第8話 電話
家についたぼくは、お母さんが「もう学校が終わったの」と聞くのも構わずにそのまま2階の自分の部屋の冷たい畳敷の上に寝っころがってずっと泣いていた。泣きながらもうちん毛だけなくおしりまでまるまる見られてしまったら明日から学校にいけない、そういうことばかり考えていた。
すると、下から電話の呼び出し音が聞こえた。去年やっと家に入ったばかりの電話だ。もちろん当時一般的な黒電話だった。ぼくの2年生当時の学級名簿にはほとんどの家の自前の電話番号が入っていたけど、ぼくの家だけ隣の親戚でもない〇〇さんの電話番号に(呼)と書かれてあった。祖母が電話なんか旦那さまの家のもので、うちにつけるのは分相応でないと頑固に言い張っていたためだった。
でも、小学校に入学してから、ぼくのことで呼び出しとしてよく学校から〇〇さんに電話がかかってきて、そのたびに母が電話のある○○さんちの居間で学校からの電話に対応しなければならないので、祖母に泣きついて壊れた白黒テレビをカラーテレビを買いなおすのを機会に入れてもらった。ちなみに臭突がついていないのも祖母が反対したせいだ。
母が大あわてで鳴っている電話に駆けていく足音が聞こえた。
「はい、○○○ですが、あっ、O先生ですか、いつもうちの●●●がお世話になっておりまして、帰ってきてますよ・・・そうですか、ははははは・・・・、男の子も大人になっていくのにいろいろあるんですね。でも、先生のおっしゃるとおり、そんなことは社会に出ればいくらでもありますから、強くくぐり抜けて行かないと大人にはなれないと私も思います。私からも明日はぜったい学校に行くように言って聞かせますから。」
お母さんの笑いっぷりからして、おきゅう部の丸刈りたちからあのときの教室での出来事の一部始終を聞き出して、面白おかしく話しているんだろう。それをお母さんまで・・・、
「●●●、学校からの電話。O先生がおまえのこと、心配していられるよ、おまえと話したがっているからね、早く降りてきて電話に出なさい。男の子なのにいつまでメソメソ泣いているの。ずっと、そうしているとお母さん許さないからね・・・。今来ますから、少々お待ちください。」
ぼくは仕方なく起き上がり階段を降りた。しばらく汲み取ってなくて、家中にこもっていた便所のにおいがぼくの気分を一層イライラさせた。そして、お母さんが持っていたO先生からの電話をしぶしぶとった。
「はい、●●●ですが」
「おい、●●●、クラスでは突然いなくなったお前のこと、みんな心配しているぞ。キヨヨシやテルも深く反省していたぞ。でもな、あれはオレもやったことがあるから気持ちがわかるけど、本人たちもふざけてやったことだ。ふだんあまり話をしないおまえとこれを機会になかよくなりたかったんだ。許してやれよ。これはおまえのことを本当に思って言うのだけど、そうやって他の子と距離を取るような態度を続けていると、友だちいなくなるぞ。人間はお互いに触れ合って触れ合って仲間になって初めて成長していくんだ。わかったな、明日は必ず学校に出て来いよ。あと。おまえが食べなかったパンはマサオに届けさせるからな。」
「わかりました、先生、明日必ず学校に出てきます」
そう言って。ぼくはガチャっと半ば投げるように受話器を電話に置いた。
「●●●、なんで先生からの大事なお電話を乱暴に切ったの!」
何が「ふざけてやったこと」だ・・・お母さんの小言に耳を貸さず、ぼくは、その当時、世間もぼく自身もその言葉を知らなかった「登校拒否」をしたくなって、階段を駆け上がり、自分の部屋にこもった。
ぼくは薄暗いの部屋の中で、明日ただ学校に行かないことだけを考えて時間を過ごした。しかし、突然ぼくの頭におじさんやおばさんや勉強以外の身の回りのことがきちんとできて一人前の大人だ、勉強ができても運動や他のことができないぼくは大人になってもどこも行くところがなくなると言っていたことを思い出した。
祖母は小学校しか出ていなくて、しかも祖父を戦争で失ったけど、ぼくみたいに手が不自由でないから、その手で戦中戦後一人でおじさんおばさんたちを育ていることができた。しかし、ぼくは手が不自由だからこのまま学校に行かなかったら本当になにもできず行くところがない大人になる。ぼくは結局学校に行くしかなかった。
ぼくは階段を下りて台所で夕飯の支度をしていたお母さんに「明日必ず学校にいく」とポツりと言った。
「行くの? イヤだったら明日ぐらい休んでもいいよと先生も言っていたけど」
とお母さんは答えた。
「ううん、必ず行く」
とぼくは答えた。
それから家ではこの話題は出ることなく、その日ぼくは普通に夕飯を食べて普通に寝た。
(続く)