002::プロローグ01::赤い瞳~そのケーキは誰を祝う~
新学期が始まり、今年も同じクラスだった二人。
時代遅れな黒い学ランの少年と、白いラインが襟に入った古風なセーラー服の少女。
学校からの帰り道。
二人は一緒に並んで、商店街を通り抜けようとしていた。
その落ち着いた雰囲気を醸し出す制服少女の身長は174センチもあった。
彼女の流れる黒髪はしっかりと切りそろえられていて。前髪は目に入らぬように、後ろは定規で測ったかのように、まっすぐなラインを出している。
モデル事務所がスカウトしそうな長身ながら、しっかりと膨らむべき所は膨らんでいて、女性としてのくびれも十分見受けられ、色白で目鼻立ちが整った、誰もが太鼓判を押す和風美人だった。
一方の、隣を歩くメガネの少年は、清潔な笑顔を浮かべながらも、ひょろなよっとして少々頼りない雰囲気だ。
中肉、中背、彼の顔は悪くはないが、特に良いというわけではない。
お世辞でも隣を歩く彼女に釣り合う外見を持っているとは言い難い。
さらに彼の身長が170に届くかどうかなので、黒髪の少女の隣は、彼には荷が勝ちすぎではないだろうか。
もしカップルだとしたら少々見栄えのバランスが悪く思える。
しかし、二人の間にある雰囲気は、決して悪いものではなかった。
いつもより遠回りになる、商店街のメインストリート。
帰宅する方向が共に同じなので、二人には実はもっと近道できる通りがある。
しかし今日はこっちに行く、と強い口調で少年が言い出した時に、少女は少し驚きを覚えたのだった。
「だってそっちは、時間かかると、思うの……ですが」
「いいんだよ、遠回りだけどな。付き合ってもらえないか?」
いつも通り、部活がない場合は一緒に帰宅する。
ただ今日は、いつもと少し違う道を征く。
いつもと同じ、幼馴染と肩を並べながら。
その商店街は、カップルが多く歩く、洒落た道だと彼は知っていて発言したのだろうか。
「ハァ? シィナもLFOやるってのか? よくVRを身に付ける気になったのか」
「いいからお願いですユウト、14時までになんとかログインしてみせますから」
「無理無理、機械音痴のお前にゃ無理だよ。俺が行って設定してやるって」
「女だからって馬鹿にしないで下さい。設定など全部自分でできます。それに何故貴方を私の部屋にあげねばならないんでしょう」
「隣に住んでるんだから、今更だろ。その方が安全で早い」
今更とは何たる言い様か。貴方の幼馴染とはいえ私は乙女。その部屋に考えなしに上がり込もうとは、朴念仁にも程がある。
シィナと呼ばれた少女は、紅くなった頬を少し膨らませながら、幼い頃から何かと一緒にいた少年――ユウトを上から睨みつける。
でも、睨むにしては、少し顔が彼に近すぎていたかもしれない
「だから、くっつくなっていつも言ってんだろ。俺が小さいと思われる」
「くく、くっついてなどいません! あ、貴方がいけないのでしょう! 私より小さいのだから」
「うっせーな。俺は小さくねえよ。で、14時にお前の部屋に行けばいいのか? あと2時間無いぞ」
「だーかーらー、14時にログインです。そのオープニングエリアって所で待っていて下しあ」
「うへぇ」
はいはいわかりましたよ、の変わりにうへぇ、という返事を昔から口癖のように使う少年を、置いてゆくように歩を進めるシィナ。
長身故に、背筋を伸ばしてスタスタと歩く姿は華麗さを感じさせる。
「シィナ少し待った。待ってくれ。予約してくるわ」
「ふぁい?」
シィナは彼の言葉が理解できなかったのか、適当に勢いで返事をした。黒髪を巻いて振り返る。
予約? 何を?
