憎しみを食べて生きているの
「あの先生、キモイよね。話し方もネットリしてて、授業聞くのが本当に苦痛」
「もうさー、全然話が通じないの。何であんな子と出席番号が近いんだろ。サイアク」
「アイツ、まじ生意気。うちら先輩のこと何だと思ってるんだろうね?今度シメとかないと」
それらの言葉に私はいつも、「そうだね」と笑顔で相槌を打つ。
いつの日か、私にはわかってしまったのだ。彼女が私に期待しているのは“友達”ではなく、相槌を打つという“役割”なのだということが。
しかし、ある日ふと考えてしまった。
彼女の人生はどうしてそんなに、“不満”ばかりなのだろう。
“これが好き”とか、“これは楽しい”とか、そんな話を終ぞ、彼女から聞いたことがない。
そんなある日、彼女が目を煌々と輝かせながら話しかけてきた。
「聞いてよ!アイツ、前から気に食わなかったんだけどさーー」
そうか、と思った。
あの子はいつも、“憎しみを食べて”生きているのだ。
不満がエネルギー源だから、それがないときっと、生きていくことができないのだ。
ーーああ。
何て、かわいそうな人なのだろう。
そう思った次の瞬間、私は彼女の前で上手く笑えなくなってしまった。
“役割”を全うできなくなった私に対して、彼女はあっという間に手のひらを返した。
「何かさー、最近態度がおかしいんだよね。本当はずっと私のこと嫌いだったんじゃないの?やな感じ」
「嫌なら最初から嫌だって言えばいいのに。何で今まで黙ってニコニコしてたんだろ。まじイミフなんですけど。気色悪っ」
あの子は新しいエサを見つけたおかげで、とても生き生きとしているようだった。
“餌”となった私を、かぶりつくように実に美味しそうに食べる彼女は、ただただ、グロテスクだった。
これは、ただの思い出話である。別に、あの子が私を酷く扱った仕返しだとか、そういうことではない。そもそも、あの子が今どこで何をしているのか、私にはわからない。
でも、きっとあの子は今もどこかで、“憎しみを食べて”生きているのだろうと思う。
「そうだよね」と相槌を打つ子を、傍に置いて。
そして……その裏で、いつその子を食べてやろうかと、いつその機が熟すのだろうかと、舌なめずりをしながら待っているのだろう。