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⑦休息


「鎮魂の祈りのとき以外にも思念が見えたらしいネ」

「ボクたちが思うに、それは記憶の混同だと思うノ」


 双子の博士は袖を揺らしながら、王座に座るクリスタルに向かって言う。

 黒豹は静かにその双子を見つめるも、時折溜息のような息を吐いていた。

 仮面に隠されたクリスタルの顔は鼻から下しか分からない。しかし笑う様子もない彼は双子からの報告に、なんの感情も含まれていない声で聞き返した。


「それが意味するのは?」

「さぁ? 分からないノ」


 ノノはメトロノームのように頭を左右に揺らす。するとネネもそれに続くように同じ方向に揺らした。


「覚醒するのか、それともそのままなのか、全く分からないネ」

「害が出る前に処理するようナイレンには言ってある」

「それはちょっとやめて欲しいノ!」

「簡単に処理とか言わないで欲しいネ!」


 怒りだした双子を、クリスタルあくまで静かに見守る。


「あれは大切なものなノ! 次に同じものが作れるか分からないノ!」

「たとえ少し害が出たとしても、それも貴重な情報なのネ!」


 揺れる白衣は綺麗すぎるほど白色だ。


「そうそう、失敗ならそれもそれで結果なノ」

「実験に無意味な結果なんてないよネ」


 ケタケタ笑う双子に溜息をついたのは黒豹で、今日も彼らは平和に狂っていると誰にも聞かれない心の中でそう呟いた。



~ * ~



 ためらいなんて一つも見えなかった。

 当たり前のようにエリーゼの元まで跳び、神に祈るように手を組んだ――――もしかしたら本当に神に祈っていたのかもしれない。

 恐怖の色なんてどこにもなかった彼は、きっとエリーゼの成功と無事しか願わなかっただろう。

 自分が助かりますようになんて、微塵も思わなかったに違いない。


 スローモーションで全てが動く。


 跳ぶ力も無いと言っていたエリーゼが身体を張って助けてくれた自分を、レイニーが受け止める。

 迫った影に彼女の名前を叫ぶことしか出来ない自分とは違って、彼ももう限界に近かっただろうにエリオットは跳躍した。

 影をサーベルで弾くことをしなかったのではない。エリーゼを魔女の頭上へと跳ばすには両腕の力を限界まで使わなければいけなかった。それだけ二人は疲れていたし、きっと黒いスーツで分からなかったけれど怪我もしていたのだろう。

 だからエリオットはサーベルを投げ捨て、エリーゼを跳ばすことに全力を尽くした。そしてエリーゼもそれを理解して跳んだ。


 影がエリオットの身体を貫く。

 何本も彼の身体を刺し、鮮血を溢れさせる。


 手を伸ばした。けれど届かなくて、レイニーの背中を叩いても離してくれなくて、公園の砂場にそっと置かれた。

 だがその次には、レイニーがすぐに反転した。彼がどんな顔をしていたのか分からない。

 立ち上がろうと砂場に手をついた自分はそのまま結局起き上がることも出来ず、地面へ落ちてしまったエリオットの身体を抱き上げるレイニーを見つめていた。


 鎮魂の祈りをどうして最後まで言えなかったのか。

 突然視界に人間だった時の魔女の姿が見えたんだと、気付けばアヤノ・チトセが目の前で泣く空間にいたんだと、誰かに訴えたら楽になるのだろうか。

 あんなものが見えなければ自分だってあのまま剣を放すこともなかった――――なんて、言い訳でしかない。

 どうして視界がああいう状態になったのかは分からない。前の時のように強い思念を魔女が持っていて、その渦に飲まれてしまったとか、自分に都合のいいことはいくらでも考えられる。

