②双子
白い壁に、扉の間と同じドアが一つ。
ぽつんと存在するそれに、シュガーレットは形だけのノックをした。
「シュガーレットだ」
返事はない。だがそれもいつものことで、シュガーレットは気にせず「失礼する」と、カギは使わずにドアを開けた。
入っていけない場合は可愛い文字で何らかが書かれた紙が貼られているから入っても問題は無いだろう。
中に入ると、壁一面にファイルやら本やらが入った棚があり、その壁に沿うように白い大きなデスクが配置されている。
その上には書類の山と、何かの実験に使っているのか、フラスコやビーカーなどが置いてあった。
「ネネ、ノノ、いるか?」
先程よりも大きな声で言うと、またその奥にあるドアが音を立てずに開き、そこから二人の子供が出てきた。
「シュガーレットなノ!」
「シュガーレットだネ!」
黒い髪の毛の彼らは白い白衣を身に付け、袖の長いそれをそのままに、嬉しそうに両腕を上げながらジャンプする。
身長はシュガーレットの腰辺りのため、ジャンプをしても見下ろす形なのは変わらない。
「いつも突然ですまない。いま大丈夫か?」
「大丈夫なノ」
「問題ないネ」
「ありがとう」
うんうんと二人────双子は同じように腕を組んで頷く。
真っ直ぐこちらを見つめる瞳は、左右違う色のもの。
琥珀のような黄色に、エメラルドのような緑色のオッドアイだ。
右側が緑色で、最後に『ノ』をつけて話す子供がノノ。
ネネは左側が緑色で、『ネ』を語尾につける。
そして黄色い瞳には片眼鏡を掛けていて、白衣と相まって子供の容姿であるにも関わらず立派な博士に見える、といっても、彼らはここホワイト・コアにいる唯一の博士なのだ。
知識も豊富で、シュガーレットは何かあればこの双子を頼りにしている。
「今日も私が書いている日記について話を聞きに来た」
シュガーレットは手に持っていた日記を差し出した。
それをネネが受け取り、開く。そしてそれをノノが覗き込んだ。
昨日書いたであろう辺りを博士は開くも、そこにあるのは空白のページだ。昨日書いた筈のものはやはり消えていた。
「また消えたのネ?」
「あぁ」
「まぁ立ち話もなんだから、座るといいノ」
白い丸椅子を差し出され、シュガーレットはお礼を言いながら座る。二人も近くの同じものを引き寄せ座った。
「シュガーレットはいつもこの日記に魔女のことを書くけど、最近書いたのはいつなノ?」
「昨日だ」
「昨日とは、またまたお疲れ様だネ」
ネネが日記を白いデスクに置き、頭を撫でるように手を動かす。長い白衣の袖が揺れた。
「魔女のことを書いたのは昨日なんだネ」
「あぁ」
「それも消えてしまったノ?」
「あぁ」
今度はノノがそれを取り、パラパラとページを捲る。
ペンに染まったページはどこにも見当たらない。
昨日だけではなく、今までもずっとその日記帳に書いてきた筈なのに。
「この日記帳に何か問題があるわけではないのだろう?」
「そうネ」
「特に何もないと思うノ」
「前に万年筆も見てもらったが、それも何も問題なかったな」
シュガーレットは溜息交じりに言う。
それにノノとネネは顔を見合わせ、うーんと首を捻らせる。だがその顔は心底困ったという様子ではなく、どこか面白がっているように、色の違う瞳を輝かせていた。
「ボクたちが知る限り、こうやって日記を書いているのはシュガーレット、君だけなノ」
「こういう物体に何か理由があるわけではないと思うネ」
双子はニィンと笑みを浮かべながら、その短い腕を持ち上げた。
「あれからボクたちも様々な研究をしているけれど、シュガーレットのその現象は分からないノ。でも、もしかしたら書く内容の方に問題があるのかもしれないと考え始めたノ」
「シュガーレットが書く内容はその日に討伐した魔女のこと。それは魔女の思念や記憶。どれだけ文字にしたとしても物体として捉えられないものだネ」
ゆらゆらと揺れる白い袖。
まるでそれで遊ぶ子供のようで、けれどその細まった瞳孔は草食動物を捕食する獰猛な存在のようだ。
