アフターストーリー② 愛する人からハンカチを貸された
『負けヒロインの天使様』が一人泣いていたのでハンカチを貸した、これにて完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
私は雪也くんがいたから前を向いて生きることができた。
彼がいなければ今の私はいないし、彼がいなければあの病気を乗り越えても心に穴が空いたままだっただろう。
愛を知らないまま、大人になって、つまらない人生を送っていたかも知れない。
ずっと雪也くんから愛を受けていればいい。
そう思っていたのだが、高校二年生の秋のことだった。
どういう経緯かはわからないが雪也くんと私の父が公園で喧嘩していた。
正確に言うと雪也くんが私の父に対して一方的に怒っていた。
話の内容を聞いて私のために怒ってくれたと知った時は嬉しかった。
けれど私も少々その時ばかりは彼に怒った。
私の父のせいで彼を傷つけたくなかったし、彼を巻き込みたくなかったからだ。
しかしなぜかそれから父の態度は大きく変わった。
私に優しくしてくれるようになったし、時折気にかけてくれるようになった。
しばらくの間、それが不気味に思えるほどだ。
今はそれに慣れて「雪也くんは私の彼氏だから無礼な態度を取ったら縁を切る」と脅してさえいる。
以前の父なら好きにしろと言うだろうが、私が雪也くんへの態度に何か文句言う度、父は必死に謝罪している。
雪也くんが私の父に何を言ったのかはわからない。
ただ言えるのは、私だけでなく私の家庭までも雪也くんは変えてしまった。
だから私が雪也くんに対してできることを精一杯しよう。
そう思っていた、早いけれど結婚生活も夢見ていた。
「余命一年……残された時間はそれだけだって」
「嘘……ですよね……雪也くん……」
雪也くんが肺がんになった時はまだ笑顔でいられた。
彼が私が苦しい時、笑顔で支えてくれたから、今度は私が支え返そうと思ったからだ。
彼女である私が弱音を吐いてどうする、と心配する気持ちを抑えられた。
けれどあと一年しか生きられないと雪也くんが言った時は抑えきれずに泣いてしまった。
それでも彼は笑顔だった。
どこまでも強くて、心配させまいと笑顔だった。
「で、でも、まだ治療したら……」
「ごめん……美鈴、治療は諦める。治療しても生き残れる可能性が低いらしいんだ。その事実が自分の体のことだからなんとなくわかる」
「雪也くん……うっ、なんで……なんで……うう、なんで……」
「本当にごめんな、美鈴。俺だって、俺だって美鈴ともっといろんなことを経験したかった……」
その日、私は雪也くんと抱き合って二人で大泣きした。
一年後にもう彼はいない、そんなことなど到底考えることができなかった。
「……最後の一年はさ、美鈴と過ごしたい。俺の思い出作りに付き合ってくれるか?」
「もちろんです。最後まで、最後まで雪也くんの彼女として側にいさせてください」
雪也くんとそう約束してから月日はあっという間に経った。
約束通り、一緒に二人で旅行に行ったり、デートしたり、お泊まりなどいつも通りの生活もしたりした。
前よりも二人でいる時間が増えたと思う。
彼と一緒にいる度に自分の中の彼への恋と愛が大きくなっていく。
だからこそ苦しかった。
けれど楽しかった。
やがて大学三年生の秋頃、雪也くんは病気が悪化してそのまま亡くなった。
家族、友人、雪也くんの所属していたサークルの先輩後輩、そして私。
大勢の人に看取られて亡くなった。
まだ二十一歳だった。
早すぎる死に誰もが受け入れられなかったと思う。
最後は笑って見送ってあげよう。
そう思っていたけれど到底笑うことなんてできなかった。
一番、現実を受け止めることができなかったのは私だったと思う。
「雪也くん……早いよ……私を置いて、先に死なないでくださいよ」
「美鈴ちゃん……」
雪也くんの母が私の肩に優しく手を置いた。
そして医者が「最後の言葉を投げてあげてください」と言った。
すると雪也くんの母は雪也くんに「あっちでも元気で」と、一言言った。
雪也くんの母も父も、祖父母も、雪乃ちゃんも、友人も、みんなが雪也くんに対して送りの言葉を言っていた。
けれど私だけが最後まで言えなかった。
「雪也に声をかけてあげて」
「うっ……うう……」
私は大粒の涙を必死に堪えて、できるだけ笑顔を作った。
彼が私に見せてくれた笑顔のように、笑った。
