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こおりのまじょ  作者: kuroneko
第一章
12/15

その十二

 魔女は、若者には「魔女を一人きりにするつもりはない」ことが分かりませんでした。それを確かめるには、魔女は言葉を知らなすぎました。


 若者は、魔女が「再び孤独になることを恐れている」とは、想像もしませんでした。氷の山から出て行くときは、二人一緒だと決めていたからです。


 天井からまた水が滴り落ちました。若者は熱心に天井を見つめました。魔女は若者の視線を追い、溶け続ける天井を見上げました。

 そう、あの水が止まればいい。そうすれば、若者は出て行けない。

 魔女は若者と同じように天井を見つめました。天井から滴る水は、ゆっくりと落ちる間隔を広げ、やがて止まりました。

 若者は、凍り付いた天井から目を離して、魔女を振り向きました。そして泣き出しそうな顔の魔女を見て、自分がまた急ぎすぎたことに気づきました。魔女は、昨日「何か」に気づき、ずっと怯えていたのです。


 若者は天井を溶かすことを止め、魔女に向き直りました。


「大丈夫だ」

 若者は、魔女の目を見て、穏やかな声で言いました。

「大丈夫だよ、ここには悪い事は入ってこられない。」


 魔女にはまだ教えていない言葉でした。「大丈夫」や「悪い事」という、形がないことを表す言葉を教えるのは、若者にとって難しいことでした。それでも、気持ちが少しでも届くことを願って、若者はそう言いました。


「だいじょうぶ」

 魔女は若者の言葉を復唱しました。それはただ音をなぞっただけで、言葉の意味を理解したわけではありませんでした。それでも、若者が天井を見つめることを止め、氷の天井が溶けなくなったことに、魔女は安心しました。


「そう、大丈夫」

 若者は同じ言葉で返事を返しました。そして魔女の顔に微かな笑みが浮かぶのを確かめました。言葉の意味は分からずとも、怯えなくていいことは魔女に伝わったように思えて、若者は安堵しました。


 氷を溶かす練習はしばらく休んだ方がいいだろうかと、若者は考えました。


 少なくとも、魔女が起きている間は止めた方がいいだろう。氷が溶けた部分を、魔女がまた氷らせてしまうだけだ。それとも、遊びのように、自分が氷を溶かしては魔女に氷を作らせるか。そうすれば、この小さな部屋に魔女の力を閉じ込めて、少しでも氷山の成長を食い止められるかも知れない。


 魔女がそれを遊びと感じてくれればいいと若者は思い、そうなるには少し時間がかかりそうだと心の中でため息をつきました。氷と水の関係を理解したとき魔女は何に気づき、それ以来、何かに怯えていました。その「何か」が何なのか、若者には全く分からないのです。

 数日の間、若者は魔女に言葉を教えて過ごしました。けれど若者が教えられる言葉は、体の一部を表す言葉や、ちょっとした動きを表す言葉など、氷の部屋の中で見たり触れたり出来ることに限られていました。


 ある日、ふと若者は思いついて壁を見つめ、氷を溶かし始めました。魔女はそれに気づくと、溶け始めた壁を若者と同じように見つめました。若者は、片手を魔女の目の前にかざして、魔女が壁を氷らせるのを制しました。

 それから立ち上がると、氷の壁に近づき、溶けて流れ落ちる水を左手で受け止めました。じきに若者の手の中には、水が溜まりました。若者はその手を魔女の方へ差し出して、「水」と言いました。


 魔女は怒った顔で若者の方へ近づいてきました。若者は魔女に笑顔を返すと、空いた右手で魔女の手を取り、左手の水に、魔女の指先を入れました。

 そして、力を使って、少しずつ水を温めました。魔女の表情は様々に変わりました。始めの怒った顔から、水が温まってくるにつれて不思議そうな顔へ、そして今、ほんの少し熱いくらいになった、水の温度の変化にはっきりと驚きの表情を浮かべました。


「お湯」と、若者は言いました。それから、壁に目をやり、また少しだけ氷を溶かして、流れる水を右手で指さし「水」と言いました。魔女も「水」と返しました。それはすでに、魔女にとってもよく知っている言葉でした。

 次に若者は左の手の平を指さして、もう一度「お湯」と言いました。魔女は不思議そうな表情で、若者の言葉を繰り返しました。

「おゆ」

 若者は、左手の湯の中に指先をつけていた魔女の手をとり、氷の壁を伝う水にあてがいました。

「水は、冷たい」

 若者はそう言って、魔女の手を湯に戻しました。

「お湯は、温かい」


 魔女は、今度は自分から壁を伝う水を指でなぞり「水」、そして若者の手の中へ指を戻して「おゆ」と繰り返しました。「おゆは、あたたかい。水は、つめたい。」

 若者はにっこり笑って、「氷は、もっと冷たい。」と言いました。魔女は氷の壁を手の平でなで、「つめたい」と言いました。氷の壁をなで続けて冷えた手の平は、じきに痛み出しました。その痛みは、若者が来る前の部屋の空気を魔女に思い出させました。


 そして、若者が来る前の氷の部屋で、肌を刺す痛みがあったのは、自分の周りが冷たかったからだと魔女は思い至りました。今、部屋の居心地がよいのは、若者が氷を溶かすのと同じ力を使っているからだと、「おゆ」の温かさで魔女は理解しました。

 魔女は自分から若者の手に指を戻して、「あたたかい」と言いました。

若者は左の手の平に込めていた「力」を抜きました。お湯はゆっくりと冷めていきます。若者は右手で水の溜まった左手を指さし、魔女に向かって「氷」と言いました。「この水を氷らせてごらん。」


 魔女は、若者の言葉の後半は分かりませんでしたが、自分が何をすれば良いのかは「氷」の一言で分かりました。若者の手の平の中で、ぬるい水は次第に冷たくなり、やがて氷の塊になりました。水がすっかり氷になったところで、魔女は力を使うことを止めました。


 氷は、若者の体温でゆっくりと溶け出しました。若者が左手に力を向けると、氷は勢いよく溶けていきました。若者は、手の平の水を砂の地面に流しました。水は砂に染みこんで、見えなくなりました。

Twitter連載 268~293ツイートに加筆修正

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