3.三人目 - 25歳/男/無職
躊躇いがちにおどおどと入ってきたのはメガネをかけた若い男だった。
俺が促すと男は伏し目がちに年齢と名前を言い、そろそろと椅子に腰を下ろした。緊張しているというよりは不安げな様子に見えた。あるいは前に面接した二人が妙に自信たっぷりなタイプだったためにそう見えるのかもしれないが。
「生前は……小説家志望だった、と」
「あ、はい、一応。ライトノベルみたいなものをちょこっと書いたりとか」
「じゃあ、転生についてもある程度予備知識のようなものはある感じですか?」
「まあ、はい、多少は。転生について説明された時は、本当にこういうのがあるんだってびっくりしました。……イメージしてたのとはちょっと違いますけど」
男は自分の座るパイプ椅子や俺の前の長机などを見ている。確かにここにはファンタジー感のかけらもない。
「まあ、そうでしょうね。えー……大学では経済学部で、簿記の勉強もされていた」
「はい。あの、この面接にあたって、資格なんかは重視されますか?」
「重視、というほどではないですが、ある程度のプラスにはなります。知識や技術を持っていることの証明になりますから。ただ、まあ、資格の種類によるところもありますね。簿記はそれなりに役に立つと思いますが、例えば漢字検定やTOEICなんかは、あまり。転生先の世界には漢字も英語も無いので。言語の習得の訓練と見れば全くの無駄でもないですが」
「はあ、そうですか」
男は納得したのかしてないのかよくわからない感じで頷いた。俺はとりあえずエントリーシートにそって質問していくことにする。
「転生を希望する理由を話していただいて良いですか?」
「あ、はい。わ、私は生前からアニメやゲームのようなファンタジーの世界に憧れがありまして、今回の転生先がそういったファンタジー世界であるという話を聞き、その……転生を志望しました」
男はたどたどしく答える。なんとなく、就活に慣れていない就活生、というような印象を受ける。エントリーシートに書かれている理由をほぼそのまま言っていたので、俺は多少深掘りしてみることにする。
「ファンタジー世界に憧れがあるとのことですが、実際に転生してからやりたいことはありますか?」
「え……やりたいことですか? それは、ええと、モンスターと戦ったりとか……?」
疑問系で言われても困る。俺はヒョロヒョロした男の体つきをみて少し心配になる。
「本当に戦えます? ゲームと違ってモンスターに攻撃されれば痛いし怪我もするし、最悪命を失う可能性もありますけど。もちろん体力もそれなりに必要だし」
「それは……まあ、そうですよね」
男は俯く。これはあまり否定的な言葉をかけてはいけないタイプだなと思いつつも、もう少し話を振ってみる。
「あー、それじゃあ他にやりたいことは? 別に立派なことじゃなくても良いですよ。簡単なことでも良いです」
「そうですね……じゃあ、魔法を使ってみる、とか」
「では、どんな魔法を使ってみたいとか、魔法を使って何をしたいとかはありますか?」
「え? それは……」
男はまた俯いて考え込む。なんとなくそうなるような気はしていた。
事前調査票に書かれた男の死因に目を向ける。正直言って触れづらいところではあるが、これが面接である以上は聞かないわけにはいかない。
「これはその……話したくなければそれでも良いんですが」
「あ、はい」
「あなたが亡くなる直前のことを伺いたいんです」
俺の言葉に男は、ああ、とどこか観念したように頷いて俺の手元にある調査票に目をやった。
「そういうことも事前に調べられてるんですね」
「重要なことについては、いくつか」
俺は頭を掻く。ここでは死人にプライバシーは無い。
「亡くなる直前ですが、あなたは就職についてだいぶ悩んでいたようですね」
「悩んでいたというよりは失敗していた、という感じですが」
男は自嘲気味に笑った。聞かれたくない話題ではないだろうかと思ったが、男の口調はむしろ少しだけ流暢になった。
