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絵の中の晴絵

作者: 村崎羯諦
掲載日:2024/05/17

 絵の中にいたはずの晴絵が、目を離した隙に絵の中から出てしまっていた。私はまたかと思いながらため息をつき、上着を着て、外に出る。


 晴絵の行き先は決まっている。家から数分歩いた場所にある近所の公園だ。絵から飛び出した晴絵は、いつだってこの公園のベンチに座っていて、私が迎えにくるまであてもなく時間を潰している。私が公園にたどり着くと、晴絵は顔をあげ、不満そうな表情を浮かべる。絵の中に戻らないか?と尋ねたが、晴絵は嫌とだけ言って、そっぽを向いてしまった。


「絵の中は退屈だから戻りたくない」

「この前はペットが欲しいって言って、犬の絵を描いてあげただろ? もう飽きちゃったのか?」

「確かに動物と触れ合うのは楽しいんだけど、それだけじゃまだ退屈なの」

「だったら、今度は何を描いて欲しいんだ?」

「遊園地に行ってみたいから描いて」


 晴絵のわがままにため息をつき、私は呟く。


「誰に似たのかわからないが、本当にわがままな娘だ」


 しかし、晴絵の訴えかけるような目をみると嫌とは言えなくなってくる。私が仕方なくわかったよと返事をすると、晴絵は表情を輝かせ、それから嬉しそうに私に抱きついてきた。


「ありがとう! お父さん!」


 帰ったら遊園地の絵を描くという約束をし、晴絵と共に家に戻った。家に帰ると、早速私は絵を描く用の部屋にこもる。部屋を埋め尽くす絵の中には、先ほどまで外に飛び出してしまっていた晴絵の姿が戻っていて、私はとりあえずほっとした。


 それから私は新しいキャンバスをイーゼルに設置し、椅子に腰掛ける。資料やネットから遊園地を調べ、真っ白なキャンバスの上に描いていく。部屋は静まり返っていて、窓から差し込む薄暗い光だけが、ほのかに作業スペースを照らしている。一筆ごとにキャンバスに色が加えられていき、頭の中に浮かんでいるイメージが具体的な絵となって浮かび上がっていく。筆を洗うための水の音。新しい絵の具を絞り出す柔らかな音。そして、自分の呼吸の音。静まり返った部屋に響くのはそのような囁くような音だけだった。


 私は無心になりながら絵を描き続けた。絵はいい。絵を書いている間は思い出したくもない過去を忘れることができるのだから。


 私は最後のタッチを終え、大きく背伸びをする。真っ白だった目の前のキャンバスには、遊園地の絵が描かれていた。太陽が高く輝く空の下、鮮やかな色彩のジェットコースターが空を切り裂くように疾走している。右隅には巨大な観覧車が回転していて、カラフルなゴンドラが光に輝いている。下半分を横切る大きな通路では、地面に色とりどりのタイルが敷き詰められ、その上をカラフルなキャラクターたちがパレードを行っている。


 そして、その一角に、晴絵がいた。晴絵の顔は歓喜に満ち、両手を高く空に振り上げている。私は晴絵の無邪気な笑顔をじっと見つめ続けた。私はそれから徐に壁に貼られたカレンダーへと視線を向け、とある偶然に頬を緩める。


 今日は2024年の5月17日。もし晴絵が生きていたら、ちょうど15回目の彼女の誕生日だった。






*****






「遊園地って言っても、子供騙しのアトラクションばかりだったじゃん。私はもっと今時のテーマパークが良かったの」


 遊園地の絵を描いてからしばらくすると、また晴絵は絵の中を飛び出してしまった。いつもの公園のベンチに、私は並んで腰掛け、次は何を描いたらいいんだと呆れながら聞いてみる、晴絵は顎に手を当て、考え込む。


