物語の始まりは大抵が雑で
雲のひとつもない空の下には、村の子どもたちによる楽しげな声が響いていた。子どもたちは満面の笑みで土を踏みしめ、追いかけっこをしている。
その子どもたちに紛れて一人の青年が一緒になって遊んでいた。流石に年の差があるため、彼は子どもたちに合わせた動きをしていた。
「ジュスタ! ジュスタはいるかあ!」
そこに、顔に皺が刻まれた老人が怒鳴り声をあげて青年に近づいていく。その声に全員が動きを止めて振り返った。
「村長のじっちゃんか。なんだよ、大きな声出さないでよね。今チビたちと遊んでるんだからさ」
ジュスタと呼ばれた、癖っ毛で茶髪の青年はしかめっ面をして文句を言った。
「馬鹿もん! お主ときたら畑仕事も狩りも商いもせずにずうっと子どもと遊んでおるじゃないか! 少し前までは十七歳じゃったからまだ許していたが、お前はもう十八歳の成人じゃろうが! 働け馬鹿たれ!」
「じっちゃん、そうは言ってもさあ。この村ってご飯の数も間に合ってるし、最近は大きい動物も出ないし、やることないじゃない。あと、チビたちとはいつも遊んでるワケじゃないよ。たまには本とか読んでるもんね」
「ジュスタのにいちゃん結局働いてないじゃん」
子どもの一人が小さな声で呟くと、子どもたちが一斉に笑った。ジュスタはそれを言った少年に、「言わんでいいの」と言って頭に軽い拳骨をくらわせた。
村長はジュスタの様子を見て大きなため息をついた。村長は口元をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せた。
「どうやら反省はしてないようじゃな。ならばよい。お前は出稼ぎに行くんじゃ。村の外に行って、労働の過酷さを知るがいい」
村長が目をつぶって吐き捨てるように言った。その言葉を聞いたジュスタは、あんぐりと口を開けた。
「で、出稼ぎってそれ、村から出て行けってことかよ」
「出て行けとは言ってない。外の世界に出て稼ぐまで帰ってくるなということじゃ」
「おんなじ意味でしょうが!」
「これは決定事項なのじゃ。少し前の村民会議で決まっていたことじゃしな。お前には村を出て行ってもらう」
「ほら出て行くって言った!」
「ええい、うるさいうるさい! 決まったと言っとろうが! 出発の馬車はもう正門近くに準備してある。荷物もこちらで用意した。さあ、ゆけい!」
「冗談じゃない! 確かに都会にゃ興味だってあったさ。けどね、こんな急に言われたら誰だって拒むに決まってるでしょうが!」
ジュスタが必死になって拒み、しばらく言い争っていると村長が何か思いついたかのように目を見開いてから、口を歪めてわざとらしそうに呟く。
「そうかぁ、せっかく出稼ぎで上手くいったら村長の座に座らせてやろうと思ったのになあ?」
村長がちらりとジュスタを見た。視線を受けた彼は、人差し指で頰を掻いた。
「村長の座って。うちの村のおじさんたちがみんな狙ってるじゃない。村長になったら仕事もせず村民に指示を与えるだけでいい、最高の役職だって。それなのに俺がなっちゃっていいの?」
「いやいや、村から出る村民は少なからずいたが、出稼ぎなんて大層なことをする人間はおらんかった。お前さんが最初じゃ、度胸も成果もあったら村長になるのは当たり前じゃろ?」
村長はジュスタにうぃんくをした。ジュスタは、小さなガッツポーズをつくって喜んだ。
「じっちゃん、その約束忘れないでよね! 俺さ、絶対稼いでくるから! 俺が帰るまでくたばっちゃ駄目だかんね!」
ジュスタは跳ねるように走って村の出口へと向かった。残された村長と子どもたちは、顔を見合わせた。
「なんとも御し易いやつよのう」
「ジュスタのにいちゃんって感じだと思う」
※
村長の話を聞いて、ジュスタは村の出口に急いだ。彼は出口に到着すると、これ見よがしに馬車があるということに気がついた。彼は御者台に座っている男の人に声をかけた。その男は、ジュスタの顔見知りであった。
「あ、シバさんじゃないですか。俺が出稼ぎに行くって話知ってます?」
「ああ、勿論。なんなら俺も賛成したうちの一人だ。無駄飯食いは要らねえからな」
シバはジュスタの背中を何度も叩き、豪快に笑った。
「期待して待っててくださいよ、稼いで帰ってきますから。それで、ここからどこに行くんです?」
「俺が送るのは近くにある街にジュスタを置いてこいって言われただけだぜ。多分、あとはお前の自由なんだろうな」
「やっぱ出稼ぎっていうより厄介払いなんじゃ?」
「はは、かもな。さっさと乗れよ、行こうぜ。夜には着くだろうから向こうで宿とって明日から頑張れ」