シュガーレットはそれをどうこう思うことはないけれど。
「魔女について、まだハッキリしたことは分からないノ。人間が死ぬときに強い思念、主に悲しみや苦しみを抱えていると、それが魔女へと変化し、人間を襲い始めるノ」
「それ以外は全部推測でしかないけど、どうして生まれるのは魔女という女性だけなのかだネ」
「・・・・・・そんな話、聞いたことないな」
「これはボクたちも最近考えたことだからネ」
揺らしていた腕を下ろし、今度は足を上下に揺らし始める。
「シュガーレット、君たちの存在はアダムの使いと言われているノ」
「・・・・・・? そうだな」
「それに疑問を抱いたことはないノ?」
「ないな」
シュガーレットは迷うことなく返した。
自分が自分であることに疑問を抱いたことなどない。
だが目の前の双子の博士はそのことに着目したらしい。
「シュガーレットはアダムの使いである自分たちがどうやって生まれたのか、覚えているノ?」
「いや、覚えていない」
「でもシュガーレットは存在しているネ」
「そうだな」
深く、ひとつ頷いた。
「アダムの使いを守るガーディアンの生まれ方をボクたちは知っているネ」
「ガーディアンも魔女と同じ、動物が強い思念を持って死した時、ガーディアンとしてここホワイト・コアに魂が流れ着くようになっているノ」
そこでようやく双子はふと思いついたように言った。
「そういえば、レイニーはどうしたネ?」
「あぁ。朝に研究室に行くと言ったら、俺は行かないと言っていた」
「相変わらずなノ」
「相変わらずだネ」
呆れたように溜息をついて肩を揺らした。
「ボクたちはガーディアンに嫌われているノ」
「まぁ、それは今更の話だネ」
じゃあ話を戻して、とネネが続けた。
「ガーディアンの生まれ方は知っているけれど、アダムの使いはどうやって生まれたのか分からない。でも、自分たちがアダムの使いであることを知っているネ」
「あぁ」
「生まれた覚えがないのに、どうして知っているノ?」
「・・・・・・・・・・・・」
そう言われたから、と言いたくても、誰にそう言われたわけでもない。
どうやって生まれたのか。それも覚えていない。ならばいつ、どうやってアダムの使いになったのか。
「・・・・・・・・・・・・」
「その答えは誰にも分からないネ」
黙ってしまったシュガーレットを見て、ネネは首を横に振った。
「それでもアダムの使いと呼ばれることは変わらない。それじゃあ君たちの存在は何なのか、その役目は何なのか。そもそも魔女とは何なのか、なノ」
「アダムという名前をつけられた君たちと対になるのは、神話の中にいるイヴだネ」
アダムとイヴ。
その神話はなんとなくシュガーレットも知っている。
「魔女になるのが全員女性なのは、アダムの使いと名乗る君たちの存在が答えなのかもしれないノ」
「先に知恵の実であるリンゴを食べたアダムに、イヴは悲しみを覚えたのかもしれないネ!」
ケタケタとネネが笑い、それからつられるようにノノも笑った。
「怒ったイヴのご機嫌取り! 感情をまき散らした『イヴの欠片』をアダムの使いが討伐という名の浄化をする。そう考えたら魔女が全員女性である理由も、アダムという名前を君たちが背負う理由も、何となく繋がるノ!」
「・・・・・・なるほど」
シュガーレットは笑う双子と同じように笑うことはなく、また一つ頷いた。
正直、それを知ったところで自分たちの役目は変わらず、そして魔女が生まれることも変わらない。
この悲しい連鎖を止める手立てはないのだろうか。
「日記が消える理由は分からないんだな?」
「・・・・・・ここまで魔女について語った後の言葉がそれなのは悲しいノ」
「魔女について良い線まで来てると思うんだけどネ」
「でも魔女を生み出さないようにする方法はまだ分からないのだろう?」
「そうだネ」
「そうなノ」
「でもそれは仕方がない」ネとノ意外の部分が重なった。
「アダムの使いがどうやって生まれたのかも分からない。いつから存在しているのかも分からない。魔女だってそうなノ」
