第4話 うんこ先生
O先生は結局4年生から6年生まで3年間にわたってぼくの学級担任だった。
O先生はT先生と並んで 当時穴実小に2人しかいなかった戦後生まれの若い男の先生の一人で、ぼくが4年生のころに昔赴任していた学校で知り合ったというきれいな女の先生と結婚し、長い休みを取った後、彼女の写真をうれしそうに授業中に見せていた。
ぼくはクルマのことは関心がなかったけど、校長先生の車よりずっと高価そうな車で通勤してくることはわかった。一部のクルマに詳しいダンシは「まるでスーパーカーみたいだ」と絶賛していた、一度はそれに乗せてもらうのが彼らの憧れになった。
O先生とT先生は外見が対照的だった。二人ともメガネをかけていたけど、T先生がほっそりとした感じの先生だったのに対して、O先生は小太りの当時流行していていた「シクラメンのかほり」を作った小椋佳を丸顔にしたような顔が印象的な先生だった。
でも、対照的なのはその外見だけでなかった。T先生が、合唱部など音楽の指導に熱心な先生で、休み時間にはいつも音楽室でピアノの練習をしているというどちらかというと気難しい印象を子どもたちから持たれていたのに対して、O先生はおきゅう部の指導をやるなど体育の指導に熱心なスポーツマンという感じで、いつも白い線の入った青いジャージを着ていて、休み時間になるとよく鬼ごっこやドッチボールやプロレスごっこを子どもたちといっしょになってやっていた。
あとO先生は子どもたちの入ってくるところならどこでも入ってきていっしょにする先生だった。穴実小には、水着用を含めて男子用の着替え室がなかったから体操着に着替えるときは、男子は教室で着替えていたけど、普通の先生が教員用着替え室で着替えるのに対してO先生は男子が着替えている最中に教室に入ってきてみんなの見ている前で平気でジャージに着替えた。
おしっこやうんこも普通の先生みたいに職員便所じゃなくて、教室の近くにある男子児童便所でよくしていた。授業の間の休み時間になると便器の前にできるおしっこの列によくO先生も並んでいたし、昼休みの教室近くの男子児童便所の大便所に、普通閉まっていることのないオンナベンジョのドアが閉まっているとき気になって下の隙間からのぞくと明らかに小学生とは違う大きなおしりといつも履いている大きな運動靴でO先生だとわかった。もちろんバレるとまずいし、毛の生えた大人のうんこは毎朝必ずする家中で一番臭いお父さんのうんこみたいに汚くて見たくなかったのですぐにその場を立ち去った。
それから、その男子児童便所のオンナベンジョでO先生とおぼしき大きなおしりと運動具をドアの下の隙間から目にするたびに、二つあるうちの廊下に近い方がO先生の定席と決まっていることに気づいたから、わざわざのぞくような真似はしなくなった。
ただ、あまりにもよく昼休みにオンナベンジョに入っているのを見かけるので、一部の子の間でO先生は陰で「うんこ先生」と呼ばれるようになっていた。
ただ、プロレスごっこのとき、O先生が技をかけるのは何人かのおきゅう部の丸刈りのダンシたちに限られていた。彼らは勉強はあまりできなかったけど、体育は得意で、そしてなぜか決まって字が得意だった。彼らはO先生のお気に入りで、O先生が肩を冷やすから水泳はするなといわれたら水泳の授業でも絶対に泳がなかったし(穴実小ではおきゅう部だけ特別に許された)炎天下の練習でも水を飲むな、どんなにのどが渇いても口をうがいだけにしろと言われたら、本気でその通りにしていた。水道の蛇口に口を近づけて彼らが苦しそうにうがいをしている姿はぼくから見たら自分に酔いしてれているようで本当に気持ち悪かったけど。
O先生は子どもたちの前で話すのも得意だった。
