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プロローグ


――――本日の任務。

 シュバル・キルガーネにて、夢見る魔女『カナリア・ベルベット』の討伐。



 白い封筒に、封をしていた銀色の溶かした蝋の雫。

普通ならばそこに何かの印が押されるはずだが、そこには何の印もなく、無機質な蝋の滴りがあるだけだ。

 その中から取り出した、同じように白い紙に書かれた丁寧な文字を読み、少しだけ幼い面持ちを残した女性、シュガーレットは黒い手袋をしたままパチンと右手の指を鳴らす。

 すると左手で持っていた封筒と手紙にボっと蒼い炎が灯り、灰にもならず消え去った。


「夢見る魔女って、なぁんの夢見てんのかね」


 シュガーレットの肩に止まっている紺色のカラスのような鳥がどこか嘲笑うかのように言った。

 その瞳は紺碧の色をしていて、シュガーレットの赤い髪色と対になっているように見える。


「さぁ。どうだろうな」


 カラスがとまる肩とは反対の方へ首を曲げ、軽く音を鳴らした。

 一本に結んでいる髪の毛がサラリと揺れ、背中を擽るも、真っ黒いスーツの上からでは何の感触も残さない。


「たとえそれがどれだけ幸せな夢であろうと、私たち『アダムの使い』に命令が下されたのだ」


 シュガーレットは立ち上がり、街を見下ろす。

 真夜中の時間だというのに、この大きなチャペルの屋根の下にはまだ馬車が走っていて、まさに華と言わんばかりのドレスをまとった貴婦人たちが、夫なのかそれとも愛人なのか分からない相手に手を引かれて歩いている。

