王子の妻になった私の旦那様 〜さようなら。これからも幸せで暮らしてください。私はあなたのことが大好きでした〜
「婚約破棄ですか…………」
「申し訳ない。これは完全にこちらの落ち度だ。君に一切の非はない」
目の前の栗毛の美少女が、そう言ってまっすぐに頭を下げる。陶磁器のように滑らかな肌に、澄んだ緑の瞳。同じ女性として嫉妬してしまいそうなほど美しい男装の令嬢。
彼女は手慣れたように私の前にひざまずいた。
「レビアン。すまない。こんな情けない男で」
「本当にアークファルト様なのですね」
「ああ、どんなののしりでも受ける覚悟だ」
私の手に触れる彼女の仕草は、まさにいつも見ていた私の婚約者アークファルト=アストロブレム様そっくりだった。
アークファルト様は自慢の婚約者だった。
辺境近くの伯爵家の四男、跡取りではないため与えられた騎士の爵位はそれほど高いわけではなかったが彼は努力家で優秀だった。家を出てすぐ王国騎士団に入ると幼い頃から鍛え続けた剣の腕を買われ、若くして近衛隊として王子の側近に選ばれたのだ。
将来を期待された勇猛な軍人、見た目も凛々しく、部下からの信頼も厚い。騎士団員として前線にいた頃はアストロブレムの戦豹と呼ばれて蛮族から恐れられていたらしい。
髪色も地味で、家柄も低い私とは釣り合わない人だった。
まだ幼かった頃、婚約したばかりの私たちはいつも一緒にいた。長男の次男の三男の四男のアークファルト様と、大して美しくもない妾の子の私はパーティになるといつも端においやられていた。互いに両親から気にもされない立場。私たちはパーティのたびに抜け出して、街を探索していた。
「僕が立派になったらレビアンのこと迎えに行くね」
「えー、それ立派にならなかったら結婚しないってこと?」
「絶対立派になるから」
まだ世間のことなど何も知らなかった頃の会話。だがその会話の通り、彼は成人して家を出るとすぐに立派になって帰ってきた。
「レビアン。約束通り結婚しよう」
王子の側近に選ばれた時点で私との婚約など解消されてもおかしくなかった。もっと格式の高い相手との縁談に乗り換えた方が彼にとって都合がいいはずなのに、たまたま実家の領地が隣同士というだけの理由で選ばれた婚約者の私をまるでお姫様のように大切にしてくれた。
どんな縁談が来ても「俺にはレビアンしかいないよ」とすぐ断ってくれるのがたまらなくうれしかった。
彼と結婚して、それから毎日彼が剣を振る傍らで家を支えていければと思っていた。
幼い頃から彼の婚約者として、武家の女として育てられた私には他の人たちのことはわからない。けれどもその毎日は間違いなく幸せだったと思う。
でも、もうそんな未来は来ないのだ。
結婚を目前に控えたある日、彼は女になってしまった。
原因は異世界人の呪いというものらしい。その日、異世界から来たという占い師に王子が襲われ、アークファルト様が王子を身を挺して庇うと、代わりに呪いを受けた彼の姿は何故か女になってしまったようだった。
人の性別を変えるなんて、あまりにも無法な力だ。元に戻す方法はわからない。犯人の異世界人はその場で斬り捨てられてしまい、国中を探しても元に戻す手段を知る人は見つからなかった。
「アークファルト様はこれからどうなるのですか?」
「あのような力を持ったものは他にはいない。これからは女として生きなさい。と、それが王命だ」
勇猛な軍人から麗しき美少女になってしまったアークファルト様は悔しそうに顔を引き攣らせた。
王は王子を救った彼の献身に大変感銘を受けて、彼を王子の王妃候補の一人として宮廷に抱え上げようとしているらしい。宮廷など本来下級貴族の私たちでは手の届かない世界。幼い頃はただ見上げるだけだったのに、なんの悪戯か彼は気がつけば国妃候補になっていた。
家のために、国への忠誠のため、彼、いや彼女が断るなんてことはあるはずがなかった。
「もう、元には戻れないのですね」
もう私たちは一緒にはなれない、「レビアンだけだよ」とはもう言ってもらえない。その事実を目の当たりにして涙が出てきた。
