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役に立たない  作者: 字識憂患
3/65

変身

 投降方法がよくわからずに前回は同じタイトルが二本立っているみたいになってしまいした。なんとかしてこれを書き終えた後にでも訂正しようと思います。

 今回のサブタイは言わずと知れたカフカの『変身』を使わせていただきました。まあ読んでいただければわかるんですけど、最初の一行と最後の何ページかを読んじゃえば大体わかるという活字嫌いにもうれしい本ですので是非読んでください。

 智自身はグレゴール(『変身』の主人公)ではありません。広義ではそうかもしれませんが、違います。集団として生きなければならない社会の中で個人を目覚めさせたから主人公は虫になるという罰を受けたというのが『変身』では描かれているのですが、その先どうなったのか。この物語で味わっていただけるとありがたいです。

2020年3月15日




「ここからが本当の戦いです。」

 サクラの目には恐怖のような、しかし強がるような色が浮かんでいた。

 目を離さないまま、香乃智に質問する。

「ここから一番近い桜のスポットはどこですか?」

「航空公園だと思う。電車で行った方が早いかもしれないけど……」

 駅の時計を見る。

 6時32分。

 ちらっと電光掲示板を見る。次の本川越行は36分と表示されており、乗れないことはない。

 その視線に気づいたサクラが指摘する。

「一般の方を巻き込むわけにはいきません!」

「一応、この辺の道は理解しているつもりだ。航空公園なら走って10分ってところだろ。」

 その時、到着した電車から乗り換える人が構内に流れ込む。その期を智は見逃さない。

「今だ。」

 智はサクラの手を引っ張り、改札の方に走り出した。

 テラスでその様子を見ていた二人も行動を起こす。一人はパリドマ人だからなのか、そこから飛び降りて一直線に改札に向かう。

 大勢の通勤客を押しのけ、全力で走る。その手を引っ張られるサクラは不謹慎だと思いながらも、引っ張られているその手を見つめ、うれしくなった。改札を抜け、右に曲がり、階段を駆け下りる。ちなみに彼女は運動神経は悪くない。むしろ女性にしては高い。

