③任務
「準備はいいか?」
その声は少しだけ凜としていて、この家の中でそのような声が響くのは任務に向かうときだ。
キュッと黒い手袋をしたレイニーは「あぁ」と頷き、そして部屋の中を見る。
「行ってきます」
そう一言告げ、カラスの姿に変えてシュガーレットの肩に乗った。
それに倣うように、否、いつものようにシュガーレットも小さく深呼吸をして言う。
「行ってくる」
そしてガチャンと家へと続くドアを閉めた。
次に向かう先はまたアンノウン、役所である。
他のアダムの使いが行き来している中にシュガーレットたちも混ざりながら、アンノウンと向かい合った。
リビングのテーブルに置かれていた手紙を見せ、シュガーレットは言う。
「シュガーレットだ。これから、待ち続ける魔女、リアナ・ライネルトを討伐しに行く」
『――――ではカギをお渡しください』
「あぁ」
シュガーレットは二人の家に続くカギを白いカウンターに置くと、アンノウンがそれを取り、代わりに別のカギを置いた。
このカギが討伐する魔女がいる街に続くドアを開け、そして二人がここホワイト・コアに戻ってくる時に使うものである。
『このカギが一日しか保たず、一度使えば灰になりますので気をつけてください』
「あぁ。分かった」
『シュガーレット。貴方に神のご加護がありますように』
「ありがとう」
お礼を言いながらカギを取る。そして振り返り、また扉の間へ戻っていく。
肩に乗るレイニーが「ふん」と鼻を鳴らした。
「毎度思うけどよ、任務に行くとき、家のカギを引換券みたいにする必要なくね?」
「任務を放棄しないようにする為だろう」
「ここにそんなアダムの使いがいるかよ」
「どうだろうな」
横にアダムの使いが通る。
人間の姿のガーディアンに支えられながら歩くその様は、きっと怪我でも負っているのだろう。支えるガーディアンの唇も紫色だ。
黒いスーツでは、血の色が目立たない。
それでも白い廊下には引きずるような血の跡が出来ていて――――けれど、数秒後には綺麗に消えていた。
それをシュガーレットは横目で見たまま「逃げ込みたくなる」と呟くように言う。
「魔女との戦いで死にそうになれば、家に繋がるカギを使って逃げたくなるだろう。家のカギは何度使っても灰にならないからな」
「まぁたしかに、もう一つのここに戻ってくる為のカギは一度使えば灰になる。魔女に邪魔でもされてドアをくぐれなければもう戻ることは出来ねぇ。カギが一日しか保たないのもそういうこった」
「一日掛けても魔女が倒せないのならば、それはもうこちらの実力不足が目に見えている。カギを使う暇もなく殺されるだろう」
「ほんと、気に食わねぇよ俺は」
レイニーはくちばしで己の羽を整える。
「こんなところ、本当ならシュガーと一緒におさらばしたいんだけどな」
「他にどこに行くんだ」
「どこか良い街に残るっていう方法は?」
「――――」
シュガーレットは一瞬足を止める。
肩にいるカラスに視線を向ければ紺碧の瞳が真剣に見返してきて、小さく苦笑した。そしてまた歩き出す。
「無いな」
「なんで」
「アダムの使いだから、だろう」
扉の間に着くも、少し先へ歩く。
どこまでも続くそれは、もしかしたら一生ドアが並んでいるのかもしれない――――任務に向かうしかお前たちには先がないとでも言うかのように。
シュガーレットはコツコツと立てていた足音を止め、一つのドアの前で手に持ったままだったカギを見つめる。
「アダムの使いである限り、命令に従えとインプットされている」
動物のお前にも分かるだろうと言外に伝え、見つめていたカギを鍵穴に差し込んで回した。
「魔女の討伐。任務を遂行し、完了。ホワイト・コアへの帰還。これらはもう本能のようなものなのだろう」