 何をどう言い訳をしたところで、事実を述べたところで、後悔や反省をしたところで、エリオットが死んでしまったということはもう変えられない。

 エリオットはもういないのだ。


「シュガー」


 コンコンとドアが叩かれ、名前を呼ばれる。

 部屋に籠もってどれくらいの時間が経っただろう。彼が食事を運んできてくれたけれど、手を付けた記憶はない。

 何度も何度もエリオットの姿が視界の先で再生され、涙が溢れてはそんな自分を嫌悪する。


「手紙が来た」

「・・・・・・・・・・・・」

「任務だ」


 レイニーの声に、ピクリとシュガーレットは反応する。

 枕から頭を持ち上げ、ドアの方を見る。きっとこの向こうには手紙を持ったレイニーがいるのだろう。

 任務は絶対だ。それこそアダムの使いの本能のように、その命令を従うのが当たり前なのだ。

 けれどシュガーレットはそのまま両手で顔を覆い、「行けない」と首を横に振った。


「任務には、行けない」

「シュガー」

「分かってるっ」


 手で拳を作り、ベッドを殴る。唇を噛み締め、震える手を自分の顔の前で広げた。

 爪が食い込んだ痕が視界に映る。たがこんな痛み、なんてことない。手のひらにポタポタと涙が落ちていく。


「私はアダムの使いだ、命令されればそこへ行かなくてはいけない。魔女を討伐しなければいけないっ! でも、私はっ!」


 息が詰まる。視界が歪む。

 自分の愚かさが、憎い。


「もしかしたら、レインまで死なせてしまうかもしれないっ!」


 自分でもどうしてああいう状況に陥ったのか分からない。

 強い気持ちを持って、魔女が泣いてようが怒っていようが、剣を向ければいいのか。そうすればいつものように鎮魂の祈りを遂げることが出来るのか?

 でも、またああならないという確証なんてどこにもない。双子の博士に相談したところで、そういう事例があるならばとうにアダムの使いの中で話題になっている筈だ。


「エリオットが死んだのは私のせいだっ! これでレインまで殺してしまったら、私は、私はっ!」


 バン! とドアが開く。

 樹で出来たそれは小さくミシと音を立てたが、壊れることなくレイニーを室内へ招いた。


「シュガー。そういうの良くないって分かってるよな」

「・・・・・・・・・・・・」

「そんなこと考え続けて、何の意味がある。自分を責めて何が生まれる? 言ってみろよ」

「お前には分からないっ!」


 ただ自分のミスで殺してしまった。そうやって捉えることも出来るが、ただのミスではないのだ。

(私は、どこかおかしい)

 でもそれも言い訳なのか?


「あぁ、分からねぇな」


 レイニーは言い、シュガーレットが座っているベッドに腰掛けた。

 体重で揺れたそれは、俯いているシュガーレットの結んでいない髪の毛を揺らした。


「確かにあの時、鎮魂の祈りを最後まで出来なかったシュガーには責任がある」

「――――っ、分かってる!」

「でも、お前を助けたのはエリーゼの責任だろ」

「っ!!」


 シュガーレットはカッとし、レイニーの胸ぐらを掴む。けれど彼は表情を変えるどころか、無表情であるにのにも関わらずこちらを射貫くような紺碧の瞳で見つめ返した。


「俺が助けることだって出来た。でも無理矢理跳んで影の的になったのはエリーゼだ」

「助けてくれたエリーゼに対してその言葉っ!!」

「ガーディアンからしたらそうなんだよ」


 胸ぐらを掴む震える手に、レイニーの手が重なる。


「俺が飛び込めば誰も死ななかったかもしれない。まぁ、俺が死んだかもしれない」

「お前、いい加減に殴るぞ」

「殴れば?」


 軽く彼は言い、重ねた手は軽く爪を立てた。


「俺が出るべきだった。シュガーのガーディアンは俺だ。俺が助けるべきだったのに、エリーゼに先を越された」

「レインっ」

「そういうもんなんだよっ!」


 シュガーレットのガーディアンはここで初めて苦しげに表情を変え、紺碧の瞳を炎のように揺らす。

 爪を立てられた手に少しの痛みを覚えた。


「ガーディアンはそういう存在だっ! シュガーが危なくなれば俺が守るべきなんだ! だからエリオットは何の迷いもなくエリーゼを守った!」


 あれが当たり前の形なのだと、彼は言う。


「ガーディアンはな、自分のアダムの使いを守る為にいる。それは存在の意義で、本能に近いのかもしれない。だがな、そんなもん以上に、自分の手で守りたいっていう意思があンだよ」


