その二
何日も何日も、若者は砂漠を歩き続けました。食糧が尽き、水が切れ、飢えと渇きにさいなまれながら、若者は西を目指しました。
やがて若者は、小さな村にたどり着きました。あまり豊かではないその村に、水は充分にありました。
村人達は水がどこからやってくるのか、教えてはくれませんでした。大切な水源をよそ者に奪われたくは無かったのでしょう。それは当然のことだと若者は思い、そして、氷山がここからそう遠くないところにあると考えました。小さな井戸に見合わない豊富な水は、氷山から切り出した氷に違いないと、そう思ったのです。ふと若者は、氷山の存在を教えてくれた商人の『あれは、魔女の住処だ』という言葉を思い出しました。ここの村人達は、氷の魔女を知っているだろうか?
若者は、魔女の話を持ち出しました。魔女の存在を知っていれば、氷山に魔女が住んでいると考えてもおかしくはありません。村人達は氷を切り出すたびに、魔女に襲われることに怯えているはずです。
「氷山のありかを教えてくれたら、代わりに魔女を退治してやる」
若者の言葉に、村人達は笑いました。どうやって魔女を倒すのか? 若者はそれには答えず、村の長に会わせて欲しいと村人に頼みました。
小さな小屋で、若者は威厳ある老人の前に跪いて頭を垂れ、尊敬の意を表しました。
「よい、顔を上げよ」老人は若者に言いました。
「さて、おぬし、妙なことを言っておると聞いたが、氷の山などと言う戯言は、どこで聞いた?」
「旅の商人から。氷の魔女の話と一緒に」若者は顔を上げて答えました。
「それが嘘だとは思わなんだか? 魔女の噂とて、実際に見た者は居なかろうて」
「ならばご老人は、都へ行かれたことはおありか? 都の王に会ったことは?」
若者は答える代わりに、老人に問いかけました。
「何を言う。長老を愚弄する気か?」「今すぐに村を出て行け。戻ってくれば容赦はせんぞ」老人を守る屈強な男達が、口々に若者を責め立てました。男達は力で若者を小屋から引きずり出そうと構えました。
「なるほど」
老人の反応は、男達のそれとは随分と違いました。
「都は砂漠を出てさらに東にあって、そこに王が居る。確かに私はそう聞かされ、それを信じている。しかし都へ行ったことも、王に会ったこともない。このような西の果てで、王から親書を受けたこともない。伝聞を信ずることと、それを確かめに行くことは全く別のことだ」
老人はゆっくりと、大きく頷くような仕草をしました。
「氷の山があるかどうか、そこに魔女が居るのか、お前は確かめたいのだな」
若者は黙って老人を見つめていました。老人は、若者を見つめ返し、話を続けました。
「しかし、確かめてどうする? 魔女を退治すると言ったそうだが、お前に何ができる?」
「水を、いただけますか?」老人の問いかけに、若者は答えました。「一滴でいい」
再び気色ばんだ男達に、老人は水を持ってくるよう命じました。
一人の男が、小さな器に水を汲んで持ってきました。若者は右手を差し出しました。手のひらを上に向け、指をそろえて手のひらの真ん中を窪ませ、水を受ける形を作りました。
「水を、手のひらにかけてください」
言われた男は訝しげに、器を手のひらの上へ掲げました。
男が若者の手に水をかけるより早く、小屋の中を熱気が満たしました。若者の手のひらに注がれた水は、強い火にかけた鍋の中のそれのように、激しく泡立ちながら蒸発していきました。
若者が発する熱気に、男が後ずさりました。老人は「ほう」という、ため息とも感嘆とも取れる声と共に身を乗り出しました。
「その熱はどこから来る」
「体の内側から」
「どのようにして?」
「分かりません。子供の頃からこうでした。」
「長生きはするものだ。面白いものを見られた」老人は言いました。「氷の山の次に面白い」男達は老人が氷山の存在を認めるような言葉を口にしたことに慌てました。
「氷の山は、やはりあるのですね、ここから遠くないところに?」若者は老人に尋ねました。「どこにあるのですか?」
「確かめたいのなら、自分で探すが良かろう」老人は答えました。「確かめるとは、そういうことだ。それとも、その不思議な熱で我らを脅して、答を聞き出すか?」
「教えてはいただけない、と言うことですね」
「氷山が溶けないのはなぜか分かるか?」
「…分かりません。氷の魔女が実在するなら、魔女の力かも知れません」
「ならば、魔女を退治すれば氷山はどうなる?」その答は明らかでしたが、若者は答えられませんでした。
「そう、日に照らされて、溶けてしまう。」老人は若者を諭すように語り続けました。「私らにとっても、魔女が現れることは恐ろしい。しかしそれ以上に、あの氷を失うのは恐ろしいことなのだ。一度得た水を失って、元の暮らしに戻ることはの。砂漠に住む者ならば、分かるだろう」
老人の答えに、若者は言葉を失いました。
氷山が溶ければ、水は砂の下の水脈を巡り、あるいは風に乗りスコールとなって、再び多くのオアシスを潤すことでしょう。しかし、老人には自分の村を守る義務があり、氷山を維持することが正義なのです。それを責める気には、若者はなれませんでした。
これ以上ここに居ても得るものはないと悟って、翌朝はやくに、若者は村を出ました。見渡すと、村の南から西側を大きく囲んでそのまま北へ、砂山が弓なりに続いています。砂山の向こう、西の方角に、岩肌をあらわにした山が連なっています。この砂山の向こうのどこかに、氷山が隠れているのでしょう。
若者は、砂山を目指して再び西に向かいました。日に照らされてのどが渇きましたが、村で手に入れた水には口をつけませんでした。どのみち氷山に着けば、たっぷり水が飲める。そう若者は自分に言い聞かせました。
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