「ずっと絵の中にいるから、学校に行ってみたい」


 学校。ポツリと呟いたその言葉に私の胸がざわついた。


「あ、学校っていっても、校舎だけ描くのはなしだからね。いつもお父さん、楽して人を描かないから。私だけじゃなくて友達とか先生とか、ちゃんとサボらずに描いてね」


 晴絵はそれから理想の学校について楽しげに語り始める。新しくて綺麗な校舎がいいとか、運動場は広いが方がいいとか、中庭には季節の花が植えられているとか。


 私は晴絵の楽しそうな横顔を見ながら、わかったと返事をした。早速私は家に戻り、真っ白なキャンバスの上に学校の絵を描いていく。もちろん晴絵からのリクエスト通り、晴絵以外の人間も描いていく。クラスメイト、先輩後輩、教師、事務員。晴絵が学校に通い、友達と語り合い、色んな経験を積んでいく姿をイメージする。想像すれば想像するだけディティールは細かくなり、どんどん筆が乗っていくのが自分でもわかった。私は時間を忘れて絵に没頭した。最終的に完成した絵の中で、制服を着た晴絵は、希望に満ちた目で校舎の廊下を歩いていた。


 私は完成した絵をじっと見つめ続ける。そして、いつのまにか頬を伝っていた涙をそっと片手で拭うのだった。


 新しい学校の絵には晴絵も満足してくれたようで、その絵を書いてからしばらくは絵の外へ出てくることはなかった。彼女と会話することができないのは少しだけ寂しい気持ちもしたが、子供はいつか親離れしていくものなんだと自分を納得させた。しかし、数ヶ月後、部屋に入ると、さっきまでは絵の中にいたはずの晴絵が消えてしまっていた。私は不思議に思いながら公園へ向かうと、そこには制服の晴絵がベンチに座って物思いに耽っていた。


「最近、学校があんまり楽しくないの」


 久しぶりに外に出てきた晴絵はため息混じりにそう言った。


「授業は難しくてついていけないし、周りのクラスメイトともあんまり話が合わない。生徒指導の先生からは生意気だって目をつけられてる。最近はあんまり学校に行きたくなくなってるの」


 学校に馴染めないと言うのは良くある話だが、学校を描いたこちらとしても責任を感じてしまう。どうしたら学校に行きたくなるのかを尋ねてみる。もっと楽しいことがあれば学校に行きたいと思えるかもしれないと晴絵が言う。


「好きな人でもできたら、学校にいくのが楽しくなるかもしれない」


 私は家に帰り、キャンバスの前に座る。それから同じ学校を舞台に、彼女と男子生徒の絵を描き始める。背景と彼女をいつも通り下書きで描いた後、男子生徒の絵を描き始め、それからしばらくして手が止まる。どんな男の子だったら、晴絵に相応しいと言えるだろうか。いや、相応しいだけじゃなく、私が受け入れることができるだろうか? 私は途中まで描かれた男子生徒の顔を見て、一人腕を組み考え込む。それから私は途中まで書いていた男子生徒の絵を全て消し、全く違った男子生徒の絵を描き始めた。


 我ながら会心の絵が描けた。そう自分の絵を自画自賛していると、絵の完成から数日後にまた晴絵が絵の中を飛び出してしまった。私の描いた男子生徒が気に入らなかったのだろうか? 私は不安になって晴絵に確認すると、晴絵は首を横に振り、逆だよと笑いながら返事をする。


「お父さんが書いてくれた男の子……悠斗君って言うんだけど、すごく優しくていい人だよ。学校にもきちんと毎日通うようになったし、今は毎日が充実して楽しいの。今日絵の中を飛び出してきたのは別の理由」


 別の理由とは一体なんだろう。私が困惑していると、晴絵は照れくさそうに一枚の手紙を差し出してくる。私がそれを開けようとすると、家に帰ってから開けてよと晴絵があわてて静止する。


「今までこんなことやったことなくて急だと思われるかもしれないけどさ……ほら、今日って父の日でしょ?」


 父の日。自分とは縁のないと思っていたその言葉に、私はその場で固まってしまう。これが夢なのか現実なのかもわからないまま、私はただ茫然と渡された手紙を握りしめることしかできなかった。その間、私の頭の中をいろんな思い出と感情が渦巻いていた。晴絵が生まれた時のこと、幼い頃の記憶、そして、何十枚も、何百枚も描き続けた、晴絵の絵のことを。


