4.四人目 - 16歳/女/高校生
彼女は緊張しながらも明るい雰囲気で部屋に入ってきた。興味深げに面接室の中を見回している。
「えっと、面接ってここで良いんですよね?」
「ええ。どうぞおかけください」
俺が声をかけると彼女はパッと笑顔になってパイプ椅子に腰掛けた。どこか無邪気な雰囲気の漂う彼女を前にするとアルバイトの面接でもしているような気分になる。彼女の着ているセーラー服がそう思わせるのかも知れない。
ひとまずエントリーシートに目を落とす。
「ええと……16歳、高校生。死因は……交通事故、ですか」
彼女は僅かに表情を曇らせて頷く。
「はい。歩道を歩いてたはずなんですけど、なんか気がついたら車が突っ込んできてて。友達と約束してたこととか、家族と旅行に行く予定とか色々あったんですけど、わたし死んじゃって。この面接を受ければ生き返れるって本当ですか?」
「あー、いえ、生き返れるわけではないです。別の世界に転生できるだけで」
「でも、別の世界で生まれたとしても、わたしはわたしとして生きられるんですよね?」
「まあそうですね。別世界に転生してもあなたには前世の記憶がありますし、あなたの魂はあなたのままです」
彼女はほっとしたような笑みを浮かべた。
「良かった。家族のこととか、友達のこととか、忘れちゃうわけじゃないんですね」
「ええ。生きていれば記憶は薄れていくものですが、前世の記憶に関しては年月を経ても忘れないようにする措置がとれます。前世のことをすっぱり忘れられては転生の意味がないですから」
「そうですか、良かった」
彼女は目に涙すら浮かべていた。
「わたし、みんなのこと絶対に忘れたくなかったんです。急に死んじゃってみんな悲しんでるだろうし、わたしもみんなと会えなくなって悲しかったけど、それでも忘れたくなかった。本当に本当に大切な人たちだったから」
「……それで、この希望理由ですが」
安堵しているところに水をさすようで気が進まなかったが、俺はエントリーシートに書かれた転生の希望理由を読み上げた。
「『前世でお世話になった家族や友達に声を届けたい』」
この文章に目を通した時から嫌な予感はあった。だが俺はそれを一旦はひた隠しにして彼女の目を見る。
彼女はにっこりと頷いた。
「転生先の世界には魔法? っていうものがあるんですよね。それを使ってなんとか前世の家族とか友達にメッセージが送れないかなって」
「メッセージですか……」
「みんなきっとわたしがいなくなって寂しいだろうし、わたしだってみんなと会えなくてすごく寂しいので。なので、転生した先でわたしは元気にやってるよってメッセージが送れたらなって。もちろん、メッセージだけじゃなくて、実際にわたしが向こうの世界に行けるようになったりしたら最高ですけど」
彼女はキラキラした目で夢を語る。
前世の知り合いとコンタクトを取りたいという彼女の気持ちは理解できた(俺には前世の知り合いの顔は思い出せないが)。考えてみれば当然だ。むしろそれを望まない人間の方が少ないだろう。特に彼女のように若くして急に亡くなってしまった場合は。
別にそれが悪いとは言わない。人として当然の感情だからだ。それに禁忌とされているわけでもない。もちろん双方の世界に混乱を起こさないよう配慮はしてもらいたいが、少なくとも俺の知るあの神は「やりたいならやれば良いさ」とでも言うだけだろう。
しかし俺は彼女に現実を突きつけなければならない。
「それなんですが……かなり難しいと思います」
「え?」
「確かに魔法はありますが、別の世界とコンタクトをとるような魔法は向こうの世界には存在していません。確かにあなたには転生時にそれなりの魔法の才能を付与することもできますが、それを持ってしてもあなたが言うような魔法を開発するのは現実的ではない」
「で、でも、やってみないと分からないかも知れないじゃないですか」
彼女の反論に俺は頷く。
「確かに、私は魔法の専門家ではないので絶対に無理だとは言えません。あるいはそういう魔法を使える人間もどこかの世界にはいるのかも知れない」