「本能、ね」
「そういえばノノとネネが面白いことを言っていたぞ」
開いたドアの向こうは暗く、けれどまた一本の道が浮かび上がる。その道を通り始めれば、もう逃げることは出来ない。いや、きっともう自分がこの存在である限り、逃げることなど出来ないのだ。
「アダムはイヴのご機嫌取りをしているそうだ」
「は?」
「イヴの機嫌が直った時、きっと魔女は生まれなくなり、アダムの使いもガーディアンも生まれなくなるんだろうな」
シュガーレットは結んだ髪の毛を揺らし、ドアをくぐって閉じる。
さぁ、今日も任務という名の救済を。
「レイン。私はいつか、悲しい存在である魔女がいなくなって、私たちの存在も必要なくなる日が来ることを祈っているんだ」
「・・・・・・知ってんよ、バカシュガー」
イヴを怒らせたアダムの尻拭いをしに行こうではないか。
~ * ~
――――本日の任務。
ノース・アラウトにて、待ち続ける魔女『リアナ・ライネルト』の討伐。
それを再度確認し、シュガーレットはパチンと右手の指を鳴らす。蒼い炎でいつのように灰すら残さずに燃やした。
風が頬を撫で、髪の毛を後ろへとなびかせる。それには潮の香りがし、耳にはザザーンと波の音が聞こえた。
「海か」
ドアを開けたところはここ、ノース・アラウトにある灯台だったようで、少し荒い海が二人を出迎えた。
冷たい空気は海風だからではないだろう。季節は冬に近い秋といったところか。吐く息が白く濁る。
まだ日は沈みきっておらず、ほんの少しだけ夕陽の色が海の向こうから差し込んでいる。けれどすぐに沈むであろうそれを備えるかのように灯台は光で道を示していた。
海とは反対にある街は、昨日のシュバル・ギルガーネとは違い、輝かしい街並ではない。潮風に当って錆びた壁に、低い屋根。家々を明るくしているのはランプだろう。
しかしそれらは一時代昔というわけではなさそうで、ただ大陸の片隅にある海辺の小さな街なだけだろう。
魔女はいつ、どこに現れるか分からない。
それは街だけではなく、時代もそうだ。全て同じ時代というわけではない。
まだ機械が発展していない時代や国であったり、逆にここは何だと言いたくなる近未来の世界であったりもする。
すなわちそれは、場所も時も選ぶことなく、悲しい死を遂げる人間がいるということだ。
「寒くないか、レイン」
「寒さは何ともねぇけど、潮風でベタベタになりそうだな」
「早くシャワー浴びてぇ」と、来たばかりなのに帰ることを考えるレイニーにシュガーレットは小さく溜息をついた。
だんだん暗くなる周囲を見渡しながら、家が並ぶ方へと歩いて行く。
その間、波の音が妙に大きく感じるのは気のせいではないだろう。
「人の気配があまりしない」
「でも家に明かりはあるぜ?」
「まだそんな遅い時間じゃないのに家にこもるのか?」
話ながら白い息が視界に映る。
この寒さから逃れるため? いや、それも違う気がする。
シュガーレットは綺麗に整理されていない石畳をゆっくり歩いて行く。どこの家の扉も閉まっていて、子供の影もない。
途中、店と思われる看板が出ている家を見つけたが、そこすらも開いていなかった。
「ちょっと待ってろ」
辺りを見渡し、眉を寄せたシュガーレットに言い、レイニーは翼を広げ飛び立つ。高くまで飛んだ彼の姿が見えなくなったと思えば、少ししてから背後から羽音を立てながら戻り、肩に止まった。
「どこも同じだ。人影が全然見当たらない」
「・・・・・・鳥目は」
「ガーディアンが鳥目でどうすんだよ! 何度も言わせんな!」
こちらの頬を突くような仕草をして見せる彼にシュガーレットは内心小さく笑う。
