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⑫祈願


 頬に触れていた手から力が抜け、重なったレイニーの手の間から落ちていく。

 抱きしめていた身体がこちらに倒れ、閉じた瞼に柔らかく微笑んでいる顔。


「シュガー・・・・・・?」


 最後の光の玉が宙へ消えると同じように光っていたシュガーレットの身体がスーッと輝きを失っていく。

 そのままレイニーの膝の力がカクンと抜け、彼女の頭を片腕で支えながら自身のその膝の上に座らせた。

 横抱きした状態で、再度「シュガー」と名前を呼ぶ。

 だが瞼は固く閉ざされ、何の反応もない。


「いやだ、いやだっ」


 子供のように涙を零しながら首を横に振る。


「シュガー、目を開けろよっ。頼むからっ」


 身体を揺さぶってみても、頬を撫でても、彼女は目を覚まさない。

 ただ唯一の救いなのは、その身体が温かいということ。ゆっくりと呼吸をする彼女は、どうやら眠りについているようだった。

 風が吹く。二人の髪を揺らし、静かに通り過ぎていく。

 レイニーはシュガーレットの身体を強く抱きしめ、「そっか」と泣きながら微笑んだ。


「少し、疲れたもんな」


 アダムの使いとして。

 実験体として。

 イヴだと勘違いされて。


「全部終わったから」


 少しだけ身体を離し、横抱きしながら立ち上がる。

 くたりとこちらに寄り掛かる身体。風で持ち上がった前髪で見えた額に、レイニーはそっと口付けた。


「家に帰ろう、シュガー」




――――それから、三ヶ月の月日が流れた。


「ただいま、シュガー」


 ガチャとドアを開け、シュガーレットの部屋に入る。

 ベッドで眠っている彼女に、レイニーは微笑み、いつものようにベッドの下の傍らに座った。


「エリーゼに話したぞ。いつまでも風邪だって騙し通せないしな」


 結んでいない髪の毛を軽く手で梳いて、それから手を握った。

 まだ温度のあるそれにホッと安堵の息を吐く。


「そしたら何て言ったと思う? 魔女の餌になるよりマシでしたわね、さっさと目を覚まして討伐を手伝って欲しいものですわ、だってよ」


 いつもの彼女らしい言葉にレイニーは笑い、「それでも心配そうな顔をしてた」と親指で手の甲を撫でた。


「全部は説明しなかった。訳があって、だけで許してくれるのは流石エリーゼだよな。ほんと、いつも嫌味ばっかだけど実は優しいってところがスゲーと思う」


「な?」と同意を求めるが、シュガーレットからの反応はない。

 ゆっくりと呼吸を繰り返すだけだ。

 けれどレイニーは話を続けた。


「あのマッドサイエンティストにも様子を報告してきた。実際に見たいと言ってきたけど、断固拒否してきたぞ。もうあのクソ双子には指一本触れさせねぇ」


 三ヶ月前、ホワイト・コアに戻ってきた時、待っていたナイレンに状況を報告すれば、『家のカギだ』とカギを渡してくれた。

 どうやらすぐに家に帰れるように取ってきておいてくれたらしい。

 双子とクリスタルへの報告も請け負ってくれ、その日はそのまま帰ることが出来た。


「あれから魔女の増加も無くなって安定してる。良かったな」


 きっと知らないと胸を痛ませるだろうと、レイニーはシュガーレットに伝える。


「あとはシュガー、お前が目を覚ますだけだ」


 持っている手を両手で包み込み、額を寄せた。

 神様に祈るようなそれ。実際神でもなんでもいいから、シュガーレットを目覚めさせてくれと願う。


 本来ならば、アダムの使いを失ったガーディアンは双子の元に戻り、再びアダムの使いに名を呼ばれるのを待つことになっている。しかしそうなることはまれのため、本当のところどうなるのかレイニーは知らない。

 まだレイニーという名前をもらう前に、そういうガーディアンを見たこともないからだ。

 すなわちそれは、ガーディアンはみな、アダムの使いを守って死んだということを意味する。

(俺はガーディアン失格だな)

