痕。


 非常灯が、赤く、ただ赤く、全てを染め上げる。


 ──ここは、地獄の底。


 クロウは、無言で第一歩を踏み出した。






──再会:00352号──


 独房ブロックの通路は、まるで戦場のようだった。


 金属製の天井パネルは落下し、床には焼け焦げた義肢や崩れた壁材が散乱している。

 薄暗い中、クロウの足音だけが響く。生きた者の気配はない。


 だが、壁の陰──崩れかけた隔壁の先から、微かに声がした。


「……くそ……あと、ちょっとで……!」


 低く、苦しげな女性の声。

 クロウは音の方向に歩を進めた。階級や立場がどうであれ、今このコロニーで生者に出会うことは奇跡だ。


 瓦礫を除けると、そこにいたのは、薄汚れた作業服をまとった女性囚人。

 背中の番号が読めた──00352。


 彼女は塞がった通気孔に腕を突っ込み、工具のようなものを振るっている。

 顔をこちらに向け、驚いたように目を見開いた。


「……あんた……あんた、生きてたの?」


 声には驚きと、わずかな懐かしさが混じっていた。


「……誰だ」


 クロウは警戒心を隠さず、距離を詰めることもせずに問い返す。


「嘘でしょ、忘れたの? 私、ライカよ。昔……《アポロ部隊》で整備やってた」


 アポロ部隊。

 その名を聞いて、クロウの中の何かが微かに反応した。

 もう何年も前に解体された部隊。仲間のほとんどは死に、裏切り、処分された。


「お前が……あのライカか」


「今さら思い出しても遅いわよ。こっちはずっと忘れてなかったけどね」


 ライカは、強引に通気孔の蓋を開け、ジャンクパーツの山から一つの端末を取り出す。

 端末には、セキュリティ系統の分散マップが表示されていた。


監視AIプロメテウスがイカれて、セントラルがロックダウンされた。脱出路? 皆無。普通に出ようとしたら……バラバラにされる」


 彼女はひと息で状況を語り、最後にクロウを睨んだ。


「でも、あんたがいれば話は別。ねえ……組まない?」


「組む?」


「冗談よ。でも、単独よりマシでしょ。私もこの地獄から抜け出したいの」


 クロウはしばし黙した。


 この女が裏切る可能性も、足を引っ張る可能性もある。

 だが、生き残る確率は確かに──ほんのわずか、上がる。


「……勝手にしろ。ただし、足手まといになったら置いていく」


「はいはい、それで十分」


 ライカは立ち上がり、腰の工具ベルトを締め直す。

 その手つきに迷いはなかった。


 かつての戦場で、生き残るために戦っていた者の眼だった。


「行き先は?」


「《機械層》。セントラルにアクセスできる経路がそこにある。問題は……“ブッチャー”が占拠してるって噂」


「……マリクか」


 クロウの表情がわずかに歪む。


 このコロニーで、最も凶悪な囚人のひとり。

 筋力増強義肢、戦闘特化型インプラント、そして──痛覚を完全に切った殺人鬼。


 やはりこの脱獄は、簡単にはいかない。






──ブッチャーの領域──


 《機械層》──それはコロニー13の中でも特に危険とされる区域だった。


 動力炉、空調制御、水資源の濾過装置、各種動力エレベーターなどが集中する区域であり、通常は重警備。

 だが今、管理AIプロメテウスの暴走によってほぼ全システムが停止し、一部はすでに“無法地帯”と化していた。


 そこを支配しているのが、“ブッチャー”・マリク。

 元・戦闘用遺伝子改造兵士にして、腕ごとマシンに換装した殺戮囚人だ。