「で、ですよね!」
「しかし、仮にそういう魔法が開発できたとして、あなたはどうするつもりですか?」
「それはさっき言ったじゃないですか。家族や友達に連絡を——」
勢い込んで話す彼女の言葉を俺はあえて遮って言った。
「あなたが亡くなってから、向こうではすでに30年が経過しています」
「……え?」
彼女の目が驚愕に見開かれた。無理も無い。
死んだ人間と生きている人間では時間感覚がまるで違う。
「あなたは自分が死んだのはついこの間だと感じているかも知れません。しかし実際にはそれなりの時間が経っています。ひとつは今のあなたは魂だけの存在だから。もうひとつはそもそもこの場所とあなたが生きた世界の時間の流れは違うからです」
「そんな……。そんなの誰も教えてくれなかった……」
彼女を気の毒だとは思いながらも、俺は話を続ける。
「それは知ったところで意味がないからだと思います。元の世界で生き返ることはできないのだから、元の世界のことを知る必要もないということです。もっと言えば、この場所に長くとどまっていること自体、特殊なケースなんです。多くの魂は死後すぐに次の場所へと移っていきます。あなたは未練が強かったためにあまりにも長くここにとどまってしまいました。それ自体を悪いとは言いません。今回のように転生のチャンスが巡ってくることもありますから。しかし、少なくともそれなりの時間が経過していることは確かです。既にあなたの家族や友人達はそれぞれの人生を歩んでいると思います」
「で、でも、たとえ時間が経っていたとしても、わたしのことを忘れてるわけじゃないじゃないですか。わたしがメッセージを送れば喜んだり懐かしんだりしてくれるかも」
「それは確かにそうかもしれません。でも——」
俺は一旦言葉を切った。俺は別に彼女を傷つけたいわけでも、彼女の望みを否定したいわけでもない。俺は面接官なのだから、彼女を論破する必要などないのだ。
しかし、ここで俺が言うべきことを言わずに彼女が転生したとしたら、彼女は何も覚悟のできていないまま異世界で生きていくことになるだろう。それでは不幸な人間を一人増やすだけだ。俺はそう信じた。
「もし転生するのなら、その転生した先の世界で人生を送ることを、もっと真剣に、前向きに考えるべきなのかもしれません」
「どういうことですか?」
俺はなんとなく彼女から目線を外してしまう。自分が曖昧なことを口にしている自覚はある。伝えるべきことが伝えやすいことであるとは限らないのだ。
しかしそれでも言わなければならない。
「あなたが転生すれば、その先の世界であなたは何人もの人間に出会うでしょう。敵になる人もいるかもしれませんが、仲間や友人になってくれる人もいるはずです。そうした人々はきっとあなたが目的を達成するのを手伝ってくれると思います。しかし当のあなたは前世で出会った人々の方を向いている。それは、その、言葉を選ばず言えば、不義理のようなものになるのではないですか?」
「そんな、わたしは……」
「前世で出会った人々との絆を大切にすることは間違ったことではないと思います。しかし、それはあくまでもう過ぎ去ったことなんです。あなたが転生するのなら、あなたはまた一人の人間として決して短くない人生を新たに生きるんです。それも他の人よりは有利な状態で。だったら、前世にとらわれず新しい人生を前向きに生きるのが転生者としての責任なんじゃないでしょうか」
彼女は何度か瞬きして目を伏せた。俺は少し興奮して喋りすぎてしまったかもしれないことを恥じた。
「わたし、考えてませんでした、転生した先で出会う人たちのこと。確かに前世のことばっかり考えてたら新しくできた友達に失礼ですよね。そんな人間よりももっと前向きに転生を望んでいる人が優先されるべきかも」
「いえ、少し喋りすぎました。気にしすぎないでください」
俺は慌ててそう言ったが、彼女は首を振った。