「……大崎先輩ですよね?」


 私を現実に引き戻したのは、突然かけられたそんな言葉だった。はっと我に帰った私が声のする方へ向くと、そこには見覚えのある若い男性が立っていた。そして、彼は私の顔を見ると、「覚えてますか? 会社でお世話になっていた島崎です」と言葉を続けた。


「本当にお久しぶりです。先輩が突然会社を辞めてからお会いしていなかったので、五年ぶりくらいですか?」

「あ、ああ……。そうだな。久しぶり」

「あれだけお世話になっていたのに、お礼も言うことができなくてずっとモヤモヤしていたんです。偶然とは言え、こうして久しぶりにお会いできて嬉しいです」


 声の調子から彼が少なからず興奮していることが伝わってくる。だが、私の頭はまだぼんやりしていて、うまく彼のことを認識できていなかった。頭の中には目の前にいる彼のことなど考えていなかった。私が考えていたのは、五年前という言葉、そして、晴絵のこと、それだけ。かつての後輩だった島崎の言葉が虚に、頭の中に響き渡る。


「それにしても先輩、公園に一人っきりで一体何をしてたんですか?」






*****






「お願いだから、もうこんなことやめて!」


 部屋に入ってきた育子の声が部屋に響き渡る。あなたのことが心配だからと数ヶ月ぶりに家にやってきた元妻は、部屋に埋め尽くされた晴絵の絵を見て青ざめ、それからその場で泣き崩れた。私はなんで育子が泣いているのか、わからなかった。私と同じように晴絵を愛していた彼女であれば、こうして絵の中で楽しそうに学校生活を送っている晴絵を見たら嬉しく思うのが自然なはずなのに。


「もう晴絵はいないのよ。そのことを受け入れて」


 晴絵はここにいる。この絵の中にいる。絵の中にいる間はもちろん会話をすることはできないが、絵の中を飛び出してこっちの世界にやってきてくれることだってある。私はなんとかそのことを育子に説明しようとしたが、育子は私のことを精神異常者だと決めつけ、話を取り扱ってくれない。


 どうしたら信じてくれるだろう。そこで私は父の日にもらった晴絵からの手紙を思い出す。私は急いで机の引き出しを開け、そこに大事にしまっていた手紙を取り出し、育子に見せた。しかし、育子は私が差し出した手紙を見て、さらに大きな声で泣き叫んだ。これは晴絵からの大事な手紙なんだという私の声に覆い被せるように、育子は叫ぶ。


「ねえ、しっかり見てよ。それは手紙でもなんでもなくて、単なる不動産のチラシじゃない!」


 私はその言葉を聞いて、頭に血が上るのがわかった。いくら私の元妻でも、晴絵からの大事なプレゼントをそんなふうに言われることは許せなかった。私が大声で怒鳴り、育子がさらに泣き叫ぶ。そして、私の出ていけという言葉に従うまま、育子は部屋を出て行ってしまった。


 私は興奮で息を切らしながら、頭を掻きむしる。それから私は心を落ち着けようと、晴絵からの手紙を開いた。そして、何度も何度もそうしてきたように、自分のために手紙を読み上げていく。


「賃貸物件、2LDK、家賃8万円、最寄駅徒歩5分、ペット可、二人入居可能、設備充実、スーパー近し、コンビニ近し、飲食店多数、見学受付中、スマイル不動産」


 晴絵からの手紙を読み上げている時、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。育子が戻ってきたのかと顔を上げると、そこには制服姿の晴絵が立っていた。晴絵は背が高くなり、昔は肩までだった髪も今では腰のあたりまで伸びていた。そして、晴絵の手には卒業証書が握られていた。私は晴絵から視線を、さきほど描き上げたばかりのキャンバスへと向ける。桜が咲き誇る高校の門を背景に描いていた絵からは、晴絵だけが消えていなくなっていた。