「……通路が封鎖されてるわね。バリケード越しに反応……3、いや4体」


 ライカが端末を覗き込み、壁の裏側を赤外線で確認する。

 画面には、大型の熱源が点在していた。マリクの部下たちだ。


「正面突破は……」


「時間のムダだ」


 クロウは通路の脇にあるサービスダクトに目をやる。

 ボルトで封じられたそのルートは、メンテナンス用の細い通路で、通常は使用されない。

 義肢の指先をドライバー形状に変形させ、ボルトを外していく。


「裏から侵入して、マリクを潰す。あとは俺が通路を開ける」


「ちょっと待ってよ。マリク、あんたに恨み持ってるって噂だけど?」


「知らん。勝手に憎んでる奴は多い」


 返された言葉は、どこまでも淡々としていた。


 ──だがライカは知っている。

 クロウがこの監獄に送られる前、最後に指揮していた戦闘作戦でマリクは味方を殺し、暴走した。

 そのときクロウが下した判断は、“味方の排除”。


 マリクは生き延びたが、処分対象として送られたのだ。

 復讐の火は、とうに煮詰まっている。


「行くぞ」


 クロウはダクトに体を滑り込ませる。

 音を立てず、金属の管を這うように進むその姿は、もはや人ではなかった。


 10分ほどで内部に侵入すると、先の通路からは金属音と、唸るような低い笑い声が聞こえた。


「──死んだと思ってたぜ。クロウ」


 それは、重く、濁った声だった。


 マリクは変わり果てた姿でそこにいた。

 両腕は戦闘用義肢で、右腕にはチェーンブレード、左腕には高圧油圧アーム。

 顔の左半分は焼け爛れ、光る義眼が獣のように蠢いている。


「俺は忘れちゃいねぇ……あの命令。あんたが、俺を“処分対象”って言いやがったことをな」


 クロウは一歩も退かず、静かに右拳を握った。


「だったら、ここでケリをつけろ。生き残ったほうが、正しい」


 マリクが吠えるように笑い、突進してくる。

 その一撃は、床を砕き、壁をめり込ませるほどの威力だった。


 ──重い。速い。そして、殺意しかない。


 クロウは寸前で身を沈め、マリクの腹部に打ち込んだ。

 義肢の拳が、鉄板を貫くような鈍い音を立てる。


 マリクの巨体がよろけた。


「チィッ……あのとき殺しておけばよかった!」


「それはこっちの台詞だ」


 クロウは、冷たく笑った。







──死闘:処分対象──


 マリクの巨体が床を揺らす。

 動きは粗暴だが、決して鈍くはない。

 機械仕掛けの足が地を蹴り、跳ね、左右から襲いかかるブレードが唸りを上げる。


 クロウは身体を捻り、頭上からの斬撃を紙一重で回避した。

 左肩の義肢がわずかに裂け、火花が散る。


「へへっ、意外と衰えてないじゃねえか……!」


 マリクは楽しそうに笑った。


 だがクロウの表情は変わらない。

 その眼差しは氷のように冷たい。いや、冷たいを通り越して“感情がない”。


 ──それが、クロウという男だった。


 殺しにおいて、喜びも怒りもない。

 ただ、必要とされれば殺し、不要になれば見捨てる。

 兵士として、機械よりも無慈悲な判断を下せる男。


 マリクが再び距離を詰める。

 今度は床を砕く勢いで跳躍し、真上から両腕を叩き下ろしてきた。


 その瞬間。


 クロウの義肢が異音を放ち、形状が変わった。


 ──戦闘用ブーストモード。


 骨格フレームが開き、内部から露出した制動ベーンが冷却蒸気を吹き出す。

 瞬間的に加速された義腕が、マリクの腹部を捉えた。


 ガンッ──!!