 一方、パリドマ人は自分の契約者に向かって叫ぶ。

「おい、工間(くま)!早くしろ!逃げられちまうぞ!」

 後ろから追いかける男も遅いというわけではないが、帰宅ラッシュの人波に押し負けている。

 通りの人波を押しのけて、懸命に走る二人。

「彼はユタダイ君です。王位継承権20位。私の異母兄弟で3歳下です。あ、そういえば言ってませんでしたね、私、30歳です。」

――年齢なんて今はどうでもいいだろ。

と言おうとしたが、一人で叫んでいる変な人だと思われてしまうのでぐっとこらえる。

 通りを抜け、航空公園に向かう緩い下り坂に差し掛かる。本通りから折れたので、大きな道ではあるが人通りは少ない。坂を下った先には陸橋があり、線路が上を走っている。

 二人は息を切らしながらそこで休む。智はサクラの手を引っ張り、サクラの方が死角になるようにする。呼吸を整えつつ、情報を求め、サクラに迫る。

「……で?……まず、なんで年齢の…話を…したんだ。」

「いや、それは……話がそれただけですけど、この星で換算すると20歳くらいだと思います。実際の体の成長も20歳ぐらいですし。」

――地球との比は3:2ってとこか。

「ってことはあんたたちの星はシンプルに公転周期が短いってだけなのか。」

「そうですね。243日周期ですので。……智さんはいくつなんですか?」

 智は坂の上の方をちらっと見て、まだユタダイが来ていないことを確認しながら話す。

「……18。」

「じゃあ、2つ年下なんですね。」

「そうとも限らんぞ。お前の星の暦は知らんが、この星の大体の国は1年が12か月で365日だ。学校とかが4月に始まるから同い年でも同じ学年とは限らない。」

 智は航空公園の方に歩き出す。

「それです!キャヴァラの暦には『月』っていうものがありません。何が12か月なんですか?」

「あれ。」

と言って、智は南の空に浮かぶ半月を指さした。

「あれは月ですよね。」

「昔はあれを使って暦を作っていたんだ。その名残だ。」

 そこで自分のやっていることに疑問を持ち、立ち止る。

「そんなことはどうだっていいんだよ。」

「あ、そういえば。」

 改めて歩き出す。智はちょくちょく後ろを振り返って警戒する。

「じゃあ、お前の国には誕生日とかないのかよ。」

「ありますよ。一年の始まりから数えて48日目です。」

「地球で換算したら?」

「確か今日だった気がします。私たちの星では何日に生まれようが年の初めにみんな年齢が上がるんです。」

「……便利なシステムだな。」

 航空公園が目の前に迫る。

「そういえば、あいつのパリドミアはわかるのか?」

「ユタダイは完全コントロールの力を持っています。物を投げれば必ず命中。だからスポーツ選手として有名だったんですよ。」

「確かに、この星で言ったら野球ってのに引っ張りだこだな。」

「もちろん、この星でどうなっているかはわかりません。」

「お前はどうなんだよ。」

「はい?」

 思わず、顔を智の方に向ける。

「キャヴァラではどんな能力だったんだよ。」

 言い切るより先に、何かが智の後頭部にぶつかる。




 ゴン!




「いったぁ!!」

 思わずそこに座り込む。

「大丈夫ですか!?というかこれ……」

 まずはぶつかったものを確認する。

 …………みかんが落ちていた。

 次にどこに敵がいるのか確認する。

 智とサクラは航空公園に入ってすぐのところにいたのだが、ちょうど歩道のところに対象の二人は立っていた。そのうちの一人がサクラを見つけるなり話し出した。

「あぁ、サクラ姉さんかぁ。久しぶりですね。」

 口を開けたのは智より少し背の高い男で、サクラをよく知っている間柄のようだった。

 真っ白な髪の毛に、真っ赤な目。真っ黒のチェスターコートに身を包んだ男は大きなレジ袋を肩に乗せている。すらっとした形で、ガタイがいい方ではない。

「ユタダイ君。久しぶりですね。元気そうで何よりです。しかし、このおもてなしはどうでしょうか。」

 ちらりと智を確認する。

 すでに痛みは引いているみたいだが、何かを考えるように下を向いている。

「今投げたのはみかんっていう食べ物で、なかなかうまいんですよ。」

 そう言いながら、隣の男にみかんを渡す。

「工間、今度はあの女の方を狙うんだ。」

 工間と呼ばれた方の人間はたまたまかもわからないが、目の下にクマができていて、くたびれた作業服を着ていた。無精ひげも生えていて、背筋を伸ばせば背はそれなりに高いはずだが、猫背になっている。

 工間は振りかぶって左足をすっと上げると、きれいなフォームでみかんを投げつけた。

 智はその瞬間に立ち上がり、サクラの手を引いて走って公園の中に駆け込んだ。

 そして後ろ手でサクラ能力を発動し、桜の障壁を作る。

 周辺のわずかな桜の木がざわめき、桜の花びらが集まる。しかし、みかんはそれを突き抜けてきた。

――桜の数が足りないか。

 サクラを強引に引っ張り、自分の胸に寄せる。

「ちょっ、智さん!?」

 そのまま抱きかかえられるような姿勢になるサクラ。一気に顔が赤くなるが……

 ドスッ!

