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誰も知らない花畑

作者: UmberCopal

前置きとして私は花畑が好きです。


春なら家の近くの小川の土手に咲く菜の花を見る。


夏なら2つ隣の無人駅の線路沿いに咲く向日葵を見る。


秋なら児童公園の花壇に植えられた秋桜を見る。


冬なら私の家の庭の花壇にじいちゃんが植えたパンジーを見る。


それで本題ですが花畑って言うと人はみんな、明るく優しく朗らかで生命の美しさと希望に満ち溢れた場所だと思いますよね。私も毎日毎日花畑の横をただ通って眺めていただけのとき、同じように思ってました。

でも、3年前の春から私は花畑の前で座り込んで、ただジッとして、ほとんどの時間を目の焦点も合わせずに過ごすようになって(この行動の異常性についてはまたいつか話したいと思います)、わかったことがありました。


まず人は、虫というと何故か甲虫か幼虫を思い浮かべますが、蝶というのももちろん虫です。それで、蝶というのはとても繊細な生き物です。甲虫なんかは硬い外骨格に包まれていて、傷つくことも少ないですが、蝶の羽はヒラヒラと薄いので、簡単に破れるし羽化のときにうまく広がらずにクシャクシャになることもよくあります。


なので花畑には翔べずに墜ちた蝶達がたくさんいるのです。まだ息はあるし、羽を力なくパタパタ動かしても、地から昇ることはないわけです。


そんな蝶を蟻たちが寄ってたかって攻撃して少しずつ少しずつ巣穴に運んで行くのを、私は体育座り(三角座り)をしたお尻と踵の間の空間に見るのです。


朝の10時から午後の3時までそこにいたりすると、蝶はもうすっかり力を失くしてたぶん命もなくしたように見えて(蝶の脈などは確認できませんので)、蟻たちの巣穴の真上にいるんですね。


それも全部花畑の前での出来事です。人は何も見ていないけれど、私だけはそこで、確かに蝶の命が終わるのを見たわけです。それが誰も知らない花畑の切なくて暗いところです。


私は最後、夕方の5時に立ち去るとき、その千切れて頼れないし頼られることもない蝶の羽に触れてみました。そうすると手に鱗粉がついて、まるで化粧するときに使うハイライターのように光を集めていると思って、そっとそれを頬に塗ってから立ち上がりました。


あの時の私の頬の鱗粉が虹のように光っていたなら良いなと思いつつ、きっと頭の中の想像よりも全然美しくなかったと思います。

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