いつかの日にエリオットに馬鹿にされたこともあり、この話題は必要以上に怒るのだ。
だがこうやって遊んでいるわけにもいかないと、結んだ髪を揺らしてまた歩き出す。
「ランプが点いているなら、ここの人間全員が魔女に殺されたわけではないだろう」
「じゃあ早寝早起きがしきたりか何か?」
「それならそれでいいんだがな」
夕陽が全て沈んだのだろう。
辺りは真っ暗になり、家の柔らかい明かりだけが頼りだ。
「魔女の気配は?」
「・・・・・・ねぇな」
自分と同じ答えに一つ頷く。まだこの近辺に魔女の存在はない。
人混みは嫌いだが、ここまで人がいないのも問題だろう。
シュガーレットは近くのドアの前に立ち、トントンと扉をノックする。
「シュガー?」
「聞いてみる」
こちらの存在は普通認知されないが、こちらから関われば話は別だ。
「しきたりならそれでいいが、何かあったのかもしれない。魔女関連なら尚更聞く必要がある」
肩のカラスにそう言い、ノックした扉の前で反応を待つ。だが、帰ってきたのは沈黙だけだ。
シュガーレットは表情を変えず、再度ノックをする。しかし誰かが出てくる様子はない。
実は誰もいないのではと扉のドアノブを捻ったが、どうやらカギが掛かっているらしく開かない。
「悪い、誰かいないか!」
声を大きくして言う。すると中からバタバタ、ガタン! と何か音が聞こえた。どうやら住人はいるらしい。ではなぜノックに何も反応しないのだろう。
もう一度と口を開けると、扉の向こうから「出て行け!」と震えた声が返ってきた。
「こんな時間にっ、誰よ一体! は、早くここから離れておくれっ!」
「怖がらせてすまない。ちょっとだけ話が聞きたいんだ」
「あんたっ、頭イカれてるんじゃないかい!?」
震えた女性の声でそう言われたが、次は少し年配の男性の声がする。
「もしや、旅のものかね」
「そんなところだ」
「なら、扉を開けてやろう」
「ちょ、おじいちゃん!」
カギが開く音と共に、先ほどまで誰も寄せ付けないとばかりに閉じていた扉がほんの少し開き、その間から腕が伸びて思い切り中に引きずり込まれた。
それに警戒するようレイニーが姿を変え、こちらを支えようとしたが、それは必要なくシュガーレットは自分の足で体勢を整え、手を引っ張って家の中に入れてくれたおじいさんを見た。
皺を深くし、とても心配そうな、恐怖に満ちた瞳をしている。
「すまんな。こんな街で驚いただろう」
「いや、家にあげてくれて感謝する」
「おや、もう一人いたのか」
「あぁ。逆に俺らも驚かせちまったみたいで悪かった」
レイニーと一緒に一礼すると、おじいさんの少し後ろにいるふくよかな女性が「驚いたよほんと」と、先ほどよりも少し落ち着いた声で話し掛けてきた。
「あんたたち、この街の噂を耳にしたことはないのかい?」
「噂?」
「呆れたものだね」
肩を揺らし、首を横に振る。
瞬間、風でも吹いたのか家が少しだけ軋む音がしたのだが、それだけでそこにいた二人はびくりと身体を震わせ、辺りを見渡した。
それだけで今ここの部屋がシンと冷たい空気になり、彼らが何かに怯えているのは明らかだ。
レイニーは「大丈夫か?」と声を掛けるが、彼らはそれに答えることはなく「本当に何も知らんのだな」と哀れそうにこちらに声を掛けた。
「いまこの街にはな、夜になると化け物が出るんだよ」
「「化け物?」」
シュガーレットとレイニーの声が重なる。
「そう。夜な夜な人をさらう化け物だ」
「それはその、他の誰か人間がさらってるんじゃねぇの?」
「あたしたちだって最初はそう思ったさ! でもね、そうじゃないんだよ・・・・・・」
泣きそうな表情になってしまった彼女に、その化け物について詳しく話を聞こうとすると、どこか遠くから狼の遠吠えのような声が突然外から聞こえた。