「レビアン。大丈夫だ。安心してくれ。レビアンのことは王子に取り計らって貰えることになっている。うちなんて比較にならないほど名家から縁談がくるはずだ」
私の涙を見てかアークファルト様は少し焦ったように素に戻る。他の縁談を用意するという彼の言葉は優しく、そして同時に冷たい拒絶だった。
「そういうわけではないのです」
別に代わりの縁談が欲しいわけじゃない。あなたがいいのだ。あなたと生きたかったのだ。
でも、彼は王子の妻となってしまう。宮廷に上がってしまえばただの下級貴族の私とはもう会うことすらできない。
「もう会えないと思うと寂しくて」
「いや、絶対会いにくるよ。正直、女性としての立ち振る舞いもよくわからないのだ。誰かに教えてもらわないとか自分が何をするかわからない。宮廷闘争なんかに巻き込まれたら全部斬ってしまうだろう。レビアンだけが頼りだ」
私だけが頼り。
今まで大好きだった言葉が、全く違う意味になって私を苛む。これからは同性の友人として会いにくるという残酷な言葉に、堪えようとしていた涙が溢れ出した。
「もう。やめてください」
「待って。レビアン!」
涙を見せまいと逃げ出した私を、アークファルト様が掴んだ。
「離して!」
手に触れた彼の体をおしかえす。
彼、いや彼女の体は軽く、美しく細い彼女の指は、驚くほど力がなかった。
「あ……」
彼女は私に押されて、すとんとそのまま尻餅をついた。
男の頃だったらピクリとも動かなかったであろう私の力で、彼女はあまりにもあっさりとその場に崩れ落ちた。
言葉もなく、呆然と自分の手足を見つめる彼女の表情は驚きと諦めで埋め尽くされていた。
「お、俺は本当に女になってしまったのだな」
「その、あの、ごめんなさい」
「いや、君のせいじゃない。驚いているだけだ。レビアンの前では最後までカッコつけていたかったのだがな。やはりこの体ではもう……」
何かを諦めたように俯いたアークファルト様はか弱く、どことなく妖艶であった。女の私ですら見惚れてしまいそうな危うい色香が彼女から漂っていた。
この美しい女性を抱きしめて守ってあげたい、私ですらそう思うほどだった。ただそれをすることは今までの男であったアークファルト様を否定することになる気がして、私はただ後退りすることしかできなかった。
「アークファルト様。さようなら」
逃げるようにその場を後にし、私は何もできない自分の無力さにひたすら泣いた。
その後すぐアークファルト様は三人の王妃候補者の一人として選ばれた。元男性の危うい美少女。ゴシップの議題にピッタリな彼女のことは下級貴族に過ぎない私の所まで余すことなく聞こえてきた。
「元男なんかに国妃を任せてもいいのだろうか」
「王子は彼に骨抜きにされているらしい」
「騎士団にも出入りして男どもにチヤホヤされているらしい」
「王子ではなく本当は王の妾なのでは」
「あの男は王も、王子もどちらも虜にしているらしい」
流れてくる噂はどれも悪意に満ちていて、聞いているだけで嫌な気分になった。だが「アークファルト様はそんな人ではない」と言い返そうにも、私の知っているアークファルト様は豪胆で努力家の軍人であり女ではない。言ったところで女になる前のことなんて関係ないと捨て置かれるだけであった。
王妃候補の訓練は大変なのか、「また来るよ」という言葉に反して、アークファルト様が訪ねてくることはなかった。それどころか王子からの縁談の紹介というものすら届かない。はなから他の男で紛らわせようという気はなかったが、私のことなど完全に忘れてしまったかのような態度にただただ悲しさだけが募った。
今も宮廷で王妃候補として、厳しい修行に励む彼女にとっては元婚約者の私などもはや故郷に置いてきた過去に過ぎないのだろう。
ただ過ぎゆく日々を消費するように花を育て、誰も寄らなくなった家を意味もなく一人手入れしながら毎日を過ごした。
「私はこれからどう生きましょう」
誰にも届かない言葉を口にするたび、アークファルト様は頑張っているのに、私は自分のことばかりだと実感させられて、考えれば考えるほど、本当に自分が嫌になった。
