2.二人目 - 61歳/男/某企業代表取締役
入ってきたのはいかにも高級そうなグレーのスーツを着た初老の男だった。
男はこちらが何か言う間もなくズンズンと俺の前まで歩いてきて名刺を差し出した。このタイミングで名前や肩書きを書いた紙きれを渡されたところで事前にエントリーシートをもらっているので何の意味もなかったが、とりあえず俺は名刺を受け取った。
男はこちらを頭の先から爪先まで一瞥し、何度か小さく頷いて椅子に座った。が、自分が座ったパイプ椅子を手で撫でて眉間に皺を寄せた。
「これはまた質素な……。まさか予算不足というのでもないだろう?」
「いや、まあ、どうでしょうね。もともと用意されているものなので」
「……そうか、まあ良い。まあ良いが、こういう部分をおろそかにすると他者から舐められるもとになる。気をつけた方が良い。君の上司にもそう伝えておきなさい」
「はあ」
俺の上司はすなわち神なのだが、そんな忠告まで伝えて良いものやら。
ひとまずエントリーシートに目を向ける。
「生前のご職業は……社長さんですか」
「そうだ。業界ではそこそこの知名度はあるが、BtoB企業だからな。会社名を言っても君には分からないだろう」
男の表情はにこやかだが、眼光は鋭い。いや、鋭いというよりはまるでこちらを値踏みしているかのようだ。明らかに年下で高級なスーツも着ていない俺が自分を面接しようとしていることが不満なようにも見える。
「それで、転生を希望した理由は……エントリーシートには『自分のメソッドを試したい』とありますが、これはどういった意味でしょうか?」
「それはまあ、書いてある通りだよ」
男はやれやれと言った感じで苦笑を浮かべ、咳払いをする。謙虚な態度ではないが、それを含めたこの人の人となりを見るのが俺の仕事だ。
「私は大学を出た後、証券会社に就職してね。そこで十年ほど営業をやった。悪くない稼ぎだったが、そこで分かったのは、社会というのは一定の法則に従って動いているということだ。有価証券の値動きや企業の意思決定はもちろん、人間の思考パターンなどもそうだ。それさえ理解できれば人や金を動かすことは簡単だ。ちっぽけな地方の証券会社に雇われている必要などない。私は一念発起し、起業して自分の会社を持った。当時としては最先端のIT企業だった。先見の明はあるつもりなのでね。事業は成功し、会社はどんどん大きくなっていった。もちろんときには不況の煽りを受けることはあったがね。しかし私は自分が失敗などしないことを知っていた。なぜだと思うね?」
「あー……なぜですか?」
「成功のやり方が分かっていたからだ。私は初めの十年で働きながら社会の仕組みを知り、経済を知り、人間集団の心理を知った。法則さえわかっていれば致命的な失敗を避けるなどたやすいことだ」
「なるほど。では、『自分のメソッドを試したい』というのはつまり、その成功のやり方が転生先でも通用するかどうかやってみたいということですか」
「そうだ。まあ、そのシートには『試したい』と書いたがね、実際は確実にうまくやれるだろうと思っているよ。私にはその実績がある。異世界と言ったって、人の心も社会の仕組みもそうたいして違いはないだろう」
男は得意そうにそう言った。自分の喋りたかったことが喋れて満足という感じだ。
俺は改めてエントリーシートを眺めながら、事前に用意されていた調査報告書を横に並べた。自分で記入するエントリーシートの他に、あらかじめ候補者の情報は他部署が独自に調査してくれている。
俺は調査報告書の一部分を指でなぞりながら口を開く。
「大学時代の成績も優秀。亡くなる少し前に著書も出されている。そして、ご自身の会社では数回大規模なリストラも実施されている」
男はぴくっと眉を震わせた。
「それがどうしたね?」
「ああ、いえ。リストラが悪いとは言いませんよ。会社を経営してればそういうことが必要になることもあるでしょう。何より、あなたもやりたくてやったわけじゃないでしょう。……ですよね?」
男は少々の逡巡の後、こちらに身を乗り出して言った。
「こうして死んだ後だし、話してしまおうか。私に言わせれば、リストラなどされる方が悪いのだよ」
