その十四
翌日、魔女が目を覚ましたとき、若者はまだ眠っていました。魔女は若者の寝顔が見える場所に座りました。魔女は眠っている若者を見つめながら、どうしたら「氷の外に出たい」ということを若者に伝えられるか、考えていました。
魔女が知っている言葉はまだ少なく、頭の中に描く砂漠の熱い風と日差しを言葉で表すことは出来ませんでした。
若者が目を覚ましました。魔女は緊張した面持ちで若者を見ました。
目を覚ました若者は、魔女が随分と真剣な顔で自分を見つめていることに気づいて、慌てました。
「あ、お、おはよう」
少しうわずった挨拶に、魔女が「おはよう」と返しました。魔女はその意味を理解してはいませんでしたが、目を覚ますたびに若者がそう言うので覚えた言葉でした。
朝の挨拶を済ませると、魔女は立ち上がって、氷の壁へ向かいました。
魔女は壁をなでながら若者の方を向いて、「水」と言いました。氷が溶けて水になれば、その水は流れ落ちて氷の壁に穴が出来ます。それは魔女が知っている中で精一杯考えた、氷を溶かして欲しいという若者へのお願いの言葉でした。
「氷」と若者は返しました。壁は氷で出来ています。魔女が言葉を間違えたのだと、若者は思ったのです。魔女は若者の言葉に頷いて、けれど、もう一度「水」と言いました。
若者はしばらく考えて、氷を水にする、つまり魔女は氷を溶かしたいと望んでいることに気づきました。
なぜ氷を溶かしたいのか、どのくらい溶かせばいいのか、若者には解りませんでした。若者はとりあえず氷を溶かして、壁に拳ほどの窪みを作りました。魔女は窪んだ壁を指さして、「水」と繰り返しました。
どうやら自分が思ったより、魔女はたくさんの氷を溶かして欲しいようだと若者は考え、更に氷を溶かしました。魔女の求めに応じるうち、やがて氷の壁には人が入れるほどの穴が出来ました。それでも魔女は、まだ「水」と繰り返しました。
魔女が何を求めてこんなに氷を溶かしたいのか、若者は気になりました。若者はふとひらめいて、それから、そのひらめきを自分で否定しました。けれど、考えれば考えるほど、魔女の望んでいることはそれではないか、と思えて来ました。
若者は砂の上に座り、魔女を呼びました。魔女は同じように若者のそばに座りました。
若者は、砂の上に指で線を引き始めました。砂の上の線は真ん中が窪み、その両脇は周りよりほんの少し砂が盛り上がりました。若者が引く線は、小さく突き出た部分がある、丸い形になりました。その形を指して、若者は「氷」と言い、二人を取り囲む氷の壁をぐるりと手で示しました。
丸い形はこの氷の部屋、そして、小さな突起は今溶かした壁の窪みです。
若者は魔女を見て、丸い形の意味が分かったかどうか確かめました。魔女は真剣に、砂の上の丸い形と部屋の形を見比べて、それから若者の方へ向き直りました。
「氷」と魔女は若者に答えて、砂の上に描かれた丸の突き出た部分と、壁の窪みを交互に指さしました。 どうやら魔女はこの絵を分かってくれたようだと若者は思い、そこに二つの点を描きました。そして、点の片方を魔女の名前で、もう一つを自分の名前で呼びました。魔女は若者を真似て、二つの点を、それぞれ二人の名前で呼びました。
若者は、丸い形から突き出た部分を指して、それから線の両側に盛り上がった砂をならして線に切れ目を作りました。そして、魔女が砂の上の図を見続けていることを確かめると、二つの点の上に、それぞれ指をあてがい、指を動かしました。
若者の指は、砂の上に描かれた円の切れ目から外へと抜けました。それから若者は、魔女の顔を見ました。魔女は顔を上げて若者を見て頷き、それから自分の指で、若者の指の跡をたどりました。
若者は魔女の指が自分の指の後を追うのを見ながら、自分のひらめきが当たっていたことを確かめました。魔女は、氷の外へ出たいのです。若者は驚きました。魔女が自分から外へ出たがるとは、若者は思っていなかったのです。
なぜ魔女は急に外へ出る気になったのか、魔女を外へ連れ出しても大丈夫なのか、自分は魔女を守れるだろうか。若者は考えを巡らせました。そして、自分に自信は持てませんでしたが、魔女が望むなら今がいい機会なのだろうと若者は思いました。
魔女の言葉はまだまだ充分とは言えませんでしたが、魔女が絵を見て、そこに描かれたものを理解出来ることも分かりました。少なくとも、自分と魔女の間では、ある程度は考えや気持ちを伝え合えます。
それに外に出れば、氷の部屋では教えられなかった新しい言葉も教えることが出来るとでしょう。若者は覚悟を決めて立ち上がりました。
若者が立ち上がると、魔女もそれに倣いました。若者は氷の壁を再び溶かし始めました。
若者が作る氷の通路は、来たときとは違って、ふさがることはありませんでした。魔女は少しだけ外へ出て、また氷の部屋へ戻りたいのかも知れない。外へ出てもしばらくは、氷の山からあまり離れない方がいいだろうかと、若者は考えました。
実は若者が氷を溶かして通路を作る間、魔女は若者の邪魔をしないよう、気を付けていました。若者が作る通路を新しい氷でふさがないよう、魔女は自分の力を意識して押しとどめていたのです。
若者が考えるより、魔女ははるかに成長していました。そしてそれは、若者が氷山へ来なければ起こらなかったことでした。一方で若者も、言葉を知らない魔女を理解しようとする中で、少しずつ成長を続けていました。
Twitter連載 320~341ツイートに加筆修正