しばらく経ち舞踏会の季節になった。
今日は三人の王妃候補者達の中から王子の正妻がついに発表される日。その結果を大々的に発表するため、貴族の多くの子弟達は王宮に招待されていた。
「貴女はあのアークファルト嬢の元婚約者だそうね」
「そうですが」
人々から遠巻きにされる私に話しかけてきたのは、派手に着飾った美しい令嬢であった。性格がキツイことで有名な公爵令嬢マルバーテ様だ。いつも通り取り巻きを引き連れてとてもにぎやかそうだ。
「よく平気な顔でここに参加できるわね。女になった婚約者に捨てられた挙句いまだに次の縁談もないなんて恥ずかしくないの? 貴女の旦那様は王妃教育を受けているのに、貴方はこんなところでひとりぼっちで」
彼女が私に突っかかる理由はわかっている。元々マルバーテ様は王妃候補者に選ばれるはずだったのにアークファルト様が三人目になってしまったせいで王妃候補者から脱落したのだ。
完全な逆恨みとはいえアークファルト様のことが気に食わないのだろう。
とはいえ彼女のいうことは何一つ間違ってはいなかった。次の縁談もなく過去の婚約を未だに引きずる私は本当にみっともない。
「ええ。とても恥ずかしいです。こんな姿をお見せしてしまい。アークファルト様に申し訳ないです」
マルバーテ様に向かって小さく頷くと彼女は、不満足げに喉を鳴らした。
「ふん、貴方の旦那様は今日正妻になれるかしらね。元男風情が」
その言葉に私は思わずマルバーテ様を睨みつけた。
「お言葉ですがマルバーテ様。あなたこそアークファルト様のせいで王妃候補から落ちたそうですね。あの方がそんなに妬ましいですか?」
地方下級貴族の私からすれば公爵家など本来逆らってはいけない存在だ。それでもアークファルト様を愚弄されるは耐えられなかった。あの方は女になってしまった自分を受け入れて今を懸命に生きているのだ。何もできずただ怠惰に日々を過ごす私を笑うのはいいがアークファルト様を馬鹿にするのは許せない。
「あなた、皮肉の言い方も知らないの?」
「学園で必死に学んだ結果が、上手い悪口の言い方というのなら、そんな知識が何の役に立つのでしょう」
「捨てられた癖にいつまでも武家の女気取りは惨めね。可哀想になるからやめてちょうだい」
刃物のように言葉がグサグサと私に突き刺さる。
痛みをこらえなんとか言い返そうとした口は、ふっと香った甘い香りに阻まれた。
「マルバーテ様。婚約破棄の件は私に非があります。そういうことは彼女ではなく私に直接いってはどうでしょう」
「アークファルト様?!何故ここに」
黒の薄いドレスを身に纏った栗毛の美少女。彼女のしなやかな肢体は少女とも大人ともいえない美しさを醸し出していた。
「私も一応本日の主役の一人ですので」
彼女は私の手を押さえ、マルバーテ様との間に立ち塞がるように立った。
「それに、できれば皆様と仲良くしたいと思っているのですよ」
マルバーテ様やその取り巻き達に向かって、お初にお目にかかりますと、淑女の礼をする彼女はもう見間違えることない貴族令嬢だ。
「元男のあんたなんかと仲良くできるわけないわよ。気持ち悪い」
「マルバーテ様は素直な方ですね。嬉しいです」
アークファルト様はスッとマルバーテ様の元へ近づき彼女の手を取った。
「この身体になってからほとんどの方は遠巻きに私を避けるか、あるいは下卑た態度で身体に触れる者しかおりません。ですからマルバーテ様のように直接いってくださるのは好感が持てます」
「私は気持ち悪いって言ってんのよ」
「だから、それがいいのです」
彼女は近衛隊にいた時、犯罪者と怒号を交わして命のやり取りをしていたのだ。令嬢の上品な嫌味など塵一つ分も心に傷をつけられてないのだろう。
気持ち悪いという直球の罵倒も意に介さずもう一度笑顔で振り払われた手を取った。
「あなた本当に気持ち悪いわよ」
「それは元男ですので。ご不快にさせて申し訳ございません」
マルバーテ様はすごい形相でアークファルト様を睨んでいた。
