第2話 英霊召喚 思わぬ方向へ
先程までの和やかな空気が、一瞬にして張り詰めたものになった。
刹那も、普段あまり本を読む方ではなかったが、八雲の書いた本は、書店で自然と手に取って買っていた。
読み始めると、自然に、その本の世界に入ることが出来た感覚を覚えている。
そんな人物と、この場に同席していることに嬉しくなる一方、自分の置かれた状況を笑いたくなった。
係員が何事もなかったように、監督にマイクを渡すと、
「監督の小西です。長い挨拶は得意ではないので一言だけ、期待しています」
先程とは、対照的な、簡潔な言葉で締め括ると、それが合図と察した係員が、
「それでは順番に開始したいと思います」
一番手前に座っていた男性から順に、各自の持ち味を出そうと、懸命にアピールしていく。
しかし、どの演技を見ても、監督の反応はイマイチだった。
「ジョイント・プロダクション所属、美坂美月です」
刹那を会場まで案内した彼女が、緊張した面持ちで挨拶した。
そして、台詞を喋り出すと、監督は驚嘆の表情を浮かべていた。
それ程だった。
先程までの停滞した空気を切り裂くような、真に迫る演技、すぐ側にいた刹那を始め、その場にいた誰もが、美月の演技が終わるまで、彼女が放つ言葉に、圧倒されていた。
「ありがとうございます」
当の本人は、そんな事など、気付くはずもなく、はにかんだ笑みを浮かべて、席に座った。
制作者達は、机に置かれた用紙に一様にチェックしていく。
「そ、それでは次の方」
自分の番になり、刹那は美月の演技を目の当たりにして、いい加減な気持ちで、この場を乗り切ることは、彼女に対して失礼な行為であると感じていた。
無論、演技経験など皆無の刹那は、この場にいる誰もが反則と思う行為をすることに、若干の心苦しさがあったが、構わずに行った。
(我、深淵に眠りし、偉大なる、汝の現し身とならん……)
小さく呟くと、刹那の体内に、マグマのような熱い感情が沸き起こってきた。
その流れのままに、台詞を喋り始めると、会場は響めいた。
美月の演技も、賞賛に値するものであったが、刹那の発する、一音一音が、大きなうねりとなって、会場の誰もの心を奪っていった。
「すごい……」
美月は、今まで自分の中に感じたことのない感情が、全身を奮わせていた。
「高倉……一樹だ」
小西は、思わず、往年のスターである俳優の名前を呟いた。
亡くなって久しく、若い世代には過去の存在だが、小西の青春時代に活躍していた俳優が、目の前で演技をしていると錯覚を覚えるほど、貫禄があり、そこはかとなく、憂いを帯びたその演技に、思わず涙が零れていた。
刹那は、台詞を言い終わると一礼した。
「きっ君、どこで演技を習ったのかね?」
小西は、興奮を押さえきれない様子で、刹那に問いただす。
刹那は、どう返答すればいいか考え込んでしまう。
まさか、亡くなった人間を、自分の体と同化させたと言ったところで、納得してくれるはずもないため、正直に答えた。
「すみません。実は、間違えてこの会場に来てしまったんです」
「ははっ、面白い冗談だ」
小西は隣にいた八雲と目を合わせて、大笑いした。
「本当なんです。演技をするなんて今日が初めてで……引くに引けず……」
「それは、本当かね?」
「はい」
演技をすることが初めてなのは、本当であったのだが、如何せん、呼び出した人物が悪かった。
二進も三進も行かない状況に、助け船を出したのは、意外にも女々であった。
「皆さん、そんな些細なことは関係ないではありませんか?素人でもプロでも、心に響く演技が出来ることが、何よりも大切なのですから。現に、あなたの演技は私達の想像を超える、素晴らしいものでした。そうですよね?」
同意を求めるように女々は、小西と八雲に視線を向けると、二人とも深く頷き納得していた。
自分が想像していたモノとは、異なる展開に、刹那はどうして良いものか、もう考えが纏まらなくなっていた。
「刹那君といったか。当然、プロダクションには入っていないわけだね?」
小西の隣に座っていた男性が声を掛ける。
「え、あっ……はい」
「私は、赤二プロダクション代表取締役の新市という者だが、君を臨時の正所属者としてのポストを用意したいと思うのだが、どうかね?」
声優のプロダクションとしては老舗であり、業界の中でも、大手である会社の最高責任者である、新市英雄の申し出に、参加した役者達は呆然としていた。
ただの所属ではなく、いきなり、正所属者という破格の待遇に、刹那に対し、羨望と嫉妬の眼差しを向けていた。
刹那にとっては、何のことか、サッパリであったが、アルバイトと正社員ほどの違いがあると言えば、理解しやすいだろう。
名刺を渡されると、楽しみにしていると刹那に向かって、新市は微笑んだ。
一段落した雰囲気を察し、係員が、今日のオーディションの終わりを告げ、解散するように促すと、参加した男女が身支度を済ませ、会場を後にした。
やっと終わったと安堵した刹那も、それに倣い、会場を足早に去ろうとすると、美月が慌てて刹那を呼び止めた。
「刹那さん、待ってください」
「美坂さん?」
「あ、あの」
振り向いた刹那を見た美月は、オーディションの前、廊下で会った時の、天真爛漫な印象とは異なる表情で、微かに、頬を紅く染めていた。
そんな変化など微塵も感じていない刹那は、熱でもあるのかと心配げに訪ねた。
「顔が赤いですけど、体調が悪いんじゃないんですか?」
「い、いや、あの……大丈夫です、はい」
「そうですか。あの、用事があるので僕はここで」
踵を返して、帰ろうとする刹那の背中に向かって美月は、
「素晴らしい演技でした。また会えたら、演劇について語り合いませんか?」
「ええ、機会があれば」
そう言うと、刹那は会釈をして、録音スタジオを後にした。
外は昼間なのに薄暗く、街路樹には、うっすらと雪が積もっていた。
なかなか経験することの出来ない、オーディションというモノに、新鮮な感覚を覚えたが、これ以上、関わることもないと思うと、先程渡された名刺を路上のゴミ箱に捨てた。
しばらく、街の灯りを眺めていると、着信音が鳴り、電話に出ると、
「○※▲☆♂〆」
電話越しからは、人間には理解出来ない言語で、刹那に対し、軽妙な口調で話し掛けてくる。
「あ、神様。お疲れ様です」
刹那は、雇い主である存在に、依頼終了の報告をすると、神様は、次の依頼を数件紹介した。
急ぎの用件ではなかったので刹那は、少し考えたいと返答すると、折り返し、連絡する旨を伝えた。
神様は、もう少し話したい様子で、駄々を捏ねていたが、刹那は構わず電話を切った。
知り合いが住む場所が、近くにあったので、刹那は様子を見るため、一駅分の距離を、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
小一時間ほど掛けて、目的の場所に辿り着くと、其処は、郷愁を誘う佇まいの洋館で、『神眠堂』と書かれた看板が掲げられている。
呼び鈴を鳴らすと、パタパタと、可愛い足音がした。