「きた!」
すると二人はバタバタと部屋の奥へと入り、元々薄暗かった部屋がもっと暗くなる。どうやらランプの明かりを消したらしい。
そしてこちらに戻ってきたかと思えば、また腕を引っ張って寝室と思わしき部屋へと連れて行かれた。
一体何があるのかと聞く前に、彼女は「しーっ! しーっ!」と唇の前で人差し指を出し、喋らぬよう指示される。
おじいさんがベッドに置いてあった素早く厚めの布団を手にとって、自分を含め四人の頭に被せた。それ以外の布団も女性は抱きしめ、叫び出すのを我慢するかのように口元に強く押し当てている。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
一体何が起きているのか分からないシュガーレットだったが、彼らに倣って沈黙する。それはレイニーも同じだった。
まだ外から遠吠えのような声が響いている。しかしそのウオーンという声は、狼のそれとは何となく違う。どちらかと言えば、昨日討伐した、元ソプラニストだった声に近い。
(シュガー)
声としては聞こえないが、不意に感じた視線でレイニーを見れば、彼はひとつ頷く。どうやら彼も同じことを思い、そして気配を感じているらしい。
シュガーレットもレイニーを見つめながら頷いた。
遠吠えのようだったそれが、すすり泣くような声に変わる。そして、何かを呟くような声がだんだん近づいてくる気がした。
いや、実際に近づいて来ているのだろう。動く気配がする。
≪どこ、どこ、どこ≫
雑音が混ざったかのような声が響く。声として捉えるには難しいほどのものだが、シュガーレットにはハッキリとそう言っているのが聞こえた。
≪まってる、まってる、まってる≫
ミシ、と家が軋み、ここの家の住人が頭を抱え怯える。きっと布団で口元を覆っていなければ小さな悲鳴を上げていただろう。
カタカタと震える身体をさすってあげたかったが、今そうしたら余計に驚かせてしまうに違いない。
シュガーレットは唇を噛み締め、すまないと思いながら見つめることしか出来なかった。
だんだん声が遠ざかっていくが、まだこの街を徘徊するのだろう。もしかしたら日が昇るまでこうやって歩き回っているのかもしれない。
(なるほど。これは確かに化け物だな)
ここの街の人間が先ほどの言葉を聞き取れているか分からないけれど、あんな声か分からない音を発する何かが徘徊していたら恐怖して当然だ。
人をさらうというのは、夜に外に出ていた人間が襲われて姿を消す、または数日後遺体となって見つかったという感じだろう。
朝になり、あの化け物が姿を消せば語ってくれるかもしれないが、そこまで聞く必要はない。
こちらであの化け物――――待ち続ける魔女、リアナ・ライネルトを討伐すれば問題は解決するのだから。
シュガーレットはレインを気配で呼び、改めて視線を合わせる。
魔女の声は遠い。今ならば外に出られるだろう。
二人は頷き、まだ震えている彼らに自分の布団を渡した。
「――――?」
恐怖と混乱の顔。シュガーレットは出来るだけ優しく微笑んで、小さな声で礼を告げた。
「ありがとう」
それを合図だったとでも言うようにレイニーは飛び出るように立ち上がり、寝室のカーテンを開ける。
青白い月がぽっかり浮かんでいて、ランプを落としたこの街を照らしていた。
窓を開け放てば、寒い空気の匂い。身体の芯から凍らせるような潮風が魔女の気配と相まってより冷たさを感じさせる。
「俺たちがいなくなったら、またすぐにカーテンを閉めろ」
そう言い、レイニーが窓を開け放ち外へと走って行く。
おじいさんが止めるように手を伸ばすが、このままここにいても時間が勿体ないだけだ。