「本当にむかつくわ。何故貴方は何の努力もしないでそんなに美しいの? 私たちが生まれてこの方どれほど努力して美しさを磨こうとしてきた何分の一の努力でその美しさを手に入れたの? それを元男の貴女なんかに王妃候補の座を取られる私たちの気持ちがわかる?」
今にも殴りかかりそうな勢いのマルバーテ様を前にして、アークファルト様が謝るように下を向いた。
「おっしゃる通りだと思います。私も子供の頃から毎日剣を振り、弓を弾き、王を守り国賊を取り締まるための訓練を欠かした日はありませんでした。それが今やドレスひとつ重いと感じるほどにか弱くなってしまいました」
「何よ。自分が不幸だって言いたいわけ?」
「いえ、むしろ私は幸福でしょう。幸運にも何もしていないのにこのような見た目になれて」
神妙な顔のまま俯く表情の彼女はまさしく深窓の令嬢だった。
「でも、だからこそ私は報いたいのです。この幸運に。形こそ変わってしまいましたが、今の私にも民を守ることができる。だからマルバーテ様お願いがあるのです。公爵家の貴女に女性としての、私に民の守り方をお教えいただける機会をくださいませんか」
淑女の礼をやめ、騎士のように恭しく膝をつく彼女の姿は、女性というには男性的で、男性というにはあまりに可憐だ。
「な、なによ」
流石の公爵令嬢も彼女の美しさには敵わないようだった。
美しいものが嫌いな人などいない。
こんなのズルだ。美しさのゴリ押しだ。
マルバーテ様はアークファルト様の美しさに負け、取り巻きを残してそそくさとその場を去っていった。取り巻き達も、なんともいえない表情でマルバーテ様の後をついていく。
これも王妃教育の賜物なのだろうか。いざこざを有耶無耶にして解決してしまった。
私には真似できない。私には睨まれたら睨み返す、喧嘩を売られたら買うことしかできない。
王妃としての教育を受け、的確に場を収めたアークファルト様を目の当たりにして、自分が恥ずかしくなった。
「アークファルト様。よくあの場を納めましたね」
「そうでしょ? うまく行ってよかった。喧嘩せずに場を治めるってのはなかなか大変ですね。めんどくさい相手は殴れば解決する騎士団とは大違いです」
ふふふと、上品に笑う彼女は、とても上機嫌だ。きっとこのまま正妻になる自信があるのだろう。
王妃候補者の他の二人のご令嬢も素晴らしい方々だが、身を挺して王子を庇ったアークファルト様の献身には勝てるはずもなかった。しかもアークファルト様は献身だけでなく、強く美しいのだ。
本当に私とは大違い。
その後、久しぶりに会った私たちは舞踏会を眺めながら少しおしゃべりした。
「それでマナー講師が言ったの。マナー違反を指摘するのが一番マナー違反ですって。マナー講師がそれ言ったらダメでしょ。自分の存在全否定してるじゃない」
「私もそれ覚えてます。結局マナーってなんなの?ってなっちゃいました」
「そうそう。で、その話を元部下にもしたんだけどなんて言ったと思う? マナーというものは貴族と非貴族を切り分ける符丁です。マナーがなっていない猿共を裏で罵るための秘密の合言葉にすぎませんってさ。アイツ性格悪すぎて怖いわ」
「フレデフォート様ですか? 確かに言いそう」
二人きりで現状を話し合う私たちはどこからどう観ても仲の良い友達同士だ。楽しそうに笑うアークファルト様は、女であることさえもうあまりにも自然で、同時に今まで私に連絡しなかったことなど気がついていないようにみえた。
貴方は本当に私のことなどもう気にしていないのですね。
「王妃教育はうまくいっているのですか?」
「今日次第かな」
アークファルト様はそう答えるなり、急に立ち止まり、跪いた。視線の先を見ると王子の姿があった。この国の王子つまり私の元婚約者の旦那様。
私も慌てて跪いて臣下の礼をする。
「おっ、アークファルトじゃん」
王子もアークファルト様に気がついてこちらへ手を振った。
「さっきお前の部下のサドベリーが女口説いてるの見たぜ。しかもめっちゃ気の強そうな令嬢。何故か号泣してたし、面白そうだし見に行かね?」
「あのサドが? アイツもついに男を見せましたか。ですが王子せっかくのところを邪魔してはいけませんよ。あなたは目立ちますので」