 レイニーは爪を立てていたことに気付いたのかハッとして指から力を抜く。そして少しだけ赤くなったそこを親指で撫で、それからゆっくりと胸ぐらから手を外させる。

 その手を両手で大切そうに包み込み、どこか泣きそうな顔でこちらに微笑みかけた。


「シュガーは、俺と出会った日のこと、覚えてるか?」



 ガーディアンは思念を強く抱きながら死んでしまった動物がなる存在。

 死んだ筈の自分が突然目を覚ましたら、白い部屋の中にいるんだ。そこで初めてあの双子のネネとノノに出会い、自分がガーディアンであることを理解させられる。


「そのとき名前なんてない。番号で呼ばれる。俺は1145番だった。もっと長い数字の奴もいたよ。でも番号っつーのは本当に正確というか、あの双子はガーディアンで実験をする」

「・・・・・・・・・・・・」

「魂、痛み、思念、感情とか、目に見えないものを調べたいっつってな。俺の鳥目も、本当は暗闇がダメだったんだ」


 紺碧の瞳を優しく細める。

「え」と声を上げたこちらがどんな顔をしているのか分からないが、大丈夫とでも言うように長い髪を耳にかけてくれた。


「元々どんな目の色をしていたかは知らない。鳥目だと戦えないからって、色々いじくられた」

「・・・・・・・・・・・・っ」

「でもこの色は気に入ってるから、もういい」


「シュガーとペアみたいだろ?」と笑う彼に、シュガーレットはまた一粒涙が零れ落ちる。


「そんな実験場で、俺らガーディアンはアダムの使いを待ち続ける。自分の名前を呼んでくれる日を」

「・・・・・・レイニー」

「そう。それが俺の名前」


 レイニーはシュガーレットの頭にいつものように頬ずりした。


「あの場所で、アダムの使いは名前を呼ぶ」



『じゃあ、名前を呼んで欲しいノ』

『その名前のガーディアンが来るからネ』


 いつも入る双子の研究室。そこで心の中に浮かんだ名前を口にする。


『レイニー』


 するとガチャリと入ったことのない奥のドアが開き、彼が出てくる。

 動物の姿ではなく、スーツ姿の人間の姿で。そして初めて互いに向かい合って、名前を呼ぶ。


『シュガーレットだ』

『シュガーレット。俺はカラスのレイニーだ』

『あぁ。よろしくな、レイニー』



「別に元々レイニーっていう名前じゃない。与えられた番号しか持ってないんだ。でも突然呼ばれる」


 俺たちガーディアンは逆にアダムの使いが双子と会う部屋に行ったことがない。

 声が聞こえたこともなければ、アダムの使いの姿を見たことも無い。あるのは同じガーディアンの声や悲鳴だけ。


「レイニーって名前を呼ぶ声が聞こえて、俺のことだって思う。そして気付いたら黒いスーツ姿になって、ドアを開けるんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

「この名前はシュガーレットがくれた名前で、俺のことを見つけてくれたんだ。だから、俺らガーディアンは何があっても自分を選んでくれたアダムの使いを守りたいと思う」


 頬ずりから額と額を合わせる。ぽたりと落ちてきた一滴がシュガーレットの手の甲を濡らした。


「エリオットは守りたい奴を守って死ねた。それはガーディアンである自分のこれ以上ないほどの喜びだ」


 声は震えていない。けれどまた落ちた雫に、シュガーレットは彼を強く抱きしめた。

 そんなことを喜びにしないで欲しいと思っても、きっとそれは彼らからしたら残酷な言葉でしかないのだろう。

「シュガー」と、背中にそっと腕を回しレイニーは言った。


「いつか俺もエリオットのようにシュガーを守る為に死ぬかもしれない。いつだって死は突然だ」


 静かに彼は言う。

 けれどきっとそれはアダムの使いにとっては残酷な言葉にはならないに違いない。

 ガーディアンはそういう存在だと理解しているからだ。

 それでも死んで欲しくないと思う気持ちはどうしても抱いてしまう、それこそ本能とかではなく、願望だ。


「きっと俺が死んだらシュガーは自分を責めるだろう。それこそエリオットが死んだのは自分のせいだと責めたように」

「・・・・・・・・・・・・」

「でも、そんな風に責めなくていい。苦しまないでくれ。俺たちは命をかけて守れたことに幸せを覚えるんだから」


 身体が離れ、視線が絡まる。

 何度だって見た紺碧の瞳が濡れ、揺れていた。

 それでも優しい笑みのレイニーに、涙がぼろりとまた零れてしまう。


「どうか笑ってくれシュガーレット。泣くのは死んだその日だけにして、次の日には笑って新たなガーディアンを迎えるんだ――――きっとそのガーディアンも、生まれ変わった俺だから」