カギのタイムリミットもあるのだから。
シュガーレットも同じように窓から飛び出し、風をまとう。その勢いで開け放った窓が閉まるのを背後で確認してから、魔女の気配がする方へと向かった。
≪あ、あぁ・・・・・・≫
泣き声が聞こえる。
いつからこの街で魔女は彷徨っていたのだろう。そしてこの街の人たちは恐怖に怯えていたのだろう。
噂になるくらいだ。決して短くない時間、彼らは苦しんでいたに違いない。
そう思うと胸が締め付けられる。
「シュガー!」
レイニーの声が響き、シュガーレットは腰に下げている剣の柄を掴む。そして角を曲がり大通りに出れば、すでに刀を抜いているレイニーが魔女と対峙していた。
待ち続ける魔女、リアナ・ライネルトは、髪の毛を団子の形で一番高い位置で留めている。黄色い生地の服に、エプロン。それらはボロボロになり、ボタンの瞳と口を塞がんとする刺繍。
だが今回は普通の人間よりも少し身体が大きくなっている。
「幾人か人を殺めただけあるな」
スーっと剣を抜き、構える。
魔女は人を殺せば殺すだけ、その身体は大きくなり、力を増す。
それは人の魂を食らっているからなのか、それとも殺すことで経験の値として力を強くするからなのか、それはハッキリしていない。
ネネとノノ的に言わせれば、『どんなことであれ、人は経験すれば技術が上がる』とのことだ。
出来ればこうなる前に討伐したいものだ。
≪どこ、だれ、どこ、どこ≫
灰色とも緑色ともつかない色の肌をした腕が伸びる。
すると風がどこからともなく吹き、細かい水しぶきのようなものがこちらに向かって鉄砲のように飛んできた。
「っ――――!」
ただの水と思える相手ではない。
シュガーレットとレイニーは跳躍することでそれを避けるが、まるで海の波しぶきのようなそれは範囲が広い。
目に見えるが見えないかの小さな飛沫があったようで、シュガーレットの頬を掠めた。
「鉛の玉みたいだなっ」
「シュガーっ」
「掠っただけだ。問題ない」
チリと痛む頬を黒い手袋で拭う。少し濡れたような感触と鉄の香り。だが言葉通り問題ない。
≪まつ。じゃま。わたし、まつ。じゃましないで≫
再び飛沫が来るかと思えば、伸びた腕のもっと先、指先に大きな水の塊が出来てくる。
こんな街中でそれを放たれれば、背後にあるどこかの家にぶつかり穴が開いてしまうだろう。場所が悪ければその住人に怪我を負わせてしまうかもしれない。
ならば避けるわけにはいかないだろう。
(あれは剣で切れるのか?)
得物を構え直し向き合えば、レイニーが走り出し魔女の腕を切らんばかりに刀を振るう。
「レイン!」
「お前のそれは待ってんじゃなくて、探してんだよ!」
だがその刀は空を切るだけで終わる。
想像以上に素早い動きで腕を動かし、それを避けた魔女は、その水の照準をレイニーひとりに絞る。このままでは彼は撃ち抜かれてしまうだろう。
シュガーレットは地面を蹴り、体勢を低くした状態で魔女の懐まで近寄る。そして剣を地面から宙に向けて回せば、魔女はもう片方の腕を出すことによって、レイニーに向けている手を守った。
目の前で魔女の腕が落ちるのと同時に、大きな水の塊が放たれる。だが聞こえたのはレイニーを貫いた音ではなく、羽ばたく音。
顔を上げれば、彼はカラスの姿になって水玉を避けたようだ。
水は何に当ることなく月の方角へと消えていく。
高い建物がなかったことが幸いとシュガーは息を吐き、そして吸って叫んだ。
「レイン! 彼女を灯台まで連れて行く!」
「了解だ!」
カラスの姿になって避けたレイニーは、そのままの姿でこの街に来た最初の灯台へと誘うつもりらしい。理由を聞かずとも承諾するそれは、きっと同じように住民の安全を危惧したのだろう。