「結局、最後まで内定は出ませんでした。大学はそれなりに偏差値の高いところだったんで、僕みたいにいつまでも就職が決まらない人間はごく少数で。自分なりに努力はしたつもりだったんですけどね。卒業後はフリーターをしながら就活を続けていたんですが、最後の一年くらいは何もする気が起きなくなっちゃって」
「亡くなった直接の原因は急性心不全のようですが」
「そうみたいですね。寝ている時に突然苦しくなって……。実家暮らしだったら助かる可能性もあったかも知れないですけど、あいにく一人暮らしで友達もいなかったので、そのまま」
男は頭を振った。
「追い詰められてたんでしょうね、心も体も。学生時代にはゼミの担当教授にも両親にも失望されて、同級生からは馬鹿にされて。卒業してからもずっと一人で、就職も決まらなくて。就活で一番辛かったのは、自分にはいわゆる『やりたいこと』が無いって気づいたことです。そういうの、やっぱり見抜かれちゃうんですよね。自分が空っぽの人間であることが白日の元に晒された、そんな風な気がしてた」
「そんな。あなたくらいの年齢でやりたいことが見つかっていない人間なんていくらでもいるじゃないですか。空っぽな人間なんてそうそういないですよ」
俺はついそう言ってしまった後、軽いめまいのようなものを感じて目を瞬いた。
空っぽ。
その言葉に妙な聞き覚えがあった。なんだろう。自分が言ったのか、人から言われたのかは分からない。しかしその言葉に俺は寒気がするような嫌悪感と、それと相反するような甘い親近感を覚えていた。
なぜかは分からないが、この男の人生に不思議なくらい同情を覚えてしまう自分がいる。おどおどとした態度は決して印象が良いとは言えないが、彼が抱いている虚しさや寂しさを自分も知っている気がする。なぜ急にそんなことを考えてしまうのだろうか。可哀想なエピソードではあるにせよ、そこまで物珍しい話でもないだろうに。
目の前の男が不安そうな眼差しで見つめていることに気づき、俺は我に返った。
「いや、すみません。説教をするつもりはないんです。それもあなたの人生で、あなたの選択です。余計なことを言いました」
男は首を振った。
「良いんです。僕も今はそう思います。当時は追い詰められて視野が狭くなっていたんです。そのせいで僕は結局やりたいことを見つけられないまま人生を終えることになってしまいました。本当にもったいないことをしたと思います」
男はそこまで言った後、はっと顔を上げた。
「あの、やりたいことを探すために転生するというのはアリですか?」
俺は男の言葉の意味を吟味する。
「それは、転生した後の世界で自分のやりたいことを見つけるということですか」
男は頷いた。
「僕は自分の人生を生き切ることができなかった。やりたいと思うことを見つけられないままだった。でも転生できるとなればその後悔は学びになると思うんです。次こそ自分のやりたいことを見つけて僕は人生を生き切りたいんです。異世界ならやりたいことが見つかるかも知れないと思って」
「なるほど……」
男の顔に初めて希望のようなものが浮かんでいた。
正直、男の言うことは間違ってはいないと思った。違う世界(それも剣と魔法のファンタジーな世界)でなら彼にもやりたいことが見つかる可能性はゼロではない。
しかし俺は面接官である以上、現実を見ないわけにもいかない。
「確かにそうした動機での転生も認められないことはないです。しかし当たり前ですが、異世界に転生したからといって確実にやりたいことが見つかるという保証はありません。むしろこれまであなたが生きてきた世界よりもより厳しい人生が待っている可能性もあります。その覚悟は必ず必要になると思います」
「そう……ですよね」
風船が萎むように男はまた暗い顔に戻った。男を傷つけるつもりはないが、現実から目を逸らして都合の良いことばかり考えていては現実の辛さに太刀打ちできない。
現実は厳しいのだ。また俺の中で空っぽという言葉が響いた。
「僕は、不合格ですか?」
男は諦めたようにそう言った。俺は首を振った。
「今の段階ではどうとも。この場で不合格とは言えませんが、合格とも言えません。最終判断をするのは神ですから」
「そうですか……」
