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役に立たない  作者: 字識憂患
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『もうおねがいゆるして ゆるしてください』

今回のサブタイは言いたくもないあのメモから抜粋です。自分でつけておいて見たくないサブタイランキングの堂々一位を飾っています。

 二人は、香乃智とサクラは終電近い電車に揺られていた。寝ることすらままならず、かといって、会話をできるような雰囲気ではなかった。

 手をさすっているだけのサクラ。脳裏には、いまだにユタダイの言葉が残っている。

『まさか、『時間越え』…………』

 その光景を思い出し、再び唇をぎゅっと握りしめる。

『次は、狭山市、狭山市。お出口は左側です。』

 その声を聞いて、無言のまま智は立ち上がる。一方のサクラはうつむいたままだ。

 智は肩をたたき、降りるよう促す。

 それに気づいたようで、ゆらりと力なさげに立ち上がる。

 二人は狭山市駅で降り、今朝来た道を戻る。バスロータリーで智はバスがないか確認する。

「…………智さん。」

 重たい口をようやくサクラが開いた。

 時間も時間だったこともあり、人が少なかったので智はあまり遠慮せず答える。

「なんだ。」

「風に当たりたいです。」

 うつむいたままつぶやくサクラはとても弱々しく見えた。

 その姿を見て逡巡したのち、智は大きなため息をついた。


*


 ロータリーから市街地とは別の方向に延びる道に行く。

 智は無遠慮に歩くので、サクラはたまに小走りにならなくてはいけない。

 この道は街灯も少なく、住宅街を抜ければ家もほとんど建っていないようなところだ。静かなこの道でようやく口を開く。

「人を殺した。」

 サクラは黙って聞いていた。

 智は繰り返す。

「俺が殺した。」

 サクラはいたたまれない気持ちになり、俯いていた顔がさらに沈んだようだった。

「あいつの理由も聞かないで……保身のためだけに。」

 暗闇の道を行く。

「お前の知人も殺した。」

 流石に顔をあげて、フォローをしようと智に顔を向けるも、

 動いた拍子に涙の粒がはじけただけだった。

「…………っ」

 言葉が出てこない。

 何も言えない。

 支えてあげられない。

 再び俯き、黙ってしまう。

「これからもこういう戦いをするのか?」

 智は聞いた。サクラも俯いたまま答えた。

「相手が話し合いをしない以上は……」

 言わずもがなというようにその先は言わないサクラ。

 智はそれを見越したうえで言葉を続ける。

「この星では昔、世界全体を巻き込んだ戦争が二回起きた。」

 語り口調な智の言葉に耳を傾ける。

「当時の戦線では兵士の士気を高揚させるために、薬を打たせたらしい。」

 サクラは黙ったままだ。

「気を興奮させて、人を殺す非日常を忘れさせたんだ。」

 ややあって、彼は言った。

「今、その薬を打ちたい気分だ。」

 サクラはその言葉に口をもごもごさせている。

 彼女もこの『人を殺めた』という感情の置き場を探していた。ましてや、腹違いの弟を殺した感情なのだから。

 二人は顔を合わせずに話を続けた。

「それは、人を殺したという事実から現実逃避するということですか?」

「そうだ。」

 智は低い声で言った。

「責任を負わないということですか?」

「…………そうだ。」

 その答えを聞いて、何かをぐっとこらえるようにサクラは話し出した。

「一般論として、それはよくないことだと思います。……人を殺したら、それ相応の罰を受けなくてはなりません。……この国の法に基づいて公平に裁かれてしかるべきだと思います。」