「わたし、悲しかったし、悔しかったんです。自分が突然若いまま死んじゃったことが。こんなのおかしいって、ひどいって思って。だからそのことを受け入れられなかった。どうにかして死んだのをなかったことにしたいと思ってたんです。だから今回転生を希望して、もしかしたらお願いすれば元の世界で生き返らせてくれるかも、なんて考えてて。たぶん私は転生したいんじゃなくて、死んだことをなかったことにしたいんです。でも、それはもうどうすることもできないことなんですね」
もうどうすることもできない。
彼女が呟いたその言葉に俺はデジャブのような感覚を覚えた。諦め、別れ、悲しみ。俺はその言葉を過去に何度も聞いたか、あるいは自ら口にしていたような気がする。
その奇妙な感覚に引きずられるように一人の女の姿が脳裏に浮かんだ。
そうだ、俺は彼女に置いていかれてしまったのだ。
唐突にそんな言葉が浮かび、俺は自分で自分を訝しんだ。一体どういうことだ。俺とあの女はどういう関係だったんだ。なぜ思い出せないんだ。
考えても答えは出ない。神の言う通り、俺にはまだ準備ができていないのかもしれない。だが準備とは一体なんの準備なのだろう。
俺が逡巡していると、目の前の彼女がやおら顔を上げた。
「もしも転生せずにそのまま……なんでしたっけ、次に移ったら、私はどうなるんですか? それはそれで違う人間に生まれ変わるんですか?」
俺は面接に意識を戻して首を振った。
「いえ、聞いたところでは新たな魂の一部になるとか」
「新たな魂……」
俺は誰に説明されたのかも定かではない朧げな記憶を引っ張り出してなんとか説明する。
「例えるなら、魂はひとすくいの水のようなものらしいです。死んだ魂は広い海に還って海の水に混じり合う。そうなってしまえばもう、海のどの部分が元の魂だったかなんて分からなくなる。そしてどこかの誰かが——たぶん神様が、コップで海の水をすくって新たな魂を作る。新たな魂の中に古い死んだ魂のほんの一部が混じってはいるだろうけれど、元の魂ではない全く新たな命として生まれる。そういうものなんだそうです」
「そうなんだ……なんだか不思議な話ですね」
「ええ。私もそれ以上詳しいことは知らないんです。考えようによっては寂しい話ですよね。大勢の魂と混ざり合って、自分という存在が無くなってしまうんですから」
「そうですね……でも」
彼女は一旦言葉を切ると、少し考えてから小さく頷いて言った。
「今の話を聞いた時、わたし、ちょっと素敵だなって思っちゃいました」
「そうですか?」
「はい。だってわたしが完全に無くなるわけじゃないってことじゃないですか。これから生まれる命にほんの少しだけわたしがいる。例えば、私の両親に孫が生まれたとして、その子にもわたしがほんの少しだけ混じってる。わたしそのものがその子として生まれ変わるってなるとちょっとグロテスクというかホラーな感じがしますけど、命のルールとして全ての命がほんの少しずつ混ざり合って新しい命になるのなら、それは素敵だなって思います。わたしの言ってることって変ですかね?」
「……いえ」
「もしかしたら自分がもう死んじゃってるからそう思うのかもしれないですけど」
そう言って彼女は笑った。
確かに、彼女が死者だから自分の死を受け入れやすいようにそう思わされているのだという可能性はある。そうでなければこの場所は彼女のように転生のチャンスを待ってとどまり続ける者達でいっぱいになるだろう。
しかし彼女の言うように、それが摂理であるのならそれに従うことも悪くはないのかもしれない。この童話のような魂のルールに希望を見るのも絶望を見るのも人それぞれだ。
短い沈黙の後、彼女は椅子から立ち上がった。
「わたし、今回の転生、辞退します」
「良いんですか? こういう機会はそうあるものじゃないですよ?」
俺は自分の言葉が彼女の希望を奪ってしまったのではないかと思いそう言ったが、彼女は首を振った。