恒例なのが、穴実小では年中行事の一つとして毎年6月ごろに行われる、先生はオリジナルにペタリンコンと呼んでいたけど、ぼくたちはみんな「ポキール」と呼んでいた、あのぎょう虫検査の説明だった。
クラス中が見守る中、黒板にポキールのセロファンのように、〇の中に大きな+のしるしを書いたあと、O先生は教室の前の教壇にしゃがんでポキールの白い紙袋に印刷されている羽根の生えた天使のような丸輪太郎くんそのままの格好としぐさをしながら、朝起きてから排便前にすることや、円の中の十字の部分をうんこが出てくるおしりの穴に指でしっかりと押し込むことなど熱っぽく指導した。さすがに女子は年々反応しなくなっていったけど、男子は6年生になってもその恥ずかしい姿の大サービスに大盛り上がりだった、O先生も児童たちが盛り上がっていることに満足そうだった、
でも、終わって先生が一人一人机に名前のハンコが押されたポキールの白い紙袋がおいて行かれると、みんな一様に押し黙った。白い袋に描かれて丸輪太郎のポーズがギャグや他人ごとでなく、もう次の日の朝には男子女子関係なくみんな同じポーズで肛門に青いセロファンを押し付ける運命が待っていることは明らかだった。しかもその押し付けた青いセロファンを同じ名前がハンコで押された白い紙袋に入れて、その日の朝に先生に提出しなければならなかった。
毎日のようにするうんこでもおしりの穴に何かするのは恥ずかしいのに、学校に提出するためためとはいえそれ以外のことするのは、いや提出するからこそみんな胸がドキドキするほど恥ずかしいことだった。しかし押し黙っているクラスの子たちを見まわして少しい微笑んでからO先生は一言「絶対忘れてくるなよな、ペタリンコン」
ふだん忘れ物が多いぼくでもポキールだけは死んでも忘れないようにした。しかもうかつな性格のぼくでも提出するまでぜったいその白い紙袋はランドセルから出さなかった。必ず他の子のポキールを勝手に持って行ってみんなの前で公開する子がいたからだ(中には自分のを公開するサービス精神のある子もいた)。
そんな厳重な取り扱いを要するポキールでもおきゅう部の丸刈りたちを中心に忘れてくる子は1~2人は必ずいた。そういう子はO先生に手を引かれて1階の校舎の奥にある国語教材室に連行された。
しばらくして戻ってきたとき、その国語教材室の中でよほど恥ずかしい目にあったんだなということを予想されるうつむき気味のその子の顔をぼくは忘れられない。
ポキールを忘れた子が国語教材室の中でどういう目にあったかは本人に聞いても話してくれないけど、うわさによれば、あの教材室の中では丸輪太郎くんのポーズでしゃがんで自分でとるんじゃなくて、忘れてきた罰としてズボンとパンツをおろした上で、紙芝居や朗読用の絵本なんかが納められた書棚に手をついた格好で先生にペタリンコンを取られるそうだった。薄暗い教材室だけど、おしりの穴を間近で先生に見られるのだから、それは恥ずかしかっただろう。
ほかにも、教室の子たちが授業に飽きてくるとO先生は、趣味の登山で便所もない山の中でうんこしたくなってどうしたかとか、遠足の日の朝に家でうんこしてこなかった子がどういう恥ずかしい目にあったかといったうんこ関係の話を面白おかしく話すくせがあったけど、中でも単なる笑い話じゃなくて本気で熱を入れて語っていたのが、夏休みに行われるおきゅう部の市内大会の直前の強化合宿の話だった。
強化合宿は4年生から6年生までのおきゅう部部員の全員参加で、山の中の廃校になった木造校舎の古い学校を利用した合宿所で10日間にわたって行われることになっていた。
部の指導をやっていたO先生は、同じ市内の体育指導をやっている先生たちと「正しい排便習慣は知力と体力の向上につながる」という考えでその研究会をやっていた。つまり毎朝朝食を食べてからが学校に行く前に、必ず用便を済ませる習慣を確実に身に着けることで知力や体力を向上させようということだった。