 額にかかった髪の毛を指でそっと退かし、唇が触れた。


「また俺を見つけて欲しい」


 なんて優しくて、悲しい言葉なのだろう。

 シュガーレットは涙を拭い、「あぁ」と頷く。安心しろと笑ってみせた。


「何度でもお前を見つけてやる。だからしっかり私を守れ、レイニー」


 でも、と泣きそうになってしまうのは許して欲しい。


「出来るだけ死ぬな。私を置いて、逝くな」

「シュガー・・・・・・」

「分かっている。ちゃんと理解した。それでも言わせてくれ。約束してくれ」


 彼がしてくれたように額に口付けを返すことはしない。

 きっとそれは死してしまったガーディアンにすることだから。

 だから代わりとばかりにレイニーの手を取って、その甲に唇を落とした。


「自分のことも大切にして、私と一秒でも長く一緒にいて欲しい」

「・・・・・・なんか俺の方が姫みたいじゃねぇか」


 くはっと笑い、レイニーは「分かった」と触れ合っていた手を動かして、小指を絡ませた。


「約束する。一秒でも長くシュガーの傍にいる」

「絶対だぞ」

「あぁ、絶対だ」


 強く頷き合い、笑う。

 アダムの使いの優先事項は魔女を討伐すること。けれど出来れば己を守護するガーディアンも失いたくない。

(我儘かな)

 シュガーレットは内心で苦笑する。だが誰が何を願おうと、それは自由だ。

 願わくば、彼が最後のパートナーでありますように。


「そういえばレイン、手紙が来たと言っていたな」


 思い出したシュガーレットは彼の周囲を見渡す。だが手紙らしきものは見えない。どういうことかと首を傾げると、彼は「あー」と視線を逸らした。


「嘘です」

「は?」

「シュガーがずっと部屋に籠もってるから、任務がきたって言えば出てくると思ったんだよ」

「・・・・・・そういうことか」

「まぁ、出てこなかったけどな」


 「任務を遂行するのは本能じゃねぇの?」と、どこか楽しそうに言うレイニーに、シュガーレットはなんとなく恥ずかしくなり彼の腹に軽く拳を入れる。

 どれくらいの付き合いか、エリーゼと同じように覚えていないけれど、ここまで泣いた顔を見せたのは初めてではないだろうか。

 レイニーが泣いたところも初めて見た。

(もう出来れば泣かせたくない)

 ならばもうあのような、鎮魂の祈りを途中で中断してしまうことが無いようにしなければ。


「レイニー、ちょっとこれから――――」


 双子の博士のところに行ってくると言おうとしたところで止まる。

 エリーゼの言葉と、先ほど聞いたレイニーの言葉を思い出したからだ。

 確かに双子は良き相談相手でもある。けれど今回の〝あれ〟は相談しても解決しないだろうと、心のどこかで思っている。ならば、レイニーの心配事を減らす方を優先した方がいいのではないだろうか。