「良いんです。どうせ元の世界で生き返ることはできないし。わたし、新しく生まれる魂の一部になります。いつまでも自分が死んだことを認められないでいたら、それって自分の人生を否定してるみたいじゃないですか。悲しいし悔しいし、未練もいっぱいあるけど、それでもわたしの人生は良いものだったって、そう思いたいんです。だから、おとなしく次に進みます。転生の権利は、もっと前向きに新しい人生を生きられる人にあげてください」
彼女はすっきりした顔をしているように見えた。彼女の真っ直ぐな言葉に俺はなぜか羨ましさのようなものまで感じた。
彼女は深くお辞儀をして部屋を出て行った。
結果:辞退
理由:自分は良い人生を送ったと信じるため
備考:前向きに生きることが転生者の責任、か。我ながら小っ恥ずかしいことを言った。でも間違ったことは言ってないと思う。少なくとも彼女は自分の選択に納得しているように見えた。……では、俺はなぜここにいるのだろう。
「あの子は行ってしまったんだね」
神の声音は妙に優しくて、この上司もそんな声を出すことがあるのかと考えると少しおかしかった。
「ええ。転生は辞退するそうです」
「良い子だったのに、ちょっと勿体無いな」
「はい。でも彼女自身が決めたことです」
「そうだな。それが一番大事だ。だが、たとえ前世に縛られていようと、達成したい目的があり、そのために努力して生きることは前向きに生きることとは言えないのかな?」
神から試すようにそう言われて、俺は面接の時の自分の言葉を思い返しながら答える。
「それは、生き方次第だと思います。たとえ生きる目的が前世の家族や友達とコンタクトを取ることだったとしても、同時に周囲の人間を大切にすることはできると思います。でも、その……もしも俺だったら、と考えてしまったんです。もしも俺がそういう目的を持って転生したとしたら、俺は自分でも気づかないうちに周囲の人間を傷つけてしまうかもしれない。もしも目的が達せないとなったら生きる希望を失ってしまうかもしれない。それではせっかく転生したのにあまりにも悲しいような気がして」
「なるほど」
「俺は彼女に自分の考えを押し付けてしまったんでしょうか」
「あるいはそうかもしれない。その人がどんな人生を送るかなんて分からないのだから。彼女だっていざ転生したら前世のことに早々に見切りをつけて新たな人生をエンジョイしていた可能性もある」
そう言われて俺は唇を噛んだが、神はさらに続けた。
「しかしそれもまた仮定に過ぎない。確かなことを言える人間などいないさ。であれば、君たち人間にできることはその時できる最大限の努力をすることだけだ。勉学に励むのでも良い、他人を尊重する心を育むのも良い、生きる目標を見つけるのも良い、自分が生きることの責任について考え覚悟を決めるのも良い。その準備段階で彼女が転生しないという決断をしたのなら、それもひとつの選択だ。君も言ったように、私は転生者には——いや人間には前向きに生きていってほしいからね」
神は俺の肩を叩くと立ち上がった。
「さあ、次が最後の面接だ。気合を入れたまえよ」
「ここまで合格者は出てませんが」
「合格者無しなら無しでそれもひとつの結果だ。私はそれでも構わない。君は君の思うようにやってくれ。どんな結果になろうと次が最後だよ」
「難しいものですね、面接というのは」
俺がそうこぼすと、神は笑って言った。
「そうだろう。相手に向かって言った言葉は、否応なしに自分にも返ってくるのだからね。君は人の心を覗きながら、同時に自分の心を覗いているのさ。面接をするものは同時にこちらも面接されているというわけだ」
人の心を覗きながら、同時に自分の心を覗いている。
その言葉に、俺は面接中に思い出した女性の影をもう一度思い描く。
彼女は俺を置いて行ってしまった。どこへ? たぶん、ここではない場所へ。俺はそれを認められなくて——。
「ちょっと立ってくれ」
神にそう言われて俺は我に返った。
「次の候補者がそろそろ来る。ドアの前で待っていると良い」
「ドアの前でですか?」
「最後の候補者はちょっと事情があってね——」