王子の言葉は臣下にかけるお言葉としてはあまりにフランクで、それへのアークファルト様の返答もあまりにも馴染んでいた。睦まじげに言葉を交わす二人は、私が憧れた夫婦のようだった。
まるで私がアークファルト様に話しけるように、王子に話しかけるアークファルト様の姿を見て私の心がズキリと痛んだ。
アークファルト様が私の知らない顔で、私の知らない人のことを、まるで私のように、別の男性に話す。
彼はもう私の知らない人だ。あまりにも遠くに行ってしまった。そう思うと、さっきのマルバーテ様の嫌味など比較にならないほどの痛みが私の心を貫いた。
「ああ、そこにいるのはアークファルトの婚約者だった令嬢か。逢瀬を邪魔したみたいだな」
王子は今初めて私に気がついたように微笑んだ。アークファルト様が男だった頃ほどではないが、とても凛々しいお方だ。今の美しく妖艶なアークファルト様と並ぶとまるで絵画のように様になっている。
この王子を守ってアークファルト様は女に……
貴方さえいなければ……
思わず思い浮かんだ叛逆者のような思考に、ゾッとするような冷たさが背筋を襲う。
「いえ、私は失礼させていただきます。お幸せになってください」
もう私が好きだったアークファルト様はいない。
ここにいるのは王妃アークファルト様だ。
私は二人を見ているのが辛くなってその場を逃げ出した。
会場の隅、誰もいない庭陰で一人うずくまった。
私は一人だ。
大して美しくもない地味な髪色、女性にしては高い身長、学もなく、気も短く、家の格も低い。挙げ句の果てに、心から好きだったアークファルト様の幸せすら心から祈れない醜い心。
このまま誰からも愛されずに社交界の影に消えていくのも当然だ。
「おい、またこんなとこに隠れてるのかよ」
アークファルト様は息を切らせながら、私の横に座り込んだ。誰も見ていない庭の端で、彼女の口調は、素に戻っていた。
「アークファルト様。どうして追ってきたんですか? 王子を置いてきてよかったんです?」
「いいも悪いも、泣きそうになりながら逃げていくレビアンを放っておけるわけないだろ?」
「放っておいてくれた方がよかったです」
「そんなに拗ねるな。会いにいけなかったのは悪かったけど俺も忙しかったんだ。王妃教育とか。他にも色々」
「王子との逢瀬ですか?」
「逢瀬? まぁ確かによく会議はしているが」
「やっぱり。私の新しい縁談を探すという約束も忘れて、逢瀬を重ねたのですね」
「レビアンは新しい縁談が欲しかったか?」
何故か悔しそうに俯くアークファルト様の姿に私は少しだけ怒りが湧いた。
「当然でしょう! 私がどんな気持ちで、ずっと過ごしていたと思っているのですか?! 私だって早く貴方のことを忘れて新しい人生を生きたいのです!」
本当は違う。
私は、ただただ貴方に男に戻って欲しい。
でも、そんなことを、すでに前を向いて生きている彼に言うことなどできなかった。
「それは悪いと思ってる。だけど俺だって」
「知ってます。王妃教育はどこよりも厳しいことくらい」
もうアークファルト様を見ていることすらつらかった。
辛そうにしている姿も、幸せそうにしている姿もどちらも見たくない。
「さようなら。どうか幸せになってください。私は貴方のことが大好きでした」
「待てよ! 俺だってレビアンのことがあきらめられない」
アークファルト様と同じような口調で話す目の前の美しい令嬢。彼女に元のアークファルト様の面影があるからこそ余計に胸が痛んだ。
「もうついてこないで!」
アークファルト様を振り払い走る。男のアークファルト様には敵うはずもないが、私の足は可憐な女のアークファルト様よりは遥かに早かった。
そのまま会場を抜け出して外へ、逃げ出す。にじんだ涙をぬぐいながら走った。
噛み殺しきれなかった悲しさと、寂しさを振り払うようにひたすら走った。
ふと、気が付くとあたりはまっくらになっていた。
一つの明かりすらない深淵の空間。
振り返っても会場の影も形もない。
触れる地面は土でも金属でもない平坦な何か。
ここはどこ?
