⑧名前
「シュガーレットだ。これから、無言の魔女、アメリア・ナイトベルを討伐しに行く」
『――――ではカギをお渡しください』
「あぁ」
いつものやり取りなのに、家のカギを置くことが少しだけ不安を生む。
前にレイニーが気に食わないと言っていたのは、こういう気持ちだったのかもしれないとシュガーレットは内心苦笑した。
そのカギと代わりに、魔女へと続くカギを渡される。それも当たり前のやり取りなのに、妙に緊張しながらそれを取った。
それを感じ取ったのか、肩にいるカラス姿のレイニーがこちらを向いていたが気付かないふりをする。
『このカギが一日しか保たず、一度使えば灰になりますので気をつけてください』
「・・・・・・分かった」
『シュガーレット。貴方に神のご加護がありますように』
「あぁ、ありがとう」
アンノウンに背を向けて歩き出す。
すると肩に重さが無くなり、代わりに肩を抱き寄せられた。
「大丈夫か、シュガー」
「なにが」
「強がるな」
肩を持つ手が諫めるように強くなる。
「怖いかの?」
「・・・・・・だからって任務を放棄することは出来ない」
「それでも一人で全部背負うことはねぇよ」
「・・・・・・・・・・・・」
また何かを失うかもしれない――――レイニーを失う可能性が任務には必ずある。
守りたいと思っても、またこの間のように鎮魂の祈りの最中、別のものが見えてしまったら?
「シュガーレット」
扉の間付近で、名前を呼ばれる。
不意のそれに視線を向ければ、そこにいたのはエリーゼだった。
「エリーゼ・・・・・・」
「なんて情けない顔をしているのかしら。まぁ、貴方がどんな顔をしていようと憎たらしいことこの上ないのは変わりませんけど」
フンと鼻を鳴らすエリーゼだが、彼女よりその隣にいた彼を見てしまう。
それに彼女も気付いたのだろう。コホンとわざとらしく咳をしてから紹介した。
「私の新しいガーディアンですわ」
「新しい、ガーディアン・・・・・・」
無意識に呟くと、エリーゼは少し寂しげな声で「任務は待ってくれませんのよ」と言い、けれどすぐにガーディアンの彼の肩に手を置いた。
エリーゼより少し身長の高いそれはエリオットと同じくらいだろうか。髪の毛は茶髪で、どちらかというと赤茶に近いかもしれない。
「ガナレードですわ」
「・・・・・・そうか」
シュガーレットは手を差し出し、ガナレードに微笑んだ。
「ガナレード、私はシュガーレットだ。よろしく頼む」
「・・・・・・あんたがシュガーレットか」
差し出した手は取らず、腰を曲げてこちらを観察するようにじろじろ見る。
そしてフハっと笑って、髪の毛を掻き上げた。
「ちっちぇーなぁ、あんた。あんま俺のエリーゼに近寄るなよ。あんたのしみったれた空気が移ったら大変、だッ!」
最後の言葉で、エリーゼに頭を殴られるガナレード。
「エリーゼぇ!」
「黙らっしゃいガナレード。貴方はどうしてそう嫌味しか言えないのかしら」
「エリーゼもそうじゃねぇか」
呆れたように言ったのはレイニーだ。
「何か言いまして?」
「いーえ。なにも」
「あー、あんた見たことある。双子様に目ん玉いじくられたカラスだ、ろッ!」
再び殴られたガナレードは頭を抑え、今度こそ黙り込んだ。
「ごめんなさい、レイニー」
「いや、別にいいけどよ」
首を傾け、気にしていないと言ったレイニーにエリーゼは、困った子供を見るようにガナレードをチラ見してから言う。
「ガナレードは犬のガーディアンですわ」
「おう。だから俺はエリーゼ一筋だ!」
「貴方は少しお黙りなさい」
ピシャリとエリーゼは言い、一歩こちらに寄る。そして耳打ちするように声のトーンを落としてシュガーレットに言った。
「最近、魔女が多発しているそうですわ」
「多発?」
「えぇ。最近任務の間隔が短くなくて?」
そう言われ、確かにとシュガーレットは眉を寄せて頷く。
「それの原因は何かあるのか?」
「さぁ。これはただのアダムの使いの中の話であって、実は以前は見過ごしていた魔女も討伐するようになっただけの可能性もありますわ」
「ですが」とエリーゼは続けた。
「帰って来ないアダムの使いも多いようですの」
「・・・・・・・・・・・・」
それは強い魔女が増えたからなのか。魔女が増えているのと関係しているのか分からない。
考え込むように口元に手を置けば、エリーゼはこの空気を変えるように「それでも私たちはいつも通り任務に向かうだけですわ」と髪の毛を流した。
「いつ何が起こるのか、それは今までと何も変わりませんことよ」
「そうだな・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
頷いたシュガーレットに何か思うことがあるのか、エリーゼは少しだけこちらを見つめてから大きく溜息をついて言った。
「シュガーレット」
「ん、なんだ?」
「貴方がどんなことに対しもクソ真面目なのは知っておりますわ」
「クソ真面目!」とガナレードが笑うと、再びエリーゼは「お黙り」と視線を向けることもせず彼を叱り、そのまま続けた。
「どんなことにも手を抜かず、精一杯向き合うことも、ちゃんと分かっているつもりですわ」
「だからこそ」と彼女は強く言う。
「気をつけなさい。私たちの代わりは沢山いるけれど、その命はひとつしかない大切なものですわ。どんな手を使ってでも生き延びなさい」