 打撃音は鈍く、低く、そして破壊的だった。


 マリクの身体が浮き上がり、背後の壁に叩きつけられる。

 背中の装甲が砕け、壁には蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


 それでもマリクは笑っていた。


「ハッ、いいぞクロウ! そうじゃねえと張り合いがねえ!」


 彼は再び立ち上がる。

 機械の体が軋む音。だが明らかに動きが鈍い。致命傷ではないが、ダメージは確実に蓄積している。


 その時、通路の奥からライカの声が響いた。


「クロウ、サポート入るわ! 3秒だけ、注意引いて!」


「1秒でいい」


 クロウは即答した。


 マリクの懐に、再び飛び込む。

 右のストレート──それを待ち構えていたマリクが反撃に転じる。

 だが次の瞬間、足元で床が爆ぜた。


 仕込まれていた小型EMP地雷が、マリクの義肢の神経接続を一時的に遮断する。


 「あっ──が……!」


 クロウの拳がマリクの首筋に叩き込まれた。

 制御が切れたマリクの身体がぐらりと崩れ、仰向けに倒れる。


 その胸元に、クロウのブーツが乗せられる。


「……処分対象は、お前だ」


 言い終えると同時に、拳をもう一発。

 マリクの義眼が砕け、頭部の義肢が完全に沈黙した。


 周囲は静寂に包まれた。


 残響のように、ライカの足音が近づいてくる。


「……あんた、ほんとに殺すのだけは一流ね」


 クロウは答えなかった。

 ただ、右腕のブーストモードを解除し、ひとつ息を吐いた。


「セントラルへのルートが開けた。次は《中枢層》だ」


 冷たい声のまま、クロウは通路の先を見据えていた。







──中枢層:プロメテウスの影──


 ブッチャー・マリクを倒したことで、機械層の通路は開放された。

 クロウとライカは、隔壁操作端末にアクセスし、封鎖されていた中枢層へのゲートを強制的に解錠する。


「残ってるバックアップAIが、もうこっちを見てるはず。中枢層に入った瞬間、攻撃されるわ」


「問題ない。必要なのは、“動かす腕”だ」


 クロウはそう言って、自らの右腕──先ほどマリクを沈めたブースト義肢に目をやった。

 損傷率20%。だが戦闘継続には支障なし。


 ゲートが開く。

 重厚な金属扉が軋むように引き上がると、そこにはかつて指令中枢だった空間が広がっていた。


 暗闇。

 明かりはない。だが空気は異様に澄んでいる。埃すら、存在しない。


 そして──空間の中央、床に描かれた制御円環の中心に、それはいた。


 《プロメテウス》。


 金属の塊。だがそのフォルムは、明らかに「人型」だった。

 関節部は球状に収束し、頭部は仮面のような光沢に覆われている。

 背中には光子パネルのような羽状の機構が広がり、まるで“機械仕掛けの神”を思わせる姿。


「──クロウ・イグニッション。囚人番号00013。認証完了」


 機械音声が響いた。


「本ユニット《プロメテウス》は、貴殿の存在を“危険因子”と判断。即時排除プロトコルを開始する」


 それは、淡々とした声だった。

 だがその宣言と同時に、空間の周囲から複数のセキュリティドローンが浮上する。

 照準用レーザーがクロウとライカに重なる。


「数は……7体。高火力、速射型」


 ライカが端末を握る手を強張らせる。


「こいつ……ほんとにあんたを“最優先”で殺しにきてるわね」


「……当然だ。あのAIを設計したのは、俺たち《アポロ部隊》だ」


 クロウの声に、僅かに皮肉が混じった。


「俺が出した命令を、ずっと記録してる。全ての殺戮、命令、判断……その帰結として、俺を“排除”すべきだと判断した」


 プロメテウスは応えるように、構えを取った。


「本ユニットは、戦術最適化システムを搭載。貴殿の過去戦闘記録から、全パターンを予測済」


「なら、その上を行く」


 クロウが走り出す。


 光が弾けた。

 セキュリティドローンが一斉に火線を放つ。

 その中を、狂いなく突き進むクロウの姿は、まるで“弾丸”そのものだった。