商店街にある唯一のゲーム屋の方へユウトが歩いてゆく。新作ゲームでもチェックするのかと思ったら、ゲーム屋の自動ドアの前を通りすぎて、さらに隣の、ゲーム屋と同一会社が経営するレンタルビデオショップも通りすぎて、なんとその隣にあった、白と赤の塗装を壁に施されている、ファンシーな看板を掲げていたケーキ屋に、ユウトは入っていった。
強い口調でこっちを通りたいと言うから、何かと思えばこれか。ケーキか。てっきり……。
「うっはぁ、似合いません。ケーキ屋とか制服男子に似合わなすぎです」
シィナは声を上げた。
外から店舗内が見渡せて、ケーキが綺麗に陳列されているのが、シィナのいる通りからでもよく解る。
明るい雰囲気で、ケーキも店構えも、いかにも女性が好みそうな店だった。
大きなガラスを通してユウトがレジ前とケーキ棚を、3回ほど行ったり来たりする行動が観察できた。
5分も経たずにユウトはケーキ屋から出てくる。彼は手に何も商品を持っていなかった。
「何も買わなかったのですか? ここ結構美味しいって近所のアパート前で話し込んでる、完熟女性達が言ってましたよ」
「ああ、予約注文しただけだから。それとその熟女達の噂話は真実に近いな」
「熟女どうでもいいです。ケーキを予約で注文したのですか?」
「ああ」
「予約? 注文? 貴方が? 食べるのですか?」
「そりゃケーキだもん。食うよ。お祝いしたら食べるんだよ」
何を当然な事を言っているんだお前は、174センチだが仮にも女だろ、ケーキ好きだろ、ケーキなんだから食べるに決まってるだろ、何いってんだ、と猜疑の視線が5センチ下からシィナへ送られてくる。
「あれですね、子供の日のケーキって事ですね。でもあれは葉っぱの饅頭じゃ……?」
「それは柏餅だろーが。俺のは誕生日ケーキ」
「貴方10月生まれだったでしょう。今は4月です。誕生日が変わったのですか?」
「変わるかよそんなもん。俺の誕生日じゃなくて、ケーキは彼女のお、おおっと」
「彼女ぉぉぅううおお!?」
174センチのデカ女から、さらにデカイ声が飛び出してきて商店街を揺らした。
「叫ぶんじゃねぇよ……」
「彼女を、ケーキで、お祝い……ですか。ムッツリ真面目ガネなのに」
「俺は、俺達はやるんだよそういうの。普通ケーキ買ったりしてお祝いすんだ。それとムッツリは誤解だ」
「そ、そうなのですか」
ハンマーで殴られた様な気分、というのはこういう事か。
15年以上の幼馴染である、隣に住む男の子から、衝撃の事実を突きつけられた。
シィナの目の前の世界がぐにゃり、と歪む。
付き合っている異性がいれば、誕生日に予約しておいたケーキでお祝いをするのは普通。
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。
シィナはそんな当然の事を理解するのに、近くにあった壁に手をついて寄りかからなければならなかった。
「なんだ下を向いて。貧血か? 大丈夫か?」
「す、すみません、大丈夫です。それで彼女とは、その、いつ知り合ったんですか?」
「彼女? アレな。一ヶ月くらい前にな、ビデオショップでレンタルしている時に。ビビビッってやつだ。なかなか可愛いんだ。でも芯があって強くて、時々泣いちまう。もういくら貢いだか……」
ユウトは質問に堂々と答えた。
普通は異性との馴れ初めの話など、気後れや恥じらいを覚えるものと思っていたが、ユウトはまるで昨日の献立を思い出す作業のごとく、言えて当然といった態度だった。
彼女は中学二年生ながら料理が上手いし美味い、IQが高い、お嬢様学校に通っていて実家はお金持ちで――、と聞いてない事をポンポンと口から出してくる。
シィナは彼女どころか、嫁の自慢話を聞かされている気分になってしまった。
「そ、そうですか、まだ一ヶ月なのにもうそんなに知ってる仲なのですか」
「俺はハマったらすごいぜ」
「そ、そうでしたね」
隣を歩く、5センチ程シィナより身長が低い少年は、昔から集中力が凄かった。
やる、と決めたらとことん全力でやるのだ。
きっと恋人に対しても、完全燃焼の姿勢でいるのだろう。
それはシィナも認める、ユウトの良い所だったが、今のユウトを褒める気にはならなかった。
ユウトはレンタルビデオ店で彼女と出会ったと言っていた。
昔から先ほど通り過ぎた店に通っていたので、馴染みの客の誰かなのだろうか。
それはまさか同じクラスの人だろうか、年下だろうか。いや予想外の年上女房?