「エリーゼ・・・・・・」
「エリオットの命を、ムダにしないでちょうだい」
「・・・・・・・・・・・・」
拳を握り、唇を噛み締める。
涙が溢れそうなのを我慢し、ひとつ深く深呼吸をして頷いた。
「あぁ。絶対ムダにはしない。絶対に」
「・・・・・・まぁ、せいぜい足掻くことですわ」
どこか恥ずかしそうに視線を泳がせた後、フンといつものように鼻を鳴らし扉の間に入っていく。
もしかしたら自分たちと会う為にここに立ってくれていたのかもしれない。
「エリーゼ、ありがとう!」
その背中にお礼を言えば、エリーゼは振り返ることなく、隣に立っていたガナレードが振り返った。
「感謝しろよ! ちっちぇーの!」
「だから貴方はその態度を少し改めなさいっ!」
「いでっ! エリーゼぇ、そんな怒るなよぉ」
彼はエリーゼの腰を抱き、一緒に歩いて行く。
その抱き方はエリオットと同じで、シュガーレットは小さく笑って目元を拭った。
――――さようなら。またどこかで逢える日まで。
――――きっとそのガーディアンも、生まれ変わった俺だから、また俺を見つけて欲しい。
「ありゃガキになったエリオットだな」
同じことを思っていたのか、こちらの頭をくしゃりとかき混ぜながら言ったレイニーに、シュガーレットも「あぁ」と頷いた。
「私たちも行くぞ」
そう言い、一歩踏み出す。
一度覚えた不安は拭えない。それでも歩みを止めることも戻ることも出来ないならば、強く進むしかない。
緊張も恐怖も、そして命も背負っていくのは重くて――――独りではないからこそ辛かったりもするけれど、独りではないからこそ、強さを得ることが出来る。
「レイン」
適当に近いドアを選び、カギを差し込んだ。
「絶対、帰ってくるぞ」
絶対に帰る。
それは祈りでも願いでもなく、強い意志。
祈りにはしない――――祈りは小さな悲鳴だ。
天に捧げるそれは形がなく、シャボン玉のように浮かんだと思えば神に届く前に割れてしまう。
それでも祈らずにはいられない。悲鳴を上げ続けてしまう。だがだからこそその悲鳴が天にまで響き、割れずに神に届くのではなく神が降りてくるのだろう。
しかしその悲鳴を上げることすら怖くて出来ない場合だってある。
悲鳴は心の痛み。それを実体化させるということは、心の傷を認知することになる。それは痛みを改めて受け止め、感じることだ。
(だから私は自身の為に祈れない)
背負ったものの重さに耐え切れなくなってしまう。だからこそ、強い意志として口にする。〝絶対に帰る〟と。
けれど祈らずとも皆が背中を押してくれているから、きっと大丈夫。
「またここに、帰ってくる」
いつもならレイニーが言う言葉を口にするそれに、彼は驚いたように目を見開く。けれどすぐに嬉しそうに笑って好戦的な目で「あぁ」と頷いた。
「絶対に帰って来て、また二人きりの時間を取ろうな」
「一言多い」
「いで」
エリーゼのようにレイニーの肩を叩く。それに二人は笑いながらドアをくぐった。
パタンと閉まるそのドア。また他のアダムの使いが開ければ別の道へと続いているのだろう。
再び同じ道を通るには、帰りのカギを使うしかない。それすなわち、魔女を討伐したことを意味する。
もしかしたらこれは片道切符かもしれない。ここを通るのは最後かもしれない。だがそれでもアダムの使いとガーディアンは進むしかないのだ。
自分自身の為ではなく、魔女の為に『鎮魂の祈り』を捧げる為に。
――――たとえ、その先の未来で二人に何が待ち受けていようとも。
~ * ~
開いた先は石畳で、湿った匂いがした。
ゴロゴロと聞こえる雷の音は、もうすぐで一雨くることを予感させる。
「早めに済ませるぞ」
「あぁ」
陽が落ちたこの街、バルガヴェットはガス灯が点々と灯り、月がない暗闇の道しるべとなっている。
二人は周囲を警戒しながら歩き、大きな通りに出てみれば車が道の脇に停まっているだけで、人の姿も見当たらなかった。
ふと大きな建物に時計がついており、時間を見てみれば短い針が三の数字を指していた。この時間ならば皆が寝静まっていてもおかしくないかとシュガーレットは息を吐く。
以前討伐した魔女がいた街では、魔女の存在を人々は認知し恐れていた。そのため、早い時間から家の中で息を潜めていたのだが、ここはそれとは違うようだ。
(でも、なんだろう)
シュガーレットは胸元を押さえ、左右を確認する。
まだ魔女の姿はなく湿った空気が身体を纏っているだけなのに、妙に嫌な感覚がある。
「見当たらねぇな」
レイニーが呟き、腰に手を当てる。
溜息をついてこちらを振り返った彼に、シュガーレットは「あぁ」と出来るだけ普段と変わらないように頷いた。
「今回の討伐対象は無言の魔女だ。もしかしたら気配を隠す恐れもある」
「そうなると厄介だな」
舌打ちをする彼だったが、ふとシュガーレットに視線をやり「どうした?」と眉を寄せる。
「なにかあったか、シュガー」
またこちらを心配する言葉に、流石は相棒だと内心苦笑する。
前よりも敏感にこちらの心境を察知してくれるようになった。ありがたいことだが、それと同時に隠し事が出来なくなる。
いいのか悪いのか、微妙なところだ。
「・・・・・・少し、嫌な予感がする」
「嫌な予感?」
「あぁ」
シュガーレットは時計台に手を置き、ざらついたレンガのそれを撫でる。