 鈍い音が響く。

「いってぇ!」

 智はサクラを引っ張ってかばったのだ。

「大丈夫ですか!?」

 慌ててその顔をうかがう。

「はぁ!?みかん程度じゃいたかねぇよ!いいからついてこい!」

 一方、ユタダイは若干焦っていた。と同時に笑っていた。

「そうかぁ、サクラ姉さんが出てきたか……いやでも、花を操れるだけなのか……そんなことないだろ。」

 サクラの存在がいかなるものか、パリドマ人はよく知っているらしい。その言葉に気づいた工間が提案した。

「おい、またスマホを使うか?」

「あぁ、そうだな。ひとまずイミラ兄さんにしらせておかないと……」


*


 智はサイクリングロードに入る。街灯が並び、周りには桜の木がたくさん並んでいる。

 今までだったら、

「きれいな夜桜。」

程度の感想しか持たなかっただろうが、今は違う。このすべてが智の武器なのだ。

「おい、そういえばこの戦いはどうすれば決着が着くんだ?」

 重要なことをいまさらになって聞く。

「わかりません。説き伏せても、懐柔しても、降参しても、逃げても、何でもいいんじゃないですか!?」

「適当だな。」

 智は逡巡したが、一応念のために聞いてみた。

「…………殺すってのは?」

「できるんですか?」

 ごもっともな返答が返ってきた。

「できるのならどうぞ。もちろん、ターゲットはあっちの工間さんではなく、ユタダイ君です。工間さんを殺してもユタダイ君が別の契約者を見つければ、また戦えますから。」

「じゃあ、あいつらも俺じゃなく、お前を殺しに来るのか。」

「だから私は護身のためだけにここにいるんです。」

「じゃあ、話し合いで解決する道を探ろう。お前を狙っているってわかってんなら隠れてろ。」

 サクラは頷いて、智から少し距離をとった。


*


 雲が出てきたのか、あたり一面は影になっている。

 桜の木の下で彼らを待ち構えていると、みかんが先に飛んできた。智はぎりぎりでよける。みかんは後ろに転々と転がっていく。

「お前のパリドミアはみかんを投げることか?」

 そういうと、木の陰からユタダイだけが出てきた。肝心の工間は姿が見えない。

「そういうお前こそ、花びらしか操れないのか?」

 両者とも手の内を明かす気はない。

「俺の名前は香乃智だ。ユタダイ、俺はまだお前たちの戦いに疑問を抱いている。まず、本当にキャヴァラって星はあるのか。」

 目を丸くしてユタダイは答えた。

「サクラ姉さんを信用してねぇのか。」

――どうやら本当らしいな。そしてあいつはキャヴァラでは評判がいいのか。

「サクラ姉さんと組んでいるんだったら、あの人の言うことを信用した方がいい。あの人は嘘をつかない。」

 サクラは微妙な距離からそのやり取りを覗いていて、嘘という言葉に反応した。

「……大丈夫、嘘ついてないから……本当のことを言っていないだけ……」

と、誰に言うでもなく弁明していた。

 一方で、智とユタダイのやり取りは続いていた。

「そこまであいつのことを知っているのなら戦いをやめてくれ。あいつは争うことを望んでいない。」

「それも承知している。……でも、それは俺の契約者に言った方がいいぜ。」

 次の瞬間、サクラは後ろから現れた工間に羽交い絞めにされてしまった。

「きゃああ!」

 その声に驚き、顔だけを向ける智。そしてすぐに目線をユタダイに移す。

 ゆっくりと二人がいる広場に引きずり出されるサクラ。最初に話し出したのはユタダイだった。

「こいつはもう、俺の管轄外だ。むしろこの国の問題なんじゃないか?」

 改めてユタダイを見る智。

「どういうことだ。」

「さあな。俺もよくわからないけど、こいつが死んだ目をしていて生きる気力もなさそうだったから契約してやったんだ。」

 淡々と言葉を続けるユタダイに智も目を細めた。抽象的な内容だけだが、工間の感情に共感できる節があるらしい。

「あとはこいつの好きなようにやらせているさ。もちろん、その欲求を満たすために、おまえらみたいなのも殺しているけど。」

「利害が一致しているのか。」

「そういうことだ。」

「おい、話し合いはそこまでだ。」

 突然、工間が割って入る。

 その腕には苦しんだままのサクラが涙を流し、しゃくりあげながらぶら下がっている。

「貴様、跪け。」

 智は言われたとおりにゆっくりと膝をついた。

「貴様のパリドミアを使うんじゃねえぞ。」

「そうか、わかった。」

 智が肩の力を抜くと、今まで能力のおかげでつるされていた桜の花びらがすべて工間の上に降り注いだ。どうやら月が隠れたのは雲ではなく桜の花びらだったようだ。

ゴォォォーー!!

「おい、なんだ、これは!」

 そこでユタダイは気づいた。

「おまえ、ひょっとして、この花しか動かせないのか!?」

 さすがに嘘も通らないと思ったか、智はそれを認める。

「あぁ、これしかできねぇんだ。俺のパリドミアは桜の花しか動かせねぇんだよ。つくづく役に立たないと思わされているよ。」

と言いながら、中にいるサクラだけを桜の花びらで誘導した。

桜の花びらの絨毯を歩くサクラは半月と街灯のあかりで幻想的に輝いていた。

「パリドミアを使うなって言ったのはお前だろ?」

と工間に言い捨てて、脱兎のごとく逃げ出した。

「智さん!逃げているだけでは話になりません!どうにかして打開策を!」

「死ななきゃいいんだろ?だったら逃げる。」

と言い、できるだけ離れていった。

全身の桜の花びらを払いながら逃げていく二人を見る工間。全身をわなわなと震わせ、右手を地面にふるった。

ドスッ!

