最高の◯◯になりたい! 〜白い少女と奇妙なダンジョン〜
白い少女は、カボチャ頭の存在を不思議に思っていた。
彼を初めて見たのは、ダンジョンの深部。
巨大なカボチャの実にコウモリの羽が生え、歪んだ笑みを浮かべた異形の魔物。
倒したはずだった。確かに、光の刃を振り下ろし、動かなくなったはずなのに——
「おい、お前! 俺を倒したな! ひどいじゃねえか!」
少女の目の前で、カボチャ頭はまるで何事もなかったかのように立っていた。
「……死んだんじゃないの?」
「何回死んでも蘇るんだよ! だから気にするな!」
言われてみれば、彼の体に傷一つない。むしろ、以前よりもツヤツヤとした光沢すら帯びている気がする。
このダンジョンにいる魔物は、死んでも蘇るのか?
いや、それならば、彼女が今まで倒してきた無数の魔物たちも——
「まあ、俺は特別なんだ。だからお前も安心しろ!」
——やはり、こいつはおかしい。
少女は深く考えるのをやめた。考えたところで、こいつを理解できるとは思えない。
「……それで、何の用?」
カボチャ頭はぎょろりと大きな目を回し、ひとつ咳払いをすると、厳かに言った。
「お前には願いがないのか?」
「願い……?」
「ああ。俺にはあるぞ! 俺はな、最高のカボチャ料理になりたいんだ!」
少女は数秒間、無言のまま彼を見つめた。
「……意味がわからない」
「ははは! そりゃそうだろうな! でも、俺は本気だ!」
カボチャ頭は大きく腕(?)を広げ、熱弁を振るった。
「人間はよく言うだろう! 『最高の〇〇になりたい』ってな! だったら、俺は最高のカボチャ料理になるんだよ!」
「……そんなことを考える魔物、聞いたことない」
「お前は聞いたことないかもしれないが、俺はずっと考えていた! どんな料理が一番うまいのか……! どんな味が一番人を喜ばせるのか……! そして! どんな調理法が、俺のこの最高のカボチャボディを究極の逸品へと昇華させるのか……!」
「……」
少女はゆっくりと後ずさった。
こいつは、何か恐ろしい病にかかっているのではないか?
「まあ、お前には難しすぎたか……」
「そういう問題じゃない」
「とにかく! 俺は最高のカボチャ料理になるために旅をしているんだ! そして、どうやらお前も旅をしているようだな?」
「……まあ」
「なら決まりだ! 俺たちは仲間だ!」
「待って、誰も仲間になるなんて言ってない」
「ははは! そう照れるな! 一人旅は寂しいだろう?」
「別に」
「そう言うなって! いいか、お前には生きる意味が必要だろう? 俺には目的がある! つまり、お前は俺を手伝えば、生きる意味を見つけることができるって寸法だ!」
「……意味がわからない」
「つまりだな! 俺を最高のカボチャ料理にする旅に、お前も付き合え!」
少女は静かにため息をついた。
……気が進まない。進まないが、一人でいるよりは暇つぶしにはなるかもしれない。
「……仕方ない。一緒に行くわ」
「よっしゃあ! 最高のカボチャ料理を目指して、いざ出発だ!」
こうして、白い少女とカボチャ頭の奇妙な旅が始まった。
※
カボチャ頭と旅を始めて数日が経った。
白い少女は後悔していた。
「おい、そろそろ腹が減ったな!」
「……お腹は空いてない」
「俺は空いた! だから飯を探すぞ!」
そう言って、カボチャ頭はダンジョンの岩壁をよじ登り始める。
その先に食べ物があるとは到底思えなかったが、少女は黙って彼を見送った。
「おい、お前も手伝えよ!」
「……別にお腹空いてないし」
「飯を食うことは生きることだぞ! それに! 俺の最高のカボチャ料理の研究のためにも、色んな食材を試さなきゃならん!」
「……それで、何を探してるの?」
「肉だ! 最高のカボチャ料理には、極上の肉が必要なんだよ!」
少女はため息をついた。
どうしてカボチャ料理に肉が必要なのか、彼の理論はいつもよくわからない。
「ん? なんだあれ?」
カボチャ頭が岩の上を指差した。