 なるほど。ここは確かに夢を見るにはうってつけの街なのかもしれない。

 髪と同じく赤い瞳でそんな輝かしい光景を見つめながら、無表情で言い放った。


「ならば討伐する以外に選択肢はない」



~ * ~



 黒いスーツ姿に、黒い手袋。

 彼女は赤い髪を一本に縛り、肩にはカラスを乗せている。そしてその腰には長めの剣であるハンド・アンド・ア・ハーフ・ソードを携えていた。

 服装と同じ色の革靴は、石で出来た道をコツンコツンと叩き音を鳴らす。だが喧噪の中ではそんな音はかき消され、ただただ楽しそうな声が広がっていた。


 シュバル・ギルガーネ――――ここは人が多く集まる街だ。

 オペラやカジノ、誰が開いたかも分からないが誰でも参加出来る舞踏会に、隠されることもない競り市場。

 ようするに金持ちが遊びに来るリゾート地みたいなものだろう。

 このような場所に魔女が生まれるなんて珍しくはない。

 その証拠に、シュガーレットが大通りから視線を逸らせば、細く薄汚い細道。そこに死にかけの人間がひとり、ふたり。

 きっと美しかったであろう身なりは、今はもうボロボロで、華が枯れた末路のようだ。


「酷いもんさ」

「こんなものだろう」


 カラスの言葉に、シュガーレットは視線を前に戻して言う。


「光があれば闇が生まれる。こんなに眩しい街なんだ。影が深くてもおかしくない」

「その光がもう少し優しいものならいいんじゃねぇの?」

「そうだな」


 ふと、目の前に3、4人が横並びで楽しそうに歩いてくる。

 こちらには目もくれず、避ける様子もない。だがシュガーレットは特に気にした様子もなく、馬車のいない道路へと歩をずらした。

 ガヤついたこんな街だ。道路を歩いた方がまだマシだろう。

 人が立ち入っていないその道を歩いていく。


「おい危ねぇから道もどれ」

「問題ない」


 周りからの視線も何もない。危ないと注意するのは肩にいるカラスだけだ。

 各々が自分の世界に入り浸っているからか、それとも黒いスーツのシュガーレットなんてどうでもいいのか。

 いや、〝これ〟はそういうわけではない。


 ガラガラと音が響くと思いきや、スピードを出した馬車がこちらに向かってくる。

 目の前まで迫ると馬二頭はとても大きく、その脚に踏まれれば命などすぐに散るだろう。カラスが危ないと怒る理由も分からなくもない。


「おいシュガー」


 カラスが怒るように言う。

 その二頭の綱を持つ老人の視線もシュガーレットに注がれない。

 当たり前だ。なぜならこの街にいる人間全てが、シュガーレットの姿を認知していないのだから。

 それでもシュガーレットは気にすることなく歩を進め、ぶつかるギリギリのところで一歩だけ横に歩をずらし、それを避けた。

 スピードが速い分だけ風が後から吹いてくる。

 前髪を浮かせ、結んだ一本も揺らす。だがそんなもの、ただの風と同じだ。

 シュガーレットは乱れた前髪を少し戻すように首を振ると、突然グイと腕を引かれた。


「ちょ、レイン」


 この街の人間が自分を認知するのは、こちらから声を掛けた時のみ。

 その筈なのに、こうやって腕を引っ張ることが出来るのは、これから討伐する魔女か、肩に止まっていたカラス――――レイニーだけである。


 シュガーレットはカラスから紺色の髪をした男の姿に変えたレイニーに腕を引かれ、人通りの多い大通りを抜けて細道へと連れて行かれた。


「お前、毎度毎度いい加減にしろよ」


 足を止めて振り返った男はカラスと同じ紺碧の瞳をしていて、シュガーレットと同じスーツ姿に剣を腰に下げていた。

 しかし彼女とは違い、その剣は少しだけ弧を描いていて、見る人が見れば打刀であることが分かるだろう。


「他の連中に認知されないからって、そういう人混み避け方やめろよ」

「・・・・・・別に轢かれたわけでもないし、誰にも迷惑を掛けてないだろう」

「そういう問題じゃねぇだろうが」


 レイニーはシュガーレットから手を離し、溜息をつきながらガシガシと自分の頭をかき混ぜた。


「例えば、だ。お前の姿を認知していないからって、槍を持った兵隊が100人連なって真っ正面からやって来てもお前は傷ひとつ負わないだろうよ。だがな、俺の心臓を考えろ。俺がどれだけ心配すると思ってんだ」

「カラスは随分ひ弱なんだな」

「そういうことじゃねぇだろ!」


 カラスのままでもうるさいが、人間の姿になった彼はもっとうるさい。

 シュガーレットは溜息をついて自分の肩をポンポンと叩いた。


「分かった分かった。ちゃんと大通りを通るから、お前はカラスに戻っていろ」

「まーたそうやって人間の俺をウザがるんだなシュガーは」

「仕方がないだろう。本当にウザいんだから」

「お前って奴はほんっと・・・・・・!」


 レイニーがわなわなと拳を振るわせれば、二人はハッと息を呑み、細道の奥へ顔を向けた。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 シュガーレットは目を細めて、向こう側を見つめる。だが明かりの灯らないそこには、まだ何も見えない。