男の顔に一瞬浮かんでいた希望は綺麗に消えてしまっていた。なんとなく彼が就活に失敗していた理由がわかる気がする。
俺は今更言っても仕方がないという内心の声を押しとどめながら言ってみることにした。
「これは余計なお世話かも知れませんが、もう少し自分に自信を持ってみたらどうですか?」
「……え」
「私はあなたのことを否定も肯定もしていません。合格とか不合格とかいう言葉を使うと勘違いしがちですが、面接で見ているのは、あなたの考えとこちらの考えが合致するかどうかなんです。不合格だからあなたの考えや価値観が間違っているとか劣っているとかいうわけではないし、あなたも自分の考えを無理やり変えようとする必要は無いと思うんです。確かに異世界に行ってもやりたいことが見つかる保証はありません。でも見つからないと決まったわけでもない。あなたがそうしたいと思うのならそれを貫けば良い。他人に否定されたからといってすぐにそれを取り下げていたら、やりたいことなんて永久に見つからないんじゃないですか?」
男は呆気に取られたように俺を見ていた。俺は息をついて男から目を逸らした。さっきは説教をするつもりはないと言ったくせに、なぜこんな言葉が出てしまったのだろう。
俺は自分の中に声が響くのを聞き取っていた。何を偉そうに。お前は他人にそんなことが言えるほど立派な人生を過ごしたのか? お前は自分に自信を持って生きていたのか?
確かにそうだ。俺はこんな風に説教をできるような立派な人間ではない。
そう思った時、俺は面接官になる前の記憶を思い出せないことに気がついた。
どういうことだ?
俺は記憶を辿ったが、自分が生前どんな人生を送っていたのかを思い出すことはできなかった。深い霧の向こうにかすかに一人の女が立っているのが見えたが、それが誰なのか、自分とどんな関係にあるのかは分からない。なぜ忘れてしまったのだろう。面接官になるために神が何かしたのか?
いや、今は面接中だ。考えに耽っていてはいけない。しかし……。
男が口を開いたので、俺は頭を振って考えるのを中断した。
「厳しいですね」
「すみません。偉そうなことを」
「いえ、その通りだと思います。僕はこれまでどうしても自信というものを持つことができなくて。でも本当はそれが必要だということもわかっていたんです。何事にも自信のない人間が何事か成せるわけもないって」
男はどこかすっきりしたような顔で続けた。
「転生の希望理由に、自分に自信が持てるようになりたいというのも付け加えて良いですか?」
「構いませんが」
「今回の転生の条件に、いくつか才能の付与があると聞いたんです。それがあれば僕も自分に自信が持てるようになるかも知れない。……他力本願かも知れませんが」
「わかりました」
男は入ってきた時よりは少ししっかりした足取りで出て行った。
結果:保留
理由:主体性が低く、自分に自信がない。しかし改善が見込めないわけでもない。
備考:やりたいことというのは自分の人生に希望を持つための原動力なのかも知れない。それを見つけられる保証はどこにもないが、それでも生きなければならない……。
「絶望というのは厄介なものだ」
隣に座る神は腕組みをして言った。
「精神に巣食うそれは時に身体すらも蝕む。自分で思っている以上にね」
「だったらもっと幸せで生きやすいな世界を人間たちに与えてやったらどうです?」
「そういう世界を自分達の手で作り上げていくことも人生の醍醐味だとは思わないか?」
「どうなんでしょうね」
俺は平静を装ってそう返すが、頭の片隅でもう一度生前の記憶を思い出そうとしていた。
神は頬杖をついてさっきの候補者のエントリーシートを覗く。
「結果は保留かい?」
「後で精査しますよ。あるいはあなたが決めてください。希望が無いわけではないと思うんですが」
実際、俺はまだあの男を合格にするかどうかを決めかねている。改善する見込みがなくはないが、そういう不確定要素を持つ人間を転生させるくらいなら他の有望な人間を優先するべきという考えも当然ある。自分に対する自信ややりたいことをこれから見つけるかも知れない人間と、それらを既に持っている人間ではどうしても後者が有利なのは否めない。