「シュガー?」

「あ、いや、なんでもない」

「・・・・・・・・・・・・」


 首を横に振ると、レイニーはしばらく黙ったままこちらを見つめ、溜息をつく。そしてぐしゃぐしゃとこちらの髪の毛をかき混ぜた。


「うわっ!」

「あんまり考えすぎるなよ」


 そう言い、自分で乱した髪の毛をゆっくり手で梳いて直していく。

 どうやらこちらが何か悩んでいると察しているようだ。それでも聞いてこないのは、こちらが言うのを待っている。

 シュガーレットは少し唇を噛んでから、「あぁ」と頷いた。


「悪い。もう少し整理してから話す」

「分かった」


 レイニーも頷き、そして綺麗になった頭をポンポンと叩き、ベッドから立ち上がった。


「シュガー、腹減ってねぇ?」


 伸びをしながら彼は言い、楽しそうに振り返った。


「一緒に簡単なもんでも作るか!」

「・・・・・・・・・・・・」

「おい、そんな嫌そうな目で見るなよ」


 腰に手を当て、笑う。


「いつか俺に美味い料理を振る舞ってくれるんだろ?」

「それは、もう少し練習してからだ」

「じゃあその練習はいつすんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」


 確かに、としか言いようがない。

 シュガーレットは諦めるように溜息をつき、それから彼の隣に立つようにベッドから下りた。


「じゃあ着替えて下に行く」

「りょーかい」


 そのまま部屋を後にするレイニーの背中にシュガーレットは「レイン!」と声を掛けた。


「ありがとうっ」


 その言葉には何も返さず、ひらひらと手を揺らしてそのまま部屋を出て行った。

 パタンと閉まったドアに、室内はあっという間に静寂が訪れる。

 シュガーレットはひとつ深呼吸をし、適当に軽装に素早く着替えた。そしてデスクの上に置いてあるヘアゴムを手に取り、結ぼうとしたところでふと、日記帳が目に入った。

 まだあの日の日記は書いていない。


「・・・・・・・・・・・・」


 シュガーレットは簡単に髪の毛を結び、椅子に座る。そしてペンを手に取っていつもより簡潔に書き始めた。



『シンジュクエリアで、怖がりな魔女、アヤノ・チトセという魔女を討伐』


 小さな子供だった。

 父と母の離婚をきっかけに、母からの虐待を受けるようになる。

 助けを求める声は誰にも届くことはなく、そのまま強力な魔女へと化した。


『初めてエリーゼ、エリオットとの共闘という形での任務だった』


 鎮魂の祈りの途中、景色が変わり、暗闇の中に放り出された。そして目の前には魔女が生きていた頃の姿で泣いていた。

 それに腕を伸ばしたところで、エリーゼに助けられる。


『だがそのエリーゼを守ったエリオットが命を落とすこととなってしまった』


 グッと強くペンを握る。だがもう自分を責めるのはやめだ。そうしたところで何も変わらない。

 この死を無駄にはしない。いつかエリオットのことすら忘れてしまったとしても、強く生きていくことを身に刻む。


『ありがとうエリオット。おやすみ、アヤノ・チトセ。どうか彼らに幸福な休息を与えてください』


 インクが乾くようにフーっと息を吹きかけてから日記帳を閉じる。

 また消えるだろうそれ。記憶からも失われるとしても、それでもいい。

 大切なのは過去よりも未来だ。

 これからに目を向けよう。

 忘れたとしても、心の隅に残っている筈だから。


「レイン、いま行く!」


 シュガーレットは日記帳に背を向け、ドアを開ける。そして後ろ手でそれを締めて小走りで彼が待つキッチンへ下りていく。

 だからシュガーレットには見えなかった。

 日記帳が輝き、音を立てずにパラパラとページが勝手に捲られる。開いたところは先ほど彼女が書いていたページだ。

 フワリとそこから浮かび上がったのはインクで書かれた文字。

 まるで小さな虫みたいなそれは、彼女を追いかけそのまま背中にぶつかる。否、吸い込まれるようにして姿を消した。

 しかしシュガーレットは気付くことなく一階へ下りていく。

 日記帳はまるで役目を終えたかのようにパタンと閉じ、輝きを失っていく。

 もう見た目はただの日記帳だ。その中身が白紙になっていることをまたいつも通り疑問に思うだけでそれは再び終わっていくのだった。



~ * ~



「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 沈黙がダイニングに広がる。