 そこまで言い切って、一呼吸置く。

 そして、意を決したように、智の前に立って、

「それでも私は、智さんを……智さんの行動を否定しません。」

と言った。

 それを暗い顔のまま見つめる智。

 サクラはうまく言葉が見つからず、しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。

「そもそも、こちらは命を狙われていましたし、向こうは凶器を持っていました。何より私たちは戦争をしています。このようなことはよくあることなので……えっと……」

「開き直るのか?」

「言い過ぎかもしれませんけどそう言ってもいいです。」

 周りは静寂で包まれている。

「智さんは間違っていません。」

 サクラのその言葉が響き渡るだけだった。

 智はそれで肩の荷が下りたのか、小さく安堵の息を吐きだした。しかし、すぐに口元を結び、サクラにはそれを悟られないようにして、サクラを追い越して再び歩き出した。

 サクラはその行動で智の気持ちにゆとりができたと分かったらしく、その後姿を見ながら、ほんのり笑顔になった。


*


 廃校になった学校を通りすぎ、大型の商業施設を通り越す。その出入り口ともいえる信号を右折する。家がいよいよ近づいたところで重要なことに気づく。

「おまえ、今日、どこで寝るつもりなんだ?」

「え?」

「というか、今までどこで寝てたんだ?」

 サクラの寝床についてようやく疑問が沸いた。そして同時に嫌な予感もよぎった。

「今まではばれないようにいろいろなところの使われていない寝室をこっそり借りてきました。けど、智さんの家ってことは……」

 衝撃のあまりそこに立ち止まり、心底嫌そうな顔をする智。もはや、最後の方は聞いていなかった。

 智の絶句を別の解釈をしたのか、サクラは、

「あ、突然は申し訳ないですよね。大丈夫です。お邪魔になるようでしたら居間とか使われていない部屋とかでも大丈夫ですので。」

と言った。

「そこじゃない。」

「え?それじゃ何が問題ですか?」

 それでもわからないという表情をするサクラに智は少々あきれ気味で諭す。

「あのな、この星では異性を自分の家に泊めるっつーのは世間体として異質なんだよ。」

「そうみたいですね。でもそれってお付き合いされている方ならではの話ですよね?」

「そうじゃなくても話のタネになるんだ。特に親なんか……」

 自分で親と言いながら、父親の顔を思い出し、余計にうんざりする智。

「それは大丈夫ですよ。だって、私、他の人に見えませんし。」

 見えないことを忘れていた智はそのことを思い出し、さらにうんざりする。

「余計にたちが悪いわ。」

「あ、すみません。部屋の中を見られたくないとかそういう……」

「そうじゃないし、持ってない。……はあ、わかったよ。」

 これ以上は不毛な争いになりそうだし、疲れるだけだと思ったので、智の方が折れた。

「客間がある。そこを使え。風呂は……まあ、父さんにばれないように。着替えは母さんのでも使っておけ。」

「え?お母様のをですか?」

「さっき俺の家族の話はしただろ?母さんはいないから問題ない。それと……」

 言うべきか一瞬躊躇したが、目を細め、苦虫をつぶすような顔でつづけた。

「父さんとはできるだけ会わないようにしてほしい。」

 そう言うと、話は終わったかのように歩き出す。

 サクラはそれを先ほどと同じ論理で否定しようとする。

「だから、見えないから問題ないですけど……」

「そういう問題じゃない。」

 智は先に歩いていってしまった。


*


 両隣の家、片方の電気はついているが、もう一方の家には人の気が無い。そんな家に挟まれたところに智の家はある。

 玄関のドアを開ける。

 廊下の電気はついていない。しかし、リビングにつながるガラス戸からは光が見える。

「二階に上がって、二つ目の部屋が俺の部屋だ。とりあえずそこに行け。あと、母さんの服は階段を上がって右手の一番奥の部屋だ。そこから好きに服を持っていけ。」

 智は努めて静かな声でサクラに促した。サクラも必要はないのにそれにつられて静かにしようと頷き返すだけだった。智は靴を脱ぐと、まず、すぐ隣にある客間に入っていった。

 客間は四畳半の畳の間で押し入れに二人分の布団が入っている。丸二年ほど使っていなかったので少々かび臭いが、そこは我慢してもらおうと思い、一つだけ布団を取り出した。敷き終わると、自分の晩御飯をとりに行く。

 ガラス戸の前で一度止まる。

 廊下にはテレビの音も漏れ出ていて、察するに銃撃戦の音から、海外ドラマかアクション映画を見ているのだろうと想像した。手はまた引き戸の取っ手にかかったまま硬直していて、変な汗が出ている。