神は小さく頷く。
「君がそこに書いているとおり、確かに主体性というのは大切だ。動く目的、戦う目的、生きる目的。人間には目的無く生きることは難しい。不可能ではないが、パフォーマンスは確実に落ちる。できれば持っていることが望ましいと言える」
神は金色の髪を指でくるくると弄んでいる。
「それは確かにそうですね。言うは易し、行うは難しですが」
「だろうね。しかし、そうした目的を持たない彼を君はなぜ不合格としない?」
「彼は最後に希望のようなものを見つけてましたから」
「なるほど。しかし希望というにはやや他力本願なようにも聞こえたが」
「そうかも知れませんが、可能性はあるということで」
「ふうん。やけに肩を持つじゃないか」
神はそう言って何故か楽しそうに笑う。俺は自然とエントリーシートに目を落とす。そこには俺の筆跡で「自分に自信が持てるようになりたい」と書き足されている。
「俺は彼に同情しすぎでしょうか?」
「別にいいさ。しかし君は、彼が本当にやりたいこととやらを見つけられると思うかい?」
「どうでしょうね。未知数ですよ。環境が変われば人も変わります」
「変われなければ破滅することになる」
神はタバコに火をつけながら無慈悲にそう言う。
「転生する先は彼が今まで生きた世界よりもシビアで危険な世界だ。生きることへの執着を持たずにそうそう生き抜ける場所ではない。いや、もし仮に元の世界に生まれなおすのだとしても、彼が彼のままであればまた同じような人生を送ることになるのが関の山だ。そんな未来を変えたいのであれば自らを変える他に無い」
「厳しいですね」
「ああ厳しいさ。だからこそ生きることには価値がある」
神はうまそうにタバコを吸って一息に紫煙を吐き出した。
「まあ、他にも候補者はいる。仮に他の候補者が全員不合格となった場合はさっきの彼に希望を託すというのもありだ」
「はい」
話がひと段落したタイミングで、俺はまた自分の過去に思いを巡らせる。また一人の女性の姿が朧げに脳裏に浮かぶ。
なぜ俺は自分の生前の記憶が思い出せないのだろう。それになぜさっきの男の人生を聞いたとき、俺はあんなふうに口を挟む気になったのだろう。
俺は意を決し、自分の記憶について神に聞いてみることにした。視線は候補者の座るパイプ椅子に向けたまま、さりげない風を装って口を開く。
「ちょっと考えてみたんですよ。さっきの男の話を聞いていて、自分はどうだったんだろうって。自分は他人に説教できるほど立派な人生を送ったのだろうかってね。でも、何も思い出せなかった。正確には一人の女性の姿だけは思い浮かべることができるんですが、それが誰なのかは分からない。その謎の女性を除いて、生きていた頃の記憶がまるで思い出せないんです」
俺はそう言って隣に座る神の横顔を盗み見る。神は表情を変えることなくタバコを咥えている。
「俺は確かに死者ですよね。面接に来る転生候補者と同じく、元は生きていた人間ですよね?」
「ああ。それは保証しよう」
神は頷く。
「ではどうして生きていた頃の記憶が思い出せないんです?」
神はゆっくりとタバコの煙を吐き出す。
「それは君の側に準備ができていないからさ」
「どういう意味です?」
「言葉通りの意味さ。物事には順序というものがある。順序に従って物事というのは起こる。物質界でも、人の精神でも、この生と死の狭間の世界でもね。何が言いたいかわかるかい?」
「いいえ」
「焦るな、ということだ」
そういうと神は携帯灰皿にタバコを押し付けた。
「さ、そろそろ次だ」
「ちょっと待ってください。話は——」
「焦るな。物事は順序に従って起こるものだ」
神はそう繰り返した。話は終わりだ、という雰囲気を感じ、俺は口をつぐむ。神は満足そうに頷いた。
「ひとまずは面接を済ませてしまおうじゃないか。どうせ時間はたっぷりあるんだ。喜びたまえ、次の相手は若くて可愛い女子高生だぞ」
「そういうの、セクハラですよ。それ以前に言い方が下世話です」
「瑞々しい命を愛でて何が悪い? ほら、準備準備——」