落ちた腕は少しずつ灰になっていっている。再生能力はないようだ。
レイニーに視線を向けている魔女の背中をシュガーレットは思い切り蹴り、大通りから海に近い石畳の上へ転がした。
だがその転がりつつも相手は片方になった手をこちらに向け、また細かい水を撃ってくる。
なんとか剣を前に出すことで直接撃たれることは回避するも、また腕や脚を掠めていく。
魔女を討伐する為の儀式は、頭から剣を刺さなければ意味が無い。だがこのまま相手の頭上に跳んでも水に撃たれるだけだろう。
もう片方の腕を切り落とすしかない。
「リアナ・ライネルト!」
シュガーレットは魔女の名前を呼び、灯台の方へと走っていく。
転がった相手は片手で起き上がり、まさに化け物のように四つん這いになって追いかけてくる。
「お前は一体誰を待っている!」
魔女はそのままぐるりと一回転したかと思えば、腕を横に薙ぎ、飛沫を撃つ。
走るシュガーレットが足を止め、それを剣でまたガードしようとすれば、「止まるな!」とレイニーの声が響いた。
カラスの姿から人間の姿へと変え、シュガーレットの前で刀を回す。
ギギギン! と刀でそれらを弾く音が響くと同時に小さく息を飲む気配が背後からする。だが振り返ることはしない。チャンスを無駄にするわけにはいかないからだ。
「リアナ・ライネルト! お前は誰を待っているんだ!」
再度大きな声で叫び、たどり着いた灯台に手を掛け、力強く自分の身体を押し上げる。フワリと浮いた身体を灯台の壁に沿わせ、もう少し上へと走っていく。
また下で刀が水を弾く音が聞こえた。
≪わたし、わたしは≫
魔女、リアナ・ライネルトは雑音を吐く。
だがそれは、人間であった彼女の心からの言葉だ。
≪むす、こを≫
シュガーレットは灯台のライトが見えた辺りでダン! と強く灯台を蹴り、ふわりと回転する。
魔女は灯台の光の先を見るかのように、暗い海を見つめていた。
「レイン!」
「あぁ!」
その瞬間を逃す彼ではない。
こちらと同じように頬から血を出しながらレイニーは魔女へと走り、だが懐に入るのではなく、もしもの時のためだろう。魔女の頭上へと落ちていくシュガーレットの盾になるよう飛び上がる。そして横一回転を加えてその腕を切り落とした。
落ちるそれはまた水を集め出していたけれど、それは撃たれることなく灰へと変化していく。
(あのバカっ)
それに気付いたシュガーレットはもし自分が撃たれていたらどうするんだと舌打ちをしたくなるが、ひとつ呼吸をして気持ちを静める。そして、鎮魂の祈りを言葉を口にした。
『リアナ・ライネルト。我が名はアダムの使い、シュガーレット』
シュガーレットは灯台の高さを落ちながら両手で柄を握った。
『汝の魂を解放すべし者』
淡く優しい炎のような光が灯る剣は、彼女を永遠なる静かな眠りに誘う。
だがきっと、本当に彼女を導く光はこの灯台の光なのかもしれない。
『最期の産声を上げ、泣き叫べ。さすれば神が汝を見つけ――――』
両手を失った魔女が海を見つめる。しかし最期の瞬間、
『終焉の加護を授け賜わん』
そのボタンの瞳から涙が零れたのを、そしてその瞳に自分が映ったのを見て、シュガーレットは彼女の頭から身体にかけて剣を貫きながら、唇を噛み締めた。
待ち続ける魔女『リアナ・ライネルト』から黒い霧が吹き出し、身体が先ほどよりも少しずつ小さくなっていく。そして彼女は浄化されるように光りの玉へと変化していった。
音を立てずに地面へと下り、剣を柄に仕舞う。そしていつものように魔女を見つめた。
――――難産だったが、無事元気な男の子が生まれたんだ! 今日はパーティーだぞ! お前も良く頑張ってくれた!
