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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合短編まとめ

不完全な月だとしても

作者: みたよーき

 ベランダへ続く大きな窓から射し込む光の中に、彼女は佇んでいた。

 照らすは満月には少しだけ早い、秋の月。

 その美しい月が照らす、美しい彼女。

 私の、愛しい人。

 彼女を包む月の光が作る空間は、まるで彼女の聖域。

 或いは、彼女をその中へ閉じ込めてしまおうとする、檻。

 光の中で、その眼に空の銀を写し、凜と立つその姿には、神聖、なんて形容したくなるような、不可侵の雰囲気さえ漂う。

 だけど、彼女は決して私を拒まない。

 私だけは、そこへ踏み込むことを、許される。

「電気は点けない方が良い?」

 そう確認の声を掛けたけれど、それはただ私がここに居ることを知らせるためだけの言葉。

「うん、ありがと」

 だって、そんな彼女の返事を待つより早く、私の足は既に彼女の側へ向かっていた。

 私は今、この静かな夜の闇を切り取るその光の中に、彼女と在りたいと思ったから。

 そしてそれは、彼女の望みでもあると、思ったから。

 風呂上がりのまだ湿った髪をタオルで押さえながら、そっとその聖域に踏み入れて、肩が触れるほど近くに並ぶ。

「ほら見て。……綺麗だね」

 その彼女の言葉に、私は彼女の視線の先を追って、月の輝く夜空を見上げた。



 大学卒業を控えた、まだ寒い頃。ようやく卒業の目処が立った私がまずしたことは、春からの新居を探すことだった。

 三年次のインターンシップの後にそのまま内定を得た私は、引き続きそこでアルバイトとして働いていたけれど、正社員となるにあたり、通勤時間だけは絶対に改善の必要があると感じていたからだ。

 そしてその日、最初に訪れた不動産屋で、私は彼女に出逢った。

 とはいえ、その時は見かけた彼女を、同い年くらいの子かな? と目で追う程度。でも、私にとっては、そうやって誰かに目を引かれるということ自体、珍しいことだった。

 そして私が別の職員からいくつかの物件を見せてもらっている間に、彼女は既にそこから立ち去っていた。

 だから、本当に出逢ったと言えるのは、その後だろうか。

 最初の不動産屋では多少妥協が必要な物件しか見つけられなかった私が次に向かった不動産屋。その目前で、私は彼女と鉢合わせた。

 半刻も経たないうちの、再会。私はそのことに、運命を感じて胸が高鳴った――なんてことも無く。

「あの、あなたは、先ほど不動産屋さんで――」

 そう話し掛けてきてくれたのは、彼女から。

「あっ、はい、どうも……」

 でも私は、ただそんな言葉しか返せずに。

 そう、最初に交わした言葉は、そんな、どうということもない、会話と呼ぶのも烏滸がましいようなものだったけれど。

 だけど私はそれだけで、彼女に対して何か、不思議と気安いような気持ちを感じたのだった。


 一緒にお茶でもどうか、と誘ったのも彼女からだった。

 そのまま別れてしまうのが惜しいような気がしていた私は、渡りに船とばかりに了承した。

 彼女の前では私の筋金入りの人見知りは何故か十分に発揮されずに済んだけれど、口下手な事には何ら変わりなく。だけど私は彼女に上手くリードされて、珍しく自分のことを色々と話した気がする。

 彼女もまた饒舌とは言えなかったけれど、その落ち着いた柔らかい声で、私に彼女の色々なことを話してくれた。

 それは、時折訪れる沈黙でさえ気まずさを感じないような、どこか優しい時間だった。

 気が合う、馬が合う、意気投合。

 言葉は何でも良い。店を出る時には、私達はもう随分と打ち解けていた。

 性格が似ているとは思わないけれど、感性の一部、何か感性の勘所とでもいう部分が似ている――。その時、言葉を交わす中で感じた予感のようなモノを、敢えて言葉にするなら、そんな感じだと思う。