「やっと1人になったな?」
しわがれたダミ声がして振り返ると、そこには傷だらけの男がいた。影に取り込まれたように真っ黒な空間に一人の小汚い中年の男。顔面には切られたような大きな刀傷があった。
状況はわからないが、何かに事件に巻き込まれたことだけは理解できた。
「誰? あなたは」
「誰? ああ、復讐だよ。俺をこんな目にしやがったアイツらへのぉ。あの生意気な王子様をちょっと悪戯で女の子にしてよぉ、遊んでやろうとしただけなのによぉー、斬りやがって。俺じゃなきゃ死んでたぞ」
男は聞いたことのない訛り方をしていた。呂律の回らない言葉でダラダラと間延びしたようにしながら、時折苛立ったように地面を踏みつけていた。
あの生意気な王子様を女の子にした?
男の言葉に過去の事件を思い出した。アークファルト様が女になってしまったあの日。
異世界から来たという占い師に王子が襲われ、アークファルト様が王子を身を挺して庇った結果アークファルト様は女になってしまった。
もしかしてこの男がアークファルト様を女にした異世界人?!
斬り捨てられたときいていたけど、生きていたのか……
「あなた、もしかして王子を狙った」
「ん? 俺そんなに有名人? たかが1人女に変えただけだぞ。あ、それとも噂知ってる感じ? 俺の占いめっちゃ当たるんだよねぇ」
男は私が彼の噂を知っていると思い込んだのか嬉しそうに笑った。
「ええ? じゃあ君も占ってあげようかなぁ」
男は下卑た笑みを携えてこちらに近づいてくる。
「あなた何を言っているのですか? たかが1人? 相手はこの国の王子、国家反逆罪です」
私の体を舐め回すように眺めていた男は、反逆と言った瞬間に動きを止めた。
そしてバンっと地面を踏みつけていきなりこちらを睨んだ。
「反逆? はぁ? お前頭おかしいんじゃね? 王子って言ってもただの人間じゃん? 殺そうとしたわけでもないのになんで俺が殺されかけなきゃいけないの? つーか魔法使える俺の方がただ生意気なだけの王子より価値が高いだろ。」
大声でブツブツと呟く異世界人の様子がおかしい。血走った目は明らかに何かに酔って錯乱しているように見えた。
「この世界のメスにはわからないだろうけどさぁ。人間ってのは平等な訳よ。わかる? 平等! 平等!!」
男は私のそばに近づき、「平等!!」と大声でわめいた。
何なのだ。この男は。意味がわからない。
こんな、こんな訳のわからない奴のせいでアークファルト様は女になったのか。
理解できない化け物に恐怖で足がすくむが、恐怖より強い怒りが私を支えていた。
「こいつちょっとバカすぎるわ。まぁ、こいつは後でわからせるとして、もう一人くらい捕まえヨォ。男はやっぱりハーレムだよね」
真っ黒な空間に一瞬外が映った。まるで私たちは影の中にいるような角度で外が見える。
地面を走るように影伸びた。あきらかに影はその場にいた女性を狙って伸びていた。その女性はよく見れば先程アークファルト様にやり込められていたマルバーテ様だった。
「ダメ! マルバーテ様! こちらに来てはダメ!」
影の中から必死に彼女に話しかける。
私の大声に反応して衛兵が、黒い影に掴まれそうになったマルバーテ様を咄嗟に庇った。
同時に頭を鈍痛が襲った。髪を掴まれ、そのまま地面に顔を押し付けられる。
「何するんだよ。せっかく上物が楽しめると思ったのに。そんなに遊びたいならしょうがない。コイツで我慢するかぁ」
「マルバーテ様!早くここから逃げて!」
影の中から必死に声をかけるとマルバーテ様はどこから声がしているのか困惑したように首を振っていた。
「早く!」
冷たい床に押し付けられて、上にのしかかられる。
「地味かと思ったけど案外悪くないな。仲良くしようよぉ。おれ優しいから」
男は私の服を引き剥がそうと、乱暴に私の体を抑えつけた。
体はまったく動かないが、腕は動いた。