 目を閉じて、心臓を落ち着かせる。

 何度も、何度も、深呼吸を繰り返し、意を決してドアを開ける。

 ガラガラガラ。

 テレビがついていて、その前のソファにはこちらを見ようともしない父がいた。

 その前のちゃぶ台には一升瓶がほぼからの状態で一本置いてあった。その姿を確認してから、その方向とは正反対のキッチンの方に行く。

 流し台の中にはカップ焼きそばのごみと箸がおいてあった。

 冷蔵庫の中を一度確認する。料理をすれば一度の食事くらいは賄える程度の蓄えはあったが、一切手がついていない。父は料理ができないのだ。そのため、いつもは智が作り置いたものを食べている。

 しかし、今日の智にそんな暇がなかったことは―父の知る由もないが、自明なことであった。智はここで、父のいるところで食事をしたくなかったし、サクラのこともあるので、部屋でご飯を食べようと思っていた。

 流し台の上の収納からカップラーメンを二つ取り出し、作業台の上に置いておく。電子ポットをとり、父の使い残しであろう水を捨て、二人分の水を注いで沸くまで待つ。

 テレビはずっと流れている。

 父はクスリとも笑わない。

 ポットが蒸気を発する。

 シューという音が耳に大きくなる。


*


 智の部屋の電気をつける。

 彼の言った通り、大したものは置いていない。というより、ものがなさすぎる。

 ベッド、机、いす、本棚、クローゼット……ほかに何もない。悪いことだとは思いつつもこっそりクローゼットを覗く。服は三着ほどしかない。しかもぜんぶ同じようなくたびれたYシャツだった。開け続けているのも失礼だと思い、閉めてから、他のものに目を向ける。

 ふと、机の上のものに目が留まった。

 紺色のパスケースである。

 それを手に取ってみる。手作りだと一目でわかるフォルムをしていて、裏面には「S.K」と刺繍してある。香乃智であることは一目瞭然だが、彼女には理解できていないようだ。

「誰が作ったんだろう……」

 ボソッとつぶやいてから、まるで嫉妬のようだと顔を赤らめ、すぐに元あったところに戻す。

 ベッドの上に座り込む。息を大きく吐きながら寝っ転がる。大の字に両手を広げて天井を見つめる。

 バスに乗り込む智、電車を待つ智、電車に揺られる智、智の祖父、咲智の家の桜の木の上から見えた書斎の智、所沢駅で手を握られたこと、航空公園で手を握られたこと、池の上に浮かぶ桜の花びらを悲しくにらむ智。今日あったことが思い出される。

 そこで思い出したようにばっと飛び起きた。

「服!」


*


 そこだけ堂々と開いているドアの前に立ち、中を覗くサクラ。

 きれいに整理してあり、がらんとしていたその部屋は外の光が差し込んでほんのり明るくなっていた。クローゼットを開くと、ブラウスやワンピースなどの衣類が整然と並んでいた。どれもきれいに洗濯されて清潔感がにじみ出ていて、智の母のよい性格が手に取るように分かった。下の引き出しを開けると、いくつかのパジャマやネグリジェが出てきた。そこから適当なものを取り出し、元の配置に戻す。そして静かに、部屋を閉めた。


*


 ポットの中の水が沸点に達し、ボコボコッという音に変わる。

 沸騰が完了し電源が自動で切れる。お湯を注ぎ、蓋をする。もうここにいる必要はないので、お盆にカップ麺の容器と箸を二膳並べると、さっきのガラス戸から出ようとした。しかし、

「智。」

その声に肩がビクンとなる。

 父が声をかけたのである。しかし、目線はテレビに向いたままだった。

「遅かったじゃないか。」

 低い声が響く。

 智は震えながら、懸命に言葉を紡ぎ弁解する。なぜなら、この後起こることがわかるからだ。

「今日は、じいさんの家を掃除しに行って、それで、電車で寝過ごして……」

 当然、本当のことを言えるわけがないので見え見えな嘘をつく。

 そこでようやく父がこちらを向く。智の手は一層こわばる。仕事帰りのYシャツ姿で、ネクタイは外している。しわやシミが見え始め、初老ともいえるようなその男は眼光だけは指すように冷たく、鋭い。