「魔女もいつから存在し始めたのかも分からない。いつからアダムがイヴのご機嫌取りをしているのか分からないネ」
「記録はないのか」
「ないネ」
「ボクたちは研究室で研究しているだけであって、討伐をしているわけではないノ」
「いつからの記録はしてないネ」
「だから、この〝いつから〟がいつからなんて分からないノ」
双子は周りにある書類を見渡してから真っ直ぐシュガーレットを見つめる。
そこに映る自分は妙に異質なものに感じたけれど、どれだけ自分の存在を知らないとしても、これからも今の自分として生きるしかないのだ。
「どれだけこの戦いを終わらせたいと願ったところでそれは無理だネ」
「ボクたちの戦いの始まりが分からない以上、終わりだって見えないノ」
「分かった」
双子から視線を逸らし、ひとつ瞬きをする。
魔女を生み出さないようにする方法がまだ分からないことに悲観するつもりはない。
自分として生きていくならば、命令が下されればそれに従うしかないのだから。
――――ドンドン。
ノックというには乱暴な音が響いた。
ネネとノノが声をそろえて「「はーい」」と返事をしたが、そのドアが開くことはない。
それに先に溜息をついたのはノノだった。
「レイニーなノ」
「育ての親に顔くらい見せて欲しいものだネ」
「すまない」
シュガーレットは立ち上がり、椅子をデスクの方に戻す。そして日記帳を持って「今日も邪魔をして悪かった」と頭を下げた。
「全然構わないネ」
「大歓迎なノ」
「ありがとう」
ここでやっと子供らしい笑みを見て、シュガーレットも笑みを浮かべる。だがこれ以上長居していてはドアの前にいるレイニーが怒るだろう。
それを物語るように、未だに小さくコンコンコンコンとドアを叩く音が聞こえる。
「また来る」
「レイニーにも顔を出せって言っておくノ!」
「分かった」
再度一礼し、シュガーレットは音がするドアを開ける。するとそこにはムスっとしたレイニーの姿が。
「大丈夫か」
「問題ない」
「・・・・・・おいクソ野郎ども! シュガーに何もしてねぇだろうな!」
シュガーレットの手を掴み、引き寄せてからレイニーはドアの向こうを覗き込みながら言う。
いつものそれに慣れてはいるけれど相変わらず力強い引っ張りにたたらを踏み、胸板に突っ伏することになった為、こちらから返事をすることは出来ない。
「なーんにもしてないネ」
「ボクたちを何だと思ってるノ」
呆れた声が聞こえるが、レイニーが彼らを睨む紺碧の瞳は本気の色をしている。
「黙れ腐れマッドサイエンティスト」
「育て親にひどい言い草なノ」
「もう一回教育部屋に入った方がいいかネ?」
「・・・・・・クソが」
舌打ちをし、強くドアを閉める。
そしてシュガーレットの手を引っ張りながら扉の間へと歩いて行く。
「レイン」
「分かってるっ」
結んだ髪の毛が揺れた。
いつものように肩を抱かれ、頭に頬ずりされる。
長くついた息は安堵の息か、それとも自分に対する溜息か。きっとそのどちらもなんだろうなとシュガーレットは思うが、これは全部彼らの問題なのだから、こちらから何も言うことは出来ない。
「心配なら俺もついて行けばいいのは分かってる。でも――――」
「いい。分かっている。あそこは死んでガーディアンになる時、最初に行き着き、〝教育〟される場所なんだろう?」
「・・・・・・あぁ」
それは全てレイニーから聞いた話で、どんな教育を受けたのか知らない。分かるのは、ガーディアンはあそこを研究室とは呼ばず、『実験場』と呼び、心の底から毛嫌いしていることだけだ。
死した動物がガーディアンになるとき、ホワイト・コアに魂が流れ着くが、正確にいうと先ほどまでいた部屋に流れ着く。
あの博士たちに何をされたのか、彼から話したがらないならば聞くことはしない。きっとレイニーも聞かれたくないから話さないのだろうから。
「お前が嫌いなところなのに、いつも迎えに来てくれてありがとう」
「別に」
