2.約束‐夜馬之助side
お城への奉公が決まったと夜馬之助の父親──山之丞に聞かされた瞬間、夜馬之助は立ち上がっていた。
「まだ話は終わっていない。座り──」
「申し訳ありません、父上」
話している途中、しかも立ち上がっている事を謝りながらも、夜馬之助の頭の中は愛以子の事でいっぱいになってくる。だから、そこで一度言葉を切り、深呼吸した。
「ですが、愛以子殿の事が浮かび……──」
「……、わかった。必ず戻ってこい」
「はい、ありがとうございます。父上」
夜馬之助の望みを聞いてくれた山之丞に深いお辞儀をして、桜木道場へ向かって走り出した。
◇◆◇◆◇
息が切れながらも、走るその道は、幼い頃から何度も通った道。そこを走りながら、様々なことを思い出す。
山之丞と手を繋いだ事。
初めて愛以子と話せた事。
初めて剣術を誉められた事。
初めての模擬試合で負けた事。
初めての模擬試合で勝った事。
今走っている道はたくさんの思い出が詰まっている。そこにはいつも愛以子がいた。愛以子が桜木道場の娘としていてくれたから頑張れたこともある。本当に幼い頃から、愛以子の存在に助けられた。
でも、お城への奉公が始まったら、家族や愛以子に簡単には会えなくなってしまう。だから、こうして今、愛以子の元へ走っている。愛以子に伝えたいことがあるから。
しばらくそうして走っていると、桜木道場が見えてきた。桜木道場からはそこに通う子供達の声の中に愛以子の声が混じって聞こえてきた。
(愛以子殿……)
桜木道場の入り口付近に近づくと、稽古が終わった子供達に愛以子が「気をつけて帰るのよ」と声をかけているのがはっきり聞こえてくる。
(愛以子殿……)
息を整えながら、歩く。すると、桜木道場の入り口から愛以子が出てきた。
「あら、夜馬之助様、どう……! 拭くものと飲み物をお持ちいたします」
そう言って、小走りで桜木道場の中に消えていく愛以子。それを見た夜馬之助は、桜木道場の中に入り、幼い頃よく素振りの稽古をしていた八重桜の樹が植わっている所へ自然と向かっていた。
「懐かしい……」
八重桜は幼い頃より、少し大きくなっていた。八重桜の幹に触れ、思い出す。無心に素振りをする事で愛以子への想いを消そうとしていた事を。
(結局……、消えなかった……)
今はその想いを大事にし、こうして愛以子に会いに来ている。
「あっ、夜馬之助様……。こちらにいたのですね」
愛以子に渡された布で汗を拭う。その布は幼い頃から全然変わっていない。その布を見ても思い出す。
(小さい時は、キライだったな……剣術。でも、それも愛以子殿のおかげで好きになれた)
汗を拭い、湯飲みに入っている麦茶を飲み干し、お礼を言う。
「落ち着きましたか?」
「はい、ありがとうございます。愛以子殿……」
夜馬之助は湯飲みを見つめ握りしめる。
「夜馬之助、様……?」
愛以子の声に反応し顔を上げる。そこには不安そうに夜馬之助を見つめ「何か父に用があったのですか?」と愛以子が、問いかけてくる。
「いえ……、愛以子、殿に用があって……」
「私、ですか?」
愛以子を見つめ、頷く。そして、言葉を発する為、口を開く。
「……お城での、奉公が……決まったのです……」
そこで夜馬之助はうつ向いてしまった。そして、愛以子は何も言わない。聞こえてくるのは、桜木道場から家に帰る子供達の声。
「だから──」
夜馬之助の言葉に被せるように愛以子がこう言ってきた。
「そう、ですか……。しばらく、会えなく……なるのですね」
その言葉にあとに、砂利の音が聞こえた。その音に顔を上げると、愛以子は夜馬之助に背を向けていた。
「夜馬之助、様……。お身体に気をつけて……お城での奉公──」
その後に続く言葉を愛以子から聞きたくなくて、夜馬之助は愛以子を後ろから抱き締めていた。
「夜馬之助様、離してください……!」
「イヤです」
幸い、ここは八重桜の幹の影になっていてあまり人目につかない。だから、夜馬之助は愛以子を離さなかった。
「某は……、愛以子殿に逢いたくて、ここに来たのです。だから、……顔を見せてください」
「イヤ、です……」
その声は否定しているようには聞こえない。でも、無理強いをしたくない夜馬之助は、少しだけそのまま愛以子を抱き締めていた。すると、愛以子の小さな手が、夜馬之助の腕に控え目に触れた。
「……ご準備は、よろしいのですか?」
「はい。まだ、話を全て聞いたわけではないので……」
夜馬之助の言葉に愛以子が小さく笑う。
「夜馬之助、様……」
そう言って、愛以子が身動ぐ。だから、夜馬之助は腕の力を緩めた。そして、ようやく、愛以子の顔を見ることができた。
「赤くて……」
(愛おしい……)
愛以子には、聞こえないほど小さな声で、夜馬之助は呟く。
「もう、よろしいでしょうか……?」
愛以子が恥ずかしそうに視線をはずしながら言う。夜馬之助は愛以子の肩に優しく触れながら、それに答えることをせずに、こう言った。
「……愛以子、殿は、知っておられるか? 城下町で春に行われる催し事を」
「……はい」
愛以子の肩がピクリと動いた。きっと、夜馬之助の言いたいことが伝わっているに違いない。だけど、これはキチンと自分の言葉で愛以子に伝えたい。
「その催し事、つまり……、その、桜の夜の催し事に某と一緒に行って欲しい。お城での奉公をしていてもそのときだけは、城下町に来られるから……!」
愛以子を見つめながら言う言葉に、愛以子の顔が赤く染まる。
“桜の夜の催し事に一緒に行って欲しい”
この言葉は遠回しに結婚の申し込みをしているのと同じ。
それは自分の想いも伝えている事と同じ。
愛以子の返事を、見つめながら待つ。愛以子は頬を染めながらも、視線を外さずにいてくれた。
「はい……、必ず! 行きます! その時を心待ちに待っています」
そう言ってくれる愛以子が愛おくて、再び、今度は正面から愛以子を抱き締めていた。