「言い訳をしろと言っていない。飯を用意しておけという話だ。」

「…………ごめんなさい。」

 消え入りそうな声で謝罪する智に、さらに畳みかける。

「それにそんな汚い恰好でウロチョロするな。目障りだ。」

 理不尽な怒られ方だと分かっているが、ここはぐっとこらえることが得策だと今までの経験でわかってきていた。

 しかし、その日の疲弊のせいで眉間にしわが寄っていた。そのことが父の口実となってしまった。

「おい、なんか文句でもあるのか?」

 その言葉で気づいたが、もう遅かった。

 言いながら一升瓶を右手に持ちゆらりと立ち上がる。

 流石の智も恐怖が顔に出る。

 じわりじわりと歩きながら智の方によって来る。

「おい。あいつがいなくなってからお前の面倒を見ているのは誰だと思ってるんだ!」

 母の失踪を利用し、悪態をつく父。

「こういう暮らしをしているのに、飯を準備することもできないのか?この役立たずが!」

 ちょうど母のネグリジェを持って部屋に戻ろうとしていたサクラもその声を聞きつけ、降りてくる。

 智はひたすら黙っている。しかしその唇はガタガタと震え、瞳孔は開き、恐怖がまざまざと見えていた。

「それでお前もこんな食い物か!お前が食う飯なんかねぇんだよ!」

と言い、お盆に当たるように瓶を振り上げる。

 お盆がひっくり返り、智の方に向く。

 智は目を瞑る。しかし、カップ麺のお湯は容赦なく智にかかる。

 あまりの熱さにその場に尻もちをつく。

「智さん!」

 あまりの出来事にサクラは階段を駆け下りてくる。

「あっつ!あっ!…あぁ!あっつい!はぁっ!はぁっ!熱い!あぁ…………」

 もはや言葉にならない声で悶え、苦しむ。

「大丈夫ですか!?智さん!」

 サクラが駆け寄って、しゃがみ込む。

 しかし、これで終わったとは思っていない智はサクラに危険が及ぶことを恐れ、突き飛ばす。

「きゃあ!」

 一升瓶を持った父はいまだに智の前に仁王立ちしている。

 廊下は暗く、リビングのライトが照らすため、父の姿はより一層気味の悪いものであった。

「お前が大学に行くために使った予備校代も馬鹿にならないんだぞ?それなのに浪人とはいいご身分じゃないか。」

 智は話なんて聞いている余裕もなく、熱湯のかかった服を着ているのが問題だと思い、急いで脱ごうとするも濡れているため簡単には脱げない。おまけに熱い。

 それでもそんな智を無視して父は続ける。

「しかも勉強もせずにこんな時間までちんたらしやがって。いい加減にしろ!」

 智の危惧していたことが起こる。

 父が一升瓶を振りかざしたのだ。

 智は恐怖で後ずさる。部屋の出入り口から廊下に出るも、すぐに壁につくのでもう逃げ場はない。

 父はゆっくりと追い詰め、一升瓶を振り下ろす。

 サクラは恐怖で目を伏せる。

 お盆で防ごうとするも、

 バキィ!

 簡単に砕けてしまった。

 幸い、瓶は彼の頭には届かなかったが、お盆の破片をもろに浴びることになってしまった。

 智の体は崩れ落ち、呼吸が早くなる。

 それでは飽き足らないのか、今度こそ狙いを定めて瓶を振りかざす。

 頭を守らなくてはいけないと反射的にまだ持っていたお盆の一部を腕の前に持ってきて、両腕でガードする。

 バリン!

