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第十二話 過去と今

「雪也、もう勉強はしなくていいの。好きなことを見つけて、好きなことをすればいいから」


 自分の部屋で勉強をしていると、母が入ってきてそう言った。


 父と母が離婚してから最初の夜だった。

 母にそう諭されて、その日雪也は初めて父の教育洗脳が解けた。


「雪也! 勉強しろ! お前の存在意義なんて、勉強しかないんだからな!」


 物心ついた頃から、雪也は父に勉強を強制されていた。

 遊ぶことも厳しく禁じられて、友達なんていなかったし、小学校に上がってからもずっとそうだった。

 むしろ小学校に上がって勉強の量が増えて、塾にも行かされた。


「お前は勉強さえすれば優秀な子だ。他の子とは違う、勉強ができる。いい大学に行っていい会社に就職する……そのためには勉強がいるんだ」


 父から何度もそう教わってきた。

 半ば洗脳に近かったと思う。


 飴と鞭を父はうまく使い分けていた。

 雪也への体罰は当たり前だったが、必ず父は謝って雪也のためなんだと言ってくる。

 そこまで考えてくれているなら、とその洗脳が解けるまで時間がかかった。


 雪也への厳しい勉強指導も母には内緒だった。

 勉強をさせているとは聞いていたらしいが、雪也も勉強が好きでやっていると思っていたらしい。

 洗脳状態に近かった当時の雪也はそんな状況をおかしいと思わなかった。

 

 人間は毎日やっていることを好きなことだと認識する。


 だから勉強が好きだからと口に出していたので、母も気づくのに時間がかかった。


「雪也、帰るまでにここの範囲はやっておけと言ったよな」

「……ごめんなさい」

「全く何もしていないとは……言え、勉強をせず何をしていた」

「図工の制作が終わっていなかったから放課後に残って……」

「そんなものどうでもいい!」

「っ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「いいか、そんなものはどうでもいい。お前にとっては勉強が全てなんだか……ら……」

「あなた……実の息子に何してるの……」


 母が父と離婚することを決めたのはそれがきっかけだった。

 偶然、料理をしていた母が雪也の部屋に来て、父が雪也に手を挙げるところを見た。


 元々喧嘩の多かった夫婦だが、そこから別居することになって、だんだんと父の素性を母が知った。

 母がそのことに気づくのに十年余りの月日を要した。


「えーっと、転入生の雪也だっけ。お前も放課後ゲーセンで遊ぶ?」

「……ゲーセン? なんだそれ」


 いざ、父がいなくなって、勉強もしなくていいと言われた時、雪也は何をすればいいかわからなかった。

 転校した先の中学では今まで勉強ばかりしていたので上手く馴染めたとは言えない。

  

 急に好きなことを見つけろと言われてもわからなかった。

 必死になれるようなことも見つけられなかった。

 みんなが行事イベントで必死になっているのを見てもなんとも思えなかった。


 高校生になってもそれは変わらなかった。

 友達といる、という好きなことは見つけられても、必死になれるようなことは見つけられなかった。


 けれど雪也は今、必死になっている。

 彼女に心が振り回されている。


 最初は雪乃と遊んでいる時の笑顔に惹かれただけだった。

 ただ、彼女と会えば会うほど、もうすぐ死ぬかもしれない彼女に対して必死になっていった。

 

「雪也さん……あなたと会えてよかったです、さようなら」


 目の前にいる彼女は雪也に対して手を振った。

 そしてその体はだんだんと薄くなっていき、徐々に消えていく。


「天春、待ってくれ! 俺は、俺はまだ天春と何も……!」


 ***


「天春……!」


 朝、雪也は自分が美鈴の名前を呼ぶ声で、起きてしまう。

 ここが現実であることを把握していき、雪也は夢であったことに安堵した。

 

 時計を見れば時刻は午前八時、いつもより起きる時間が遅い。

 昨日あまり寝付けなかったからだろう。


 そしてその時間を確認して、真っ先に思い浮かんだのは美鈴の手術のことだった。


 あの夜の後、雪也は病院にとどまらず帰った。

 

 手術は長時間の上に終わってもすぐに会えるわけじゃないから家に帰ったほうがいい。

 そう言われた以上、祈るしかできない雪也は従うしかなかった。


 夢から段々と意識がはっきりしてきた雪也はスマホに何かメールが来ていないかと確認する。

 手術が終わったのなら何か美鈴からメールが来ているのではないか。


 ただ、そんな期待とは裏腹に何のメールも来ていなかった。


「雪也ー! いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」


 一階から母の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

 本来なら急いで準備して行かないと遅刻するような時間だ。

 

 けれど雪也はそれ以上に美鈴のことが心配だった。


 早く病院に行って、ただただ美鈴に会いたい。

 そして友達になろう、そう美鈴に言いたい。


「母さん、ごめん。今日学校休んでいい?」

「あら、どうしたの? 体調悪いの?」

「……そういうわけじゃない。けど外せない用事なんだ。だから今日だけ……今日だけ休ませてくれ」

「わかったわ。家の用事ってことで学校には連絡を入れておくから」


 母は深く追求することなく、承諾する。

 その優しさに雪也は感謝するしかなかった。

 

 優しさではなく、高校生故に自分で決めた選択は自分で責任を持てということかもしれない。

 なら、今は学校に行くよりも雪也にとって優先すべきことがある。


 雪也は準備を終えた後、すぐに病院に向かった。

 走ったところで手術の結果が変わるわけではない。


 けれど早く美鈴に会いたい、そんな一心で雪也は病院まで走っていた。


「すみませんが、天春美鈴さんとはただいま面会できません」


 病院に着いて、雪也はすぐに病棟案内に向かう。

 すると、看護師にそう言われて美鈴との面会を断られる。


「手術は、手術はどうなったんですか」

「あの……落ち着いてください。周りの方々の迷惑にもなりますので」

「す、すみません」


 雪也の声はいつの間には大きくなっていた。

 一度落ち着き、一呼吸置いた。


「……それで天春さんと面会できないとはどういうことですか?」

「少々お待ちください、確認いたします」


 面会できないと断られただけなので美鈴はひとまず生きている。

 けれど雪也は気が気でなかった。

 

 まだ手術しているのだろうか。

 意識が回復していないのだろうか。

 手術自体は終わっていても容態が悪いのだろうか。


「お待たせしました。天春さんの手術は終わり、本日午前は術後リハビリや治療が入っています。面会をご希望であれば本日十五時からお願いします」

「そう……ですか」


 雪也は安堵のため息を吐きつつ「よかった……」と呟く。

 

 不安と、緊張と、走ったことによる雪也の早くなった鼓動はしばらくの間止まらなかった。

 

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