こちらに頬をくっつけたままのレイニーを気にすることなく歩いていると、前から知った顔が歩いてきた。
その姿にシュガーレットは名前を呼ぶ。
「ナイレン」
少し早足で前に出ると自然とレイニーから離れる形になる。「あっ」と彼は腕を伸ばしたが、シュガーレットは気付かずに相手に近づいた。
「ナイレン、会うのは久しぶりか?」
「・・・・・・そうだな」
相手、彼はナイレン。
レイニーよりも短髪の黒髪で、腰には少し形は違うも、レイニーと同じ刀を使うアダムの使いだ。
その隣に立つ長い白と黒が混じる髪の美人な彼女、ホワイトウルフのガーディアンであるハイネにも視線を向けるが、彼女はツンとそっぽを向いてしまった。
相変わらず嫌われたままだなと内心苦笑し、シュガーレットはナイレンに視線を戻した。
「最近はどうだ。変わりないか?」
「あぁ。お前はどうだ」
「私も変わりない」
首を横に振る。するとまたこちらのカラスに肩を抱き寄せられるが、気にせず続けた。
「役所から来た、様子ではないな」
「・・・・・・あぁ」
役所の方向と同じ白い廊下だが、ナイレンはその方向とは少し違う方角から来た。
彼がここホワイト・コア、アダムの使いを統べる存在と接触しているという噂がどこからか分からないが流れている。
噂を信じるつもりはないし、そんな噂はどうでもいい。だが、シュガーレットは実際に彼がその存在がいる場所に続く廊下を歩いているところを見た為、自分の中でナイレンはその存在と会っていることは知っていた。
その存在には、今のところシュガーレットとレイニーは会ったことがない。
「でも元気ならいいんだ」
「そうか」
「突然話し掛けて悪かった」
「いや、問題ない」
「じゃあ、また」
「あぁ」
そのままナイレンはシュガーレットを追い越すように歩き、逆にシュガーレットはナイレンを追い越すように歩き出す。
話している時、レイニーは特に口を出さなかったが、ナイレンの気配が消えると同時に黙ってはいられないとばかりに聞いてきた。
「なぁ、なんでそんなにナイレンは気に掛けるんだ?」
「逆に問うが、どうして毎度そうやってお前は聞いてくるんだ」
いつもの問い掛けに溜息をついた。
「それはシュガーがいつもナイレンにだけ自分から話し掛けるからだろ」
「エリーゼにも話し掛ける」
「あれは向こうから突っかかってくるだろ」
「・・・・・・・・・・・・」
カラスはうるさいな、と言おうと口を開くが、確かにナイレンを見かけたらいつも自分から声を掛けているなと思い返す。
だがその理由を問われても、結論は出ない。自分でもよく分からないのだ。
「私にもよく分からない」
「無意識ってことか?」
「うーん。どうだろう」
少し考えてみるも、やはりよく分からない。
分からないものは分からない。それは今日も双子のところで思い知らされた。
シュガーレットは小さく息をついて、横にある顎あたりに頭突きした。
「あだ!」
「分からないものは、分からない」
「頭突く必要は!?」
「カラスがうるさいから」
「別に変な質問してないだろ!」
「しつこいからだ」
あの美人なハイネの真似をしてフンと首を逸らしてみれば、レイニーは「ハイネの真似だな」と目敏く気付いてしまう。
「シュガーらしくない行動なんてすぐバレるっての」
「腹立つな」
「喜んどけよそこは」
「どうして喜べるんだそれで」
「・・・・・・これだからシュガーには手を焼くんだよ」
「どういう意味だ」
「お子ちゃまだってことだよ」
言い合いをしながら扉の間へと着き、自然な形で家のカギを差し込んで開く。
いつもの家の匂いと柔らかい暖炉の温かさが身体を包み込んだが、テーブルに置かれたソレを見つけてシュガーレットは「レイン」と声を掛ける。
するとすぐに彼も気付いたのか、先ほどまでの雰囲気を真剣なものへと変え、言った。
「昨日の今日か」
「あぁ。だが仕方がない」
シュガーレットは手袋をしていない手でそれを取り、見つめる。
「命令だからな」
それはアダムの使いの任務、魔女を討伐する命令の手紙だった。