第6話 初めての外界
「あ~」
今回の一件、そもそもの原因が、八咫烏の食いしん坊からだったことに、刹那は、肩の力が抜けるのを感じた。
噂をすれば、事の発端である、張本人が姿を現した。
「千代姫様、失礼致しやす」
八咫烏の背中には、自分より大きな風呂敷を、重たそうに背負わされていた。
刹那は、明らかに、左近と右近による、ささやかな報復であることを察し、気の毒に思うと、八咫烏の持ってきた荷物を下ろしてあげた。
「すいやせん、旦那」
刹那は、八咫烏の肩をトントンと叩くと、八咫烏は、意味が解らず、キョトンとした表情を浮かべる。
風呂敷を開けると、今時の女の子が好んで着る洋服が入っていた。
「ほう、これはまた……けったいな装束じゃのう」
「僕達は外に出るから、準備が出来たら声を掛けてくれ」
「またぬか、馬鹿者!このような物、儂、一人で着れるわけなかろうが」
千代姫は、自分で衣類を着ることはなく、左近達、従者が着せるのが、習わしであったことから、無理からぬことだった。
「二人を呼んで来るから、少し待っていてくれ」
「その必要は無い」
背後に気配を感じると、二人が仁王立ちしていた。
「おわっ!」
「素っ頓狂な声を上げるな」
右近が、煙たそうに声を荒げる。
双子とはいえ、左近に比べると、刹那に対する態度は、右近のほうがキツかった。
「姫様、お着替えを」
「おお、頼むぞ」
「二人とも、早く部屋から出ぬか」
「別に、儂は構わぬぞ」
「姫様!」
「戯れじゃ」
千代姫は、小悪魔のような笑みで、右近をからかうと、男性陣に、手で追い払うような仕草をする。
二人は部屋から出ると、白砂が敷かれた庭に架かる太鼓橋に寄りかかり、空を流れる雲を眺めていた。
「いい天気ですねぇ」
「ああ」
「そういえば、旦那が、お父上のお仕事を継いで、何年になりやしたかね?」
「十年かな」
「もう『神移しの儀』から、そんなに経つんですね」
「色々あったな」
瞼を閉じると、神様探偵となってからの出来事が、次々と思い浮かんできた。
「何をしておるのじゃ?」
目を開けると、千代姫が立っていた。
「千代姫、その服、似合ってるね」
「そうかの?」
クルリと身を翻すと、スカートをパタパタとさせる。
「袴がこのように短いと、歩きやすくてよいのう」
下着がチラチラと見えているが、本人は自覚してないようだ。
千代姫を、左近が慌てた様子で、
「姫様っ、スカートは、なるべく触らないように穿くのが、世俗の嗜みですので……」
世間一般の知識がない、千代姫を屋敷から出すことに、左近も右近も、冷や汗を隠せない様子であった。
「二人とも、心配しないで」
様子を察した刹那は、千代姫に聞こえない声で囁く。
左近と右近たちは、刹那の発せられる真摯な言葉に、何とか平常心に戻ると、
「それじゃあ、行きやすか」
八咫烏がタイミングよく申し出ると、
「ああ、頼むよ」
「街中にいきなり出ると目立ちやすんで、一遍、旦那のお母上の眠る丘に送りやすね」
「はようせい」
団扇を取り出し、風を起こすと、瞬く間に、刹那の母親が眠る墓地の前に移動した。
「ここに、刹那の母者が、眠っておるのだな」
「ああ、そうだよ」
「左近と右近が、儂が童の頃から、お主の母じゃに、守人としての心構えを教えて貰い、武術、方術の師である母じゃに、頭が上がらないと、よう言っておったわ」
「そうなんだ、初耳だな」
「楓様は、八老三家が誇る『守護四刃』を束ねる、筆頭でやしたからね。戦地に於いて、ご自身の分身である、『天鹿児弓』を振るう御姿は、今でも、鮮明に思い出しやすよ」
天鹿児弓とは、古事記に登場する天稚彦が、高皇産霊神から賜った神器であり、鬼を討伐する武器としては、最高位であるが、誰もが扱えるものではなかった。
「えっ!」
刹那は、生前の楓しか知らなかったので、八咫烏が話す内容に、軽い衝撃を受けていた。
「旦那?」
不思議そうに刹那の顔を覗き込む八咫烏とは対照的に、動揺を隠せない刹那を見て、
「ご存じなかったんでやすか?」
「あ、ああ」
「聖司郎様の御配慮だ」
左近が間に入り、刹那に語り始める。
「楓様のお役目は、常に死線を渡り歩く危険なものだった。女性としての限界を感じられながらも、我ら八老三家のために、身を削り、奮戦なされていた。そのなかに於いて、聖司郎様との間に授かった貴様の前では、ただの母親でいたかったのであろう」
両親が、小さかった自分に、無用な心配させないために、心を砕いていたこと知ると、刹那は涙が溢れた。
「刹那……」
右近は、刹那が泣く姿を初めて見ると、今まで感じたことのない感情が沸き起こった。
「男の涙もいいものじゃな」
千代姫が、刹那の背中をポンポンと叩き、嬉しそうな顔をしていた。
「ばっ、ばか!」
頬を紅く染め、女子のように恥じらう刹那を見て千代姫は、
「お主は、本当に可愛いの」
「千代姫様、それ以上は……」
普段は、千代姫に意見をすることのない八咫烏も、流石に不憫に思い言葉を遮った。
「わかった、わかった」
「それでは姫様、私たちは一度戻ります。八咫烏」
「へい」
扇を一振りすると、二人の姿は消え去った。
「八咫烏、お前も帰ってよいぞ」
「ええっ!」
てっきり、一緒に付いて行けると思っていた八咫烏は、ダラダラと汗をかきながら、千代姫に懇願した。
「千代姫様、あっしほど、詳しい者はおりやせんよ。千代姫様の舌に合う、極上の一品を、ご紹介いたしやすので!」
色気よりも、食い気というか、八咫烏の、嗜好品に対する熱意には呆れてしまう。
「そうか。ならば早いところ、そのなりをなんとかせい」
流石に、そのままの姿で、街中に出ることの不自然さを感じた千代姫は、八咫烏に対処を促す。
「では、変化!」
白い閃光が辺りを包み込み、一瞬にして八咫烏は、美男子へと姿を変えた。
ジャニーズジュニアのアイドルのような、甘いマスクに、すらっとした長身の姿は、世の女性達を虜にするには、十分のルックスだった。