「くっそぉぉぉ!!」

怒りの咆哮は、しかし、彼の欲を満たすことはなかった。


*


「工間礼仁さん。これじゃ困るよ。」

 ある日の工場。工間は作業着のまま、偉そうな人の前に立っていた。その男はクリップボードを片手に眉間にしわを寄せていた。

「この製造ラインでね、あなたのミスで何回作業がストップすると思ってんの?」

「申し訳ありません。」

「まだ慣れていないかもだけど、いい加減数値に影響しちゃうからね、しっかりしてくださいよ?」

「はい。」

「酷なことをいうかもだけどね、あなたみたいにリストラされても、こうやって就職できただけでもよかったじゃない。世の中には首切られて放り出されちゃう人もいるんだから。」

 そう言い残して、男は足早に去っていった。

 工間は死んだ魚の目で、沈鬱な顔のまま、作業に戻った。

 ひたすら車のバンパーを取り付けるだけの作業。

 流れてくる作りかけの車に手作業でバンパーを取り付ける。

 次の車、次の車、次の車、次の車、次の車、次の車…………

 一日中、一年中それだけである。

 死んだ目に光が宿ることはなかった。


*


「はい、これ、給与明細ね。」

 その日は給料日であった。受け取った給与は17万円。

 その明細を見て手が震えた。

 明細書がクシャッとなる。

 悔しかった。

 辛かった。

 涙があふれてきた。

 その涙が17万の上に落ちる。

 工場の人々はそんな工間のことなど知らないふりをして、通り過ぎて行った。


*


 ふらふらした足取りでアパートにつく。

 ガチャッ

「…………」

 無言の帰宅である。

 家族はいない、小汚い部屋。

 玄関先で立ちすくむ。

 いつもの光景だった。

 いつも見ていた光景だった。

 それなのに…………

「うっ……ううっ……」

 涙がこぼれてきた。

 その場に崩れ落ちた。

 全力で泣き叫んだ。

「うぁぁぁー!!」

――こんな…こんなはずじゃなかったのに!

 魂が叫び続けた。

――大学がよければ就職も安泰じゃなかったのか!?

 こぶしを床にたたきつける。

 右手をふるい続ける。

――こんな人生は望んじゃいなかった!

 一人のおっさんが薄暗闇のなか、嗚咽とともに嘆く醜態をひたすらにさらしていた。しかし、それを恥じないほどに、悔しがっていた。憎んでいた。恨んでいた。

 この世界を。

 その彼の目の前に、やつは現れた。

 外の光で明るくなっている窓際に、やつはいた。一歩ずつ、一歩ずつ、工間に近づいていった。

 工間に恐怖はなかった。むしろ受け入れるような顔をしていた。そして、見下すように、しかし、気味の悪い笑みを浮かべて手を伸ばした。


*


 智とサクラは公園の一角にある野外ステージに出た。

 ステージの方はコンクリート製の屋根がついている一方で、客席の方は放射線状になだらかな斜面になっていて、野球場で使われるような屋根が取り付けられている。その客席をくだり、少し高くなっているステージに座り込む。