 それでもこの気配はどう考えても魔女だろう。

 広がる暗闇に、なぜか湿ったような空気感。死臭がするわけではないけれど、表通りとはあからさまに違う雰囲気がそこにはあった。

 音を立てずに静かに剣の柄を握る。真っ直ぐ奥を見つめ、繰り返す呼吸は無意識に殺していた。

 視線を向けずとも同じようにレイニーも同じように柄を握ったのが気配で分かる。

 背後では何も知らない人々の楽しそうな声が響くままだが、まるでここだけが別の空間になったかのようだ。

 不意にレイニーのもう片方の腕がシュガーレットを守るかのように伸びた。


「来るぞ、シュガー」


 そう言ったと同時に、バイオリンの音がどこかからか響く。

 まるで古びたレコードを回しているかのようなもので、ブツブツと途切れながらも流れるそれはオーケストラの演奏だろう。

 その中で同じように歌声が音符に乗るように響いていた。


≪~~~~♪≫


 高く、天を突き抜けるようなソプラニストの声。

 この煌びやかな街で歌われたものならば喝采が起きても不思議ではないが、レトロな色を纏うそれは手放しに拍手が出来るようなものではない。

 鼓膜を揺さぶるその歌声が、突然実体化したように鋭い影として、暗闇の奥から目にも留まらぬ早さで伸びてきた。


「――――っ」


 レイニーは素早く刀を抜いて、それをギインと受け止める。

 先端はまるで割ったガラスのような鋭さを持っており、刀で受け止めなければその身体に突き刺さっていただろう。

 受け止めた衝撃で火花が散り、薄汚い細道を照らす。だがそれも束の間、またもう数本の影が襲い掛かった。

 レイニーが刀を動かし、受け止めていた影を壁へと逸らす。するとそれは音も鳴く壁へと突き刺さったかと思えばサアと灰になるように消え、だがそれは決して幻ではないのだというように壁に穴を残していった。