そこには、小さな焚き火と、一人の男がいた。
男は白いコック帽をかぶり、血のように赤いコックコートを身にまとっていた。
焚き火の上では、大きな鍋がぐつぐつと煮え立っている。
「おおおおおおっ! なんだこれは!?」
カボチャ頭は目を輝かせながら、岩壁を跳び越え、男の前に降り立った。
「おい、おっさん! その鍋、何を作ってるんだ!?」
男は静かにカボチャ頭を見つめた。
「……奇妙な客人だな」
低く響く声。
その視線はまるで、獲物を値踏みする肉屋のようだった。
「貴様、食材か?」
「ちげーよ! 俺はカボチャだ!」
「ならば、ちょうどいい。カボチャスープにしてやろう」
「おおおおお! いいぞ! ぜひとも頼む!」
男はカボチャ頭の反応を見て、ほんの僅かに目を細めた。
「冗談だ。……それより、貴様らは何者だ?」
「俺は最高のカボチャ料理になる男だ!」
「私は……旅人」
カボチャ頭のハイテンションな自己紹介を無視しつつ、少女は適当に答えた。
男はしばらく考えるように視線をさまよわせると、鍋の蓋を開けた。
中から、ふわりと香ばしい香りが立ちのぼる。
「……食うか?」
少女はわずかに目を細めた。
ダンジョンの奥深く、こんな場所で料理を作る人間がいること自体が異常だった。
普通の人間なら、こんな魔物だらけの場所で焚き火をすることすら躊躇うはず。
それなのに、彼はまるで何も気にしていない。
「……毒は入ってない?」
「当然だ」
「じゃあ、いただくわ」
少女は慎重にスプーンを手に取り、鍋の中のスープを一口すする。
途端、驚くほどの旨味が舌に広がった。
「……おいしい」
「だろう?」
「おいおいおい! なんで俺の分がないんだよ!」
カボチャ頭が抗議する。
「貴様はカボチャだろう。カボチャは食材であって、食うものではない」
「そんな理屈があるか!?」
男は再び鍋の蓋を閉じると、じっと少女を見つめた。
「……貴様ら、どうやら普通の旅人ではないな」
「……どうして?」
「このスープを飲んで、平然としている者は少ない」
男はにやりと笑った。
「これは、魔物のスープだからな」
少女はスプーンを止めた。
——なるほど、どうりで妙に馴染みのある味だと思った。
それは、彼女が“実験体”として生きていた頃、与えられていた栄養食の味と、よく似ていた。
白い少女は、静かにスプーンを置いた。
「……魔物のスープ?」
「そうだ」
コック帽の男は、鍋をゆっくりとかき混ぜる。とろりとした琥珀色のスープの中で、奇妙な肉片が揺れた。
「ダンジョンに潜るなら、食材の確保は重要だ。貴様らはどうしている?」
「俺はカボチャだから食わない!」
カボチャ頭が胸を張る。
「……いや、普通に食べてるでしょ」
少女は呆れながらカボチャ頭を睨むが、彼はまるで気にしていない様子だった。
「まあ、俺は肉料理の研究のために食うこともあるがな!」
「ほう。ならば、これはどうだ?」
男は鍋からスープをすくい、カボチャ頭の前に差し出した。
「ふむ……魔物のスープか……」
カボチャ頭は腕を組み、鍋の中を覗き込む。
「この色……この香り……むむむ、これは!」
「……何が分かったの?」
「分からん!!」
少女は深い溜め息をついた。
「だが、この俺のカボチャ魂が囁いている……これは間違いなく、うまいヤツだ!」
「ならば飲め」
「よし!」
カボチャ頭はスープを一気に飲み干した。
「ぐおおおおおおおっ!? これは!!」
カボチャ頭が目を見開く。
「どうしたの?」
「うまい!!!」
「知ってた」
男は微かに笑うと、少女に視線を戻した。
「貴様はどう思う?」
「……確かに美味しい」
少女は正直に答えた。
だが、それと同時に、心の奥にじわりと広がる不安を振り払えずにいた。
「普通の魔物……じゃないわよね……」
「ほう、分かるか」
男はにやりと笑う。
「その通り。これは、このダンジョンで生まれた“特別な魔物”の肉だ」
「特別な……?」