「……私は雪也くんに救われました。雪也くんに愛を教わりました……今まで、ありがとう、雪也くん」
雪也くんは少しだけ笑みを見せた気がした。
堪えていた涙は再び爆発して、しばらくの間は泣き止まなかった。
***
「美鈴ちゃん、来てくれてありがとう」
雪也くんの葬儀後の食事、味が感じない料理を口に運んでいると雪也くんの母親が来る。
正直、雪也くんが亡くなってからまだ心の整理がついていない。
高校生から付き合って結婚まで考えていた最愛の彼氏、それと同時に私を救ってくれた恩人。
そんな人が亡くなったのだから立ち直れるわけがなかった。
今朝も彼が生きていた日々の彼との思い出が夢になって出てきて、枕が濡れていた。
「……この度は」
「ああ、いいのいいの、そういうの。美鈴ちゃんも辛いでしょうし、気にしなくていいの」
雪也くんの母の暖かさに触れてまた泣きそうになってしまう。
けれどグッと涙を堪えた。
自分の息子が亡くなったというのに、雪也くんの母は病院と葬式以外で泣いている姿を見たことがない。
本人曰く、まだ雪乃がいるから強くあろうとできるだけ我慢しているそうだ。
「……親子似ているというか、何と言いますか」
「似てる? 雪也と、ってこと?」
「ええ、雪也くんの優しさはお母様譲りなのかな、と。雪也くんも良い家庭で生まれ育ちましたね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない……でも、過去の出来事から雪也を変えてくれたのは美鈴ちゃん、あなたなの。最後まで雪也のそばに居てくれてありがとう。雪也はあなたのおかげで笑っていられたと思うの」
雪也くんの母はそう言ってポケットから一枚の手紙を取り出した。
その手紙は少し大きくて、美鈴がそれを受け取ると紙の材質とは別の感触がした。
「これ、美鈴ちゃんに渡してって言われたの」
「手紙……ですか……」
「家に帰ってから読んでみて、ここで読んで号泣されても困るから」
「……ふふ、たしかにそうですね」
「じゃあね……美鈴ちゃんならまたいつでも家に来てくれていいから」
雪也くんの母はニコッと笑って、また別の席へと向かった。
私はふと、手に持っている手紙に目を落とした。
中には何が入っているのだろう。
生前に書いてくれた手紙以外の何かも含まれている。
「……雪也くんは私に何をかいてくれたのでしょうか」
葬式が終わるとすぐに私は自分の家に戻った。
内心、手紙を読みたくて仕方がなかった。
手を洗って、服を着替えると、私は手紙を持ってソファに座った。
読みたい、そう思っていたけれど開けるのが怖い。
これが私に宛ててくれた雪也くんの最後のメッセージだから。
私は何回か深呼吸をした後、手紙を開けた。
手紙を開けると中には一枚の紙と一枚のハンカチが入っていた。
そのハンカチは私の記憶に今でもある大切なものだった。
***
美鈴へ
まず最初に今までありがとう。彼女としていてくれて、最後まで側にいてくれて。
これを美鈴が読んでいるということは俺はおそらく死んでいるでしょう。
そんなことをさ、昔、美鈴が俺に渡した手紙に書いてくれたの覚えてるか?
まさか自分がこれを書く立場になるとは思わなかった。
美鈴との出会いは高一で、あの公園、今でもよく覚えてる。
正直、あの時の美鈴は驚くほど冷たくて、苦手だった。
距離が縮まったと思ったら離されるからどう接すればいいかわからなかった。
けど病気だったって知って、それから美鈴のことが放って置けなくなった。
あの時の俺を必死にさせてくれた。
今でも美鈴は必死になれる存在で大切な存在、間違いなく俺を変えてくれた存在だ。
俺はずっと実父に勉強ばかり強制させられてきて、他のことは制限されていて知らないことが多かった。
だけど美鈴と出会った時から人生に色がつき始めた。
友達だった時も二人で遊んで、いっぱい青春したよな。
付き合った直後は少し気まずかったけど、距離が縮んだら、恋人らしいことをしたり、楽しかった。
最後の一年もそうだった。
けど美鈴ともういられなくなると思うと辛かった。
このまま大学を卒業して、美鈴と結婚して、ずっと一緒にいたかった。
それができなくてごめんな、先にあっちに行っています。
美鈴には新しい人を見つけて幸せになってほしい。
容姿も性格も素敵な女性だからきっと美鈴に合う男性がすぐに見つかる。
こんなことを書くのは辛いけど、俺のことは忘れて幸せになってくれ。
けど俺との思い出は忘れないでほしい。
