第8話 突然の再会
近くの、二階建てのアパートから、女性の声がする。
猫は踵を返すと、声の方へ歩いて行った。
パタパタと、階段を下りてくる女性が、お皿一杯のミルクを猫に上げている。
「もう、また喧嘩してたの?」
女性の声に、刹那は、不思議と聞き覚えがあった。
神様の依頼で立ち寄った、建物の中で出会った、確か名前は、美坂美月と名乗っていたはずだ。
「君は、あの時の」
刹那達の存在に気付いた美月は、信じられないといった表情で、刹那を見つめていた。
そして、見る見る間に、顔が紅潮していった。
「あ、あの」
美月は化粧などしていない、スッピンの状態で、まさか刹那と、こんなタイミングで再会をしてしまった事に、思考が働かない状態に陥っていた。
千代姫は、刹那と美月の顔を交互に見ると、
「刹那の恋人かの?」
見当違いの発言を聞いた美月は、手を大きく振って、
「違います、違います!」
「そうだよ。美月さんとは、この前あったばかりだし、勘違いだよ千代姫」
「姫?」
聞き慣れない言葉に美月は首を傾げる。
「千代姫様、今日は運がいいでやすね」
八咫烏が、美月が飼っている猫を、マジマジと見て、珍しそうな顔をしている。
「うん?」
「へ?」
千代姫と美月は、八咫烏が何を言っているか分からない様子だった。
「『バテスト』だね」
刹那は猫を見て答える。
「さすが旦那、よくご存じで」
バテストとは、エジプト神話に登場する女神で、豊穣と月を司ると言われている。
バテストという言葉を聞いた猫は、先程とは打って変わって、鋭い目付きで刹那を見つめる。
「いい目をしてますね」
「ええっ!」
バテストと呼ばれる猫が突然、人間の言葉で話し始めた。
刹那達は、差ほど驚いてはいなかったが、美月の驚きようは凄まじかった。
「美月、驚かせてすみません」
ペコリと頭を下げるバテストに、釣られて美月も、つい頭を下げてしまった。
「しっかし、エジプトの女神様が、何でまた、日本のこんな場所にいらっしゃるんで?」
ブバスティスの土地を守る守護神が、辺境の島国にいることを、疑問に思うのは当然であった。
「古い友人の血縁者を訪ねて来ました」
背筋を正し、バテストは、礼儀正しく応対する。
「その人が何処に居るのかは、解ったのかい?」
「いいえ、この国特有の、『守護障壁』の影響で、感知出来ませんでした」
国々には、それぞれの固有の結界が張られていて、他国から侵入する、異分子の侵入を防いでいた。
低級霊と称される部類は、この結界を通ることは疎か、触れただけで、消滅してしまう。
バテストほどの神格ならば、通ることは容易だが、それでも、感覚を鈍らせるには十分なほど、日本の結界は、群を抜いて強力なものであった。
「その御仁のお名前は、何て言うんでやすか?あっしの情報網を使って、探して差し上げやすよ」
八咫烏の眷属である烏たちは、あらゆる情報を互いに共有している。
故に、八咫烏の力を使えば、全国の烏たちの意識から、目的の情報を取り出すことが出来るのだ。
「チッチャ・M・アンクの子孫で、名前は七海と言います」
「七海だって!」
刹那は、思わず大声を出してしまった。
「ご存じなんですか?」
バテストの瞳は、期待を帯びた眼差しになっていた。
「知ってるも何も、僕に取っても友人だよ」
「そうなんでやすか?」
八咫烏は、折角の見せ場が無くなってしまって、肩透かしを喰らっていた。
「七海とは、どのような人物じゃ?」
千代姫が興味深げに尋ねる。
「夢使いを生業としていて、神眠堂の主をしているんだ」
「ほう、我が国にも、使い手がまだ残っているとは驚きじゃの」
「あ、あの~」
美月は、刹那達の会話に付いてこれず、呆然と立ち尽くしていた。
「ああ、ごめん。そうだね、美月さんにも、解るように説明するよ」
刹那は解りやすく、現状の説明をすると、世間一般の常識とは異なる世界に、美月は、驚きを隠せなかったが、既に、猫が喋っている現実にも慣れ始めている自分が、不思議でならなかった。
「不思議な世界もあるんですね」
「世俗の者にしては、度量があるの。普通は、このような状況に、大方の人間は、認めないのが半分、妙な期待をするのが半分、と言ったところじゃが、お主は、どちらでもないようじゃ」
千代姫が、妙な期待をすると表現したのは、一昔前に流行った、スピリチュアルや、オカルトを盲信する人種を指しているのだうが、現代社会に於いて、力の無い偽物が、人心を惑わしている事実を危惧しての発言だった。
「テレビで出てくる、霊能者と呼ばれる人間で、本当の能力者なんて見たこともないよ」
刹那は面白半分に、マスコミが発信する情報で、健全な人々が、誤った認識を植え込まれていることに、釈然としない気持ちを持っていた。
「私の友達にも、有名な先生のカウンセリングで、何十万円もお金を払った子がいましたけど、それも偽者って事なんですか?」
「ふん、下賎な。儂らは、金銭では行動せんわ」
明らかに、不機嫌な表情の千代姫が、美月の話に出てきた人物に、呪術を掛けようとしているのを見て、刹那は慌てて、千代姫を止めに入った。
「だめだよ、千代姫」
「刹那よ、なぜ止める!」
千代姫は、自分たちが使命とするお役目に似せた行為で、私利私欲を貪る人間に対して、強い怒りを抑えられない様子だった。
「俗世に干渉せず、現世の安寧を遂行するのが、君達の行動理念だろ」
「う……」
千代姫は、八老三家に伝わる家訓を、刹那に諭されると、渋々と手印を解く。
「やれやれでやんすね」
八咫烏は額に流れた汗を拭くと、大きく息を吐いた。
「あの、よかったら、お茶でも如何です?」
美月の申し出は唐突であったが、千代姫が興味を持ったのか、
「面白そうじゃの」
「おい、おい千代姫」
刹那が気を遣い、千代姫を止めようとするが、美月はお構いなしといった様子で、
「狭い部屋ですけど」
美月の部屋は、外装の古さとは対照的な、清潔さを感じさせる空間だった。
部屋の広さも独り暮らしには十分なほどの間取りで、北欧を彷彿とさせる雰囲気を、見る者に印象づけた。
「素敵な部屋だね」
刹那は思わず感嘆の声を上げる。
「うむ、いい趣味をしておるの」
千代姫は、家具や小物の知識はないが、美月の部屋に流れる良質な気を感じて、感心したように辺りを眺める。