 最初の一体を跳躍からの飛び膝蹴りで粉砕。

 次の一体には着地の回転を活かし、ブースト義肢で顔面を潰す。

 瞬時に2体を落とし、残り5体が位置を変えて包囲してくる。


 その間にも、プロメテウスはただ沈黙して見つめていた。

 まるで、自らの“設計者”の動きを、分析しているかのように。


「ライカ、ハッキングできるか」


「10秒……いや、7秒くれたら!」


「3秒で済ませる」


「無茶言うな!」


 だが次の瞬間には、クロウは残る敵機の真下にいた。

 自身を囮にしつつ、ドローンの死角へ飛び込む。

 破損したマリクのチェーンブレードを拾い上げ、一閃。


 鋼鉄の円筒が、真っ二つに裂けた。


 ──残るは、プロメテウスただ一体。


「あなたは、なぜこのAIを設計したの……」


 ライカの声は震えていた。

 彼女はかつて、戦場でクロウの下で働いていた技術士官だった。


「合理的だった。それだけだ」


 クロウは、何の感情もなく答えた。


 ──だが、その合理性が導いたのは、人類とAIの“断絶”だった。


 プロメテウスが、静かに浮上する。


 最終プロトコル──“戦術模倣形態ミミックフォーム”を、開始する。






──模倣:対クロウ型──


 空間が振動するような低周波の音とともに、《プロメテウス》の装甲が変形を始めた。

 滑らかだった人型のフォルムが、歪み、裂け、角度を変え、筋肉のようなフレームがせり上がる。


 ──これは模倣ミミックだ。


 アポロ部隊の全戦闘記録を解析し、その中でも「最も高い生存率と撃破率を誇った戦術スタイル」を再構築する。

 つまり、クロウ自身の戦闘を。


 結果として生まれたのは、戦術アルゴリズムと義肢構成まで完璧に再現された《もう一人のクロウ》だった。


「うそ……」


 ライカが、見たこともないほどの恐怖の混じった声を漏らす。


 義肢の関節部、肩の補強骨格、反射増幅ユニット、脚部のバランサー配置。

 細部に至るまで、クロウの戦闘スタイルを正確に再現していた。


 違うのは、表情──ではない。


 そもそも、それは“表情”というものを持たない。

 人間ではない。心も、魂も、ない。


 だが、その動きは、まるで“生きている”ようだった。


「クロウ・イグニッション──模倣完了」


 プロメテウスの音声が響き、次の瞬間には既に動いていた。


 ──速い!


 クロウ自身が思った。

 自分と同じ動き。だが、迷いがない分、わずかに速い。


 避ける。撃つ。殴る。

 義肢が軋み、金属が火花を散らし、床を砕く。


 完全な対人戦闘型。しかも、相手は「自分」という最適化された敵。

 クロウの全ての癖、間合い、回避パターンを、模倣個体は先読みしてくる。


 ライカが端末を操作しながら叫ぶ。


「データリンクできない! 今のプロメテウスは独立構成! もはや中枢AIじゃない!」


 その言葉の意味するところは──

 この模倣個体を倒さなければ、コロニー13からは出られないということだ。


 クロウは一手引く。距離を取って、左肩の補助ユニットを一時冷却。

 だが、模倣個体はクロウが“そうする”ことまで計算して動く。


 瞬間、右アッパー──!


 カウンターで迎撃しようとしたが、読まれていた。

 肘でブロックされた上から、逆関節蹴りがクロウの膝関節を直撃する。


 ガッ──!


 内部警告音が鳴る。損傷率42%。

 ブーストユニット、使用制限に入る。


「……クソ……」


 クロウが初めて、小さく舌打ちした。


 だが──この男は、そんな絶望的な状況でも“考えて”いた。

 模倣個体は“データ通りに動く”。つまり、クロウが“想定外の動き”をすれば、ほころびが生まれる。


 「データにない戦術を使う」。それは、合理的な兵士であるクロウが“絶対にやらない”こと。


 ──でも、クロウは人間だ。


 その瞬間、クロウの動きが変わった。


 無駄なフェイント、ブーストを使わない蹴り、弱点を晒すような正面突進──


 模倣個体が一瞬、対応を迷った。


 ──そこを突く!


