12. 決断の時
私が住んでいるこの森は本当に美しい。
けれど一歩選択を間違えれば、どこまでも深く迷い込んでしまう恐ろしい森でもある。
だから人々は不用意にここには入り込まないし、時々ユーリのように必要に迫られてやってくる人間以外は、私に会いに来るという目的がある人達しかここを訪れることはない。
加えてこの不可思議な森では、精霊達の導きによりその後の人生を左右するようなモノや人、出来事と遭遇することがある。
そしてそれは、精霊達と心が通じ合い始めた証拠でもある。
「ユーリ・・・これ、何?」
私は思わず渋い顔をして、玄関先に置いてあった袋の中を覗き込んだ。
「あれ、師匠帰ってたんだ。ああ、それ?今日師匠からの指示でやってた採集は早めに終わっちゃったからさ、家の周りをフラフラ歩いてたんだよね。そしたらぼんやりとだけど白いものが目に入って、追っかけてったらそれ、見つけたんだ。」
その袋に入っていたものは、この森では滅多に見つからないジュエという青い薬草だった。それにしても白いぼんやりとしたものって・・・まさか。
「それってもしかして、原始精霊かも。」
「ああ、前に師匠が教えてくれた、あれ?」
そう、以前この家の周りに原始精霊達が集まり始めているという指摘をレンから受けて以来、ユーリには特殊な植物を採集する任務を与えて森中を歩いてもらっている。と言ってもそこまで広範囲ではないが、迷わない程度に、私が長年かけて作り上げた獣道をぐるぐると巡ってもらうようにしている。
「そう。君が頑張って毎日歩いてくれているから、だいぶ原始精霊達もそれぞれの場所に戻ってくれるようになっていたんだけど。まさか君の目にも彼らが見えるようになるとはねえ・・・」
それはつまり、彼にも私の弟子になる資質がある、ということに他ならない。うーん、どうしたものか。
「なあ師匠、それってもしかして俺、正式に弟子に昇格できるかもしれないってこと?」
ユーリの目が輝き始める。私の顔はそれとは反対にどんよりしていることだろう。
「・・・不本意だけど、そういうことになるわね。」
「うおおお、すごい!!まさかこの俺にそんな才能があるとは・・・いやあ、天は俺に一体何個の才能を与えてくれるんだ!」
私は彼にジロッと冷たい目を向けた。顔良し頭良し、料理も掃除も洗濯もできてしかも精霊道具士としての資質も兼ね備えている、だと!?
「くうう、何この敗北感!?悔しいからもう一回ハテの根っこを見つけてきてちょうだい!十本!!」
「はあああ!?あれ見つけるのどれだけ大変だと思ってるんだよ!?」
「師匠命令ですう。日が暮れるまでに帰っておいでー。」
そう言ってヒラヒラと手を振ると家の中に入る。後ろからはユーリの「いやだああああ!!」という断末魔の声が聞こえてきていたが、しっかりと両手で耳を閉じて聞こえないふりを貫いた。
だが、結局ユーリは、いつもの半分の時間で全ての採集を終えて帰ってきたのだ。不機嫌さはいつもの倍だったが。
「師匠、採ってきた。」
「ユーリお帰り。さて、以上で試験は終了です。」
「は?」
不機嫌な顔が崩れ、口をぽかんと開けてこちらを見ている。
「君が原始精霊を本当に見ることができるようになったのなら、君が望むものをこの森で見つけるのは簡単になるはずなのよ。事実、今回はいつもの半分ほどの時間で予定していた本数を見つけてきたじゃない。」
「そういうことか・・・」
ユーリはようやく合点がいったという顔で、ハテの根っこが入った袋を手に床にしゃがみこんだ。私もついイジワルしちゃったことを反省し、隣にしゃがんで彼の頭を撫でた。
「お疲れさま。無理言ってごめん。でもこういうのは早い方がいいと思ったから。まあそれでこれは一応確認だけど、君は本当に精霊道具士を目指すつもり?『効果消滅』して欲しいだけでここに居るならやめた方がいいし、もし弟子を断るなら今だよ?」
ユーリはなぜか真っ赤になってこちらをチラッと見ると、小さな声で言った。
「俺はあんたの弟子になりたい。でも、頭を撫でるのはやめてくれ。同い年の俺としては、死ぬほど恥ずかしい。」
「あ、ああそっか、ごめんごめん!」
本気で照れている彼を困らせるのは忍びない。笑いながら急いで彼の頭から手を離して立ちあがろうとした、その時。
「うわあっ、ちょっと、何!?」
ユーリは頭から離れた私の手を突然掴み、ぐっと自分の方に引き寄せたのだ。予想外の動きに驚きよろめくと、彼の顔が目の前に迫る。だがそこでピタッと動きが止まった。
「アール、俺、このチャンスは無駄にしないつもりだから。」
あまりの顔の近さに心臓がドクンと大きな音を立てた。でもここで怯んだら師匠として失格だ。
「そ、そう?まあ正式な精霊道具士になるのは大変だけど、その心構えは素晴らしいんじゃない?」