 シュガーレットの前には綺麗なパンケーキがある。

 厚さのあるそれは見た目からふわふわで、バターと蜂蜜がより匂いを甘くさせる。

 これはどう考えても美味しいだろう。

 しかし逆にレイニーの方を見てみると、真っ黒いものが皿の上にある。

 ぺたんこのそれは、同じパンケーキだと思えない。だが、乗っているバターと蜂蜜の存在のおかげで、ぎりぎりパンケーキを目指したものだと分かる。

 シュガーレットは握りこぶしを膝に置き、視線を逸らす。

 レイニーは半目で目の前にある真っ黒なパンケーキを見ている。


「なぁシュガー。俺のやり方見てたよな?」

「あぁ。見ていた」

「包丁は苦手だから、かき混ぜればいいものにしたんだけど?」

「卵は初めから割れているものを次は用意して欲しい」

「いや、そんなのねぇよ」


 冷静に突っ込まれる。


「殻は出来るだけ抜いた」

「まぁそれは頑張れば食べられるからいいけどよ」


 いいのかという言葉を、こちらから突っ込むことはしない。


「俺のやり方見て、完璧に出来るから座ってろって言ったな」

「・・・・・・言ったな」

「お玉ですくってフライパンに流し込んだのか?」

「いや、お玉だといつまで経っても垂れてくるから、ボールのまま流し込んだ」

「・・・・・・どうやって形を整えた?」

「フライパンが、整えてくれた」


 確かによくよく見れば、綺麗な円を描くように縁が出来ている。本来なら美味しそうに膨らみが見える縁は、まるで断層のようになっているけれど。


「フライ返しは?」

「それはしたぞ!」

「・・・・・・・・・・・・」

「フライパンの上に着地はしなかったが」

「どこに着地した?」

「・・・・・・コンロの上」

「直火じゃねぇか」


 そりゃこんなに焦げるわけだとレイニーは納得した様子だ。

 シュガーレットはついに白旗を揚げるように頭を下げた。


「すまん」

「いや、成功するとは最初から思ってねぇよ」


 クツクツ笑い出したレイニーにシュガーレットは腹が立つが、しかし結果的に成功していないのだ。ぐうの音も出ない。


「やけどとかはしてねぇんだろ?」

「していない」

「ならいい」


 彼は手を合わせて、頭を下げた。


「いただきます」

「は?」

「シュガーも早めに食べろよ。冷めちまう」

「いや、お前、それを食べるのか?」

「当たり前だろ?」


 キョトンとした彼に「いやいや待て」とシュガーレットは自分の前にあるパンケーキに素早くナイフを入れる。そして半分に切って、皿を渡そうと手に持った。


「お前もこっちを食べろっ」

「必要ねぇよ」

「美味しくないだろ!」

「そうだな、きっとまずい」


 また笑うレイニーに、「なら!」と言うも、彼は笑いながらナイフを真っ黒いパンケーキを切っていく。


「シュガーが頑張って作ってくれたのに残すとか、それは俺じゃねぇだろ」

「いや、それは、その・・・・・・そうかもしれないが」


 確かに彼は今までシュガーレットが作ったものを残したことがない。

 砂糖と塩を間違えようが、炊いた米が餅のようになっていようが、焼いた魚が魚だと分からない姿になっていようが、彼は絶対に食べてくれる。


「・・・・・・お前は私に甘くないか?」

「それ、今更の話だからな」


 当たり前のように言い、切ったそれを口に運ぶ。すると「めっちゃサクサクしてる」と笑った。

 美味しくないだろうにどうしてそうやって笑えるのかと聞いたら、彼はなんと答えるだろう。


「・・・・・・・・・・・・」

「どうした?」


 聞いてみたいような。聞きたくないような。

 シュガーレットは小さく溜息をついてから「なんでもない」と首を横に振り、自分はふわふわのパンケーキに改めてナイフで一口大に切る。そして口に入れれば見た目通りの柔らかさと甘さが口いっぱいに広がって、無意識に笑みが浮かんだ。


「美味いか?」

「あぁ。レインの作る料理はいつでもうま――――」


 美味いと言おうとし顔を上げれば、優しい表情で嬉しそうにしている彼が目の前にいて、シュガーレットはなぜか視線を思い切り逸らしてしまう。


「おいシュガー?」

「あ、いや、なんでもない。あぁ、いつも通り美味いぞ」

「・・・・・・ならなんでそんな顔を逸らしたんだよ」

「わ、私にも分からん」

「はぁ?」


 妙に脈が速く感じるのはどうしてだろう。

 彼の表情は至っていつもと同じだ。それなのに今はそれがなんていうか、恥ずかしいような感覚がある。

(やっぱり私はおかしいじゃないか!?)