「実験体だ」
少女の手が、ぴたりと止まる。
「お前と同じようにな」
男の言葉が、静かに響いた。
「…………」
少女は言葉を失った。
カボチャ頭が首をかしげる。
「ん? どういうことだ?」
「お前は知らずに食ったんだろうが、この肉は元々“人”だった。人間として生まれ、しかし人間ではない存在に作り変えられた者たちだ」
男の言葉に、少女は目を伏せた。
(……やっぱり)
このスープの味は、彼女にとって懐かしすぎるものだった。
かつて研究所で食べさせられていた栄養食——
その正体を、彼女は知っていた。
「……なぜ、そんなものを」
「俺は料理人だ。命を食らい、命を繋ぐ者」
男は鍋の蓋を閉じる。
「ここで生まれ、ここで消えた命を無駄にはしない。……それだけだ」
少女は男を見つめた。
彼の目には、何の感傷も宿っていない。ただ、事実を淡々と受け入れているだけの瞳だった。
「貴様らがこのスープをどう思うかは自由だ。だが——」
男はスプーンをカボチャ頭に向ける。
「この世に、生きる者と、食われる者しかいないことを忘れるな」
「……ふーむ」
カボチャ頭は腕を組んだ。
「つまり、お前はこの魔物たちの供養をしてるってことか?」
「供養……か。そんな立派なものではない」
男はかすかに微笑む。
「ただ、俺は料理をしているだけだ」
静かな炎が、ぱちぱちと爆ぜる。
少女は何も言わなかった。
ただ、冷めていくスープを見つめていた。
少女はスープの表面に映る自分の顔をじっと見つめた。
琥珀色の液体に映る顔は、まるで自分ではないように思えた。
「……なんで、こんなことを?」
彼女は静かに問いかけた。
目の前の料理人は、再び鍋をかき混ぜながら答える。
「俺は料理人だ。食材を前にして、それを無駄にするような真似はしない」
「でも、これは……」
「俺にとって、魔物だろうが人間だろうが変わらん。ここで死んだ者たちは、せめて誰かの血肉になるべきだ」
少女は唇を噛んだ。
彼女は知っている。
研究所で消えていったクローンたちの行方を。
使い物にならなくなった肉体がどう処分されていたのかを。
(……同じだ)
この料理人のしていることは、研究所と何も変わらない。
死んだ肉を”有効活用”しているだけ。
ただ、それが研究のためではなく、「食事」という形になっているだけ。
「……お前、本当にただの料理人なのか?」
カボチャ頭が鋭く問いかけた。
「俺は料理人だよ。ただし——」
料理人は静かに笑う。
「選ばれた肉しか、扱わない」
少女の背筋に冷たいものが走った。
「選ばれた……?」
「貴様も、自分が“選ばれた肉”だという自覚はあるんだろう?」
男はスプーンを鍋に沈める。
「研究所で生き延びたのは、貴様だけだったんだろう?」
「……っ」
少女は一歩後ずさる。
彼の言葉は、彼女の最も触れられたくない部分を正確に突いていた。
「つまり、俺がここにいるのは運命だ」
男は少女の顔をじっと見つめる。
「俺は最高の料理人であり、貴様は最高の肉。互いに出会うべくして出会った」
「……何が言いたいの?」
「貴様を料理してやろうか?」
カボチャ頭が反射的に前に出た。
「おいおい! いくらなんでも冗談が過ぎるぞ!」
「冗談かどうかは、貴様らが決めることだ」
男はナイフを取り出し、くるりと回す。
「俺はただ、“食材”を見極めているだけだ」
「お前……本気で——」
「もちろん、すぐにとは言わんさ」
男は静かに言葉を続けた。
「だが、いつか貴様が死ぬ時が来たら、その時は俺に調理させろ」
少女の喉が、ごくりと鳴った。
まるで契約を持ちかける悪魔のような響きだった。
「それは……」
「嫌か?」
「……」
少女は答えられなかった。
(私は……)
彼女は自分が何者なのか分からなかった。
実験体として生み出され、生き残った存在。
大量の失敗作の中で、たまたま生き延びた”選ばれた肉”。
(もし、私が……)
自分が”人間”ではなく、“ただの肉”だとしたら?