「ぎゃあ!」

 お盆が砕けるが、同時に瓶も砕ける。お盆のおかげで直接は当たらなかったが、左腕に鈍い感覚が残る。その痛みを右腕で抑える。

 いよいよ看過できなくなり、サクラが声を荒げる。

「智さん!」

「来るな!」

 智はそれでもサクラに危険が及ぶことを恐れて近づけないようにする。

 もちろん、父は自分が言われたと解釈をして、さらに怒る。

「うるせぇんだよ!」

 割れた一升瓶を持ち、さらに詰め寄る父。

 必死の思いで立ち上がり、よたよたしながら家の奥まで逃げる。

「そうだよなぁ、これで殴られた方が痛いよなぁ!」

 あっという間に行き止まりになり、左腕を支えながら翻り、父をにらみつける智。

 その父の方もそのにらみつけるような視線にふと先日のことを思い出す。

会社でクビになった人間が彼の前に土下座してきたのだ。自分にも家庭があること、ここで働きたいということ、いろいろなことを言っていたが細かいことは忘れていた。

 その男に何かでいるわけでもない彼は足早に遠くに行くことしかできなかった。

 一呼吸置き、智を一睨みしてから、こう言った。

「お前みたいなやつは役に立たないんだよ。」

 智の顔についに怒りがこみ上げた。

 髪の毛が逆立つ。

 外にある周辺の桜の木が揺れ始める。

 その時、

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴る。

 その場が静まり返る。

 桜の木は鳴りを潜め、智の表情も落ち着いたものになった。

「香乃さーん?」

 隣の家のおばさんの声がドアの向こうからする。

「香乃さん?大丈夫ですか?大きな音がしましたけど……」

 父はため息をついてから、瓶を投げ捨てた。

 そして恨めしそうに智を睨みつけながら踵を返し、玄関に向かって歩いていった。

 外に見られてはまずいと思い、智はすぐ隣の洗面所に駆け込む。サクラも心配そうについていく。

 父はドアを開けてそのおばさんに面倒くさそうに応対する。

「大丈夫ですか?」

「はい、瓶を落としちゃって……」

「あら~、大丈夫だったの?」

「ええ、僕は大丈夫なんですけど倅がけがをしまして、今冷やしています。でも、大丈夫ですよ。」

「本当ですか?」

 そのやり取りが遠くに聞こえる中、智は一人、風呂に入った。シャワーをつけると、その音によってすべてが遮蔽される。

 悔しさや恐怖や怒りが浮かんだが、頭から浴びるシャワーが全部流してくれた。

「智さん……大丈夫ですか?」

 脱衣所まで来ていたサクラが、風呂のドアの前で呼びかける。

「…………」

 智は聞こえてはいたが、今は会話をしたくない気分だった。

 サクラはそれを気にせず、話を続ける。

「智さんがお父様の話をしたがらない理由がわかりました。」

 智はまだ黙ったままだった。

「お母様はとてもいい性格だったということが、部屋に入っただけでもわかりましたよ。おじいさんの家も……」

と言って話をそらそうとするも、そのあとの言葉が出てこない。

 そこでシャワーの止まる音が聞こえる。

「いつものことだ。」

 ついに智は口を開いた。

「いつものことだから気にしなくていい。」

 もう慣れたというような口ぶりでそう告げる。

「でも……」

「それより、出たいんけど。」

 いきなりその宣言をされて慌てるサクラ。

「じゃ、じゃあ、また、智さんの部屋にいますね。」

 思わず、焦ったこともあり言葉が上ずってしまった。パッと立ち上がり、そそくさと脱衣所を出て、二階に向かう。

[newpage]