「魔女の気配とかじゃなくて、妙に胸がざわつくんだ」
「不安、ということでもなさそうだな」
レイニーはそんなシュガーレットとは逆に大通りの方に視線をやり、警戒するように辺りを見る。
「まぁ、少し不気味な街ではあるよな」
暗闇にガス灯。雷の音に湿った空気。「幽霊でも出そうだ」とレイニーは苦笑した。
「いつもよりも警戒して行くぞ」
「あぁ」
シュガーレットは彼の言葉に頷き、また歩き出す。
静かな通りにコツンコツンと二人分の足音が響き、誰にも見えない筈の自分たちの存在が浮き彫りになっているような気がする。
――――と、不意に魔女の気配がし、シュガーレットは反射的に柄を握った。
レイニーも感じ取ったのだろう、彼も柄を握りこちらを守るように前へ出る。
「レインは前を頼む」
「了解」
そう言い、シュガーレットはクルリと向きを反転させ、背後に視線をやった。
だがそこには誰もいない。けれど魔女の気配があるため、道だけではなく建物の上にも気を配らなくては。彼女らが一体いつどこから襲いかかって来るか分からないのだから。
二人は無言で周囲を見渡すも、一向に姿は見えない。そしてその気配が動く様子もなく、シュガーレットは「少し移動しよう」と提案した。
レイニーは前を向いたまま、そしてシュガーレットは後ろを警戒しながら二人は道なりに進んでいく。
「シュガー」
彼の足が止まったと思えば、小さな声で呼ばれる。
どうしたのかと視線を向ければ、そこには横転した車があった。
事故だろうか、周りには入らないようロープで囲われている。だが問題はその先だ。
ゆらゆらと揺れる黒い影。短い髪の毛にボタンの瞳。口は糸で縫い止められている。まるで事故現場を見ているかのように、そこに魔女がいた。
「・・・・・・一旦脇道に入るぞ」
そう言い、二人は足音と気配を消しながら細い脇道に入っていった。
壁に背を当て、レイニーが覗き込むようにしながら魔女を監視する。
「あの魔女、こっちに気付いてる感じじゃねぇな」
「大きさからいって、他の人間を殺めたような様子もない」
共闘した時の怖がりな魔女と比べる必要も無いほど、人間と変わらぬ大きさだ。
しかしだからといえど油断は禁物。二人はしばらくそのまま魔女を見ていたが、彼女が動く様子はない。
「あの魔女はあそこで何をしているんだ」
「さぁな。特に何かしているわけでもなさそうだ」
「・・・・・・背後に回ってそのまま鎮魂の祈りを捧げてみる」
シュガーレットが剣を抜くと、レイニーはそれに反対した。
「ちょっと待てよシュガー。相手がどういう風に攻撃してくるかも分からないのに危険すぎる」
「だが、だからといってあえて挑発して相手をする方が危険性が増す。ならば静かにしている今、隙を狙うのが一番だ」
そう言い、脇道から路地裏へと入っていく。少し遠回りしたとしてのあの魔女の背後に回れるだろう。
歩き出したシュガーレットにレイニーは「そうだけどよっ」とまだ不安そうな声を上げつつも、ついてくる。
「途中なにかあれば俺があいだに入るからな」
「・・・・・・・・・・・・」
その言葉にピクリと眉を動かす。
鎮魂の祈りの途中でまたこの間のようなことになれば、きっと今度はレイニーがこちらを守る為に身を犠牲にするのだろう。
(もうあんなことはならない)
それでも絶対とは言い切れない以上、不安は残る。
「レイン」
シュガーレットは剣を抜き身のまま足を止め振り返る。そして強く言った。
「今回も前みたいに鎮魂の祈りが最後まで行えないかもしれない」
「・・・・・・・・・・・・」
「そうならないよう私も努力する。だがもし途中でまた止まってしまった場合、私の盾になるのではなく、私の名前を強く呼んでくれ」
「・・・・・・鎮魂の祈りが最後まで行えない理由は言わないんだな」
こちらの言葉に怒るでもなく、疑問を含ませるわけでもなく静かにそう言うレイニーに、シュガーレットは「すまない」と謝る。
すると彼は溜息をついてからグシャグシャとこちらの頭をかき混ぜた。
「わっ」
「まぁ、俺もシュガーが言うのを待つって決めてるからな」
「いいよ、言わなくて」とレイニーは笑い、髪留めを外して手ぐしで髪の毛を綺麗に結び直す。そして今度は乱れぬよう、ポンポンと軽く叩いてから彼も刀を抜いた。
「一秒でも長く一緒にいる。その約束も忘れてない。それでも、ガーディアンである以上、お前を優先するからな」
「あぁ。分かっている」
シュガーレットは頷き、瞼を閉じて一呼吸置く。そして瞼を上げた時にはもう迷いなどない。
しっかりしなくては魔女を討伐することも、レイニーを守ることも出来ない。そんなこと、もう許さない。
エリオットの死を無駄にはしない。
「行くぞ」
レイニーが結んでくれた髪の尻尾を揺らし、走り出す。
魔女の姿が見えなくなるが、動いた気配はない。
シュガーレットはこの辺りだろうと道を曲がり、少しだけスピードを落とす。すると少し離れた向こうに、魔女の背中が見えた。
目視でも動いた様子はなく、こちらを気にするような動きもない。
そのまま跳躍することも出来るが、魔女がいる手前にあるガス灯を蹴った方が何かあった時に対応しやすいだろう。
シュガーレットは姿勢を低くして息を吐き、吸う。そして先ほどよりも速く駆けた。
魔女に近づいていくが、それでも彼女は振り返らない。
(なにを彼女は見ているんだ?)