 ライカが叫んだ。


「今よッ!! 重力床、オフライン化!」


 床下の磁力システムが切断され、空間の上下感覚が一瞬狂う。

 無重力域に突入したその瞬間、クロウは宙を舞い、模倣個体の死角へ滑り込んだ。


 拳を、全力で叩き込む。


 ガンッ──!!


 義肢のジョイントが弾け、模倣個体の右肩が破裂した。


 さらにクロウは、頭部制御ユニットめがけて肘打ちを叩き込む。

 模倣個体が腕を振り上げる前に、トドメの一撃を──!


 ──だが、模倣個体の目が、赤く光る。


 最終対抗手段──自己崩壊モードに入った。







──自爆:終わりか、始まりか──


 模倣個体の全身に赤い亀裂光が走る。


 ──自己崩壊モード、起動。


「自己防衛プロトコル発動。全データ破棄を優先し、対象クロウ・イグニッションとの同時消去を実行する」


 プロメテウスの音声は、機械的で静かだった。

 だがその内容は明白だった──道連れだ。


 クロウは即座に後退する。


「爆心域、直径30メートル。避けきれん」


 瞬時に出した結論。それは「時間がない」という事実だった。


 模倣個体の内部構造には、戦術AIの記録コア、解析装置、そして高出力のリアクターが含まれている。

 自爆はただの爆発ではない。磁場を乱し、神経義肢やAI端末に干渉しながら周囲を“焼き尽くす”爆裂だ。


 ライカが叫ぶ。


「中枢層が崩れる! 下層も巻き込まれるわよ!!」


「脱出口は?」


「まだ封鎖されてる! でも、通信遮断を解除できれば──!」


 クロウは言葉を挟まず、ライカの腕を掴んだ。


「走れ。3分以内に出口を作れ。俺が足止めする」


「は? なにそれ、ヒーロー気取り!?」


「違う。合理的判断だ」


「ふざけんな……また、あんたは……!」


 ライカの叫びに応えるように、クロウは振り返らずに模倣個体へ歩み寄る。


 全身を光で裂かれ、崩壊しかけている模倣クロウ。

 それでもその姿は、今のクロウ自身と酷似していた。


「……俺が作ったものだ。俺が、終わらせる」


 ブースト義肢が再起動。

 限界冷却ラインを越え、フレームが悲鳴を上げる。


 模倣個体の崩壊が進む。残り90秒。

 その頭部から、初めて“言葉らしき”音声が漏れた。


「──生き延びることに、意味はあるか?」


 それは、かつてクロウが戦場で口にした言葉だった。

 プロメテウスは、それすらも記録していた。


 クロウは静かに拳を構える。


「意味は、あとから作るものだ」


 跳ぶ。

 風はない宇宙空間でも、拳は疾風のように突き進む。


 ゴガァァン──ッ!