 しかしまだ主は生きている。

 レイニーは首を横に振り、その思考を振り払った。

 けれど今日、ついに双子に言われてしまったのだ。

――――そろそろ、別のアダムの使いにつけと。

 彼女たちが口にしていた。『任務は待ってくれない』と。今日だってアダムの使いたちは魔女の討伐に送り出されている。

 しかしシュガーレットがこのようになった原因は双子にある為、そんな言葉は撥ね除けてやったけれど。


「シュガー、そろそろ起きないか?」


 彼女の手を額に当てたままレイニーは苦笑した。


「シュガーの声が聞きたい。一緒に話しがしたい」


 しん、とした沈黙だけがその言葉に返事をする。

 分かっている。いつものことだ。けれど、もうそろそろ限界だ。


「家の中が静かでさ、どれだけ暖炉に火を入れても寒いんだ。一緒に帰って来たのに、ひとりぼっちみたいで・・・・・・」


 ぐっと喉が詰まる。

 エリーゼが言っていたように、魔女の餌になるよりもマシだった。

 魔女になってしまえばナイレンに浄化されていただろうし、そうならずとも魔女の増加が止まらなければ、自分が彼女に手を掛けねばならない事態になっていただろう。

 それを思えば、いまこうやって生きてくれているだけでも感謝しなければいけない。

 でも、それでも、どうしても寂しさは拭えない。


「シュガー、また一緒に料理をしようって言ったよな。また俺にシュガーの下手な料理、食べさせてくれよ」


「前に言っただろ?」と続ける声は震えていた。


「今度、俺の我儘ひとつ聞けよって。魔女の討伐の時に約束したよな? シュガーは逃げようって言った俺の我儘も聞いてくれなかった。なら、料理をして欲しいっていう我儘くらい聞いてくれよ」


 何度目か分からない涙が零れる。


「起きて欲しいっていう我儘を、聞いてくれよっ・・・・・・!」


 ポタポタと彼女のベッドのシーツが濡れていく。

 どれだけ泣いたって、どれだけ願ったって彼女は目を覚まさない。


「あの時の返事だって、したいんだ」


――――また、逢えた時まで、取っておいて、くれ。


「また逢えた時ってなんだよ。生まれ変わってまた出逢うってことか? でもシュガー、俺は愛してるって言ってくれたシュガーに返事がしたい。また出逢えたことの喜びよりも、シュガーが目を覚ましたことを喜びたい」


 レイニーはそれこそ最大な我儘だと自嘲した。それでも言うだけはタダだ。

 言うだけの我儘くらい許して欲しい。


「シュガー、どうやったら目を覚ます? 王子様の口付けとかか? 無理だからな? 俺、ガーディアンだからさ」


 ハハっと笑う。胸が苦しくてたまらない。


「こんな俺でも、出来ることがあるなら何でもやる。必要なものがあるなら何でも渡す。シュガーレット・アインツの思念はもうないけど、俺の中にあるシュガーの記憶を分けてもいいから」


 だからお願いだ。


「目を覚ましてくれ」


 座っていた身体を起こし、膝立ちになる。そしてシュガーレットの額に自分の額を当てた。

 こんなのただの自己満足だと分かっていても縋ってしまう。

(シュガーは魔女の記憶を読み取る時、どうしてたんだろう)


「もっとちゃんと聞いておけば良かったな」


 彼女の瞼が開かれることはない。

「ごめん、シュガー」と小さく謝ると、その瞼の上にポタリと涙が零れてしまう。


「あっ」


 慌てて拭おうとしたそのとき、突然視界に色が失われていく。

 それどころか、ザザザとモザイクがかかるようにシュガーレットの姿もうまく見えなくなる。


「なっ、なんだ!」


 そのまま彼女の姿も全て消え、視界が真っ暗になる。いや、それだけではない。

 身体を起こせば、ベッドもなにもなく、まるで別の暗闇の空間に投げ出されたようだった。


「ここは?」


 立って一歩進んでみる。何にも躓くことがないということは、やはり視界が暗くなっただけではなく、どこかの暗闇にいるということだ。


≪あははっ!≫


 突然声が聞こえ、振り返る。

 いま腰に刀は下げていない。それでも何があってもいいように腕を構えれば、そこにいたのは。


「シュガー?」


 楽しそうに走るシュガーレットだった。

 眠っているわけではない、瞼を開き、立って動いている。

 それにレイニーは手を震わせながら伸ばすと、また後ろから声が聞こえた。


≪エリーゼには本当に敵わないな≫

≪魔女の気配がする、気をつけろ≫

≪どうしてこうなるのか私にも分からない。キッチンの道具が悪いんじゃないか?≫


 振り返ればそこには沢山のシュガーレットがいた。

 苦笑していたり、真剣な眼差しで剣を抜いていたり、ふくれっ面をしていたり――――様々な表情の彼女がいる。


「どういう、ことだ?」


 沢山のシュガーレットの景色に、レイニーは呆然とする。

 一体なにが起こったのか。久しぶりに聞いた声に喜びを覚えつつも、困惑に辺りを見渡した。

 