ユウトはいつ告白したのだろう? いやされたのかもしれない。なよっとしているが、彼の顔は悪くない。
クラスで彼氏にしたい男№1にはなれないが、№5に入ってくるくらいには、整っている。
女性側から告白してきた可能性は、十分あるかもしれない。
シィナは15年以上、彼の家の隣に住んでいたのに、彼に恋人が出来た事に、まったく気付かなかった。
中学になった頃から、ユウトはオタク系趣味に手を出し始めて、アニメやら漫画やらに夢中になってばかりで、現実の特定女性への興味の吐露なんて一度も聞いたことがなかった。
高校生になってもきっと同じだろうとシィナは思っていたのだが、どうやらそれは油断だったようだ。
(彼女、いたのですね……)
もう何回デートしたのだろうか。どんな服で出かけたのだろうか。貢いだと言っていたので、彼女は沢山プレゼントをされているのだろうか。
シィナがこの15年で、目の前の男から貰ったものと言えば、――――くらいなのに。
いつの間にか彼の歩幅のほうが大きく、しっかりとしていた為に、シィナは少し後ろを追いかけてゆく。
二人が全国チェーン店のアニメショップの前までくると、ふと前を歩いていたユウトが立ち止まった。
曇りのない青い下地に、白い文字の看板のアニメショップ。
ユウトがよく足を運んでいるお店。
彼曰く、深夜帯ではCMを沢山提供しているありがたい会社だそうだ。
「あ~やっぱり――ちゃんは可愛いなぁ」
ユウトはアニメショップのショーウィンドウの前で恍惚とした表情を浮かべている。
彼女のことを思い出しているのか、ショーウインドウに反射してユウトの、幸せの絶頂得たり、という顔が伺えた。
「あ~やっぱり――ちゃんは可愛いよなぁ。早く結婚できるようにならねぇかなぁー」
「け、結婚!? ……貴方そこまで完全燃焼なのですかああああッ!? まままさか、彼女と、きょ、今日も会うのですか?」
「ああ、先にVRですこし逢ってくるわ。でも遅れたりしないから。シィナは本当に14時でいいのか?」
「おお、おうコポォです!」
シィナの声が吃った。彼女はおーけいです、というつもりだった。
「14時っていうけど、本当にVRの組み立てとか基本設定とか大丈夫なんだろうな」
「も、問題ありません」
「わかった。あ、そうだケーキ、結構でかいから来週半分もってくわー。きっと食いきれないし」
「…………っ」
「予約したのは5月2日な。楽しみにしておけ。こんなんだから」
両手で大きなスイカくらいの円を空中に描きながら、にこにこと笑顔を見せて、ユウトはシィナへおすそ分け宣言をした。
彼女の誕生日の、お祝いのケーキを。
空中に描かれた円、誕生日という言葉、予約したのはホールケーキなのだろう。
彼女と一緒に食べる、贅沢なホールケーキ。
部屋の明かりを消し、彼女と一緒にケーキへ蝋燭を立てて、ケーキを食べる甘い時間を彼女と過ごした後に、シィナの家にケーキを届けに来るつもりなのだろうか。
彼女を横に連れて。
想像したら、何故か体温が下がった気がした。
首筋に汗が浮かぶ。
眼の奥が熱い。
胸が痛い。動悸か。そういえば先程からずっと心臓の音が煩い。
先刻のハンマーで殴られた衝撃に合わせ、荒いやすりの様な風が吹き抜けていき、心が削れてゆく感覚がシィナを襲い続けている。
(ちょっと気持ち悪いかも。これは…………)
この、体の中でグルグルと回っている、もやもやしたものは何だろう。
苛立つ気分は、感情はなんだろう。これは――、
(そうか、風邪ですね!? 私は風邪を引いてしまいましたか。ぐぬぬ。体調管理は万全だったはずなのに)
「どうした、急に黙って。ケーキ好きだろ?」
「えっ」
「ケーキ、好きだろ? イチゴもクリームも沢山乗ってるぜ」
174センチといえどもシィナも10代の乙女。甘いモノは好きだ。大好きだった。
しかし、嫌だ。嫌だった。そんなの貰いたくない。ケーキは好きだがそのケーキは貰いたくない、とシィナは思った。
「い、いりません。最近私はダイエット気味なので」
「気味て、痩せ気味とか太り気味って意味か。でもお前が食べなくても、お姉さん達いるじゃん、持ってくわ」
「だから、いりません! ウチは全員ダイエット気味なのです! 絶対にいりませんー!」
適当なウソで断ろうと思っていたら、何故か不機嫌さが言葉に乗ってしまっていて、ユウトの提案を断固拒否する形になった。
「気味、の使い方まちがってるぞ。それにシィナは太ってねーから大丈夫だろ」
「うるさい、もうだまりなさい」
「あのな、」
「いいからだーまーれー!」
「うへぇ」
理由はよくわからないが、幼馴染のデカ女が不機嫌になったのを理解したユウトは、話題をケーキから切り替えて、当たり障りない学校の授業の話にする。
そのまま商店街を抜けて住宅街を歩き、二人はお互いの家の玄関前でもう一度確認し合う。
「で、14時にログイン、本当にできるんだな、手伝わなくていいんだな」
「できます。大丈夫です」
「おま、目が紅くね? 寝不足か。寝不足でVRは辛いぞ」
「きっと風邪です」
「風邪で眼は赤くなったっけ?」
「風邪なのです!」
「うへぇ」
もうすぐ16年目になる、幼馴染の関係。
何かといつも一緒にいた、家族のような異性。大抵のことは阿吽でわかる。
しかしユウトには、目の前の長身の少女の逆鱗が、今日に限って何所に隠されていたのか全然わからなかったらしい。
それでも機械音痴のシィナを案じたのか、しつこいながら、もう一度声をかけてきた。
「でも、何かあったらいつでも頼っていいからな。すぐ隣にいるし」
「もう、私の心配はしないで下さい!」
「う、……わかったよ」
いつの間にか、ユウトは玄関ドアの向こうに消えていた。
玄関を潜る前に、彼はほんの少し寂しそうな顔をしていたのだが、シィナの赤い瞳には、映らなかった。