「……そうですか?」
「いつまでも他人に使われる立場に甘んじているからそういう目に遭うのだ。自業自得だよ。大きな企業に所属していれば安泰であるなどと勘違いしている。その点、私は早々に独立して成功した。他の者も同じようにやれば良いのに、世の中どうもぐずぐずしているものが多すぎると、生きている時からずっと思っていたよ。あとは何度も失敗を繰り返す者もいるし。まったく理解に苦しむね」
「しかし、ときにはあなたも失敗することがあるのでは?」
俺の言葉が癇に障ったのか、男は大きく鼻を鳴らした。
「失敗? 私が?」
「そういうことがありませんでしたか?」
「無いね」
男は躊躇うことなく断言した。
「私は真理というものを理解したのだよ。学生時代も一番だったし、社会に出てからも常に成功してきた。私が失敗することなどありえない」
リストラを何度もやってきたことが既に失敗なのではないかと思ったが、これ以上それを追求しても特に得るものはなさそうなのでやめておいた。
俺の内側でこの男に対する嫌悪感のようなものが湧き始めていた。面接官として好き嫌いで人を選ぶのは褒められたことではないと理解はしていたが、権力を振りかざす傲慢な人間に対する拒否感を抑えるのは難しかった。
そのとき、目の前の男の姿がなぜか、記憶の底に眠っていた父親の姿と重なった。なぜこんな時に父のことを思い出すのかは分からないが、記憶の中の父も目の前の男のように傲慢な口振りをしていた。
いけない、今は面接に集中しなくては。俺は何度か強く瞬きをして父の記憶を振り払う。
俺の困惑をよそに男はますます得意げに言葉を続けた。
「ところでその異世界というのは、私が生きてきた世界よりも遅れているらしいと聞いたが?」
「はあ、まあ、遅れているのかはわかりませんが、科学技術に関してはあなたの生きた世界ほどは発達してませんね」
「政治はどうだ。議会制民主主義かね?」
「いえ、王政をやってる国が多いようです」
そうだろう、と男は勝ち誇ったように言った。
「そんな遅れた国の連中を使ってやることくらい簡単なことだ。私は転生したら貿易会社をやろうと思っている。発達しきっていない原始的な社会で手っ取り早く着実に金を稼ぐにはそれが良いだろうからな。会社が大きくなったら株式を発行する。どうせ異世界にはまだそんなものはないだろう。転生者である私が異世界に資本主義経済というものを教えてやる。そしてゆくゆくは議員にもなる。カネと政治は権力の二本柱だからな」
「議員って、転生先の国は王政ですが」
「だからその構造ごと壊してやるのだ。独裁者による王政などより民主制の方が優れているなんてことは、いかに遅れた異世界人だろうとすぐに理解できるだろう。私が彼らを啓蒙する」
「啓蒙、ですか」
「教育と言った方が良かったかな? あるいは調教でもなんでも良いが、とにかく劣った人間をうまく使ってやるのが上の人間の役割だからな」
男は自信満々だった。やはり彼は自分の成功を信じて疑っていないようだった。
「どうだ? 私ほど転生させるにふさわしい人物はいないだろう」
俺は数秒目を閉じて自分を落ち着かせてから、目の前の椅子にふんぞりかえっている男を見ながら淡々と言った。
「わかりました。今回の選考ですが、残念ながらあなたは不合格とさせていただきます」
「……は?」
男はキョトンとした顔で俺を見ていたが、やがて顔を真っ赤にして怒り出した。
「何を言ってるんだ君は。急にそんな……君にそんなことを言う権利があるのか」
「ありますよ、面接官なので。合否は追って連絡することにはなってますが、別にその場で言ってはならないというルールはありませんし。申し訳ありませんが、あなたは不合格にさせていただきます」
「なぜだ!? 私以上に知能も実績もある人間が他にいるか? 私は誰よりもうまくやってみせる自信がある!」
俺は首を振った。
「自信があるのと実際にうまくやれるかは別ですよ。私にはあなたが異世界で成功できるとは思えない。なぜだと思います?」
「それは君に他人を見る目が無いからだろう」