「・・・(鈍い女)」
「あっ、今何か悪口を考えたでしょ!?そういうのはすぐわかるんだからね!もう、少年のくせにほんと生意気なんだから!!」
ユーリはやれやれという顔で立ち上がると、私を引っ張り上げながら呟いた。
「そういう勘は働くくせに・・・まあいいいや。とにかく師匠、これからもよろしく。」
差し出されたその手は森の中での採集で鍛えられたせいか、以前よりもずいぶん逞しくなっていた。
「こちらこそよろしく。『弟子』のユーリ君?」
しっかりと握った手の熱さに、どうしてか心がザワザワと動き出すのを感じる。でも私はその先をどうしても知りたくなくて、無意識に素早くその手を離していた。
翌日から本格的な弟子教育を始めよう!と意気込んでいた私のところに、再びダンが厄介事を抱えてやってきたのはその日の午後のことだった。
「ダン、君ねえ。あの話は終わったんじゃなかったの?」
「アール、そう簡単に解決するなら、お前のところに相談になんか最初から行かないに決まってるだろ。」
開き直ってそう話すダンをジトっと睨んで家の中に招き入れると、様々な草木を広げて私から指導を受けていたユーリが嫌そうな顔でダンと挨拶を交わした。
「ユーリごめん。ちょっとダンが大事な話があるみたいだから、テーブルに置いてあるノートを見ながら復習しててちょうだい。すぐ終わるから。」
「悪いなあ弟子見習い君。」
「いえ。それともう弟子に昇格しましたんで。」
「・・・」
「・・・」
二人の睨み合いに関わっている暇は無い。ダンの腕をぐいぐい引っ張って、無理やり私の部屋へと連れ込んだ。ドアが閉まるとダンがニヤリと笑う。
「アール、積極的だな。」
「バカなこと言ってないで早く話して。」
相変わらずくだらないやりとりをしなければ気が済まないらしい。とにかく話を促すと、彼は椅子に座ってポツポツと話し始めた。
「メイリーさんの件だがな、あれから彼女、ジュナさんに会いに行って心から謝罪したらしい。」
「そう。」
だがダンがここに再びやってきたということは、その謝罪は受け入れてもらえなかったのだろう。すると案の定。
「だがまあ予想通りというか残念ながらというか、ジュナさんは謝罪そのものを拒絶し、縁を切りたいと申し出たそうだ。」
「メイリーさんにとっては最悪の結果だったわけね。」
私は淡々と話を聞きながら、ベッドに腰を下ろした。
「まあな。それでメイリーさんはまずジョーと話し合いをした上で、商会そのものを今の直属の部下に譲ることにしたそうだ。」
「・・・それで?」
「ジョーを一番下っ端の従業員として働かせてもらうことにしたらしい。だがまた横暴な振る舞いを見せたら商会から叩き出していいとその部下に伝えたそうだ。ジョーと三人で契約書も交わしたらしい。その上で、自分の財産のほぼ全てをジュナさんに贈ることにしたそうだよ。」
それがジュナさんにとっていいことなのかどうか、私にはわからない。だがそれが彼女の決断したことなら仕方がないことだ。
「アールの言いたいことはわかる。ジュナさんがそんなことを喜ぶかどうかはわからん。だがメイリーさんは自己中心的な理由で作ったあの因縁のランプを無理にプレゼントするよりも、娘と彼女に宿った新しい命のために、せめてもの贖罪としてできる限りのお金を残してやりたいと思ったんだと。」
「そう!ジュナさんにお子さんが・・・良かったわね!」
そこでダンが急に姿勢を正し、私を真正面から見つめて言った。
「そして残りのお金は全て、『効果消滅』のために使って欲しいとのことでメイリーさんから預かった。・・・アール・レイノ様、ダン・ウェイドが依頼いたします。私が製作した『メイリー・マートンに帰属するランプ』の効果消滅の儀式を、どうか執り行ってはいただけませんでしょうか。」
公には発表していないが、私は母と同じ『最上級精霊道具士』という位を持っている。ダンと私は親友だが、本来の立場は私の方が格段に上となる。もちろん普段の生活の中でそれを持ち出すことは一切無いが、これは仕事であり、この世界は上下関係がかなり厳しい。
そして、国が定めている『効果消滅』に対する対価は莫大な金額となっている。そのうち三分の一は国に納めなければならない。
それほど重要な仕事を今から私が請け負う、ということだ。
私は覚悟を決め軽く頷くと、ベッドの上で姿勢を正して言った。
「わかりました。その依頼受けましょう。メイリー・マートン氏を十日後、正午までにここにお連れしてください。それとダン・ウェイド上級精霊道具士には、国へ申請する書類の準備をお願いしたい。よろしいですか?」
「はい。それでは十日後にまた参ります。レイノ様、よろしくお願いします。」
ダンは椅子から立って再びしっかりと頭を下げると、「ありがとう」とだけ言って、静かに部屋を出て行った。