そう思った瞬間、ゆっくりと視界に色が無くなっていくことに気がついた。
「――――っ!」
シュガーレットは意識を保たせるように首を横に振る。すると目の前の魔女が振り返り、両手を広げた。
「シュガー!」
レイニーの声が響く。けれどなぜだろう、彼女が何もしてこないことをシュガーレットは〝分かっていた〟
ガス灯を蹴り、跳躍する。すると薄らとまるでフィルターが掛かったかのように目の前に魔女が人間だった頃の姿が重なった。
≪私は、ありがとうって言いたかったの≫
まるで脳に直接話し掛けられているかのような感覚。
聞いてやりたい気持ち。もう大丈夫だと抱きしめてやりたい。だが――――
「すまないっ」
そんな視界の端にいるレイニーの姿に、守るべき存在を思い出される。
シュガーレットは剣を両手で持ち、そのまま鎮魂の祈りを口にした。
『アメリア・ナイトベル、我が名はアダムの使いシュガーレット』
≪喋ることをやめた私に、声を聞きたいと言ってくれた彼に、≫
『汝の魂を解放すべし者』
≪ありがとうって言いたかっただけなの≫
ボタンの瞳と、人間だった時の瞳がこちらを見る。
寂しげな笑顔は胸を切なくさせ、握る手を緩ませる。だがシュガーレットは強く彼女の額から下半身にかけて一気に切った。
『最期の産声を上げ、泣き叫べ。さすれば神が汝を見つけ――――』
頭を上げ、シュガーレットは泣きそうな顔をしながら、目の前にいるアメリア・ナイトベルと向かい合う。
『終焉の加護を授け賜わん』
人間の頃の彼女はそのまま残り、魔女と化してしまったそれが黒い霧を吐き出す。そして光の球を輝かせた。
その目の前で、彼女の思念が映像として映し出される。
――――どうして私は皆に嫌われるのかな。どこに行ってもひとりぼっちで、私には居場所なんてない。
――――それならもう話すことはやめて、気配も消して生きていこう。そして静かに誰にも気付かれることなく、死んでしまおう。
――――ハンカチを拾っただけなのに、どうしてそんなにも優しくしてくれるの? 私のことなんて放っておけばいいのに。
≪彼は私の声を聞きたいって言ってくれた。こんな私と話したいって言ってくれたの≫
いつもならば浄化されていく魔女を見送るだけなのだが、人間の彼女がシュガーレットに話し掛ける。
≪だから私はここで待ち合わせをして。それで会ったらお礼を言おうと思っていたのに、車が突っ込んできて――――≫
アメリア・ナイトベルは横転した車を見てから、こちらへ視線を戻し苦笑した。
≪彼にお礼を言えないまま死んでしまった≫
「・・・・・・そうか」
シュガーレットは小さく頷く。
他に何が言えよう。もう彼女は死んでしまっているのだ。出来ることは何もない。
≪もっと早く、聞きたいと言ってくれた時に話しておけば良かった≫
「いま、私が貴方の声を聞いている」
泣きそうな顔で何とか笑顔を作って、シュガーレットは言った。
「綺麗な声だ」
≪・・・・・・ありがとう≫
彼女は少し驚いたような顔をしてから嬉しそうに笑い、そのまま光の球と一緒に薄く消えていく。
最期にもう一度、ありがとうと言うと、そのまま何も残ることなく浄化されていった。
「シュガー・・・・・・」
見送ったシュガーレットに、レイニーが横に並ぶ。
心配そうな様子に、シュガーレットは「なぁレイン」と静かに聞いた。
「お前には、あの魔女が人間だった頃の姿は見えたか?」
「・・・・・・いや、何も見えなかった」
そこに魔女がいただけだと答えた彼に、シュガーレットは目を閉じて俯く。
(私だけ、か)
目の縁に溜まっていた涙を石畳に零してから、顔を上げて彼の名前を呼んだ。
「レイン、私もどうしてか分からないんだが――――」
これ以上隠していても危険が増えるだけだ。全て話そう。
そう決意し話し始めたのだが、突如感じた魔女の気配。
「――――っ!?」
二人はその気配がした、先ほどまで自分たちがいた時計台の方を見た。
そこには長い髪の毛を揺らし、両手をこちらに伸ばした状態で浮いている魔女がいた。
時計ほどの大きさはないけれど、それでもこの距離でも存在がハッキリ分かるのだ。先ほどの魔女とは違い、人を殺め、力がある魔女だろう。
「な、んでまた魔女が・・・・・・っ」
驚きを隠せない二人に、その魔女は少しだけ身を引いたかと思うと消えた、否、見えないほどのスピードでこちらに向かってきた。
「レイン、避けろ!」
「っ!」
咄嗟に二人は左右に跳躍し、魔女を避ける。だが、すぐに魔女もクルンと方向転換し、レインへと迫った。
「レインっ!」
「くそ!」
彼は刀を握り、魔女をそれで受け止める。瞬間、ガキィン! と、まるで刃と刃がぶつかり合ったような音がした。
「シュガーっ、こいつっ、腕が刃物に変形してる!」
「なっ!」
だから先ほどの音が鳴ったのかと理解し、シュガーレットも剣を構えて魔女に切っ先を刺す――――が、もう片方の手のひらでそれを止められた。
(二人がかりでこれか!)