 その一例になるかは分からないけれど、私達は同じ物件が気になっていたことが分かった。

 立地や部屋の間取りは素敵なのだけれど、一人で暮らすには、幾分広く、エクスペンシヴという意味で高い、そんな、マンションの一室。

 でも、だったら、二人なら? ――二人の考えがそう帰結するのに、時間は必要なかった。

 そのまま私達は先ほどの不動産屋に戻り、ルームシェアが可能であることを確認した上で現場を見せてもらった。

 想像以上に良さそうだった光景に、私達は顔を見合わせて、頷き合った。


 初めての、他人との共同生活。いくら気が合うとはいえ、日々を重ねていけば、すれ違いや衝突も起こるのではないか――、そんな不安は杞憂だった。

 例えば、テレビ番組の趣味が違っても、笑いのツボが似ているから、苦にならなかったり。

 私が薦めた小説を彼女は楽しんでいたし、彼女に勧められた小説は、私にとっても面白かった。それは、純粋に趣味の幅が広がったと思えたし、お財布にも優しい。

 ファッションの趣味が違うことも、むしろお互いにとって新鮮で、ささやかな楽しみですらあって。

 私の作る料理を彼女は美味しそうに食べるし、彼女の手料理の前では、私はいつだって体重を気にせずにはいられない。

 “毎月の”周期も近いから、しんどい時でもお互いに自然と適切な距離を取ることができる。

 些細なことばかりかも知れないけれど、そこにストレスを感じないということが、新しい環境や習慣に馴染むのに、どれだけ助けになったことか。

 それぞれに割り当てた個室、そこに長く独りでいる方が落ち着かなくなるくらい、二人でいても気を張りすぎることも、抜きすぎることもない、心地良い関係。そんな、家族との生活とは全然違う種類の、彼女との気が置けない生活。

 ――そこに変化が訪れたのは、二人暮らしを始めてから半年ほどが過ぎた頃だった。


 そろそろ寝ようかと電気を消した部屋を、一瞬、白く染める光。立て続けに、鋭く激しく炸裂したような音が地鳴りを響かせる。

 思わず立ちすくんだ私の耳に、遅れて、アスファルトを激しく叩く雨の音が戻ってくる。

 夕方の風の中に、ふっと薫った優しい秋の予感は、だけど、まだ夏の色を残す空とは相容れなかったのだろう。夜中になって激しく降り始めた雨は思いの外長く続き、遂には稲妻を走らせ始めた。

 家の中に居る分には、雷を恐いとは思わない。でも、こんな天気の時、私は何となく漠然とした、不安とも言えないような“もやもや”が、心に僅か、影を落とすような気がする。