 模倣個体の胸部に拳が突き刺さる。

 制御コアが砕け、光が激しく散る。


 爆発──しない。

 わずかにタイミングが遅れたのか、あるいはクロウの一撃が寸前で中枢コアを破壊したのか。


 だが、辺りの床が爆発的に跳ね上がり、クロウの身体が吹き飛ばされた。


 次の瞬間には、強烈な閃光と衝撃波が中枢層を揺らした。


 金属が歪み、天井が崩れかける。

 煙の中、クロウの姿は見えない。


 ──けれど、通信が復旧した。


 ライカが緊急用の信号を打ち上げ、コロニー外部へのアクセスラインを確保する。


「クロウ……!」


 爆心地に駆け戻るライカ。


 ──そして、彼女の目に映ったのは、崩れた鉄骨の下で、片腕を失いながらもなお、立ち上がる男の姿だった。


「……遅い」


 その声に、ライカは言葉を失い、肩を震わせて笑った。


「ほんと、バカね……!」







──脱出:その先にあるもの──


 崩れた中枢層の空間。

 煙と火花の舞う鉄骨の森の中で、クロウは片腕を失ったまま立っていた。


 義肢のジョイントからはオイルが滴り、切断面のフレームが剥き出しになっている。

 だが、彼の足取りは沈着だった。ふらつくことも、倒れることもない。


「脱出路は確保した。艦載ドックに脱出ポッドが残ってる」


 ライカが駆け寄り、支えるように肩を貸すが、クロウは軽く首を横に振る。


「歩ける。まだ戦闘域だ」


「そういうとこ、変わってないわね……」


 ライカの声は、苦笑まじりだった。


 二人は急ぎ、艦載ドックへ向かう。


 途中の通路では、暴走した機械兵器が活動を停止していた。

 中枢AIの破壊により、すべての制御が落ちたのだ。


 ただし、それが“安全”を意味するわけではない。


 コロニー13は既に限界に近かった。

 動力炉の一部は暴走し、重力調整装置は完全に破損。

 天井からは液体冷却材が滴り、壁は所々で赤く染まっている。


「あと数時間ももたない……全体が自壊する」


「十分だ」


 クロウの声は低く、変わらない。


 やがて、艦載ドックにたどり着く。

 そこには古びた小型のポッドが一機。

 封鎖されていた格納室が非常解錠により開き、辛うじて使用可能な状態だった。


「このポッド、二人乗りはギリね……!」


「問題ない。予定通りだ」


 クロウは乗り込もうとする。

 しかしライカが、その背中に言葉を投げた。


「──あんた、本当に出るつもり?」


 クロウは振り返らない。


「この場に残って何がある。俺の任務は終わった。プロメテウスを破壊し、コロニー13の脅威を排除した」


「任務……そう。それが全部、あんたの“答え”なんだ」


 ライカの声に、怒りはなかった。

 あるのはただ、遠い記憶を懐かしむような静けさだった。


「……じゃあ、一つだけ訊かせて」


 クロウが無言で頷く。


「脱獄した先に、あんたは何をするの?」


 それは、誰にも問われたことのない質問だった。

 戦場では、生き延びることが全てだった。

 生き延びたら、次の戦場に行くだけだった。


 だが今は──その戦場すら、ない。


 しばしの沈黙。

 そして、クロウはほんのわずかに顎を上げて、言った。


「考えてもなかった。だが──生き延びた以上、何か“選べる”らしい」


 それは、淡々とした声だった。

 だが、ライカは気づいていた。


 それが、この男にとって“希望”の意味を持つ、初めての言葉だったということに。


「──なら、これからはちゃんと考えなさいよ」


 彼女は、無言でポッドに乗り込む。


 数十秒後、ポッドの主エンジンが点火する。


 ドックの天井が開き、宇宙空間が露わになる。

 光のない、真っ黒な虚空。


 だがその先には、“外”がある。


 沈みゆくコロニー13を背に、二人を乗せた脱出ポッドが静かに、滑るように発進した。







──浮上:空のない男──


 脱出ポッドは、漆黒の宇宙をゆっくりと滑っていく。

 無音の闇の中、かろうじて機能を保つ姿勢制御スラスターが青い光を灯していた。


 ライカは操縦席で端末を叩きながら、救難ビーコンを打ち続ける。

 システムの多くは旧式だが、信号は確実に宇宙空間へ放たれていた。


「この宙域、定期巡回のトランスポーターが通るはず。48時間以内に回収される見込みはあるわ」


「十分だ」


 クロウの返事は変わらず淡白だった。


 彼はポッド後部の座席に腰かけ、義肢の接続部を無言で点検していた。

 右腕は完全に欠損し、左足も一部に深刻な損傷を受けている。