≪レイン!≫

「・・・・・・!」


 呼ばれた名前に反応し、こちらに走ってくるシュガーへ咄嗟に腕を広げる。だがレイニーは取った行動とは別の言葉を口にした。


「ちがう」


 広げた手を戻す。


「シュガーじゃない」


 瞬間、シュガーレットの姿が光の分子になるように消えた。

 それに三ヶ月前の彼女が意識を失った時のことを思い出すも、あれは彼女ではないとレイニーは断言できる。

 どうしてかと聞かれると上手く説明出来ないけれど、何となく分かるのだ。

 先ほど一人のシュガーレットが消えたが、まだ沢山のシュガーレットが存在している。


「・・・・・・もしかしてこの中に本物のシュガーがいるのか?」


 ここがシュガーレットの中なのか、それとも自分自身の記憶の中なのか。

 それともただの夢なのか分からないけれど、レイニーは辺りを見渡しながら歩き出す。

 その間も様々なシュガーレットが通り過ぎたり、名前を呼ばれたりもするけれど、レイニーは「ちがう」と首を横に振った。


「シュガー!」


 逆にこちらから名前を呼ぶと、≪どうしたレイン≫とシュガーレットが姿を現わすも、再びレイニーは「ちがうな」と視線を早々に逸らした。

 歩き出してからどれくらい時間が経っただろう。

 一分かもしれないし、数時間かもしれない。この空間では時間感覚がまったく掴めなかった。

 けれどレイニーは不安を覚えることもなく、ただひたすらシュガーレットを探す。

 たとえこれがただの夢であったとしてもいい。毎日毎日ただ眠っている横顔を眺めて何も出来ない自分でいるよりまだマシだ。

――――ふと、ひとりのシュガーレットの背中が視界に映った。


≪・・・・・・・・・・・・っ≫


 声を押し殺しているのが分かる。

 何度も何度も両手で目を擦るのは、泣いているからだ。

 その周りにはいつものシュガーレットがいる。


≪レイン、右に回って挟みうちにするぞ≫

≪ナイレンはこれから任務か?≫

≪終焉の加護を授け賜わん≫


 何度も何度も見てきた彼女の姿。その中できっと一番彼女らしくないのが泣いているシュガーレットだろう。

 けれどレイニーは迷わず進み、「シュガー」と背後から声を掛けた。


「見つけた、シュガー」


 声を掛けられた彼女はビクッと身体を震わせる。けれど振り返ることはしない。きっと泣き顔を見せたくないのだろう。


≪どうして私だと思った≫

「前に言っただろ?」


 いつかの時に、ハイネの真似をしたシュガーレットに言った言葉。


「シュガーらしくない行動なんてすぐバレるっての」


 そうだろ?


「泣き虫シュガー」

≪・・・・・・っ!≫


 シュガーレットは振り返り、レイニーに抱きついた。それをレイニーも強く強く抱きしめる。


「会いたかった、シュガーっ」

≪それは起きた時の私に言ってくれ≫


 小さく笑った彼女にレイニーも苦笑してから「ここは何なんだ?」と訊ねた。


「突然、えと、気付けばここにいたんだけど・・・・・・俺の夢だったりするのか?」

≪いや、これはお前の夢じゃなく、私の記憶であり、思念であり・・・・・・とにかく実験体として使われた私の身体の中だ≫

「シュガーの中?」

≪あぁ。私はシュガーレット・アインツの思念が入っていて、ナイレンの血と義体で動いていた。だが魔女であった彼女を浄化したと同時に、思念も浄化された。けれど、アダムの使いであるシュガーレットの思念と記憶がそこにわずかながら残っていた≫

「じゃあどうして眠ったままに?」

≪多少なりとも思念と記憶が残っていたから私は死なずにすんだが、それでも浄化する前はシュガーレット・アインツの思念と私の思念がごちゃ混ぜになっていたから、私の記憶との結合が上手く出来なかったからという理由もあるだろうな≫