 その所為、ということもないのだろうけれど、ベッドに横になって眠ろうとしていた私は、突然、身体の中心がすっ、と、凍てついてしまうような感覚に襲われた。

 世界が遠のいて独り取り残されてしまったような冷たさに、自分でも分からない“何か”を無性に求める気持ちが暴れ出す。

 そして、その“何か”の正体が分からなくて、自棄を起こしたくなるような焦燥感、無力感。

 それは、今までも、時々前触れもなく私に訪れていた感情。

 だけど、二人暮らしを始めてからは、忘れかけていた感情。

 こうなった時、そのまま自分の内側に向かってしまうと、思考が良い方向へ向かわないと、私は経験的に知っている。

 眠りの世界へ逃避してその感情を振り切ろうとしても、蠢く感情が、思考が、それを許してくれないことも。

 だから私は迷わずにベッドを下りて、部屋の外へ向かった。

 そして――開いたドアのすぐ前に、枕をぎゅっと抱きかかえ、壁に背を預けてしゃがみ込む、彼女を見つけた。

「……一緒に、寝ようか?」

 そう切り出したのは、私から。

 それは、どこか強張った表情で私を見上げて、だけど何とか私に微笑もうとする彼女を見て、衝動的に、考えもなく口から出てきた言葉。

 だから、その言葉に、他意は無かった――はずだった。


 一人で寝るには余裕があるように思えたベッドも、どちらも比較的小柄な女子とはいえ、二人が並ぶと、少し窮屈だった。

 だから、お互いの腕が、肌が、触れ合うのは、必然だった。

 夏のピークは既に過ぎているとはいえ、まだ夜の気温は少し高く、しかも、この天気で湿度も高い。

 なのに、触れ合った場所から伝わってきた熱は、私には、どうしてだか全く不快に感じられず。

 同時に私は、“満たされる”、そんな感情が、凍てついたはずの胸の奥に温かく灯ったのを感じた。

 それはきっと、私が求めていた“何か”で、私は最初、それを“人恋しさ”だと思った。

 だけどすぐ、それじゃ“足りない”、――そう感じた。

 誰でも良かった? ――そうじゃない。絶対に。

 きっと私が求めていた“何か”は“誰か”で、その“誰か”は、今、彼女だった。

 ――彼女でしか、あり得なかった。

 その想いを確かめるように、隣に顔を向ける。

 いつの間にか夜の闇に慣れた私の目が、こちらを見る彼女の顔を、正面でハッキリと捉える。

 目と目が合って、一瞬、呼吸を忘れた。

 すっかり見慣れたと思っていた彼女の、私はどうしてこれほどに美しいと気付かずにいられた?

 トッ、トッ、トッ、トッ――。解凍された私の心臓が、走り出す。

 耳のすぐ側から聞こえるようなその音は、人前に立って緊張した時のような、耳障りなものではなく。

 胸の奥で、蕾が一気に花開くように、自分の――見えなかった? 見ないふりをしていた? ――本当の気持ちが。

 この感じは、この気持ちは。もしかしたら、たぶん、――きっと。

「……私、あなたに、恋、してるのかも知れない」

 そんな自分の声を聞いて、何て拙い言葉なんだろう、と思った。

 けれど、かも知れない、なんて言いながら、こうやって言葉に出して、やっぱりそんな不確かなモノじゃない、と理解した。

 そう、私は彼女に恋をした。

 いつから? ――いつだって良い。

 私は、彼女のことが、好き。

 それを今、私は知った。ちゃんと、気付くことができた。

 その気持ちを、改めて、今度はもっと上手く言葉にしようとして、でも、その前に彼女から届いた言葉。

「……私はね、一目惚れだったよ」

 その言葉の意味を脳が理解した途端、期待や不安、動揺や歓び、そんな飛び交う感情で、胸が詰まる。

 そして、目の奥から、胸の奥から、溢れようとするものたちに、私の言葉は、喉の奥へと押し込められた。

 ――だから今、凄く緊張してる。

 そう続けた彼女に。

 ――雷が恐いから、身体が強張ってるんだと思ってた。

 私は、どうしたって震えてしまう声で、そう返す。

 ――実は、それもある。

 彼女は、そう言って、笑って。

 そして、彼女の口から。

 ――私の名前と。

 ――好きだよ。

 ……ああ、こんなにも。たったそれだけの言葉を、彼女の声が奏でると、こんなにも嬉しい。

 こんなにも嬉しいと思えるほどに、私は彼女を好きになっていた。

 だから。

 私は、また詰まりそうになる喉から。

 ――彼女の名前と。

 ――私も……好き。

 それだけを、今感じている精一杯の想いを乗せて、絞り出す。

 想いは、重なった。

 目は、お互いだけを映し。

 体中で、お互いの温もりを求めて。

 さっきよりも、もっと、ゼロに漸近していく二人の距離。

 耳には、雨の音はおろか雷の音さえ、とっくに聞こえてはいなかった。


 関係性が変わった私達の生活は、だけど、それまでと大きく変わった訳ではなかった。――休日や夜の時間の使い方が、たまに“それらしく”なることは、あるけれど。

 でも、その“今まで通り”の光景は、ありふれた比喩かも知れないけれど、私の目に、心に、今まで以上に美しく鮮やかに彩られて映った。

 今まで二人で過ごした時間も、色褪せるどころか、もっともっと輝いているようで。

 彼女の姿が、声が、温もりが、彼女の全てが。日毎、積み重なるように、やがて、比べようもなく尊いものになっていく、予感。

 昔の私は、恋愛というものはもっと情熱的なものだと夢想していたけれど、彼女との恋愛は、とても穏やかな気持ちになれるものだった。

 でも私は、かつて憧れたような恋愛ではないことを、全く残念とは思わない。

 だって、彼女との暮らしは、こんなにも幸せに満ちている。

 だけど。

 光が強いほど影もまた濃くなる。――それは誰の言葉だったか。

 だけどその通り、私の弱い心は、ただ幸せを純粋に享受するばかりではいられなかった。

 日々が幸せで輝くほど、私の心には不安や恐怖といった影がより恐ろしく鎌首をもたげる。

 ――私達の関係を、隠すの? 公表するの?

