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8.酒場

ノーブル邸にて生活を始めたエミグレアだが、訓練参加についてはすぐに参加するというわけにはいかなかった。居候のみである事は理解していたので、執事のケルマーの指示に従うべきだと自分でも考えていた。ノーブル子爵領軍といえば、かつて邪教徒討滅戦にて邪教徒を完全排除することができたファスト王国でも強者で名が通っている領軍である。そんな中で自分を鍛えることができることを考えれば多少の待ち時間など苦にならなかった。それよりも、子爵領に早くなじもうと、町に出て領民たちとの交流を心がけていた。焦る気持ちはあるが、ケルマーにもそうした方が良いと言われたこともあり、訓練参加への焦燥感を軽減していた。


子爵邸に滞在して3日目に、エミグレアは町の情報を得るために酒場に入った。14際という年は未成年ではあるが、この国では12歳からの飲酒は認められていた。平民であれば、12歳から立派な労働力でもあった。


目についた酒場は、この町でも比較的大きな酒場で、昼日中から燃料代わりに飲み食いしている人たちが大勢出入りしていたのだ。


入り口をくぐると、喧騒と熱気が押し寄せてきた。子爵領が繁栄している証明ともいえるような活気だった。


入り口で逡巡していると、給仕をしている少女が声をかけた。


「いらっしゃーい、お兄さん一人?始めてみる顔ね?」


「ああ、一昨日到着したんだ」


見知らぬ少女にお兄さん呼ばわりされて、やや赤くなって答えた。実のところ、エミグレアにとって酒場は未知の世界、初めて踏み込む大人の世界であった。


「んー、もしかして東の港に着いたエッダ領の人かな?」


「あ、うん」


「おや?初々しいねぇ、酒場は初めて?」


エミグレアは見透かされたようで、返事に窮してしまった。


「あらぁ、図星なのね。あっちの席に座ってね。すぐに注文取りに行くから」


少女は、窓辺の一角の席を指さして、奥から大声で呼ばれた声にこたえてその場を去っていった。


窓辺に座って、酒場の中を若干の不安感を抱えながら眺めていたときに、先ほどの少女が席にやってきた。


「お待たせー。ごめんねぇ。アルドの親父がしつこくってさ」


「アルド?」


「うん、あ、アルドっていう船乗りよ。さっきこの町に着いたっていうハミル領からの定期便の船乗りよ」


そういわれた方を見ると、すすけたシャツに短いズボンを履いた赤ら顔の男がジョッキに注がれたエールを呷っていた。


「中央子爵領からの船便だけど、あいつはエミル子爵領の出だから、こっちを見下すんだよね。同じ平民だし人としての格なんか変わらないだろうにさ」


中央子爵エミル子爵領、そこはエミグレアにとって目指す場所でもあった。何しろエミル子爵領は騎士団入団試験の予選が開催される場所なのだ。


「ところで、あなたはもしかして噂のエッダ領の領主様のご子息?」


「ああ、そうだけど、噂?」


「あら、ごめんなさい、こんな言葉使いで」


「貴族の息子といっても、辺境男爵の次男ですよ。貴族とは程遠い身分ですよ」


「そうはいっても、やっぱり平民とはたたずまいが違いますよー」


身分が分かった途端、中途半端な丁寧語になってきた。


「言葉使いは普通でいいですよ。それより噂って?」


「凄腕なんですって?船を真っ二つにしたって、ここでも結構話題になっているわ」


噂になって当たり前である。酒場と言えば情報交換の場所でもある。同船してた護衛や商人たちが話題を提供してもおかしくはなかった。


「う、まぁ、その・・・それより注文したいんだけど」


「あ、ごめんねぇ、で、何にします?」


「果実水とおすすめのものを」


「果実水でいいのね、あとは、そうねぇ、今日は白身魚のムニエルと肉詰めがおすすめね」


「じゃぁそれで」


そう注文すると、給仕の少女は途中で声をかける客をあしらいながら厨房へ向かっていった。ふと、アルドと呼ばれた男の方を見ると、アルドもまたエミグレアをじっと見ていた。目が合うと、アルドは席を立ち、エミグレアの元へとやってきた。