「もしかしたらそれもあるかもしれませんが、一番の理由はあなたが他者を尊重することができないか、あるいはそのことを放棄してしまっているからですよ」
「なに?」
俺は感情論のように聞こえてしまわないよう言葉を選びながら続ける。
「あなたは生前も、そして今この瞬間も、自分が相手より優位であると考えている。しかしたとえあなたが優秀な人間であっても、それで他人を見下して良い理由にはならないんです。あなたは異世界のことやそこの人間のことを自分よりも劣っていると考えているようですが、それは違います。異世界はあなたが生きてきた世界とは違う理を持ち、違う歴史を持った世界です。科学技術が発展していないのは代わりに魔法があるからだし、王政を採用しているのは魔法の才能が遺伝によって受け継がれることが多いことから血筋を重要視する文化が根強いためです。異世界には異世界なりのルールがあり文化がある。それに異を唱えるのは自由ですが、そうした異文化を軽視する人間が成功を収められるとは思えません」
男は青筋を立てて椅子から立ち上がった。
「この私に説教かね。君はそれほど偉いのか? 劣った人間を見下して何が悪い。私はそれでも成功してきた。失敗などするものか!」
「あなたは今まさに失敗していますよ。面接官である私から合格という言葉を引き出せませんでしたから」
「くだらん! 実にくだらん! 無礼者め!」
男は鼻息荒く面接室から出て行った。
結果:不合格
理由:自分の能力を疑わず、他者を見下す態度。
備考:異世界だろうとなんだろうと他者を尊重できない人間は周囲を不幸にする。というかこの人、転生したところで勇者や賢者よりも魔王とか独裁者とかになりそうだ。今回はそういう募集ではない。
「なかなか苛烈な人物だったね」
また神が隣に腰掛けていた。
俺はため息をついた。
「苛烈というか、高圧的というか。ああいう人、俺が生きてた時にもいましたよ」
「頭は良いようだったが?」
「まあそうみたいですけど。正直、あの人が生前うまくいってたのは運によるところも大きいんじゃないですかね。たまたま進んだ方向が良かったから成功したけど、もしあの性格のまま間違った方向に進んでたら、周囲から疎まれて終わりですよ」
「なかなか厳しいことを言うね」
「……すみません、ちょっと感情的にはなっていたかもしれません」
「そうかもしれないね」
「でも、自分がそこまで見当違いのことを言ったとも思いません」
「そうか」
神はタバコを片手に苦笑する。俺の脳裏にはまだ威張り散らす父の姿がちらついていた。
神は穏やかな口調で続ける。
「しかし、彼が優秀な人間だったのは事実だ。実績もある。人格者とは言えなくてもね。そういう人間が社会に変革をもたらすこともある。頑固で唯我独尊ということは、言い方を変えれば周囲に流されず自らの信念に従って突き進むということでもある。そういう人間が不要とは言い切れないはずだ」
俺は頷く。
「それはまあ、そうですね。俺もあの人が生前残した功績まで否定するつもりはないです。転生してまた成功する可能性もゼロじゃない。でも、その過程で周囲の人間を不幸にする可能性だってゼロじゃない。いや、むしろその公算が高いと俺は思いました。事業を成功させるのも社会を変えるのも結構ですが、その根っこには、なんと言うか……善、みたいなものがあって欲しいんです。もちろん全ての人間を幸福にするとか傷つけないなんてことは無理に決まってますが、それでも最低限、他者や異文化の尊重を忘れてはならないような、そんな気がして」
「なるほどね」
「……青臭いですか」
「まあね。だが悪くはない。君がそう信じるなら構わないよ。転生者を選ぶなら、その人間の人柄だけでなく、転生先の世界に与える影響も考えるというのは悪くないアイディアだ。君の信じるようにやりたまえ」
神は涼しい顔でそう言う。俺は自分が担っている転生のための面接官という仕事の責任について改めて思いを巡らせる。まったく、厄介な仕事についたものだ。
神はタバコを携帯灰皿に押し込んで立ち上がった。
「さて次だ。三人目の候補者も男性だね」
「またおじさんですか」
「いや、今回は若いようだ。確かまだ20代で——」