「お母さんが来てたんだ」


 黙ったままその場に立ち尽くしている晴絵に、私は説明する。晴絵はそう、と少しだけ寂しそうな表情で相槌を打つ。


「お母さん、元気だった?」

「私と別れてからはちゃんと体重も戻って、健康になってるみたいだ。今の晴絵は若い頃のお母さんにそっくりだ」


 私と晴絵が狭い部屋の中で何も言わずに見つめあう。それから私は思い出したように「卒業おめでとう」と晴絵に伝えた、晴絵は一言ありがとうと言って、再び黙り込む。開いた窓から風が吹き込み、床に落ちていた絵がひらりと一瞬舞い上がる。


「私ね、もうそろそろこの家を出て行かないといけない。高校も卒業したし、もう子供でもなくなったから」

「そっか」

「今まで私のわがままをいっぱい聞いてくれてありがとう。だけど、もういいんだよ。私のために絵を描いてくれなくても」


 だけど、卒業の記念にもう一枚絵を描いてもらってもいい? 晴絵は部屋いっぱいに並べられた絵を見回しながら、呟くように言った。なんの絵を書いたらいいんだ? 私が尋ねると、晴絵は私の顔を見て、それから穏やかに微笑みながら言葉を続ける。


「成人した私と、お父さんとお母さんの三人の絵を描いて欲しい」


 私は頷いた。ありがとう。晴絵はそのまま私に近づいてきて、私たちは抱きしめあった。昔はあんなに小さかった晴絵は、私と頭ひとつ分しか変わらないくらいの大きさに育っていた。晴絵が私から離れ、それからさよならと呟く。それから瞬きした一瞬で晴絵は目の前からいなくなり、代わりに、キャンバスの絵には、先ほどまで目の前に立っていた晴絵が戻っていた。


 私は新しいキャンバスを取り出し、最後の絵に取り掛かった。部屋は静かで、ただ私の絵筆がキャンバスに触れる音だけが、時折聞こえる。窓から差し込む柔らかな午後の光が、アトリエの中を温かく照らしている。私は、成人した晴絵、元妻の育子、そして自分の姿を一つのキャンバスに収めようとしていた。絵の中で、私たちは公園のベンチに並んで座っており、晴絵が何か楽しい話をしている。


 絵具のパレットを手に、私は色々な色を混ぜながら、絵を描き続ける。娘の髪は太陽の光を受けて輝き、元妻の目には昔のような穏やかで優しい光が宿っていた。


 時折、筆を持つ手が止まってしまう。絵から目を離して、過ぎ去った日々を思う。晴絵が生きていた頃のこと、三人で仲良く、笑い合いながら過ごしていた時のこと。私は顔をあげ、部屋を見渡す。壁に所狭しと飾られていた絵には、晴絵の姿があった。私はその一枚一枚をどんな気持ちで、何を願って描いていたのか、今でもありありと思い出すことができた。


 再び、目の前のキャンバスに戻る。涙がほおを伝うのがわかる。晴絵は私に「わがままをいっぱい聞いてくれてありがとう」と言った。だけど、それは違う。私は絵の中にいる晴絵に語りかけるように呟く。


「親として何もしてやれなかった私に、たくさんわがままを言ってくれてありがとう」


 私は筆を置く。そして、完成した最後の絵を見て、心が満たされていくのがわかった。私はもう全てをやり切ったし、もう思い残すことはなかった。最後に描く絵も、ずっと前からこの絵にすることを決めていた。


 私は立ち上がる。そして、引き出しの奥にしまっていた、ホームセンターで買ってきた紐を取り出した。この紐を買ったのは、ずっとずっと前。晴絵が死に、妻がこの家を出て行った頃だった。本来ならば私はその時に死んでいるはずだった。最後の慰みのつもりで描いた絵から、晴絵がこっちの世界に飛び出してきて、私に話しかけてくることがなければ。


 この間、私は晴絵に生かしてもらったのかもしれない。私に親としての勤めを果たすためのチャンスを与えてくれたのかもしれない。だけど、もうそれも終わった今、私にはもう生きる理由も目的もなくなってしまった。