「あんたが船を切ったっていう若様かい?随分華奢なんだな、とても腕っぷしがあるとは思えねぇな」


どうやら、給仕の少女のと会話を聞いていたらしい。


「ああ、そうですよ。これでも領軍でしごかれてきた方なので」


「領軍?あんた兵士なのか?」


「兵士というわけではないですね。騎士を志しているので多少は剣に自信がある程度ですよ」


「ふうん、そうかい。それにしても貴族らしくないな。噂通りの功績ならもっと天狗になっているのかと思ったぜ」


「貴族とはいっても、辺境領の次男ですからね。貴族らしい貴族でもないですし」


「がははは、そういやそうか。ハミル領じゃ、貴族なんか目にすることすらまれだったからな。中央と辺境じゃその辺も違いが出ているってことだな」


どうやら、この男にとってはエミル領を知っているということがステータスになっているらしく、辺境貴族程度は自分でも対等に話せる相手だと思ったようだった。


「あなたはどなたですかな?」


不意に席の隣に人が立ち、問いかけてきた。


「おう、俺は中央子爵のエミル子爵領のアルドってもんだ。こんな辺境育ちとはわけが違うぜ」


「ふむ、平民風情が貴族にそんな口をききますか。エミル様にもきつく申し立てしておかねばなりませんな」


中央子爵であるエミル子爵を爵位付けでなく、様付けで呼ぶ。そんな相手が普通であるはずもなかった。傍若無人でノーブル子爵領を見下していたアルドであっても、相手が空きほどまで相手をしていた酒場の客とは違うことに気が付いた。


「て、てめぇは何者だ?」


冷や汗を大量にかき出したアルドは口調もやや自信なさげになっていた。


「ノーブル子爵第一執事ケルマーと申します。エミル様とノーブル様は国王陛下より賜った土地が異なるだけの同格ですので、地域の呼び名が違うだけで差別をするなど蒙昧無知としか言いようがありませんな。それ以前に平民が公然の場で貴族批判などもってのほかです」


ファスト王国では貴族と平民の間でははっきりとした身分が定められていた。そして平民が公然と貴族を批判したり馬鹿にしたりするのは不敬とされており、社会統制の為に平民の貴族への批判や侮辱は極刑に相当した。自分が不敬罪に問われていることを感じたアルドは顔を真っ青にしながら答えた。


「あ、いや、批判などしていませんです」


「それに、そちらの方はエッダ男爵様の次男であり、れっきとした貴族です。あなたの口の利き方はとてもじゃないが貴族の方に対する接し方とは言えません」


「そ、それは・・・」


アルドは自分が如何に図に乗ってしまったかを悟り無言で俯いた。エミグレアは自分がアルドを窮地に陥れてしまったと判り口を挟んだ。


「ケルマーさん、それは私の接し方に問題があったわけで」


「エミグレア殿、あなたもファスト王国貴族の一員である事を自覚なさってください。まぁ、酒場でもありますし、エミグレア殿が問題にしないというのであれば、執事である私がこれ以上言うことはありません。ではエミグレア殿、後程お屋敷の方で」


