4.クロインの心痛
その日の夜、エッダ領 領主のクロイン・エッダは屋敷の執務室で執事のバローヌと話し込んでいた。
「バローヌ、エミグレアの件だがどう思う」
エッダ家のバローヌはクロインがエッダ姓と爵位を授爵されたときに執事として隣接のノーブル子爵より紹介されてきた男で、エッダ領の運営に当初から尽力してくれた恩人でもある。元々ノーブル家で第2執事を務めており、領地運営に疎かったクロインを支え、実質的な運営のほとんどは彼の手腕によるものだった。この地に来てから20年は過ぎており、当然のことながら、エッダ領の地理をはじめとした様々な知識は他の誰よりも豊富で詳しかった。
「例の泉のある土地のことですね」
「うむ、あの時は領民の子供のせいだということでノーブル子爵にも上申し受理され、封印をすることで審問会の委員にも納得いただいたのだが」
「エミグレア様が泉にたどり着けたことが問題だと」
「そうだ」
「エミグレア様は近衛騎士団への入団をご希望されております。入団試験の条件は満たしておりますので」
「領地出奔を促すというのか・・・封印が弱まったということはないのか」
「先ほど確認して参りましたがおかしなところは見受けられませんでした。そもそも10年20年で弱体化するような封印ではありませんので」
「そうか・・・」
「領地と領民の安寧をお考え下さい」
「うむ、そうだな・・・我が子にとらわれて領民を犠牲にする事だけは避けねばならんか、ままならんものだな、貴族というものは」
「ご心痛、お察しいたします」
そう言ってバローヌは頭を下げた。
「いや、頭を上げてくれ、バローヌ。お前あっての我が領地だ。おそらくその判断が正しのであろう。明日にもエミグレアへ入団試験の受験を認め次の試験に臨むよう私の方から伝えておこう。夜遅くまで済まなかったな。下がって良いぞ」
「いえ、これも私の勤めですので、お気遣いなく。それでは失礼いたします」
バローヌが去った執務室で、クロインは据えられたワインをグラスに注ぎ、困惑した表情を浮かべながらグラスを傾けた。
「領民の為、領地の為に我が子を切り捨てるか・・・いや、自身の保身の為か・・・我が事ながら、ずいぶんと強欲になってしまったものだな」
栄達を臨んだ。領地の繁栄を望んだ。家族そして一族の繁栄を望んだ。これらの渇望は爵位を持った今でも衰えることはなかった。そしてそのために我が子を切り捨てたという事実が良心を咎めるが、欲望の前にはそれすらも霞む様だった。だが、その夜のワインはいつになく苦いものだった。
バローヌは、執務室を去り、割り当てられている自室に戻りながらこれからのことを考えていた。
「エミグレア様の技量では、入団試験に受かることはないはずだ。事が発覚する前に消えていただけば憂いは無くなる」
近衛騎士団の入団試験の厳しさはよく知っている。そして、入団試験は生き残ったもののみが合格であり、ここ数年で合格者がいないほど生存率は限りなく低いという苛烈なものであることも。だが、と彼は思う。
「万が一、試験に受かったら、そして、あの封印の効果を受けないとわかれば容赦はないだろう。試験で確実に結果を出しておかねばな」
家と領地に尽くすバローヌにとって、最優先事項は家の存続である。彼にとっては幼少より面倒を見てきた領主の息子であっても、大事の前には等しく取捨選択の材料でしかなかった。そして彼はエミグレアが、公的にこの地から後腐れなく消滅するための方策を練り始めながら自室へ消えていった。
翌朝、エミグレアは父から入団試験受験了承を告げられた。そして、受験についてはバローヌの指示に従うことが伝えられた。母と兄は、驚いた顔をしていたがその場で反論をすることはしなかった。例え妻であり、息子であっても領主の決定には従わねばならないことは充分理解していたからだった。
そしてエミグレアは期待と希望が叶ったことを純粋に喜んでいた。