 バクバクといつもより強く跳ねる心臓を抑え、深呼吸をし、用意されていたアイスティーを一口飲んだ。

 ひんやりとしたそれが喉を通っていくのを感じ、身体も頭も冷えていくような気がする。

 もうこれで大丈夫だと、シュガーレットは改めてレイニーに向き合い「すまん」と笑った。


「もう大丈夫だ」

「・・・・・・ふーん」


 しばらく顎を引きながら上目遣いで見ていたレイニーは、小さく溜息をついてから再び黒いパンケーキを口に頬張った。

 どこか含みがあるそれにシュガーレットは突っ込みたかったが、このまま話していては墓穴を掘るような気がして、そのまま自分も同じようにパンケーキを食べることに集中した。


 二人が半分ほど食べ終わった頃、カサカサと何か紙の音がリビングに響いた。

 何が来たのか分かった彼らはピクリと肩を揺らし、ドアの方を見る。するとドアの隙間から手紙が顔を出しており、そのまま宙に浮く。そしてヒラリと身を揺らしながら二人が食べるテーブルの端にそれが乗った。

 いわずもがな、討伐の命令だ。


「・・・・・・・・・・・・」


 シュガーレットはそれを固まったまま見つめ、しかしフォークとナイフを置くことはせず、再び食べ始める。


「見なくていいのか?」


 何よりも任務を優先していたシュガーレットにレイニーはそう聞く。

 確かに昔ならばパンケーキが途中だとしても、すぐに封を切り、次の任務について彼と話し合っていただろう。

 しかし今はそういう気分ではなかった。


「食べてからでも問題ない」

「珍しいな」

「今は、レインとの時間だ」


 この家が帰る場所なのだと教えてくれたのはレイニーだ。

 苦しみから生まれる魔女の存在ばかりを考えるだけではなく、身近なところにも大切なことがある。

 守るべき大切な人がいるのだ。


「・・・・・・俺、泣いていい?」

「な、なんだ突然!」

「いや、あのシュガーがここまで成長してくれたのが嬉しくて・・・・・・」

「意味が分からない」


 シュガーレットは溜息をついて、けれど小さく笑う。


「なぁレイン、ガーディアンが命がけでアダムの使いを守ることが使命であって、存在意義なのは分かった」


 手紙に視線をやってから、真っ直ぐレイニーを見る。

 紺碧の瞳に、紺色の髪の毛。赤色の自分とは逆なそれは〝レイニー〟という名前にピッタリだと思う。


「私はお前がレイニーであって嬉しく思う。私の元に来てくれて、ありがとう」

「シュガー・・・・・・」

「だからこそ、改めて言う」


 シュガーレットはあえてカトラリーを持ったまま言った。


「私と一秒でも長く一緒にいて欲しい」


 ガーディアンはただの消費するものじゃない。アダムの使いだって、いなくなれば補充されるだけの存在だけれど、そんな簡単に死んでいいわけじゃない。


「・・・・・・あぁ。分かった」


 レイニーは少しだけ目を伏せて、けれどすぐに茶化すかのように笑って言った。


「シュガーの手料理が食えるのは俺だけだろうしな」

「す、すぐに上手くなる!」

「ははっ、どうだか」


 楽しそうに言ってから彼はまた何かを考えるように目を閉じて、それからまた嬉しそうな笑顔を見せる。


「俺も、シュガーのガーディアンで良かったと心から思うよ」


 だから、と彼は続けた。


「シュガーが悲しまないように、俺自身も生きるようにする」

「絶対だぞ」

「さっき約束したろ?」

「それでも、だ」

「はー、シュガーは喋り方はクールで格好いいのに、意外と抜けてて泣き虫なんだよなぁ」

「なっ!」


 そんなことないと反論する前にレイニーは手紙を人差し指と中指で挟んで取り、邪魔だと言わんばかりにキッチンのカウンターに放った。


「ほら、残りも食っちまおうぜ。堅い話は抜き抜き。折角二人の時間なんだしな」

「・・・・・・・・・・・・」

「俺との時間なんだろ?」


「ん?」と楽しそうに聞いてくる彼に、シュガーレットはフンと鼻を鳴らし、パンケーキを口に入れる。そして無視を決め込んだのに、それすらも愉快だとばかりにレイニーは始終笑顔でいた。


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