右手でレイニーに斬りかかり、左手のひらでこちらの剣を防ぐ。かなりの力が掛かっているだろうに、魔女を押すことも出来ない。
「レインっ、一度引っ掛けて放るぞ!」
「出来るか!」と問えば、「やってやんよ!」と好戦的な言葉が返ってくる。
腕で斬りかかられているレイニーの方が難しいだろう。こちらの方が先に少しでも浮かせる必要がある。
シュガーレットは切っ先を押し込む力を強くした。
「3カウント! 3・2・1っ!」
強く押していた剣を、わざと下へと滑らせる。そして肘あたりまで下がったそれを柄を両手で持って剣を横にする。切れない側面で肘を持つようにして宙へ放るよう力を込める。
「だああっ!」
レイニーも刀を側面にし、両手で無理矢理押した上で、少し浮いた腕を見落とさず身体に切っ先を入れるも、シュガーレットと同じように手のひらで防がれる。
だが二人に押された魔女はこちらの狙い通り宙に放り出される形になった。
その隙に路地裏へと走り、隠れる。
「な、何なんだよ一体っ!」
二人で背中合わせに得物を構えたまま、レイニーは小さめな声だが混乱を口にする。
「さっき魔女は討伐した筈だ!」
「・・・・・・エリーゼが魔女が多発していると言っていた」
「でもそれは任務が増えたってことだろ!?」
話ながら上空も警戒しなくてはならない。
魔女の気配が動いているのは分かるが、一体どこからどうやって現れるかは予測がつかないのだから。
「一旦引かないと、こっちがやられる!」
「・・・・・・・・・・・・」
魔女をこの街に放置などしたくない。もしかしたらまたここにアダムの使いが来る前にまた人が殺される可能性だってある。
しかしここは一旦引かざるを得ない。
「分かった。いまカギを・・・・・・っ」
カギを取り出そうとした瞬間、ぞわりと嫌な感覚が走った。
(まさか、最初に感じていた嫌な感覚はこれだったのか!?)
シュガーレットはほとんど反射で剣を上空に突き出した。するとまたぶつかり合う音が響く。
「レイ、ンっ!」
上から押される力は強く、膝が地面についてしまいそうだ。
顔を歪ませ上を見れば、ボタンの瞳と目が合った。
(あ・・・・・・)
その黒い向こう側に見えたのは、彼女が人間だった時の姿。ハサミを持ち、笑顔で誰かの髪の毛を切っている姿だった。
「こンの、てめぇっ・・・・・・!」
ボタンの瞳の奥に吸い込まれるように見入っていたシュガーレットだったが、不意に押しが弱くなり、魔女の下から転がり出る。
≪あアぁァあぁァァ!≫
聞こえた魔女の悲鳴に何があったのかと確認する前に、レイニーに腕を引かれ走り出す。
しかしすぐ後ろからガンガンガンガンと金属が石畳を叩く音が聞こえ、追いかけて来ていることが窺えた。
「シュガーっ、怪我は?」
「ない! 何があった!」
「脚を切った!」
二人は逃げ走る。
「あの魔女、腕と手だけが刃物になってるが、他は普通の身体と同じだ!」
「っ、レイニーしゃがめ!」
シュガーレットはレイニーに覆い被さるように転がった。するとその上を魔女が両腕を構えながら通り過ぎていった。
あのまま走っていたら首が飛んでいただろう。
「一旦大通りに戻った方がいい」
「戻ったらドアが無いだろ!」
「カギを開ける余裕なんか今は無い!」
再び戻ってきた魔女に二人はまた二手に分かれ壁を走る。そして跳躍することでそれを避ければ、もうそこは大通りだった。
「でもシュガーっ、俺たちはあの魔女の名前を知らないんだぞ!」
そう叫んだレイニーに、シュガーレットは唇を噛み締める。
鎮魂の祈りを行うには魔女の名前が必須である。だからこそ、任務の際の手紙には必ず魔女の名前が書かれているのだ。
名前が分からなければ鎮魂の祈りは行えない、故に魔女を討伐することは不可能。
帰りのカギは使えるが、一度しか使えない。もし途中で邪魔が入ってしまえば帰れなくなる。
魔女がいる限り別のアダムの使いが来る可能性があるが、それまで生き残れるか。体力に限界が来るだろう。
(あの魔女が簡単にドアを開けさせる暇を作ってくれるとは思えない)
脚を切ってもあのスピードで追いかけてくるのだ。たとえもう片方の脚を切っても時間を稼ぐことは無理だ。
ならばもうこうするしかない。
「レイン。私を信じてくれるか?」
「は? なにを急、にっ!」
再び切りつけてくる魔女を刀で流し、宙へと戻す。
途中、シュガーレットも剣を振るうが、軽々と宙返りをして避けられてしまう。
魔女と向かい合ったまま、レイニーに続けた。
「彼女の記憶を読み取る」
「どういう意味だ」
「そのままの意味、だっ!」
真っ正面で魔女を受け止め、浮いた状態の脚を己の脚で引っ掛ける。するとバランスを崩した彼女にシュガーレットは覆い被さるようにし、剣を横にして両手でその手を押さえつけた。
「レイン! 地面に刺さるまで腹を刺せ! 早く!」
「くそっ、わぁったよ!」
レイニーはシュガーレットの隣に立ち、魔女の腹に思い切り刃で貫いた。
下は石畳だ。鈍い音と魔女の短い悲鳴が聞こえるも、すぐにシュガーレットは次のことを伝える。
「このまま魔女を固定していたいっ」
「そんなに深く石畳には刺さらなかったから無理だ!」
「それでもいい! ここで魔女を上から押さえつけていて欲しいんだ! お前にも!」
押し返される強い力に、シュガーレットの額には汗が浮かぶ。