男が服を脱がそうともがいている隙をついて、喉仏を殴りつけた。
昔、アークファルト様に聞いた人体の一番の急所。それを壊すつもりで本気で叩いた。
男は声も上げずに後ろにひっくり返る。
影は消え、私の体は冷たい地面の上に投げ出された。
「あなた! レビアンさん! どうしたのそんな格好で」
「マルバーテ様。早くここから離れて人を呼んでください」
言い終わる暇もなく、衛兵たちが私たちを取り囲んでいた。
マルバーテ様が保護されるように彼らに連れられる。
私も離れようと立ち上がった瞬間に、何かに足が掴まれた。ずるりと引きずられて空中に宙吊りにされる。
「こっちには人質がいるんだぞ。この女をズタズタにしたくなかったら武器を捨てろ」
男が喚きながら私に拳を当てる。
私を釣り上げたのは謎の力だった。
宙吊りのまま周りを見るとそこには衛兵だけでなく、王子やアークファルト様の姿もあった。
「人質は無意味です。王子。私レビアン=トーマンは足手纏いになるようならこの場で自害いたします。どうか賊の確保を」
宙でぶらぶら揺れながらも忍ばせたナイフを自分の首に当てる。冷えたナイフの冷気が私の首の熱い血管に触れる感触がした。
「待って! レビアン! 私でどうでしょう。その子を離してくれたら私が代わりに人質になります」
アークファルト様が大声を出して私を止めた。アークファルト様はまるで誘うように、くるりと回り、そして異世界人に向かって優雅に一礼をした。
「アークファルト様!? いけません!」
「いいな。そっちの女の方が楽しめそうだ」
アークファルト様の方が良いと判断した男によって私は離され、そのまま前へ歩かされた。私と交換のように差し出されるアークファルト様は相変わらず可憐で、そして一目見ればわかるほど怒っていた。普段変わらない澄んだ表情をしているが、瞳孔が見開いている。
「レビアン。すぐ向こうに走ってください」
すれ違いざまに私にそう囁くと、アークファルト様が雷のように動いた。可憐な令嬢が飛び上がり空中で大きく一回転してそのまま踵が男の上に落ちる。
「この体に慣れるの大変だったぞ」
男はくらりとしたが、倒れない。
やはり女性の力では簡単には制圧できないようだ。
ただアークファルト様は着地するなり、すぐさま剣を抜いていた。女性用の細い剣が風切り音と共に男の腕を切る。
「貴様は斬っても死なないのだろ?」
「待て!まっ、あっ」
「あー、見ない方がいいですよ。貴女の旦那めちゃくちゃ怒っているので、閲覧注意です」
犯人の情けない声が鳴り響くのと同時に、近くにいた衛兵が優しく私の目を抑えた。
しばらく犯人の悲鳴がつづき、それは小さなうめき声にかわり、いつしか静かになった。
「レビアン。すまない待たせた」
目隠しを外されると、目の前にアークファルト様が微笑んでいた。
「アークファルト様。申し訳ありません。私よりも大切なお体なのに無茶をさせてしまって」
「そんなことない。大切なのはレビアンの方だよ。王妃候補になったのも今日の披露宴も全てこの賊を捕えるための仕込みだったんだ。伝えられなくてすまなかった。でもまさかレビアンが狙われるとは」
彼女は優しく私の肩を撫でる。
「大丈夫だったか?何もされてないか?」
「はい。アークファルト様に教えてもらった急所が役に立ちました」
アークファルト様の喉に触れる。当たり前だが、そこには喉仏は無い。
「何教えてんだよ」「えげつな」「股間蹴られる方が百倍マシだ」後ろで衛兵たちが震えるように何やらボソボソ言っているが、教えてもらえたおかげで助かったのだ。
アークファルト様には感謝しかなかった。
たとえこのまま戻ることができなくても私はあなたのことを忘れません。そういいたくてもう一度彼の喉仏を優しく撫でた。
「だがレビアンのお陰で元に戻る方法を聞き出せた」
「ほ、本当ですか」