“食べられる側”の存在なのだとしたら?
「……やめろ!」
カボチャ頭が少女の前に立つ。
「こいつは俺の仲間だ! 料理の話ならともかく、そんな不吉なことを言うな!
「そうか」
男は肩をすくめ、ナイフをしまう。
「ならば今日はこのくらいにしておこう」
彼はふっと微笑むと、再び鍋をかき混ぜた。
「だが、忘れるな。食う者と、食われる者しかいない」
少女は答えなかった。
スープの表面には、今も自分の顔が映っていた。
※
気がつくと、白い少女はダンジョンの中にいた。
ぼんやりとした光が宿った静寂の空間。
けれど、料理人の姿はどこにもなかった。
まるで初めから存在しなかったかのように、跡形もなく消えている。
だが——
「……っ、ぐ……ぁ……」
微かなうめき声が聞こえた。
少女が振り向くと、カボチャ頭が地面に倒れ込み、苦しそうに身を震わせていた。
「カボチャ頭!」
少女はすぐに駆け寄る。
だが、その身体はすでにボロボロだった。
不死身だったはずの彼の体が、ひび割れ、崩れ始めている。
「こ、これは……ちょっとヤバいな……!」
カボチャ頭が無理に笑おうとするが、その声は弱々しい。
理解する。
彼の”不死”は、料理人の料理によって崩されてしまったのだ。
あの料理には、ダンジョンで生まれた魔物の魂を”食いつくす”効果があった。
それに抗えなかったのだ。
「……最高のカボチャ料理になれなかったのが、心残りだな……」
カボチャ頭が、かすれた声で呟く。
彼の体が、ゆっくりと塵になろうとしていた。
「そんなの、嫌……!」
少女は思わず叫んだ。
カボチャ頭は、彼女にとって唯一無二の”仲間”だった。
ただのおかしな魔物かもしれない。
けれど、彼は確かに”生きて”いた。
それを、ただ消えさせるなんて、できない。
「……私が、あなたを”最高のカボチャ料理”にしてあげるわ」
少女は両手をカボチャ頭にかざした。
その手から、淡い光が溢れ出す。
彼女の”力”は、完全ではない。
けれど、“何かを生み出す”ことくらいは、できるはずだった。
カボチャ頭の体が、光に包まれる。
塵となりかけた彼の存在が、ゆっくりと再構築されていく。
だが——
それは、かつての”カボチャ頭”の姿ではなかった。
そこにあったのは、小さなカボチャの”芽”だった。
「……ふふっ」
少女は、そっとその芽を手に取った。
力が足りなかったのだろう。
彼を”そのまま”の形で再生することはできなかった。
けれど、彼の”存在”を残すことは、できた。
「……ちゃんと育ててあげる」
少女は、カボチャの芽を抱きしめた。
水を与え、太陽の代わりに自身の光を浴びせ、大切に育てるつもりだった。
カボチャが実ったら——
「その時こそ、本当に”最高のカボチャ料理”を作ってあげるから」
少女は、カボチャの芽にそっと微笑んだ。
ダンジョンの暗闇の中で、小さな芽は、静かに揺れた。
——最高の◯◯になりたい!【完】