それでもなんとかこのまま、魔女と顔を合わせていなければいけない。
「私がこの魔女の名前を探る! だからこのまま保っていてくれ!」
「そんなこと・・・・・・っ!」
出来るわけがない! と続けたかったのだろう。だが、最初に言った『信じてくれるか』を思い出したに違いない。。
レイニーは途中で言葉を止め、頭をガリガリ掻いてからシュガーレットの後ろから手を重ねるようにして上から力を込めた。
それだけでシュガーレットが込めていた力が大分軽減される。だがレイニーの体力だって無限では無い。
「バカシュガー。俺がシュガーのことを信じてないわけねぇだろ」
「ありがとう、レイン」
シュガーレットは言い、深呼吸をした。
「じゃあ、行ってくる」
目の前にいる魔女のボタンの瞳と目を合わせる。そのもっと奥にいる自分の瞳とぶつかった。
瞬間、一気に視界に色が無くなり、モザイクがかかるかのように視界が歪む。そしてあの時のように暗くなり、目の前には先ほど見たあの魔女の人間だった頃の姿の女性が立っていた。
≪なんで、こんな目に遭うのよ≫
両手を眼前に出し、腕を震わせながらそれを見る。
腕には包帯が巻かれており、手は魔女の時とは違い、肌色のものだ。
時間がない。シュガーレットは境界線の向こう側にいる彼女に声を掛けた。
「どうしたんだ、その腕は」
≪なによ、あんた≫
下から睨付けるその顔は、先ほど見た笑顔とはほど遠い。
憎しみが込められた、なんとも悲しい表情だった。
≪あんたも私に嫉妬? でも残念、いえ、良かったじゃない。もう私は誰の髪も切れないわよ≫
彼女はそう言い、両手のひらを見せる。
傷一つないそれだが、≪ははははっ!≫と笑いながら続けた。
≪同じ店の人に腕切られて、指が全く動かなくなっちゃったんだから!≫
「なっ・・・・・・」
驚きに目を見開く。
「なんで、どうしてそんなことを!」
≪私に髪を切って欲しい人が多くて、嫉妬したのよ。魔性の女は別の店で働けってね≫
彼女は自虐的な笑みを浮かべ、動かなくなった手を見た。
≪きっとあいつらもここまでするつもりじゃなかったでしょうけど、結果もうハサミも握れない。片腕だけならまだ良かったのにさ・・・・・・≫
「片腕なら良いっていうことじゃないだろう! そんな嫉妬で人を傷つけていいわけがない!」
≪あんた・・・・・・私のこと嫉妬してる人じゃないの?≫
「違う」
シュガーレットは首を横に振り言う。
「私はシュガーレット。貴方を救いたいと思っている者だ」
≪私を救いに・・・・・・? あっはははは! バカね、あんた!≫
彼女はカツカツと近寄り、シュガーレットの目の前まで顔を近づけた。
≪私を救うなんて無理よ! この手はもう動かない! どう足掻いたって、誰かの髪の毛を整えてあげることも、綺麗にしてあげることも叶わないんだから!≫
泣きそうなのに、無理矢理笑ってみせる彼女に胸が痛い。
そうだ。もう彼女の動かない手を戻すことは出来ない。魔女になった彼女の腕がどうして刃物だったのか――――再びハサミを握って髪の毛を切ってあげたいという思いからだと、それを理解したところで慰める言葉なんて出てこない。
「それでも・・・・・・」
シュガーレットは手を伸ばす。
足は動かない。けれどどうか、どうか。
「貴方の手はきっと、素敵だったのだろうな」
前には届かなかった手。境界線の向こうに行けなかったが、今回はゆっくりと超えて彼女の手を取った。
ひんやりとしたそれ。ビクリと彼女自身が震える。
「沢山の人を喜ばせて、心地よさや喜びを与えていたのだろう」
レイニーが結んでくれた髪の毛が揺れた。
「そんな手を、これからも大切にして欲しい」
冷たいそれを温めるように、自分の手で包み込む。
少しでも温まりますように。少しでも心に安らぎが訪れますように。
「今まで人に与えてばかりだったんだ。今度はもらう側にもらってもいいんじゃないか?」
それに。
「まだ貴方は、私の頭を撫でることも出来るぞ」
温めていた手を自分の頭に乗せる。
そして流れるように動かしていれば、彼女の腕がゆっくりと自らの意思で動き始めた。
≪ばか、じゃないの・・・・・・≫
表情を歪め、ぽろぽろ涙を零す。
その間も腕を動かし、指は動かなくともその手が頭を撫でていく。
優しい手つきに、シュガーレットは笑みを浮かべた。
「はは、ありがとう」
≪なにが、ありがとうよ≫
睨付けてくるそれは先ほどの憎しみの感情はなく、切なさを含んだもの。
頭を撫でる手をそっと下におろし、強く握りしめた。
「嬉しかったから」
≪・・・・・・ほんとにバカね、あんたは≫
涙を流しながらも、ようやく彼女は笑みを見せた。するとその身体が光り始め、その姿が薄くなっていく。
≪私の名前は、ミア・ニットネア≫
名前を告げ、そして続けた。
≪どうか私を止めてやって≫
「・・・・・・あぁ!」
苦笑しながら言った彼女の言葉に驚き目を見開く。どうやら魔女になってしまったことをどうやら理解しているようだ。
シュガーレットは強く頷き、約束した。
「必ず貴方を浄化する」
≪・・・・・・ありがとう、シュガーレット≫
そのままミア・ニットネアの姿は光と共に消えていく。
握りしめていた手が自分の手とぶつかり、その手を強く握りしめ、祈るように額にぶつけ目を閉じる。
苦しみの中で魔女になってしまった彼女を、どうか、どうか!