「ああ、本当に好きなもの同士でキスをすればいいらしい」
アークファルト様はそう言ってニコリと笑った。
「キ、キスですか?!」
「俺にはレビアンしかいないんだがいいか?」
「私でいいのでしょうか。こんな乱暴で、心の狭い私で」
「それがいいんじゃないか。俺はそんなレビアンが大好きだよ。レビアンはこんな情けない男は嫌いか?」
目の前の栗毛の美少女は寂しげに眉を顰める。
同じ女性として嫉妬してしまいそうなほど美しい令嬢が悪戯っぽく微笑んだ。
「いえ、アークファルト様はお美しいです」
「それ、あんまり嬉しくない」
「私も大好きです」
その答えを聞くや否や、彼女は私に口付けをした。
光に包まれて目の前の美少女の姿が変わっていく。
私より細い腕は、どんどんと太くなり、柳のように細い体はしなやかな木の幹ほど太くなった。
瞬きをすると、麗しの令嬢は消え、まるで豹のようと称される力強い軍人のアークファルト様がそこにいた。
「おお戻った。久しぶりだがやっぱりこっちほうが馴染むな」
彼が軽く腕を振る。男のアークファルト様の腕はそれだけで風切り音がするほど素早く、力強かった。
彼は嬉しそうに私を抱き上げる。
逃げる場所すら許さないほどしっかりと私は彼に抱きとめられ、もう一度私たちはキスをした。
「レビアン。やっぱり婚約破棄は無しだ。俺にはレビアンしかいないよ」
彼の言葉に顔が熱くなる。
ずっと、ずっと言われたかった言葉を言われて声が出ない。
うれしくて。うれしくて。
何と答えていいかわからなかった。
「レビアン。愛してる」
「はい。アークファルト様。私もです。でも……」
「でも?」
「お身体が大丈夫なら早くお召し物を変えましょう。ドレスがパツパツで泣いております」
ハッピーエンドにしようと思うとちょっと長くなってしまいました。
よろしければ高評価お願いします。
以下【本編で書けなかったラストシーン裏話】
「それにしても、まさか解呪の方法が『2人は幸せなキスをして終了』だとはな」
近衛隊員サドベリーは、アストロブレム隊長の拷問を受けて泡吹いて転がっている異世界人の体を蹴った。この男はこれから地下に閉じ込められ、異世界の力について研究される日々が始まるであろう。なんせ頸椎を砕いて、四肢をバラバラに捌いても死なないのだ。いくらでも調べられる。
それに異世界の力以外でも役に立つ。
新薬の試験台にするのもいいだろう。
無限に血液を抜き取って前線の輸血液を確保するのもいいだろう。
危なすぎて止まっている医療の進歩に大いに貢献してくれるに違いない。
最高の治験体だ。
自業自得であった。
異世界人としておとなしく国に仕えていれば、重宝されただろうに、欲を掻きすぎたのだ。せっかく特殊な能力があっても人として制御できないのでは使い物にならない。
この犯罪者にも、あのレビアンとかいう令嬢の10分の1ほどの覚悟があったらまともな人生を送れただろうに、サドベリーはそう考えながらもう一度男を蹴った。
それにしても「人質になるくらいなら自害します」か。夫が夫なら妻も妻だな。こいつを捕えるためだけに王妃教育をやり通した隊長と、彼の足手纏いになるくらいなら自害する妻か……覚悟が違う。
筋肉でドレスがパンパンになっている隊長とそれを優しくたしなめる彼の妻の姿を見ながらサドベリーは感心しながら頷いた。
「どうしました王子?」
一件落着した事件に皆が胸を撫で下ろしている中で王子だけは顔を真っ青にしていた。
「おい待て、もし今日こいつが捕まえられずアークファルトと結婚が進んでたらどうなってたんだ? 親父は本気で俺たちを結婚させようとしてたぞ。最悪初夜の晩に元に戻った可能性すら…………うっ想像しただけで吐き気が」
「確かにそれ、本当に好きになった瞬間に来るってのが最高に地獄ですね」
「やめろ……めろ、めろ、本当にやめろ。サドベリー! お前首にするぞ」