――――やめて漁師なんて。継がなくていいのよ。お前も波にのまれて死んでしまう。絶対やめて。
――――帰ってくるって言った。灯台の光が息子を導いてくれる。私は、ずっと待ってるから。お願い、神様。
死したその時まで、きっと彼女は息子を待ち続けたのだろう。
ずっと、ずっと、そして魔女になった今も息子を待ち続けている。
(こんな悲しい気持ちを引きずって、彷徨い続けていたというのか)
消えていく光の玉を見つめながら、シュガーレットは拳を強く握る。
「おやすみ、リアナ・ライネルト。向こうで息子と無事会えますように」
どんな生き物であれ、痛みは存在する。
感情を持つ人間なら尚更だ。だが、だからといって魔女になるのが絶対じゃない。
アダムとイヴがなんだ。あんな神話のせいで悲しい存在が生まれるというのか。
(そんなの、絶対おかしい)
シュガーレットは零れそうな涙を抑えるため、瞼を下ろす。
――――一緒だって言った。ずっと一緒だと。
――――どうして勝手にそんなことをした。
「シュガー」
――――私たちは、今までずっと何をするも一緒だった筈だ。
「シュガーレット!」
「――――っ!」
名前を呼ばれハッとし、瞼を持ち上げる。
気がつけばもう魔女は浄化され、静かな海の音が響く夜の景色となっていた。
青白い月に照らされたレイニーは心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。
「どうした、どこか痛いのか!?」
「あ、いや、すまない。少しぼんやりしていた」
シュガーレットはすでに血が固まった頬を擦れば、砂を擦ったような感触がした。
目の前にいる彼の方が傷が多いのは、魔女の相手をしながらこちらに撃たれた水が行かないよう先ほどと同じように盾になってくれたからだろう。
「レイニー」
「別に問題ねぇよ」
そのことに対して怒ろうとしたが、その前にレイニーは同じ黒い手袋で頬の傷を拭った。
「むしろアダムの使いに怪我を負わせちまった。ガーディアン失格だ」
「こんなの傷のうちに入らない」
「それでも、俺らの存在はお前らを守るためのもんなんだよ」
レイニーは自身の血がついた手袋を脱いで、直接の手で傷を負ったこちらの頬にそっと触れた。
「ごめん」
「・・・・・・大丈夫だ」
気にするなと言っても気にするのだろう。
アダムの使いを守るのがガーディアンの役目で、これこそがガーディアンからしたら本能みたいなものなのだろう。
シュガーレットも同じように手袋を脱いで、まだ乾ききっていない彼の頬の血を拭いながら苦笑した。
「任務完了。お疲れ様、レイニー」
「シュガーレットも、お疲れ様」
灯台の光が暗い海を照らし、月が暗い街を照らす。
お互いの息が空気を白く濁らせるそれすら見えるように照らしてくれる。
寒さで動きが鈍るわけではないが、それでも肌を刺すような冷たさは感じる。命の危険が伴う任務を終えた今、その寒さが生きている証拠なのだと何となく思った。
「よし、じゃあさっさと帰ろうぜ」
「そうだな」
シュガーレットは来た時と同じドア――――灯台のドアにカギを差し込んだ。
レイニーが素早く扉を開けて、シュガーレットを先に通させる。
最後に振り返り、レイニーの肩越しに海を見れば、丁度灯台の明かりが海を真っ直ぐ照らしている景色で、美しくも悲しいものに感じられた。
それは魔女、リアナ・ライネルトのこともあるのだが。
(さっきのは何だったんだ?)
瞼を閉じたときに聞こえた、魔女を浄化した時に聞こえる声と同じもの。だがあれは魔女の過去ではないだろう。ならばあれは思念なのだろうか。
もしかしたら今日の魔女はいつも以上に強い思念だったのかもしれない。
「シュガー? ドア閉めるぞ?」
「あ、あぁ。悪い」
レイニーが心配そうに首を傾げるそれに、シュガーレットは慌てて前を向き、歩き出す。
この世界は分からないことだらけだ。どうして魔女が生まれるのか、どうにか生まれないように出来ないのか。
でもそれは、人間すなわち生き物が生まれた理由を探るようなものだ。たまたま奇跡的に生まれたのだと言われれば、なるほどとしか頷きようがない。
(全てに理由をつけても仕方が無いか)
シュガーレットは隣で「家に帰ったらシュガーの怪我、見てやるからな」と心配そうにしているレイニーの声を聞いて、小さく頭を振った。
そう。考えても仕方が無いことは沢山ある。分からないものは分からない。
ならばいま分かるものを大切にしよう。
「お前の怪我もちゃんと治療しよう」
「包帯は俺が巻くな」
「・・・・・・あれはなぜか私の言うことを聞かないんだ」
「へいへい」
いつ何が手のひらから零れてしまうのかも、分からないのだから。