「――――っ」
顔を上げ、強く目を開ける。そして息を吸って叫んだ。
「レイン! 待たせた!」
瞬間、目の前に魔女の姿のミア・ニットネアがいた。
手のひらと剣がぶつかり合い、ギチギチと押し合う音が響いている。
「あぁっ、そろそろっ、限界だ!」
後ろから聞こえる荒い呼吸に、シュガーレットは「助かった!」と礼を言う。
「魔女に押し返されるまま跳ぶぞ!」
「りょーかい!」
「せーのっ!」と二人で声を揃えて言い、込めていた力を抜く。すると魔女の手が剣越しに押し、二人はそのまま宙に放り出される。
地面に着地する前に身体に刺さっていたレイニーの刀を抜いて迫ってくる魔女にシュガーレットはまた両手で剣の刃を餅、その腕を上空へ流した。
体勢を崩したシュガーレットだったが、先に着地していたレイニーがその身体を受け止めてくれる。
「悪い」と立ち上がりレイニーの顔を見ると、額から流れる汗が顎にまで伝っていて、かなり頑張ってくれてたことが窺えた。
突然のことだったのに彼は信じて力を尽くしてくれていたのだ。
「問題ねぇよ」
レイニーはニッと笑い、手の甲で顎に伝った汗を拭う。そして「で?」と続けた。
「あの魔女の名前は分かったのか?」
「あぁ」
宙に浮きながらこちらを見下ろす魔女を見る。
「あとは鎮魂の祈りを捧げるだけだ」
「・・・・・・俺の刀は向こうだな」
魔女が抜いて放り投げたレイニーの刀は少し向こうに落ちていた。
このままでは彼が丸腰だ。迫られたらひとたまりもない。
しかしシュガーレットは自分を落ち着かせるように深く呼吸を繰り返し、レイニーに言った。
「レイン、まだカラスになって素早く飛ぶ力はあるか?」
「あぁ」
頷きつつも、「でも」と悔しそうにした。
「最速は無理だな。きっとあの魔女の速さについていくので精一杯だ。多分長くも持たない」
「それでいい。カラスになってあの刀まで飛んでくれ」
「ようするにカラスで視線を追わせた後に刀を取って魔女の相手をすればいいんだな?」
「あぁ。斬りかかってきた彼女を、そのまま刀で受け止めて欲しい。だが、押されて構わない。むしろそのまま押されてくれ」
「・・・・・・足に力は入れなくていいってことか」
それを聞いたレイニーは刀が落ちている所と、先ほどの事故現場を見る。
先ほどまでいた魔女はもう浄化していて、横転している車があるだけだ。だがそれで十分である。
「でもシュガーの剣をまた片手で防いでくるんじゃないか?」
「それでもいい」
シュガーレットは頷き、魔女を見る。
ピシャっと雷雲が光り、石畳に黒い影が映った。それと同時に見えた魔女の表情は泣いているようにも見えたが、彼女のあの笑顔が重なって、強く柄を握りしめた。
「一瞬だけ、彼女の動きを止める」
「止められるのか?」
「正直賭けだが、きっと止められる」
「・・・・・・・・・・・・」
しばらく彼はこちらを見つめ、それから溜息をついた。
まだ流れている汗を拭うように前髪を掻き上げる。
「今度、俺の我儘ひとつ聞けよ」
「・・・・・・分かった」
「その間は何だと言いたいとこだが、言質は取ったからな」
レイニーは笑い、黒い靄を出してカラスの姿に変えた。
「んじゃ、よろしく頼むぞアダムの使い!」
その言葉を残し、カラス姿の彼が飛んでいく。
魔女の気を引くためだろうか、少し大きめな円を描いて飛んでいるのを見て、「あのバカっ」とシュガーレットは無意識に口に出す。
だがその効果があってか、また両手を前に出しながら魔女が彼に迫っていった。
あとはレイニーが刀のところまで行くのに間に合うかだが、魔女の素早さが少しだけ落ちている。
押し合いをしている時に体力を消費したのか、それとも腹に刀を刺したのが効いているのか。分からないが、ありがたい誤算だった。
無事レイニーは人間の姿で刀を横にグッと構えたところで、魔女の手がそれにぶつかる。
それを見つめながらシュガーレットは気配を消して走り走り出した。
――――ザザザザ!