 隠すとして、隠しきれるの? バレたらどうするの?

 公表するとして、家族にはどう説明するの? 反対されたら? 友人や同僚には?

 二人の将来のことは? パートナーとして、何を求めるの? 何を、許されるの?

 そんな、女同士だから生まれる不安だけじゃない。

 純粋に、私は彼女に、好きでい続けてもらえるのだろうか?

 ――私は、彼女を好きでい続けることができるのだろうか?

 勿論、今この彼女への気持ちが悪い方へ変わってしまうなんてことは想像もできない。けれど、世の中には色恋沙汰がトラブルや犯罪の原因になることもあるという現実が、その事実という、悍ましいけれど確かな存在が、私の足場をひどく脆弱なものに思わせる。

 そんな不安たちに襲われる度、足元に芽吹く不安は、考えれば考えるほどネガティヴに向かう思考を養分にすると、恐るべき早さで育ち始めて。

 そしてそれは瞬く間に成層圏さえ突破して、私はその上で、放り出され、何にも触れられず、闇に漂いながら、ただ、もがく。

 息苦しさに、助けを求める叫びを、でも誰にも届けてはくれない残酷な真空の中で、私は挫け、全てから目を背けてしまいたくなる。

 だけど。――私は、私に寄り添う“光”に気付く。

 真空に漂う私を、その熱や放射線で射殺そうとする太陽のような、恐ろしい光じゃない。

 それは、どんな私だって受け入れて、包み込み、安らぎを与えてくれる、いつだって側で輝く、優しい光。

 そんな彼女の存在はきっと、私をどうしようもなく救ってくれる聖域で、同時に、私をその魅力で捕らえてしまう檻なのだろう。


 悩んで、苦しんで、救われて。――この一年くらい、そんな繰り返しばかりの日々を重ねてきた。

 でも、そんな中でも、私は少しずつ、前に進めている気がする。

 思えば――。

 引っ込み思案な私。

 人見知りな私。

 後ろ向き思考な私。

 彼女に愛してもらえるか不安な私。

 彼女の想いを裏切らずにいられるか不安な私。

 そんな自分だったのは、きっと、自分を信じられないから。自分を好きになれないから。

 だけど彼女と過ごす日々の中で、きっと私は、彼女をもっと好きになっていくと同時に、自分のことも、許せるように、受け入れられるように、――そして、少しくらいは、好き、とさえ思えるようになっていた。

 いつしか私は、彼女に嫌われることを不安に思うよりも、好きでいてもらえるように努力したいと考えていたし、彼女に対して心変わりするかも、なんて考えることは稀になっていた。

 社交的になった、なんてとても言えないけれど、職場でのコミュニケーションは前よりずっと円滑になったとも思う。

 彼女に愛されるのに相応しいと思える自分に近づく。そんな自分に、変わっていく。変えられていく。

 もしかしたら、それが、恋するということの一つの側面なのかも知れない。

 自分を好きになれなければ、人を好きになることなんてできない、なんて、訳知り顔で(うそぶ)く人もいる。

 だけどきっと、人を好きになることで、自分を好きになれることだって、ある。

 だから私は、ますます彼女を好きになって良かったと思う。

 好きになった人が彼女で良かったと、心から思う。



 見上げれば、雲一つ無い夜空に、輝く月。

 ちょっとくらい不完全でも、その美しさが損なわれるとは思わない。

 完全に隠れてしまったように見える時だって、そこに必ずあると信じられるなら、その価値はきっと、変わらない。

 少女だった私が夢見て憧れた恋が、天に眩く燃えさかる太陽なら。

 今の私が手に入れたこの愛は、闇の中で静かに美しく輝く、月だ。

 ――だから。

「月が、綺麗だね」

 私が口にしたその言葉は、私にとって、正しく彼女へ愛を伝える言葉だった。

 そして、きっとそれは、彼女にとっても、そう。

 だって、そんな、少しロマンチシストな所は、よく似ている私達だから。

 それが私一人の思い込みじゃないことは――。

 見つめ合い、微笑んで。それだけで、自然と引かれ合う。

 そして重なる――唇が、言葉よりも雄弁に証明してくれていた。



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