ケルベロス
冥府の番犬ケルベロス、決して同族と群れをなすことがなく常に単独で行動している魔物で主に冥府の森に生息しているとされ、強靭な爪は巨木を軽々と抉り、その咬合力は硬い外骨格を持つ魔物すら噛み殺せるとされている。
特徴的な三つの頭部はそれぞれ違う思考がなされているが決して統率が取れていないという訳ではなく、獲物を狩る際に動きの阻害をすることはなく六つの瞳は視覚可能範囲を大幅に引き上げている。
「「「グルルッ」」」
「ここが正念場だな」
『ケルベロスに対する知識はあるのか?』
『騎士時代に教わりましたが実戦は初めてです』
鋭い眼光でこちらを睨みながら臨戦態勢に入るケルベロスから視線を外さないまま竜神クロノス様との会話を続ける。
『そうか、ならばこれも修行の一環だ。あの二人を守りきれ』
『はい!』
それなりに温存はしているものの魔力は全快時に比べれば四割残っている程度で決して無駄遣いは出来ない。可能なら未来視の魔眼は解除しておきたいがそれは出来ない。それを証明するようにケルベロスが凄まじい速度で俺に剛腕を振るった姿を幻視する。
「ドラゴンシールド」
「「「グルルッ」」」
ヒキっと通常の魔力障壁よりも数倍の強度を持たせたドラゴンシールドがケルベロスの剛腕を受け止めるのと同時に爪の部分から亀裂が入って行くのが見えた。三メートルはあるであろう巨体にも関わらずその移動速度は凄まじく例え本気ではなくとも一撃を喰らえばドラゴンアーマー越しにもダメージを受けるのを確信する。
「申し訳ありませんが御二人は地面に座って一切声を上げないでください。流石に庇いきれませんから」
振り向くことをせずドラゴンレーダーを頼りに二人にそう呼び掛ける。今の状況でケルベロスの標的が二人に向かって仕舞えば流石に俺でも庇い切れるかどうか分からない。幸いなことに聡明な二人はすぐさま現状を理解し声を上げずに俺の指示に従ってくれた。
ドラゴンレーダー越しに二人が座ったことを確認した俺は簡易拠点を消し魔力を回収してから二人だけを小さく囲うように出来る限り圧縮したドーム上の魔力障壁を展開する。これでケルベロスの一撃を喰らっても耐えられる筈だ。
バリン!と俺が二人を魔力障壁で覆うのとドラゴンシールドが破壊されたのは同時だった。ケルベロスの攻撃速度を考えても俺の張れるドラゴンシールドでは良くて二回までの攻撃しか耐えられない。ただでさえ魔力消費の激しいドラゴンシールドを何度も破壊されれば俺の魔力が先に尽きるのは火を見るより明らかだ。
「ドラゴンクロー、ドラゴンスケイル」
腕だけに留めていたドラゴンクローを足に発動し体全体をドラゴンスケイルで覆い少しでも防御力をあげる。だが、これはあくまで保険だ。
「「「グルルッ」」」
「ドラゴンブースト」
未来視の魔眼でこちらへと突進してくるケルベロスの軌道を確認するのと同時に右手と右足からドラゴンブーストを放ち旋回するようにケルベロスの側面へと回り勢いを殺さずにドラゴンクローによる一撃をお見舞いする。
「浅いな」
未来視の魔眼のお陰もあってドラゴンクローの威力は申し分なかった筈だ。それなのにまるで生身でコンクリートに爪を立てているような感覚を覚える。これは通常攻撃は意味がないと考えて良さそうだ。
「危なっ」
両手からドラゴンブーストを放ちその場を離脱した俺の顔スレスレにケルベロスの剛腕が振るわれる。未来視の魔眼のお陰でかなり戦いやすくなっているがケルベロスを倒すにはやはり高火力の技を喰らわせる必要がある。
「まずは手堅く足を狙うか」
両腕に魔力を集中させながら未来視の魔眼を駆使してケルベロスの攻撃を避け続ける。速く鋭く重い、一撃でも喰らえば致命傷になりかねない攻撃の数々だが不思議と恐怖はない。いや、より正確に言うならこの程度の恐怖では俺の心は揺らがない。
「アレに比べればお前程度怖くもなんともない。ドラゴンファング」
ケルベロスが前足を振り上げたタイミングで両足からドラゴンブーストを放ち無防備な後足へと全力のドラゴンファングを決める。鋭利に造られた竜の牙がドラゴンブーストに後押しされケルベロスの強靭な肉体へ食い込み鮮血を流させる。
「「「グルルッ」」」
「解除」
初めての明確な負傷に怒りを露わにし後足を全力で後方へと振り抜こうとしたケルベロスだったが既にその行動は視えていたので俺ごと吹き飛ばされる前にドラゴンファングを解き魔力を回収する。
「また無防備だな、ドラゴンスラッシュ」
「「「グルルッ」」」
再び無防備になったケルベロスへ向けてその場からドラゴンスラッシュを放つもうっすらと血を流させるのが精一杯でそれ以上の傷は望めない。
「このままだと先にこっちの魔力が尽きるな」
そう考え一度ケルベロスから距離を取ろうとした瞬間、空気の流れが変わったことに違和感を覚える。だが、その違和感の正体は俺が後方へと吹き飛ばされる未来を視たことですぐに理解した。
「ドラゴンシールド」
「「「グラァァァァァァァァァァァァ!」」」
大気を震わせる木々を蹂躙するほどの咆哮が凄まじい衝撃波を伴って俺を襲う。前方と後方にドラゴンシールドを張り何とか凌いでいるが正直かなりキツイ。だが、ここで吹き飛ばされれば二人に張っている魔力障壁が制御下から離れてしまう恐れがある。それだけは避けなければならない。
「はぁ、」
咆哮が収まり世界が少し遠くなった感覚を覚えながらも未来視の魔眼がケルベロスに噛み殺される自身の姿を教えてくれたことで現実へと引き戻される。後方に展開したドラゴンシールドのせいでドラゴンブーストによる回避では間に合わない。
「ドラゴンシールド」
少しリスクを伴うが時間的猶予がなかったこともあった俺はドラゴンレーダーとして薄く周囲へと広げていた魔力を利用する形でドラゴンシールドを展開する。足よりも顎の力の方が強いらしく一撃で牙の部分がドラゴンシールドを貫通したが時間稼ぎにはなった。
ケルベロスの咬合力に押し負け徐々に亀裂を広げて行くドラゴンシールドを視界に入れながら俺はすぐにこの場から回避するべく後方のドラゴンシールドを回収してドラゴンブーストを放つ為両腕を前方に向ける。これで仕切り直し、そう考えた瞬間未来の視界が黒く染まる。
「ドラゴンシールド」
「「「グルルッ」」」
透明なドラゴンシールド越しに見えるのはリリーの扱う金色の炎とは対照的なドス黒い炎だった。俺の知らなかった情報だ。そもそも、ケルベロスの情報自体少し聞き齧った程度のもので頻繁に遭遇する魔物に比べればそこまで詳しくなどない。
ただ、本能的に理解出来ることもあった。本来魔物が多種族を襲うのは捕食する為だ。だが一つだけ例外が存在している。それは敵を排除すること。きっと、ケルベロスの中で俺は餌から敵へと認識が繰り上がったのだ。
「ドラゴンブースト」
せめてもの抵抗として前へと突き出した両腕から全力のドラゴンブーストを放つも気休め程度の効果しかなく巨大な黒炎と共に俺は近くの木へと吹き飛ばされたのだった。