「だからこんなに沢山のシュガーがいたのか」

≪多分、他の私はシュガーレット・アインツの思念になり損ねた私の思念だろう≫

「シュガーでありながらもシュガーじゃないってことか」

≪あぁ。でももうそれも時期に消える≫


≪なぁレイン≫とシュガーレットは名前を呼び、少し離れて嬉しそうにこちらを見上げた。


≪私を見つけてくれて、ありがとう≫

「・・・・・・シュガーが先に俺を見つけてくれたんだ。今度は俺の番、だろ?」

≪そうか≫


 笑顔のまま頷き、深呼吸をする。

 そして≪もう一つ、頼んでも良いか?≫と彼女は言った。


「なんだ?」

≪私にお前の記憶を共有させてくれ≫

「そんなの頼まれなくてもいくらでも共有させてやるよ」


「あ、でも」とレイニーは笑ってみせる。


「俺の宝物だから大事にしろよ。あと、どれだけシュガーを見ていたか知っても引くんじゃねぇぞ」

≪っ、バカ≫


 恥ずかしそうにシュガーレットはレイニーを叩き、まったくというように息を吐く。

 けれどレイニーからしたら本当のことだ。どれだけ長い時間、彼女のことを大切に想っていたか。それがバレるのは恥ずかしくないけれど、少しくすぐったい気持ちはある。


≪じゃあ、額を貸してくれ≫

「・・・・・・それでシュガーは目覚めるのか?」

≪多分な≫

「絶対じゃないのか?」

≪双子の言葉を借りるわけじゃないが、これは私の憶測であって、結果を見たことがない以上絶対とは言い切れない≫

「そうか・・・・・・」


 ついてしまいそうな溜息をぐっと堪える。ここで辛い顔を見せたらまた彼女を困らせ、胸を痛めてしまうだろう。

 だがこちらの考えなどお見通しだとばかりにシュガーレットは両手を握り、「レイン」と名前を呼んだ。


≪大丈夫。きっとまた逢える≫

「・・・・・・生まれ変わるまで待てとか言うなよ」

≪はは、そうだな。でもお前は私が目覚めるまでずっと傍にいてくれるだろ?≫

「当たり前だ」

≪なら大丈夫だ≫


 どこからその自信が来るのだろう。

 だが自分だってシュガーレットを見つける時には絶対的な自信があった。きっとそういうものなのだろう。

 レイニーはシュガーレットが握っていた手を少し動かし、絡ませ合う。

 そして首と背中を曲げ、彼女と額を合わせた。


≪ありがとう、レイン≫

「それこそ目が覚めた時に言ってくれ」


 それから。


「あのとき言わせなかった返事をするから、絶対目を覚まして欲しい」

≪・・・・・・分かった≫


 フワリと暗闇で風が吹く。

 下から上へと巻き上がるようなそれに、ゆっくりと瞼を閉じる。

 するとシュガーレットと触れ合っている箇所から一つになっていくような感覚がした。

 どこからが自分で、どこからがシュガーレットなのか。

 身体が風に流されるように飛び、身体を撫でていた風がやんわりと温かくなり、まるで湯船に浸かっているように漂う。

 すると目を閉じている筈なのに、瞼の裏側の向こう側に光が見え、そして沢山の画面が視界に広がった。


――――シュガーレットだ――――

――シュガーレット。俺はカラスのレイニーだ――――

――――あぁ。よろしくな、レイニー――


――夢見る魔女って、なぁんの夢見てんのかね――

――――さぁ。どうだろうな――

――たとえそれがどれだけ幸せな夢であろうと、私たち『アダムの使い』に命令が下されたのだ――――

――――ならば討伐する以外に選択肢はない――――


――――どうしたんだ?――

――シュガーは冷てぇなって――――

――――なんで私が冷たいんだ――――

――あーあ、エリーゼみたいにシュガーにも名前を呼ばれてみてぇなー――

――――レインっていつも名前を呼んでいるだろう――――


 全てシュガーレットとの記憶だ。

 きっと忘れてしまったこともあるだろう。けれどシュガーレットと歩んできたことを忘れはしない。

 そしてこれからも、彼女と歩んでいきたい。記憶を重ねていきたい。

 誰でもない、アダムの使いであるシュガーレットと。


 ふと視界が暗くなり、身体に重さが戻ってくる。

 ゆっくり目を開けると、ベッドの上で寝ているシュガーレットに額を合わせた時の状態だった。


「シュガー・・・・・・」


 額を合わせたまま小さく名前を呼んでみる。

 すると、ずっと開かなかった瞼が震え、ゆっくりとそれが持ち上がった。


「レ、イン?」

「――――っ」


 レイニーは胸に込み上がる気持ちをどう消化していいか分からない。だがもう感情のままに口にする。


「シュガー、俺もシュガーのこと、」


 視線が絡まる。


「愛してるよ」


 そしてそのまま唇を重ねた。


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