そういってケルマーは酒場を出ていった。


ケルマーが出た後、アルドは滝のような汗を流して、エミグレアの向かいにどかっと腰かけた。


「た、助かった・・・」


「すいません、私のせいで」


「あ、いや・・・・」


「口調については無理しなくていいですよ」


「そういうわけにはいかね、あ、いかないです」


アルドが妙な口調で答えたので、周囲にいた人たちから苦笑が漏れた。


「そういえば、アルドさんはハミル領の出だそうですね。近々エミル領へ伺うことになると思うので、その際は領との案内とか頼んでもいいですか?」


なんとなくいたたまれない雰囲気だったので、エミグレアは話題を変えた。


「え、そうなんで?観光か何かですかい?」


「近衛騎士団の入団試験がエミル領で行われるとのことなので。私は入団試験を受ける予定なんですよ」


近衛騎士団の入団試験を受けると聞いた周囲の何人かは悲痛な表情を浮かべた。アルドもその一人だった。


「入団試験・・・ああ、そういうわけですかい。わかりました。ハミル領に来たらあっしの家でも訪ねてください。家の場所は港で名前を出せばわかりやすので」


「はい、よろしくお願いします」


その時、給仕の少女が頼んだ品を持ってきてテーブルの上に置いた。


「貴族様が船乗りの家に行くなんてね」


少女の発言を聞いたアルドは慌てて周囲を見回した。貴族に家に来いなどと言ったら、またあらぬ疑いをかけられてしまうと思ったのだ。


「こ、ここは心臓に悪いや。今日はもう宿でおとなしく過ごすとするわ」


そう言ってアルドは酒場を出ていった。


「人を見下すから罰が当たったんだねー」


少女はアルドの出ていった扉を見ながらそう言った。エミグレアは何と言っていいかわからなかったので、とりあえず出された料理を口にした。


「旨い!」


「えへへー、ありがと」


少女ははにかみながら、自分で作ったわけでもない料理を口にしたエミグレアに応えた。


「ケルマーさんはよく酒場に来るの?」


「うーん、ほとんど顔出さないよ。たまに領都の警備とか治安維持だとかで来ることはあるけど、滅多に来ないね。それにね」


少女はエミグレアに近づいて小さな声で話しかけた。


「さっきの見てわかると思うけど、ケルマーさん、厳しいんだよ。たまに来るとお客さんが委縮しちゃうの」


なるほど、さもありなん、とエミグレアは思った。平民と貴族は身分が違う、それはわかっていた。だが、そんなに差別するぐらい違うのだろうか、という疑念がエミグレアにはあった。こんな考えは王国の在り方に疑念を持つことであり、それこそ不敬な考え方であることもわかっていた。だからこそ、自分が力なき貴族であることを思い知り、いたたまれない気分になった。


そんなエミグレアの心情も知らずに、少女は笑顔のまま、再び仕事に戻っていった。


食事を終えたエミグレアは、ケルマーの言い残した後で屋敷で、というセリフを思い出していた。ノーブル領についてからふらふらしていたが、参加する訓練の日程が決まったのかもしれない、そう考え、屋敷に戻ることにした。


席を立ち、扉に向かう時、また視線を感じた。視線の元に目をやると、店の奥で、テーブルの上に酒瓶を数本転がしている客が目に入った。かなり酔いの回った客の様であったが、エミグレアが見ていることに気が付くと、再び酒瓶を呷りながら、席を立ちよたよたと向かってきた。


「よぉ、兄ちゃん」


そういいながらエミグレアの目を覗いてきた。


「ふむ、そうか。頑張れ」


そう言い残して、ふらふらと店の外へ出ていった。単なる酔っ払い、そう思ったが、何故か心に残る男だった。


ノーブル子爵邸にて、ケルマーがノーブル子爵へ報告をしていた。


「酒場でも特に接触はありませんでした」


「そうか、気にしすぎかもしれないな」


「いえ、気は抜かない方が良いかと」


「そうだな。それと、身分をわきまえない平民がのさばるのは問題があるな。処置はできるか?」


「時期的に今は難しいかと」


「ふぅ、エミルに文句だけ言っておくか。ところで準備はできたのか」


「はっ、明日仕上げに取り掛かります」


「頼むぞ」


ちょうどその時、エミグレアがノーブル子爵邸に戻ってくるのが見えた。


「では、仕込みに行ってまいります」


ケルマーがノーブルの部屋の扉をしめ、エミグレアを迎えに玄関へ向かっていった。


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