 私は天井に紐を結びつけ、自分の首が締まる大きさの輪っかを作る。それからずっと絵を描いてきた椅子を紐の下に持っていき、その椅子の上に立った。私は目を瞑る。首を紐の輪っかに通す。後悔はない。心は穏やかで落ち着いていた。深く呼吸をして、私は覚悟を決める。そして、足元の椅子を蹴飛ばそうとしたその時だった。


「お父さん」


 聞き慣れた声に私は動きを止める。私が振り返ると、そこには先ほど描いた絵の中にいた晴絵が立っていた。晴絵は私をじっと見つめている。私は紐を首にかけたまま晴絵の方を向き、どうしたんだと問いかける。


「もう会うことはできなくなるから、最後のわがままを聞いて欲しくて来たの」


 最後のわがままとはなんだ? 私は晴絵に尋ねる。晴絵の表情は、まだどこか子供らしくて、だけど立派に成長した力強さがあった。晴絵は強い眼差しで私の目を見ながら、どこかおどけたような、それでいて芯のある口調で言葉を続ける。


「私がいなくなって辛いと思うけど、死なないで生き続けて。これが私の最後のお願い。お父さんなら、私のわがまま聞いてくれるよね?」


 私は紐を握りしめたまま晴絵の顔を見つめ返す。困ったな。私は戸惑いながら呟き、それから返事をする。


「そんなわがまま言われたら、死ねなくなっちゃうじゃないか」






*****






 私は目を開ける。私は床に仰向けに倒れ込んでいて、背中がズキズキと痛んでいた。首元に手をやると、そこには縄が食い込んだ跡ができているのがわかった。混乱した意識のまま周囲を見渡すと、倒れた椅子と、そのそばに重さでちぎれた紐の残骸が見つかった。


 あまりに長い間放っておいたから、紐が劣化してしまっていたらしい。私はぼんやりとした頭でそんなことを考える。そして、頭を起こすと、目の前には先ほど描いた絵が目の前にくる。私はそこに描かれた晴絵を見ながら、先ほど見ていたのは夢だったのか、幻だったのかわからなくなる。


 私は体の痛みに耐えながら立ち上がる。しかし、体のバランスを崩して倒れ、そのはずみで台にかけていた絵を倒してしまう。私は絵を戻そうと手をかける。しかし、その時、ふとキャンバスの裏に覚えのない文字が書かれているのに気がつく。不思議に思いながら顔を近づけると、そこにはこんな言葉が書かれていた。


『最後のお願いって言っちゃったけど、もう一つだけ追加。お母さんとも仲良くしてね』


 私はその言葉をじっと見つめ続けた。それから呆れが混じったため息をつき、それから自然と笑みが溢れてくる。そして、描かれた絵を見ながら、私は独り言のように呟くのだった。


「誰に似たのかわからないが、本当にわがままな娘だ」

















































「はい。それでは、以上で賃貸契約の手続きは終わりになります。入居日やガスの開栓手続きなどいろいろ細かい話はまた別途メールで連絡いたしますね」


 不動産屋。私の担当となった職員が人の良い笑顔を浮かべながら説明してくれた。


「ありがとうございます」

「別れた奥さんと別の新しい家で再出発なんて素敵ですね。新しい街や家へ引っ越すと気持ちも新しくなりますから、きっと上手くいくと思いますよ」


 それから二言三言話した後、私は彼にお礼を言って、店舗を出る準備を始める。


「それにしても、ちょっと変わってますね」


 私の準備を待ちながら担当がポツリと呟いた。


「何がですか?」

「いえ、お客様のように内見もせずに賃貸契約する方は初めてでして。それも、何ヶ月も前に配ったチラシに載せていた部屋を指定されたので、なおさら驚きです。どうしてこの部屋を借りようと思ったんですか?」


 担当の不思議そうな表情に私は思わず苦笑してしまう。そして、私は、部屋の引き出しの奥、そこに大事にしまっている一枚の()()()のことを思い出しながら、答えるのだった。


「笑われるかもしれないですが、娘からこの部屋がいいよって教えてもらったんです」

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