大きな音が響く。
レイニーが魔女に押され、靴と石畳が擦れる音だ。それを聞きながらシュガーレットはあの事故現場まで行き、車に飛び乗った。
彼が押されながら魔女と共にこちらに向かってくる。
「・・・・・・・・・・・・」
深く深呼吸をし、気持ちを整える。
一瞬の勝負。賭けでしかないが、あの魔女が彼女ならば、絶対に止まる。
シュガーレットは近くなった彼らに、タイミングを合わせ跳躍した。
「ぐっ!」
歯を食いしばり、なんとか堪えているレイニーが視界に映るが今はそれを気にしている場合ではない。
跳躍と共に一緒についてきたのは、結ばれた髪の毛。
レイニーに向かって腕を伸ばしている魔女、その刃物と化している腕に向かって頭を差し出すように落ちていく。
「シュガー!?」
驚きに彼が名前を呼ぶ。それはそうだろう。このまま頭から落ちれば死んでしまう。
けれどシュガーレットはその頭を少しだけ横にずらし、結ばれた髪の毛の先端を手に持った。
魔女がこちらに気づき、片腕を上げる。手のひらがこちらを向いたのを良いことに、その腕の刃を使って、結ばれた髪の毛を切
った。
指先が頬に当ったため、一筋の傷が出来るが問題ない。
パサっと広がる、切られたシュガーレットの赤い髪の毛。
≪あ、ああ、あああっ≫
瞬間、先ほどまで押していたレイニーの刀からも手を離し、両手を見つめるようにしながら呻き始めた。
彼女の手に、切れたシュガーレットの髪の毛が引っかかっている。
(よし!)
肩から落ちた身体を素早く起こし、「レイン!」と名前を呼ぶ。するとハッとした彼は、エリオットのように両手を差し出しシュガーレットの跳躍を手伝う。
『ミア・ニットネア』
本来ならば知り得ない名前を口にする。
『我が名はアダムの使いシュガーレット』
跳んで落ちる先は、まだ自身の手を見る魔女。
『汝の魂を解放すべし者』
否、髪の毛を切った彼女だ。
絶対浄化すると約束した、あの彼女がそこにいる。
『最期の産声を上げ、泣き叫べ。さすれば神が汝を見つけ――――』
剣を両手に持ち、そのまま重力に逆らわず頭へと。
『終焉の加護を授け賜わん』
一気に貫いた彼女は、他の魔女と同様に黒い霧を吐き出し、光の球へと変化していく。
それを見つめていると、ポツリと雫が頬に当った。
――――いらっしゃい! 今日はどのような髪型にします? えぇ? 私の好きなようにって、ダメですよそれじゃ!
――――ちょ、何をするの!? やめて、やめてよ、やめてぇぇぇぇ!
――――もう痛みも感じない。こんな動かない手に何の価値があるの? 私はもう、全部終わったわ。
涙かと思ったそれはついに降り出した雨だった。
だんだん強くなっていくそれに濡れながら、シュガーレットは笑顔を浮かべて最期を見送る。
「ありがとう、ミア・ニットネア。貴方の手は最期まで優しかった」
撫でられた頭の感触を思い出す。優しかったそれは、彼女の本来の心だろう。
どうか少しでも安らかに眠れますように。
「シュガァァァァ!」
「ん?」
雨と雷の音に負けない声が隣から聞こえ、隣を見る。するとそこには刀を拾い柄に戻し終わったレイニーが濡れながらも手をワナワナと震わせていた。
「おま、髪っ、髪の毛!」
「あぁ」
まだ結べているが、先ほどよりも短くなったその髪の尻尾。
綺麗に切れた為、ガタガタになることもなく揃っている。適当に切ったとは誰も思わないだろう。
しかしレイニーは「髪が、髪がっ」と嘆く。
「いいだろう、髪の毛くらい」
「よくねぇよ! 俺がどれだけ大事に今まで切ってきたと思ってんだ!」
「・・・・・・まぁ、確かに伸びたらお前が切ってくれていたが」
そこまで気にするかと溜息をつく。
「帰ったらお前がまた好きなように切ればいいだろ」
「そういうことじゃねぇんだよ!」
「はいはい。もう帰るぞ」
シュガーレットは適当にいなし、大通りからドアがありそうな裏路地へと入っていく。
雨も強い。すでにぐっしょり濡れてしまった身体は着替えるよりも風呂に直行だろう。
(無事、任務完了出来たな)
まさか魔女が二人も現れるなんて思ってもいなかった。
もしかしたら帰ってこないアダムの使いが多いのはそのせいなのかもしれない。
自分たちだって魔女の名前が分からなければきっと帰ることも出来ず殺されていただろう。
「記憶、か・・・・・・」
シュガーレットは足を止め、呟く。
「シュガー?」
「・・・・・・なぁレイン」
雨に打たれ、髪の毛が頬に貼り付く。
切れたそこは浅かったらしく、雫のおかげで血は目立たずにすみ、レイニーにいらぬ心配を掛けずにすんでいた。
けれど、これから話すことはきっと彼を困らせるだろう。
魔女が人間だった頃の記憶。しかしただ記憶を見るのではなく、その人間だった彼女たちと話すことが出来ること。
それはたまたまではなく、自分の意思で出来ることも今回分かった。
鎮魂の祈りを遮ることは無かったが、また彼女たちと言葉を交わすことになったら――――
「どうして、私は魔女になってしまった彼女たちと話が出来るのだろうな」
「・・・・・・・・・・・・」
石畳を叩く雨音が大きく感じられる。
その中で自嘲的に笑ってしまう自分は、一体なんなのだろう。
「私は、どこか・・・・・・」
ただ、余計に彼を困らせてしまうだけのに。
「どこか、おかしいのかもしれない」
「――――そうだな」
そう返事をしたのは、彼の声ではなかった。
向かい合うレイニーも驚きの表情を顔に浮かべ、しかし次の瞬間シュガーレットを抱き寄せる。
ガス灯の光が雨のせいで歪んでしまい、淡いそれは奥まで届かない。しかし、路地裏の影から現れた彼の姿を雷の光が照らしてくれた。
「ナイ、レン?」
同じように雨に濡れた、ナイレンの姿。
彼はレイニーよりも少し長い刀を手に持ち、静かに告げた。
「死んでおけ、シュガーレット」