そのためおきゅう部の10日間の強化合宿はO先生のそういう考えの実験場になった。
昼は一日中グランドで練習し、夕方はそこだけ新しく増設された大きな共同浴場でO先生とみんなで汗を流し、夜はみんなで雑魚寝の生活を10日間毎日送る丸刈りたちも、朝の食事の後は決められた「うんこの時間」に出ようと出まいと、オンナベンジョに最低3分間はしゃがまなければならないことになっていた。しかも、その時間の便所にはO先生がいて、どんなうんこがどれくらい出たか報告しなければならなかった。
ぼくも5年生の林間学校でここに一泊したことがあるから知っているけど、穴実小は鉄筋コンクリート建ての水洗式でトイレットペーパーも備え付けられていたのに対して、合宿所の方は汚い木造の汲み取り式でチリ紙の備え付けはなかった。だから家からの持参品としてちり紙をもっていかなければならなかった。、それに山の中だから汲み取り便所によくいるハエだけじゃなくて大きな蛾とか虫なんかが天井や窓にとまっているのも珍しくなかった。
そんな具合だから、3日くらいたつと、特にはじめて合宿する4年生で、怖かったり恥ずかしかったり体調の変化でうんこできなくておなかが痛くなったり元気かなくなる子が続出した。
「えっ、うんこしないとどうなるの? 10日間も家に帰れないのに」
「そういうときはね、先生たちの部屋に連れて行って浣腸してあげるんだ」
「えっ、先生もカンチョウするの」
ここで決まって教室の子たちは盛り上った。
するとO先生は「きみたちが遊びでふざけてやるのじゃないよ」と言って黒板に浣腸の絵をかいて(イチジクのやつ)。
「部屋のたたんだ布団にうつ伏せの姿勢になってこれをうんこの出てくるおしりの穴に差し込んで、プシュッと押してお薬をおなかの中に入れるんだ。」
というとO先生は子どもたちにおしりをむけて中腰になって青いジャージの上から浣腸を挿入するポーズをした。もちろん学級の子たちは大爆笑だった。
「どんなにうーんと力んでも出ない子でもすぐにうんこ出てくるよ。ただ、すぐ出すとお薬だけ出てしまうから、うんこにお薬がしみこまないうちは出ないようにちり紙でおしりの穴をおさえて3分くらいガマンするのが苦しいけど」
「きゃー、エッチ! 恥ずかしい」
クラスは大騒ぎになった、ふだんはうんこしか出さない穴にポキールでセロファンを押し付けるだけでも考えただけで恥ずかしいなのに、それにうんこを出すために浣腸を挿入してお薬を入れるなんて、みんな考えただけでものたうち回りそうになるほどエッチだった。
「でも、出ないときは浣腸でうんこを出すようにすることで、10日間の合宿の間に毎朝きまった時刻にみんなでブリブリ出せるようになるよ。そうなると本当のおきゅう部員だよ。去年は2回された子もいたけどね」
まわりをみると周りが盛り上がっている中で近くの席のキヨシが恥ずかしそうに聞いているに気づいた。彼はぼくと同じくらい高くておきゅう部の5年生のリーダー格だったが、去年と今年の2回されたらしい。
「ぼく朝してきたばかりで、今うんこがおなかの中にたまってないけど、今ここでカンチョウしても本当に出てくるの?」
クラスの中の一人がいかにも好奇心たっぷりに聞いてきた。
「出てくると思うよ。ただ、浣腸は本当にうんこがでなくて苦しいときに使うものだから。何日も出なくておなかがはって苦しいときに保健室に行ってしてもらいなさい」
「へえ、おもしろそうだな、ぼくも何日か出さないでカンチョウすると本当に出るか実験してみたいな、」という声があちこちで聞こえた。たださすがにそのためにうんこを何日も我慢していた子はいなかったけど。
(続く)