それがささやかな俺の願いだ。
最後に、俺は美鈴に恩返しがしたかった。
だからそのハンカチを贈る。
どうせ泣いているだろうから美鈴が立ち直るまでは彼氏として寄り添わせてくれ。
今までありがとう、美鈴、お元気で。
愛してる。
***
「ばか……ばか……雪也くんのばか」
私は声をたくさん上げてたくさん泣いた。
ハンカチで涙を拭くたびに雪也くんの微かな匂いがして、ダメだった。
けれど彼は本当に最後まで、最後まで私のそばにいてくれた。
このハンカチは初めて雪也くんと出会ったあの日、雪也くんが貸してくれたハンカチ。
私と雪也くんの原点。
雪也くんじゃない新しい人なんて見つけられるわけがない。
でも立ち直らなければならない。
そうしないと雪也くんに顔向けできないから。
「私も……愛してるよ……雪也くん」
落ち着いた頃、私は手紙を中に入れてハンカチだけを持った。
そして上を見上げながら、そう呟いた。
***
「美鈴、お見舞いきたよー」
病院の病室、女友達が一人お見舞いにやってくる。
大学四年生になってできた友人で市民図書館で会った。
本好きという共通の趣味を持っていたので、仲良くなりたいと私から近づいた。
今では一緒に遊んだり、話したりする仲だ。
「大変だね、せっかく就活してたのに。手術成功したらどうするの?」
「卒業延期の申請をして、また大学四年生からやり直します」
「うわー、大変」
「そもそも成功するかどうかわかりませんけどね。余命宣告されちゃってますし」
大学四年生の夏休み、私はまた倒れてしまって今度は余命半年と言われてしまった。
前の病気の再発だった。
このまま雪也くんの後を追うのかな、などと思ってそこまで悲しくはなかった。
けれど仲の良い友人全員にそのことを告白したらほぼ全員に涙目になって心配されてしまった。
「死ぬとかやめてよ? 友人になったばかりなのに死んじゃうとか私、大泣きだわ。就活終わったし、私、毎日お見舞いに来るからね」
友人はそう言って私の肩を揺らす。
そんな友人のセリフが過去に私が言われたセリフと似ていて笑ってしまった。
「……ふふ、雪也くんみたい」
「雪也? 誰それ」
「……なんでもないです。私の大切な人ですよ」
「あれ、美鈴に彼氏なんていたっけ。この前イケメンに告白されてたけど振ってたじゃん」
「私の、過去の大切な人です」
「ふーん、元カレか」
私は先ほどから書いていたものを閉じて、友人との会話を楽しもうとする。
しかし友人は私の閉じたものに興味を示す。
「それ、何書いてたの?」
「日記ですよ、私が中三あたりの時から気まぐれで書いてます」
「すごっ、私そういうのやったら絶対続かないわ。ちょっと読んでいい?」
「どうぞ、三つくらいあります。これが一つ目の日記帳ですね」
日記帳にはほぼほぼ雪也くんとの思い出しか書いていない。
私が雪也くんと出会う前と雪也くんが亡くなった後は十数日くらいしか日記を書いていない。
雪也くんと出会ってからはほぼ毎日書いていたので、その日々の日記を今でもたまに読み返す。
あれからまだ立ち直れていない。
事実、誰かに恋なんてできないし、今でもたまに思い出して一人泣いてしまう。
でも雪也くんのくれたハンカチがあるから笑顔でまた前を向ける。
「な、何これ、うっ……めっちゃ泣けるんだけど……うう……」
三十分ほどかけて友人は日記を全て読んだ。
読み終わった後、なぜか友人は号泣していた。
「うぐっ、美鈴にこんな過去があるとは思わなかった……」
「なんであなたがそんなに泣いてるんですか」
「いや、これは誰でも泣くってえ……」
「ほら、ハンカチ貸してあげますから」
「ありがとう……美鈴……うう……」
今の私には私を心配してくれている友人たちがいる。
もう死んでもいいかな、と諦めかけても、死ぬ訳にはいかない。
雪也くんがいたからこんな友人を持てた。
昔の私のままだったら、友人なんて作れなかっただろう。
ありがとう、雪也くん。
また私が折れそうになった時、昔のことを思い出して泣いた時はハンカチを貸してください、雪也くん。
私がそう心の中で呟くと窓の方から雪也くんの声が聞こえた。
『人が泣いてるの見てぼーっと突っ立てれる訳ないだろ』
私はすぐに窓の方を向いた。
けれどもちろん誰かいるわけでもない。
「……もし私がそっちに行ってしまったら、その時はハンカチじゃなくて胸を貸してください、雪也くん」
私は窓越しのに雲一つ見えない青い空に向かってそう呟いた。