 二人とも、肩で息をしている。

「大体、桜の花びらだけで人を倒そうとするのが無理なんだよ。」

「でも、人間を持ち上げることができるんですよ?殺傷能力はあります。」

「なんでお前のために人殺しにならなきゃならねぇんだよ。」

 二人は沈黙する。

 片方はこの場をしのぐ作戦を考えて。もう片方はさっきから何度も引っ張られている左手を見つめて。

「…………あの、」

「あ?」

と言い、サクラの方を見る。

 サクラは目を合わせづらいのか、ずっと手をさすりながら前を見ている。

「智さんはどうして一緒に戦ってくれようとしたんですか?」

「なんでって…………」

 考えながら顔を逆に振る。うしろを向いた智を横目で一瞬見るサクラ。答えを待っているようだ。

 そう聞かれて、智は余計に考えてしまった。

「そういえば、最初はおぼれていた子供を助けようとしただけだったな……」

「そうでしたね……」

 別の方向の桜を眺める二人。その沈黙を破ったのはまた、サクラの方であった。

「嫌なら……」

 智はその声に反応して振り向く。

 サクラは認めたくないというような顔をして智の方を向く。

 二人の目が合わさる。

「嫌なら、契約を解消することもできますよ?」

 努めて感情は出さないようにしているようだが、はかない笑顔で、そう告げる。

 智はじっとその顔を見つめる。長い時間が過ぎたようだった。智は考えるように、一瞬うつむき、サクラから目をそらした。

「まあ、まだ、やめる気はない。」

「え?」

「理由は特にない。やっている理由は見つからないけど、やめる理由もない。だから、現状維持するだけだ。」

 そう言って、立ち上がる。

 その姿を見上げるサクラはその言葉の意味に気づくなり、とびきりの笑顔になり、

「ありがとうございます!」

と言った。

 しかし、その笑顔が歪に壊れた。

 軟式の野球ボールがサクラの右肩あたりにものすごいスピードでぶつかったのだ。そのままステージの方に倒れこみ、気を失うサクラ。

 絶句して近くによる智。しかし、触れたり、声をかけたりすることはない。

 そして、客席の奥を見る。

「お前のパリドミアは柔らかいものを完全にコントロールするってところか。」

 工間が返事をする。ユタダイはみかんを食っている。

「まあそんなところだ。そして俺は高校のころピッチャーをしていた。」

 投げながら言葉を続ける工間。

 サクラをかばいながら、サクラ能力を使うも、さすがに軟式ボールの重さには勝てず、突き破られる。それが智の背中に当たる。

「ぐは!」

 よろめきながらも分析する。

――スピードもあるってことか。

 再び、ボールが向かってくる。もう一度桜で壁を作るも、結果は同じだった。

 今度は足に当たった。

「いったぁ!」

 ここは野球場が近いから軟式のボールも落ちている。

――圧倒的に不利だな……

 ひたすら、遠距離から何度も何度も速球を投げてくる。すべて、智に命中し、智はもはや傷だらけであった。

 ようやく球が切れたらしく、投球が終わった。

 智の呼吸音だけが残る。

「これで終わると思うなよ。」

と聞こえぬ声で工間は客席の間を下りていき、智とサクラに近づいていった。

 智がちらっと工間の方を見ると、右手にナイフを持っているのが目に入った。

 流石にあせり、必死の思いでサクラを担ぐと、ステージを離れるべく駆けだした。それを見た工間も追いかけるように走り出す。

 智は少しでも走りにくくするために、桜の花びらで何重にも壁を作った。それもやりつつ、向かっている方角に桜が少ないことを知っていたので、桜の花びらを誘導していった。


*


 数分ほど走ると、池が見えてきた。

 智は池の柵を飛び越え、池の中に入っていった。後ろ向きに入り、多少はサクラも濡れてしまうが背に腹は変えられないのでそのまま引っ張っていく。

 池の中に浮かぶ小島に上陸すると、サクラを置きすぐに工間を迎え撃つ準備をする。池の周囲に桜の花びらで壁を作り、それを時計回りに回転させ始めたのである。

 一方外から駆け付けたユタダイと工間は池の中を見ることはできない状態になっていた。

 ユタダイは正確に分析する。

「なるほど、これじゃこの桜の中にいることはわかるけど照準が定まらないから投げられないということか。」

 おもむろに工間はスマホをとりだして航空写真を見た。

「ここは中に島があるらしい。やつらはそこにいるんだろ。」

「どうするんだ。」

「向こうの居場所が分かったんだ。殺しに行く。」

 ユタダイは柵に寄りかかり、

「好きにしろ。」

と言うだけであった。

 工間は柵を越えて、池の中に入っていく。

 桜の壁の中もかき分けて進んでいく。

