根源の怒り
痛い、全身が燃えるように痛い。意識も朦朧としている。呼吸も浅い。体も痺れてまともに動かない。
「「「グルルッ」」」
霞んだ視界に涎を垂らし俺のことを見下しているケルベロスの姿が写る。ドラゴンクローもドラゴンスケイルもドラゴンアーマーも、黒炎の一撃によって粉砕された。どれか一つでも欠けていたら死んでいたと思える程に先程の一撃は凄まじかった。
『立てるか?』
竜神クロノス様に問われるもすぐには返答が返せない。心で負けているつもりはない、けれど体は動かない。徐々に体の感覚が消えて行くのが分かる。もう二度も味わった本物の死の感覚だ。
左目が頭部から垂れて来た血で塞がりアリアとルーナ王女の様子すら見れなくなってしまった。きっと心配してくれているのだろう。薄れ行く意識の中でほんの微かな希望が湧いてくる。
そうだ、もう一度死にかければ良い。また、竜神クロノス様の強大な力に触れ未来視の魔眼のような力を得て、神様の肉体にも近付いて。この現状を打開し逆転する。それこそが唯一の逆転のビジョンにして最善手だと思考力の欠けた脳が判断を下す。
このまま目を閉じて体の力を抜けばきっと臨死体験が出来るだろう。そんな確信を持ちながらも無意識に歯を食いしばり重い瞼を持ち上げる。自分でも訳の分からない衝動が意識を手放すことを許してはくれない。胸の内から湧き上がって来るこの感情を俺は前にも味わったことがある。
走馬灯のように高速で回転を始めた脳が次々と過去の光景を見せて来るがどれもピンと来るものがない。前の世界の最後、大魔帝国ジャスカルタの玉座の前で死んだ瞬間の記憶、あの時の俺は完全に諦めていた。諦観し切った心で唯一残された最後の抵抗である死を受け入れた。
勇者一行が魔王に敗れユリウス兄さんの死を聞かされた記憶、その時に浮かべた感情は絶望だった。人類の希望が潰え、俺の中で希望の象徴であったユリウス兄さんが死んだ。先の見えない不安、やり場のない感情、終わらない戦争への恐怖、その日以降眠れない日々が続いた。
魔王エイミー・ロゼットが神獣バハムートを復活させ取り込んだ記憶、あの頃はただただ無気力だった。すでに多くの国が崩壊し世界は魔王の手に落ちていた。勇者の弟であるという理由だけで生きながらえただけの俺はすでに抵抗する気力すら奪われていた。
そんな記憶を巡っていく中でふと視界の隅に写っていた黒炎に目が行った。そうだ、あの時も俺はゆらめく炎を眺めていた。地面に滴る自身の血が更にその記憶を鮮明に掘り起こす。
忘れる訳もない、手を鎖で拘束され硬質な鉄の首輪で引っ張られながら辿り着いた先で見た故郷が魔族に蹂躙された光景。多くの場所で火の手が上がり悲鳴と共に街の色が赤く染められて行った。あの頃はまだ生きてさえいれば何とかなると無駄な希望に縋っていた時期だ。
強く握った拳からは血が滴り落ち、何一つ救えない現状に涙を流した。あの時もこんな感情になっていた。そう、これは怒りだ。全てを破壊し尽くした魔王エイミー・ロゼットにではない。ありもしない希望に縋り、生きてさえいればどうにかなると言い訳を並べ魔王に挑まなかった自分への、俺自身への怒り。
「ち、がう……だろう」
何が一度死を体験して新たな力を得るだ。そんな都合の良い現実がある訳がない。このまま目を閉じればきっと俺は普通に死ぬ。
「希望に、縋る、ために……強くなったんじゃ、ない!」
世界は残酷で無慈悲で無情で救いなんてない。物語のようなハッピーエンドは起こらない。だから俺は、力を求めた。
「俺が救う、俺が死なせない、俺がハッピーエンドを実現させる!」
気付くと俺は木に背を預けながらも立ち上がっていた。一歩でも踏み込めば倒れてしまいそうだ。だが、確かに立ち上がることが出来た。
「「「グルルッ」」」
立ち上がった俺を見て凶悪に笑うケルベロスからはもう殺意を感じない。ケルベロスの瞳に写る俺は敵ではなく死に損ないの玩具なのだろう。今はそれがありがたい。
『打開策はあるのか?』
『一つだけ、試したいことがあります』
今の俺の現状からして長期戦はまず不可能だ。勝機があるとしたら一撃でケルベロスを戦闘不能に追い込むこと。かと言って広範囲攻撃ではアリアとルーナ王女を巻き込んでしまう上に、そもそも俺の残りの魔力量ではケルベロスの攻撃を掻き消すレベルの出力は出せない。
『それは何だ?』
『命の前借りです』
『何だと』
竜神クロノス様と日常的に話せる機会がある俺は世界の仕組みについて素人知識ではあるが理解を深められるようになった。
『死後、生物の魂は肉体から切り離され純粋な魔力に変換され世界に還元されます。なら、魂の一部を魔力へと変換することも可能な筈です』
生物は主に魂と肉体によって構成されている。それは世界を正しく循環させる為の仕組みであり一部の歴史書で死の間際に行使された魔法が絶大な威力を発揮したのは無意識に魂を魔力へと変換したからだと今なら分かる。
『調整を誤れば死ぬぞ。そうでなくとも確実に寿命が縮み、記憶や感情にも支障をきたすことになる』
『覚悟の上です』
何かを得るには何かを支払う。将来的には無視したい理だが今は甘んじて受け入れよう。
「「「グルルッ」」」
じっとしたままの俺に痺れを切らしたのかケルベロスの口に禍々しい黒炎が姿を表す。それも、三つ全ての頭でだ。
「手負の獣の本気を、見せてやる」
未来視の魔眼が俺目掛けて放たれる膨大な量の黒炎を視せてくる。それでも決して焦ることはない。二度死を体験したことにより魂の在処についてはぼんやりと分かっている。死ぬ直前の感覚も忘れてはいない。
「生命変換、ドラゴンブレス」
魂を魔力へと変換した瞬間、俺の体から肉体許容量を遥かに超える魔力が溢れ出してくる。体内に留めることが出来ない魔力は全てドラゴンブレスの出力へと変換されケルベロスの黒炎を押し返した。
「「「グラァァァァァァァァァァァァ!」」」
俺の放ったドラゴンブレスは圧倒的な力の本流となりケルベロスを呑み込んだ。流石というべきか体の原型は留めているがケルベロスは十数メートル先の木に受け止められ完全に戦闘不能になっている。
「終わったか」
限界を超えた先で手に入れた勝利、その筈なのに喜びの感情はあまりない。ただあるのは無意識に体が震えるほどの喪失感。大切な何かが欠けてしまったようなそんな感覚だった。
「もう大丈夫ですよ、アリア様、ルーナ王女」
それでも俺は二人に向けて笑みを浮かべる。味覚を感じなくなったことに気付いたのはそれからすぐのことだった。




