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こおりのまじょ  作者: kuroneko
第一章
13/15

その十三

 砂に染み込む水を見つめながら、魔女は氷を自由に操れるようになった自分を感じていました。

 本当は、ずっと前から魔女は気持ちのままに氷を作り続けていました。でも言葉を知らなかった魔女は、自分の気持ちそのものをとらえることが出来ず、自分が氷を作っていることさえ分かっていませんでした。言葉を知らない頃の魔女は「氷を作ろう」などと意識して考えたことはなかったのです。また同じように、「今は氷らせてはいけない」とも、「何を氷らせていいか悪のいか」とも考える事は出来ませんでした。

 自分には、氷を作ることが出来る。そして氷を作ることを我慢する、作らずにいることを選ぶことも出来るのだと、魔女は気づきました。ただ自分では知らなかっただけで、魔女は昔からそうしてきたのです。外で暮らしていた頃は、きらめきを見たいときに気まぐれに氷を作るだけだったことを、魔女は思い出しました。


 若者が現れ、言葉を教えられたことで、魔女は少しずつ自分の気持ちや能力について分かるようになりました。それは魔女にとって、今まで暗かった場所に、次第に光が差し込むようでした。

 魔女は、ふと天井を見上げました。太陽の光が氷の中を乱反射して、部屋の中に柔らかく届いていました。天井は白く、ぼんやりと明るく見えました。それは天井だけでなく、氷の壁も同じでした。

 外にいた頃には、強烈な日の光が魔女を取り巻いていて、空を仰ぐとまぶしさに目がくらむほどでした。あの日差しの下で、小さな氷の欠片達が、きらめきながら溶けていくところをもう一度見たい。魔女は、覚えたてのわずかな言葉と共に記憶をなぞって、そう思いました。

 けれども、魔女にとって、氷の外へ出ることはまだ恐ろしいことでもありました。

 それに、この氷の壁から、どうすれば自分が外に出られるかも魔女には分かりませんでした。


 でも、若者がいれば。

 若者は氷の壁を溶かして、突然魔女の前に現れました。同じように、氷の壁を溶かして外へ出ることも出来るでしょう。

 若者はたくさんの音──「言葉」という言葉を、魔女はまだ知りませんでした──を使うことが出来ます。外で誰かに会っても、若者が話をしてくれるでしょう。


 そこで魔女は、ふと考えました。

 氷の壁の外に出た後、もしも若者が魔女を置き去りにしてしまったら。

 それは魔女にとって、氷の壁の中にひとり取り残されるより、はるかに恐ろしく、はるかに孤独に思えることでした。

 外に一人で放り出されるという想像は、魔女の心に差した光を、再びかき消してしまいそうでした。魔女はその想像を追い払うように、若者が新しく教えてくれた言葉をつぶやきました。

「おゆは、あたたかい」

「氷は、冷たい」

 若者が魔女の新しい不安など気づかぬ様子で、そう続けました。魔女は、自分に笑いかける若者を見つめました。

 魔女は、外へ出ても若者が自分を一人にしないことを、どう確かめたらいいのか分かりませんでした。分からないまま、魔女は若者の手を取りました。若者の手は、魔女のそれより一回り大きく、肌は硬く、そして温かでした。

「あたたかい」

 魔女は覚えたての言葉を口にしました。


 若者は突然の魔女の行為に戸惑い、それから一息ついて、魔女の行動を言葉にしました。

「手をつなぐ」

 魔女は、新しく聞く言葉に、顔を上げて若者の顔を見ました。

「手をつなぐ」

 もう一度若者は言い、魔女の手をごく軽く握り返して、魔女の目の高さまで持ち上げました。それから、手の力を抜き、反対の手で魔女の手をそっと放すと、「手を離す」と言いました。そして手を離された魔女の、不思議というよりは不安そうな表情に、若者はまた戸惑いました。

 早く言葉を覚えて欲しい。そうすれば、言葉が通じればきっと、こんな顔をさせずにすむ。そう思いながら、今度は若者から魔女の手を取って、もう一度「手をつなぐ」と言いました。


「手をつなぐ」魔女はその言葉を繰り返して、若者の手をしっかり握りました。

 それは、魔女にとって行為そのものを指すと同時に、初めて覚えた、相手への信頼を表す言葉と行動でした。

「手をつなぐ」魔女がくり返すと、若者は微笑んで魔女の手を握り替えしました。「手をつなぐ」若者も同じ言葉をくり返しました。

 たとえ氷の外に出ても、若者は自分を一人置き去りにはしないだろう。若者の笑顔と手の温もりを確かめながら、魔女は思いました。その日、魔女は眠るまで若者の手を放そうとしませんでした。



 月明かりが氷越しに小さな空間を薄く照らしています。微かな光の下で、魔女はその光より微かな寝息を立てています。そして若者は眠れないまま、魔女の寝顔を見つめていました。若者は、魔女が何を望んでいるのか、どうしたいのか知りたいと思いました。

 言葉が通じれば、それを知ることが出来る。

 若者はそう思い、魔女に言葉を旨く教えられない自分を歯がゆく感じました。


 気持ちを伝える方法が言葉だけではないことを、若者は知っていました。

 初めて会った頃の魔女は、無表情で、若者に対してなんの反応も見せませんでした。けれども今は、魔女の表情から、彼女が驚いたり、楽しんだり、不安を感じたりしていることが分かります。

 それでも、魔女が何を不安に思い、これからどうしたいのかを知るには、もっと多くの言葉が必要だと、若者は考えました。魔女が少しずつでも若者を受け入れたように、若者も魔女をもっと理解したいと思いました。


 若者は顔を上げると、正面の壁を見つめました。氷の壁を水が伝い、若者が見つめていた部分には小さな窪みができました。若者は視線を窪みの隣に移し、今度は壁の表面よりも少し遠く、氷の壁の奥へ視線の焦点を合わせるようにしました。氷の壁は今までと同じように溶け始め、氷の壁には二つ目の窪みが並びました。

 若者はため息をつきました。若者は本当は、氷の壁の中に小さな水たまりを作りたかったのです。もいも壁の内側を溶かせるなら、以前に考えた「外から氷山をゆっくり溶かす」事も出来るに違いありません。それができれば、壁の内側を溶かして魔女を不安にさせるようなこともなくなるだろう、そう若者は考えたのです。

 それに、氷の壁にできた水たまりに、魔女がどんな顔をするのか見たい気持ちもありました。驚く、不思議がる、楽しそうにする、もしかすると怒りだすかも知れません。若者は、これまでに知った、魔女のいろいろな表情を思い浮かべました。


 今夜はもう遅い。若者は氷を溶かすことを止め、砂の上に体を横たえました。

 睡魔は、若者のもとへはなかなか訪れませんでした。

Twitter連載 294~319ツイートに加筆修正

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