 レイニーはシュガーレットの盾になるように向かってくる影を同じ要領で弾き逸らしていくと、同じように消えていく。


「なるほど。これが夢というわけか」


 それを見ていたシュガーレットは頷いた。


 オーケストラの伴奏に歌う声。

 きっと魔女は夢の中で舞台の上に立ち、ライトの下で歌っているのだろう。

 だがそれはあくまで夢の話。だからどれだけ歌声が形なろうとも霧散して消えてしまう。

 そこには舞台で歌った栄光も、それどころか舞台に立ったということさえ幻なのだ。


 シュガーレットは大きく深呼吸をする。そして腰を落とし、姿勢を低くした。

 片方で鞘を持ち、まるで何かの蓋を開けるように親指の爪でで柄を弾く。跳ぶように鞘から浮いた剣の柄を掴み、スーっと空気を切るような音を立てながら剣を抜いた。

 根本から先端に掛けて、だんだんと細くなるハンド・アンド・ア・ハーフ・ソードは大剣には満たないが、中剣と呼ばれる部類に入る。

 スラリと長い歯はまるで冷たい月のような輝きを放ち、蒼くて淡い光を宿していた。


「レイン」

「ああ」


 自分の盾となっているレイニーの名前を呼ぶと、シュガーレットは腰を落としたまま地面を蹴り、先ほどの馬車よりも速いスピードで走り出す。

 ソプラニストの歌声に合わせて迫る影。目の前に見えたそれをシュガーレットは軽く跳躍し、細道の壁を走ることで避ける。

 だがそこで魔女の歌い方が変化した。

 天を突き抜けるようなものではなく、音程を上下にさせたものだ。

 すると真っ直ぐに伸びるだけだった影が角度を付けて曲がり、シュガーレットへと向かってくる。

 数本それを避けるも、背後でそれが曲がり、彼女に刺さらんとするが。


「させねぇよ?」


 トンとシュガーレットの背中にレイニーの背中が当たり、チシャ猫のようにニインと口元に弧を描かせながら刀をグルン! と風車のように回す。

 カラスだからということもあって、シュガーレットよりもレイニーの方が走るスピードは速い。きっと本気を出せばこの影たちよりも速く動けるだろう。

 シュガーレットはそんなレイニーの背中を感じつつ、フッと息を吐く。そして軸足である右足に力を込めて、走るのではなく今度は斜め上へと跳躍した。


『カナリア・ベルベット』


 告げたのは討伐対象である魔女の名前。その姿が闇の奥に在った。

 ウェーブの髪の毛を広げている女性だが、その瞳は大きなボタンで、引き裂かれたような大きな口にはそれを塞ごうとしているのか、刺繍糸が施されている。

 きっと死して魔女になる前は美しいソプラニストだったのだろう。今もその頃の夢を見て、この街を彷徨っている。

 観客からの喝采、彼女の道を照らしたスポットライトはきっといつしか彼女自身を焼いてしまったに違いない。

 光が強ければ闇が深くなる。

 レイニーが言っていたように、光がもう少し優しいものならば、きっと彼女は悲しみを宿した思念体である魔女になんてならなかっただろう。

 だが、そんなことを思ったところであとの祭りだ。

 シュガーレットは儀式の鎮魂の祈りを捧げる。


『我が名はアダムの使い、シュガーレット』


 シュガーレットは剣の先端を下にいる魔女に向けるよう縦に持ち替え、両手で柄を握った。


『汝の魂を解放すべし者』


 祈りの言葉に呼応するように冷たい輝きを放っていた刃から、今度は淡く優しい炎のような光が灯った。


『最期の産声を上げ、泣き叫べ。さすれば神が汝を見つけ――――』


 チャキ、と剣の刃の角度を正確に合わせ、


『終焉の加護を授け賜わん』


 夢見る魔女『カナリア・ベルベット』の頭から身体にかけて、貫いた。

 瞬間、黒い霧のようなものが飛び出すも、悲鳴はひとつも聞こえない。

 シュガーレットは魔女の肩に足を乗せた状態でゆっくりと剣を抜けば、黒いそれがだんだんと光の玉へと変化し、ふわりふわりと浮かんでいく。


 クルリと一回転して降りたシュガーレットは、浄化されるように魔女がだんだん形を失っていくのを見つめた。


――――お父様、聞いて聞いて! 今度、椿姫をわたくしがやることになりましたの!

――――どうしてそのような嘘を。わたくしは貴方を心から愛しているのよ?

――――愛しい愛しいわたくしの子。決してわたくしのようにはなりませんように。


 その光の玉に彼女の過去が浮かび上がっては、そのまま神に救い上げられたかのようにサアと消えていく。


「おやすみ、カナリア・ベルベット。今度こそ良い夢を」


 それらを静かに見送るシュガーレットの隣にレイニーが来て、まるで慰めるように肩を抱いて頭に頬ずりをした。

 最後の一粒が消えるまでそれを見送れば、ようやくシュガーレットは大きく息を吐いて剣を鞘に戻す。そして「任務完了」と呟いた。

 魔女が消えていく間にあった静寂は一瞬にして消え去り、表の喧騒も耳に戻ってくる。

 こんな光が眩しい街だ。いずれまた魔女が生まれるだろうけれど、しばらくは安泰に違いない。


「私はアンノウンへ報告しに行く」


 任務が完了したらアンノウンへ報告する。それまでが義務であり、逆にそうしなければ自分たちも困ることとなるのだ。

 早くアンノウンがいる、自分たちの拠点である『ホワイト・コア』へ帰ろうと足を踏み出そうとするも、レイニーはこちらを離すことなくまた頬ずりをして「俺も行く」と返した。


「毎度ついてくる必要ないんだぞ」

「シュガーを一人で行かせるなんて俺の心臓が持たない」


 彼の言葉にシュガーレットは面倒くさそうに溜息をつく。

 

「カラスは相変わらず心臓が弱いな」

「へいへい。それでいいですよ」


 レイニーも何か諦めたような溜息をついて、それからシュガーレットから頬を離す。そして今度は頬ではなく、互いの額を合わせた。

 頭ひとつ大きい彼の身長では、片方が頭を下げ、片方が頭を上げる形になる。だがそれはしっくりくるバランスだった。


「お疲れ様、シュガーレット」


 優しい声で労う言葉。

 どんな気持ちで魔女と向き合い、過去の記憶を乗せて消えていく姿を見ているのかを知っている彼だからこそだろう。

 お礼を告げたことはないけれど、内心では感謝している。


「あぁ」


 シュガーレットはゆっくりと瞬きをしてから、そのまま目を閉じて少し背伸びをするように自ら額を彼に押し付けた。


「お疲れ様、レイニー」


 そしてようやく柔らかく微笑んだのだった。

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