 智は異変に気付いた。

「来た。」

 桜が流れているので、工間が歩いた分だけ壁に隙間ができるのだ。

 つまり、隙間のもとをたどれば……

「よう。」

 工間の居場所がわかる。

 沈黙したまま仁王立ちになる二人。

 静かなにらみ合いが続く。

 智はその向こうにユタダイがいることを先に確認する。

「ここで終わりにしてやる。」

と言い、工間は再びナイフを取り出した。

 ジャブジャブと池の中に入っていく。

 それを桜で覆い、視界をそごうとするも、その動きに気づいた工間がポケットからみかんを取り出し、智に投げつけた。

 顔面に命中し、うずくまって悶絶する智。工間の周りにあった桜の花びらは、水面に揺れていた。

 ここで待ったをかけたのは傍観を決め込んでいたユタダイだった。

「おい、女の方は殺すなよ。聞きたいことがある。」

「知らんな。そう思うなら自分でどうにかしな。俺は殺す。」

 振り返ることもなくそう告げる工間。

「あぁ、そうですかい。」

と言いながら、しかし、サクラが殺されるのも厄介なので、ユタダイは湖畔を歩いてサクラに一番近いところから池に入る。

 難なく島に上陸し、智の前に仁王立ちになる工間。

「貴様個人に恨みはないが……ここで死ね。」

 その声の近さで自分の危機を悟った智は腹に力を入れて、飛びのく。

 サクラの方もようやく目を覚ました。自分の視界には入らないが、近いところで怒号が聞こえる。サクラはその方に体を向けたが、その前をユタダイに遮られる。

 智は息絶え絶えに、怒りに満ちた目で両手を前にかざす。今まで回っていた桜やさっき池に落ちた花びらがすべて工間を襲う。

 ゴォォォ!!

 それは竜巻になり、ものすごい勢いで回り始める。

 ゴォォォ!!

 工間を巻き込んだまま桜の竜巻は空に舞う。

 ゴォォォ!!

 一方で、ユタダイは、

「サクラ姉さんは危ないから避難ね。」

と言って、引っ張っていこうとする。

「嫌です!」

 叫びながらその手を払い、数歩後ずさる。息を荒くしてユタダイをひたすら警戒している。

 その声に気づいた智は、二人の方を一瞥する。

「なら教えてください!何か隠しているんですよね!?」

 罰が悪そうに目をそらすサクラ。

「言うなと言われています。」

「誰に?」

「それは……って、言いませんよ!」

 それがむしろヒントになったようで、ユタダイははっとする。

「大僧正ですか!」

「なっ!なんでそうなるんですか!?」

「ということは……」

 竜巻が近づく。

「まさか、『時間越え』を……」

 サクラの顔がこわばる。目が開く。肩が上がる。

 しかし次の瞬間、ユタダイが桜の竜巻にさらわれた。




 ゴォォォ!!




 サクラもそれに飛ばされないよう、必死に髪を抑えつつ、低い姿勢になる。

 やがて、サクラの目の前を通り過ぎると、竜巻は夜の空へ舞い上がった。

 ぐんぐんと竜巻は上昇していく。

 智は一人、つぶやいた。

「お前の負けだ。」

 次の瞬間、桜の竜巻は急降下をし始めた。花びらもその中にいる二人の敵も、池の水面に一直線である。

 速度がどんどん上がっていく。

 サクラはそれを眺めるだけである。


*


 工間は工場長の前につかつかと歩いていった。明らかにいつもの彼とは違う。こんなに威勢がいいのはいつ振りか。工場長のデスクの前に仁王立ちの姿勢になる。

「工間さん、何か……」

 その男が言葉を言い終わる前に、一枚の紙きれをデスクにたたきつけた。




 『辞表』




 その紙を叩きつけた彼の手はそのあと、だらんとぶら下がっていたが、気力を失ったのではなく、その紙きれにかける思いの表れだった。口元は引き締まり、足はしっかりと踏みとどまり、目は新しい何かを見出そうとしていた。


*


 彼は桜の中でそんなことを思い出していた。その意識が戻ったとき、視界にあったのは、

 池の水面だけだった。

 そして、ついに池に、




 ざっぶーん!!




 大きな水柱とともに、花びらが池に飛び込んだ。

 花びらの群れはとどまることを知らず、後に続くようにすべてが池に突っ込んでいく。

 ドドドドドドドドド!!

 やがて、すべての花びらが入り、水面が静かになる。

 夜の公園が再び、静寂で包まれた。ユタダイと工間の体は浮かんでこなかった。

 それを目の前で見届けたサクラは未だにぼんやりと、うつぶせのまま水面を見ている。

 そこに後ろから、智が歩いてくる。

 二人は何も言わないまま、その池をずっと見ていた。

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