「そもそもなんだけど、」

 風呂上りの智は部屋に戻り、母のネグリジェを着たサクラにこう切り出した。

 その服が新鮮なのか、サクラは風呂上りに智の部屋に来た時からソワソワしていた。

「なんでお前らと意思疎通ができるんだ。」

 今までしなかったが、ついさっきのユタダイの言から惑星キャヴァラの存在を受け入れた智は初めて、至極まっとうな質問をした。

「今まで考えていなかったんですか?」

「そもそもほかの惑星から来たっていう点を疑っていたからな。」

「確かに、それもそうですね。じつは、言語の障壁を克服するからくりはここにあるんですよ。」

 そういうと、サクラは智の頬に手を伸ばした。

「おい、何を……」

「じっとしていてください。」

 そのまま耳まで手を伸ばすと、小さな金属のようなものを取り出した。

「これは……」

 次の瞬間、サクラが訳の分からない言葉で話し始めた。

「ちょっ……ちょっと待て。」

 すると一度静かになるサクラ。

「この機械が言葉を変えている?」

 サクラは頷いて、再び智の耳にその金属を戻した。

「これをつけていると相手の言葉を自分の母国語に変換してくれるんです。」

「じゃあ、お前も今つけているのか。」

「はい。私も今喋っているのはパリドマ語ですけど、智さんには日本語に聞こえていますよね。」

「一応、こんなに小型化されていないし、ここまでハイスペックじゃないけど、この星にも似た技術はある。」

「でも、この機械のすごいところは言語を習得するところです。」

「じゃあ、地球に来た時にまずこの機械で言葉を覚えさせたから会話できるのか。」

「はい。」

「こんな機械を作る技術があるのか。」

「いえ、これは隣国のマハリーナから輸入したものです。マハリーナは先進国でこの星に来るのに使ったワープホールもマハリーナ産なんですよ。」

「そのマハリーナなる国の方が発展しているのか。技術的にも、政治的にも。」

「そうですね、よく言われます。ついこの間、侵略戦争で……」

 そこで口をつぐむサクラ。

 そこはどうでもいいようで、話を進める智。

「ま、先に成長した国は新しい技術を売るところが欲しいからな。」

 言語問題が解決したところで次なる疑問が生まれる。

「文字情報はどうするんだ。」

「読めません。もちろん、言語があれば意思疎通はできるので苦労しませんよ。」

「でも、一年もいればできる奴なら表音文字は習得できるだろ。」

「そうですね、私は一年間この国にいましたから流石に平仮名とカタカナ程度は読めますよ。だから、文字配列を声に出して読めば、勝手にパリドマ語になってくれます。ただ、それを意味に変換するのが難しいんですよね。」

と言い、おもむろに机の上のスケッチブックと鉛筆をとると、平仮名で「あめ」と書いて智に渡した。

「この場合、文脈による意味づけがされていませんよね?だから、声に出して読んでも、天気に関する雨なのか、食べ物の飴なのか、機械が判断できないんですよ。」

 言いながら再び自分の椅子に戻る。

「確かにそうだな。同じ言葉でも文脈とか文法語法で意味が特定されることが多いからな。」

「お詳しいんですね。」

「……まあ。爺さんが一応、大学の教授で。いろいろやっていたからいろいろ身についたというか、爺さんの家の本のおかげというか。」

「大学教授とは儲かるものですか。あんな家を建てられるくらい。」

「そりゃ、まぁ。研究するのが主な仕事だからな。だから生徒に教えるのがへたくそな先生もいるんだ。こんなことは言っても分からないと思うけど、学問を仕事にするためにはサイコロ賭博が必要らしいぞ。全部運なんだ。根本的なシステムがくるっているからダメなんだ……」

 最後は一人でつぶやくように言っていた。

「そんな大学に行こうとしていたんですか?」

「は?」

「『浪人』という言葉があるんですよね。志望大学に受かるためにもう一年勉強する人のことですけど、智さんはこれから浪人になるんですか?」

 智はうつろに壁を見ながら話した。

「今のところ、大学に行くつもりはない。あんな馬鹿が集まるところ……。かといって就職するつもりもない。でも、何もしないというのも論外だ。」

「ではこれからどうするんですか?」

 確かにこの立場を説明するにはどのような言葉が当てはまるのだろうか。

 一度サクラの方をちらっと見る。

 やはり、答えは一つのようだ。

「今は……あんたとの契約を全うすることが最優先だ。」


*


 流石に夜が遅いので、智の部屋を退出したところでサクラは大いに赤面する。

――最優先って……いや、でも、そういうことじゃないし、あくまでもこの戦争から逃げるためのことですよね。

 もんもんとしながら、廊下を歩く。

――戦争のことも抜きでだったらなんて言ってくれるんでしょうか……

 そこで、サクラの思考はストップする。

 奥の部屋、すなわち、智の母の部屋が半開きになっていたのだ。

 さっき出て行ったときはしっかり閉めたはずなのに開いていたので、その不自然さに、サクラは吸い込まれるように、そのドアの方に歩いていった。

 ちなみにサクラはこの手の現象・話にはめっぽう弱い。なので、一歩一歩がゆっくりになり、慎重にドアに手をかける。そっとドアを開けると先ほどの様にきれいな部屋があるだけであった。

 一瞬安心するも、そのきれいさに逆に不信感を抱く。

 クローゼットを覗くと、




 さっきまできれいにたたまれていた洋服がぐちゃぐちゃになっていた。




 その謎はサクラにはわからなかった。


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