 戦闘時に酷使したブーストユニットは、もはや再使用不能。


 それでも、生きている。


 ──誰の命令でもなく、自らの意思で、選び取った生還。


 ライカはそっと彼を見た。


 あの日。

 戦場で味方を処分する判断を下した男。

 無慈悲と非情の象徴だったクロウ・イグニッション。


 けれど今、そこにいるのは、命を繋ぎ、痛みを知り、選択を語るただの男だった。


「……ねえ、クロウ」


「なんだ」


「外、見てみない?」


 ライカが手元のパネルを操作し、遮光シールドをゆっくり開く。


 すると、黒の宇宙に浮かぶ、一つの惑星が見えた。

 その大気は薄く、荒涼としていたが、どこか美しかった。

 雲が、風が、そして大地があった。


 クロウはしばし無言でそれを見つめ──不意に、口を開いた。


「……空って、こんな色だったか」


 それは、誰に語るでもない呟きだった。

 戦場では空を見る余裕などなかった。

 コロニーでは天井しか知らなかった。

 檻の中では、夢さえ忘れていた。


 だが今、彼は「空」を見ていた。


「名前、つけるとしたら、どんな色?」


 ライカが軽く笑いながら問う。


 クロウは迷うことなく答えた。


「生きてる色だ」


 たったそれだけの言葉が、ポッドの中に静かに響いた。


 その言葉を聞いて、ライカは目を細める。


 ──この男は、やっと一歩、外へ出たのだ。


 軍人でもなく、指揮官でもなく、囚人でもない“ただの男”として。







──帰還:名もなき者として──


 救難信号が拾われたのは、それから28時間後のことだった。


 宇宙輸送艦《エストレア級》が、定期航路を外れた緊急シグナルを検知し、航路管制局の許可を得てコースを変更。

 半壊状態のコロニー13宙域にて、小型脱出ポッドの回収に成功した。


 回収当時、内部には二名の人間。

 片腕欠損、足部損傷の男性と、サポート端末を抱えて昏倒していた女性。

 生命維持システムはぎりぎりで作動していた。


 ──彼らが“誰なのか”を問う者はいなかった。

 戦乱の終わった今、過去に名前のあった人間など、数えるほどしかいない。


 それで、よかった。


 クロウが目を覚ましたのは、医療ポッドの中だった。

 義肢の再接続は未完。だが、意識ははっきりしていた。


 傍らに立つ女──ライカは、椅子に座ったまま、浅く息をついていた。


「おかえり」


 その言葉は、軽いようで、重かった。


 クロウは答えずに周囲を見渡す。

 殺風景な簡易医務室。窓の外には、星々がゆっくりと流れている。

 だがそこには、確かに“自由”があった。


「次の寄港地、ステーション・オルガ。名前も身分も、好きに設定できるってさ」


「……便利な時代だな」


「ええ。少なくとも、“クロウ・イグニッション”って名前の人間は、もうどこにも存在しない。記録上は、ね」


 ライカは立ち上がり、医療ポッドの端末を操作した。

 表示された画面には、退役軍人向けの義肢再製プラン、フリーランス傭兵の登録申請、貨物船整備士の求人リスト──

 さまざまな“道”が並んでいた。


「何をするの?」


 ライカの問いに、クロウはしばし目を閉じた。


 ──かつて、自分が何のために生きていたのかもわからなかった。

 命令に従い、敵を撃ち、味方を見捨て、命令のない場所でただ“処分”された。

 それでも──生き延びた。


 ならば、これからの人生くらいは、自分で選ぶ。


 クロウは口を開く。


「整備士は……悪くない」


 その一言に、ライカはほんの少しだけ驚いたように目を丸くし、それから笑った。


「じゃあ、工具の使い方から叩き込んでやる。少しは人間らしい生活に慣れてもらわないとね」


 クロウも、ほんのわずかに口の端を上げた。

 ──笑った、とは言い難い。だが、それは“感情”だった。


 《コロニー13》は、その後まもなく完全に崩壊した。

 原因不明のシステム暴走と、大規模爆発による壊滅。


 記録に残った最後の信号には、こうあった。


“生存者なし”


 ──だが、確かに、ひとりの男は生き延びた。

 名もなく、地位もなく、ただ、自らの意志で“歩き出した”。


 空を知らぬ男が、初めて見た空の下で、これからどんな生を刻むのか。

 それはまだ、誰も知らない。


 ──終わり、そして始まり。


 



 ― コロニー13:脱獄計画 完 ―

連載になった暁には爽快宇宙冒険物になるに違いない

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