ジュスタは軽く返事をしてから馬車の荷台に乗り込んだ。荷台は村長が用意した彼の荷物しか置いてなので広々としている。
置いてある鞄の中身を確認しようとジュスタがしゃがみこむと、車体が大きく揺れた。そのせいで彼は体勢を崩して転んだ。
「ちょっと、シバさん! 出発くらい言ってくださいよね!」
転んだ体勢のまま文句を言うとシバが、「わりぃわりぃ」と悪びれた様子もなく謝った。
気と姿勢をとりなおし、ジュスタは荷物に向き直った。置いてあるのは小さな鞄と剣のみ。旅立ちの荷物としては心もとないと言えるだろうが、彼の顔には笑みが貼りついていた。
「それじゃあ、お披露目といきますかね」
ジュスタは待ちきれないと言わんばかりの手つきで鞄のボタンを外した。中には水と携帯食料、そして金貨が五枚だけ入っていた。節約しなければ一ヶ月分の生活費とも保たない。
「し、シバさん! やっぱ待って、いますぐ俺を村に返してくれ! 頼む、一生のお願い!」
「男なんだから大人しく覚悟決めろよ。ちなみに稼がずに村に戻ったら村民とはみなさないって話だからな」
ジュスタは唖然とした。鞄の中身を全て取り出し、隅々まで確認をした。しかし、入っているものはこれらのみ。馬車の中に悲痛な声がこだました。
「ってか、今更ではあるんだけどよ。働けばよかったんじゃないのか? お前さんは別に狩りが苦手なワケじゃないだろ。なんなら村のいちにを争うくらい上手かった記憶があるが」
シバが唐突に質問をした。問われたジュスタは唸って、数秒だけ考える仕草をした。
「働くのが嫌ってワケじゃなくて、ちびたちがちょっと寂しそうだったからですかね。やっぱあいつらはまだ子どもだし、大人が面倒みてあげるべきだと思うんですけど、うちの村って忙しそうにしてるでしょ? まあ、それは言い訳で、純粋にちびたちの笑顔を見ていたかったってだけですよ」
答え終えたジュスタは、少し頰を赤らめながら体を横にして荷台に寝転んだ。シバは、「そうか」と小さく言うと、数回頷いて黙って馬を御した。
※
月明かりが出て、動物の鳴き声が消えた時刻。馬車が徐々に速度を落として、ついには止まった。寝転んでいたジュスタは固まった体を起こし、馬車から降りた。
「シバさん、また休憩……じゃないか。もしかして到着しました?」
「おう、そうだ。今日はこの町にある宿に泊まる。俺は明日の早朝に帰るから、きっと居なくなってるけど気にすんなよな」
ジュスタは馬車から降りて町を見た。舗装された石畳の道路や訪れてくる夜のためにつくられた街灯。石造りの家などが並ぶ光景に、彼は息を呑んだ。
「ああ、そういやお前成人なったばっかだもんな。村の外は初めてか。すげえだろ、お前の知らない技術が沢山あるんだぜ」
シバはジュスタの肩に手を置いた。
「なんていうか、綺麗だ。なあシバさん、ここって結構都会なのかな?」
「いや、世界的には田舎らしいぞ。村にいるヤマネさんがもっと凄い場所に何度も立ち寄ったらしい。火を使わない明かりだとか、高い建物だとか。ま、これからの仕事場はお前次第なんだからそこに行くっていうのもいいんじゃねえか?」
ジュスタの口から乾いた笑いが出ていた。彼の口角がほんのり上がり、細かく、そして何度も首を縦に振っていた。
長時間の移動で疲れている二人は、どこへ寄ろうともせずに宿屋を探した。晩飯や水分補給は、道中の携帯食料などで済ませたので問題はなかった。おかげでジュスタの荷物は空っぽの鞄と剣のみである。
※
宿屋に入り、寝泊まりの手続きをシバが行った。ジュスタがあまりにも辺りを見回すので、宿屋の中にいた男たちがしきりにその様子を見て笑い者にしていた。
シバが女将から鍵を受け取り、自分たちが寝泊まりする部屋に向かった。ジュスタはシバについて行くのが、精一杯という様子であった。
彼が借りた部屋の鍵を開け、扉を開けて部屋に入っていった。狭くて薄暗い部屋にはベッドが二つ置いてある。壁にはカンテラがついていて、それが夜のための明かりになっているようであった。
白いシーツの引かれたベッドを見たシバは、突然ベッドに飛び込んだ。羽毛の弾力に、彼の体が放たれた弓の弦のように跳ね返っていた。ジュスタは彼の行動に少し笑った。
「おうジュスタ、おめえもやれよ」
「うーん、シバさんがやれって言うなら仕方ないっ!」
シバの真似をしてジュスタもベッドに飛び込むが、勢いがあまって跳ね返り過ぎた。体が横に逸れてしまい、鈍い音をたてて床にぶつかった。
ジュスタが下唇を噛んで痛がっているところを、シバは指をさして大笑いしていた。
※